古本屋通信

読書不体験

古本屋通信  No 51  11月 12日   

  
読書不体験

 四ヶ月かかって、ようやく N O 51 になった。 N O 4 6 が重複しているが、このままでいく。 私は高校を終えるまで教科書を除いて、本を読んだ記憶がない。そんなに珍いし例でもないと思うのだが。幼少年時代に本を読まなかったことが、自己形成にどう影響したのか、しなかったのか、こういうことを書いても始まらない。それは全て推測になるから。そこで、よく本をよんだ人が実際に成人してから読みつづけているかについて書く。結論は、読んでないだ。いい悪いではない。事実として読んでいないと思う。その例を少々あげる。
① 私のつれあい。先日かたづけをしていたら、図書委員の任命証やら、課題図書の感想やら、コンクールの表彰状がいっぱい出てきた。「捨てていいか」「いいよ」ということで捨てた。あとは想像にまかせる。
② 小学校高学年のとき図書委員で、男子の「本の虫」がふたりいた。中学校に進んでから全く読まなくなった。ひとりは暴力団に行った。もう一人は土木科にいって現場監督になった。暴力団の本読みだっているだろうから、この例は不適切か。現場監督も然りか。
③ 中学校時代勉強ができ、国語が特にでき、本をよく読む少女がいた。いっしょに田舎の高校に進んだが、高校時代には全く読まなかった。女子大にすすんだのちも読んでいた気配はなかった。田舎の「天才少女」で本を読みつづける例を私は知らない。

 私は思うのだ。思春期以前いわば自己形成期以前の読書と、それ以後の読書とは意味がまったく違うのではないか。だからといって、子供に本を読ませなくてよいというつもりはない。しかし、あんまりヤッヤいわないほうがよいと思う。読みたい子が読める環境をつくるにとどめるべきだろう。

 いつだったか漱石の『坊っちゃん』はとても難解でこどもには無理だという人がいた。その説を紹介することはしないけれど、その時なるほどと思った記憶がある。漱石は近代文学の作家なのだ。著作権が消えているからといって、すくなくとも子供向けにリライトしたりしないほうがよい。

 子供の読書運動などに携わっている方には異論もあろうと思うけれど、小学校から高校までで一番大切なことは基礎学力を身につけることだ。基礎学力はモノを考えるうえでかかせない。その中心になるのは教科書の完全理解だ。教科目によって多少は違うけれどガリ勉のすすめだ。試験でいい点をとれる勉強こそ大切だ。知識を頭に叩き込むためには、教科書を暗記すべく繰り返し音読しなければならない。教科書理解、いや丸暗記でよい、これがそのご一生を生きるうえでいかに大事か。例えばこのパソコンの漢字変換ひとつでも。世界名作物語など読む時間があればよめばよい。だが、基礎学力の習得には繋がるまい。

 
 
  1. 2012/11/12(月) 19:59:07|
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