古本屋通信

書けなかった

古本屋通信  No 74  12月6日

  書けなかった

 No 70 と No 72 で小熊本にたいする否定と肯定それぞれの評言を貼ったあと、すこし悪戦苦闘した。「酷評する人は自分で書いて 」が堪えたのではない。小熊本について再論するつもりはなかった。しかしこのような偽物 ( 朱徳栄氏のことばでは偽書 ) が藤原書店というマトモな出版社から出版され、No 72 のような評価が生まれるその理由は何か。アカデミズムの蛸つぼ化と教員のレベル低下もあろう。しかしもう一歩踏み込んで書かねばならない。圧倒的な量の誤読を生む「物質的基礎」についてだ。
 実はこの2年、私は何回かそれを試みたが、そのたびに中途で挫折した。今回もかなり時間を懸けて試みた。原稿用紙にすると30枚にもなったろう。河村さんのいう 「生みの苦しみ」というやつだ。しかし結局ダメだった。とうてい人さまに読んで貰えるものは書けず消去した。
 書けない理由をひとつだけ未練がましく書いておく。そもそも No 72 の評者が前提にしているような 「全共闘・1968年状況 」 などありはしなかった。その大半は作為的に作られた擬似空間であった。それはのちに全共闘「神話」となり、実態と著しく異なる虚像が醸成されることになる。小熊英二の著書はその総仕上げともいうべき大ペテン本であった。
 同世代の運動参加者が何も語らなかったわけではない。トロツキストであろうと共産党員であろうと、それなりに自己の出発点については書いている。私についていえばこのブログもそうだ。ただ当時の左翼党派にとって、運動参加は小熊のいうような「私探しの物語」ではなかった。「私探しの物語」とはもっとも遠い自己犠牲を厭わぬ「革命運動への参加」だった>。「私探しの物語」の学生も確かにいた。それは『朝日ジャーナル』や『現代の眼』を読んで運動に参加した層であり、そういう部分をも巻き込んで当時の運動はあった。
 然し学生運動を含む全ての社会運動を見るとき、政治党派抜きではなにも見えてこないだろう。熊は見えなかったのではない。見えるものを見なかっただけでなく、見たものを存在しないものとして抹殺したのだ。そのことを、そのことだけを府川らは書いているのだ。歴史の偽造・ねつ造だと。
 ものを見る場合、事実を有るがまま見るか、すでに蓄積されている既成観念でみるか。それは科学的批評か印象批評かにも置き変えられる。府川らが書いていることはディテールではない。 No 74 の諸氏がこれを読んだうえで、持論を書いたとしたら軽薄の誹りはま免れまい。若い層だからといって容赦しない。疑うこと、疑ったうえで事実を見極めることだ。やれ、予想に違わずジジイ臭い文になってしまった。
 
  1. 2012/12/06(木) 05:21:24|
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