古本屋通信

石崎さんは誤読していない

古本屋通信    No 675  2月3日

  石崎さんは私の文を誤読していない



① 最初の私の文
河村ひろ子さんの「ジャーナリズムって何だろう?と、とても考えさせられます」の自問にたいして、私はこう書いた。
 あまり深く考えなくてもよいのではないでしょうか。支配階級の人民支配を支える主要な道具のひとつです。 そこで働く労働者の努力や読者世論によって、一定程度は人民の声を反映させることは可能です。しかし  階級的本質を変えることは、革命によって以外では不可能です。編集権は資本家にありますし、独占資本の広告で経営が成り立っているのですから。


② これを批判した石崎さんの文
 
NHK問題について一言。いっさいのジャーナリズムは支配者階級と政府の宣伝塔であり、これを覆すには革命しかないのだ、ただ隠されているか、あからさまになるかの違いであり、今回のNHK会長発言はそれを明らかにした点で意義がある、という主張は、武装放棄のように聞こえる。
 ジャーナリズムを信じるなという警告は正しい。しかし、我々は来るか来ないか分からない革命の成就まで待てない。いまをよりよくしたいのだ。ジャーナリズムにもより公正であってほしいのだ。国民は、革命を待たずとも影響力を行使することはできる。


③ 石崎さんの批判を反批判した古本屋通信の2回目の文
 
 両者の赤文字部分は史的唯物論の定式からは大きな違いがあるが、おそらく氏はそういう公式を嫌うだろうから、措いて置こう。
 問題(私に言わせれば氏の誤り)ははっきりしている。青文字の部分だ。「いまをよりよくしたい」、「ジャーナリズムにもより公正であってほしい」の願望は当然だ。そこまではよい。「革命を待たずとも影響力を行使することはできる」のか? 私は「一定程度は人民の声を反映させることは可能です」と書いている。これはマスコミ労働者と読者の力を多として「一定程度は」と書いたのだ。しかし実際にはそういう部分は少ない。平時ならともかく、決定的な変革期には殆んどありえない。 「編集権」も「資本の広告」も難しくかんがえなくてよい。生産手段を誰が握っているかが全てである。階級などと難しく考える必要はない。
 例えば私のパソコンだ。ブログ「古本屋通信」の管理人はこの私である。読者からの投稿を掲載するか否かは100パーセント私に懸かっている。パソコンが私のものだからである。資本家が生産手段を握っている、つまりブルジョア独裁とはそういうことだ。革命は革命ゴッコではない。世の中を根本的に作り変えないと解決しない問題がある。だから必要なのだ。
 以上の事が石崎氏にとって「釈迦に説法」なのは私にも分る。資本論を読んでいる氏は何故こんな幼稚なウソを平気で書くのだろうか。理由はひとつしかない。革命が怖いのだ。革命運動の隊列に加わりたくない、それにつきる。
 お前だっていっしょじゃあないかと言われれば、一言もない。しかし私は最晩年は党の隊列に復帰して死を迎えたいのだ。その条件はいまのところ全くないが。



④ これに対する石崎さんの文

お怒りごもっともです。「一定程度は人民の声を反映させることは可能」という部分を読み飛ばしてしまったようです。全体の文脈がジャーナリズムに期待するなと聞こえたもので。でもそれは古本屋さん一流の反語的表現なのですね。
 革命を恐れていると言われれば、確かにそうかもしれませんが、それ以前に革命に期待を持てないのです。



  今回の古本屋通信

 まず、どっちでもよい事ですが、私は全く怒っていません。

 つぎにの大文字の部分は無理になくてもよいのです。 「読み飛ばしてしまっ」て構わない のです。なぜならの大文字の部分に書いている通りだからです。だから、石崎さんがで言われる通り、私は「ジャーナリズムに期待するな」と言っているのです。そう言っているのですから、そう聞こえないと困ります。100%「ジャーナリズムに期待するな」です。誤読ではありません。また、これは「反語的表現」、つまり「ジャーナリズムに期待するな」と書きながら「ジャーナリズムに期待せよ」といっているのでもありません

 だから石崎さんは私の文を全く正しく読んでいるのです。私は上部構造は土台を変えないと、上部構造自体で自己運動によって自己変革を遂げることはありえないと書いているのです。それに対して石崎さんは、私の書いていることを、誤読していないのに誤読したと言って(私に言わせると逃げて)、その上で自分が論証しなければならないことを回避しているのです。

 石崎さんが書かなければならないことはひとつです。ご自分で「国民は革命を待たずとも影響力を行使することはできる」といっているのですから、その例を引くなりして論証しなければならない。私はブルジョア新聞が人民新聞になることはありえないといっているのです。それは私が自分のパソコンでブログを書く、その記事内容が気に喰わないからといって、大勢で抗議の投稿をして、記事の内容を変えさせる試みにも等しいです。私のパソコンは商売ではありませんが、ブル新は独占資本の利益と多くの場合利害が一致します。

E あんまり一般論では説得力がないでしょう。まあ、多少はマシと一般に考えられている朝日新聞はどうでしょうか。1943~46年の朝日を追跡したら分ります。見事な変転です。戦後68年、ただの一度でも労働者・人民の立場で報道したことがあったでしょうか。マトモな報道に見えることは多々あります。それはどっちでもよい時です。決定的な局面では必ず裏切ります。ゆめゆめ幻想を振り撒かないことです。

 いま一寸思い出したのですが、岡山に元高校教員で徳方宏治さんという人がいます。不登校のこどもの相談にのったり、歴史講座の講師をしたり、多彩な活動家なので、ただのの投書魔ではないと断っておきますが、この方が年間数百本も朝日に投書したそうです。そうすると百本以上掲載されたそうですから、或いは石崎さんもご存知かと思います。この方の投書ですからまともな文でしょう。へー、楽しいなあです。彼も遊びでやっているのです。私も凄いと思います。今だったら秘密保護法反対なんか、彼のメリハリの利いた文が載ってるかもしれません。
 で、徳方さんのような方が大勢いたら朝日の「声」のトーンが全体として変わるでしょうか。いいえ、ビクともしません。だからといって徳方さんの行為が無だとはいえませんが、それは運動ではないですね。

 私は今のところやりませんが、投書一本掲載につき1万円ならやります。かなり稼ぐ自信はありますね。媒体に合わせて書くのです。私はブル新は全て評価しませんが、ワースト3は、①投書欄、②社説、③コラム(天声人語)だと思います。

 私は決して政治的に早熟な子供ではありませんでしたが、それでも中学生のころ、毎日新聞の投書欄がイカサマだと、友達と話した記憶があります。「あれだけ安保。安保言うて色々載ってたが。最近じゃあ全学連の悪口ばかりじゃ」。結局ブル新は安保改定賛成に傾き、その通りの投書が掲載されます。「読者の声」はイチジクの葉に過ぎません。こんな事は子供でも分かるのです。「国民は、革命を待たずとも影響力を行使することはできる」など、石崎さんが考えているわけがないじゃあ、ありませんか。これ全て、革命と革命のための真面目な討論を回避する石崎さんの「方便」に過ぎません。

I 備考 その後の石崎さんの最新記事にも、私の名があった。直接の関係はなさそうだが、ここにも「誤読」の二字がある。多少気になるので転載して読者の参考に供したい。
思いがけず、クリスマスローズのsakiさんよりコメントをいただき、喜んでいます。美しい文章をいつも楽しませてもらっています。
 ただ、この件でコメントをいただいたことには、「革命」に対するぼくの立ち位置から、ちょっと複雑な思いがしています。
 古本屋さんとぼくとの立脚点はかなり違いますが、言葉の上だけの食い違いと思えることも多い。今回の場合はぼくの軽はずみな誤読もありましたから



J 念のため、sakiさんと言われる方の文も。
 石崎様
この度は石崎様と古本屋さんに御迷惑が及ぶのではと申し訳なく思いコメント削除させて戴きました。
革命、指導者、カリスマ性・・・・パリの裏路地、革命通りの石畳を見詰めながら歩き、語り合った尊敬する師とのやりとりを想起しついタイピングの指が滑ってしまったようで・・・その温度差は寧ろ私の方にあったんですよね・・けれど石崎様のこの記事に、その懐の深さを垣間見させて戴いたように思っています。これからも記事愉しみにしています・・・。



 古本屋通信より、saki さんという方へ一言。
 貴女が石崎さんのどの記事を指して言われているか分かりませんが、この流れで見ると、私には貴女の誤読に思えます。特に最後の文 はズルイですよ(笑)。
  1. 2014/02/03(月) 10:50:23|
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