古本屋通信

『弁証法的唯物論と史的唯物論』

古本屋通信    No 558  12月7日

  『弁証法的唯物論と史的唯物論』


 懐かしい記事に出会えたので引用させていただく。岡山の民文の方で鬼藤千春さんといわれる。

タイトル 「変革の哲学・弁証法」
 倉敷「ものの見方・考え方講座」の第5回に参加した。これが最終回であり、無事卒業を迎えることができた。今回の講義も魅力的なものであった。
 特に弁証法を深く学ぶことができた。とはいえ、まだ〝さわり〟程度のものだったが、しかし得るものは決して小さくはなかった。
 世界は(自然や社会、そして人間)はどのようなあり方をしているか? という設問から講義は始まった。
 弁証法の見方の基本は、運動・変化、発展、連関として捉えるということである。世界はつねに動いており、「過程」として捉え、量から質への転化をおこなっている。発展は同じことのくり返しではなく、弁証法的否定をつうじて、質的変化をしている。そして、世界は「つながり」のなかで存在し、決してバラバラではない。
 「われわれが自然あるいは人間の歴史あるいはわれわれの精神活動を考察すると、まずわれわれの前にあらわれるのは、連関と相互作用が無限にからみ合った姿であり、この無限のからみ合いのなかでは、どんなものも、もとのままのもの、もとのままのところ、もとのままの状態にとどまっているものはなく、すべてのものは運動し、変化し、生成し、消滅している」ーーこれは、エンゲルスが「空想から科学へ」で述べていることである。
 「現在の社会は決して固定した結晶ではなくて、変化の可能な、そして絶えず変化の過程にある有機体」ーーこれは、マルクスの「資本論」初版への「序言」で述べられている。
 「矛盾」をとらえることー発展の芽をつかみ、育てることが大切である。ものごとの「動き方」は、ものごと内部にある矛盾の展開である。
 弁証法的でない見方(形而上学的見方)は支配階級の利益と結びついている。「形而上学の見かたは、…私たちがともすれば木だけを見て森を見失いがちになるところから生じてくるものですが、ここで注意する必要があるのは、それが政治や経済の上で支配的な地位についているものの利益と結びついてくるということです」
 「つまり、木だけを見て森を見させないこと、現状をどこまでも安定した本質的に不変のものであるかのように思わせることは、かれらにとってつごうのいいことなのです」
 私はこの講義を受けて、目の前の霧がはれたような晴ればれとした心持になった。宗教の教義は絶対的なもで、そのなかで唱えられていることに従って生きていくことが求められるが、弁証法は決してそうではない。
 弁証法は教義ほではなく、現実を「動きとつながりのなか」でとらえ、職場をみるとき、社会をみるとき、活動をみるとき、自分自身や仲間をみるとき……
 固定的にみてしまっていないか? どうせ……という見方に陥ってないか? 細部にとらわれすぎていないか(木を見て森を見ず)? 断片的にものごとをきりとって「○×」「白黒」を判断していないか? 背景や原因を考えられず、現象に目を奪われていないか?
 これらのことをみずからに問いつつ、弁証法的なものの見方に絶えず立ち返りつつ、生きてゆきたいと願う次第である。


 以下、古本屋通信

 こういう講座がいまも岡山や倉敷で開催されているということが嬉しい。たぶん学習協の主催だろう。この文も、初めて唯物弁証法に開眼された青年のようで初々しい。私も50年前にもどった気分になれた。これに触発されて少し書きたい。ただし上記の引用文のあれこれに関係なく書くことにする。

 1964年春、私は四国のK大学に入学した。入学直後にちょっとした経緯があって、当時経済学部自治会の委員長だったTにオルグされた。ただし直接民青に誘われたのではなく、「こんど大学に平和委員会を作ろうと思うので一緒にやらないか」というものだった。総勢5人だったと思う。Tは当時、名アジテーターで通っていたが、組織者でもあったのだ。で、何をやったかというと学習会だった。テキストは最初が毛沢東の『実践論・矛盾論』だった。二番目がスターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』だった 。私は既に授業の教養科目の倫理学で山内教授のテキスト『空想から科学へ』を買っていたので、予習の意味でもこれをやりたいとTに言った。そうするとTはこう言った。
『空想から科学へ』は難しい。エンゲルスはちゃんとしたチューターがいないと無理だ。俺には自信がない。その点、毛沢東の『実践論・矛盾論』やスターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』はやさしい。俺でも分かる。しかも哲学の基礎の基礎だ。


 爾来50年、私は曲がりなりにもマルクス主義哲学を専門にしてきたが、それは一貫して『実践論・矛盾論』と『弁証法的唯物論と史的唯物論』の批判を意識しての半世紀だった。それは哲学におけるスターリン主義であったが、いまだ私の中で決着が着いたとは言えないのだ。それをいつも負担に感じたり苦渋を抱いて日常生活を送っている訳ではないが、さりとて忘れてしまうことも出来ず、時々頭をもたげて来る。今回の鬼藤文を読んだ時にも、そういう苦い想いがあった。
 
 以下はあれこれ書かないで、二つの文を引用する。これらについての私の感想もあれこれは書かない。

 最初の井出薫の文は珍しいものではない。哲学分野のスターリン主義のごく平均的な解説で、概ね私の思いとも重なる。コンパクトで便利なので引いたに過ぎない。ただ鬼藤文とこの文の距離もしくは齟齬について、これを貼ることで何らかの問題提起になればと思う(これだけでは一寸意味が通り難いだろう。私は矢張り働く者の哲学講座で鬼藤が受講したような講義に抵抗感があるのだ)。

 二番目はスターリンの『弁証法的唯物論と史的唯物論』そのものだ。電子化されて便利になった。これは既によく知られているように、ソ連共産党史の一節として書かれた論考が時の経過の中で、哲学論考として独立したものである。実の執筆者はスターリンではなくミーチンだともいわれている。そういう例は外にもあっただろう。妙な言い方だが、私はどっちでもよい。直接執筆したのが誰であれ、これが20世紀の官許哲学になったのが問題なのだ。日本版は大月書店の国民文庫である。私はこれを線引きで使い潰した。訳者はこのブログでもとり上げたことのある石堂清倫である。



 ☆ スターリン ☆  ☆ スターリン ☆ 井出薫
 こんなところで「スターリン」の名を目にするとは思いもよらなかった。7月4日、株価12営業日連続下落は53年のスターリン暴落以来のことだと報じられた。

 「スターリン」この言葉にはマルクス主義に一度でも傾倒したことがある者であれば、特別の思いがあろう。ヒットラーと並ぶ20世紀の恐怖政治を演出した独裁者にして虐殺者、マルクスの思想と共産主義運動を台無しにした男と批判する者は多い。基本的に私もその一人に属する。その一方で、ヒットラーと違い死ぬまで権力と個人崇拝を維持したスターリンに対してはその業績を高く評価する声や、独裁や虐殺を批判しつつも歴史上の英雄の一人として評価するべきという意見も少なからずある。歴史に疎い私にはこの問題に判定を下す能力はない。そこで、感慨を込めて、ここではスターリンの思想、特にその哲学を一瞥して現代的な意味を考えてみる。

 スターリンの考え方は実に単純で分かり易い(だからこそ人々の頭を支配するには有効だった)。マルクスの思想の根本は弁証法的唯物論という科学的世界観にあり、それは人間社会のみならず自然を含む全世界に当てはまる普遍的で客観的な原理と法則を語っている。これを人間社会とその歴史的発展に適用すると、社会・歴史の基礎理論である史的唯物論(別名:唯物史観)となり、それを資本主義という歴史上の特殊な社会体制に応用することでマルクスは「資本論」で資本主義の本質を解明した。これがスターリンのマルクス主義だ。弁証法的唯物論→史的唯物論→資本論という段階構造をスターリンは想定している。たとえば物理学とのアナロジーを使えば、量子・統計物理学(基礎原理)→相転移・臨界現象の一般理論→BCS理論(高温超電導を除く超電導現象を説明する現象論的理論)と並行している。つまり普遍的な原理「弁証法的唯物論」から、中間的な段階である史的唯物論を経て、現象論「資本論」が導出されるわけだ。

 このようなスターリンの考えは、マルクス主義者からも多くの批判を浴びている。史的唯物論こそ第一原理の地位を占めるものであり、そこから弁証法的唯物論が基礎づけられると考えるべきだと唱える者がいる。又、史的唯物論も弁証法的唯物論も社会研究や理論記述の便宜的な方法に過ぎず、マルクスの本質は資本論に集約されていると考える者もいる。その他にも様々な批判があるがこれくらいでよいだろう。

 ヘーゲルの弁証法とフォイエルバッハに代表される機械的唯物論を止揚した(とされる)弁証法的唯物論についてマルクスはほとんど何も語っていない。盟友エンゲルスが「反デューリング論」、「フォイエルバッハ論」や未完の著作「自然の弁証法」でその概略を説明し、レーニン他多くのマルクス・エンゲルス主義者たちが様々な考え方、見方を付け加えたものが「弁証法的唯物論」という名称で定着したに過ぎない。一方、史的唯物論は、マルクスが資本論の前作「経済学批判」の「序言」で明らかにした自身の歴史観に基づくものであるが、ここでもマルクスはごく簡単な説明を与えているだけで(文庫本で僅か2ページ!)、深い考察が展開されているわけではない。同じ「経済学批判」の「序説」で展開されている「経済学の方法」などに関する叙述を合わせて読むことで、それをある程度体系化することはできる。しかし様々な理論の基礎となるような科学的あるいは哲学的な体系が整う訳ではない。

 要するに、弁証法的唯物論、史的唯物論、いずれもその位置づけは曖昧で、マルクスの思想の根幹をなすと考えることはできない。ところがスターリンの単純な図式が長くマルクス主義者の頭を支配した、いや、今なお一部では支配しているという事実を思い起こすとき、スターリンがマルクス主義運動においていかに大きな存在だったかを改めて思い知らされる。これは確かにマルクス主義と世界の人々にとって甚だ不幸な出来事だったと言わなくてはならない。

 マルクスの思想は「資本論」に集約される。マルクスを読み解き、それを現代に生かしていこうとするとき、まず向かうべきは「資本論」であり、かつて世界を支配した教条主義的なマルクス主義者たちが宣伝した弁証法的唯物論や史的唯物論ではない。そのような哲学的な世界像や歴史観は寧ろ資本論を読み解く過程で二次的に産出されるものと捉える必要がある。

 スターリンの非人道的な政治活動への批判から、若きマルクスの著作「経済学哲学草稿」を資本論以上に高く評価しようとする動きが、スターリンの死後、そして近年にも起きている。このような試み(しばしば人間主義的マルクス主義などと呼ばれる)に対して適切な評価を下すことは難しい。ただ「草稿」に学ぶべき点、参考にするべき点が多々あることは認めるとしても、やはりそれは資本論へと至る過程で克服された古い誤った思想が混在する通過点とみなす方が素直だろう。資本論がスターリンやその追従者たちに聖典化されたことで、その反動として若きマルクスに着目する機運が生まれるのはある意味当然と言える。だが「草稿」はマルクスが本格的に自分自身のオリジナルな思想を模索し始めたときに、とりあえずフォイエルバッハとヘーゲルをお手本にして書いた試論を超えるものではなく、そこに崩壊した教条主義的マルクス主義を超える思想を読み取るあるいは読み込むことは無理がある。それにも拘わらず、こういった試みが絶えることがないのは、21世紀に入り環境問題・資源問題など新しい世界史的課題が人々の視界に入るようになり、また先進国で富が増大したのに鬱病など精神疾患の患者が増加したという現実から、マルクスに対しても新しい見方が出てきたからだと言えなくはない。しかし、それでもやはりスターリンの負の遺産が今もなおマルクスへ傾倒する者たちに影響を与え続けていることが大きな要因であると指摘しないわけにはいかない。

 スターリンの死後すでに半世紀以上が経過した。だがスターリンは依然として亡霊のようにこの世を彷徨っている。その克服はマルクスに未来の可能性を見つけ出そうとする者たちの共通の課題であることに変わりはない。因みにマルクスはすでに終わっていると考える者たちには、株価の乱高下で人々の生活が左右される社会の克服が求められている。(H20/7/6記)




(大月書店国民文庫=205、『弁証法的唯物論と史的唯物論』 六版を電子化)

 一 本訳書のうち、『無政府主義か社会主義か?』は、ソ同盟共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所編集の『イ・ヴェ・スターリン全集』第一巻を、『弁証法的唯物論と史的唯物論について』は、同じく『レーニン主義の諸問題』第十一版を、『マルクス主義と言語学の諸問題』は、国立出版所発行の同名パンフレットを、それぞれ底本として訳出した。
一 スターリンの原注は〔*〕印をもってしめす。訳者がつけた注のうち、ごく簡単なものは〔 〕にかこんで六号活字で本文中にいれたが、他は事項注と人名注とにわけ、事項注は本文に出る注番号の順に、人名注は「アイウエオ」順に、それぞれ、巻末に一括して排列した。
一 原文のイタリック体の箇所は訳文ではゴシック体(html版では太字)にし、隔字体の箇所は傍点をふって(html版では斜字)これをしめした。ただし、見出しのところは、かならずしもこの方針にはよらなかった。
一 邦訳の参照は、マルクス、エンゲルスについては、『マルクス=エンゲルス選集』(大月書店版)レーニンについては、『レーニン二巻選集』(社会書房版)によった。したがって、角がっこ〔 〕中の巻数、分冊数、ページ数は、右の二つの選集の巻数、分冊数、ページ数である。
一 人名、地名は現地の発音にちかく表記することを原則としたが、慣用のものについては、それをもちいたばあいが多い。
一 よみがな、ふりがなはhtml版では"《"と"》"で囲んだ。
一 ウムラウトは該当字の後で"¨"で表現した。エーウムラウトは"a¨"である。エスツェットはβで表現した。ギリシャ文字なども"`"、"´"などで同様に表現した。

     目次

 無政府主義か社会主義か?
  一 弁証法的方法
  二 唯物論の理論
  三 プロレタリア社会主義
 弁証法的唯物論と史的唯物論について
 マルクス主義と言語学の諸問題
  言語学におけるマルクス主義について
  言語学の若干の問題について
   同志クラシェニンニコワへの答え
 同志諸君への答え
  同志サンジェエフへ
  同志デ・ベルキンとエス・フーレルへ
  同志ア・ホロポフへ
 解説

 人名訳注
 事項訳注


 無政府主義か社会主義か(1)?

 現代の社会生活の基軸になっているのは階級闘争である。そして、この闘争のうちで、おのおのの階級は自分のイデオロギーにみちびかれている。ブルジョアジーには自分のイデオロギーがある、――それは、いわゆる自由主義である。プロレタリアートにも自分のイデオロギーがある、――それは、よく知られているように、社会主義である。
 自由主義を、あるまとまった不可分のものと見ることはできない。それは、ブルジョアジーのいろいろの層に応じて、いろいろの傾向に細分されている。
 社会主義も、全一で不可分なものではなく、そこにもまた、いろいろの傾向がある。
 われわれは、ここでは自由主義の研究をはじめようとするものではない、――それは後日にのばしたほうがよい。われわれは、読者に社会主義とその諸潮流のことだけを知ってもらいたいと思っている。われわれの考えでは、そのほうが読者にとっていっそう興味があるだろう。
 社会主義は、改良主義、無政府主義、マルクス主義の、三つのおもな潮流にわかれる。
 改良主義(ベルンシュタイン、その他)は、社会主義を遠いさきにある目標で、それ以上のものではないと考えている。それは事実上、社会主義革命を否定し、平和的なやりかたで社会主義をうちたてようとする。それは階級闘争ではなく階級協調を説く、――この改良主義は、日一日とくさってゆき、日一日と社会主義のあらゆる特徴をなくしているので、われわれの考えでは、ここで、この論文で、それをしらべることは、社会主義を規定するうえでなんの必要もないのである。
 マルクス主義と無政府主義のばあいは、まったく話がべつである。この二つは、現在、社会主義的潮流だとみとめられている。二つはたがいに激しい闘争をやっている。また、この二つはプロレタリアートの目に自分を真に社会主義的な学説だと見せようと努力している。そこで、これを研究し、たがいに対比してみることは、たしかに読者にとってずっと興味があるだろう。
 われわれは、「無政府主義」ということばが述べられると、いかにも見さげたようにそっぽを 」むき、手をふって、「なんの必要があってそんなことをするのだ、そんなことは口にする値うちもないじゃないか!」と言うような人間ではない。われわれは、こんな安直な「批判」はなんの価値もなく無用なものだ、と思っている。
 われわれは、無政府主義者は「大衆をもっていない、だから、そんなにおそろしくない」と言って、自分をなぐさめているような人間でもない。問題は、今日、大なり小なりの「大衆」が、だれについているか、ということではなく、――学説の本質いかんにある。もし無政府主義者の「学説」が真理をあらわすものであるなら、それはいうまでもなく、かならず自分の道をひらき、自分のまわりに大衆をあつめるだろう。もしそれがいわれがなくまちがった基礎のうえにきずかれているのであれば、ながつづきはしないで宙にうくだろう。だが、無政府主義がいわれのないものだということは、証明しなければならない。
 ある人々は、マルクス主義も無政府主義も同じ原理をもっている、この二つのもののあいだには戦術上の意見の不一致があるにすぎない、と考えている。そこで、彼らの考えでは、この二つの潮流をたがいに対比することはまったく不可能だ、というのである。
 だが、それは大きなまちがいである。
 われわれは、無政府主義者がマルクス主義のほんとうの敵だと考えている。したがって、われわれは、ほんとうの敵とはほんとうの闘争をしなければならないということをもみとめている。だから、無政府主義者の「学説」を、初めから終りまでしらべあげ、あらゆる面から根本的にはかりにかける必要がある。
 問題は、マルクス主義と無政府主義とが、二つとも社会主義の旗のもとに闘争の舞台に立ちあらわれているにもかかわらず、まったくちがった原理のうえにきずかれている、ということにある。無政府主義の土台石は個人であって、無政府主義の考えでは、個人の解放が大衆や集団を解放するためのもっとも重要な条件である。無政府主義の考えによると、大衆の解放は個人が解放されないうちは不可能である。そこで、無政府主義のスローガンは「すべては個人のために」である。マルクス主義の土台石はといえば大衆であって、マルクス主義の考えでは、大衆の解放が個人を解放するためのもっとも重要な条件である。すなわち、マルクス主義の考えでは、個人の解放は大衆が解放されないうちは不可能である。そこで、マルクス主義のスローガンは「すべては大衆のために」である。
 あきらかに、ここにあるのは、たがいに否定しあう二つの原理であって、戦術上の意見の不一致だけではない。
 われわれの論文の目的は、この二つの対立する原理をならべ、マルクス主義と無政府主義とをたがいにくらべて、そうすることによってこれらの長所と短所とをあきらかにすることである。そこで、われわれはこの論文の腹案をここで読者に知らせておくことが必要だと思う。
 われわれは、マルクス主義の特徴を述べることからはじめ、ついでに無政府主義者のマルクス主義観にふれ、それから無政府主義そのものの批判にうつることにしよう。つまり、われわれが説明するのは、弁証法的方法、この方法にたいする無政府主義者の見解とわれわれの批判。唯物論の理論、無政府主義者の見解とわれわれの批判(ここでは、社会主義革命、社会主義的独裁、最小限綱顕、および一般に戦術をも述べることになろう)。無政府主義者の哲学とわれわれの批判。無政府主義者の社会主義とわれわれの批判。無政府主義者の戦術と組織。――結びとして、われわれの結論を述べるであろう。
 われわれは、小共同体社会主義の説教者としての無敵府主義者がほんとうの社会主義者でないことを、論証することにつとめよう。
 われわれはまた、無政府主義者が、プロレタリアートの独裁を否定するかぎり、ほんとうの革命家でもないことを、論証することにつとめよう。……
 では、本題にはいろう。

 一 弁証法的方法

世界ではすべてのものが運動している。……事情は変化し、生産力は成長し、古い関係は崩壊する。
          K・マルクス(1b)


 マルクス主義は、社会主義の理論であるだけでなく、全一の世界観であり哲学体系であって、マルクスのプロレタリア的社会主義は、そのなかからひとりでに出てくるものである。この哲学体系は弁証法的唯物論と呼ばれる。
 だから、マルクス主義を説明することは弁証法的唯物論をも説明することである。
 なぜ、この体系は弁証法的唯物論と呼ばれるのか?
 それは、その方法が弁証法的であり、その理論が唯物論的だからである。
 弁証法的方法とはどんなものか?
 社会生活はたえまのない運動と発展との状態にある、といわれている。それはただしい。生活は、ある不変のもの、固定したものと考えてはならない。それは、けっして同じ水準にとどまっているものではなく、永久の運動のうちにあり、破壊と創造との永久の過程のうちにある。だから、生活にはいつでも、新しいものと古いもの、成長しつつあるものと死につつあるもの、革命的なものと反革命的なものとが、存在している。
 弁証法的方法は、生活を現実にあるがままに観察することが必要だ、と述べている。われわれは生活がたえまのない運動のうちにあることを見た。したがって、われわれは生活をその運動のうちに観察し、生活はどこにすすんでいるか、という問題を出さなければならない。われわれは生活がたえまのない破壊と創造との姿をあらわしていることを見た。したがって、われわれの義務は、生活をその破壊と創造とのうちに観察し、生活のうちでなにが破壊され、なにが創造されているか、という問題を出すことである。
 生活のうちでうまれ、日一日と成長しているものは、――うちかちがたく、その前進運動を停止させることはできない。すなわち、たとえば生活のうちで階級としてのプロレタリアートがうまれ、それが日一日と成長しているならば、プロレタリアートが今日どんなによわく、また少数であろうとも、結局はプロレタリアートはやはり勝利するだろう。なぜか? プロレタリアートが成長し、つよくなり、前進するからである。反対に、生活のうちで老いこみ、墓場にむかってすすんでいるものは、今日どんなに強力に見えていようとも、不可避的に敗北するにちがいない。すなわち、たとえばブルジョアジーが、しだいにその足場をうしない、日ごとにあともどりしているならば、彼らが今日どんなにつよく、また多数であろうとも、結局は彼らはやはり敗北するであろう。なぜか? それは、ブルジョアジーが階級として腐敗し、よわくなり、老いこみ、生活のよけいな重荷となりつつあるからである。
 ここからまた、つぎの名だかい弁証法的命題(2)がうまれてきた。すなわち、すべて現実に存在するもの、つまり日一日と成長するものは合理的であり、すべて日一日と腐敗するものは非合理的であり、したがって敗北をさけることができない、ということである。
 実例。前世紀の八〇年代に、ロシアの革命的インテリゲンツィアのあいだで大論争がおこった。ナロードニキ(3)は、「ロシアの解放」をひきうけることのできる主力は農村と都市との小ブルジョアジーである、と主張した。なぜか?――とマルクス主義者が彼らにたずねた。農村と都市との小ブルジョアジーが今日多数をしめていて、そのうえ彼らが貧乏で貧困のうちにくらしているからである、とナロードニキは言った。
 マルクス主義者はこたえた。農村と都市との小ブルジョアジーが今日多数をしめていること、彼らが実際にまずしいことは、そのとおりだが、しかし、はたして問題はそこにあるだろうか?と。小ブルジョアジーはすでにずっとまえから多数をしめているが、しかし、これまでプロレタリアートの助けをかりずには「自由の」ための闘争でどんなイニシアティヴを発揮したこともないのだ。それはなぜか? それは、小ブルジョアジーが、階級としては成長せずに、反対に、日一日と分解し、ブルジョアとプロレタリアとに分離してゆくからである。他方では、いうまでもなく貧乏ということは、ここでは決定的な意味をもっていない。「浮浪人」は小ブルジョアジーよりもまずしいが、彼らが「ロシアの解放」をひきうけることができるとは、だれも言わないであろう。
 ごらんのとおり、問題は、今日どの階級が多数をしめているか、または、どの階級がいっそうまずしいか、ということにはなく、どの階級がつよくなっているか、どの階級が腐敗しているか、ということにある。
 プロレタリアートは、たえまなく成長し、つよくなってゆき、社会生活を前進させ、自分のまわりにあらゆる革命的要素をあつめる、ただ一つの階級であるから、われわれの義務は、プロレタリアートを現代の運動の主力としてみとめ、プロレタリアートの隊列にくわわり、プロレタリアートの先進的な志向を自分の志向とすることである。
 このようにマルクス主義者はこたえた。
 あきらかに、マルクス主義者は生活を弁証法的に見た。ところが、ナロードニキは形而上学的に考えた、――彼らは社会生活を一点に固定したものとしてえがいた。
 弁証法的方法は、生活の発展をこのように見ている。
 だが、運動にもいろいろある。背骨をまっすぐにのばしたプロレタリアートが、兵器庫をおそい、反動に攻撃をくわえた「十二月事件(4)」のときのような、社会生活の運動があった。だが、プロレタリアートが、「平和的」発展の条件のもとで、個々のストライキや小さな労働組合の結成にとどまっていた、あの十二月事件以前の時代の運動もまた、社会運動と呼ばなければならない。
 あきらかに、運動にはいろいろの形態がある。
 だから、弁証法的方法は、運動には進化的形態と革命的形態との二つの形態がある、といっている。
 進歩的な要素が自然成長的にその日々の活動をつづけ、古い秩序のなかへ小さな量的変化をもちこむばあい、その運動は進化的である。
 また、進歩的な要素が結合し、単一の思想でつらぬかれ、古い秩序を根絶し、生活のなかに質的変化をもちこみ、新しい秩序をうちたてるために、敵の陣営におそいかかるばあい、その運動は革命的である。
 進化は、革命を準備し、革命のために地盤をつくりだすが、革命は、進化を完成し、そのひきつづく活動を促進する。
 同じような過程は自然の生活のうちにもおこっている。科学の歴史は、弁証法的方法が真に科学的な方法であることをしめしている。つまり、天文学から社会学にいたるまでのどの部門でも、世界には永久的なものはなにもなく、すべてのものは変化し、すべてのものは発展する、という思想が確認されている。したがって、自然のなかのすべてのものは、運動、発長の見地から観察されなければならない。そして、このことは、弁証法の精神が現代科学の全部をつらぬいているということを意味している。
 運動の形態についてみても、つまり、弁証法によると、小さな量的な変化が結局は大きな質的な変化をもたらすということについてみても、この法則は自然の歴史のばあいでも同じように適用される。メンデレーエフの「元素周期律」は、量的変化から質的変化が生じるということが自然の歴史のなかでどんな大きな意義をもっているかを、はっきりとしめしている。このことを生物学で立証しているのは新ラマルク主義の理論である。この理論にたいして新ダーウィン主義(5)は席をゆずりつつある。
 われわれは、F・エンゲルスが彼の著書『反デューリング論』のなかで十分完全にあきらかにした他の諸事実については、なにも述べないことにする。
 以上が弁認法的方法の内容である。

          *   *   *

 無政府主義者は弁証法的方法をどう見ているか?
 弁証法的方法の父祖がヘーゲルであったことは、だれでも知っている。マルクスはこの方法をあらいきよめ改善した。もちろん、この事情は無政府主義者にもわかっている。彼らはヘーゲルが保守主義者であったことを知っている。そこで、機会をとらえてヘーゲルを「王政復古」の支持者だとしてさんざんののしり、「ヘーゲルは、王政復古の哲学者であり、……絶対主義的な形態の官僚的立憲主義をほめたたえており、彼の歴史哲学の一般概念は、王政復古期の哲学的傾向に従属し、それに奉仕している」ことなどを熱心に「証明」している(『ノバチ(6)』第六号、ヴェ・チェルケジシヴィリの論文を見よ)。
 これと同じことを、有名な無政府主義者クロポトキンが彼の著書のなかで「証明」している(たとえば彼のロシア話の著書『科学と無政府主義』を見よ)。
 チェルケジシヴィリから、シャ・ゲにいたるまでのわがクロポトキン主義者は、声をそろえてクロポトキンの口まねをしている(『ノバチ』の各号を見よ)。
 なるほど、これについてだれも彼らと論争はしない。反対に、ヘーゲルが革命家でなかったことには、だれでも同意するだろう。ほかならぬマルクスとエンゲルスが、だれよりもはやく、彼らの『批判的批判の批判』〔『聖家族』〕のなかで、ヘーゲルの歴史観が根本的に人民の主権に対立していることを論証した。だが、それにもかかわらず無政府主義者は、ヘーゲルが「王政復古」の支持者であることを、あいかわらず「証明し」ているし、また、それを毎日毎日「証明する」ことが必要だと思っている。彼らはなんのためにそうするのか? たぶん、すべてこうしたやりかたで、ヘーゲルの信用をおとし、「反動主義者」ヘーゲルの方法もまた「いやらしい」非科学的なものでしかありえないということを、読者に感じさせるためであろう。
 このようなやりかたで、無政府主義者は弁証法的方法を論破しようと考えている。
 このようなやりかたでは、彼らは、自分自身の無学のほかにはなにものをも証明するものではない、とわれわれは断言する。パスカルとライプニッツは革命家ではなかったが、彼らの発見した数学的方法は、今日、科学的方法としてみとめられている。マイヤーとへルムホルツは革命家ではなかったが、物理学の領域での彼らの発見は科学の基礎となった。ラマルクとダーウィンもまた革命家ではなかったが、彼らの進化論的方法は生物学をひとりだちさせた。……だとすれば、ヘーゲルの保守主義にもかかわらず、彼ヘーゲルが弁証法的といわれる科学的方法を仕上げることができた事実を、なぜみとめてはいけないのだろうか?
 しかり、こんなやりかたでは無政府主義者は、自分の無学のほかにはなにものをも証明するものではない。
 さきへすすもう。無政府主義者の考えでは、「弁証法は形而上学である」。ところで、彼らは「科学を形而上学から、哲学を神学から解放することをのそんでいる」のであるから、彼らはまた弁証法的方法を排斥するわけである(『ノバチ』第三号と第九号のシャ・ゲを見よ。またクロポトキンの『科学と無政府主義』をも見よ)。
 なんという無政府主義者だ! ことわざのように「自分の頭痛をひとのせいにする」ものだ。弁証法は、形而上学との闘争のなかで成熟し、この闘争で自分の名声をかちえたのだが、無政府主義者の考えでは、弁証法は形而上学だということになるのだ!
 弁証法はいう、世界には永久的なものはなに一つない、世界では、すべてのものが暫存的で可変的であり、自然が変化し、社会が変化し、道徳、風俗が変化し、正義の概念が変化し、真理そのものが変化する、――だから、弁証法はすべてのものを批判的に見る。だから、それは、ただいちど確立されるとそれきりという真理を否定し、したがって、それは、「いちど見いだされたら、あとはただ暗記していさえすればよいというような」抽象的な「教条的な命題」をも否定する(F・エンゲルス『フォイエルバッハ論』〔第一五巻四三〇ページ〕を見よ)。
 だが、形而上学は、これとはまったくちがったことをわれわれにいっている。形而上学にとっては、世界は永久的なもの、不変のものである(F・エンゲルス『反デューリング論』を見よ)、世界は、だれかによって、またはなにものかによって、ただいちど規定されるとそれきりのものである、――だから、形而上学者はいつでも「永久の正義」や「不変の真理」ということをロにする。 .
 無政府主義者の「父祖」たるプルードンは、世界にはいちど規定されるとそれきりの不変の正義が存在していて、それが未来の社会の基礎とならなければならない、と言っている。そのためにプルードンは形而上学者と呼ばれるのである。マルクスは弁証法的方法の助けによってプルードンとたたかい、世界のすべてのものが変化する以上「正義」もまた変化しなければならず、したがって「不変の正義」とはまさに形而上学的なたわごとであることを論証した(K・マルクス『哲学の貧困』を見よ)。ところが形而上学者プルードンのグルジアにいる弟子どもは、われわれにむかって「マルクスの弁証法は形而上学だ」とくりかえしている!
 形而上学は、たとえば「認識できないもの」、「物自体」というような、いろいろのあいまいな教条《ドグマ》をみとめ、そして結局は中味のない神学にうつってゆく。プルードンとスペンサーに対立して、エンゲルスは弁証法的な方法の助けによってこのようなドグマとたたかった (『フォイエルバッハ論』を見よ)。だが、プルードンやスペンサーの弟子である無政府主義者たちは、プルードンとスペンサーは学者であるが、マルクスとエンゲルスは形而上学者だ! とわれわれに言っている。
 無政府主義者たちが、自分で自分をあざむいているのか、それとも自分の言っていることがわからないのか、二つに一つである。
 どっらにしても、無政府主義者が、ヘーゲルの形而上学的体系と彼の弁証法的方法とをごっちゃにしていることは、うたがいない。
 不変の理念に立脚しているヘーゲルの哲学体系が一貫して形而上学的であることは、いうまでもない。だが、あらゆる不変の理念を否定するへーゲルの弁証法的方法が一貫して科学的であり革命的であることもまた、あきらかである。
 だから、ヘーゲルの形而上学的哲学体系を破壊的な批判にかけたマルクスは、それと同時に彼の弁証法的方法をほめたたえたのであって、この弁証法的方法は、マルクスのことばによると、「なにものにも威伏させられることなく、その本質上、批判的であり、革命的である」(『資本論』第一巻、第二版あとがきを見よ)。
 だからエンゲルスは、ヘーゲルの方法と彼の体系とのあいだにある大きな違いを見いだしたのである。「ヘーゲルの体系に重点をおいたものは、この〔宗教と政治の〕どちらの分野でもかなり保守的でありえた。だが、弁証法的な方法に重要性をみとめたものは、宗教的にも政治的にも極端な反対派に属することができた。」(『フォイエルバッハ論』〔第一五巻四三六ページ〕を見よ)
 無政府主義者は、この違いを見おとして、かるがるしく「弁証法は形而上学だ」とくりかえしている。
 さきへすすもう。無政府主義者は、弁証法的方法が「まやかし論」であり、「詭弁の方法」であり、「論理のうえでの命がけのとんぼがえり」であり(『ノバチ』第八号、シャ・ゲを見よ)、「その助けをかりると真理も虚偽も同じように手がるに証明される」(『ノバチ』第四号、ヴェ・チェルケジシヴィリの論文を見よ)と言う。
 このように、無政府主義者の意見では、弁証法的方法は真理も虚偽も同じように証明するわけである。
 ちょっと見たところでは、無政府主義者の提起した非難には根拠がなくはないように見えるかもしれない。たとえば、エンゲルスが、形而上学的方法の追随者のととを、つぎのように言っているのをきいてみよう。
 「……彼らのことばは、『しかりしかり、いないな、これに過ぐるは悪よりいずるなり』である。彼らにとっては、あるものは存在するかしないかのどちらかである。つまり、それ自身であると同時に他のものであることはできないのだ。肯定と否定とは絶対に相排斥する。……」 (『反デューリング論』序説〔第一四巻九三ページ〕を見よ)
 どうしてそうなんだ!――と無政府主義者はいきりたって言う、――同じ対象が同時によくもありわるくもあるということが、はたしてありうるだろうか? これは、「詭弁」であり、「だじゃれ」であり、「君は真理も虚偽も同じように手がるに証明したがっている」ということになるではないか!……
 だが、問題の本質をよく考えてみよう。
 今日、われわれは民主共和国を要求している。われわれは、民主共和国が、あらゆる点でよいとか、あらゆる点でわるいとか、言うことができようか? いや、できない! なぜか? それは、民主共和国が封建制度を破壊するという一面から見たときだけはよいが、しかしそのかわり、それがブルジョア制度をかためるという他の面から見るときはわるいからである。だから、われわれもまたこう言うのだ。すなわち、民主共和国が封建制度を破壊するかぎり、それはよく、われわれもまた、そのためにたたかうが、しかし、それがブルジョア制度をかためるかぎり、それはわるく、われわれもまた、これに反対してたたかうのである、と。
 同じ民主共和国が、同時に「よく」もあり「わるく」もある、つまり「しかり」でもあり「いな」でもある、ということになる。
 八時間労働制についてもこれと同じことを言うことができる。八時間労働制は、プロレタリアートをつよめるかぎり「よく」、それと同時に賃労働制をつよめるかぎり「わるい」のである。
 エンゲルスが右にあげたことばで弁証法的方法を特徴づけたとき、彼はほかならぬこのような事実を心にとめていたのである。
 無政府主義者はこのことを理解しなかった。そして、まったくはっきりした思想が彼らにはあいまいな「詭弁」だと思われた。
 もちろん、これらの事実に注意しようがしまいが、それは無政府主義者のかってである。彼らは、砂浜に立っていながら砂に気づかないことさえありうるのだ。――それは彼らの権利である。しかし、このさい、ここで問題となっているのは、弁証法的方法なのである。それは、無政府主義とはちがって、目をとじて生活を見るようなことはしないで、生活の脈搏にふれ――生活が変化し運動している以上、あらゆる生活現象には積極的傾向と消極的傾向との二つの傾向があって、われわれは、そのうちの前者を擁護し、後者をしりぞけなければならないということを、はっきりと言うのである。
 さらに、さきへすすもう。わが無政府主義者の考えによれば、「弁証法的発展とは激変的な発展であって、それにしたがえば、まず過去がすっかり破壊され、つぎに、まったくこれとは独立に未来が確立される、……キュヴィエの天変地異説(7)は未知の原因によってうまれたが、マルクスとエンゲルスの激変は弁証法によってうまれる。」(『ノバチ』第八号、シャ・ゲを見よ)
 他のところで同じ筆者は、「マルクス主義はダーウィン主義にもとづいており、これを無批判的にあつかっている」(『ノバチ』第六号を見よ)と書いている。
 これは注意してほしい!
 キュヴィエはダーウィン的進化を否定している。彼は天変地異をみとめるだけである。ところで、天変地異は「未知の原因によってうみだされる」不意の爆発である。無政府主義者は、マルクス主義者がキュヴィエ説に味方をし、したがってダーウィン主義をしりぞけている、と言っている。
 ダーウィンは、キュヴィエの天変地異を否定し、漸次的進化をみとめている。ところが、無政府主義者は、「マルクス主義がダーウィン主義にもとづいており、これを無批判的にあつかっている」、つまりマルクス主義者がキュヴィエの天変地異を否定している、と言うのだ。
 一言でいえば、無政府主義者は、マルクス主義者がキェヴィエの説の味方をしているといって責め、それと同時に、マルクス主義者がキュヴィエではなくダーウィン説の味方をしているといってしかるのである。
 なるほど、これは無政府だ! ことわざに、下士官の後家は自分で自分をひっぱたく、と言っている! あきらかに、『ノバチ』第八号のシャ・ゲは第六号のシャ・ゲが言ったことをわすれたのだ。
 第八号と第六号のどちらがただしいのか?
 事実にかえろう。マルクスは言う。
 「社会の物質的生産力は、その発展のある段階で、……現存の生産関係と、あるいは同じことの法律的表現にすぎないが、所有関係と、矛盾するようになる。……そのときに、社会革命の時代がはじまる。」だが、「一つの社会構成体は、それがいれうるだけのすべての生産力が発展しきるまではけっして没落するものではない。……」(K・マルクス『経済学批判』序言〔補巻3、三―四ページ〕を見よ)
 マルクスのこのテーゼを現代の社会生活に適用するならば、社会的性格をおびている現代の生産力と、私的性格をおびた生産物の領有形態とのあいだに、社会主義革命におわらざるをえないような根本的衝突が存在している、ということになる(F・エンゲルス『反デューリング論』第三篇、第二章を見よ)。
 ごらんのように、マルクスとエンゲルスの考えでは、革命をうみだすのは、キュヴィエの「未知の原因」ではなく、「生産力の発展」と呼ばれるまったく特定の主要な社会的原因である。
 ごらんのように、マルクスとエンゲルスの考えでは、革命がおこなわれるのは、生産力が十分に成熟したときだけであって、キュヴィエが考えたように不意にではない。
 あきらかに、キュヴィエの天変地異とマルクスの弁証法的方法とのあいだには、すこしも共通点はない。
 他方では、ダーウィン主義は、キュヴィエの天変地異をしりそげるだけでなく、革命をふくむ弁証法的に理解された発展をもしりそげる。ところが、弁証法的方法の見地から見れば、進化と革命、量的変化と質的変化は、同じ運動の二つの必然的な形態なのである。
 あきらかに、「マルクス主義が……ダーウィン主義を無批判的にあつかう」と主張することもまたできない。
 『ノバチ』は、第六号でも、また第八号でも、二つのばあいともまちがっているということになる。
 最後に、無政府主義者は、「弁証法は……それ自身からそとへ出たり、または飛びでる可能性も、自分自身を飛びこえる可能性も、あたえない」と言って、われわれを責めている(『ノバチ』第八号、シャ・ゲを見よ)。
 なるほど、無政府主義者諸君、それはまったくの真理だ、尊敬すべき諸君よ、諸君の言うことは、その点でまったくただしい。弁証法的方法は、実際そんな可能性をあたえないだろうから。だが、なぜあたえないのだろうか? つまり、「自分白身のそとへ飛びだしたり、自分を飛びとえる」のは野生のやぎのすることであって、弁証法的方法というものは人間のためにつくられたのだからである。
 ここに秘密がある!……
 以上が、だいたい、弁証法的方法にたいする無政府主義者の見方である。
 あきらかに、無政府主義者は、マルクスとエンゲルスの弁証法的方法を理解しなかったのである、……彼らは、彼ら独特の弁証法をでっちあげて、その弁証法と容赦なくたたかっている。
 こういう見せものを見ていると、われわれはただわらうほかはない。というのは、人間が彼白身の幻想とたたかい、彼自身のでっちあげたものを粉砕し、それと同時に彼が相手を粉砕したのだと湯気をたてて断言しているのを見ると、どうしてもわらわずにはおれないからである


 二 唯物論の理論

「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、逆に、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。」
          K・マルクス


 弁証法的方法については、われわれはもう知っている。
 唯物論の理論とはどんなものか?
 世界のすべてのものは変化する。生活のなかのすべてのものは発展する。だが、この変化はどのようにしておこり、この発展はどのような形でおこなわれるだろうか?
 われわれは、たとえば地球がかつては赤熱した火のかたまりであり、つぎに徐々に冷却し、つぎに植物と動物が発生し、動物界の発展にともない、一定の種の猿が出現し、そののち、これらすべてのことにつづいて人類が出現した、ということを知っている。
 自然の発展は、だいたい、このようにしておこったのである。
 われわれは、社会生活もまたひとところにとどまらなかったことを知っている。人間が原始共産主義を基礎として生活した時代があった。その当時、彼らは、原始的な狩猟によって、その生活を維持し、森林をさまよって、自分の食物を採取した。原始共産主義が母権制にとってかわられるときがやってきた、――そのころ人間は彼らの要求をおもに原始的農業によってみたした。つぎに、母権制は父権制にとってかわられた。父権制のもとでは人間はおもに牧畜によってその生活を維持した。つぎに、父権制は奴隷制にとってかわられた、――このとき人間はややいっそう発達した農業によってその生活を維持した。奴隷制のつぎには農奴制がつづき、これらすべてのあとにブルジョア制度がやってきた。
 社会生活の発展は、だいたい、このようにしておこったりである。
 そうだ、こういうことはみなよくわかっている。……だが、この発展はどのようにしておこなわれたか、意識が「自然」と「社会」の発展をひきおこしたのか、それとも逆に、「自然」と「社会」の発展が意識の発展をひきおこしたのか?
 唯物論の理論は、問題をこのように提起している。
 ある人々はこう言っている、「自然」や「社会生活」には、あとでそれらの発展の基礎となった世界理念が先行していた、だから、「自然」や「社会生活」の現象の発展は、世界理念の発展の、いわば外的形態であり、たんなる表現なのである、と。
 これが、たとえば観念論者の学説であって、それは時とともにいくつかの潮流にわかれた。
 ほかの人々はこう言っている、世界には最初から、たがいに否定しあう二つの力、すなわち、観念と物質、意識と存在があり、これに応じて現象もまた、たがいに否定し、たがいにたたかいあう観念的系列と物質的系列との二系列にわかれるのであって、そこで自然と社会の発展は、観念的現象と物質的現象とのあいだのたえまのない闘争である、と。
 これが、たとえば二元論者の学説であって、これは時とともに、観念論者と同じように、いくつかの潮流にわかれた。
 唯物論の理論は、二元論もまた観念論をも根本的に否定する。
 もちろん、世界には観念的現象も物質的現象も存在しているが、それはけっして、この二つのものがたがいに否定しあうという意味ではない。逆に、観念的な方面と物質的な方面は同じ一つの自然また社会の二つのちがった形態であって、一方なしの片方というものを考えることはできない。それらのものは、いっしょに存在し、いっしょに発展している。したがって、これがたがいに否定しあうと考える理由は、われわれにはすこしもない。
 このように、いわゆる二元論はなりたたないことがわかる。
 物質的形態と観念的形態との、二つのちがった形態に表現された単一不可分の自然、物質的形態と観念的形態との、二つのちがった形態に表現される単一不可分の社会生活、――われわれは、自然と社会生活との発展を、このように見るべきである。
 これが、唯物論の理論の一元論である。
 それと同時に、唯物論の理論は観念論をも否定する。
 観念的方面、一般的にいって意識が、その発展のうえで物質的方面の発展に先行する、というような考えは誤りである。まだ生物が存在しなかったときでも、いわゆる外界の「無生の」自然はすでに存在していた。最初の生物はすこしも意識をそなえておらず、それがそなえていたのは刺激を感受する性質と感覚の最初の萠芽だけであった。そののち動物には、しだいに感覚能力が発達し、動物の生体構造と神経系統の発達にともなって、それが徐々に意識にかわっていった。もし狼がいつまでも四つんばいをしていたならば、もしそれが背をまっすでにのばさなかったならば、その子孫である人間は、肺と声帯を自由に利用することができなかったであろうし、したがって言語をあやつることができなかったことであろう。このことは、人間の意識の発展を根本からおくれさせたことであろう。あるいはさらに、もし猿が後足で立たなかったなら、その子孫たる人間は、いつも四つんばいをして、下のほうをながめ、彼の印象を下のほうからくみとらなければならないことになる。彼は、上のほうと自分のまわりを見る可能性がなく、したがって四足獣がもっている以上の印象を自分の脳にあたえる可能性もなかったことであろう。これはみな、人間の意識の発展を根本的におくれさせたであろう。
 意識が発展するには、あれこれの生体構造やその神経系統の発展が必要だということになる。
 概念的方面の発展、意識の発展には、物質的方面の発展、外的条件の発展が先行する。はじめに外的条件が変化し、はじめに物質的方面が変化し、つぎに、これに応じて、意識が、観念的方面が変化する、ということになるのである。
 このように、自然の発展史は、いわゆる観念論を根本からくつがえしている。
 人間社会の発展史についても、これと同じことを言わなければならない。
 歴史のしめすところによると、時代がちがうにしたがって人間がちがった思想と願望をもつとすれば、その原因は、時代がちがうにしたがって人間はその欲望をみたすためにちがったやりかたで自然とたたかい、これに応じて彼らの経済関係がちがったやりかたで形成された、ということにある。人間が共同で原始共産主義を基礎として自然とたたかった時代があった。そのときは彼らの所有も共産主義的であり、だから彼らは、その当時は「自分のもの」と「おまえのもの」をほとんど区別せず、彼らの意識は共産主義的であった。生産のなかに「自分のもの」と「おまえのもの」との区別がはいりこむ時代がやってきた、――すると所有も私的な個人的な性格をもち、したがって人間の意識が私的所有の感情にそまるようになった。生産があたらしく社会的性格をもち、したがって所有もまたまもなく社会的性格をもつようになる時代、すなわち現代がやってきている、――そして、まさにそれゆえに人間の意識がしだいに社会主義にそまるようになる。
 つぎに簡単な一例。ちっぽけな仕事場をもっているが、大経営との競争にたえられないで仕事場をしめてしまい、たとえばチフリスのアデリハノフ靴工場にやとわれた靴工を想像してみたまえ。彼はアデリハノフ工場にはいったが、それは、永久的に賃金労働者になるためではなく、金をため、小資本をため、あとでまた自分の仕事場を再開する目的である。ごらんのように、この靴工の状態はすでにプロレタリア的になっているが、彼の意識はいまのところまだプロレタリア的でなく、ねっから小ブルジョア的である。いいかえれば、この靴工の小ブルジョア的状態は、もはや消失し、もうなくなっているが、彼の小ブルジョア的意識はまだ消失せず、それは実際の状態よりも立ちおくれたのである。
 あきらかに、この社会生活のばあいでも、まず外的条件が変化し、まず人間の状態が変化し、つぎに、これに応じて彼らの意識が変化する。
 だが、われわれの靴工に話をもどそう。すでにわれわれの知っているように、彼は、金をためて、まとで仕事場をひらくつもりであった。プロレタリア化した靴工は、労働してみて、金をためることはたいへんむずかしい、なぜなら賃金はようやく生計をみたすにもたらないからだ、ということがわかる。そのうえ、個人の仕事場をひらくことが、もうそれほど魅力がなくなり、場所代、お客の気まぐれ、金づ事り、大経営の競争、その他こうしためんどうなことが、どんなに個人職人をなやますか、ということに気がつく。ところで、プロレタリアは、こうした心配から比較的に自由であり、お客も場所代も彼をなやまさない。彼は朝、工場にゆき、夕方「しずかに」退出し、土曜日には同じように「しずかに」給料をふところにいれる。ここではじめてわが靴工の小ブルジョア的な夢の翼が切りとられ、ここではじめて彼の心にはプロレタリア的な志向がうまれる。
 時かたち、わが靴工は、必需品を買うにも金がたりず、貸金をひきあげることがなにより必要なことがわかる。それと同時に、彼は、仲間たちが組合やストライキのようなことの相談をしていることに気づく。ここでわが靴工は、自分の状態を改善するために必要なことは、経営者とたたかうことであって、自分の仕事場をひらくことではないことを自覚する。彼は、組合に加入し、ストライキ運動にはいり、まもなく社会主義思恕に同化される。……
 このようにして、靴工の物質的状態の変化につづいて結局は彼の意識の変化がおこった。すなわち、まずはじめに、彼の物質的状態が変化し、それから、しばらくたってから、これに応じて彼の意識もまた変化した。
 これと同じことを、階級についても社会全体についても言わなければならない。
 社会生活においてもまず外的条件が変化し、まず物質的条件が変化し、つぎに、これに応じて、人聞の思惟、彼らの気風、習慣、彼らの世界観が変化する。
 だから、マルクスはつぎのように言っている。
 「人間の意識が彼らの存在を規定するのではなくて、逆に、彼らの社会的存在が彼らの意識を規定するのである。」〔『経済学批判』補巻3、三ページ〕
 もしわれわれが、物質的な方面、外的条件、存在、その他このような現象を内容と呼ぶならば、観念的な方面、意識その他これと同じような現象を形態と呼んでもよいだろう。そこから、発展過程では、内容が形態に先行し、形態は内容よりも立ちおくれるという、有名な唯物論の命題かうまれた。
 マルクスの考えによると、経済的発展が、社会生活の「物質的基礎」であり、その内容であり、法律的=政治的・宗教的=哲学的発展が、この内容の「イデオロギー的形態」でありその「上部構造」なのであるから……マルクスは「経済的基礎の変化とともに、巨大な全上部構造が、おそかれはやかれ急速に、変革される」と結論している〔『経済学批判』補巻3、三ページ〕。
 もちろん、こう言ったからとて、マルクスの考えではシャ・ゲが夢みているように(『ノバチ』第一号『一元論批判』を見よ)、形態のない内容がありうるなどという意味ではけっしてない。形態のない内容はありえないが、問題は、あれこれの形態が、その内容から立ちおくれるために、この内容に完全に照応することがけっしてない、ということにある。このようにして、新しい内容が一時は古い形態をまとわ「ざるをえない」が、このことは、これらの〔内容と形態との〕あいだに衝突をひきおこす。現在、たとえば私的性格をもつ生産物領有形態は生産の社会的内容にたいして照応していない。そして、まさにこれを地盤として現代の社会的「衝突」がおこっているのである。
 他方では、意識が存在の形態である、という思想は、意識がその性質上同じ物質である、というような意味ではけっしてない。こういうふうに考えたのは俗流唯物論者(たとえばビュヒナーやモレショット)だけであって、彼らの理論はマルクスの唯物論と根本的に矛盾し、彼らのことをエンゲルスは、『フォイエルバッハ論』のなかで正当にもあざわらった〔第一五巻四五二ページ〕。マルクスの唯物論によれは、意識と存在、観念と物質は、一般的にいって自然または社会と呼ばれる同じ現象の二つのちがった形態である。だから、これらのものは、たがいに否定しあうものでなく〔*〕、それと同時に、同じ現象でもない。問題は、自然と社会との発展のうえで、意識、すなわちわれわれの頭脳のなかでおこなわれることには、これに照応する物質的変化、すなわちわれわれの外部でおこなわれるものが先行するということ、――あれこれの物質的変化には、おそかれはやかれ、これに照応する観念的変化が不可避的につづくということに、あるにすぎない。
〔*〕 このことは、形態と内容とのあいだには衝突があるという思想とはけっして矛盾しない。問題は、衝突が、一般的にいって内容と形態とのあいだではなくて、古い形態と、新しい形態をもとめそれをめがけてすすんでいる新しい内容とのあいだにある、ということにある。

 なるほど、と人々はわれわれに言うだろう、それは自然と社会の歴史のうえではいかにもただしいかもしれない。だが、どうして現在、いろいろの表象や観念がわれわれの頭脳のうちにうまれてくるのであろうか? いわゆる外的条件が現実に存在しているのか、それとも、これらの外的条件にかんするわれわれの表象が存在するにすぎないのか? もし外的条件が存在するとしたら、それの知覚と認識はどの程度に可能であろうか?
 これについて唯物論の理論は、われわれの表象、われわれの「自我」は、われわれの「自我」のなかに印象をひきおこす外的条件が存在するかぎりでしか存在しない、という。われわれの表象のほかにはなにも存在しない、とかるがるしく言うものは、いっさいがっさい外的条件を否定し、したがって、自分の「自我」だけの存在をみとめながら、ほかの人間の存在を否定せざるをえない。これは、はかばかしいことであり、根本から科学の原則に反している。
 あきらかに、外的条件は現実に存在している。これらの条件は、われわれ以前に存在していたし、われわれ以後にも存在するであろう。このばあい、それがわれわれの意識にはたらきかける度数が多ければ多いほど、また強ければ強いほど、その知覚と認識は、おそらくそれだけ容易になるだろう。
 どのようにしてわれわれの頭脳にいろいろの表象と観念とが現在うまれてくるのか、ということについていえば、自然と社会との歴史のうちにおこるのと同じことがここでも手みじかにくりかえされることを、われわれはみとめなければならない。このばあいにも、われわれの外部にある対象は、この対象にかんするわれわれの表象に先行し、このばあいにも、われわれの表象、形態は、対象から――その内容から、立ちおくれる。私が木をながめ、それが木だとわかるとすると、そのことは、私の頭脳のなかに木の表象がうまれるにさきだって、木そのものが存在し、それが、これに照応する表象を私のなかに呼びおこしたのだ、ということを意味するにほかならない。……
 以上が、手みじかにいってマルクスの唯物論の理論の内容である。
 唯物論の理論が人間の実践活動にとってどんな意味をもたなければならないか、ということは、理解しにくいことではない。
 もし、はじめに経済的条件が変化し、つぎにこれに応じて人間の意識が変化するものであれば、われわれが、人間の頭脳や彼らの空想のなかではなく、彼らの経済的条件の発展のなかに、あれこれの理想の土台をもとめなければならないことは、はっきりしている。経済的条件の研究にもとづいてつくりだされた理想だけがよいものであり、また受けいれうるものである。経済的条件を考慮せず、その発展にもとづかない理想は、すべて役にたたず、また受けいれられない。
 これが、唯物論の理論の第一の実践的結論である。
 もし、人間の意識、彼らの気風と習慣とが、外的条件によって規定されるとすれば、また法律的=政治的形態が役にたたなくなるわけが経済的内容にあるものとすれば、経済関係とともに民衆の気風や習慣と彼らの政治制度が根本的にかわるようにするには、われわれが経済関係の根本的改造を促進しなければならないことが、あきらかとなる。
 これについて、カール・マルクスはこう言っている。
 「……この唯物論が必然的に社会主義につながることを見ぬくのには、なにもたいした洞察力を必要としない。もし人間がそのいっさいの知識や感覚やその他を感覚界から……つくりだすのだとすると、人間がその経鹸の世界を整理して、この世界で真に人間的なものを経験し、また自己を真に人間として経験する習慣をもつようにすることは、それゆえに、はなはだたいせつなことになる。……もし人間が唯物論的な意味で不自由であるならば、いいかえれば、人間があれこれをさけうる消極的な力のゆえにではなく、その真の個性を発揮する積極的な力のゆえに、自由であるのならば、人は、個々人についてその犯罪を罰すべきではなく、かえって犯罪のおこる反社会的な発生場所をうちこわさなければ……ならぬ。人間がその環境によってつくられるものであるとすれば、人はその環境を人間的に形成しなければならない。」(『フォイエルバッハ論』付録、『一八世紀フランス唯物論にかんするK・マルクスの記述』〔補巻5、三五五―五六ページ)を見よ)
 これが、唯物論の理論の第二の実践的結論である。

          *   *   *

 無政府主義者は、マルクスとエンゲルスの唯物論の理論をどう見ているか?
 弁証法的方法がへーゲルにはじまるとすれば、唯物論の理論はフォイエルバッハの唯物論の発展である。このことは無政府主義者もよく知っていて、彼らは、マルクスとエンゲルスの弁証法的唯物論をわるく言うために、ヘーゲルとフォイエルバッハの欠陥を利用しようとつとめている。ヘーゲルと弁証法的方法とについては、われわれはすでに、無政府主義者のこのような策略が彼ら自身の無知のほかになにものも証明することができないことを指摘した。フォィエルバッハと唯物論の理論にたいする彼らの攻撃についても、これと同じことを言わなければならない。
 たとえば、こうだ。無政府主義者は自信たっぷりで、われわれにむかってこう言っている、
「フォイエルバッハは汎神論(8)者であった……」、彼は「人間を神化した……」(『ノバチ』第七号、デ・デレンヂを見よ)、「フォイエルバッハの意見によると、人間は彼がたべる《エスト》ところのものである《エスチ》(9)。……」それにもとづいてマルクスは、「したがって、経済状態がもっとも主要な第一のものである」という結論をくだしたかのようである(『ノバチ』第六号、シャ・ゲを見よ)、と。
 なるほど、フォイエルバッハの汎神論につき、彼の人間神化につき、その他このような彼の誤りについて、だれひとりうたがうものはない。反対に、マルクスとエンゲルスはフォイエルバッハの誤りをあばいた最初の人である。だが、無政府主義者は、それにもかかわらず、すでに暴露ずみの誤りをあらたに「暴露する」ことを必要だと考える。なぜか? たぶん、フォイエルバッハをののしることによって、遠まわしにマルクスとエンゲルスの唯物論の理論をわるく言いたいからなのであろう。もちろん、われわれが公平に問題を見るならば、フォイエルバッハには、歴史上多くの学者のばあいにそうであったように、まちがった思想とならんでただしい思想もあったことを、たしかに見いだすだろう。だが、それなのに無政府主義者は、「暴露し」つづけている。 ……
 このような策略によって、彼らは、自分自身の無知のほかになに一つ証明できないだろうということを、いまいちど助言しよう。
 無政府主義者が(あとでわれわれが見るように)すこしもその知識をもたないで、ききかじりにもとづいて唯物論の理論を批判しようと思いついていたのは、興味がある。その結果、彼らはしばしば、たがいに矛盾したことを言い、たがいに反駁しあうのであるが、このことはいうまでもなく、わが「批判家たち」を、ものわらいのまとにしている。たとえばである。チェルケジシヴィリ氏の言うことに耳をかたむけるならば、マルクスとエンゲルスは一元論的唯物論をきらい、彼らの唯物論は俗流唯物論であって一元論的唯物論ではなかった、ということになる。
 「博物学者の偉大な科学とその進化論体系、変態論、一元論的唯物論は――エンゲルスがあれほどひどくきらったものだが……弁証法をさげたのである」うんぬん(『ノバチ』第四号、ヴェ・チェルケジシヴィリを見よ)。
 チェルケジシヴィリが是認しエンゲルスが「きらった」自然科学的唯物論は、一元論的唯物論であった。したがって、それは是認にあたいする。だが、マルクスとエンゲルスの唯物論は一元論的ではなく、もちろん承認にあたいしない、ということになる。
 別の無政府主義者は、マルクスとエンゲルスの唯物論が一元論的であって、それだから排斥にあたいする、と言う。
 「マルクスの歴史概念は、ヘーゲルの隔世遺伝《アタヴィズム》である。一般的には絶対的客観主義の一元論的唯物論と、特殊的にはマルクスの経済的一元論は、自然のなかではありえないものであり、理論ではあやまっている。……一元諭的唯物論は、正体をかくしそこれた二元論であり、形而上学と科学の妥協である。……」(『ノバチ』第六号、シャ・ゲを見よ)
 一元的論唯物論は許容できない、マルクスとエンゲルスはこれをきらわないで、逆に彼ら自身が一元論的唯物論者であった、――だから一元論的唯物論は排斥しなければならない、というこ
とになる。
 各人各説だ! 前者と後者と、どちらがほんとうのことを言っているのか、はっきりさせてもらいたい! マルクスの唯物論の長所と短所について、たがいのあいだでさえまだ意見がまとまっていない。マルクスの唯物論が一元論的であるのかどうかでさえまだわかっていない。俗流唯物諭と一元論的唯物論と、どちらがよけい許容できるのかさえまだはっきりしていない。――それなのに、自分たちはマルクス主義を粉砕したと、われわれの耳もろうするばかりに大言壮語しているのだ!
 そうだ、そうだ。もし無政府主義者諸君が、こんどもたがいに相手の見解をこのように熱心にやっつけるようであれは、未来が無政府主義者のものであることは、いうまでもなかろう。……
 ある「有名な」無政府主義者たちが、その「有名さ」にもかかわらず、科学上のいろいろの傾向のことをまだ知っていないという事実も、これにおとらずこっけいなことである。彼らは、科学にはいろいろの種類の唯物論があり、それがたがいにたいへんちがっていて、たとえば、観念的方面がもっている意味とそれが物質的方面に作用をおよぼすこととを否定する俗流唯物論もあれば、観念的方面と物質的方面の相互関係を科学的に観察する、いわゆる一元論的唯物論――マルクスの唯物論の理論――もあることを知らないらしい。ところが、無政府主義者は、これらのいろいろの種類の唯物論をごっちゃにし、だれの目にもはっきりしている区別さえわからないのだ。しかも、それと同時に、自分たちは科学を再興しているのだ、と自信たっぷりで公言している!
 たとえば、こうだ。ペ・クロポトキンは彼の「哲学的」著作のなかで、「共産主義的無政府主義は、現代の唯物論哲学」に立脚している、と自信ありげに公言している。ところが、彼は、共産主義的無政府主義がどんな「唯物論哲学」に立脚しているのか、俗流唯物論なのか、一元論的唯物論なのか、それともなにかほかの唯物論なのか、一言も説明していない。彼はあきらかに、唯物論のいろいろの潮流のあいだに根本的な矛盾があることを知らず、これらの潮流をたがいにごっちゃにすることが、「科学を再興する」ことを意味するのではなくて、まったくの無知をさらすものだ、ということがわからない(クロポトキン『科学と無政府主義』と『無政府とその哲学』を見よ)。
 これと同じことを、グルジアにいるクロポトキンの弟子についても言わなければならない。ちょっときいてほしい。
 「エンゲルスの考えによると、またカウツキーの考えによっても、マルクスが人類に大きな貢献をしたのは、彼が……」、とりわけ「唯物論的な考えかた」を発見したからだ、と言う。「それはほんとうであろうか? そうは思わない。なぜなら、われわれは、社会の機構が、地理的・気象的=地球的・宇宙的・人類学的・生物学的条件によって運動させられるという考えをもつ、すべての歴史家、学者、哲学者は――みな唯物論者だ、ということを知っているからだ。」(『ノバチ』第二号を見よ)
 アリストテレスの「唯物論」とドルバックの「唯物論」とのあいだに、またはマルクスの「唯物論」とモレショットの「唯物論」とのあいだには、なんの区別もないということになる! これが批判だそうだ! このような認識をもった人々が科学の再興をくわだてたのだ! 「靴屋がまんじゅうをこさえだしたら災難だ!……」というのはもっともである。
 さらにまた、わが「有名な」無政府主義者たちは、マルクスの唯物論は「胃の腑の理論」だということをどこかで耳にして、われわれマルクス主義者を非難してこう言っている。
 「フォイエルバッハの考えによると、人間は彼のたべる《エスト》ところのものである《エスチ》。この定式はマルクスとエンゲルスに魔術のような作用をおよぼした。そのためマルクスは、『経済状態、生産諸関係が、もっとも主要な、第一のものである……』と結論した。」 つぎに無政府主義者は、われわれにむかって哲学的に説教をする。「たべることと経済的生産がこの目的(社会生活)をはたすただ一つの手段であるということは、まちがいであろう。……もし、主として、一元的に、たべることと経済状態とによってイデオロギーが規定されるものとすれば――大食漢は天才ということになろう。」 (『ノバチ』第六号、シャ・ゲを見よ)
 これで見ると、マルクスとエ ンゲルスの唯物論を論駁するのはわけのないことのようだ。だれか女学生あたりからマルクスとエンゲルスについての町のうわさをききさえすれば、また、こうした町のうわさを哲学的な自信をもって『ノバチ』かなんかの紙上でくりかえしさえすれば、たちどころにマルクス主義「批判家」たる名声を博するにたりるのだ!
 だが、紳士諸君、「たべることがイデオロギーを規定する」とは、どこで、いつ、どの遊星で、どんなマルクスが言ったのか、言ってもらいたい。なぜ諸君は、自分の声明を確証するために、マルクスの諸著作から、ただの一句も、一語も引用しなかったのか? なるほどマルクスは、人間の経済状態が彼らの意識、彼らのイデオロギーを規定する、と言った。だが、たべることと経済状態とが同じことだとは、だれが諸君に言ったのか? 諸君は、たとえば、たべることというような生理的現象が、たとえば人間の経済状態というような社会学的現象とは、根本的にちがっていることを知らないのではないか? これらの二つのちがった現象をたがいにごっちゃにすることは、たとえば女学生あたりならゆるせるが、「社会民主主義の破壊者」であり「科学の再興者」である諸君が、女学生のまちがいをこんなにかるがるしく繰りかえすということに、いったいどうしてなったのか?
 どうしてたべることが社会的イデオロギーを測定できるのだろうか? さぁ、自分の言葉をよく考えてみたまえ。たべること、たべる形態は、変化しない。昔もいまと同じように、たべ、かみくだき、消化した。だがイデオロギーはいつも変化している。ついでながら、古代的、封建的、ブルジョア的、プロレタリア的、――これが、イデオロギーがもっている諸形態である。変化しないものが、たえず変化するものを規定するなどと考えられようか?
 もっとさきへすすもう。無政府主義者の考えによると、マルクスの唯物論は「あの並行論である。……」あるいは「一元論的唯物論は、正体をかくしそこねた二元論であり、形而上学と科学の妥協である。……」「マルクスは生産諸関係を物質的なものとしてえがき、人間の志向と意志を、たとえ存在はしているとしても、重要性のない幻想、空想としてえがいたために、二元論におちいっている。」(『ノバチ』第六号、シャ・ゲを見よ)
 第一に、マルクスの一元論的唯物論は、筋のとおらぬ並行論とはなんの共通点もない。この唯物論の見地からいえば、物質的方面、内容は、必然的に観念的方面、形態に先行する。だが並行論はこの見方をしりそげ、物質的方面にせよ観念的方面にせよ、どちらも相手に先行しないこと、両者はいっしょに並行して発展するということを、はっきりと主張している。
 第二に、実際に「マルクスが生産諸関係を物質的なものとしてえがき、人間の志向と意志を、重要性のない幻想、空想としてえがいた」としたところで、このととはマルクスが二元論者だということになるだろうか? 二元論者は、だれでも知っているように、観念的方面にも物質的方面にも、対立する二つの原理として、同等の重要性をあたえるものである。だが、もし諸君の言うように、マルクスが物質的方面に重さをおき、逆に、観念的方面には、それが空想だから重要性をあたえないというのであれば、諸君は、「批判家」諸君は、マルクスの二元論をどこからもちこんだのだろうか?
 第三に、一元論が物質的形態と概念的形態をもつ自然または存在という一つの原理から出発しているのに、二元論が物質的原理と観念的原理との――二元論によれば、これらはたがいに否定しあうものである――二つの原理から出発していることを子供でさえ知っているというのに、唯物論的一元論と二元論とのあいだの関連は、どういうものでありうるだろうか?
 第四に、このマルクスは、いつ「人間の志向と意志を幻想、空想としてえがいた」か? なるほどマルクスは、「人間の志向と意志」を経済的発展によって説明し、ある机上の空論家の志向が経済的事情に照応しないとき、これを空想的と呼びはした。だが、このことはマルクスの考えによると、一般に人間の志向が空想的なのだという意味であろうか? このこともまた説明が必要なのであろうか? 諸君は「人間はつねに自分が解決しうる課題だけを自分に提起する」(『経済学批判』序言〔補巻3、四ページ〕を見よ)、つまり一般的にいえば、人間は空想的目的を追うものでない、というマルクスのことばを読んだことがないのだろうか? あきらかに、わが「批判家」は、自分の言っていることがわからないか、それともわざと事実をゆがめているかの、どちらかである。
 第五に、マルクスとエンゲルスの考えによると、「人間の志向と意志は重要性がない」などと、だれが諸君に話したのか? マルクスとエンゲルスがどこでそう言っているか、なぜ諸君は指摘しないのか? いったいマルクスは、『ルイ・ボナバルトのブリュメール十八日』、『フランスにおける階級闘争』、『フランスにおける内乱』、その他類似の小冊子のなかで、「志向と意志」の重要性のことを述べているではないか? もしマルクスが「志向と意志」に重要性をみとめないとしたら、なぜ、その当時マルクスは、プロレタリアの「志向と意志」を社会主義的精神で発展させようと努力したのか、なんのために彼はプロレタリアのあいだで宣伝をしたのか? あるいはまた、エンゲルスは一八九一年から九四年の彼の有名な諸論文で、「意志と志向の重要性」以外にいったいなにを述べているというのだろうか? なるほどマルクスの考えによると、人間の「意志と志向」は、経済状態のうちからその内容をくみだすのである。だが、このことは意志と志向が経済関係の発展になんの影響もおよぼさないという意味であろうか? 無政府主義者にとっては、こんなに簡単な思想がそんなに理解しにくいのであろうか?
 もう一つ、無政府主義者諸君の「非難」がある。「内容のない形態を考えることはできない……」、それだから、「形態が内容のあとからついてゆく(内容から立ちおくれる。コ)と言ってはならない。……これらのものは『共存する』。……さもなければ、一元論はばかげている。」(『ノバチ』第一号、シャ・ゲを見よ)
 またしても、わが「学者」はいくらか混乱している。形態のない内容が考えられないということはただしい。だが、現存する形態が現在する内容にけっして完全に照応するものでなく、前者は後者よりもおくれ、新しい内容がいつでもある程度古い形態をまとい、そのために古い形態と新しい内容のあいだにはいつでも衝突がある、ということもまたただしい。これを地盤としてこそ革命がおとり、この点に、とりわけマルクスの唯物論の革命的精神が言いあらわされているのである。だが、「有名な」無政府主義者諸君はこのことがわからない。いうまでもなく、この点で罪があるのは.彼ら自身であって、唯物論の理論ではない。
 以上が、マルクスとエンゲルスの唯物諭の理論にたいする無政府主義者の見方である。もしこれが、そもそも見方といってよいのだとすれば。

三 プロレタリア社会主義

 われわれは、いまではマルクスの理論的学説を知っている。その方法を知っており、また、その理論をも知っている。
 われわれは、この学説からどんな実践的結論をひきださなければならないか?
 弁証法的唯物論とプロレタリア社会主義との関連はどんなものであるか?
 弁証法的方法は、日一日と成長し、つねに前進し、よりよい未来をめざしてたゆまずたたかう階級だけが、最後まで進歩的であり、奴隷制のくびきを粉砕することができる、と言っている。われわれは、着実に成長し、つねに前進し、未来のためにたたかうただ一つの階級は、都市と農村とのプロレタリアートだ、ということを知っている。したがって、われわれはプロレタリアートに奉仕し、われわれの希望をプロレタリアートにかけなければならない。
 これが、マルクスの理論的学説の第一の実践的結論である。
 だが、奉仕にもいろいろある。ベルンシュタインがプロレタリアートにむかって、社会主義のことをわすれよ、と説いたとき、彼はプロレタリアートに「奉仕し」ているのである。クロポトキンがプロレタリアートに、分散した、広い工業の土台のない、共同体「社会主義」をすすめたとき、彼はプロレタリアートに「奉仕し」ているのである。カール・マルクスが、現代の大工業の土台に立脚するプロレタリア社会主義にプロレタリアートをまねくとき、彼もまたプロレタリナートに奉仕しているのである。
 われわれの活動がプロレタリアートの利益となるようにするには、われわれはどのように行動すべきであろうか? どのようにしてわれわれはプロレタリアートに奉仕すべきであろうか?
 唯物論の理論は、あれこれの理想がプロレタリアートに直接の奉仕をすることができるのは、この理想が国の経済的発展に矛盾せず、それがこの発展の要求に完全に照応するばあいにかぎる、という。資本主義制度の経済的発展がしめしているように、現代の生産は社会的性格をおび、生産の社会的性格は現存する資本主義的所有を根本的に否定している、したがって、われわれの主要な任務は、資本主義的所有の打倒と社会主義的所有の確立とを援助することである。だが、このことは、社会主義のことをわすれよ、とおしえるベルンシュタインの学説が経済的発展の諸要求に根本的に矛盾するということである、――この学説はプロレタリアートに害毒をもたらす。
 資本主義制度の経済的発展は、さらに現代の生産が日ごとにひろがり、個々の都市や県の限界にはいりきらないで、たえずこの限界をうちやぶり、したがって全国家の領土を包含しつつあることをしめしている、――したがって、われわれは生産の拡大を歓迎し、個々の都市や共同体ではなく全国家の不可分の全領土を、未来の社会主義の基礎と見なければならない。この分野は、将来はもちろん、ますますひろがるだろう。だが、このことは、未来の社会主義を個々の都市や共同体のわくのなかにとじこめるクロポトキンの学説が生産の強力な拡大の利害に矛盾するということである、――この学説はプロレタリアートに害毒をもたらす。
 主要な目標としての広い社会主義的生活のためにたたかうこと、――われわれは、このようにプロレタリアートに奉仕しなければならない。
 これが、マルクスの理論的学説の第二の実践的結論である。
 あきらかに、プロレタリア社会主義は弁証法的唯物論の直接の結論である。
 プロレタリア社会主義とはなにか?
 現代の制度は資本主義制度である。このことは、世界が二つの対立する陣営に、わずかひとにぎりの資本家の陣営と、大多数のもの、すなわちプロレタリアの陣営とにわかれているということである。プロレタリアは、昼も夜もはたらくが、それにもかかわらず、彼らは以前のとおりに依然としてまずしい。資本家ははたらかないが、それにもかかわらず、彼らは富んでいる。だが、このようなことになるのは、プロレタリアに智恵がたりず、資本家が天才的だなどというためではなく、資本家がプロレタリアの労働の成果をうばうからであり、資本家がプロレタリアを搾取するからである。
 なぜプロレタリアの労働の成果をうばうのが、ほかならぬ資本家であって、プロレタリア自身でないのだろうか? なぜ資本家がプロレタリアを搾取し、プロレタリアが資本家を搾取しないのか?
 これは、資本主義制度が商品生産にもとづいているからである。ここでは、すべてのものが商品の形をとっている。いたるところで売り買いの原則が支配している。ここでは諸君は、消費資料だけでなく、食品だけでなく、人間の労働力、その血、その良心をも買うことができる。資本家はすべてこれらのことを知っていて、プロレタリアの労働力を貰い、彼らをやとう。だが、このことは資本家が自分が買った労働力の主人になるということである。プロレタリアは、この売られた労働力にたいする権利をうしなう。すなわち、この労働力によってつくりだされたものは、もはやプロレタリアのものではなく資本家だけのものであって、資本家のふところにはいる。諸君の売った労働力は一日に百ルーブリの産品を生産するかもしれない。だが、それは諸君の知ったことではなく、諸君のものではなく、それは資本家だけの知ったことであり、彼らのものである、――諸君がうけとるべきものは諸君の毎日の賃金だけであって、それは諸君が、もちろん節約してくらすならば、たぶん諸君の必要な要求をみたすにたりるくらいである。簡単にいえば、資本家はプロレタリアの労働力を買い、彼らはプロレタリアをやとっている。それだからこそ資本家はプロレタリアの労働の成果をうばう。それだからこそ資本家はプロレタリアを搾取するのであって、プロレタリアが資本家を搾取するのではない。
 だが、いったいなぜ資本家はプロレタリアの労働力を買うのだろうか? なぜプロレタリアは資本家にやとわれるのであって、資本家が労働者にやとわれないのだろうか?
 それは、生産用具と生産手段との私的所有が資本主義制度の主要な基礎だからである。それは、工場、土地、地下の埋蔵物、森林、鉄道、機械、その他の生産手段が、わずかひとにぎりの資本家の私的所有にかわっているからである。それは、プロレタリアがこれらいっさいのものをうしなっているからである。だから、資本家は工場を運転するためにプロレタリアをやとう、――さもなければ、彼らの生産用具と生産手段はなんの利潤ももたらさないことだろう。だから、プロレタリアは彼らの労働力を資本家に売る、――さもなければ、彼らは飢えのために死ぬことだろう。
 以上はみな資本主義的生産の一般的性格をあきらかにするものである。第一に、資本主義的生産が単一の組織的なものでありえないことは自明である。それは個々の資本家の私的所有にすっかり分散している。第二に、この分散した生産の直接的な目的は、住民の需要をみたすことではなく、資本家の利潤を増大する目的で売るための商品生産である。だが、あらゆる資本家は彼の利潤を増大することにつとめるのであるから、彼らのおのおのはすこしでも多くの商品を生産しようと努力する。その結果、市場は急速にみちあふれ、商品価格は下落し――全般的な恐慌がやってくる。
 このように、恐慌、失業、生産停止、生産の無政府状態などは、現代の資本主義的生産の非組織性の直接的結果である。
 もし、この非組織的な社会制度がいまのところまだ破壊されず、またそれがいまのところまだプロレタリアートの攻撃にたいして強固に対抗しているとすれば、そのことは、まずなによりも資本主義国家、資本主義政府がこれを擁護していることによって説明期される。
 これが、現代の資本主義社会の基礎である。

          *  *  *

 未来の社会がまったくちがった基礎のうえにきずかれるであろうということは、うたがいない。
 未来の社会は、社会主義社会である。というのは、なによりもまず、そこにはどんな階級も存在しないであろう、資本家もなければプロレタリアもないであろう、――したがって搾取もないであろう、ということである。そこには、集団的にはたらく勤労者があるだけだろう。
 未来の社会は、社会主義社会である。というのは、搾取といっしょに商品生産と売り買いもまた根絶されるだろう、ということでもある。だから、そこには、労働力の買手も売手も、雇い主もやとわれるものもいる余地がなくなり、――そこには自由な勤労者だけがいることになるであろう。
 未来の社会は、社会主義社会である。というのは、最後に、そこでは質労働といっしょに生産用具と生産手段とにたいするいっさいの私的所有も根絶されるであろう、貧者のプロレタリアも富者の資本家もいないであろう、――そこには、あらゆる土地と地下埋蔵物、あらゆる森林、あらゆる工場、あらゆる鉄道、等々を集団的に所有する勤労者だけがいるであろう、ということである。
 ごらんのように、未来の生産の主要な目的は――社会の需要を直接にみたすことであって、資本家の利潤を増大しようとして売るための商品を生産することではない。ここには、商品生産や利潤のための闘争等々の余地はないであろう。
 未来の生産が、社会主義的に組織された、高度に発展した生産であって、それは社会の需要を考慮し、社会にとって必要なだけを生産するであろう、ということもあきらかである。そこでは、生産の分散性も競争も、恐慌も失業もおこる余地がないであろう。
 階級のないところでは、富者も貧者もいないところでは、国家の必要もなく、貧者を迫害し富者を擁護する政治権力の必要もない。したがって社会主義社会には政治権力が存在する必要がないであろう。
 だから、カール・マルクスはすでに一八四六年につぎのように言ったのである。
 「労働者階級はその発展の過程において、諸階級ならびにその敵対関係を排除する一つの結社をもって、古い市民社会におきかえるであろう。そして、本来の意味での政治権力はもはや存在しないであろう。……」(『哲学の貧困』〔第一巻四五〇ページ〕を見よ)
 だから、エンゲルスは一八八四年につぎのように言ったのである。
 「このように、国家は永遠の昔からあるものではない。国家がなくてもすんでいた社会、国家と国家権力とを夢想さえもしなかった社会が、かつてはあった。社会の諸階級への分裂を必然にともなう経済的発展の一定の段階において、この分裂によって国家が一つの必然となったのである。われわれはいま、急歩調で、これらの階級の存在が必然的なものでなくなるばかりか、かえって生産の積極的障害となるような、そういう生産の発展段階に急歩調で近づいている。階級の発生が不可避であったのと同様に、その消滅もまた不可避的であるだろう。階級の消滅とともに国家も不可避的に消滅する。生産者の自由平等な協同を基礎にして生産を組織しかえる社会は、国家機関の全体を、それがそのとき当然おかれるべき場所におきかえるであろう。すなわち、糸車や青銅のおのとならべて古代博物館へ。」(『家族、私有財産および国家の起源』〔第一三巻四七八ページ〕を見よ)
 それと同時に、共同の事務を遂行するためにいろいろの情報を集中する地方的な局とならんで、社会主義社会には、全社会の需要にかんする情報を収集し、つぎに、これに応じていろいろの労働を勤労者にわりあてるべき中央統計員が必要なことは、自明のことである。会議およびとくに大会もまた必要であって、その決議は、つぎの大会まで、少数派である仲間にたいして無条件に拘束力をもつ。
 最後に、自由な、同志的な労働が、未来の社会主義社会で、あらゆる需要を、同じように同志的に完全にみたすようにならなければならないことは、あきらかである。だが、このことは、未来の社会がその各人にたいして彼があたえうるだけの労働を要求するものとすれば、こんどは社会は各人にたいして彼の必要とするだけの生産物を提供しなけれはならない、という意味である。各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!――このような基礎のうえに、未来の集団主義制度がつくられなければならない。いうまでもなく、まだ労働に馴れない分子が新しい生活にくわわり、また生産力が十分に発展せず、まだ「きたない」労働と「きれいな」労働とが存在するような社会主義の第一段階では、「各人にはその必要に応じて」という原則を実現することは、うたがいもなく大いに困難であろう。そのため社会は、いやでも一時はなにか別の中間の道をすすまなければならないであろう。だが、未来の社会がその軌道にのるとき、資本主義の遺物が根絶されるとき、右に述べた原則が社会主義社会にふさわしいただ一つの原則になるであろうということも、またあきらかである。
 だから、マルクスは一八七五年につぎのように述べた。
 「共産主義(すなわち社会主義)社会のより高い段階で、すなわち個人が分業のもとに奴隷的に隷属している状態がなくなり、したがってまた精神労働と肉体労働との対立がなくなったとき、また労働がたんに生活のための手段ではなく、労働そのものが生活の第一の欲求となったのち、個人の全面的な発展とともに、生産力も増大して、協同組合的富のあらゆる噴泉があふれでるようになったのち――そのときはじめて、狭いブルジョア的権利の地平線は完全にふみこえられ、社会はその旗のうえにこう書くことができる、各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(『ゴータ綱領批判』〔第一二巻二四三―四四ページ〕を見よ)
 これが、だいたいからいって、マルクスの理論による未来の社会主義社会の姿である。
 まことにけっこうなことである。だが、社会主義の実現は考えられることであろうか? 人間が彼の「野蛮な習慣」を一掃できると仮定することができるであろうか?
 あるいはまた、各人が必要に応じて受けとるものとすれば、社会主義社会の生産力の水準はそれにとって十分なものと仮定することができるであろうか?
 社会主義社会は、十分に発展した生産力と、人間の社会主義的意識、彼らの社会主義的啓蒙を、前提する。現存する資本主義的所有は現代の生産力の発展をさまたげているが、未来の社会にはこの所有がないことを念頭におけば、生産力が十倍にも成長することは自明である。未来の社会では、何十万という今日の徒食者、それからまた失業者が仕事につき、勤労者の隊列をみたし、そしてこのことが生産力の発展をおしすすめるだろうという事情もまた、わすれてはならない。人々の「野蛮な」感情や意見についていえば、これは一部の人が想像するように、なにも永久的なものではない。人間が私的所有をみとめなかった時代、すなわち原始共産主義の時代があった。私的所有が人々の感情と理性とをとらえた時代、すなわち個人的生産の時代がやってきた。新しい時代、すなわち社会主義的生産の時代がやってくる。だから、人々の感情や理性が社会主義的志向でいっぱいになったとて、なんのおどろくべきことがあろう。存在が人間の「感情」と意見を規定しはしないだろうか?
 だが、社会主義制度の確立が不可避的であるという証明はどこにあるだろうか? 現代資本主義の発展のあとには不可避的に社会主義がつづいてくるだろうか? いいかえれば、マルクスのプロレタリア社会主義が甘い夢や幻想にすぎないようなものでないということを、われわれはどこから知るのであろうか? どこにその科学的証明があるだろうか?
 歴史は、所有形態が直接に生産形態に依存していることをしめしている。その結果、生産形態の変化にともない、おそかれはやかれ所有形態も不可避的に変化する。所有が共産主義的性格をもっていた時代、原始人がさまよっていた森林や原野が個人ではなく万人に属した時代があった。なぜその当時、共産主義的所有が存在したのか? 生産が共産主義的であり、労働が共同であり、集団的であり、――すべての人がいっしょに労働し、相手なしにやってゆくことができなかったからである。別の時代が、小ブルジョア的生産の時代、所有が個人的(私的)性格をおびた時代、人間に必要なすべてのものが(もちろん空気、日光、等々をのぞく)私的所有とみとめられる時代がやってきた。なぜこのような変化が生じたのか? 生産が個人的となり、各人が片すみにかくれて自分のために労働しはじめたからである。最後にやってくる時代は、数百数千の労働者が一つの屋根のもとにあつまり、一つの工場で共同の労働に従事する大規模な資本主義的生産の時代である。ここでは諸君は、各人が自分本位にやる、個別的な古い仕事を見ることができない、――ここでは、ひとりびとりの労働者と各職場の全労働者が、自分の職場の仲間ならびに他の職場と、仕事のうえでしっかりと結合されている。どの職場かが仕事をやめさえすれば、全工場の労働者の仕事がなくなる。ごらんのように、生産過程が、労働が、すでに社会的性格をおび、社会主義的な色あいをおびてぎた。個々の工場だけでなく、あらゆる生産部門でも、各生産部門細互のあいだでも、こういうことが生じている。生産が困難な状態におちいるには、鉄道労働者がストライキをすればたりるし、しばらくののちに全工場が閉鎖されるには、石油や石炭の生産を停止すればたりる。あきらかに生産過程は社会的・集団主義的性格をおびてきた。領有の私的性格は生産の社会的性格に照応しないのであるから、また現代の集団主義的労働は不可避的に集団的所有にみちびくのであるから、社会主義制度が、昼のあとに夜がつづくのと同じ不可避性で、資本主義のあとにつづいてくるであろう。
 歴史は、マルクスのプロレタリア社会主義の不可避性をこのように註肌している。

          *   *   *

 社会的生産で主要な役割を演じ、その手に生産の主要な機能をにぎっている階級または社会的集団が、時とともに不可避的にこの生産の主人になるにちがいないことを、歴史はものがたっている。婦人が生産の主人と見られていた母権制の時代があった。これはなにによって説明されるか? それは、当時の生産では、つまり原始的農業では、婦人が生産のうちで主要な役割をはたし、彼らが主要な機能を遂行し、一方、男子は野獣をもとめて森林をさまよった、ということで説明される。生産における支配的地位が男子の手にうつった時代がやってきた。なぜこのような変化がおこったのか? それは、その当時の生産では、つまり、槍、投げ縄、弓、矢が主要な生産用具であった牧畜経済では、男子が主要な役割をはたしたからである。……プロレタリアが生産のなかで主要な役割をはたしはじめ、すべての主要な生産上の機能が彼らの手にうつり、彼らがいないと一日も生産を存続することができず(ゼネラル・ストライキを思いだせ)、資本家が生産にとって無用であるだけでなく生産をさまたげてさえいる時代、資本主義的大生産の時代がやってきている。だが、これはなにを意味しているか? それは、あらゆる社会生活がまったく崩壊するにちがいないか、それともプロレタリアートが、おそかれはやかれ、しかし不可避的に、現代の生産の主人公となり、そのただ一つの所有者となり、その社会主義的所有者とならなければならないか、そのどちらかだという意味である。
 資本主義的所有の臨終の祈りをとなえ、資本主義か、それとも社会主義か、という問いをきっはりと出している現代の産業恐慌は、この結論をまったくはっきりとさせ、資本家の寄生性と社会主義の勝利の不可避性とをありありとあばいている。
 歴史は、マルクスのプロレタリア社会主義の不可避性をさらにこのように証明している。
 プロレタリア社会主義は、感傷的な感情や抽象的な「正義」やプロレタリアートにたいする愛などのうえにきずかれるものでなく、右にあげた科学的な根拠のうえにきずかれるものである。
 それだから、プロレタリア社会主義は「科学的社会主義」とも呼ばれるのである。
 エンゲルスは、すでに一八七七年につぎのように言っている。
 「労働生産物の今日の分配様式のうえにさしせまっている変革にたいして、この分配様式が不公正であり、また正義は結局は勝利するにちがいないという意識以上に強い確信をもたなかったなら、われわれはどうにもならなくなって、とてもながくは持ちきれないだろう。」この点でもっとも主要なことは、「近代的・資本主義的生産様式によってうみだされた生産力も、これによってつくりだされた財貨分配制度も、その生産様式そのものと激しい矛盾におちいっているということ、しかも近代社会全体を滅亡させたくなければ、生産様式と分配様式との変革をおこない、いっさいの階級差別を除去しないわけにゆかなくなっているほどだ」ということにある。「この明白な、物質的な事実のうちに……近代的社会主義の勝利の確信は基礎をおいているのであって、あれこれの机上の空論家の正不正の観念のうちに基礎をおいているのではない。」(『反デューリング論』〔第一巻二九三―九四ページ〕を見よ)
 もちろんこれは、いったん資本主義が瓦解しだすと、社会主義制度が、その気にさえなれば、いつでもすきなときに確立できる、という意味ではない。こんなふうに考えるのは、無政府主義者か、その他の小ブルジョア思想家だけである。社会主義的理想はあらゆる階級の理想ではない。それはプロレタリアートだけの理想であって、それの実現に直接に関心をもつのは、すべての階級ではなくて、プロレタリアートだけである。だが、このことは、プロレタリアートが社会の小さな部分をしめているうちは、そのあいだは社会主義制度の確立は不可能である、という意味である。古い生産形態の没落、資本主義的生産のいっそうの強化、社会の大多数のプロレタリア化、――こうしたことが社会主義を実現するのに必要な条件である。だが、それだけではまだ不十分である。社会の大多数がすでにプロレタリア化されようとも、社会主義は、それにもかかわらずまだ実現されえないであろう。というのけ、社会主義を実現するには、これらすべてのことのほかに、まだ階級意識、プロレタリアートの団結、自分のことを自分でみちびく能力が必要だからである。これらすべてのことを獲得するには、さらに、いわゆる政治的自由、すなわち言論、出版、ストライキ、結社の自由、一言でいえば階級闘争の自由が必要である。政治的自由は、どこでも一様に保障されているわけではない。だから、プロレタリアートにとっては、どのような条件のもとで闘争しなければならないかということは、どうでもよいことではない。専制的=農奴制的条件か(ロシア)、立憲君主制的条件か(ドイツ)、大ブルジョア共和制的条件か(フランス)、それとも民主主義共和制的条件か(これをロシア社会民主党が要求している)。政治的自由は、一般にそれが資本主義のもとで保障されうるかぎりでは、民主共和国によって、もっともよく、もっとも完全に保障される。だから、プロレタリア社会主義のあらゆる支持者は、社会主義へのもっともよい「橋」としての民主共和国をうちたてることに、いやおうなくつとめなければならない。
 それだから、現在の条件のもとでは、マルクス主義の綱領は、社会主義を目的とする最大限綱領と、民主共和国をへて社会主義への道をひらくことを目的とする最小限綱領との、二つの部分にわかわる。

          *   *   *

 プロレタリアートは、意識的に彼の綱領を実現し、資本主義を打倒し、社会主義を建設するには、どのように行動しなければならないか、どのような道に立たなけれはならないか?
 答えははっきりしている。プロレタリアートはブルジョアジーとの和解によって社会主義を達成することはできないだろう、――彼はかならず闘争の道に立たなければならない。そして、この闘争は、階級闘争、すなわち全ブルジョアジーにたいする全プロレタリアートの闘争でなければならない。ブルジョアジーとその資本主義か、それともプロレタリアートとその社会主義かの、どちらかである! プロレタリアートの行動、彼の階級闘争は、これにもとづかなければならない。
 だが、プロレタリアートの階級闘争は多様な形態をもっている。たとえばストライキは階級闘争である。それが部分的ストライキであろうとゼネラル・ストライキであろうと、同じことである。ボイコットやサボタージュも、うたがいもなく階級闘争である。意志表示街頭行進《マニフェステーション》やデモンストレーションや議会への参加などもまた階級闘争である。この参加が国会であろうと地方自治体であろうと、同じことである。これらはみな同じ階級闘争のいろいろな形態である。われわれはここでは、闘争形態のうちのどれが、階級闘争をしているプロレタリアートにとってより大きな意義があるかということは説明しないで、それぞれの時により、それそれの所により、どの闘争形態もプロレタリアにとっては、その自覚と組織性を発展させるために必要な手段として無条件的に必要なのだ、ということだけを述べておこう。自覚と組織性は、プロレタリアートにとっては、空気と同じように必要である。だが、プロレタリアートにとっては、これらすべての闘争形態は準備的な手段であるにすぎず、これらの形態のうちどれ一つとして、一つ一つをとってみれば、それによってプロレタリアートが資本主義を破壊するための決定的な手段ではないことをも、述べておかなければならない。ゼネラル・ストライキだけでは資本主義を破壊することはできない。ゼネラル・ストライキは資本主義を破壊するためのいくつかの条件を準備しうるにすぎない。プロレタリアートが議会に参加するだけで資本主義を打倒できるということは考えられない。議会主義によっては、資本主義打倒のためのいくつかの条件が準備されうるにすぎない。プロレタリアートが資本主義制度を打倒するのに助けとなる決定的な手段はどこにあるだろうか?
 このような手段というのは社会主義革命である。
 ストライキ、ボイコット、議会主義、マニフェステーション、デモンストレーション、――これらすべての闘争形態は、プロレタリアートを準備し組織する手段として、よいものである。だがこれらの手段のどれ一つとして現存の不平等を根絶することはできない。これらすべての手段を、一つの主要な、決定的な手段に集中することが必要であり、プロレタリアートが資本主義を根底から破壊するために立ちあがり、ブルジョアジーにたいして決定的な攻撃をくわえることが必要である。社会主義革命こそ、この主要な決定的な手段である。
 社会主義革命を、不意の短時日の打撃とみなしてはならない。それは、ブルジョアジーに敗北をもたらし、その陣地を占領する、プロレタリア大衆の長期の闘争である。プロレタリアートの勝利が、同時に、うちやぶられたブルジョアジーにたいする支配となるのであるから、また諸階級の衝突の時代には、一階級の敗北は他の階級の支配を意味するのであるから、――社会主義革命の第一段階となるのは、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの政治的支配であろう。
 プロレタリアートの社会主義的独裁、プロレタリアートの権力獲得、――ここから社会主義革命がはじまらなければならない。
 だが、このことは、ブルジョアジーが完全にうちやぶられないかぎり、ブルジョアジーの富が没収されないかぎり、プロレタリアートはかならず軍事力を支配していなければならず、彼はかならず自分の「プロレタリア親衛隊」をもっていなければならない、ということを意味する。この親衛隊の助けによって、死にかけたブルジョアジーの反革命的攻撃を、ちょうどコンミューンの時代にパリのプロレタリアートがやったのとまったく同じように、撃退するのである。
 プロレタリアートの社会主義的独裁は、それによってプロレタリアートがブルジョアジーを収奪するために、それによって全ブルジョアジーから土地、森林、工場、機械、鉄道、等々を没収するために、必要なのである。
 ブルジョアジーの収奪――これこそ社会主義革命がもたらさなければならないものである。
 これが、それによってプロレタリアートが現代資本主義制度を打倒する、主要な、決定的な手段である。
 だから、カール・マルクスはすでに一八四七年につぎのように言ったのである。
 「……労働者革命の第一歩は、プロレタリアートを支配階級にたかめる……ことである。……プロレタリアートは、ブルジョアジーからしだいにいっさいの資本をうばいとり、いっさいの生産用具を……支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中する……ためにその政治的支配を利用するであろう。」〔『共産党宣言』〔本文庫『共産党宣言』五四―五五ページ〕を見よ)
 プロレタリアートが社会主義を実現したいとのそむならば、彼はこの道をすすまなければならない。
 この一般的原則から、その他のすべての戦術的な見方も出てくる。ストライキ、ボイコット・デモンストレーション、議会主義は、プロレタリアートの組織をはやめ、社会主義革命を遂行するためのその組織を強固にし、ひろげるかぎりで、意味があるにすぎない。

          *   *   *

 このように、社会主義を実現するためには社会主義革命が必要であるが、社会主義革命はプロレタリアートの独裁からはじまらなけれはならない。すなわち、プロレタリアートはその助けによってブルジョアジーを収奪するために政治権力をその手ににぎらなければならない。
 だが、すべてこうしたことのためには、プロレタリアートの組織性、プロレタリアートの団結と統一、強固なプロレタリア組織の創設、そのたえまない成長が必要である。
 プロレタリアートの組織は、どのような形態をとるべきであろうか?
 もっとも普及した大衆組織は、労働組合と労働者協同組合(おもに生産=消費協同組合)である。労働組合の目的は、現代資本主義のわく内で、(おもに)産業資本にたいして、労働者の状態の改善をはかる闘争である。協同組合の目的はもちろん、同じ資本主義のわく内で、(おもに)商業資本にたいして、生活必需品の価格引下げによって、労働者の消費の拡大をはかる闘争である。労働組合も、また協同組合も、プロレタリア大衆を組織する手段として、プロレタリアートにとって無条件に必要である。だから、マルクスとエンゲルスのプロレタリア社会主義の見地から見れば、プロレタリアートはこの二つの組織形態をとらえ、もちろん現存の政治的条件が、それをゆるすかぎりで、この組織形態をかため、つよくしなければならない。
 だが、労働組合と協同組合だけでは、たたかっているプロレタリアートの組織的必要をみたすことはできない。そのわけは、右に述べた組織は資本主義のわくをこえることができないからである。というのは、その目的が資本主義のわく内で労働者の状態を改善することだからである。だが、労働者は資本主義的奴隷制からの完全な解放をのぞんでいる。彼らがのそんでいるのは、このわくそのものを打破することであって、資本主義のわく内でうごきまわることだけではない。したがって、あらゆる職業の労働者の自覚した分子をそのまわりにあつめ、プロレタリアートを自覚した階級にかえ、資本主義的秩序の壊滅と社会主義革命の準備をもっとも重要な目的とするような組織が、必要である。
 このような組織が、プロレタリアートの社会民主党である。
 この党はそのほかの党からまったく独立した階級党でなければならない、――それは、この党がプロレタリアの階級の党であり、プロレタリアの解放がただ彼ら自身の手によってはじめて遂行されうるものだからである。
 この党は革命党でなければならない、――それは、労働者の解放が社会主義革命の力をかりて、革命的なやりかたで、はじめて可能となるからである。
 この党は国際主義の党でなければならず、党のとびらはあらゆる自覚したプロレタリアに開放されていなければならない、――それは、労働者の解放が一民族的な問題ではなく、グルジアのプロレタリアにとっても、ロシアのプロレタリアにとっても、またその他の民族のプロレタリアにとっても、同じく重要な社会的な問題だからである。
 そこであきらかなことは、いろいろの民族のプロレタリアがかたく結集すればするほど、彼らのあいだに立てられた民族的な隔壁がより徹底的に破壊されればされるほど、それだけプロレタリアートの党はつよくなり、それだけプロレタリアートを不可分の一階級に組織することが容易になるであろう。
 それだから、可能なかぎりプロレタリアートの諸組織のうちに、連合主義の分散性に対立して中央集権主義の原則をつらぬくことが必要である、――この組織というのが、党であろうと組合であろうと、あるいは協同組合であろうと、同じことである。
 これらすべての組織はもちろん、ある政治的またはその他の条件がそれをさまたげないかぎり、民主主義的な基礎のうえにきずかれなければならないことも、またあきらかである。
 一方では党と、他方では協同組合および労働組合とのあいだの相互関係は、どのようでなければならないだろうか? 後者は、党的なものであるべきか、あるいは党外のものであるべきだろうか? この問題の解決は、プロレタリアートが、どこで、どんな条件のもとで闘争しなければならないか、ということにかかっている。とにかく労働組合にしても協同組合にしても、プロレタリアートの社会主義党にたいして親密な関係にあればあるほど、いっそう完全に発展するということはうたがいない。というのは、この二つの経済的組織は、強力な社会主義党に近づいていないと、しばしば小さくなり、狭い職業的利害のために一般階級的利害をわすれさり、それによってプロレタリアートに大害をおよはすからである。だから、どのばあいにも労働組合と協同組合にたいする思想的=政治的影響を確保することが必要である。このような条件があってはじめて、右に述べた組織は、個々の集団に分散したプロレタリアートを自覚した一階級へと組織する社会主義の学校にかわるだろう。
 これが、だいたいからいって、マルクスとエンゲルスのプロレタリア社会主義の特徴である。

          ――――――――――

 無政府主義者はプロレタリア社会主義をどのように見ているか?
 まず第一に、プロレタリア社会主義がたんなる哲学的学説なのではないのだ、ということを知らなければならない。それは、プロレタリア大衆の学説であり、彼らの顔であり、全世界のプロレタリアがこれを尊敬し、これにたいして「ひざまずい」ている。したがって、マルクスとエンゲルスは、たんになにかある哲学的「学派」の父祖であるだけではなく、日一日と成長し、つよまっている、生きたプロレタリア運動の、生きた首領である。この学説とたたかうものはだれでも、またこれを「打倒し」ようとのそむものはだれでも、段ちがいの闘争でいたずらに頭を粉砕されないように、これらすべてのことをよくこころえておかなければならない。無政府主義者諸君はこのことをよく承知している。だから、マルクスやエンゲルスと闘争するときは、まったく尋常ではない、一種の新しい武器にうったえているのである。
 その新しい武器とはなんであろうか? それは、資本主義的生産の新しい研究であろうか? それはマルクスの『資本論』の論駁であろうか? もちろん、そうではない! それともまた、「新しい事実」と「帰納法」とで武装して、社会民主党の『福音書』たるマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を「科学的に」論駁したのであろうか? これまた、そうではない! では、いったいこの尋常でない手段とはなんなのか?
 それは、マルクスとエンゲルスが「盗用」をしたという非難である! いったい諸君はどう思うだろうか? どうやら、マルクスとエンゲルスには独自なものがなく、科学的社会主義は作り話であるが、そのわけは、マルクスとエンゲルスの『共産党宣言』がそっくりヴィクトル・コシデランの『宣言』から「ぬすんだ」ものだからであるらしい。もちろん、これはまことにわらうべきことである。だが、無政府主義者の「たぐいなき首領」ヴェ・チェルケジシヴィリが自信たっぷりで、このおもしろい話をわれわれにものがたっており、チェルケジシヴィリの軽はずみな「使徒」ピエル・ラムスとかいうものや、わが国産の無政府主義者やが、なかなか熱心にこの「発見」をくりかえしているから、たとえ簡単にでもこの「物語」を論じるだけのことがあるだろう。チェルケジシヴィリの言うことをちょっときいてもらいたい。
 『共産党宣言』の理論的部分全体、すなわち第一章と第二章は……V・コンシデランからとったものである。 したがって、マルクスとエンゲルスの『宣言』は――正統の革命的民主主義のこの聖書は――V・コンシデランの『宣言《せんげん》』のへたくそな言いかえにすぎない。マルクスとエンゲルスは、コンシデランの『宣言』の内容を横領しただけでなく……個々の表題まで借りたのである。」(『「共産党宣言」の起源』という表題の、ドイツ語で刊行された、チェルケジシヴィリ、ラムス、ラブリオラらの論文集、一〇ページを見よ)
 これと同じことを、もうひとりの無政府主義者P・ラムスもくりかえしている。
 「彼ら(マルクスとエンゲルス)の主著(『共産党宣言』)は盗み(盗用)であり、恥しらずのみであるまでのことであるが、彼らは、普通のぬすびとがふるまうように、一語一語をひきう
つしたのでなく、思想と理論だけをぬすんだのだということを、きっぱりと主張することができる。……」(同書、四ページを見よ)
 わが無政府主義者諸君も、これと同じことを『ノバチ』や『ムーシャ(10)』や『フマー(11)』その他でもくりかえしている。
 だから、科学的社会主義とその理論的基礎はコンシデランの『宣言』から「ぬすんだ」ものであるらしい。
 このような主張にはなにか根拠があるだろうか?
 V・コンシデランとはどんな人か?
 カール・マルクスとはどんな人か?
 一八九三年に死んだV・コンシデランは、空想主義者フーリエの弟子で、あとあとまでも度し難い空想主義者であって、諸階級の和解のうちに「フランスの救い」があるとした。
 一八八三年に死んだカール・マルクスは、唯物論者であり、空想主義者の敵であって、生産力の発展と諸階級の闘争とのうちに人類解放の保障があると見た。
 彼らにはどんな共通点があるだろうか?
 科学的社会主義の理論的基礎は、マルクス-エンゲルスの唯物論の理論である。 この理論の見地から見れほ、社会生活の発展は、完全に生産力の発展によって規定される。地主=農奴制度のあとにブルジョア制度がつづいたとすれば、生産力の発展がブルジョア制度の発生を不可避的にしたことがその「原因」なのである。あるいはまた、現代のブルジョア制度のあとに不可避的に社会主義制度がつづいてくるとすれば、それは現代生産力の発展がそれを要求しているためである。ここから、資本主義の崩壊と社会主義の確立の歴史的必然性とがおこってくる。ことから、われわれはその理想を、生産力発展の歴史のうちにもとめるべきであって、人間の頭脳のうちにもとめてはならないという、マルクス主義的命題がうまれてくるのである。
 これが、マルクス-エンゲルスの『共産党宣言』の理論的基礎である(『共産党宣言』第一、第二章を見よ)。
 V・コンシデランの『民主党宣言』はこれに似たことを言っているだろうか? コンシデランは唯物論的見地に立っているだろうか?
 チェルケジシヴィリもラムスもわが「ノバチ派」も、コンシデランが唯物論者であり、社会生活の進化の土台を生産力の発展においたことを証明できるような記述を、またことばを、ただの一つだって『民主党宣言』から引用していない、とわれわれは主張するものである。反対に、われわれは、コンシデランが社会主義史上で観念論者=空想主義者として知られていることを、たいへんよく知っているのである(ポール・ルイの『フランス社会主義史』を見よ)。
 これらの奇妙な「批判者」が、観念論と唯物論の区別さえできないのに、なんだってくだらないむだ話をする気になったのか、なんのために彼らはマルクスとエンゲルスの批判を思いついたか? それは人々をわらわせるためだろうか?……
 科学的社会主義の戦術的基礎は、和解しがたい階級闘争の学説である。というのは、この学説はプロレタリアートが手にする最良の武器だからである。プロレタリアートの階級闘争は、――プロレタリアートが政治権力をたたかいとり、つぎに社会主義を樹立するために、ブルジョアジーを収奪するための武器である。
 これが、マルクス-エンゲルスの『宣言』で述べられた科学的社会主義の戦術的基礎である。
 コンシデランの『民主党宣言』ではこれに似たことが言われているだろうか? コンシデランは、階級闘争をプロレタリアートの手にある最良の武器とみとめているだろうか?
 チェルケジシヴィリとラムスの論文ではっきりしているように(さきに述べた論文集を見よ)、コンシデランの『宣言』では、これについて一語も述べていない、――そこでは階級闘争が悲しむべき事実だということを述べているにすぎない。資本主義をうちやぶる手段としての階級闘争については、コンシデランは彼の『宣言』でつぎのように言っている。
 「資本と労働と才能、――これが生産の三つの基本的な要素であり、富の三つの源泉であり、工業の機構の三つの車輪である。……これを代表する三つの階級な『共通の利害』をもち、彼らの任務は資本家と人民のために機械をはたらかせることである。……彼らには……民族の統一によってあらゆる階級を団結させるという偉大な目的がある。……」(『共産党宣言は盗用』というK・カウツキーの小冊子の一四ページを見よ。ここにはコンシデランの『宣言』のうちのこの筒所を引用している)
 あらゆる階級よ、団結せよ!――これがV・コンシデランが彼の『民主党宣言』でとなえているスローガンである。
 諸階級の和解というこの戦術とあらゆる国のプロレタリアよ反プロレタリア的なあらゆる階級にたいして団結せよ、ときっぱりと呼びかけているマルクスとエンゲルスの和解しがたい階級闘争の戦術とのあいだには、どんな共通点があるだろうか?
 もちろん、なんの共通点もない!
 チェルケジシヴィリのような諸君や、彼らの軽率な亜流が、なんだってこんなむだ話をするのだろう! 彼らはわれわれを死体だと思っているのではなかろうか? われわれが彼らをあかるみにひざださないだろうと思っているのであろうか?
 最後に、もう一つおもしろい事情がある。V・コンシデランは一 八九三年まで生存した。一八四三年に、彼はその署『民主党宣言』を出版した。一八四七年末に、マルクスとエンゲルスは彼らの『共産党宣言』を執筆した。それ以来、マルクスとエンゲルスの『宣言』はなんどとなくヨーロッパのあらゆる国語で重版された。マルクスとエンゲルスがその『宣言』によって一時期を画したことは、だれでも知っている。それにもかかわらず、コンシデランにしても彼の友人にしても、マルクスとエンゲルスがコンシデランの『宣言』から「社会主義」をぬすんだということを、マルクスとエンゲルスの存命中に、どこでだって、いちどだって声明したことはない。読者よ、これなへんなことではないか?
 では、これらの「帰納的」おせっかい――これは失礼――「学者」は、なぜたわごとをしゃべる気になったのだろう? 彼らはだれにかわってしゃべっているのだろうか? 彼らはコンシデラン以上に『宣言』のことをよく知っているというのだろうか? それとも、彼らはV・コンシデランや彼の支持者たちが『共産党宣言』を読まなかったと仮定したのであろうか?
 もうたくさんだ。……無政府主義者自身にしても、ラムス-チェルケジシヴィリのくわだてにドン・キホーテ式の遠征にはまじめに注意をはらわなかったのだから、たくさんだ。このこっけいな遠征の恥ずべき結末ははっきりしすぎているから、これにあまり注意をはらうまでもないからだ。 ……
 本質的な批判にうつろう。

          *   *   *

 無政府主義は、ある持病にかかっている。彼らは、反対者の党派を「批判」することが大すきであるが、これらの党派のことをすこしでもよく知っておくために骨をおろうとはしない。われわれは、無政府主義者が社会民主主義者の弁証法的方法と唯物論の理論を「批判」するとき、ちょうどこのとおりにふるまったのを見た(第一、第二章を見よ)。彼らは、社会民主主義者の科学的社会主義の理論について述べるときも、このとおりにふるまうのである。
 たとえば、つぎの事実をあげてみよう。エス・エル(12)と社会民主主義者らあいだに原則的な相違があることを知らないものがあるだろうか? 前者が、マルクス主義、マルクス主義の唯物論の理論、その弁証法的方法、その綱領、階級闘争を否定しているのにひきかえて、――社会民主主義者かまったくマルクス主義に依拠していることを知らないものがあるだろうか? 『革命のロシア』(エス・エルの機関紙)と『イスクラ』(社会民主党の機関紙)とのあいだの論争を小耳にはさんだものにとっては、この原則的な差別は自明のことでなければならない。だが、この差別を見ないで、エス・エルも社会民主主義者もマルクス主義者であるかのようにさけぶ「批判者」のことを、諸君はなんと言うだろうか? たとえば、無政府主義者は、『革命のロシア』と『イスクラ』という二つの機関紙がマルクス主義的機関紙である、と主張している(無政府主義者の『パンと自由』という論文集の二〇二ページを見よ)。
 無政府主義者が社会民主主義の原則について「精通している」とは、こんなことである。
 そうとすれば、彼らの「科学的批判」がどこまで根拠のあるものかは自明のことである。……この「批判」を検討しよう。
 無政府主義者のおもな「非難」は、彼らが社会民主主義者を真の社会主義者とはみとめないところにある。諸君は社会主義者じゃない、諸君は社会主義の敵だ、と彼らはくりかえしている。
 クロポトキンは、これについてこう書いている。
 「……われわれは……社会民主主義派の……経済学者の大多数とはちがった結論に到達する。……われわれは……自由な共産主義に到達する。ところが、社会主義者(社会民主主義者という
意味である―著者)の大多数は国家資本主義と集団主義に到達するだろう。(クロポトキン『現代科学と無政府主義』七四―七五ページを見よ)
 社会民主主義者の「国家資本主義」と「集団主義」とはどんなことであるか?
 クロポトキンは、これについてこう書いている。
 「ドイツの社会主義者は、あらゆる蓄積された富が国家の手に集中されなければならない、と言っている。その国家は、この富を労働者の組合にまかせ、生産と交換を組織し、社会の生活と労働を監視するであろう。」 (クロポトキン『反逆者のことば』六四ページを見よ)
 さらに、
 「集団主義者は、彼らの計画上……二重の誤りをおかしている。彼らは、資本主義制度を廃絶しようとのぞみ、それとともに、この制度の基礎をなしている二つの組織、すなわち代議政治と賃労働を保存している。」(『パンの獲得』一四八ページを見よ)……「集団主義は、周知のように賃労働を……保存する。代議政治が……主人〔経営者、資本家〕のかわりになる……にすぎない。……」 この政府の代表者は、「生産から得られる剰余価値をあらゆる人のために利用する権利を、自分のために保留する。そのうえ、この制度では労働者の労働と教育をうけた人の労働との区別が確立されていて、雑役人夫〔不熟糠労働者〕の労働は、集団主義者の見解によると単純労働であり、これにひきかえ、手工業者、技師、学者などは、マルクスが複雑労働と名づけた労働に従事し、より高い賃金をうけとる権利をもっている。」 (同上、五二ページを見よ) このようにして労働者は、彼にとって必要な生産物を、彼の必要に応じてではなく「社会にたいしてはたした給付に比例して」うけとるであろう(同書、一五七ページを見よ)。
 グルジアの無政府主義者も、これと同じことを、ただし自信たっぷりにくりかえしているにすぎない。そのなかでも、むこうみずの点でとりわけ目だつのは、バートン氏である。彼はこう書いている。
 「社会民主主義者の集団主義とはどんなものか? 集団主義、もっと正確にいえば国家資本主義は、つぎの原則にもとづいている。すなわち、各人はすきなだけ、あるいは国家が規定するだけ、労働し、その報酬として、彼の労働の価値を商品でうけとらなければならない、ということである。」つまり、ことでは「立法議会が必要であり、……執行権力、すなわち、大臣、あらゆる行政官、憲兵、スパイ、それから不満が多すぎるようなときは、おそらく軍隊も(また)必要である」ということにある(『ノバチ』第五号、六八―六九ページを見よ)。
 これが、社会民主主義にたいする無政府主義者諸君の第一の「非難」である。

          *   *   *

 つまり、無政府主義者の議論はつぎのようなことになる。
 (一) 社会民主主義者の意見によると、社会主義社会は、主要な主人として労働者をやとい、いやおうなしに「大臣……憲兵、スパイ」をもたなければならぬ政府のようなものがないと不可能であること。(二) 社会主義社会では、社会民主主義者の意見によると、「きたない」労働と「きれいな」労働の区別が廃絶されず、そこでは、「各人にはその必要に応じて」の原則がしりそげられ、「各人にはその給付に応じて」という別の原則がみとめられるらしいこと。
 社会民主主義にたいする無政府主義者の「非難」はこの二点にもとづいている。
 無政府主義著諸君が提起したこの「非難」にはなにか根拠があるだろうか?
 われわれは、このばあい無政府主義者の言っていることは、すべて無思慮の結果であるか、それとも恥ずべきでっちあげの結果である、と断言する。
 事実はこうである。
 はやくも一八四六年に、マルクスはこう言った。【労働者階級はその発展の過程において、諸階級ならびにその敵対関係を排除する一つの結社をもって、古い市民社会におきかえるであろう。そして、本来の意味での政治権力はもはや存在しないであろう。……」(『哲学の貧困』〔第一巻四五○ページ〕を見よ)
 一年たって、マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』で同じ思想を述べた『共産党宣言』第二章)。
 一八七七年に、エンゲルスはこう書いた。「国家が実際に全社会の代表者として登場する最初の行為――社会の名において生産手段をにぎること――、それは同時に国家が国家としておこなう最後の自主的行為である。社会的諸関係にたいする国家権力の干渉は、一分野ごとにしだいに不用のものとなり、ついでひとりでにねむりこんでしまう……国家は『廃止される』のではない。それは死滅するのである。」(『反デューリング論』〔第一四巻四七四ページ〕)
 一八八四年に、同じエンゲルスはつぎのように書いた。「このように、国家は永遠の昔からあるものではない。国家がなくてもすんでいた社会、国家……を予想さえもしなかった社会が、かつて存在した。社会の階級分裂と必然的にむすびついた経済的発展の一定の段階において、この分裂によって国家が一つの必然となったのである。われわれはいま、急歩調で、これら諸階級の存在が必然であることをやめるばかりでなく、かえって生産の積極的障害となる、生産の一発展段階に近づいている。階級の発生が不可避的であったのと同様に、その消滅もまた不可避的であるだろう。階級の消滅とともに国家も不可遂的に消滅する。生産者の自由平等な結合を基礎として生産をあらたに組織する社会は、国家機構全体を、それがそのとき所属するであろう場所におきかえるであろう。すなわち、糸車や青銅のおのとあわせて古代博物館へ。」(『家族、私有財産および国家の起源』〔第一三巻四七八ページ〕)
 これと同じことを、エンゲルスは一八九一年にくりかえしている(『フランスにおける内乱』の序文〔第一一巻三八四―八七ページ〕を見よ)。
 ごらんのように、社会民主主義者の意見によると、社会主義社会とは、いわゆる国家、すなわち大臣や知事や憲兵や警官や兵士をそなえた政治権力の、存在の余地がないような社会である。国家存在の最後の段階は、社会主義革命の時期、すなわち、プロレタリアートが国家権力をその手ににぎり、ブルジョアジーを最後的に廃止するために彼自身の政府(独裁)をつくりだす時期であるだろう。だが、ブルジョアジーが廃止され、階級が廃止され、社会主義が確立されるときは、どんな政治権力も必要ではなくなり、――いわゆる国家は歴史の分野へとひきさがるであろう。
 ごらんのように、無政府主義者が指摘した「非難」は、なんの根拠もないでっちあげである。
 「非難」の第二点について言うと、カール・マルクスはこれについて、つぎのように述べている。
 「共産主義(すなわち社会主義)社会のより高い段階で、すなわち個人が分業のもとに奴隷的に隷属している状態がなくなり、したがってまた精神労働と肉体労働との対立がなくなったとき、,また……労働そのものが生活の第一の欲求となったのち、個人の全面的な発展とともに、生産力も増大した……にち――そのときはじめて、狭いブルジョア的権利の地平線は完全にふみこえられ、社会はその旗のうえにこう書くことができる、各人は能力に応じて、各人にはその必要に応じて!」(『ゴータ綱領批判』〔第一二巻二四三―四四ページ〕)
 ごらんのように、マルクスの意見によると、共産主義(すなわち社会主義)社会のより高い段階は、「きたない」労働と「きれいな」労働との分業と、精神労働と肉体労働との対立とが完全にとりのぞかれ、労働が平等にたり、社会には、各人は能力に応じて、各人にはその必要に応じて、という真に共産主義的な原則が支配するような制度である。ここには賃労働の余地はない。
 あきらかに、この「非難」にも、なんの根拠もない。
 無政府主義者諸君が、右にあげたマルクスとエンゲルスの著作を見たことがなく、うわさをもとにして「批判」に従事しているのか、それともマルクスとエンゲルスの上述の著作について知りながら、わざとうそをついているのか、二つに一つである。
 これが、第一の「非難」の運命である。

          *   *   *

 無政府主義者の第二の非難は、彼らが社会民主主義の革命性を否定することである。君たちは革命家じゃない、君たちは暴力革命を否定している、君たちは投票用紙だけで社会主義を樹立したがっている、――無政府主義者諸君はわれわれにこう言う。
 まぁ、ききたまえ。
 「……社会民主主義者は……『革命』、『革命的闘争』、『武器を手にした闘争』を題にして弁じたてることがすきである。……だが、もし君がばか正直にも彼らに武器をもとめるとしたら、彼らはもったいぶって選拳のときの投票用紙を君にわたすだろう。……」 彼らは主張する、「革命家にふさわしいただ一つの合目的的な戦術は、資本主義や既成の権力や現存するあらゆるブルジョア制度に忠誠をちかう平和的・合法的な議会主義だ」と(論文集『パンと自由』二一、二二―二三ページを見よ)。
 これと同じことをグルジアの無政府主義者も言っている。いうまでもなく、いっそう自信をもって。たとえばバートンをあげてみよう。彼はこう書いている。
 「すべて社会民主主義は、……銃や武器による闘争はブルジョア的な革命の方法であり、投票用紙だけによって、普通選挙だけによって諸党が権力をにぎり、つぎに議会の多数と立法によって社会を改造することができるということを、おおっぴらに声明している。」(『国家権力の獲得』三―四ページを見よ)
 無政府主義者諸君は、マルクス主義者のことをこう言っている。
 この「非難」には、なにか根拠があるだろうか?
 われわれは、無政府主義者が、ここでも無学とでっちあげごのみをしめしている、と声明する。
 事実はこうである。
 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、はやくも一八四七年末につぎのように書いた。
 「共産主義者は、自己の見解や意図をかくすことを恥とする。共産主義者は、彼らの目的は既存の全社会組織を暴力的に転覆することによってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義革命のまえに戦慄せしめよ。プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかにうしなうなにものもない。彼らの得るものは全世界である。万国のプロレタリア団結せよ!」(『共産党宣言』〔本文庫『共産党宣言』七四―七五ページ〕を見よ。合法的な版のあるものには、翻訳のときいくつかのことばが略されている)
 一八五〇年に、ドイツの新しい進出を期待して、カール・マルクスはその当時のドイツの同志たちにつぎのように書きおくった。
 「武器と弾薬はどんなことがあっても手ばなしてはならない。……労働者は独自に、みずからえらんだ隊長と、みずからえらんだ自分の司令官とをもつプロレタリア衛兵として自分を組織し……なければならない。……」 そして、このことを「目前の暴動のあいだ、ないし、この暴動ののちに考慮しなければならない。」(『ケルン共産党裁判』を見よ。共産主義者〔同盟〕へのマルクスの呼びかけ〔第四巻三一六ページ〕)
 一八五一―五二年に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスはこう書いた。「……いったん蜂起がはじまったら、最大の決意をもって行動し、攻勢をとらなければならない。守勢はあらゆる武装蜂起の死である。……必要なことは、敵の兵力がまだ分散しているあいだに敵の不意をうち、たとえ小さな勝利であっても、日々に新しい勝利を得、……敵がその兵力を諸君にむけて集結しえないうちに、敵に退却をやむなくさせることである。一言でいえば、これまでに世に知られている最大の革命戦術の大家であるダントンの『大胆なれ、大胆なれ、もういちど、大胆なれ』ということばにしたがって行動せよ。」(『革命と反革命』〔第四巻一四八ページ一〕)
 われわれは、ここで問題になっているのは「投票用紙」だけではないと思う。
 最後に、パリ・コンミューンの歴史を思いだしたまえ。コンミューンがパリでおさめた勝利に満足し、反革命の巣窟たるヴェルサイユを攻盤することを断念したとき、いかに平和的に行動したかを思いだしたまえ。諸君は、そのときマルクスがなんと言ったと思うだろうか? 彼はパリ人に選挙へと呼びかけただろうか? 彼はパリ労働者の無頓着を是認しただろうか(全パリは労働者の手中にあった)、彼はパリ人がうちやぶられたヴェルサイユ人にしめした寛大さを是認しただろうか? マルクスの言ったことをちょっときいてみたまえ。
 「これらパリ人には、なんとすばらしい弾力性と歴史的創意と犠牲能力とがあることだろう! 六ヵ月も兵糧ぜめにあい……彼らはプロシアの銃剣の下から立ちあがった。……歴史はかくも偉大な実例をかつて見たことがない! もし彼らが一敗地にまみれるとしても、それは彼らの『お人よし』の罪にほかならない。まずヴィノア軍が、ついでパリ国家防衛軍中の反動的部分までが退却したのち、ただちにヴェルサイユに進軍すべきであった。ところが、この絶好の機会は、彼らがためらっているあいだに逸せられてしまった。人々は、邪悪な不具者ティエールがパリの武装解除の企てをやってすでに内乱をはじめたことを知らないかのように、内乱の火ぶたをきろうともしなかった!」(『クーゲルマンへの手紙』〔第一一巻二九五ページ〕)
 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスは、このように考え、また行動した。
 社会民主主義者は、このように考え、また行動した。
 だが、無政府主義者は、投票用紙がマルクスとエンゲルスと彼らの後継者の興味をひくだけであり、――彼らは暴力的・革命的行動をみとめていない、とあいかわらずくりかえしている!
 ごらんのとおり、この「非難」もまた、無政府主義者がマルクス主義の本質について無知であることを暴露するでっちあげである。
 これが、第二の「非難」の運命である。

          *   *   *

 無政府主義者の第三の「非難」は、彼らが社会民主主義の人民的性格を否定し、社会民主主義者を官僚主義者としてえがき、プロレタリアートの独裁にかんする社会民主主義の計画が革命にとって死であり、そのばあい社会民主主義者がこのような独裁の味方をするかぎり、実際にはプロレタリアートの独裁ではなくてプロレタリアートにたいする彼ら自身の独裁を樹立しようとのぞむものだ、と断言している。
 クロポトキン氏の言うことをきいてみよう。
 「われわれ無政府主義者は、独裁にたいし最終判決をくだした。……われわれは、どんな独裁でも、たとえその意図がどんなに尊敬すべきものであろうと、革命に死をもたらすものだということを知っている。われわれは……独裁の観念が……いつでも奴隷状態を永久化しようとつとめた政府を偶像のように崇拝することの有害な産物にほかならないことを知っている。」 (クロポトキン『反逆者のことば』一三一ページを見よ) 社会民主主義者は革命的独裁をみとめるだけでなく、彼らはまた「プロレタリアートにたいする独裁の支持者である。……労働者が彼らの関心をひくのは、労働者が彼らの言いなりになる訓練された軍隊であるかぎりにおいてである。……社会民主主義は、プロレタリアートをつかって国家機関を自分の手にいれようとつとめる。」(『パンと自由』六二、六三ページを見よ)
 これと同じことを、グルジアの無敵府主義者たちはこう言っている。
 「プロレタリアートの独裁は、その本来の意味では、全然不可能である。なぜなら、独裁の支持者は政治家であり、彼らの独裁は、全プロレタリアートの自由な活動ではなく、社会の頭に今日存在しているのと同じ代議権力を樹立することとなるだろうからである。」(バートン『国家権力の獲得』四五ページを見よ)「社会民主主義者が独裁の味方をするのは、プロレタリアートの解放に協力をするためではなく……その独裁によって新しい奴隷状態を確立する」ためなのである(『ノバチ』第一号、五ページ、バートン〔の論文〕を見よ)。
 これが、無政府主義者諸君の第三の「非難」である。
 読者をあざむくつもりの無政府主義者のあいかわらずの中傷をあばくには、たいした骨折りは必要でない。
 クロポトキンによるとあらゆる独裁は革命にとって死であるのだが、われわれは彼のたいへんまちがった意見をここで解剖はしないことにしよう。それについては、あとで無政府主義者の戦術を解剖するときに述べることにしよう。いまは「非難」そのものだけについて述べたいと思う。
 一八四七年末に、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスはこう言った。社会主義を樹立するには、プロレタリアートは、その独裁の助けによってブルジョアジーの反革命的攻撃をうちかえし、彼らから生産手段をとりあげるために政治的独裁をたたかいとらなければならない。また、この独裁は若干の人々の独裁ではなく、階級としての全プロレタリアートの独裁でなければならない、と。
 「プロレタリアートはブルジョアジーからしだいにいっさいの資本をうばいとり、いっさいの生産用具を……支配階級として組織されたプロレタリアートの手に集中……するためにその政治的支配を利用するであろう。」(『共産党宣言』本文庫『共産党宣言』五四―五五ページ〕を見よ)
 すなわち、プロレタリアートの独裁は、ブルジョアジーにたいするプロレタリアートの全階級の独裁であって、プロレタリアートにたいする若干の人々の独裁とはならないだろう。
 そののちも彼らは、そのほとんど全著作で、この思想をくりかえしている。たとえば、『ルイ・ボナパルトのプリュメール十八日』、『フランスにおける階級闘争』、『フランスにおける内乱』、『革命と反革命』、『反デューリング論』、その他の著作で。
 だが、それだけではない。マルクスとエンゲルスがプロレタリアートの独裁をどのように理解したかをあきらかにし、彼らがこの独裁をどれほど実現できるものと考えたかをあきらかにするには、そのためには、パリ・コンミューンにたいする彼らの態度を知ることが非常に興味がある。問題は、プロレタリアートの独裁が、無政府主義者だけでなく、あらゆる肉屋や居酒屋の主人をもふくめた都市の小ブルジョア、マルクスとエンゲルスが俗物と呼んだすべてのものからも、非難をうけたことにある。エンゲルスはこのような俗物にむかって、プロレタリアートの独裁のことをこう言っている。
 「ドイツの俗物は、近ごろまたプロレタリアートの独裁という言葉をきいて彼らには薬である恐慌におちいっている。よし諸君、この独裁がどんなものか知りたいのか? パリ・コンミューンをよく見たまえ、それがプロレタリアートの独裁であったのだ。」(『フランスにおける内乱』エンゲルスの序文〔第一一巻三八七ページ〕を見よ)
 ごらんのように、エンゲルスはプロレタリアートの独裁をパリ・コンミューンという形で思いうかべたのである。
 あきらかに、プロレタリアートの独裁がマルクス主義の観念ではどんなものであるかを知りたい人は、みなパリ・コンミューンの研究をしなければならない。われわれもまたパリ・コンミューンをとりあげよう。もしもパリ・コンミューンが実際にプロレタリアートにたいする個人の独裁であるということになったら、そのときは、マルクス主義をたおせ、プロレタリアートの独裁をたおせ! だ。だが、もしパリ・コンミューンが実際にブルジョアジーにたいするプロレタリアートの独裁であることがわかったら、そのときは……そのときは、マルクス主義者とたたかうにあたって、でっちあげを考えだすほかになにもすることのない無政府主義者を、腹の底からあざわらってやろう。
 パリ・コンミューンの歴史には二つの時期がある。第一期は、有名な「中央委員会」がパリの事態を支配した時期であり、第二期は、「中央委員会」の全権が消滅したのち、事態の支配が選挙されたばかりのコンミューンにうつった時期である。「中央委員会」はどんなものであり、だれが構成したか? われわれのまえにアルテュール・アルヌーの『通俗パリ・コンミューン史』がある。それは、アルヌーのことばによると、この問題に手みじかにこたえている。闘争がはじまるやいなや、中隊と大隊に編成された約三〇万のパリ労働者は、彼らのあいだから代表者をえらびだした。このようにして「中央委員会」が構成された。
 「彼らの中隊または大隊の部分的選挙によってえらばれた、すべてこれらの市民(「中央委員」)は、――とアルヌーは言う、――彼らを代表者におくった小さいグループにしか知られていなかった。これらの人々とは、だれであり、どんな人であり、なにをしようとしているのか?」 それは「ほとんどもっぱら普通の労働者と下っぱの事務員で、その四分の三のものの名は彼らの街や事務所のほかでは知られていないような人々からなる、無名の政府であった。……伝統はやぶられた。予期しないことが世界におこった。そこには支配階級のものはひとりもいなかった。ひとりの弁護士も代議士もジャーナリストも将軍をも代表としない革命が勃発した。そのかわりに、クルーゾーの鉱夫、製本工、料理人、等々がいる。」(『通俗パリ・コンミューン史』一〇七ペーシを見よ)
 アルテュール・アルヌーはつづけている。
 「われわれは、――と『中央委員会』委員は請願した、――世に知られぬ機関であり、攻撃された人民の手にある従順な道具である。……われわれは……人民の意志の召使であり、その反響となり、その勝利をおさめるために、ここにいるのである。人民はコンミューンを欲している。そこで、われわれはコンミューンの選挙にとりかかるためにのこっている。それ以上でも以下でもない。これらの独裁者は、大衆より高くのぼろうとしないし、それより低くくだろうともしなかった。彼らが、大衆とともに、大衆のなかに、大衆によって生活していることが感じられ、毎秒ごとに大衆に相談し、大衆の言うことに耳をかたむけ、きいたことをつたえ、三〇万の人々の意見を……簡潔な形でつたえようとつとめたにすぎないことが感じられた。」(同書、一〇九ページを見よ)
 パリ・コンミューンは、その存在の第一期に、このようにふるまった。
 これがパリ・コンミューンであった。
 これがプロレタリアートの独裁であった。
 こんどは、「中央委員会」のかわりにコンミューンが行動したコンミューンの第二期にうつろう。二ヵ月つづいたこの二つの時期について、アルヌーは、これがほんとうの人民の独裁であった、と歓喜してさけんでいる。ききたまえ。
 「この人民が二ヵ月にわたってしめした壮大な光景は、未来を正視する……力と希望をわれわれにあたえる。この二ヵ月のあいだパリには、真の独裁が、もっとも完全な、あらそう余地のない独裁が、ひとりの人間のではなく、事態の唯一の主人公である全人民の独裁があった。……この独裁は、(一八七一年の)三月十八日から五月二十二日まで、二ヵ月以上も間断なくつづいた。……」 それ自身としては「……コンミューンは精神的権力であったにすぎず、人民が権力者であり、唯一の権力者であり、彼らの警察と司法制を自分でつくったのだという、市民の一般的な共感のほかには、べつに物質的な力をもたなかったのである。……」(同書、二四二、二四四ページを見よ)
 コンミューンの一員であり、その白兵戦の積極的な参加者であったアルテュール・アルヌーは、パリ・コンミューンの特徴をこのようにしめしている。
 別の一員で、同じように積極的な参加者であったリサガレも、パリ・コンミューンの特徴をこのようにあげている(『パリ・コンミューン史』という彼の著書を見よ)。
 「唯一の権力者」たる人民、「ひとりの人間のではなく、全人民の独裁」――パリ・コンミューンがそれであった。
 「パリ・コンミューンをよく見たまえ。それがプロレタリアートの独裁であったのだ」――とエンゲルスはさけんで俗物におしえている。
 これが、実際マルクスとエンゲルスの考えていたプロレタリアートの独裁なのである。
 ごらんのように、無政府主義者諸君が、プロレタリアートの独裁や、パリ・コンミューンや、彼らがしばしば「批判」するマルクス主義のことを、どれだけわかっているかというと、われわれや読者諸君が漢字を見せられたように、すこしもわかっていない。
 あきらかに、独裁にはふたとおりある。少数者の独裁、わずかなグループの独裁、人民に対立するトレボフやイグナチェフのような連中の独裁がある。このような独裁のかしらに立つのは、普通は、秘密の決定をくだし、人民の大多数の首をしめあげる側近党《カマリリア》である。
 マルクス主義者はこうした独裁の敵である。しかも彼らは、口やかましい無政府主義者よりは、ずっと執拗に、献身的に、こうした独裁とたたかうのである。
 ちがった種類の独裁、ブルジョアジーにたいする、少数者にたいする、プロレタリアの大多数者の独裁、大衆の独裁もある。ここでは独裁のかしらに立つのは大衆であり、ここでは側近党も秘密の決定もその余地はなく、ここでは万事が公然と街頭や集会の席上でおこなわれる、――そして、このことは、街頭の大衆の独裁であり、あらゆる抑圧者にむけられた独裁だからである。
 このような独裁を、マルクス主義者は「両手をあげて」支持する。――そして、このことは、このような独裁が偉大な社会主義革命の壮大な始まりだからである。
 無政府主義者諸君は、たがいに否定しあうこの二つの独裁をごっちゃにし、そのためにわらうべき地位におちこんだ。彼らは、マルクス主義とたたかっているのではなく、彼ら自身の幻想とたたかっているのであり、またマルクスやエンゲルスとたたかっているのではなく、いまはなきドン・キホーテがその昔やったように、風車とたたかっているのである。……
 これが、第三の「非難」の運命である。


以下、これ以上の転載だと私のパソコンが壊れそうなので中止する。必要な読者は目次を入力されればヒットするだろう。
  1. 2013/12/07(土) 07:45:49|
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