古本屋通信

渡辺淳一と江口渙

古本屋通信    No771   3月27日

  渡辺淳一と江口渙

 前日の「吉良騒動」で少しネットを追っていたら、私的には思わぬ副産物があった。夕刊フジのサイトから該当の個所を部分引用しよう。

元党政策委員長で、政治評論家の筆坂秀世氏も「党の規約は好きな男とイチャつくのを禁止していない。お好きにどうぞ」と笑い飛ばす。

 ただ、真面目な共産党らしく、かつて党の雑誌『女性のひろば』で、男女の不倫を描いた渡辺淳一氏の『失楽園』に肯定的な批評が掲載されたとき、「宮本顕治元議長が激怒して、編集長が更迭された」 (筆坂氏)。

 この際、引用の前段はどちらでもよい。 後段が初耳であり嬉しい。これは筆坂しか発信できない面白い話である。この話は本当だろう。それを当時の党中央勤務員は知っていた。しかし大した話ではないので問題にもされなかった。筆坂自身も忘れていたのだろう。それが吉良よし子のチューで思い出されたのだ。

 私は『失楽園』を読んでいない。バカ売れしたのは知っていたが、読まなかった。私が読んだ渡辺淳一の本は、初期作品の『阿寒に果つ』一冊だけである。1970年代に読んで、作者の筆力に脱帽した。ただし2冊目を読もうとは思わなかった。そしてストーリーも忘れていた。で、今回アマゾンレビューを引いてみた。以下に代表的感想を貼る。

 By yasu
 渡辺淳 『阿寒に果つ』
  講談社文庫
一氏の札幌南高の同級生、荒巻義雄氏の作品「ある晴れた日のウイーンは森の中にたたずむ」で、
加清純子についてのエピソードと最初に出会った。
その後、十数年して「阿寒に果つ」を読んだのだが、今回、荒巻義雄のもう一つの純子を扱った作品「白き日旅立てば不死」を再読したくなったので、
その前に、この作品で加清純子にもう一度出会うことにした。

初恋の人として彼女と出会った渡辺淳一氏が聞き手となり,
若くして自死した天才美少女画家実像とその愛の軌跡を、氏自身の思い出を含め、
生前に彼女と関係を持った5人の男性と彼女の姉の証言から描いていく。

作品は、個人的な視点から一貫して描かれており、彼女が自殺した当時の、
米軍占領下の日本の状況についての言及は殆ど無い。

初恋の人が自死したというのだから、多感な青年の心にどれほどの深い痛みを残したのか想像に難くない。

皮肉なことに、本書執筆のために取材を進めていく過程で、多くの男性たちが、
同時期に、彼女と恋/肉体関係に合ったということ事実を確認し、
彼一人が当時の彼女の恋人でなかったことを発見する。

これは渡辺淳一氏の心に大変な傷を負わせたようで、特に「ある画家の章」などは、氏の心の揺れがハッキリと表出されており、
飽きれるほど素っ気なく画家と純子の関係が描かれている。

この青春の「痛み」と、男たちの思い出の中で様々な姿を見せる純子を通した「人間の不可思議さ」と「可憐さ」が、
この作品の肝で、リリシズムにあふれた北海道の雪景色と共に、
青春時代に、同様に女性に翻弄された経験を持った男性にとっては、
忘れることのできない深い印象を形作ることになるであろう。

作品を読みながら感じる、心の疼きと、茫漠とした不安、そして突き上げるような欲望、切なさ、
さらに「藪の中」のような人間の不思議さと不確実さが、
少なくとも私にとっては、自分自身の青春の「痛み」を、
まざまざと現在進行形の体験として、思いださせることとなった。

彼女が実際に天才的な画家であったかということは別にし、生前、短い人生の中で、
岡村昭彦氏、春彦氏や渡辺淳一氏、そして菊地又男氏らと交際を持ち、
荒巻義雄氏とは雪像製作や文学活動を介して交流したというのだから、
その交流歴一つをみても、生前の彼女のバイタリティーと男性選びの確かさに驚かされる。

作品の完成度が章ごとに違うという欠点はあるが、
その独自の視点を含めて、彼女が本当は誰を愛していたかという氏の疑問の切実さ、
そして取材を通じて形作られていく純子のみずみずしさと生々しさ、
それらが絡み合い、氏の作品の中で最もpersonalな作品であると同時に、
深い印象を与える作品になっているのではないだろうか。

傑作です。痛い青春の思い出を持つすべての人におすすめです。

尚、ネットの時代になり、実際の彼女の写真や生前に描いた絵を簡単に閲覧することができるようになった。
詳しくはブログサイト、山花咲野鳥語で。


 古本屋通信 

 よく出来たレビューである。私は自分の当時の読後感を思い出した。感動とはちがうが満足したのである。そして2冊目を読みたくなった。私はこれを出張先の金沢の旅館で読んだ。そしてその直後に、江口渙の『たたかいの作家同盟記』を読んだ。そしたらもう渡辺淳一の2冊目を読もうとは思わなくなった。早朝出かける前に旅館に断って置いてきた。おかみさんは喜んでくれた。1970年代前半だった。

 『女性の広場』 はわが家にもずっとある。読もうにも読む所がない雑誌である。これはこれでよいと思う。つまり無料原稿と読者投稿によって超安価でつくられた雑誌なのだ。上記には「宮本顕治元議長が激怒して、編集長が更迭された」とあるが、編集は編集長の一人編集だろう。しかも一人が手間ひま懸けず作っている。だから長く続くのだ。

 宮本顕治の「激怒」は当然である。こんな不見識な党員が「女性のひろば」に配属されていたということ自体がおかしい。即刻辞任である。アホらしいから理由は書かない。コレはじめから文学ではない。読本としても俗に媚びることを本領とする通俗読み物だ。初めから批評の対象にならない。

 エロほんが悪いということではない。そういうものが出回ることに、極端に過敏になる必要はない。しかしそれは一服の清涼剤でしかない。清涼剤も使用を誤ると毒になる。いい本を読まなければならない。渡辺淳一『失楽園』は共産党が取り上げるべき本ではなかったのである。

 えっ、いい本て? 江口渙『たたかいの作家同盟記』は読むに値する本である。渡辺淳一は時間の無駄である。
  
 たたかいの作家同盟記 わが文学半生記・後編 上 江口渙 新日本出版社 1976
 たたかいの作家同盟記 わが文学半生記・後編 下 江口渙 新日本出版社 1976


 これは前編にあたる「わが文学半生記」と共に名著である。旧くは1953年の青木文庫 だったが、講談社文芸文庫で読めるようになった。一読をお奨めしたい。私の近代文学の原点になった本である。因みに江口渙は「日本民主主義文学同盟」の初代議長である。文学歴は蔵原惟人や宮本顕治よりもさらに旧い。漱石門下である。アナーキストを経てプロレタリア文学に辿りついた。

 キンピーサイトの諸氏にも奨めたい。少しは勉強してください。そしたら 「民文からプロレタリア文学の名著がなぜ生まれないか」 なんて、ピントハズレな議論は出来なくなるでしょうよ。コレ両者のめざすものが違うんです。それに、民文からベストセラー作家なんか、生まれようがないじゃあないですか。しかし近頃はそういう道を目指している人もいるんですかねえ。これ東大理Ⅲを目指すようなもんでしょ。



  1. 2014/03/27(木) 00:41:46|
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