古本屋通信

藤野に党委員長の座を譲れよ

古本屋通信   No 2577    2017年  05月24日


   志位は藤野に党委員長の座を譲れよ


  「共謀罪」に反対出来る論客は藤野しかいないのか。 けっきょく志位も小池もダメで、「共謀罪」に反対出来る論客は藤野しかいないのか。


 情ないなあ。大切な国会の反対討論である。その討論に党委員長の志位も、書記局長の小池も登壇しないで (自分たちが首を切った) 藤野にやらせる。こんな執行部なんて要らないよ。法案は先週、衆院法務委員会を通過した。今週本会議で強行採決されるのは目に見えていた。なんでそんな大切な時期にドサ廻りして息抜きするんだよ。小池は福山で、志位は高松で油を売っていた。いま選挙中ではない。なんでドサ廻りなんてするんだ? けっきょく逃げてるんだ。自己充足。敵のいない味方だけの空間でサボっていた。小池の顔を河村さんがアップしてたが、フヤケ切っていたワ。

 も、いいから藤野に委員長を譲れよ。(要旨)ではなく質問全文を貼るべきである。それとも藤野を信頼していないのか。




 「共謀罪」法案 衆院本会議
 藤野氏の反対討論(要旨)
 2017年5月24日(水)   赤旗
 日本共産党の藤野保史議員が23日の衆院本会議で行った「共謀罪」法案の反対討論(要旨)は次の通りです。

 自由と民主主義がかかった重大法案であるにもかかわらず、本法案の審議は全く尽くされていません。

 反対する理由の第1は、本法案が、具体的に危険な行為があってはじめて処罰するという近代刑事法の大原則をくつがえし、日本国憲法が保障する思想・良心の自由、表現の自由などを侵害する違憲立法そのものだということです。

 5月18日、国連人権理事会が任命した国連プライバシー権に関する特別報告者ジョセフ・ケナタッチ氏から、本法案がプライバシー権や表現の自由への「過度の制限」になると強く懸念する書簡が総理に届けられました。

 菅官房長官は、この指摘は「全くあたらない。強く抗議する」などと述べましたが、共謀罪が必要な理由として、国際条約の締結や国際社会との連携をあれほど強調しておきながら、「全くあたらない」と切り捨てる。その姿勢はご都合主義そのものであり、到底許されません。

 第2に、本法案について、政府は「テロ対策のため」「一般人は対象にならない」などと説明してきましたが、今やその説明はボロボロです。

 国際組織犯罪防止条約の作成過程では、日本政府をはじめG8のほとんどの国が「テロリズムは本条約の対象とすべきでない」と主張していました。本条約がテロ防止条約でないことは明らかです。

 日本はすでに、テロ防止のための13本の国際条約を締結し、66の重大犯罪について、未遂より前の段階で処罰できる国内法を整備しています。同条約の締結に共謀罪の新設は不要です。

 政府は「組織的犯罪集団」や「実行準備行為」を要件としているから「内心を処罰するものではない」と主張していますが、いずれも判断するのは警察です。

 「実行準備行為」について、「花見と下見は、外形上区別できないではないか」と聞くと、金田大臣は「ビールと双眼鏡など、外形上で区別できる」と強弁しました。しかし、「それでは区別にならないではないか」と聞くと、今度は「計画に基づくかどうかで判断する」と言いだしました。「外形上区別できる」と説明してきたのに、結局は「計画」すなわち内心でしか区別できないことを自ら認めたものにほかなりません。内容も答弁もボロボロの本法案はただちに廃案にすべきです。

 第3に、本法案は、モノ言えぬ監視社会をつくりだす「現代版・治安維持法」であり、安保法制=戦争法、特定秘密保護法、盗聴法などと一体に日本を「戦争する国」に変質させるものです。

 質疑の中で、岐阜県大垣署の市民監視事件や堀越事件など、警察による監視活動の実態が明らかになりました。警察は、違法性が認定されても「適正な職務執行だった」と開き直っています。ここに共謀罪が新設されたらどうなるか。警察がいま以上に大手を振って一般市民の監視に乗り出すことは火を見るよりも明らかです。

 いま安倍政権の暴走に対して、もの言う市民が声をあげ、野党と市民の共同が広がり、新しい日本の民主主義が動き始めています。

 安倍総理による「9条改憲」発言は、本法案が戦争する国づくりの一環であることを改めて浮き彫りにし、広範な市民が怒りの声をあげています。共謀罪は日本の民主主義の発展を恐れ、もの言う市民を萎縮させようとするものです。しかし、この新しい民主主義の流れをおしとどめることは絶対にできません。

 共謀罪法案の採決を強行するならば、虚構の多数で暴走する安倍政権への怒りがさらにわきあがり、安倍政権打倒のうねりとなって広がるでしょう。

 日本共産党は、法案採決に断固反対するとともに、多くの市民と固く連帯して、必ず本法案を廃案に追い込む決意を表明します。
  1. 2017/05/24(水) 10:32:44|
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余江・仁比合同ポスターの怪

古本屋通信   No 2576    2017年  05月24日


  余江雪央衆院岡山一区候補者・仁比聡平(2年半後に改選の現参院議員) 合同ポスターの怪。及びその謎解き。

 先ほど店から自宅に帰る途中の共産党事務所(下伊福)で目新しい奇妙なポスターを見かけた。表題のポスターである。今まで衆院小選挙区のポスターは、共産党の候補者のみ貼られていなかった。ようやく余江さんのポスターが出来たのか。そう思って眺めたのだが、たちまち? となった。なんで抱き合わせの写真が、2年半後に改選の現参院議員・仁比聡平なのか。ふつうは衆院比例中国ブロックの大平を充てるだろう。でも参院は時期が固定されているから、2年半後に改選を迎える仁比でも構わないだろう。

 だが待てよ、おかしいのではないか? 確かに抱き合わせは参院でも構わない。でも何ゆえ仁比聡平となるのか???

 たしかに仁比は前回3年半まえに中四国九州を重点に活動して当選した。間違いない。でも党中央が比例得票目標を850万票に設定した昨年の参院選挙では、重点地区割りを中四国と九州に分割した。中四国は春名を候補者に充てた。結果は周知のとおり、基礎票の少ない中四国の春名は落選した。これは票調整しない限りは落選必至だった。でも春名本人も中四国の党員も春名の当選を信じ切っていた。だから我々の見えないところで、一大混乱があっただろう。おそらく党中央は春名の高知県委員長選出にまで関与していた。でないと納まりが付かなかったろう。

 で、党中央は次期参院選挙比例区では一切の票調整はしないと、中央委員会総会または全国都道府県委員長会議で明言した。結果、参院比例区の中四国票割りを廃止して、中四国・九州一本に戻したのである。なぜなら中四国だけの票割りだと、いつまで経っても、全国最低の絶対得票数だから、850万フルに得票しない限り落選確実である。誰も春名のあとを引き受けて候補者になる者はいない。

 言うまでもなく、これで春名が次期参院比例候補に選ばれる可能性は完全に消滅した。これは既に高知県党会議で彼が県委員長に選出された段階で消えていた。これからは再び仁比聡平が中国路に足を踏み入れることが多くなるだろう。


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 余談だが、垣内京美が中国路で活動している。大平に続く衆院比例中国ブロック候補者である。それは良いのだが 「中国ブロックで2議席目」 など、誰が考えてもあり得ない駄法螺は吹かない方がよい。デマ宣伝はしない方がよい。大平の一議席さえも危ないのは誰でも知っている。垣内も自分の役どころを心得た方がよい。下手な選挙演説を改善するチャンスだろう。

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 上記を私は30分懸けて書いたが、コレを思い到ったのはポスターを一瞥後の瞬時である。連れ合いに話した。然し何のことか全く理解しなかった 「アンタあほじゃなあ、どっちでもええが。それよか、田舎の草刈りをしに帰りんさい」。けっきょく私は共産党趣味者オタクということらしい。納得した。
  1. 2017/05/24(水) 06:59:39|
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春名直章に見る社会運動家の資質

古本屋通信   No 2575    2017年  05月24日


     春名直章に見る社会運動家の資質

 此処では予め結論を書くことから始める。政治党派に限らず社会運動家に求められるの資質は多々あるが、その重要な一つはバランス感覚である。バランス感覚と云う言い方が大雑把すぎるなら、戦略と戦術の使い分けと言ってもよい。つまり当面する戦術を、長期的な戦略的展望に位置づけて駆使する能力である。これは党派の活動家に、とりわけ求められる能力である。つまり、めくら滅法時の党中央の政治方針に盲従していると、知らぬ間に自分が崖っぷちに立たされて、あわや党中央から御用済みとして捨てられるのである。その憐れな元衆院議員が春名直章であった。彼は辛うじて党高知県委員長として生き残ったが、いまでも彼の政治手法は変っていない。これじゃあ地方の県委員長も持たないだろう。そう思って親切心から此処にエントリーを立てた。

 まず至近の春名の記事全文は以下である。


 志位委員長を迎えた四国大演説会に1700名、共謀罪阻止へ緊急集会
 2017年5月23日   春名直章   行っちきち戻んちきち
 21日、高松市で志位和夫委員長を迎えた大演説会を開催、1700名もの参加で大成功し、ほっと胸をなでおろしました。志位さんのお話はもちろん、4県からの激励あいさつも、白川候補、松本一区候補の決意も参加者の胸を打ちました。28台のバスを使って四国各地、香川県の隅々から参加したみなさんに、党の魅力と値打ちに大きな確信を持っていただいたと思います。7名の方が当日入党を決意しました。この成功を力に14年ぶりに、必ずや四国で国会議員を誕生させます。舞台袖で進行を見守っていたので横からの写真とモニター写真しかありません。ごめんなさいよ。
 23日、昼休みに共謀罪衆議院本会議強行採決に抗議した緊急集会。党を代表して島﨑やすおみ二区予定候補が決意、民進、社民、新社会の代表も怒りの決意表明。野党と市民の共闘で安倍ぼろぼろ自公政権を追い詰めよう。


  21日の演説会を高知市ではなく高松市で開催した理由は2つある。比例候補の白川よう子が香川県の候補者であること。それから四国の玄関口の高松でないと、愛媛・徳島の支持者が集わないこと。間違いないだろう。春名は1700名が 「大成功し、ほっと胸をなでおろしました」 と書いている。これは本音の感想だろう。救いがない。私の捉え方は違う。1700名は失敗である。これが如何に少ないか、福山の小池を招いての街頭演説会でさえも700人の聴衆だった。準備なしの福山だけ。全四国の動員なら最低5000人だろう。これで白川よう子の落選は確定的になった。これが普通のバランス感覚の評価だ。でも高知県委員長の春名にはそうは書けまい。なら書かなくてもよい。黙っておけばよい。委員長・志位の演説会をシカト出来まい。ならブログなんかやめてしまえ。現に香川県委員長も愛媛県委員長も徳島県委員長も書いていない。
 高松に志位が来たのは、参院選本番で党候補の田辺が「野党統一」候補となったとき以来である。あの時はもっと多かった。小沢も来た。民進党の安住も来た。今回たったの1700人だった。これでは香川県下だけでも、少なすぎる。その理由は多くあろうが、決定的なのは志位にインパクトがまるでないこと。春名の記事にも、志位が熱狂的に歓迎されたとは書かれていない。大昔の1960年代、高松市に宮本顕治が来たことがあった。松山は彼の高校時代の一時期を過ごした土地だったから、「四国は懐かしい」と言っていた。香川県下だけで3000人集まった。この時代の党の集票力は県下だけで約2万票。いまと変らない。白川は絶対に当選しない。なんで現職県議を自殺させるんだ。春名にはそういう視点はない。とことんカルトである。
 党の演悦会に民進、社民、新社会の代表がやって来て挨拶してもおかしくない。県党会議は党内会議だから絶対に招いてはならない。演説会は大衆集会である。来て挨拶して貰ったらよい。でも来なかったのだろう。春名にはコレを残念がる視点はない。これもバランス感覚の喪失である。つまり展望も総括もない、あるがままを肯定して受容するだけ、これは党の活動家ではない。

 
 春名は昨年の参院選で自分の落選が確定した投票日翌日、悔しさで眠れず、その足で高知市内の街頭に立って選挙報告をした。民進党の統一候補大西そうと民進党高知県連の代表広田一と、3人で御礼の挨拶をした。これは有権者に対する儀礼である。やったらよい。でもこれは党としての総括ではない儀礼のセレモニーである。全く常識では考えられないが、春名はそのユーチューブを、自分のブロヅのトップに貼り付けた。貼り続けた。気ちがい。まるで民進党との共闘が、高知県党にとって永遠不動な真理であるかの如く。


 この破綻は直後から絶え間なく続いている。県内四万十市長選挙での野党共闘の破綻と土佐高知氏の大敗もそうである。春名はこれについても書いているが、自分の都合が悪いことは全てスルーである。

 以下の至近の記事もそうである。


 共謀罪法案強行採決に強く抗議。たたかいはこれからです
 2017年5月20日   春名直章   行っちきち戻んちきち
 昨日は、19日行動の日であり、四国いっせい宣伝の日。加えて共謀罪法案が衆議院法務委員会で強行採決されるという重大な一日となりました。
 早朝、旭地域の後援会のみなさん、中根さち県議とともにスタンディング宣伝へ。久々に私も演説し、へったくそ、になっていることを実感。いままでがよかったわけではありませんが…。とにかく気持ちを込めることが大切と開き直ってごあいさつ。
 夕方から共謀罪法案の衆議院法務委員会強行採決を受けて19日行動の集会へ。その30分ほど前には定例の原発ゼロ金曜日行動も。暴挙に怒った市民が次々参加、みるみるふくれあがって参加者は150名規模に。松本けんじ一区予定候補も決意表明、社民党、新社会党のみなさんも決意表明したのでsが、民進の代表の方がなぜか参加しておらず残念。私たちの運動で安倍政権を追い詰めています。加計学園の問題も火を噴いています。がんばりぬいて解散・総選挙においこみましょう。共謀罪法案を廃案に!心の自由を守れ!



 赤大文字部分だが、こうヌケヌケとシャーシャーと書ける神経に驚愕。統一候補だった大西そうも、民進党高知県連の代表広田一も、共謀罪法案に反対ではないから欠席した。或いは反対であっても共産党と共闘したくない理由があるから、やって来ないのだ。それを 「なぜか参加しておらず残念」 で済ます神経。つまり春名の冒頭のユーチューブは参院選翌日に賞味期限が切れている、それがわからない低脳。こういう県委員長は全国に春名ただ一人であろう。

 アホごとを書いた。くだらないブログなど閉じたらよい。行っちきち戻んちきちからしてイカレテいる。正気に戻れよ。

  春名語録

 野党共闘は、参議院選がホップ、都知事選がステップ、衆院選がジャンプです。

  なら春名君に訊く、東京都議選はなんなら? 民進党は何所にもいない。社民党も、自由党もいない。実質は小池百合子との共闘だな。自民党員にして極右日本会議との共闘だな。
  1. 2017/05/24(水) 02:38:24|
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石原萠記は右翼ゴロツキの総帥

古本屋通信   No 2574    2017年  05月23日


 石原萠記は松前重義と共に日本右翼の総帥である

 私は何故か戦後保守の中で、自民党ゴリゴリの政治家に階級的憎悪を懐くことは少ない。例えば吉田茂、田中角栄、三木武夫、そして安倍晋三も。然し保守本流ではない極右勢力には殺意に近い憎しみを懐く。その原体験は、たぶん高校時代の江田三郎だったろう。つまり日本の革命運動を、極めて卑劣な方法で破壊する輩である。私は今では江田五月に対する憎しみは随分緩和されたが、コレは私が歳をとったせいだろう。

 その江田さんが、きのう以下の表題の文を自分のページに掲載された。短いから全文を転載しようと試みたが、コピー不可だった。どうか直接訪問してお読みください。私は石原萠記という人物については、松前重義ほどには熟知していないのです。しかしウィキペディアを見るかぎりでも、戦後日本の右翼ゴロツキの総帥であることは疑いありません。江田さんも正直に語っています。戦後左翼は棺桶に入ってからの人物評価を間違えないことです。



 「石原萠記先生へ思い出の一言」を掲載しました
 投稿日: 2017年5月22日  江田五月


  石原萠記  ウィキペディア

石原 萠記(いしはら ほうき、1924年11月5日 -2017年2月24日[1])は、日本の社会主義運動家。社会党右派のイデオローグ。ソ連(ロシア)、中華人民共和国、韓国との文化交流、友好親善に努めている。出版社の自由社社長。日本対外文化協会副会長。日本出版協会理事長。STV-Japan取締役。「萠」は俗字で、人名漢字を使用して「石原萌記」と表記されることも多い。

経歴[編集]

山梨県甲府市百石町の染物店の二男として生まれる。1944年、早稲田大学在学中に陸軍に応召。1945年、中国・漢口の第6方面軍司令部参謀部で終戦を迎える。

1946年、上海から博多に復員。その後、東洋大学史学科で考古学を学ぶ。日本共産党員だった渡辺恒雄や河合武(河合栄治郎の長男)らと学生運動を行う。日本共産党の影響下にあった「民主主義科学者協会」(民科)の歴史部会に出入りし、石母田正、藤間生大、松本新八郎ら共産党系歴史学者の研究に傾倒していた時期もあった。1951年卒業。

学生時代から右派社会党の衆議院議員、三輪寿壮の下で革新運動を行い、卒業後は郷里の山梨県に入り、県議や古い党員を次々と除名して右派社会党山梨県連を再建。衆院選出馬を準備していた。河上丈太郎(元社会党委員長)とは、河上の長男・民雄が留学から帰国する際に書籍の整理を依頼されるほどの仲だった。

1956年、「日本文化フォーラム」の設立に参画(当初は事務局長、後に専務理事)。1959年、自由社を設立し、月刊誌「自由」を創刊。

東海大学総長や社会党衆議院議員を務めた親ソ連の代表的人物、松前重義と親しく、「現代の巨星」と絶賛。1966年、ソ連政府の提案によるソ連・東欧との交流組織「日本対外文化協会」(対文協)を松前とともに設立した(現在副会長)。日本対外文化協会、日ソ友好議員連盟、日ソ親善協会、日ソ交流協会、日ソ貿易協会の対ソ関係5団体とソ連の官製対日友好組織が主催して1979年から1988年まで開催された「日ソ円卓会議」では政治部会の座長を務めるなど中心的役割を担った。日ソ円卓会議の内容は「自由」誌上に掲載された。松前は自由社の取締役を務めた。

1972年、新しい社会主義を検討するため「変貌する社会と社会主義 国際セミナー」を社会主義インターナショナルなどと共催。このセミナーを機に江田三郎と親しくなり、江田から社会党離党の相談を受けるなど政治的盟友となった。

社会主義の中でも非共産党の社会民主主義の信念を持ち、社民・中道勢力による自民党政権打倒を目指した。1972年、江田三郎、矢野絢也(公明党書記長)、佐々木良作(民社党書記長)を、西ドイツで大連立を成功させた首相(ドイツ社会民主党党首)、ヴィリー・ブラントと会談させることを企て、8月28日にミュンヘン郊外で実施する準備を進めたが、マスコミに察知され中止となった。1990年には、松前重義とともに、土井たか子(社会党委員長)、永末英一(民社党委員長)、江田五月(社民連代表)や山岸章(連合会長)らに対し、西欧型の社会民主主義政権の樹立を目指す「社会民主主義研究会」の設立を呼び掛けた。

「自由」2008年2月号の座談会で「『自由』の役割は、60年安保、70年安保を闘い、それ以降の70年半ばには、江田三郎さんたちと社会主義インターを日本へもってこようとして、いろいろとご協力し合ってきた。そして、それが社公民という形で一つの運動になった」「『自由』の歴史は1959年発刊以来、一貫して民社主義(民主的社会主義)を理想としつつ、現実をいかに改革するかを、理論・政策と実践の両面から努力してきた」などと発言している[2]。

歴史認識[編集]

政治思想は反共主義を表明し、右派言論人に分類されることも多いが、前述した通り民主社会主義者でもあり、中国や韓国との相互理解を強調し、日中戦争や太平洋戦争の戦争責任は昭和天皇にあると繰り返し表明しており、日韓基本条約や日中国交正常化[3]を推進する一方で反共的で右派的だった民社党と同じ典型的な民主社会主義者である。また、沖縄戦における集団自決についても軍の命令だったとの立場をとっている。これは、自由社が刊行している『新しい歴史教科書』が依拠する自由主義史観と矛盾してる点も少なくなく、新しい歴史教科書をつくる会が教科書の新たな発行元に自由社を選んだことに疑問の声が出ている。

東京電力との関係[編集]

東京電力社長だった木川田一隆と親交があり、その紹介で平岩外四(後の社長、会長)と知り合う。石原および自由社は「自由」への広告出稿など東京電力から財政援助を受けていた。週刊文春の取材に対し「昭和の時代には、カネに窮して年も越せない時、東電の副社長は100万円用意してくれたなぁ」と語っている。東京電力がマスコミ関係者を連れて中国を訪問する日中友好ツアー「愛華訪中団」を主催。東日本大震災による福島第1原発事故が起きた2011年3月11日もツアー中で、東京電力会長の勝俣恒久らとともに中国の要人に面会に行くバスの中で地震を知ったという[4]。

東京電力幹部と民主党関係者をつなぐ懇親会「十人十色の会」を主宰。メンバーには江田五月や海江田万里らがいる[5]。

家族構成[編集]

妻、石原信子は自由社監査役。長男、石原寿記は横浜地方裁判所判事。長女、石原圭子は東海大学教授。寿記の名付け親は三輪寿壮で、「寿」の文字を与えた。圭子は松前重義の縁故で東海大学平和戦略国際研究所の助手として採用され、その後、講師、助教授、准教授となった。また、石原の妹は三輪の秘書を務め、三輪の死後は松前の秘書となった。このように石原と社会党関係者の交際は家族ぐるみだった。

著書・編著・共著[編集]
『江田三郎-そのロマンと追想』(『江田三郎』刊行会、1979年)
『韓国・北朝鮮統一問題資料集』(自由社、1979年)
『三宅正一の生涯』(三宅正一追悼刊行会、1983年)
『追憶-裏方政治家に徹した松井政吉先生』(いわき社会問題研究会、1994年)

訳著[編集]
張香山著『日本回想-戦前、戦中、戦後想い出の記』(自由社、2003年)

参照[編集]

1.^ “評論家の石原萠記氏死去 月刊「自由」発行”. 時事通信. (2017年3月21日)
2.^ 「自由」2008年2月号 p.32
3.^ “民社党訪中代表団と中日友好協会代表団の共同声明”. 東京大学東洋文化研究所. 2016年11月4日閲覧。
4.^ 週刊文春2011年3月31日号
5.^ 週刊文春2011年4月7日号
  1. 2017/05/23(火) 06:56:41|
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詩誌『日本主体派』(前衛文学会)

古本屋通信   No 2573    2017年  05月22日


  詩誌 『日本主体派』 (1950年 第二集 岡山前衛文学会)


 先ほど片付け屋さんから古紙業者さんを通じて、かなり大量の短歌雑誌が入った。一部戦前のものもあるが、主として昭和21~25年発行の短歌結社の小雑誌である。地域は全国にわたる。残念ながら古本としては銭にならない。表題の詩誌『日本主体派』 は18ページの小冊子である。

 他に岡山関係では以下があった。

『女人随筆』(創刊号~第40号)、 『愛生』(第4巻第4号 長島愛生 昭和25年)、 『王山短歌』(国立岡山療養所王山短歌会 昭和25年)

は昭和43~55年にかけてのもので新しいが、創刊号から纏まって出るのはめずらしい。然し個人的には興味は薄い。は共産党員が中心だと思うが、初期ゆえによく分らない。は悪名高い光田健輔が巻頭文を書き、永瀬清子が詩の選者になっている。の巻頭歌は服部忠志である。

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 此処では表題の『日本主体派』を取り上げ、出来るだけ忠実に再現することを試みたい。尚、岡山県内図書館を横断すると『日本主体派』第二集は皆無だった。岡山県立図書館に一冊在庫する 「日本主体派 前衛文学会 1949」 は第一集であろう。

 


  日本主体派  第二輯  1950年2月刊


  戦後派文学とその開示性(其の一 序) ・・・・・・・・・ 西川一郎 (8頁分3段組の長文評論ゆえに省略せざるを得ない)


 爆心地の鳩    小 野 十 三 郎

土砂ぶりの
雨の中に
ぐーと鳩がないていた。
爆心地にすみついた鳩のなきごえだ。
日暮れまでまだ間があるのに
あたりはうすぐらい。
物産陳列館の円屋根には大きな穴があいていて
雨はそこから
ようしやなくふりこんでいた。



 雲に寄せる抒情     西 川 一 郎

雲は美しい
なかんずく夕映えのなかに浮かぶ雲
だが
一天掻き曇るとき
篠突く嵐を
常に恐れよう

やがてほの暗くたそがれてゆく空

雲はしだいに動きはじめた



日本の居酒屋で ー 中国人民政府樹立の日に ー 吉塚勤治

タワリシチ、今夜は飲め!

アジアのどまんなかに
どかんと開(あ)いたでつかい窓。
窓という窓から開放の歌声わきあがり、
街でも村でも爆竹の音。
そこの四つ辻ではヤンコ踊り
ヤンコ踊りをとりまく民衆の顔・顔・顔。

タワリシチ、今夜は飲め!

ここは日本の小都会。
しめつぽい土間ではこほろぎが鳴く。
だが煤げたはだか天井の下で、
焼酎飲んでるふたりにも、
いま新しいアジアの嵐が吹きつける
なだれる歌声とともに。

タワリシチ、今夜は飲め!

ポケツトの底をはたくがよい。
それから腕を組んで
マントのような風のなかを
すののめくるまで歩こうよ。
明日はまたガリ切り、ビラはり
地味な煉瓦積み仕事の連続だ。

タワリシチ、今夜は飲め!




 世 代   内 田 栄 一

國税滞納処分差押物件とはりがみがされたラジオが音ひくく鳴り

往還をはしる自動車がはけぐちのない商品に砂ぼこりをかけたててゆき

便所の臭ひがふちのない畳で飯を食つてゐる家族のあいだをただよつてゆき

はだか天井からはねずみのふんが思ひだしたやうに落ちてくる家のなかでは

ゆがめられたこのやうな情景が公然とつくりだされてゐる現実に腹をたて

平和で自然な世の中を生みだすためこんなひずみをなくしてしまわねばならないと

ちからいつぱいの仕事を押しすすめてゐる人民の政党の候補者へ

いちにちでもはやくそれが実現されるようにせつせつの願ひをかけながら

総選挙の日そろつて希望の票を投じたちちははのほかに

このやうな矛盾した風景に若い胸をいためつけられてゐるひとりのむすこが

ものの五分もをればからだぢゆうに蚤が喰ひ入つてくる部屋にあぐらをくんで

ともすると全身の力をうばはれどうにでもなれとねころんでしまふ絶望とたたかひつづけながら

なやみになやみいかりにいかつたあらい息と逆流する赤い血のしぶきとを

いちまいの紙片の白に吐きかけ散らしまいてただひとつきりの詩を書きつづるため

かたい鋼ともなりまたそれゆえにもろく崩れさらぬともかぎらぬ若い胸を燃えたぎらしてゐる

(内田栄一は岡山市西大寺町の古書店主。最近30年前まで岡電西大寺町電停前に店があった。古本屋通信


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 雑記 (編集後記に当たる)

とにかく私はゆかねばならない。と同時に耐えなければならない。この錯乱、この絶望の中になお絶望しきれないものを絶叫し、そして自らそれを肯定し得るだけの自信をもたねばならない。と云うことは与えて下さいと手を受けていのる時代でもなく、ましてマルチザン的な藝術への反逆でなければならない。その中間に血まみれになつている私自身を自覚しなければならないと云うことだと私は考える。 (三垣)

「第一回岡山秋の詩祭」は昨年十一月二十六日(土曜日)午後一時から前衛文学会が主催し、岡山市旭東小学校講堂で盛大に行われた。岡山詩話会、東京世紀の会が協賛し、山陽新聞社、夕刊岡山、縣教育委員会が後援した。この日集つた聴衆は約五百、先ず西川一郎氏が壇上に立つて開会の挨拶をし、続いて小野十三郎氏の 「現代詩の諸問題をめぐって」 と題する講演があり、氏は満身に力をこめて批評精神こそ現代詩の抒情をより高めてゆくものであると約四十分間熱弁をふるわれた。引続き金光洋一郎氏が司会に立ち、永瀬清子「散文詩について」、吉塚勤治「詩と生活」、山本遺太郎 「詩と映画」、吉田研一「詩と演劇」、西川一郎「詩と反逆」、内田栄一「詩の勉強」。中務保二「詩人に望む」 の諸氏によるパネル講演があり、次に中間出演として音楽を入れ、詩誌「遠望」会員等によるピアノ独奏、独唱等を行つた。最後に郷土詩人十数名による詩の朗読があり、午後四時半頃閉会した。最初の試みではあり、反省せねばならない点も多々あつたが、全郷土を挙げて、詩人やその他の文化人たちが積極的に動いたことは、大きな意義を持つものであつて、一般に与えた影響も相当大きかつたと思っている。以上極めて簡単に報告する。 (内田)

「日本主体派」は誌名が示す通り、一つの純粋な主張を掲げて文学運動を展開せんとして発行したのであるが、種々な関係で今少しの間あまり純粋でないとしか言えない現状のままで行くことにした。甚だ残念ではあるが追い追い充足した内容をもりたててゆく積りである。絶望の中にあるとはいえ、われわれは先ず何よりも行動しなければならない。僕たちは詩が書けると自分で思いはじめたらもう発展はないと考えねばなるまい。
 それから僕の一身上の都合等あつて、今まで編輯から校正まで全部内田栄一君にやつて貰つていたが、近く同君も上京することとなり、次号より僕がやることにしたから、繁雑を免くため一貫して以後「日本主体派」に関する原稿通信等は直接別記に送られたい。発行所は現在のまま内田書店内に置く。三垣登紀子君にも編輯の方を一緒にやつて貰うことにした。金光洋一郎君のエツセイ「日本的探究」は紙面の都合上次号に廻した。彼のアルバイトによるこのエツセイはわれわれ現代に文学するものにとつて、大いに考えさせるものがある。期待して貰いたい。 (西川)
  1. 2017/05/22(月) 17:36:53|
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