古本屋通信

方法の問題ー弁証法的

古本屋通信    No 611  1月9日

 
 方法の問題ー弁証法的理性批判序説 (サルトル)


 私はしばしば日本共産党員を見下したものの言い方をする。武田英夫氏や石村とも子さんのことを「小中学生なみの学力である」と言う。党中央の幹部を見下げて批判する。

 私はこの点は自覚的にしてそうしているのだ。いくらなんでも大の大人にたいして「小中学生なみの学力である」などとは普通言えない。


 石村智子のつぶやき  

今日は、名護市の東海岸沿いで訴えています。写真は大浦湾です。正面に見える島のあたりに巨大滑走路の建設が狙われています。この美しい海を埋め立てるなんて考えられません・・・今日もたくさんの人が応援してくださいます。

 いったい彼女は何をしに沖縄に行ったのでしょうか。基地問題で深刻な沖縄の人々を応援するために沖縄へ行ったのではなかったのでしょうか。名護市の首長選挙をたたかう沖縄の人々を応援するために沖縄へ行ったのではなかったのでしょうか。



 これで見るように石村さんは無自覚に、(だから余計に)沖縄を見下している。沖縄の無党派、沖縄の民衆を見下す彼女は党員優生思想の持ち主である。すでに滅んだスターリン主義の感性である。

 石村さんに見下された沖縄と日本の民衆が「われ」を取り戻す道はひとつしかない。石村さんを見下し返すことだ。サルトル流の疎外論でいえば「見られたら見返せ」だ。、街でヤクザ同士でもよくある。目を背けたら負けだ、睨み返せと。

 私は石村さんを見返す。ばかにする。しかし殆んどの人は関わりそのものを拒否する。石村さんと石村さんに通じる日本共産党を拒否し、忌み嫌う。


 党大会人事について。私は元東大民青さんとは意見が異なる。不破はたぶん降りるだろう。志位は半々だろう。降りたいのだ。原因は家庭問題だ。あとは笠井だろう。坂井希は幹部会委員まで。吉良は准中央委員。石村の准中央委員はありえない。



『方法の問題―弁証法的理性批判 序説』
サルトル全集 第25巻

平井啓之訳 人文書院  1962/7/14 初版
総序
方法の問題
 一 マルクス主義と実存主義
 二 媒体と補助的諸学の問題
 三 前進的―遡行的方法
 結論

 解題
 本書はサルトルが一九六〇年四月に発表した《Critique de la raison dialectique(precede de Question de methode)TOME Ⅰ―Theorie des ensembles pratiques》というたいへん長い表題の書物の冒頭におさめられた、それだけで一個独立の論文である『方法の問題』Question de methodeの邦訳である。ただし、このように『弁証法的理性批判』の第一巻の巻頭におさめられるに際して全体のための『総序』として附加されたみじかい文章の部分でサルトルが述べているように、この論文の初めの形であったポーランドの一雑誌への寄稿文は、全体が『実存主義とマルクス主義』と題されていたらしい。この表題は、『現代』誌に収載されたとき、三章に分れたその第一葦のみに与えられたが、しかし最も概括的な意味でなら、まさしくこの論文全体の性格を明確に示唆しているのである。すなわち『方法の問題』とは、サルトルが自分の拠って立つ実存主義の立場とマルクス主義との関係をはじめて正面から解明してみせた論文であり、サルトルに関心を寄せるものにとっての年来の問題点であった彼の存在論と実践との関係についての正確な回答なのである。



 上記は通販サイト「ショッピングモール」に付着していた記事で、解題はだれが書いたのか分からない。読み難いし、数箇所誤字があったので、これは古本屋通信が訂正した。

 私は岡大哲学科の学生だった頃、当時、講師だった藤中正義のサルトル哲学の講義を聴いた。さっぱり分からなかった。このとき私は決定的に自分が頭が悪いと思った。それは違いないのだが、あれから45年経ってみると、そればかりではない気もする。実存主義哲学というのは科学ではないから、大学の講義に向かないのではないか。

 いま思い出したが、藤中のサルトル(註)を酷評した淡路憲治の文をみつけて大切に保管していたが、なくしてしまった。献呈された本に感想として書かれていたものだ。私は淡路の旧蔵本を、同業者の中継で大量に買った。富山関係にいい本が沢山あった。あの感想文は出色だった。マルクス経済学からの藤中酷評だった。それでいて淡路はちゃんとサルトルを評価していた。藤中はエピゴーネンだそうな。これだから古本屋はやめられない。不自由な足を引き摺って古本屋を回っていた晩年の岡山大学教授が忘れられない。私はこの人は中核派シンパとばかり思っていたが、そうではないはっきりした痕跡を、旧蔵本の中に発見して、自分の不明を恥じた。


『実存的人間学の試み サルトル思想の深層構造』 藤中正義、耕土社、1979年



 下記はアマゾンレビュー(書評)である。

レビュー対象商品: サルトル全集〈第25巻〉方法の問題 弁証法的理性批判序説 (1962年)   By kaizen (愛知県)
弁証法的理性批判は、90%訳が分からなかった。
方法の問題は、なんとなく分かるところもありそうで、毎日持ち歩いていた。
持ち歩いているうちに、なんとなく分かった気になってきたり、
分かっているらしい人から声をかけてもらって、
分かる為の糸口をもらったり。
それでも「弁証法的理性批判」の本体まではたどり着けなかった。
「方法の問題」は、「出口無し」などの文芸書に比べれば難しいが,
サルトルの著作では、相対的に分かりやすい問題かもしれない。
「弁証法的理性批判」の本体は、全くわからなかったのに比べて,
「存在と無」は奥が深くて、どこまで分かったかがわかっていない。
それに比べて、「方法の問題」は、分かったような気になっているのは長年持ち歩いたおかげかもしれない。
  1. 2014/01/09(木) 00:00:58|
  2. 未分類