古本屋通信

作家を読まないで書かれた書評

古本屋通信    No 2748   2017年  08月21日

   作家をろくに読まないで書かれたレビュー

 zyxはデボーリンなのか? 共産党批判は結構だが、ろくに作家も作品も読まないで書かれたレビューは粗雑そのもの。

 私は直前エントリーで『葦牙』を出した。その同人のうち霜多正次と中里喜昭の名前も出した。2人とも作家歴の長い民主文学の作家だが、論争時に問題になったのが霜多の『南の風』である。そして「民主文学」四月号事件をのちに小説化したのが中里の『昭和末期』である。2作品とも2人の代表的な作品とはいえないが、話題性だけではそれなりに有名になった。

 というわけで2作品をアマゾン・レビューで探してみた。『南の風』はもともと「文化評論」に連載された後に新日本出版社から単行本になった作品である。沖縄の教職員のたたかいを描いた力作であり、共産党が目くじらを立てるような党批判など皆無である。それは措いて、アマゾンでは1件もヒットしなかった。レビューもない。地味な作品だったから売れなかったのであろう。

 『昭和末期』は7件売り出されており、うち1件にレビューがあった。これが以下に貼るzyx氏のレビューである。このレビューは既に2年前に書かれていた。そして執筆者のzyx氏といえば、とにかく共産党系の本を軒並み酷評する豪傑なのである。マアそれは結構だが、大半の共産党批判はろくに作品も読まず、したがって作家を殆ど知らずしてなぎ倒すという豪の方なのである。そして私の直感では、この方がデボーリン君ではないかと疑っているのである。まあ心証だから証拠はない。本人が否定すれば謝罪して取り消してもよいが、とりあえずそういう疑いを持っていると書いておこう。で、このレビューの粗雑さというより出鱈目を批判しておく。




5つ星のうち3.0
昭和末期 1989/4 中里喜昭 (著)  いわゆる「民主文学」の世界

投稿者ZYX 2014年9月18日
著者は、新日本文学会と日本共産党の対立時にも迷わず日本共産党側につき、日本共産党が作った「民主主義文学同盟」(現在は民主主義文学会)の創立メンバーの一人となった筋金入りの日共党員だったが、1983年の『民主文学』4月号問題で党指導部と対立し、「葦牙」(あしかび)同人となった者である。この小説は、かなり事実をそのまま書いてある。著者が宮顕と直接会う場面があるのが意外だった。この問題について知らない人にとっては新鮮かもしれない。
しかし、「民主文学」から離れて行った人々を見ても、それよりずっと前の「反党分子」たち(野間宏・中野重治・佐多稲子・埴谷雄高など)と比べてずいぶんスケールが小さい文学者であると言わざるを得ない。1983年まで宮顕に忠誠を誓っていたような人は、それだけで大して評価できないのだなあ…と言い切ってしまうのは失礼か?





  古本屋通信 

 前半は全て無視する。後半部分だけを簡単に論難しておく。元党員で党から離れていった、あるいは除名された作家をスケールの大小で計るユニークな指標はさておき、上に挙げた4人のうち埴谷雄高に戦後の党歴はない。戦前の一時期に党籍はあったが転向している。戦後の一時期、新日本文学会に入っていたが、もともとがリアリズムの作家ではない。『死霊』を見てのとおりである。従って党の側が反党分子扱いにしたことはない。反党的作品と批判したこともない。いわゆる観念小説だからである。私も珍ぷんである。ウソかホントか知らぬが、革マル派の学生が埴谷を理解できないと嘆いて自殺未遂だったとか。

 私は野間は有名作品だけだが、中野と佐多はそれぞれ数十作品は読んでいる。ふたりの読者としての私の直感だが、投稿者ZYX氏は殆ど作品を読んでいない。断定する。もし読んでいたら、中里と較べて一律に党との距離、あるいはスケールの大きさで( )に括ったりできるわけがない。野間は「真空地帯」に見られるように近代的自我の作家だが、政治的には殆ど白痴化していた。だからお門違いにも徳田派に走った。あとは出鱈目だった。中野と佐多は原泉を挟んで殆ど精神的には性愛の関係にあったが、党との関係では極めて対照的だった。これは佐多自身が書いている。私はふたりを高く評価するが、中里と較べられるのはマッピラである。中里が劣るという意味ではない。まったく資質が違う。中里は三菱社研の労働者作家である。そのかれも売文のため多くの駄作を重ねた。中野と佐多に駄作が少ないのは時代が違うからだ。既に商業文壇で確実に通用する地位をきずいていた中野と佐多には売文のための作品はなかった。それだけの違いである。野間は晩年まで売文業者であり続けた。いちど岡山にやって来た時に吉備路に車で案内した。まさに文壇作家であった。

 このエントリーはデボーリンの前々の2ちゃん投稿への謝礼として立てたが、的ハズレだったら許されよ。なぜ両者ともデボーリンを疑ったかというと、上記引用文の「スケールが小さい」である。この文言は前々の私への批判コメントにも書かれていた。クセは隠せないナ。




 尚、たぶん別人から早朝に2チャンネルに以下の投稿があり。

740革命的名無しさん (ワッチョイ) 
2017/08/21(月) 03:36:44.200
xyz逃亡>15より
http://kinpy.livedoor.biz/archives/52080158.html#comments
ほかにも痛いこと書いてたが、今のところ見つけられたのはこれだけ


 ちょっと意味が分からないのだが、ご指摘の場所はキンピーサイトである。私も xyz氏が一時期キンピーサイトの投稿者だったことは知っていた。どうして投稿を止めたのかは知らない。

 アレレ、続いて以下の投稿。これデボーリン?

741革命的名無しさん (ワッチョイ)
2017/08/21(月) 10:47:23.020
デボやんほどの知性はないわな、XYZとかいうアホ




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 参考までに評者が「それよりずっと前の「反党分子」たち(野間宏・中野重治・佐多稲子・埴谷雄高など)と比べてずいぶんスケールが小さい文学者であると言わざるを得ない」という作家の一人である霜多正次の全仕事の集成を紹介しておく。これの何処がスケールが小さいのか。いい加減な事を言わないほうがよい。読んでないのがマルわかりで恥をかいている。


  『霜多正次全集』  全五巻

2000年1月、まさに20世紀の最後の年に「霜多正次全集」(全五巻・通巻4750ページ)が完結しました。

完結を祝う会が、4月15日(土)武蔵野スイングホール・レインボーサロンA室にて 盛大に行なわれました。
そして2000年12月この全集全五巻は、第21回『沖縄タイムス』(2000年)出版文化賞受賞・特別賞を受賞しました。2000年12月8日沖縄タイムス社において贈呈式・祝賀会が行われました。
東京ではこの全集の受賞と同全集編集委員の中里喜昭『百姓の川』、小原耕一『囚われ人・アントニオ・グラムシ』の出版を祝う会が、昨年と同様、武蔵野スイングホールにおいて、2001年1月20日(土)盛大に行われました。

『沖縄タイムス』(第21回2000年)出版文化賞について

霜多正次は、沖縄出身の作家として戦後文学に独自な道をひらき、新しい精神の糧を生みだしてきました。

20世紀の人間に大きな影響を与えた第二次世界大戦と、さらに近代日本の姿を赤裸々に映しだす沖縄を描きつづけた霜多文学は、次世代に引き次がれるべき20世紀文学の記念碑といえるでしょう。
戦争と差別をなくすために、その根源にあった天皇制国家と、異端排除の翼賛体制や党派的独善を解明し乗り越えようとした作家の精神は、21世紀に向けて生きようとする私たちに確かな道標を示してくれます。

「沖縄サミット」というような形でもう一つの沖縄が作られようとしているとき、沖縄出身の作家として最初の文学全集を完結させた霜多正次の語りかける言葉に、静かに耳をかたむけることを願ってやみません。


「霜多正次全集」刊行委員会

パンフ表紙
「霜多正次全集」刊行の今日的意義
霜多正次は、生地沖縄の歴史的に負わされた苦悩を、六年におよんだ自らの戦争体験を原点として、戦中から戦後にかけての沖縄の実態をリアールな手法で描き、戦後日本の現実を根底から批判し続けてきた、戦後の民衆的・民主主義文学の激流を代表する作家である。
沖縄問題が日本の命運に深くかかわる問題として国民的関心を深めている今日、「沖縄島」をはじめとする彼の全作品が公刊される文学的・社会的意義はきわめて大きい。

「霜多正次全集」刊行委員会 代表 田口富久治(政治学)
〈推薦〉大田昌秀/大城立裕/西郷信綱/新川明/
新崎盛暉/小田切秀雄/田口富久治/中里喜昭

発行『霜多正次全集』刊行委員会
上原真/小原耕一/中里喜昭/中野健二/武藤功/山根献/吉田悦郎
〒162-0842 東京都新宿区市ヶ谷砂土原町3-3-201インフォラス内
℡/03-5261-0526 Fax/03-5261-0527

霜多正次、連載第十三回「沖縄島」(完結)掲載号
1957年6月号表紙・儀間比呂志
1872(明治5)年にはじまった「琉球処分」以来125年がたったいままた、
国家の正当性が問いただされる状況が鮮明になってきている。
霜多が文学に背負い込み、追究しつづけてきた問題のひとつひとつの大切さは
いまあらためて甦りつつある。
霜多の文体はきわめて平明で分かりやすい。
この全集の刊行を機会に、とくに、いまの若い世代の人々にぜひ読んでもらいたいと願っている.
(山根献「琉球新報」1997年4月24日付文化欄より)


  全五巻収録作品

第一巻
〈小説〉
沖縄島/ヤポネシア/日本兵/生まり鳥/虜囚の哭/琉球の土/ 宣誓書/木山一等兵と宣教師
沖縄現代史を文学世界に活写。国家と戦争の重圧を問いつづけた50年の業績。毎日出版文化賞受賞作品「沖縄島」を含む諸作品を収録。
解説=山根献


第二巻
〈小説〉
道の島(第一部)道の島(第二部)
近代日本のありようと沖縄との関係を全的に問いただした“畢生の大作”。
解説=中野健二


明けもどろ
第三巻
〈小説〉
明けもどろ/星晴れ/榕樹
今日の沖縄の現実の「祖形」ともいうべき米軍政下の状況をリアルにえがいた三作品。
解説=上原真


南の風
第四巻
〈小説〉
南の風/戦後/守礼の民
戦後日本が突きつける歴史課題にむかって、人はどう生きるべきか、を問う注目の三長編。解説=中里喜昭


天皇制文化とイデオロギー
第五巻
〈評論・随筆〉
私の戦後思想史/天皇制文化のイデオロギー/ちゅらかさ――民 主主義文学運動と私/他
天皇制イデオロギーとの対決を核とする作家霜多正次の全批評活動を網羅集成。全五巻完結!!
解説=武藤功
  1. 2017/08/21(月) 00:27:32|
  2. 未分類

『民主文学』と『文化評論』

古本屋通信    No 2747   2017年  08月20日


   『民主文学』 と 『文化評論』


  通信 No 2707の 検証・ 『文化評論』 1981年1月号の「小田・上田対談」 を書く目的のために田舎の倉庫から持ち帰った『民主文学』 2冊、それに『文化評論』 1981年1月号が含まれていた同誌のバックナンバー14冊をメモしておく。『文化評論』 は主に葦牙論争の関係論稿の掲載誌である。私が雑誌の背表紙に論稿のタイトルを抽出して貼り付けているので、それをそのまま転記する。あくまで自分用のメモである。


『民主文学』 1983年4月号(有名な4月号事件の雑誌) 
 中国現代小説200枚 人が中年になると  チェン 容 福地桂子訳
 「人到中年」・ひとつの「まえせつ」  小田 実
 「文革」後の中国文学  丸山 昇
 編集室から (N) これが編集人の中野健二であることは後に明らかにされた。

『民主文学』 1983年7月号  文学同盟第十回大会特集号


『文化評論』 1976年4月 臨時増刊号
 緊急特集 『文春』立花論文と春日違憲質問への総批判
  犬は吠えても、歴史は進む  「赤旗」党史班
  <付録>スパイ査問事件と復権問題の真実


『文化評論』 1985年4月号
 「南の風」と前衛党 長編評論160枚  西沢舜一


『文化評論』 1986年12月号
 25周年によせて 「戦後民主主義」への挑戦とどうたたかうか 上田耕一郎


『文化評論』 1987年1月号
 <寄稿特集>創刊25周年に寄せて
 どういう「視角」で労働者を視てはならないか
 -ある文学同人誌の特異な労働者観ー  北田寛二



『文化評論』 1987年7月号
 宮本・チャウシェスク 共同宣言の国際的意義  緒方靖夫
 <付>日本共産党宮本顕治中央委員会議長とルーマニア共産党チャウシェスク 書記長の共同宣言


『文化評論』 1987年8月号
 『葦牙』批判 -その「自主」と「共同」とはなにか  津田 孝


『文化評論』 1987年12月号
 彼らの「超えよう」とするものは何か  ー『葦牙』第八号の「反論」の本質-  北田寛二

『文化評論』 1988年1月号
 津田孝「『葦牙』批判」について  丸山 昇


『文化評論』 1988年2月号
政治と文学をめぐって ー生の現実の課題からー  井上正蔵
 グラムシ研究と現代  竹村英舗


『文化評論』 1988年8月号
北朝鮮・変質の背景
 チュチェ思想とはなにか  鰺坂 真  科学的社会主義と無縁なアナクロニズム
 「金正日の時代」 ー権力の世襲はどこへ導くかー  川越敬三
 混迷深める朝鮮総連の対日宣伝  正田欣二


『文化評論』 1989年5月号
 <連載座談会>プロレタリア文学の時代 第四回
 『文藝戦線』創刊からナップ結成へ
 

『文化評論』 1989年11月号
 「昭和末期」論  中里喜昭の変節と荒廃  津田 孝

『文化評論』 1991年4月号
 追悼・蔵原惟人氏   蔵原惟人氏の生涯と業績に寄せて
  近代的リアリズムの批判的継承と発展


『文化評論』 1993年3月号
中国戦線での佐多稲子  十五年戦争を裏切ったひとりの女性作家  高崎隆治


  古本屋通信

 私ゃ『葦牙』もずっと読んでいた。霜多がよいとも、中里がよいとも思わなかったが、党官僚はオールゴミだったね。当時もゴミだったが、今となっては恥かしくて同じ文章は書けまい(有罪判決まずありきで、あとは強引なこじつけ、論理もヘッタクレもない低脳文である)。津田、西沢、北田、それから新船海三郎の名は死刑執行人として末長く歴史に残るだろう。いまの志位と同じように。
  1. 2017/08/20(日) 07:38:31|
  2. 未分類

穀田批判のあとの疲労感

古本屋通信    No 2746   2017年  08月20日


   穀田批判のあとの疲労感

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 冒頭に、先ほど戴いた2チャンネルの古本屋批判をそのまま転載しよう (ひとつ前の「またエロヒヒじじいか舌なめずりして新幹線に飛び乗り、某市議会に押しかけるんじゃねえのw 」とは別人だろう。根拠は句読点の有無。口にする根拠も皆無の罵倒は荒らしにさえもなっていない。ひとつ前は、たぶん私のブログではなく河村文を読んで書いている)。今回の古本屋批判に対する私の反批判は改めて無い。私は実際に概要が存在して寄せられた、私とは反対の主張(本文の青字部分)を紹介した上で、コレに大人しくだが敢然と反駁している。青字部分は私の論ではなく他人の論である。私の論の何処をどう読んでも自己矛盾に陥っているとは読めないと思うのだが、これを自己矛盾に陥っていると読むのもまた自由である。読者の判断に委ねよう。尚、今回コレを貼ったのはデボーリンくさいと感じたからである。2チャンネルは見極めに苦労するよ。

739革命的名無しさん (ワッチョイ)
2017/08/20(日) 16:35:52.150
京都穀田パーティーを目の敵にして
いちゃもんつければつけるほど自己の主張と矛盾する、
整合性が取れない、それにやっと気付き始めて
味わった「疲労感」とな。古本屋は正直なオヤジだ。
もう終わったことだが、話のスケールが小さいな。

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  以下が本文。

  とにかく2日間ブログを書く気がしなかった。これは志位ー小池批判のあとの爽やかさとは逆である。私は万人にとっての正論を書いた。国対委員長就任20周年記念パーティーをやったのは誤りであると書いた。それに対する共産党員の最も平均的な反応は以下だろう。

 何を言ってるのよ。そんなこと、どっちでもよいでしょ。節目、節目に行事をするのは共産党だって当然ですよ。穀田さんの活動の舞台は国会です。党は国会を言論の府として一貫して重視して活動してきたの。だったら記念行事に各党の国対委員長経験者を招待するのは当然よ。招待しても構わないわよ。言論の上での敵にだって、敬意を表明しないと議会活動はスムーズにはできないわ。儀礼的なリスペクトなのよ。それは自党の主張を敵に譲り渡す事ではないわ。これが馴れ合いに見える貴方こそ石頭よ。だって貴方の言い方なら、議会内では他党の議員とは冗談も交わせない。そもそもそういう人には議会を語る資格はないわ。選挙もやめたほうがよいわ。

 とマアこういう主張でしょう。ご尤も。あとは水掛け論が延々と続きます。だから疲れます。

 これに対するラディカルな(根源的な)批判は、ブルジョア議会が人民にとって如何なる意味を持っているのかという議論なくして、更なる議論の深化はありえないのですが、とりあえず国会の国対政治を批判しておきましょう。

 小沢が穀田の国対委員長20年を小ばかにし、民進党の安住は国会の議論の三分の二は国対で予め決まると自慢していました。これは小沢も安住も正解です。そもそも共産党はこれまでずっと「国対政治」を談合という文脈で捉えて徹底批判してきました。当時は国会で「共産党を除く」のがふつうでしたから、国対政治こそ悪の温床でした。

 今回の20周年記念の党の自慢は、これを穀田国会対策委員長が改善してきたということなのでしょう。そういうことなのですね。でも一寸考えてみれば子供でも分かる。これは日本共産党も国対政治、つまり談合政治の仲間入りをしたということです。各党のパーティーでのスピーチを思い出してください。「穀田先生こそが「新しい国対政治の立役者」」であると賞賛していますね。「新しい国対政治の立役者」の参入によって国対政治が改善されたか否かは具体的事実を持って検証される必要がありますね。安保法制の強行採決から共謀法の成立まで。これが穀田も加わった国対政治の「実績」なのです。自公政権はまさしく共産党の取り込みに成功していますね。

 そういう意味では今回のパーティーは共産党のいっそうの転向を裏付ける決定的な催事でした。小池書記局長が正直に語っています。

 共産党はもっと、もっと変わります。

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 よく21日夜、以下の投稿を戴きましたので貼っておきます。反論は別にありません。そう読めた、私から言えばそう読まれたという事実をたいせつにしたいと思います。

742革命的名無しさん (ワッチョイ)
2017/08/21(月) 20:50:53.460
>安保法制の強行採決から共謀法の成立まで。これが穀田も加わった
国対政治の「実績」なのです。自公政権はまさしく共産党の取り込みに成功していますね。

揚げ足を取るつもりはないけれど、
古本屋さんがいう「自公が共産党を取りこんだ国対政治」さえなければ
安保法も共謀罪も通らなかっただろう、みたいな理屈に読めちゃうのよ。
それって少し言いすぎじゃないかしら?
  1. 2017/08/20(日) 03:15:29|
  2. 未分類

いま連れ合いが出かけて行った

古本屋通信    No 2745   2017年  08月18日


   いま連れ合いが出かけて行った

 午前8時、いま連れ合いが出かけて行った。「どこに行くんなら?」。「シンフォニービル」。「何をしに行くんなら?」。「全教の大会の警備じゃ。右翼が大勢押し掛けてくる」。

 二三日まえから電話でそれらしい遣り取りは聞いていた。でも全国大会とはね? 街にそれらしい案内の看板も掛っていない。会場がシンフォニービルというのも今はじめて聞いた。全国大会というなら全教のホームページに案内が出ているだろうと思って捲ってみた。しかし全く何もない。代わりにヘンテコリンなものがヒットした。

日本革命連合ウェブサイト最終更新日 2017年8月12日
熊本県における震災および東日本大震災で被災した方々に心よりお見舞い申し上げます。被災地の1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
今後の予定
8月15日 終戦記念日 東京都千代田区など全国各地
8月18日~20日 全日本教職員組合教育のつどい2017(全教全国教研、全教教研集会) 岡山県岡山市
8月19日前後 北一輝・大川周明法要 東京都
9月2日 ロシア対日戦勝記念日 東京都港区など全国各地



 なんだ、これ? 右翼ではないか。続いて以下が出た。


新条‏ @shinjoh
予告 8月18日(金曜)
岡山市街地 大規模街頭宣伝に伴い
「一時的な通行止め」あり
(R53・津島新野交差点にも立看板、
R180道路情報LED案内板にも表示)
憶測│なんかの会議開催?→
抗議団体 街宣車が会場周辺に集結??→
それを警察が排除計画???


 続いて・・・・、

新条‏ @shinjoh · 21 時間21 時間前
想像を絶する警備体制でした…。
8/17午前、
いずみ町の岡山県警・機動捜査隊に向けて
・山口県警 隊員輸送バス×2(山口&下関ナンバー)
・愛媛県警 隊員輸送バス×2
・高知県警 隊員輸送バス×1、ワンボックスバン×2
の移動を確認。
中四国各地から一気に集結してる模様!
訂正)岡山県警察
✖機動捜査隊
⭕️機動隊・機動警ら隊・交通機動隊
(施設入口の銘板は この3枚)
すでに「明日の開催中止を求める街宣活動」が岡山市中心部で始まってるようで、
いずみ町・県警グラウンドはもぬけの殻でした。(13時台)


新条‏ @shinjoh · 1 時間1 時間前
8/18の岡山市中心部には
全教(日教組じゃないほう)集会開催に抗議して
街宣車集結「100台以上」と県警予想。
(RSKニュース)
これね…
皇族方の来岡時よりも厳しい警備状況よ…
単県警察では対応無理だわ…
(巻き込み失礼、修正しました)
岡山シンフォニーホール自体は
(1)公益財団法人(県+市+民間出資?)による運営なので、
(2)イベント開催趣旨が関連法令に違反しない限りは、必要な警備を手配することを条件に不許可にはできない決まりかと。
(3)会期3日間中、シンフォニー大ホール使用は初日のみ!(非公開)

せとたか@聖戦終了‏ @setotaka5746 · 8月4日
NK組の集会・・という情報ですが、詳細は把握していません・・・。

新条‏ @shinjoh · 8月4日
ありがとうございます。
昔むかしは岡山武道館で開催されてて、津島運動公園の周囲をノロノロ運転で囲んだ、黒いバスの集団が「日教組!」「粉~砕!」「日教組!」「粉~砕!」と拡声器で連呼してました。
∴その脅威から、日教組のほうを「実力組織」かと()

せとたか@聖戦終了‏ @setotaka5746 · 8月4日
困ったもんですねえ・・・汗。

新条‏ @shinjoh · 8月4日
岡山県警は交通規制の理由を
「大規模街頭宣伝」じゃなくて、
「全国会議開催のため」に すべきですね。
それが元々で、計画があるとしても街宣は受動的に発生するものだから。
てゆーか、規制線の外を黒いバスがぐるぐる巡回する日中が、目に浮かびます…。

せとたか@聖戦終了‏ @setotaka5746 · 8月4日
私としては「知らぬが仏」的に、岡山都心に近づかないか、近づいてもイオンにこもることとします(汗。
平日の日中に市街地通行規制(時間帯非公開)って、企業活動に影響を及ぼしますよね…。
平常時のイオンモール岡山・入場待ち渋滞は、夏休みに入って連綿と市役所筋へ続いております…。
付近のバス停が、第2車線の走行を前提とした構造。苦笑
あ、とらのあな岡山店、まだ行ってないや!^^*

てつお@岡山‏ @tetsuo_ka · 8月4日
確か一昨日のRSKイブニングニュースで取り上げられていましたが、全日本教職員組合(共産党系の組合)の教研集会(全体集会)が8月18日に岡山シンフォニーホールであるそうで、そのための案内だそうです

新条‏ @shinjoh · 8月4日
ありがとうございます。
現地周辺での混乱を危惧して会場を貸してくれないところもあるくらいだから敢えて日程・会場非公開にしてるのに、完璧に日程を掴んでる抗議団体の全国ネットワークも凄いですね…。

てつお@岡山‏ @tetsuo_ka · 8月4日
ネットで調べたら、この件である右翼団体が岡山市へ会場使用撤回の抗議へ行った様子がYouTubeにUPされていました

新条‏ @shinjoh · 8月4日
会場提供しただけで一部団体に強く抗議されるから、民間のホテルなどは貸すのをためらうわけですね。


  古本屋通信

 みなさんはどちらかと言うと右の方みたいですが、なるほど日教組にせよ、全教にせよ、年に一度の大会の時だけ右翼の目が輝くんですね。これがあるから街宣活動ができる。でも本気で抗議なんてやっていない。商売なんです。でも軽視はできません。ネトウヨも同じですが、黒幕は保守本流、そしてその背後に控えている日本独占資本そのものでしょう。それは三島由紀夫や稲田朋美の背後にいるものと同じです。

 話しは振出しに戻りますが、岡山には全教の組織はありませんでした。だから連れ合いは全教の組合員だったことはありません。岡山は日教組その下部組織としての県教組。その組合員でした。敢ていえば県教組の反主流派と言えるでしょうが、反主流派らしく組合執行部に対立候補を立てたのは1970年代まででした。後は消滅同然。

 アッ、そうだ。思い出したから書いておきます。1970年頃たった一期だけ県教組の執行部を反主流派が獲ったことがありました。立役者は御津支部の水田浩人さんでした。このとき県教組の書記に武田道子さんを入れます。彼女は武田英夫君の奥さんです。その後まあ色々あったみたいですが、それは省略します。

 高教組は高校教員の組合ですから、県教組や全教とは全く別組織です。訂正然し、全教には加盟しているそうです。岡山高教組も今では組織率がガタ減りですが、それでも県労連の中心であることには変わりありません。1970年に県高教組の書記になって定年まで務めたのが衣笠(旧姓福島)祥子さんです。私と同じ年1970年の岡大法文学部卒業です。彼女は好並隆司先生の東洋史でした。卒業以来50年近くなりますが、彼女とは電話で一度話しただけです。ただし連れ合いとは難波一夫先生のネットワークで時々一緒になるそうです。

 さあ、シンフォニーホールの大会はどうなんでしょう。私としては盛り上がってほしいのですが、全教の支部がない岡山でなぜ大会なのか、よくわからない想いもあります。私の勘違いで、高教組は全教に入っているそうです。だから岡山で開催したのです。参加者はほぼ会場一杯の1500人だったそうです。これは原水禁広島大会より多かったでしょう。
  1. 2017/08/18(金) 08:22:42|
  2. 未分類

「人格破綻者」は孤立無援なのか

古本屋通信    No 2744   2017年  08月18日


   「人格破綻者」は孤立無援なのか

  孤立無援の思想―全エッセイ集 (1966年) 高橋 和巳著

 ブルジョア議会主義の完成、その頽廃を糾弾する古本屋通信が「人格破綻者」に見える党的「常識」とは

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 737革命的名無しさん (ワッチョイ)

 
2017/08/15(火) 05:59:38.770
 久しぶり人格破綻者のブログを読んだ。この後味の悪さ



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 上記はたった一行だけ2チャンネルに書き込まれていた古本屋通信の罵倒である。下の穀田恵二記事は自らの祝賀パーティーを悪びれることなく滔々と報告した長文である。このパーティーに参加した(恐らく300人中の250人の)日本共産党員にとって、報告されている一部始終は党的な誇りなのだ。だからこそ穀田は堂々と報告できた。

 いま穀田パーティーを糾弾する党員が党内にどれだけいるか分からない。恐らく少数派なのであろう。そして古本屋通信はこの少数派を顕在化しようと試みた。この試みは多数派にとって許せないのだろう。キチガイとして許せないのだ。この「狂気」に対して与えられたレッテルこそが「人格破綻者」である。ブルジョア議会主義の行きつくところ、究極の正気と狂気の価値転倒である。




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 穀田恵二のフェイスブック

〜30日、「国会対策委員長20年を祝うつどい」を開催(その①)〜
7月30日、京都ロイヤルホテルで「議会制民主主義の発展をめざし こくた恵二君の国会対策委員長20年を祝うつどい」を開催しました。自民党から共産党まで与野党の政治家や京都の各界各層の代表ら約300人の方々に出席いただきました。
発起人には、河野洋平元衆議院議長、ジャーナリストの田原総一郎氏、大島理森衆議院議長、川端達夫衆議院副議長らに名を連ねて頂き、賛同呼びかけ人には、安住淳元民進党国対委員長、河野洋平元衆院議長、小沢一郎自由党代表、二階俊博元自民党国対委員長らに名を連ねていただき、ほか多くの国会議員の方々(日本共産党からは、小池晃書記局長、市田忠義副委員長、井上哲士、倉林明子、大門実紀史、辰巳孝太郎の各参院議員、笠井亮政策責任者、塩川鉄也、藤野保史、堀内照文、本村伸子、清水忠史、梅村さえこ、池内さおり、斉藤和子、宮本岳志の各衆院議員)、地元地域で日頃からたいへんお世話になっている方々に参加して頂きました。お忙しい中、ほんとうにありがとうございました。
今後、その内容を数回に分けてご報告します。
「つどい」の冒頭、あいさつに立った私は、「私の信条は『わだつみの悲劇』を再びく繰り返すまい」だと話し、憲法前文に不戦の決意と主権在民が明記されているように「政治の最大の目的は戦争をしないことだ」と述べました。その上でつどいでは議会制民主主義の役割について大いに意見交流していただきたいと呼びかけました。

河野洋平元議長は、「少数政党でもその後ろには多くの国民の支持がある。少数意見の尊重が議会制民主主義にとって重要だとみんなが理解し、議論が行われるべきだ」と強調。

大島理森議長は、「憲法、国会法、規則、先例にもとづく穀田氏の正論には教わることも多い」と述べました。

田原総一朗氏は、「安倍内閣は一強多弱の時代が長く続きすぎた。緊張感が緩み、ずうずうしくなった」と政局にふれた上で「共産党は森友・加計といった国民から見てアンフェアに映るところへの追及も鋭いし、取材力もある。チェック機能としては非常に信頼している」と話しました。


〜7月30日、「国会対策委員長20年を祝うつどい」続報(その②)〜
「議会制民主主義の発展めざし こくた国対委員長20年を祝うつどい」の詳報は順次アップしますが、まずは主だったみなさんを簡潔にご紹介します。

伊吹文明元衆院議長は「8回の選挙を戦ったが、一緒にやってきた戦友という感じが強い」と振り返り、「谷口善太郎氏や寺前巌氏のような現場感覚を持つ、人間味のある政治家が多い。だから、立場こそ違うが穀田先生を敬愛してお付き合いをしている」と語りました。

二階俊博自民党幹事長は「我々はすぐに採決に持っていきたいが、穀田流はそんなに簡単ではない」と。

民進党の横路孝弘元衆院議長は「最近の共産党の柔軟性にびっくりしている」と。

小沢一郎自由党共同代表は「顔ぶれといい、パーティー形式といい、共産党がこんなことをするとは思ってもいなかった。共産も変わろうとしている思いを新たにした」と。

小池晃書記局長は「もっともっと脱皮したい」と古本屋通信 右旋回だね。小池、死ね)

私の大学時代からの友人でシンガーソングライターの杉田二郎さんは、「1970年につくった歌『戦争を知らない子どもたち』がいまに生きている」と述べ、参加者とともに、歌いました。


〜7月30日、「国会対策委員長20年を祝うつどい」続報(その③)〜
「議会制民主主義の発展をめざし こくた国会対策委員長20年を祝うつどい」でのスピーチの概要を引き続き紹介します。

元衆議院議長、河野洋平さんのスピーチより
◆「議会制民主主義というのは数が重視されます。最終的には多数決で物事は決められなければなりませんが、その前には必ず少数意見の尊重ということがなければならないのが、民主主義の本来の姿です。
少数意見の尊重。言うのは簡単ですけれども、少数者が意見を言うということがいかに難しいか、ということを穀田さんは20年間、繰り返し感じてこられたのではないか。
私もかつて新自由クラブという少数会派におりましたから、その時の苦労、感情、気持ちというものは、いまでも忘れることができません」
◆「穀田さんのご苦労をもう一度思い出し、かみしめながら、議会制民主主義の今後の良き前進を心から期待するものです」

民進党衆議院議員、安住淳さんのスピーチより
◆「国会対策委員長というポストが国際的にあるのかどうかはよく分かりませんが、ギネスに登録されたらたぶん登録されると思いますので、お勧めいたします」
◆「私は与野党の国対委員長を15年ほどやらせていただきました。・・・この前の方には国対関係者が多くとても話しにくいんですが、誤解を恐れず言いますと、国会が回っているのはここにいる人間が汗をかいて頑張っているから回っているんです。国会という場所は、ペン先でなく口論で交えますが、段取り七分、口論三分だと私は思います。・・・国民の不満や怒りがどこにあって、与党にそれをどう受け止めてもらうのかが段取りであって、記者はよく『談合だ』というんですがそうではありません。そういう点で言うと、穀田先生の話は、たぶんいま藤井四段がやってもかなわないくらいの、相当な切れ味と深みがございます。穀田先生がいるおかげで日本の国会運営は格段にレベルアップしたんではないかと思っております」
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公明党衆議院議員、漆原良夫さんからのメッセージです(当日、所用がありご欠席。 古本屋 利口だね)。ぜひご一読ください


〜「国会対策委員長20年を祝うつどい」続報(その④)〜
「議会制民主主義の発展をめざし こくた国会対策委員長20年を祝うつどい」でのスピーチの概要を引き続き紹介します。

自由党代表、小沢一郎さんのスピーチより
◆「会場に来てみると、顔ぶれといい、パーティという形式といい、まさか共産党がこんなことをするとは思いませんでしたが、これは本当にこくた先生の、政治家として、また人間として厚い信頼を受けている、そのことの表れだと思います。このような形式は共産党始まって以来だそうで、ほんとうにこれ、共産党も変わろうとしているんだなと、そういう思いを新たにしました」
◆「私も若いときに国対、議運をやらされました。国会議員だったら一度は経験して修行しろと先輩に言われました。それと同時に、あんまり長くやるもんではないとも言われました(笑い)。その国対委員長を20年もやられておられるということに、こくた先生の政治家としての資質を、この一事を以て表しておられると思います。今後ともお互い助け合い、議論しあいながら行きたいと、そう思います」

自民党幹事長、二階俊博さんのスピーチより
◆「今日はここ京都の地で、まさに東から西から多くの有力者にお集まりいただきまして、友人であるこくたさんのお祝い、こんなに盛大にやられましたこと、本当に嬉しく思います。私も野党の時代を経験しましたから、その時にはこくたさんが友人、兄弟分のようなことで、いろいろと教えてくれました。我々は急いで結論にいたって、すぐに採決に持って行きたいわけですが(笑い)、国会はそんなに簡単なものではないです。・・・そういう意味でもすいぶんと教えられました」
◆「今日は地元におじゃまをして、多くのみなさんの祝福をあびるお姿を見て本当に嬉しく思います。これからも、『京都の代表』だではなくて、『日本の代表』として中心的な役割を果たしていただくことをお願いして、ご挨拶といたします」


〜「国会対策委員長20年を祝うつどい」 続報(その⑤)〜
衆議院副議長 川端達夫さん(乾杯の音頭)
◆「私もいろんな議員の集いに出ますが、これだけ幅広い各党の国会議員がおられる会合は初めてです。いまただちに緊急の幹事長書記局長会談、国対委員長会談がこのテーブルですぐに出来るという、大変なことでございます。これは長年にわたるこくた先生の人脈といいますか、お人柄、『人間こくた先生』としてのおつきあいが信頼関係を作ってこられた、その成果だと思います」。
◆「今日は着物でこくた先生がご参加されております。私もこくた先生とは2回いっしょに海外に行き、今度3回目を行きますが、外国へも着物を発信するということで頑張っておられます。奥様は染め物のデザイナーを専門にされておられますが、国会では四六時中奥様が首に巻き付いておられる(笑い)。愛妻家でございます。今日きっと悩まれたでしょう。奥様のネクタイか、京都人らしく着物か。いつもまっすぐに歩まれるこくた先生が、今日は悩みに悩まれただろうと思いますが、そういう気持ちもたいへん素晴らしいものだと思います」。

続いて、京都ゆかりの「賛同呼びかけ人」のスピーチがありました。一部を紹介します。

◆ 嵐圭史さん(俳優)
「古くからの友人、京都南座の舞台をいつも着物で観ていただいたこくたさんのお祝いに駆けつけました。私からは『赤ひげ』の新出去定先生の台詞『徒労にかける』という一節を紹介させていただきます・・・・・・『人間の本当の価値というものは、何をしたかということではない。何をしようとしているかだ。成功、失敗、そんなものは結果にすぎん。俺たちの努力は徒労に終わるかもしれないが、俺は一生を徒労にかけてもいいと信じている』。本日はどうもおめでとうございます」。

◆ 岡野益巳さん(京都府建築業会会長)
「私とこくた先生は立命館大学で同窓です。友人が先日、学友会の書記長をしていたといっておりました。・・・また、2009年に、ここに渡辺理事長もおられますが、西陣の『京・ベストタイ・ドレッサー賞』を受賞されております。私は府建築業協会の会長ですので、京都の建築業、若手育成の事業が、せめて京都でも全国水準並みに良くなるよう、国家運営においても頑張っていただきたいと思います」。

◆ 垣田さち子さん(医師)
「日頃厳しく対立しているであろう与党の自民党の先生方、公明党の先生方、京都ではまだ共闘が実現しておりませんが、民進党の国会議員の先生方、参加いただきどうもありがとうございます。・・・私たちは親の世代の戦争体験を受け継ぎ、京都の民主府政を支えた京都府医師会の会員として診療に携わってきました。また、国民皆保険制度を作っていただいたことは大変ありがたいことです。こくた先生とは医療問題での意見が私たちと近いのでいつも議論させていただいています。・・・こくた先生の元気の源はどこにあるのかと思っていましたら、渡文さんの個展にこられたときに短パンにランニング姿。汗をぶるぶるとかいて。ああここに源があるのかと」。

◆ 渡辺隆夫さん(西陣織工業組合理事長)
「国対委員長ばかりで大変な会ですな。ただ残念なことに今日、ここに日の丸がかかっていませんな。これがちょっとおかしいなあと。こくた先生は大好きだし、これが出来るのはこくた先生の人柄、これはたいへん大事なことやと思うんですな。そら、私らも反戦、戦争は反対ですんやけれど、やっぱり日の丸掲げて戦争反対ですな。今日はおめでとうございます」。



〜お盆に、実家の墓清掃//「国会対策委員長20年を祝うつどい」 続報(その⑦)〜
13日、連れ合いの実家(島根県出雲市)に来ました。恒例のお墓の掃除を行いました。実は、母が6月に亡くなりました。私の家の墓は岩手県奥州市にありますが、母は「墓への供養はいらない」との遺志を表していましたので、いつものように連れ合いの実家のお墓清掃とあいなったわけです。
草刈りを行い、供花しました。

「国会対策委員長20年を祝うつどい」 続報(その⑦)を載せました。
自民党衆議院議員、竹下亘さんのスピーチより
◆「私はこくたさんの20年とは違い、国対委員長はまだ1年ほど。日々、裏も表も教わることが多い。今日は、国会議員、経済界からたくさんの方々が集まっているが、この集まりはこくたさんを取り巻く魑魅魍魎たちが集まっていると(笑い)、後ろの方からは見えるかもしれない」
◆「もう一つ。私とこくたさんの奥様は同じ島根県の出身。よく夫婦は似てくるといわれるが、激しい闘士であったこくたさんが少しは丸くなってこられたということがあるのなら、それは島根県人の奥さんによって変わってきたのではないかと思う(笑い)。これからもまだまだ頑張っていただきたい」

ジャーナリストの田原総一朗さんのスピーチより
◆「こくたさんは信頼できる国会議員。共産党というのは、政治権力のチェック機関として非常に信頼している」
◆「安倍政権については、一強多弱の時代があまりに長く続きすぎた。森友、加計問題でも緊張感がゆるみ、国民からアンフェアだと映ったのではないか。共産党は追及も出来るし、その取材力もすごいものがある。こういうところは、私は信頼できると思う」

シンガーソングライターの杉田二郎さん(友人)
◆杉田二郎さんからは、「こくたさんと出会い、彼はずっと自分の路を行った。僕も自分の路をずっと行きました。何十年もたって、日本の国を支えているみなさんの前で、今日歌えるというのは僕は夢物語かと思います。でも、学生の頃に思った、歌ったあのうたをごいっしょに歌えたら、僕はとっても幸せです」とのお祝いのスピーチをいただきました。

◆その後、「風」「この街で」「戦争を知らない子供たち」の3曲を披露いただきました。
本当に、ありがとうございました。
  1. 2017/08/18(金) 02:14:28|
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