古本屋通信

カスタマーレビュー

古本屋通信    N o 50   11月10日

 カスタマーレビュー


 多忙で記事が書けない。やはり買い入れにともなう作業だ。今回はワクワクするような買物だった。ほとんど徹夜で約800枚の短冊を一つずつ調べている。すべて江戸後期から明治・大正期のものだ。いいクチなのか。二十年まえならそこそこだったろうが、今日ではそうはならない。売れるアテは全くないのだ。
 ま、それは措いて、ブログのネタは下記の本である。新刊書としては少し古くて5年まえに出版されたが、まだ古本屋には回ってきていない。

『新左翼の遺産』 ニューレフトからポストモダンへ   大嶽秀夫

 実はこの本、まだ買っていない。もちろん読んでいない。同じ著者の本を読んだことがあるのと、7年ほどまえ当店に出入りしていた小畑ゼミの院生が大嶽のことを評価していたことが記憶にあったので、カスタマーレビューを潜った。そこで出会った2つの「書評」を貼っておく。もっとも、後者は最後まで読むにおよばない。前者は書物の紹介としてまともだ。氏の書いていることに疑問や異論があろうとも、氏は読みこなして書いている。後者を5行、10行と読んでみよう。やがてなにを書いているのか、分らなくなる。ネット右翼というのが思想の傾向などではなく、基礎学力の不足による人格の歪みであることが分かる。とうてい論争の相手にはなりえないし、読書案内としての価値ゼロだ。しかしネット上では後者が圧倒的多数派である。そういうサンプルとして、長文を敢えて貼った。 
 
 

 まず
朱徳栄氏

六全協から安保闘争を中心に日本新左翼の思想の根っこを読み解こうとした書物である。内在的に感情をこめつつも、豊かな知識と海外の思想を渉猟し、まれに見る視野の広い分析となっている。安保ブントが、なぜ一瞬にして消滅したのか。前衛党希求にいたる背景にある、ニヒリズムやネオリベラリズムにつながる契機を戦中にまでさかのぼりながら分析する
 この方法は体験による嗅覚によって非常に優れた達成を果たした。
およそ、今後の日本において日本新左翼の思想的背景を知ろうとするものは、この書物を踏まえなければならないだろう
 大嶽の提起した問題の深刻さは、じつは新左翼的なニヒリズムが、今日のニートなどを取り巻く閉塞状況において、容易に、かつより奇怪な形(神秘主義)で復活する可能性を示しているからだ。
本題であるポストモダンとのつながりから言えば、筆者は谷川雁、森崎和江の「無名通信」に兆候を見ることができる「脱労働者本隊論」の系譜を正確に掘り当てている。
 大正炭鉱に見る女性、被差別民族など「周縁的パワー」の表舞台への登場は7.7華僑青年同盟の山森差別発言告発以降の左翼の少数者擁護運動につながっているのだ。さらに言えば近年、すが秀美によって精力的に思想的あとづけがなされている68年思想展開の前史を形成した政治思想的水脈を正確にに抉り出している点を取り上げなければならないだろう。
 

 つぎに、ぬかひもと氏


まず気を付けなければいけないのは、本書は「新左翼」といっても「ブント(共産主義者同盟)」と、そのブントが主導した全学連について書かれた本であって、ブントがその活動の頂点となった昭和35年6月の安保反対運動を境に急速に衰え、分裂した後のこと(全共闘の結成や日本赤軍、革マル派、中核派のバカどもが行った凄惨なる内ゲバなど)については全く触れていないということだ。全共闘・革マル派・中核派については立花隆の名著「中核vs革マル」を参照されたい。
 すべての始まりは1955年7月の日本共産党第六回全国協議会で日本共産党が突如それまでの武装闘争方針を全面的に放棄した「六全共ショック」だったということだ。<span style="color:#000000">この六全協において日本共産党は「敵(日本政府)は優勢、味方(共産党及びそのシンパ)は劣勢」という認識の下、テロによる日本政府転覆を諦め、日本国憲法秩序の下、議会制民主主義を尊重し、その枠の中で国民の支持を獲得するという方針を打ち出した。私には武力による憲法秩序の紊乱を日本共産党が一時にせよ肯定していたこと自体がショック(これじゃあ、政党ではなくテロ集団であり、日本国民の敵であって、破防法により直ちに解散命令をすべき団体となるはず)だが、その元テロ集団がテロ路線を放棄し議会制民主主義尊重の路線を採用したことは、私には「真っ当な判断」に思えるのだが、当時の学生や知識人には「裏切られた」と泣き叫ぶものが続出し、共産党に失望して結成されたのがブント(共産主義者同盟)であり「全学連」だというのだから私には大変な驚きである 彼らの当時の世界認識は、世界の共産主義化は自明であり歴史の必然であって、それを理解しないものや共産主義革命の実現を拒むものは「保守反動」であり殺しても構わない取るに足らない存在(ゴミ以下)だというものだ。また、歴史の必然である共産主義革命の早期実現の必要性を理解せず、洞ヶ峠を決め込む優柔不断は「日和見主義者」として、これまた糾弾の対象となる(場合によっては殺しても構わない)。
 こういう発想は、そもそも自由と民主主義を基礎とする日本国憲法の発想とはそもそも根本から相容れない。当時の学生は安保改定を断行した岸信介を保守反動の権化と決めつけ「岸を殺せ」を合言葉に国会に乱入したり、首相官邸を包囲したりして岸信介や自民党他の議員に対する脅迫を繰り返していたが、その岸ですら「自分に反対するものは容赦なく皆殺しだ」とは考えはしなかった。彼はあくまで自由と民主主義の擁護者という建前は崩さなかったのだ。この差は天と地ほど大きいはずだ。
 だのに著者の視線は自由と民主主義を易々と否定し、議会制民主主義を否定し(自分たちの主張が通らないと、「日本の議会制民主主義は機能していない」などと勝手に決めつけ)てしまう浅はかな若者(ばか者)たちに妙に同情的で優しいのである。これではもはや大嶽自身に自由と民主主義を前提とする「政治」を語る資質にさえ疑問符が付くと私には思えてしまう。
 学生たちは自分たちに同情的な発言や行為を行った(特殊な、一部の)沿道の住民たちを、あたかも日本国民大多数の声であり思いであるかのごとき拡大解釈をして「我々は無限の連帯感を感じた」などと勝手に解釈して感動したりしているのもお笑い種だ。仮にそうなら、とっくの昔に日米安保改正を支持した自由民主党は選挙で破れ政権の座から引きずり下ろされていたはずだが、事実はそれとは全く異なる結果となったことは今日誰でも知っている。僕たち私たちの平和と安全を守ってくださる警察官の皆様に罵声を浴びせ投石を繰り返す乱暴な学生たちを苦々しい思いで眺めていた日本国民の数は、学生を支持した(特殊な)市民より遥かに多かったからこそ、日米安保条約は岸の思惑通り改正され、その後も自民党は政権党の座にあり続け、やがて来る高度経済成長時代を演出しきったのではなかったのか。
 今日の目から見れば、彼ら学生たちが夢想した共産主義革命は歴史の必然どころか、共産主義の翼下に不幸にして入った国々はどこもかしこも惨めなまでに零落し窮乏化し大量虐殺を国内で繰り返した挙句、最後には崩壊して自由主義陣営に復帰したことは誰でも知っている。後知恵で過去を裁くことはフェアではない。しかし「されど我らが日々」よろしく結果として完全に間違っていた若者たちの暴走行為を、あたかも青春のノスタルジーのように描写するのは学者として如何なものか。「彼らはどこで間違ったのか」という痛切な視点から、怜悧に容赦なく彼らを分析する視点なくして、全学連やブントの失敗から何かを学ぶことは出来ない。 「彼らは思いは純粋だった」として彼ら成した日本国憲法秩序を踏みにじる破壊活動を正当化するなら、それは同じく「青年将校の思いは純粋だった」として5.15事件、2.2.6事件を正当化する右翼団体と何ら変わらなくなってしまうことを大嶽は思い知るべきだ。
 収穫もないではない。日米安保条約改正反対運動の最中、群集に踏みつけられて死亡した樺美智子は、当時、純真無垢な若者の象徴であるかのうように祭り上げられたが、彼女が実は戦闘的で札付きの「プロの活動家」であり革命闘士だったということや、アルジェリアの植民地独立運動に対するフランス軍の対応が凄惨な無差別殺戮でしかなかったこと(ゲリラに対する正規軍の対応はどこでも同じ)、さらには煮え切らないフランス政府の対応に業を煮やしたアルジェリア派遣軍がクーデターを起こして一時コルシカ島以下の支配権を掌握したりしたことである(フランスのシビリアンコントロールも弱いものなんだのう。フランスよ、あんまり偉そうにするなよ)。
 style="font-size:large;">しかに何といっても最大の収穫は、安保反対を起爆剤に日本国憲法秩序の否定・打倒に失敗した「新左翼」が、その後、日本国政府や日本社会にいちゃもんをつけ、日本社会を紊乱する文字色手段として「なんでもござれ」と環境問題、反原発運動、部落問題、朝鮮人問題、ウーマンリブ運動と、それこそ手段を選ばない何でもありの作戦に打って出たと、大嶽が正直に記述していることだ。ロシア、北朝鮮、中国が何をやっても「不気味なダンマリ」を決め込む不可思議な「市民」運動、「社会主義陣営の核は平和を守るためのきれいな核だが、アメリカの核は世界支配を目論む汚い核だ」という理解不能な主張を繰り出す「反核」団体の不可思議さは、実はこの辺りにその理由があった。要するに「人権」も「平和」も「環境」も、その運動の目的自体はどうでもよくて、真の狙いは「日本国政府に対して如何に嫌がらせをするか」にあったわけだ。日本における「市民」団体が、どうしてかくも胡散臭い臭気を放ち続けてきたのか、その理由をようやく理解することができた。

                以上、引用

 ここまで差がつけば何の解説も要らないだろう。後者の長文がお寒い限りだ。感情ばかりが走っているのは、もはや文でさえない。朱徳氏のレベルではじめて「書評」だということだ。私の賛否は読後に持ち越されるが貴重な案内になった。かれのカスタマーレビュー に出会ったのは小熊英二氏の大著のとき以来で、切れのある短文だ。こういうレヴューはブル新の紙上では決して出会えまい。




古本屋通信    No 1566   8月17日

  『さざ波通信』 (党員用討論欄) のクマさんの論稿



 私は 『さざ波通信』 を読んで感心することは殆んどないのだが、昨日更新されたばかりのクマさんの論稿は一読に価すると思った。初めて転載させていただく。しかしこの日本語、もう少し読みやすく書けないものか。今日の文はまだマシなほうだ。何時ものは読む気になれない悪文。まあ、我慢して意を汲み取って読んであげてください(古本屋通信)。



??『日本は、いかなる意味でも君主制の国ではありません』??
2015/8/16  クマさん
 (文中・敬称略)
 8月4日「赤旗」本紙4面は、志位委員長が「日本は、国民主権の国であって、いかなる意味でも君主制の国ではありません』と指摘。」したことを紹介しています。
 その志位の話は、安倍首相も顔負け、黒も白になる支離滅裂の内容になっている。
 『変革』の立場を失い、事象を『解釈』するようになると志位のようになってしまいます。科学的社会主義から逸脱して数十年、階級敵との対決を恐れた日和見主義、改良主義、実利主義に転落し、議会主義・サロン政党に転落した『変質共産党』指導部による「天皇制」論のお粗末です。

◆“天皇は罰せられて当然、天皇制はなくなればイイ”と、昔のお盆に大人たちは言っていた

 戦後スグ生まれ私の幼年期の周辺には、戦争の傷跡がまだ痛々しく残っていました。神社の前や街頭には白装束で募金箱を首からさげ松葉杖と片足で立つ傷痍軍人たちの姿がありました。
 母の実家は農家、働き手で跡取りの独り息子の母の兄は早くに徴兵され、終戦は南方の戦地で迎えたという。その伯父は脚と腕に太い傷痕を刻み身体はやせ細り目は窪んでの帰省だったとか。そんな話を、お盆に里帰りした母の実家で、伯父や親戚の大人たちから毎年聞かされたものだった。伯父たちの話は、日本人と兵隊は他国の人たちに口には出せない非道なことをしたこと。戦地では食べ物がなくなり死人の肉まで、伯父も騙されて食べさせられその肉は渋みがあった等々なんともおぞましい話もあり。戦争に負けた日本人はアメリカに占領されても文句を言える筋合いになく、どんな処罰も受けなければならないと言うことだった。
 その中で、天皇の話は必ず出た。学校で“天皇は神様、見ると目が潰れる”“日本は神国”と教えられ、“天皇陛下バンザイと唱和させられ戦争に行かされた”“日本人を騙した天皇が一番悪い、天皇は罰せられればいい”と、貧しかった農家のお盆の今では昔の思い出です。が、
 その通り、「玉音放送」でもまだ日本の侵略戦争だったことを認めず、「神国」護持を唱えた天皇であった。―――戦後に、昭和天皇は本来戦争犯罪人として処罰され、「天皇制」も廃止されるべきだったのです。と、と、ところが、

◆「日本は、・・いかなる意味でも君主制の国ではありません」と言う、志位の支離滅裂話

 8月4日「赤旗」本紙4面は、インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」インタビュー番組「もしも共産党が政権の座に就いたなら」での「志位委員長大いに語る」を掲載、その中で、天皇制について、志位が次のように述べたことを紹介している。

「天皇問題では『いまの天皇の制度は、憲法上、“国政に関する機能を有しない”と明記されています。日本は、国民主権の国であって、いかなる意味でも君主制の国ではありません』と指摘。『憲法の制限条項を厳格に守る限り、天皇の制度は社会進歩の障害にならない』と強調しました。将来の展望としては国民の総意で民主共和制に進むという立場だが、それはかなり先の展望であり、憲法の制限条項の厳格な実施、天皇の政治利用など憲法からの逸脱を許さないことが目標だとしました。」(8/4「赤旗」4面記事)

 なんとも呆れた記事です。志位の「天皇制」論は、とても社会一般に通用するような代物ではないばかりか、“語るに落ちる”ことを平然と語っている。看板が『共産党』の党首がそのように体たらくですから、日本の政治劣化も当然ということになるのです。

 志位は、「いまの天皇の制度」は、憲法上によって、すでに「いかなる意味でも君主制の国ではありません」と言っている問題。―――憲法上と言うならば、日本国憲法施行が1947年5月3日ですから、「君主制」問題は、今から68年前の時点ですでに「いかなる意味でも」解決していたということになります。―――それなので、志位はナゼ、これからずーっと「かなり先」の「将来」における日本国の制度について、わざわざと「国民の総意」なるものを持ち出して「共和制」移行について言及せざるをえなかったのでしょうか。そこに、志位の話のデタラメぶりが現れています。
 「天皇の制度」とは「天皇制」です=「君主制」のことに外なりません。
 「天皇の制度」のある日本国とは=“なんらかの君主制”にある日本国ということです。
 「天皇の制度」は世襲の制度、一般人の参入による制度ではなく実に特権的なものです。「憲法上」その制度維持のために、私たちの税金・莫大な国家財政が延々と投入されてきました。
 つまり、「天皇の制度」がなければこの国は成り立たないように「憲法上」で定めてあるのが日本国、それは、わが国が“なんらかの君主制”であることの証です。
 そして「君主制」の対義語は「共和制」です。両者の間に何か別の「制度」はありません。こんな話は、義務教育範囲で解る常識的な話であり、志位の「指摘」は一般社会では通用しません。そのように現状を述べて白を黒と言いくるめる政治家を人はなんと呼ぶのでしょうか?

◆日本国は「立憲君主制」 ―――「広辞苑」の解説

 志位は、「天皇問題では『いまの天皇の制度は、憲法上、“国政に関する機能を有しない”と明記されています。日本は、国民主権の国であって、いかなる意味でも君主制の国ではありません』と指摘。」(前出・記事)

 志位はここで、日本が「いかなる意味でも君主制の国ではありません」とするその理由として、憲法上で天皇の国政関与制限、国民主権が明確であることを上げています。
 この問題について、私は専門家でも何でもありませんが手元にある『辞典』の照会で十分事足りるかと思いますので、まずは信頼性のほどは別にしてネット検索、「ウィキぺディア」でみてみましょう。

「君主制または君主政とは、君主が存在する政体である。君主制を支持・志向する思想や立場は君主主義と呼ばれる。対義語はそれぞれ共和制・共和政と共和主義である。」(ウィキぺディア)

 ウィキぺディアでは以上の説明の後、「現在の君主国一覧」として世界地図に色区分し、日本について「立憲君主制の国」であると表記しています。この解説では、志位の説明を否定する内容です。
 次に、戦前からの権威ある国語辞典・「広辞苑」での解説をみてみます。

「君主制 ――世襲の単独の首長により統治される政治形態。君主の専断に委ねられる絶対君主政体と、制度によって制約される制限君主政体、とりわけ憲法の制限下におかれる立憲君主政体とに分かれる。←→共和制」(広辞苑・第五版)

「立憲君主制 ――憲法に従って行われる君主制。原則として君主の権力が議会に制限を受けるようになっている制度。制限君主制。」(広辞苑・第五版)

 以上のように、「広辞苑」の解説と「ウィキぺディア」の解説は何も矛盾はなく一致しています。両者の解説を合わせ読むことによって、日本の「いまの天皇の制度」についてより理解ができました。―――その解説によれば、現在の日本は、「立憲君主制」、「制限君主制」ということになります。こうして志位の説明はやはり一般社会で通用できない代物と言えるでしょう。

◆「わが国は・・立憲君主制と言っても差しつかえない」―――内閣法制局長官・吉國一郎

 公文書をネット検索、「象徴天皇制に関する基礎的資料」(H15年2月衆議院憲法調査会事務局)を見ることができました。そこで、“行政府の法の番人”とも言われる内閣法制局長官は次のように見解を述べています。

「国家の形態を君主制と共和制とに分けまして、わが国がそのいずれに属するか・・・公選による大統領その他の元首をもつことが共和政の顕著な特質であるということが一般の学説でございまするので、わが国は共和制ではないことはまず明らかであろうと思います。そこでは、君主制をさらに専制君主制と立憲君主制にわけるといたしますならば、わが国は近代的な意味の憲法を持っておりますし、その憲法に従って政治を行う国家でございます以上、立憲君主制と言っても差しつかえないであろうと思います。」(1973/6/28参議院内閣委員会での吉國一郎・内閣法制局長官の発言)

 このように、「わが国は共和政ではない・・・立憲君主制」であると、2003年の立法府の「基礎的資料」で明確に紹介されています。こうして、志位の話は国会でも通用しません。
 「憲法上」という問題ですが、次に紹介する通りそもそも「日本国憲法」をつくった当時の責任者たちが全国民に説明した冊子の中で、戦後日本も「国体はかわらない」と説いています。―――日本平和委員会の活動家の友人より当方購入した岩田行雄・発行によるパンフレット、1947年5月3日非売品刊行・帝国議会内「憲法普及会」(会長・芦田均)編の『新しい憲法 明るい生活』、当時の政府が新憲法啓蒙のために当時の全世帯数2千万全戸配布したという憲法全文を掲載した小冊子ですが、そこで次のように述べてあります。

「◇私たちの天皇・・(中略)・・このように天皇についての定めがかわったので、・・・形の上では、ずい分かわった。しかし、私たちの天皇にたいする尊敬と信頼の気持による結びつき、天皇を中心として私たち国民が一つに結びつき合っているという昔からの国柄は少しもかわらないのであるから国体はかわらないといえるのである。」(憲法普及会編「新しい憲法・明るい生活」)

 以上のように、その形はかわっても「天皇を中心として・・国体はかわらない」と、つまり、日本国は「天皇」あっての国家であり、「天皇制」は実態をもったものであるということを日本国憲法を発表した責任者たちが述べたのです。―――国体・天皇制についてそのような記述が生まれた背景は、それが日本の終戦処理に関わる最大重要問題としてあり、対日理事国も当然承知のことでした。従って、戦争終結直前から日本国憲法制定の経過の中に「天皇制」の問題に一切の曖昧さは許されず、当時から現在まで立法府、行政府を問わず“日本は立憲君主制の国家である”と明言するのは当然のことなのです。つまり、、、

◆「ポツダム宣言」と「玉音放送」―――「国体(天皇制)護持」による戦争終結

 1945年7月26日「ポツダム宣言」が発表され、天皇政府がスッタモンダしている内に原爆まで投下されとうとうギブアップ、8月10日未明の御前会議において、国体(天皇制)護持のみを条件としてポツダム宣言を受諾することを決定、外務省は午前7時に「天皇の国家統治の大権を変更する要求を包含していないことの了解の下に」と中立国のスイス等の駐在公使館に公電し「宣言」受諾を伝えている。そして、14日午前の御前会議で最終的にポツダム宣言受諾を決定、午後の閣議決定を経て、深夜に中立国を通じてその日本の降伏が連合国に伝えられ確認された。
 8月15日正午、全日本人に対して、日本放送協会のラジオを通じて「爾臣民ニ告ク」と絶対君主・昭和天皇による「大東亜戦争終結に関する詔書」(玉音放送)が流されました。
 そこには、「朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ・・」などと侵略戦争への反省など微塵もなく居直り(安倍晋三の「70年談話」は天皇のこれを踏襲している)、あろうかことか「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ」「確ク神州ノ不滅ヲ信シ」と、あからさまに「天皇制」国家の継承を宣言してみせたのでした。
 前出の帝国議会「憲法普及会」のパンフにある、「形の上では、ずい分かわった。しかし、・・・天皇を中心・・という昔からの国柄は少しもかわらないのであるから国体はかわらないといえるのである。」(国体=天皇制)、という記述は、日本の占領に乗り出したアメリカ帝国主義が当然承知の終戦処理のうえにもたらされたのです。

 こうして志位が「指摘」した「天皇の制度」の話は、御前会議と昭和天皇の玉音放送、日本国憲法の発表者たちの説明、今日における行政及び立法府の説明、戦前より権威ある国語辞典の解説、そのどれに照らしても全く通用しない、それどころか、戦後史の事実経過も含めて、黒も白にする詐欺師まがいの政治家の言動ということになるでしょう。

 志位は、きょう8月15日付「赤旗」一面トップで「戦後70年にあたって――『安倍談話』と日本共産党の立場」の談話を出し安倍首相を批判しましたが、その中で「日米安保条約」も「日米軍事同盟」とも言葉を用いていません。――そこに事象のみを取り上げてそれが生ずる原因を述べることができない党首の情けない姿が現れています。したがってまた、原因と事象によりもたらされるであろう前途について、その闘争展望を構築することができない場当たり政党、―――日米軍事同盟打破の闘争を提起できない腰ぬけ、そのような政党の存在価値は如何ほどのものでしょう?

 志位は、ナゼそのようなアホらしい政治家になってしまったのでしょうか?
 また、このような党首の言動がまかり通る『共産党』の運動はいったいどのような役割を果たすことになるのでしょうか?
 次回投稿で、科学的社会主義運動の立場から志位の「天皇の制度」論について、その点検・批判をしてみたいと思います。




古本屋通信    No 1567   8月18日

  鵜崎義永 (故人 元専従党員)の党中央委員会への意見書

 『さざ波通信』
に表題の文が8回に分けて分載されていた。今回ここに一本にまとめて転載させていただく。サイトの管理者様、鵜崎ご夫人様、お世話になります。ありがとう(古本屋通信)。


 日本共産党中央委員会への意見書…1 
 2013/6/1  鵜崎義永 故人(82歳) 元専従党員
 2012年3月10日朝、夫・鵜崎義永が82年の生涯を閉じました。三十代から四十代にかけての10年ほどを日本共産党愛知県委員会の勤務員として過ごしたのですが、機関を罷免され職を失いました。1973年、彼は党中央に党活動について長文の意見書を提出しました。もう40年前のことになります。生前、その意見書を公表する意思を固めていましたので、さざ波通信に投稿させていただきます。
 ごく親しい少数の方にその意見書を読んでいただきました。そのうちのお二人が感想を寄せて下さいましたので、意見書の投稿に先立ちそれを紹介させていただきます。  (鵜崎義永・妻)  


 鵜崎氏の意見書について  一労働者
 鵜崎氏は亡くなる直前、1973年に党に出した本意見書の公表を希望したという。鵜崎氏が40年経った今になっても伝えたかったことは何か、それは、私には以下のことと理解される。

 本意見書は党の活動が、労働組合運動や大衆運動抜きに、党勢拡大や選挙活動に埋没してしまっていることを批判する。氏はそのことが、党の何より重大な本質的問題点と捉えたが故に、生活の糧を賭してまで批判した。しかしその批判は一顧だにされることなく踏み潰され、党の活動の在り様は何ら変わることなく、今日に引き続き日常的に繰り返されている。氏は死に当たり、この今に通ずる党の根源的な問題点を本意見書で再提起したかったと言える。

 改めて氏の指摘する、“労働運動や大衆運動を軽視すること”が持つ意味を考えてみる。

 現在、様々な問題、困難、矛盾が横たわっている。原発事故で生活基盤を失い、沖縄に基地が押し付けられ、庶民には増税、社会保障切り下げ、など、見渡したらきりがない。そうした問題を待つまでもなく、各人誰もが何らかの問題、困難、矛盾を抱かえている。これら直面する問題に、各人真っ向から立ち向かい、抗うことが大切だ。そうしなければ周りの状況にただ流されるだけで、矛盾はそのまま残り、自らが歩む道さえ他のものによって支配され決められる、主体性を欠く事態に陥ってしまうからだ。

 矛盾を真正面から捉えた抗い、それは抗う者同士の強い連帯を生む。たとえ抗う相手が異なっていたとしても、抗う中での困難、苦しみなどが共感を持って理解出来るからである。そしてその抗いが他の者をも勇気付け、新たな抗いをも生み出し、また自らが一層奮い立つ勇気を得、連帯が広がると共に深まって行く。労働運動や大衆運動はこうした抗いが基礎となって発展していくのである。

 従って、事態を切り開き、社会の変革を目指す党員にとっては、自らが矛盾と抗うことがとりわけ必要である。自らは抗わず支援するだけ、党支持を訴え選挙での投票をお願いするだけでは、一時的な支持を得ることは出来たとしても、信頼を得た強い支持が得られる筈もない。抗わぬ者には直面している問題に気付かせ、その解決に向けて踏み出す勇気を与えることが必要で、そのためにも自らが抗う、自立した個であることが求められる。にもかかわらず、党はその視点を完全に捨て去り、2004年の綱領改定では階級闘争を投げ捨て、議会活動によって社会変革を目指す議会政党・選挙政党へと変質を遂げてきた。それが党の何よりもの問題である。

 党による労働運動や大衆運動の軽視が、象徴的に表れたものとして、国鉄闘争がある。党は提訴団の意に反し提訴取り下げとなる4党合意に対し、見て見ぬふりの態度を取った。階級闘争の先頭に立って闘う者の立場に立たず、支持があまり見込まれないと見るや、関わろうとしなかった。この姿勢が、現場の矛盾と正面から向き合って抗い闘おうとする者たちの信頼を喪失させることは明らかだ。自立的に事態の打開を目指し、社会変革の力となる、党の最も支えとなる人たちからの信頼を失うのである。党が移ろい易い大衆の支持・票に依存し、議会政党・選挙政党に堕したこと、それが労働運動や大衆運動の力を弱め、党勢拡大を目指しながら、長期にわたる党勢の衰退をもたらしてきた根本原因であり、ひいては支配層による弱者を鞭打つ醜い現在の社会状況作りへの歯止めとならず、その実現を許してきたのである。

 氏の本意見書の投稿をきっかけに、各人が矛盾を真っ向から見据えて抗うことの意義について考え、自らの日常的な中での活動の在り様を、改めて見直すきっかけになれば、氏の問題提起がその役割を果たすことになる。私自身それを行うと共に、一人でも多くの人がそうあることを願う。


 鵜崎義永さんのこと  友人の一人
 少しでも動くと胸背部に激痛が走る病との闘いは半年を越えた。亡くなる前の半年ほどはほとんど寝たきりであった。厳しい痛みとの別れはこの世との別れでもあった。享年82歳。後半生をかけた史的唯物論の研究も道半ばとなった。
 氏が史的唯物論の研究を本格的に始めるようになったのは、おそらく15年から20年ほど前からである。ソ連・東欧社会主義が崩壊し、旧来のマルクス・レーニン主義は現実的有効性をほとんど持たなくなってしまったかのようにみえる。氏の興味は、歴史科学の発展により至る所にほころびが出ていた史的唯物論の再構築へと向かった。資本主義が永遠でないとすれば、理論の再構築が、その次に来る新しい社会構成体をつくるために根源的に必要な作業だと考えたからである。
 氏は、(おそらく)60年安保闘争後まもなくから1971年まで日本共産党愛知県委員会の専従党員として過ごした。専従活動をやめたのは自らの意思ではない。県委員会による罷免であった。罷免の本質的な理由は、氏が党の方針・活動を批判し、それに賛成しなかったからである。分派活動など規律違反などではない。「党の方針に意見を持つ者は機関に置いておくわけにはいかない」というのがその理由であった。宮本氏の絶頂期の出来事である。

 氏が罷免されるまでの経過を素描する。
 宮本体制が確立し、党勢拡大と選挙を中心とした党活動が熾烈に展開された時期のことである。年代的には60年代後半から70年にかけてのことである。氏は、次第にこのような活動に疑問を抱くようになり、批判的な立場を強めていく。また、愛知県委員会では中央委員候補でもあった箕浦県副委員長の家父長的・成績主義的指導により、党中央の方針の本質的弊害がさらに増幅されていた。

 1960年代後半になると、愛知県党では、このような党活動により基礎組織の疲弊がかなり広く存在するようになり、若干の党機関勤務員(専従党員)がこのような現状に危機感をいだき、指導改善と呼ばれる一連の動きが始まり、やがて「五月事件」などとして顕在化する。機関指導部は、数人の県・地区勤務員の私的会話――実際に分派的な存在もあったようであるが、氏はそれらとは距離を置いていたようである――の中にあった機関に対する批判的な言辞を取り上げて査問するなど抑圧的に対処した。党勢が拡大しつつある過程で生じた「党の将来の頽勢を示唆する萌芽的な出来事」を直視することなく、社会通念上考えられないような常軌を逸した党勢拡大運動はあらためられることなくなお厳しく追及される。

 しんぶん赤旗の買い取り宣伝紙か未固定紙(実際には購読を約束した読者がいないにもかかわらず、支部に拡大したごとく申請させたもの)が、あかつき会館(県委員会・中北地区委員会・分局などが同居)に山積みされていた。一定期間たつと廃品回収に出されるという事態が続き、中央と県との連絡員であった人がこれを発見し中央に報告した。これがきっかけで、愛知県党における指導改善が中央主導で始まることになる。
 やがて地区党会議を経て、県党会議が開かれ、箕浦県副委員長はとりあえず愛知県党においては失脚する。上りの会議(「支部総会→地区党会議→県党会議→地区党会議→支部総会」の順で開かれる)では、支部党員の本音が吐露され、厳しい機関批判が展開された。県党会議は紛糾し、予定していた1日の会議では県委員会報告が採択されず、日を改めて再開されることになった。自由な討論が行われた希有な党会議であった。
 しかし、間もなく指導改善は清算主義であるとする中央の強力な指導が入り、「愛知の春」は短期間で終わることになる。「愛知の春」では、箕浦流の粗暴な指導が改善されたぐらいで、他には何も変わらなかったことになる。
 氏は、このときの県党会議で県委員候補になり、主に政策関係の任務につく。県党の活動は依然として労働運動・大衆運動が欠落した党勢拡大と選挙、対外的には狭隘なセクト主義的傾向が続く。
 県委員会総会で、氏はこのような方針に賛成せず「保留」を表明する。氏は晩年「その時はさすがに膝が震えた」と語っていた。熟慮の末の決断であった。
 その後、若干のエピソードがあり、やがて「党の方針に意見を持つ者は機関に置いておくわけにはいかない」という理由で、機関役員を罷免され職も失う。
 若干のエピソードのうち、1971年(統一地方選挙の年)に開かれた中央主催の政策学習会に触れておく。愛知県委員会からは政策委員会の氏ともうひとり非専従の政策委員の二人が参加した。この年、愛知県では県知事選挙があった。社共統一候補として名古屋大学名誉教授新村猛氏を擁立し、現職の桑原幹根氏に惜敗といわれるほど善戦した。「もう少し手を打てばなんとかなっていたかもしれない」と思わせるほどの結果であったし、選挙後にそのように考えていた党員も少なくなかった。この学習会に参加していた非専従の政策委員が、知事選挙の取り組みについて、このような観点から、県委員会の指導を批判した。氏は専従の県委員候補であり政策委員つまり県委員会のメンバーであるから県委員会の指導批判はしていなかった。
 また、この学習会には書記局長に就任して間もない不破氏が出席して挨拶か講演をした。その後、司会者から不破氏の話について感想を求められたので、「何も参考になるものはなかった」と思うところを率直に述べた。
 中央から愛知県委員会に指導が入り、氏は追及される。県委員会側の主張は、「中央の会議で県委員会批判を行うことは何事か」ということであったが、氏はそれをしていなかったので、その廉で氏を追及することはできなかった。最終的には「不破氏の話には何も参考になるものはなかった」と述べたことが、やり玉にあがった。「『何も参考になるものはない』というのは傲慢だ」というのである。中央や最高幹部に対する批判は専従党員にとってはタブーであった。氏はやむなく自己批判書を書く。もう一人の非専従の政策委員は自己批判書を拒否し、しばらくは党機関事務所に寄りつこうともしなかった。
 専従罷免に際して、県委員会から「次の仕事が見つかるまでは給料は支給してもよい」という申し出があったが、氏はこれを潔しとせず、安定的な収入を確保する見通しはなかったがこれを断った。以降、20年以上にわたって学習塾を続ける。社会変革の立場を放棄することなく政治や大衆の動きに関心を持ち続けた。このスタンスは亡くなるまで貫かれた。
 1973年、党中央に意見書を提出することになる。この投稿欄において掲載される予定のものがそれである。この意見書は党中央の方針と党活動についての具体的な批判である。党からの解雇については触れられていない。党機関から受けた不当な仕打ちに対して憤激しなかったはずはない。しかし、氏はそういうことよりも、当時、党が抱えていた問題点を指摘し、改善についての提言を優先したのである。党はその後も議会政党としての歩みを続け、今日では絶滅危惧種といわれるほどに存続が危ぶまれる存在になった。もはや革命政党として蘇ることが困難であるかのように思われるが、氏は最期まで党籍を保持していた。最大の理由は、「まだ、良心的な人々がこの党にはたくさんいる」ということであった。



 日本共産党中央委員会への意見書…2
 2013/6/2 鵜崎義永
(注:意見書には表題がついていませんが、便宜上、上記の表題をつけました)

 十二回大会を迎えるに当たって、党中央委員会は先ほど「民主連合政府綱領についての日本共産党の提案」を党内外に発表しました。このことは、民主連合政府樹立の課題が日程にのぼろうとしていることを反映するものであり、いま日本革命はその展望において、きわめて重要な時期を迎えようとしていることをしめすものであります。このことを深く考えて私は敢えて筆をとり意見書を提出しました。
 私のこれからのべようとすることがらは、おそらく党のとりあげるところとならないであろうことはもちろん、十二回党大会決議草案の立場からすれば、最悪の日和見主義と論難されることが予想されます。それだけに筆の運びはきわめて重いのですが、ただ、私の共産主義者としての自覚と党員としての義務感が筆の運びをささえてくれました。この意見書を階級闘争の傍観者の見解、徹底した日和見主義者の見地等々と非難されるのは仕方ありませんが、どうか棚上げされずに、少なくとも常任幹部会で討議し、私の提案するいくつかのことなりとも回答してほしいと心から願うものであります。

 十二回大会にあたって、私が何よりも提起したいことがらは、わが党が民主連合政府綱領を提案するにいたった今日、あらためて全党の党活動を全面的に検討し、総括する必要があろうということであります。民主連合政府の樹立が日程にのぼろうとしていることは、日本革命がその展望のなかで一転機を迎えようとしていることを意味します。わたしたちにとっては、民主連合政府の樹立が目標そのものではありません。その樹立ととともにたたかいを綱領のしめす新しい民主主義革命の勝利へ連続的に発展させることをめざすものであります。民主連合政府の樹立そのものが反動勢力とのきびしいたたかいなしにかちえられぬものですが、さらに革命勝利へ発展させることは、反動勢力に抗してのいっそうきびしい闘いであることは明白です。これら一連の過程のなかでわが党がその重大任務にこたえうるためには、民主連合政府綱領を提案するにいたったいまこそ、わが党の党活動を全面的に点検し、検討を加える努力をはらっておくことが必要であると考えます。
 このことについて、「八回大会以来、わが党はひきつづく前進とかがやかしい成果をかちとってきたし、この十余年の実践のなかでわが党の総路線の正しさは検証され、いまや確定したものとなっている。あらたまって、党活動の全面的検討というものは、まずこの十余年の全党の実践から学ぶべきである」といわれるでありましょう。また、「十二回大会にあたって、党中央はこの3年間の党活動を全面的に総括し、大会決議草案をつくりあげた。党活動の全面的検討といって、本当は何がいいたいのか」ともいわれるかもしれません。
 八回大会以来、わが党がひきつづく前進または躍進をとげてきたことは周知の事実でありますし、この十数年の実践のなかでわが党の総路線がたえず検証をうけてきたことも、まぎれのない事実であります。しかし、それにもかかわらず、民主主義革命の勝利を展望して党の総路線の正しさが実証されたということにはならないこともまた明白な事実であります。かつてインドネシアの党が、統一戦線政府のもとで、百五十万の党から二百万の党へ、さらに二百万の党から三百万の党へと躍進をつづけていたとき、だれが一九六五年九月三〇日以降のことを想像しえたでありましょうか。アイディット報告で三百万に達したといわれた資本主義国最大の党勢力は、九・三〇弾圧によってどうなったのでしょう。こうした重大な結果をどうしてまねいたのか、その全面的な総括はインドネシアの党と人民のなすべきことでありましょう。しかし、九・三〇前夜におけるインドネシアの党の方針に重大な誤りがあったのではないかということと、躍進をつづけていた当時のインドネシアの党の活動に根本的な弱点が内包されていたのではないかということだけは、誰にも容易に想定できるでしょう。こうした教訓からも、わが党がこの十余年間ひきつづく前進または躍進をかちとってきたにせよ、――いやむしろひきつづく前進または躍進をかちとってきたからこそと云うべきではないかと思いますが――来るべき革命の重大任務の遂行という見地から党活動の全面にわたって検討する必要があるわけです。
 また十二回大会決議草案がこの三年間の党活動の総括の上にたって出されていることについては、それがこの十数年来の党活動のひきつづく発展をめざすという見地で総括されていても、民主主義革命の勝利を展望して党活動を全面的に検討する立場でなされているかということについて大いに疑問があるからであります。
 私がいいたいことを端的に申し上げることにしましょう。
 十二回大会を迎えるにあたって、わが党の党勢力は、党員数三十数万、機関紙読者三百万近くとなり、七回大会当時の現状と比べるならば、党員約十倍、機関紙読者数十倍となり、総選挙の得票も五倍以上で、一大躍進をとげました。これを一九五〇年以前のわが党の最盛時とくらべるならば、党員で約二倍、機関紙読者は数十倍、総選挙の得票は約二倍で、文字通り党史上最高の党勢力がきずきあげられています。
 しかしながら、これを労働組合運動に対する党の影響力という点からみるとどうでしょう。現在、わが党は一九五〇年以前の最盛時とくらべて、党勢力や選挙での党の影響力においてその二倍の力を持つに至ったのに、労働組合運動への影響力という点では、はるかに立ちおくれているという冷厳な事態に直面しなければなりません。戦後一九五〇年頃までのわが党は、その指導の内容にはさまざまな検討すべき弱点があったにせよ、百数十万の労働者を結集した産別会議に指導的な影響力をもっていたことは周知の事実であります。当時、日本の組織労働者の大きな部分が、政党支持の自由を強調する戦闘的なこの産別会議に結集していました。ところで、現在の日本の組織労働者の主な部分を結集する総評や同盟は依然として、「特定政党支持」の義務づけを決めており、その中での「労働組合運動の階級的民主的潮流」はたしかに増大してきていますが、まだまだ少数です。わが党が労働者階級の前衛党であることを考慮に入れるならば、党勢力と総選挙の得票で一九五〇年以前の最盛期の二倍をこえるまでになっているのに、労働組合運動への影響力という点ではかつての盛時におよんでいない、いやそれどころかかつての最盛時の水準を回復するには、なおかなりの努力を要する現状にあるということは、重大な「立ちおくれ」といわねばならないでしょう。現在とかつての社会的・政治的諸条件のちがいや、現在わが党がかつての労働組合運動のありかたや、党の指導をそのまま再現することをめざしているとは必ずしもいいがたいことなど、さまざまなことを考慮に入れても、なお「立ちおくれ」は明白な事実であり、回避することのできない重大な事態であります。さらに、労働組合運動へのわが党の「立ちおくれ」は、労働運動そのものの立ちおくれを意味しており、七〇年代に民主連合政府を樹立するという十一回大会の目標からみても、民主連合政府の樹立から民主主義革命の勝利をめざすという日本革命の任務からみても、きわめて重大であるといわねばなりません。
 このことについて、「党中央ははやくから事態を重視して、八回大会九中総、十回大会六中総、「手引き」、十一回大会十中総など、全党の労働組合運動強化のためのとりくみをつよめる根本方針を明らかにしてきた」といわれるでありましょう。確かに党中央は、労働組合運動の強化発展のための方針をくりかえし出すとともに、つねに、そのとりくみをつよめるよう全党に指示してきました。しかしながら、問題の核心は、「立ちおくれ」が解消されたかどうかにあります。
 すでに五年前、十回大会六中総は「党の政治的組織的力量の強化は、労働組合運動の分野での指導力の拡大にかならずしも反映せず、その面では大衆運動の他の分野にくらべても全体としてたちおくれた状態」にあることを指摘し、全党が力を集中してとりくみ、労働組合運動内で大きな影響力を確立するよう奮闘することを指示しています。その後すでに五年、この分野での「党の立ちおくれ」は解消されたか、あるいは解消される方向に向かっているといいうるでしょうか。その間に、いくつかの点での改善がみられ、とりくみの前進がはじまっているとはいえ、なお「立ちおくれ」が根本的に解消される方向に向かっているとはいうことができないでしょう。逆に「立ちおくれ」がつよまったとまではいいえないにせよ、その後の党勢の一そうの拡大、選挙での党の得票の躍進などがあり、立ちおくれの事態がむしろ明確になるという事態が進行したといわざるをえません。
 これに対して、「立ちおくれはそのように簡単に解消されるものではない。『党の立ちおくれの最大のもっとも根本的な原因は米日反動層の反共攻撃とこれにつながる反共社会民主主義者の策動にある』(前出、六中総)以上、労働組合運動強化のとりくみは党の方針にもとづいてつよめられつつはあるが、たちおくれが一挙に解消されるものではない」といわれるでしょう。しかしこれは弁明にすぎません。十回大会六中総後すでに五年を経過しており、さらにあと五年もこれまでと同様の経過が進行するということは、七十年代に民主連合政府を樹立するというわが党の大会目標にとってどういうことを意味するものか申し上げるまでもないでしょう。現在のところ、数年間で労働組合運動に画期的変化がおこるという保障はつくられていませんし、総選挙の結果が労働組合運動内部に影響を及ぼし、ある変化をつくり出したことが重視されていますが、労働組合運動に根本的変化をつくり出すのはやはり労働組合運動への独自のとりくみであって、総選挙などの影響を過大視することはできません。
 十回大会六中総は、米日反動の攻撃と反共社会民主主義者の策動とともに、他方では、わが党の弱点や欠陥が労働組合運動での党の立ちおくれの要因となっていることをみとめ、この欠陥を克服するならば、労働組合運動の分野で指導的力量をつくりあげる客観的主体的条件はあきらかに存在しているとのべています。その後五年たって、十二回大会を迎えようとするいま、党勢力はさらに大きく前進し、選挙の得票は躍進したのに、労働組合運動の分野で依然として党は立ちおくれており、事態の根本的な変化の方向がつくり出されていないことは看過することができません。党の立ちおくれの要因となっているわが党の弱点や欠陥は大きく克服されたのか、されなかったのか、されなかったとすればそれは何故かなど、わが党の党活動の全面的点検のなかで問題を明らかにしなければならないというのが、私の意見であります。これこそ、民主連合政府綱領を提案する十二回大会のいま一つのもっとも重要な任務ではないでしょうか。(続く)



 日本共産党中央委員会への意見書…3
 2013/6/8 鵜崎義永
 ところで、八回大会九中総、十回大会六中総、「手引き」などによって、党中央がくりかえし、党の労働組合運動へのとりくみの強化を強調してきたにもかかわらず、党の立ちおくれが依然解消される方向にむかっていないことについて、私が重要な根拠の一つとして考えることを次にのべ、さらに私の見解全体を明らかにしていきたいと思います。

 私が重要な根拠の一つとして考えることは、現在の地区機関常任の活動の実態であります。いま、全党の地区機関の常任の多くは、その実際指導にあたって、支部に対する労働組合運動についての具体的な指導をほとんどやっていないか、あまりやっていないであろうということです。もちろん、労働組合運動の指導ばかりでなく、大衆運動全体についても支部が直面する問題に具体的指導や援助をほとんどやっていないであろうということです。
 私個人について申し上げますと、六十年代に約十年ほど地区機関の常任としての活動をしましたが、その間、支部に対して労働組合運動をはじめ大衆運動の具体的な指導をあまりやりませんでしたし、ほとんどやらなくてもすぎていくという状態でした。私ばかりではなく、私の所属する愛知県党全体についても、多くの地区常任が支部にたいする実際指導にあたって労働組合運動や大衆運動の具体的指導をあまりやっていないか、ほとんどやっていないという現状です。どれほどやっていないかといえば、個々の常任によってさまざまの相違があっていちがいにいえませんが、支部の方からみると、経営支部をはじめ、地区に所属する大半の支部は、拡大や選挙などの具体的指導や点検は毎日のようにうけているが、その支部の直面している大衆闘争についての具体的指導や援助は、この数年ほとんど受けたことがないのです。
 愛知県で十一回大会以前に、「党勢拡大運動などにおいての行政的な官僚的な指導の欠陥が一時期あらわれた」(十一回大会中央委員会報告)と指摘されるような拡大の一面的追及が行われその時点で、地区機関常任の指導に弱点や欠陥があらわれただけではありません。この指導の欠陥を克服する過程で一時期機関の大衆運動への指導は大いに強められましたが、十一回大会で「逆の清算主義的傾向におちいった」と指摘され、中央幹部会員である県委員長をつうじて中央の直接指導が強められるなかで、愛知県の地区機関常任は再び十一回大会前と同様、支部の直面する労働組合運動や大衆運動についての具体的指導をあまりやらないか、ほとんどやらなくなっています。このように申し上げると「そのようなことは二本足の活動を強調する党中央の方針に反するものであって、万一事実であれば直ちにあらためねばならない」といわれるでありましょう。しかしこの問題は、決して愛知県委員会だけの特殊な問題ではないのです。私は一地方に居住する一党員ですから、全国都道府県における各地区・機関の活動の実態についてつぶさに知ることはできませんが、こうした地区機関常任の活動の欠陥は愛知県だけではなくかなり多くの都道府県に共通したことがらであると、確信を持って申し上げます。
 その確信の根拠は次第に明らかにしたいと思いますが、まず第一点として、一地方党員でも長い年月の間に、何らかの機会をつうじて他の都道府県の地区機関常任の具体的活動について知ることもあり、その活動方法、指導方法が愛知県と共通する事例をいくつかみてきたことであります。たとえば十一回大会十中総において、岐阜県委員長は、地区機関は「党建設の場合は徹底して支部まで方針を持たせてどうなったか、たえず点検していくわけ」だが、「こと経営支部の大衆闘争となるとまず最初にその支部が独自にたたかう方針すら明確に指導としてあたえていない」(赤旗四月二〇日号)とのべていますが、このことは岐阜県でも愛知県と根底において同様のことがおこっていることを示しています。こうした事例はしかし、私の知ることをいくつかあげるよりも中央の方がはるかに多くをつかんでいることでしょう。
 すると「そのような事例も多くあるが、中央の方針どおり二本足の指導を貫徹している実践も多く生まれている。問題はあれこれの県や地区で中央の方針を貫徹していないことや、正しい活動が定着していないことにある」といわれるでしょう。どのようなことがらについても、それに反する例証を数多くあげられることは、この世の常であります。したがって問題の核心は、ことがらが普遍的な傾向であるかどうかということであり、又、歴史的に解決される方向にあるのか、逆に矛盾が激化する方向にあるのかということにあります。私が申し上げたいことは、地区機関常任の多くが、その実際活動にあたって、支部にたいする大衆運動や労働組合運動の具体的指導をほとんどやっていないか、あまりやっていず、この欠陥は長期にわたっており、いまや定着化しつつあるということです。こう申し上げると「党中央で地区機関の方針や活動を点検してもそのような傾向が普遍的なものとみられないし、また報告もあがっていない」といわれるでしょう。地区機関の方針を点検したり、県機関の報告をみるかぎりでは、そのとおりであると思います。しかし私の申しあげているのは、地区機関の方針ではなく、地区機関常任の実際活動のなかみをいっているのであり、その個別指導や具体的指導のなかみをいっているのです。全国の地区機関がすべて中央の指示どおり二本足の方針を立てていることは、私も信じて疑いませんし、その方針のなかで党中央の強調どおり忠実に二本足を堅持することを強調していると思います。地区常任委員会の討議においても、「月間」や選挙の時期をのぞいてたいていの場合、大衆闘争も議題に上っています。それにもかかわらず、実際にあたって多くの地区機関常任の支部指導の具体的内容をみると、支部が直面している大衆闘争に対する具体的指導が欠けており、このことが長期にわたっているということなのです。
 私の申し上げることが事実であるのかどうかを明確にするために、私は党中央において、地区機関の常任の実際の活動がどうなっているのか調査されることを提案いたします。そのさい、たとえば愛知県委員長から、「愛知県の地区機関常任の活動はこれこれだという意見書がきているがどうなのか」などと事情を聞く調査はまったく役に立ちません。そうした調査で実態が明らかになるとすれば、私がこのような意見書をかく必要は毛頭なかったでしょう。方針では二本足の方針を堅持しているのに、実践的には一本足の指導に流れており、しかもそのことが長期間続いているというこの歪みは、機関の正規のルートによる報告や調査にはなかなか反映しにくいものです。ましてこの歪みが、いくつかの都府県にあらわれているかどうかでなく、全国に普遍的にあらわれているものであるかどうかをつかむことは一そう困難となるでしょう。
 私の提案する調査の方法は、地区機関常任と、その指導を受ける経営の支部長から一つ一つ事実を聞くアンケート方式のものであります。アンケートによる世論調査は、調査者の操作によっては相当ゆがんだ結論を導き出すこともできるという弱点をもっていますが、その弱点を考慮にいれるならば、かなり大衆の意見や実情を反映できるという、民主主義的側面を持っています。事態を正しく反映させるために、このばあいのアンケートでは、「活動は二本足になっているかどうか」等の抽象的な意見をたずねるよりも、ただ事実だけをそのまま調査する質問内容を重視する必要があります。
 たとえば、それぞれの地区機関常任個人が、担当する支部の直面する大衆闘争について三〇分以上の時間をかけて指導したり相談にのったりすることは何回ぐらいあるか。この一週間には何度あったか。この一か月では何回か。この一年にはどのぐらいか。この五年ではどうか。これらの回数は、それぞれ担当する支部いくつのうち何支部か。またこれらの数のうち、労働組合運動については、それぞれ何支部何回か。担当する経営支部の労働組合がいまなにを問題にして、どういうとりくみを強めているのか知っているか。この一週間のうち点検した経営支部のなかで職場や組合の動きについて、いろいろたずねた支部は何支部あるか。この一か月ではどうか。担当する経営支部のうち三つの主要経営の賃金体系を知っているか。担当するブロック、または地域の経営の組合委員長で何人に面識があるか。組合事務所へ行って組合の幹部と懇談したことが、本年になって何回あるか。今年の春闘でブロック、地域内の工場、経営の労働者の具体的な要求に対する地区独自のビラを何回まいたか。ブロック、地域内でこの三年間、いくつの労働組合がつくられたか。いま組合づくりにいくつ手がけられているか。等々です。これらの調査をやることによって、地区常任が、支部が直面する大衆闘争、とりわけ労働組合運動に対する具体的指導をどのていどやっているのか相当明らかとなるでしょう。
 しかしもっと事態を明らかにするのは、経営の支部長に対して、担当地区機関常任の具体的指導についてのアンケートをとることであります。この調査も、担当地区機関常任の指導をどう思うかという一般的な質問に終わるのではなく、この一週間、この一か月間、この一年間に、支部の直面する労働組合運動の諸問題について、担当地区常任から三〇分以上の時間をかけて指導をうけたり、相談にのってもらったりしたことが何回あるか。その間、拡大や選挙など「よこ糸」の活動についての具体的指導はどううけているか。等々の事実をたずねる必要があります。
 調査項目は私の思いつきであり、党中央でしかるべく検討していただきたいと思いますし、全国の地区機関すべてを調査することは不必要なことですから標本調査で結構です。しかし、いずれにせよ、客観的事実を明らかにする立場からアンケート調査をやっていただければ、私の主張が、問題を一面的にとらえて事態をゆがめているのか、一部にある弱点を過大視しているにすぎないのか、どうかが明らかになるでしょう。私が確信を持って申しあげることのできることは、こうした調査の結果、大都会においてはもっともいちじるしく、農村県ではかなり傾向はよわく、しかし全国的に多くの地区機関常任が、拡大や選挙などの具体的指導に比較して、支部の直面する労働組合運動、大衆闘争の具体的指導をあまりやっていないこと、しかもそのことが長期にわたっていることが明らかとなるであろうことです。
 しかもここで大切なことは、事実が明らかになっただけでは終わらないということです。深刻な事態が明らかになって、たとえば党中央が問題解決のために「中間機関の指導の手引き」のようなものを作られることがあっても、根本的解決にならないことを私は主張します。なぜなら、党中央がくりかえし、二本足の活動を強調し、八回大会九中総、十回大会六中総手引きなど、労働組合運動への党のとりくみの強化を指示しているにもかかわらず、地区機関の方針でも二本足を強調さえしているのに、とくに大都会などの地区機関常任の実際活動が、支部の直面する労働組合運動や大衆闘争についての具体的指導をほとんどやらないという一面的活動におちこんでいるからです。いまどこの機関へいっても「手引き」にもとづく活動ということがいわれます。しかし、実際の地区機関常任の具体的指導は「よこ糸の活動」の指導や点検がほとんどで、「たて糸の活動」に対する指導や援助がほとんどやられていないのです。もし、ここで党中央が「中間機関の指導の手引き」なるものを作って発表しても、それはそれなりに意義や成果はあっても、根本的解決にはならないだろうことは明らかではないでしょうか。根本的解決のためには、方針では二本足でも、具体的な指導、実際活動で一本足に流れていくという事態がなぜ進行するのか、なぜ長期化しているのか、その原因を明らかにしなければなりません。
 原因を明らかにしていく上で、まず注目しなければならないことは、地区機関常任の具体的指導の一面性は、拡大や選挙や中央の決定の読了などについて、地区機関の具体的指導がきわめて綿密であり、点検が徹底して行われているなかでおこっているということであります。
 十一回大会七中総で、岡副委員長は、「全国的な(拡大の)大運動というものは一年に一回かあるいは一回もやっていない年もあり」、「そういう意味で拡大ばかりやっているということはまったく実際にあわないいい方」だとのべています。中央の立場からみれば確かにこのとおりでしょうが、地区機関からみると事情はこれとは違ったものとなっています。中央の決定する拡大月間がある以外に、月間とは定めないが集中的に拡大をすすめる月があったり、減紙回復のために力を尽くすよう指示される時期があります。また、県委員会が独自に決める特別月間や旬間がかなりあり、さらに地区委員会の決める旬間もあります。しかも注目すべきことは、地区機関の段階では、重点的、集中的に拡大をすすめる時期とそうでない時期との活動の違いがかなりあいまいで、何となく拡大が重点的にとりくまれるべき課題としてみなされている期間がしばしばあり、「努力を集中して○月目標の達成を」という指導があると、連続して拡大月間に準ずる活動をすすめるという風になっていきます。したがって中央がみているより、地区機関の実情では、事実上拡大を重点的にやることになっている時期はかなり多くなっているのです。
 さらに一年に一回か二回全国的な選挙があります。公示までに目標の票をよみきるという方針から、早くから票よみをはじめねばならず、さらに支部毎の方針や目標の設定の指導や、後援会づくりの推進などを含めると、地区機関がその活動の重点を選挙に移す時期は告示の三か月ほど前ということになりましょう。また、中央委員会総会があって、その決議が発表されたり、幹部会決定が出されると、それにもとづいて地区機関自身の討議や具体化があり、支部と党員の読みと具体化の点検があります。三年に一度は党大会があり、大会準備や大会前後の読了の点検があり、一年半に一度は地方党機関の党会議があります。この間に地方独自の選挙がずい時あり、東京都議選挙などがあれば、それへの動員の点検があります。こうして地区機関の実情では、拡大・選挙・決定の読みなどを重点的課題、緊急の課題として取り組まなければならない時期がかなり続きます。


 日本共産党中央委員会への意見書…4 2013/6/12 鵜崎義永
 たとえば昨年一月以降のことをみてみましょう。一月は、六中総と手引きの読 みがあり、昨年度の集中拡大で未達成分 を早期に達成するようにとの指示がありました。赤旗一月四日に松島幹部会員は 「いまのうちに集中拡大の目標を予定ど おりやりとげる」ようのべていますが、月間ですら未達成となった課題で、しか もかなりの量の残り部数があるのをやり とげることは大へんな努力の集中が必要であったことは明らかで、県や地区では 月間に準ずる体制やとりくみをすすめね ばなりませんでした。二月、三月には全活会議の報告の課題があり、三つの文書 の読了の点検があり、党員拡大を重点と した入党前教育のとりくみに力を注がねばなりませんでした。しかも、この二 月、三月では多くの県や地区が次々と自主 的な月間や旬間を設定しており、また中央では、減紙の都府県委員長会議がひら かれ、これらの都府県は特別の任務とし て減紙回復のための重点的努力をはらう必要がありました。四月には、書記局指 示によって大会現勢力をわる二十三都府 県が「特別月間」として拡大を取り組みました。この時期には大会現勢をわって いない地方党組織の自主的な月間、旬間 もあり、また二十三都府県が大きな地方党組織を多く含んでいることを考えあわ せると、実質的には全党の大きな部分が 集中拡大にとりくんだといえるでしょう。五、六月は五十周年記念拡大月間で、 それが七月十五日までつづきました。七 中総では、七・一五以降も全党が拡大のためにひきつづき奮闘するように決めら れ、七月下旬には「一息」つくことがな いよう、ひきつづいて奮起するようにという中央の手紙が全党員に送られまし た。八月になると拡大と選挙のための奮闘 が「緊急、重要な任務」として提起され、八中総以降全体としては選挙戦のとり くみへ移っていきましたが、十月に緊急 課題として拡大中心の「特別月間」がありました。以上のことを要約してみるな らば、地区機関での昨年一年間の活動は どんなに内わにみつもっても数か月以上を月間又はそれに準ずる時期として拡大 のとりくみを集中的にやり、ほぼ三~四 か月を選挙戦のとりくみに奮闘したことになりましょう。
 又、本年は一月、二月が九中総の読了と討議の指導に努力をつよめなければな らなかったと同時に、「千載一遇の機会 」として一月度、二月度の拡大目標をやりきるよう指示があり、それぞれの地方 党組織で旬間や月間が設定されました。 つづいて三、四月は空白克服の特別月間がありましたが、大都市の地方党組織も 空白経営の克服や月別計画の達成などを めざして、同様に月間をとりくむよう指示がありました。さらに六月には「全党 は力をつくして六月中に必ず三か年計画 の総達成を」という中央の指示で、東京都をのぞいた全国の党組織が拡大「月 間」同様のとりくみとなりました。また、 名古屋、大阪、東京で大きな中間選挙がありましたし、一月以降多くの地方党組 織で、自主的な月間や旬間が数多くとり くまれてきました。八月、九月は三か年計画総達成をめざす特別「月間」とな り、十月はあくまで三か年計画をやりぬく ための奮闘と大会決議案の読了が緊急重要な任務として提起されています。この ように、今年も地区機関の実情では、や はり数か月以上が「月間」又はそれに準ずる期間として拡大に集中的な努力をは らい、三大都市の都府県は三か月以上の 選挙戦のとりくみがありました。
 したがって、この二年ちかくの間に、地区機関段階では拡大「月間」又はそれ に準ずるとりくみを必要とする期間が、 どんなに内わにみつもてでも、ほぼ十か月はあったとみなければなりません。ま たさらに、○月目標の達成や減紙回復、 未達成分の達成などで党中央が拡大を「緊急重要な任務」として提起したり、地 区独自で拡大を「緊急かつ重要な任務」 としてとりくんだ期間をあわせるならば、選挙の時期と決定の読了のために努力 を集中した時期をのぞくと、拡大重点の 期間は相当大きな部分をしめることになります。もちろんこのことからただちに 拡大ばかりやっているといえませんが、 少なくとも七中総での岡副委員長の発言のように「拡大ばかりやっているのは まったく実際にあわないこと」だというの は、地区機関の実情からみれば、不正確であるというそしりをまぬかれません。 この二年ちかくの間、地区機関では拡大 を「緊急かつ重要」な任務としてとりくむ期間が相当長期にのぼっており、拡大 を重点としてとりくむ時期、または集中 拡大をすすめる時期が一年十か月のうちのほぼ半分ちかくになっているというの が実情です。
 こう申上げると「それほど集中拡大をすすめる時期があったにせよ、実際に集 中的拡大をやっためは、そのほんの一部 の日数にすぎないではないか。拡大ばかりやっているというのは実情にあわな い」ともいわれるかもしれません。しかし この考えは下級機関の実情を知らない暴論であります。拡大の成果があがってい るにせよ、いないにせよ、地区機関は努 力を集中して活動をすすめているのです。いや拡大の成果があがっていない時こ そ、地区機関はいっそう力を尽くして、 集中拡大のための指導をつよめています。あとでもっと詳しく申し上げますが、 数がふえていないからといって、地区機 関が拡大のために十分な「力の配分」を怠っているとか、「一息ついている」と かいうことでは決してないのです。  以上のように、この一年十か月のうち、ほぼ半分ちかくの期間が、拡大を重点 としてとりくむ時期、または集中拡大を すすめる時期であったほかに、選挙の期間が数か月ありました。さらにこれに決 議・決定の読了のため努力を集中する期 間も加えるならば地区機関が平常の活動をすすめる月日というものはむしろ少な いといわねばなりません。特別のとりく み、非常の体制がこのように相当長期間つづくことは、地区機関常任の実際活動 に歪みを生じる一つの原因となっていま す。
 すると、「たとえ、月間やそれに準ずるとりくみの期間が相当長くつづき、か つ選挙などのとりくみがあるにせよ、中 央の方針は常に二本足の方針である。どれほど拡大や選挙で集中したとりくみが あっても、二本足の活動をくずしてはな らないのであり、『手引き』では『たて糸』と『よこ糸』の関係として明らかに してある。したがって、地区機関がどん な場合でも、支部の直面する労働組合運動や大衆闘争にたいする具体的指導や援 助をおろそかにしてはならないことは、 すでに方針として明確となっている」といわれるでしょう。全くその通りで、地 区機関の方針でも、支部が「たて糸の活 動」を重視してとりくむよう強調し、月間や選挙でも大衆闘争をつよめつつ、そ れぞれの課題を遂行することを決めてい ます。それにもかからわず、地区機関常任の具体的指導で二本足が崩れるのは、 拡大運動や選挙戦のとりくみが実際上長 期間つづくということに加えて、「つめきる指導」を必要としていることによる ものです。
 「つめきる指導」とは、十回大会二中総では「全党員を正しい納得のもとに結 集する指導を徹底する」ことであり、「 機関と幹部がつねに下部に入り、下部組織と党員の意見をよくきき、そこでの困 難や障害となっている問題をふかくつか んで、先頭に立ってこれを打開することが必要である」とのべています。また七 〇年十二月二十三日の幹部会決定では「 たんに数字のうえで課題を一般的に追及するのでなく、一つひとつの支部、一人 ひとりの党員の実情を具体的につかみ、 本当に全党を動かしてゆく活動を具体化する」とものべています。
 方針の上では簡潔にのべられていますが、地区機関が実際指導にあたってこれ をやりきろうとすると、実は、大変な労 力、努力を必要とするものです。私はかつて地区機関にいたとき、数字の上だけ の「つめきる指導」というものをやって いました。月間またはそれに準ずる活動の時期や選挙戦の期間は、地区常任委員 会は週二回以上、選挙の終盤や拡大の突 撃のときは連日、ひらかれます。こうした地区常任委員会から地区常任委員会ま での間に担当する支部の全党員の実情、 全党員の課題の遂行状況を最低数字の上だけでもつかんで指導するというのが、 常任委員の主な仕事になっていました。 電話で支部長と連絡をとり、地区委員会にきてもらい、事情をきき指導する。連 絡をとれない支部には直接いってきく。 十も二十もある担当支部と、何百人という党員を決定の読みの状況、討議に参加 の実情、それぞれの目標、その期限、目 標の遂行状況などの点検項目にもとづいてつかむためには、一週間に一度つかむ だけでも、文字どおりかけずりまわらね ばなりません。私は、拡大月間があり、それに準ずるとりくみの期間があり、選 挙があり、決定の読了があり、その他の さまざまな努力を集中しなければならぬ課題があって、来る日も来る日も、これ らの課題についての支部の細かな事情を きき、つぎつぎと個別指導に奔走していました。そしてこれが「支部の実情をつ かんではなさない指導」であり「方針を 貫徹する指導」であると思っていました。
 私は、指導の根本は、典型をつかみその教訓を全党に普及することにあると考 えます。かつて中国の文献に「一羽の雀 を解剖すれば、すべての雀のことがわかる」という文章がありましたが、これは 大へんよい表現だと考えます。私のやっ ていたことは、一羽の雀ではなく、全部の雀を解剖しなければ雀のことはわから ないとする活動でした。そして、支部長 や指導部の指導をとびこして、全党員を動かすことに力をつぎこんでいたのでし た。このような指導をやっているかぎり 、いくら常任がいても足りず、いくら時聞があっても足りず、活動は一面的なも のにならざるをえません。
 「それは我流の指導であって党中央のいう『つめきる指導』というものはその ようなものではない。」といわれるでし ょう。しかし、どのように説明を加えられようとも、第一に『つめきる指導』と いう方針のもとに、地区機関常任の多く が、拡大、選挙、読了の諸課題で、支部や党員の実情と数字をつかみ、個別に指 導するということに忙殺されているとい う事実です。これは、実際に地区機関にはいり、地区機関常任が平常どのような 活動と指導をし、どのような任務に忙殺 されているかを点検するならば明らかとなることです。第二に、どのような前提 条件、保留条件をつけようとも『つめき る』という言葉の持つ意味は、一つひとつつかんで全部をつかみ、一つ残らず指 導しきるということに力点をもっていま す。かつて九回大会三中総などでは、典型を普及する指導とともに個別指導や具 体的指導の大切さが強調されました。こ の個別指導や具体的指導をつよめることにかんして、十一回大会ごろから、特別 に「つめきる指導」という表現を用いる ようになったことは、さらにすすんで、個別指導によって全部をつかみ、全部を 指導することを強調するものにほかなら ないでしょう。さらに第三は、この数年間に、地方党機関から中央への日報や三 日報がほとんど年中行事化しつつあるこ とであります。これは、拡大、選挙、読了など努力を集中しなければならない任 務が、ほとんど連続していることの当然 の結果でもあります。しかし地区機関常任にとっては、日報はもちろんのことで すが、三日報でも報告数字をつくるため にはかなり奔走しなければならないのです。
 かつて宮本委員長は、日報は情況をつかむためのもので指導の方法ではないと いいました。しかし最大の問題は、日報 や三日報の結果が直接には指導の内容になるということです。日報や三日報が他 の組織とくらべてかんばしくない、ある いは前の報告とくらべて変化がないと上級機関から下級に対しては「どうしてい るのか」ということになりますし、下級 組織にとっては「これではいけない」ということになるのは当然のなりゆきで す。その結果、地区機関常任の指導や活動 がいやでも数をつかむための活動や数字をあげるための指導に流れざるをえませ ん。三日報のつづいている間は、地区機 関常任は、三日に一ペんは、担当する全部の支部の数字を一とおりつかまねばな りませんし、数をあげるために遅れてい る支部や数の動きのない支部をとくそくしたり、その他の支部のとりくみをつよ めるよう個別指導にまわったりして奔走 するのです。
 「このような数をおう指導は、事務的行政的指導の誤りとしてすでに指摘し、 全党的に克服されてきていることである 」といわれるでしょう。しかし、克服されてきているかどうかは、たとえば「読 了」についての地区機関常任の実際活動 の内容をつぶさに点検されるならば明らかとなるでしょう。そこでは、「決定を 読み討議する」ことを指導するというも っとも政治的な内容をもったことがらが、地区機関常任の実際活動では、「何人 が読んだか」「何人に読ませるか」とい う数字の問題だけにしぼられ、決定の内容についての指導や、支部の生き生きと した討議内容の報告がほとんどみられな いという現実があります。どのように数をおう活動や指導はいけないといわれて も、三日報を確実にあげるためには、地 区機関常任は数におわれて奔走しなければなりません。長期間、三日報や日報を もとめる党中央は、この報告数字が地区 機関常任のどのような活動によって支えられているか、考えたことがあるでしょ うか。三日報にせよ、日報にせよ、支部 の自主申告によるものは、せいぜい支部数の三分の一ていどか、よほどよくて支 部の半数です。この自主申告も、申告が ないと点検するという地区機関常任のとりくみがあってのことで、この点検をお こたるなら、ほとんどの支部が報告して こなくなります。したがつて、地区機関常任が、推量の数字や見込み数を報告に もりこまず、確実なものだけで報告しよ うとするなら、多くの支部の一つ一つを点検しなければなりませんし、しばしば いくつかの支部まで出かけねばなりませ ん。さらに日報や三日報などが行われている間は、中央から地区機関までのどの 機関も、下級組織のとりくみや成果を数 字で表した一覧表をたえずもっていることになります。このような数字を常用す ることはたいへん便利なことですが、そ れだけに数字が党活動の一つの側面を表しているにすぎないことを忘れ、指導が これらの数字から出発し、これらの数字 に導かれることになる危険をさけることができません。上級機関の指導にわずか なぶれがあると、それは下級党組織の活 動の大きな歪みに発展することは、党指導の上での基本原則です。赤旗で時々、 全国都道府県の拡大の達成率や読了の率 などにもとづく順位表が発表されます。これを見るものは誰もが「順位が上の都 道府県はよいところで、下の方はおくれ ているところ」と単純に考えます。県機関では、この傾向がつよめられ、たえ ず、日報や三日報による一覧表で、数字の よい地区はすすんでいるところ、数字のわるいところはおくれているところとい う評価がなされ、この評価にもとづいた 地区機関への個別指導が行われています。地区機関ではこの欠陥がさらにつよめ られ、地区機関常任は数字におわれ、少 しでも数の上での成果をあげようと奔走することになります。
 たしかに、全党を納得させる指導という党中央の強調でかつてのような乱暴な 押しつけ指導や数の強要はかなり少なく なったのではないかと思います。しかし、拡大、選挙、読了などの努力を集中し なければならぬ期間がつづくなかで、一 方で「つめきる指導」が強調され、他方では日報、隔日報、三日報が長期に行わ れることによって、地区機関常任はいや でも数におわれ、数をおう活動と指導に奔走せねばならず、支部の直面する労働 組合運動や大衆闘争の指導や援助ができ なくなっています。



 日本共産党中央委員会への意見書…5
 2013/6/22 鵜崎義永
 地区機関の常任が全国課題の遂行のため、全支部、全党員をつかみ、全支部、 全党員を立ち上がらせる指導や、点検追及に忙殺され、それとともに数をおう指 導にも流れているという傾向は、一つには「詰めきる指導」という方針のもとで おこったものであるとともに、もっと根本的には現在の全国課題の遂行という任 務のあり方に起因していることを指摘せねばなりません。
 党勢拡大の任務について、いつも「特別の困難性」があるということがいわれ ています。なぜ特別の困難性があるかについては後ほどふれるとして、実際に、 中央の提唱する月間になっても日程の最後にならないと支部はなかなか立ち上が らないというのが現状です。いつも支部の同志たちのいうことは方針の上では、 中央や機関のいうとおりだ。しかし、自分たちの職場や地域の力関係はそれほど かわっていないし、一人一人の大衆をみてもふやせるところまでいっていると思 えないし、とらせにいくのは骨がおれるし、そこまでしてふやさねばならぬとは 思えない」というのが中心です。しかもここで考慮しておかなければならないこ とは、中央の示す党員一人あたりのふやさなければならない数は下へいくほどふ えて支部に提起される課題はいつもはるかに大きいものとなっていることです。 こうした支部の現状を打開するため、地区常任委員会の指導の基本は、「いかに して党員にやる気をおこさせるか」「いかにして党員を立ち上がらせるか」であ ります。そして、拡大のための一般的なよびかけや指導をどれほどやっても、ほ とんどの支部や党員の立ち上がりをみることはできません。問題の鍵は、この一 般指導をくりかえしくりかえしやることとあわせて、個別指導をどれほどめんみ つにやるかにかかっているというのが、長年の拡大運動のなかでつかみとってき た地区機関指導の経験的鉄則となっています。
 地区機関の常任は、方針が出されると、担当する支部について、一人ひとりの 党員が方針をよんだか、一つひとつの支部が方針を討議したかどうか、それに何 人の党員が参加したかをつかまねばなりません。そして方針をよんでいない党員 や討議のおくれている支部をなくすように一つひとつ個別指導をつよめていかね ばなりません。それとともに方針を討議するなかで支部の実情に具体化したかど うかをつかみ、その具体化を促進するようにしなければなりません。さ らにこの具体化のなかで、とりわけ拡大の方針はどうか、目標がはっきりとした かをつかみ、目標のきまっていない支部や、目標の低い支部へは再指導する必要 があります。しかし支部の目標がきまっただけでは拡大はすすみません。一人ひ とりの党員の目標まではっきりすること、具体的な拡大対象者があげられるこ と、工作の日どりが決まることなど、具体的な計画やだんどりまではっきりしな い限り拡大はすすまないのです。したがって、一つひとつの支部、一人ひとりの 党員の討議の進行状況や目標やだんどりまでくわしくつかみ、課題の緊急性、重 要性をくりかえしながら点検し、とくそくし、一つひとつめきっていくことが必 要なのです。このような地区機関常任の指導の現状を理論化したのが「つめきる 指導」といわれる内容ではないかと思いますし、日報や三日報などは、こうした 活動や指導と結びついて全党に提起されているものだと考えられます。しかし、 日報、三日報とともに、一つひとつの支部、一人ひとりの党員の全部をつかん で、一つひとつつめきっていくこの指導は大へんなエネルギーと努力を必要とす るものです。
 選挙の場合でも、この数年来、地区機関常任の具体的指導はますます拡大運動 と同様なことが要求されるようになっています。選挙の票よみ活動は、選挙ごと にその活動が強化され、最近では、実際の得票の二倍、三倍をよむようになって います。九回大会三中総および一九六三年十二月五日幹部会決定は、このこと を、一方では「日常的な宣伝、組織活動や選挙戦での政治宣伝活動を前提とせ ず、単なるいわゆる『今日は、一票たのむ』式で『票よみ』の数だけを性急にた かめようとして、まだ党を実際上は支持していない有権者を安直に主観主義的に 党の支持者になったと思いこむ主観主義、ひとりよがりからくる見込みちがい」 であるといましめるととともに、他方では「機関が日常的にも選挙戦のなかでも 政治宣伝を一貫して重視して指導することが不十分なままで、票の割当数だけを 機械的にたかめようとする場合には、こういう傾向がより多く生まれてくる」と 指摘しました。ところが、その後十年ちかくを経過するなかで、こうした傾向は 解消されるどころかむしろ増大し、十一回大会五中総では得票の二倍、三倍もよ むという活動がむしろ普遍的な傾向となっています。そこで五中総は「かつてな く大きい数字の『票よみ』活動をおこなった」ことを「一面ではわが党の活動量 のひろがりを示す積極的意義をもっている」と評価するとともに、さらにある欠 陥を克服するための「広くあたってかたくよむ」方針を提起しました。支部の党 員の活動量からみたばあい、このことは、得票目標の二倍、三倍を「よむ」ある いは得票目標の二倍、三倍を「広くあたる」という活動が基本的に確認されたこ とを意味します。
 九回大会三中総では「『票よみ』や『後援会づくり』の組織活動に一面的に偏 重し、活動全体の力の配分とその比重において、政治宣伝活動との均衡をうしな う」危険や、「機関や細胞の活動がおもに『票よみ』の報告、整理、督促などが 中心となり、多面的な政治宣伝や大衆闘争との結合をいくら強調しても、事実 上、それができがたいような活動にな」る偏向についてふれられています。しか し「広くあたる」ことを提起した十一回大会五中総ではもはやこれらの 危険や偏向についてふれられていないのです。たしかに九回大会三中総当時とく らべると、選挙中の政治宣伝活動についてははるかに大量に行われるようになり ました。しかし、日常的な政治宣伝については、機関紙活動をのぞくとはなはだ しく立ちおくれている現状であります。また、選挙中おこなわれる大量政治宣伝 も、支部や党員の「票よみ」活動、その報告、督促などと競合しない方法でのビ ラまきが中心で、個々の支部や党員の政治宣伝の活動水準の問題はその後も根本 的には解決したとはいえないことは十一回大会五中総でも指摘するところであ り、「票よみ活動」と「多面的な政治宣伝や大衆闘争と結合させる活動」とが競 合関係におちいる危険のあることは、依然解消されていません。
 さらに十一回大会四中総は、公示までに得票目標をよみ切る方針を決定しまし た。どの地方党組織でも「票よみ数」の大半は党員におうものでありますから、 一人ひとりの党員にしてみれば公示までに得票目標をよみ切るためには選挙のか なり前の時期から票よみを始めねばなりません。また、得票の二倍も三倍もよん だり、あるいは「広くあたる」ためには、現実には党に投票していない広汎な層 へ、「一票くれ」の活動をしなければならないのです。けれども大衆のなかにま だ全然選挙が話題となっていない時期から「票よみ」をはじめることはかなり勇 気のいることですし、得票の二倍、三倍の広はんな層へ「広くあたる」活動をす すめることはなみなみならぬ決意のいることであります。したがって、告示まで の票よみをすすめ、得票の二倍、三倍をよんだり、「広くあた」ったりするため に、地区機関のよほど強力な指導が必要となってくるわけで、拡大と同様一般指 導とともに票よみ数の追求やとくそくと結びついた個別指導を徹底してやらなけ ればならないのです。
 この全支部、全党員を一つひとつつかんで動かすという個別指導中心の指導、 「つめきる指導」――それは結局は数を追求することを基本にした指導ですが―― は、拡大や選挙のなかでつくり出されるとともに、いまや地区機関における一つ の活動方法として定着しつつあります。地区機関常任は、拡大や選挙ばかりでな く、読了でも、十二条党員の解消でも、財政カンパでも、その他さまざまの課題 でも、同じような活動と指導をすすめるようになっています。愛知県では機関の 召集する会議についてさえも、支部の出席を確保するための点検や確認を二度も 三度もやるという活動が定着化しています。そのため同じ召集状を出しても、地 区機関常任が点検をおこたった会議には党員の集まりがきわめてわるいという現 状になっています。こうして、地区機関常任は地区委員会総会や専門部の必要な 任務――しばしば最小限の任務となりがちですが――などをのぞいて、担当支部への 連絡、点検、個別指導といった活動に埋没し、日常の地区常任委員会は地区委員 長と支部担当者もしくはブロック担当者との会議となる傾向が強いのです。現 在、地区委員、地区常任委員といっても、担当以外の支部の事情はほとんど知ら ないのが現状でしょう。非常勤の地区委員の団結をかちとり、その協力をもとめ る方針も前々から出されていますが、全国的にも今日まであまり成功していない のではないでしょうか。愛知のばあい、いく人かの非常勤の地区委員の団結、協 力をえている例はありますが、「つめきる指導」をつよめる方向での結 集であるため、結局地区機関常任が担当支部の個別指導、点検などで忙殺される 事態の解決にはなっていません。
 このようなことは、大都市と農山村では大きなちがいがあります。私がいま申 し上げていることは、主として大都市を中心とした事情で、交通通信機関が十分 整備されず、面積が広大な農山村の党組織では「つめきる指導」といっても、短 時間に全支部、全党員をつかみきることが客観的に不可能であって、大いに事情 を異にすることを申しそえておきます。
 以上のような事情から、地区機関常任は、支部の直面する労働組合運動や大衆 闘争などの援助や指導をする時間がないわけです。それほど時間がないのか、信 じられない、と考えられるかも知れません。しかし、本当に、地区機関の常任 が、支部の直面する労働組合運動や大衆闘争の指導や援助を十分やろうとすれ ば、どれほどねばり強い系統的な努力がいることでしょうか。どれほど落ち着い て、地域や職場、経営の実情を知らなければならないことでしょう。つまり、ど れほど時間がいるかご存じのことと思います。労働組合運動の指導の経験を十年 も二十年ももっている老練な同志ならば、支部を点検するときに、職場や組合の 動きをかいつまんできくだけで問題をつかみ、指導や援助をすることができま しょう。しかしそのような老練な同志は地区機関にはほとんどいません。そのよ うな同志はわが愛知県委員会でもきわめてわずかしかいません。年齢も若く、経 験もあさい地区機関常任の同志たちにどうしてこのようなことができましょう か。したがって、次々と電話をかけて連絡をとったり、一晩に四つも五つもの支 部の支部長とあい、拡大や選挙についての報告を受け、点検し、指導するという 活動を続けている地区機関常任には、労働組合運動などについて詳しい報告をき き、具体的な援助や指導をやっている余裕は全くないのです。
 この余裕がないというのは、時間的にもないわけですが、同時に気もちの上で も、つまり、精神的にも余裕がないのです。拡大月間や○月目標の遂行、減紙回 復などのとりくみにあたって、全党を立ち上がらせる指導の中心内容は、いま拡 大をやることの緊急性、重要性を全党員にしっかりと理解・納得させ、その自覚 をひき出すことだと、党中央はくりかえし強調しています。支部の同志たちにそ の緊急性、重要性をつかんでもらうためにはなによりも機関の常任が文字通り緊 急で重要だと思っていなければなりません。さらに拡大運動についての中央の方 針をみると、「力を尽くしてやり抜く」とか「決意あらたに奮起」とか「機関の 不退転の決意」などとよびかけられています。こうした緊張した気もちととりく みが要求されているなかで、どうして支部の大衆運動について、細かな具体的指 導や援助をしている精神的余裕がありましょう。「中央のいう緊急の任務という のはそのような一面的活動を要求するものではなく、逆にすべての任務を完遂す るなかで、緊急任務をやり抜くことである」といわれるでしょう。しかしこれは まったく言葉の上の話で、実践的には、一つの課題を緊急の課題としてやるとい うことは、他に優先してやるということであり、その結果、他の課題は 相対的にも、絶対的にもあとまわしになるということは、不動の客観的事実です。
 しかも、こうした緊張したとりくみが、一年に一度、しかも短期間で終わるな らば決して問題になりません。しかし、中央指示の月間の直前には、多くの地方 党組織が月間、旬間をすすめていて、その活動から「直ちに全国いっせいの『大 運動月間』に移行し、その間に中絶や混乱を引きおこさせないようにすること」 (七三年七月二十日幹部会決定)が指示されます。「また現在『旬間』『月間』 を設定しないところは『大運動月間待ち』になることなく、ただちに準備をとと のえ、出足早く活動を開始しなければならない」(同上)ともいわれ、結局大部 分の党組織は、中央の指定する月間よりも半月も一月も前からのとりくみとなり ます。月間後においても、昨年のばあいは、幹部会の手紙があり、なお、「わが 党を拡大強化することは緊急の課題」で「気をゆるめ」たり、「運動を中断して しま」つてはならないといわれ、本年のばあいは、大会までに三か年計画を総達 成すべくひきつづいて奮闘することを指示されています。こうして二か月の大運 動月間が実質上、三か月にも四か月にも延長させられています。また昨年には、 減紙解決の月間や総選挙直前の月間があり、本年六月には計画総達成のため「全 力をあげて奮闘」することが決められました。さらにその他にも、○月目標の達 成や減紙克服の課題がたえず緊急、重要の任務として提起され、県や地区独自の 月間や旬間もあります。しかも、特別のとりくみを終えてほっと一息ついて平常 の活動に入ろうとすると、限りなく減紙が出てきますし、持続的拡大をやりぬこ うとすればさらに決意をかためて、強力な指導をつらぬきとおさねばならないの で、地区機関ではしばしば、どこからどこまでが緊急の体制で、どこからどこま でが平常の体制なのかはっきりしなくなっています。
 選挙でも、ここ十年間に党の得票は三、四倍となり、「票よみ」はその二、三 倍をよみきる活動となっているため、党員数ではほぼ倍になっていますが、党員 一人あたりの「よみ数」は従前の数倍になっています。そこでかなりはやい時期 から、「一刻をあらそって奮起」せねばならず、公示前後からはあらん限りの力 をふりしぼって決起することがもとめられ、地区機関が緊急体制をくむのは、十 年前とくらべ、かなり長期間になっています。その上に、党の決定の読了も緊急 の体制をとってとりくむことが指示されています。赤旗の党建設欄は十月、連日 のように「緊急に体制をとり」「読み討議をしよう」と大きく訴えていました。
 こうして、地区機関常任の前には、ほとんど一年中「緊急の課題」があり、 「緊急の体制」をとってとりくまねばならなくなっています。実さい上成果があ がっているのかどうかということや、実際上獅子奮迅の勢いで奔走しているかど うかは別として、気もちの上ではいつも緊張していて落ち着かないという状態に あります。「落ちついて」支部の直面する労働組合運動や大衆闘争の指導や援助 をしている気持ちになれないわけです。「落ちついて」と云いましたが、いつも 緊急の課題、緊急の任務で奔走し、気もちの上でいつも緊張しているため、支部 の大衆闘争についての細かな相談にのるというのは、本当に「落ちついて」やる という風に思えるのです。そのように思えるのは、大衆闘争の具体的指 導ばかりではなく、マルクスやレーニンの古典文献を独習するときなども、なに か遊んでいるようなかんじがするのです。党の常任に自律神経失調症の患者がき わめて多く、一種の職業病のようになっているのも、肉体的酷使の上に、このよ うな精神的緊張が持続するということが一つの原因であると考えられましょう。


 日本共産党中央委員会への意見書…6
 
2013/6/30 鵜崎義永
 地区機関常任が、支部の直面する労働組合運動や大衆運動の具体的指導をする 時間的、精神的余裕がなく、一面的な活動と指導をやっていることを、暗黙の裡 にささえる支柱となっている「理論」や「方針」があることもまたここでのべて おく必要がありましょう。その一つは、かつて宮本委員長が発言し、いま「党員 拡大の活動について」の手引きにのべられている「個々の要求をかちとる大衆闘 争については、党もとりくむが、大衆組織がとりあげてとりくむ。しかし共産党 を強大にするための党員拡大、読者拡大は、党員がやる以外にはだれもやってく れるものがいない」という「理論」です。これによって地区機関常任は「支部の 大衆闘争の具体的指導はやっていないが、二本足でとりくむ方針は強調してつた えてあるし、拡大は党しかやるものがいないのだから、具体的指導でそれだけに なることがあってもやむをえないではないか」と心の中で考えることができま す。また、党の方針で、緊急課題、緊急任務として強調されるのはいつも拡大、 選挙、読了で、さいきん大衆闘争で強調されたのは、小選挙区制反対だけであっ たことも、地区機関常任の一面的活動をつくりだす一つの根拠ともなっています。
 また選挙でも次のようになっています。十年前の一九六二年四月十二日の幹部 会決定は、選挙公示二か月前で「さらに票を拡大するためには、新しく党の政治 的影響をひろげ、大衆との結合をひろげなければならない。当面の政治的対決 点、各階層のもっとも緊急な問題、地域住民の切実な問題についての具体的で適 切な政治宣伝と新たな大衆活動を展開しながら、新しい党の政治的影響と大衆と の結合を開拓しつつそれを日々の努力で新しい党支持者として組織化しなければ ならない」とのべています。ところが今回の総選挙では公示一か月半前に、「宣 伝強化、後援会、党勢拡大特別月間」が提唱され、つづいて公示十日前に総選挙 での大躍進をめざす幹部会決定が出されていますが、このいずれも大衆活動の強 化について一言もふれられていません。ここでは大量政治宣伝と拡大と後援会づ くり、さらに票よみの課題をやりぬくためにあらんかぎりの力をふりしぼって決 起することが訴えられています。「八中総で三本柱の方針が提起されているか ら、大衆闘争は当然の前提とみるべきもの」といわれるでしょうが、地区機関の 具体的指導では、減紙回復と票よみの課題をやりきるだけで手一ぱいで十年前の 幹部会決定の見地がはいりこむ余地がなくなっている現状を事実上認めた方針と いうべきではないでしょうか。地区機関の具体的指導が、いわゆる「よこ糸の活 動」についての指導や督促が中心で、労働組合運動や大衆闘争の具体的な指導を ほとんどやらない活動が長期間つづいているなかで、今ではこれが地区機関常任 の一つの活動スタイルまでに定着しつつあります。このなかで支部は指導しても らえないことを知っており、相談しても無駄だと大衆運動についての指導をます ますもとめなくなってきています。そしてさらに重大なことは、現在かなり多く の地区機関常任が、労働組合運動などの大衆闘争についての指導能力を失ってき ているということです。支部に対して「春闘をとりくむように」とか「職場の要 求を一つ一つほりおこして闘いをとりくむように」とか「大衆闘争の四つの観点 を堅持するように」とか一般的な指示をすることはできますし、又個別指導でい つも言っています。しかし、実際に職場や経営などでおこっている闘いや組合運 動の具体的な問題について、一つひとつ適切な指示をあたえ、闘いを発展させる 指導をやろうにも、経験も、知識もほとんどないというのが現状です。支部の組 合グループなどは「地区機関には大衆運動の指導はできない。地区の常任は無能 だ」とさえ考えています。
 地区機関常任はその上、日常不断に緊急の課題にたずさわっており、「重大な 情勢があり、そこからくるとりわけ重大な緊急任務」という風にいつも課題と任 務からものを考え、たえず緊張した気もちでとりくんでいます。ここから大衆運 動の具体的な問題について考えようにも、どうしても広汎な大衆の気分や感情が 理解できず、セクト的な情勢分析やセクト的な方針を指導しがちになるという歪 んだ傾向さえ生まれています。
 私の申し上げることは極端だとお考えになるでしょう。もしそうなら、いやそ う考えられなくても、党中央で一度、全党の地区機関常任の労働組合運動の指導 能力を調査する必要があると考えます。中央の労働組合部で、労働組合運動につ いての基礎知識、現在の労働組合運動における諸問題、実地にあったっての応用 などについてのテスト問題をつくり、地区機関常任に対して抜き打ちテストを やってみて下さい。わたしの云うことが極端であるどころか、もっと恐るべき事 態が明らかとなるでしょう。
 以上が大都市の党組織にとりわけ典型的な地区機関常任の活動の実態であり、 その活動が一面化する根拠でもあります。私の述べることが一面的で独断に満ち たもの、清算主義的見地につらぬかれたものと非難することはたやすいことであ ります。しかしこのような結論を出す前に、地区機関常任の活動の実際がどう なっているか全面的に調査される必要がありましょう。全国の党全体についてた だちに調査をするのが困難であれば、中央の指導が最も行き届いている東京都党 においてだけでもすぐ全面的調査をやっていただきたいものであります。そうす れば、少なくとも、この数年来、地区機関常任の具体的指導は、拡大、選挙、読 了などにしぼられ、労働組合運動の具体的指導がほとんどやられない一面的なも のになっている客観的事態と、これまで指導と活動の改善に関するさまざまな方 針にもかかわらず、こうした一面的活動が根本的に解決されることなく、むし ろ、機関活動の一体系のなかの不可欠の部分として定着している事実が明らかと なるでしょう。問題は、私の偏見や独断なのか、そうでないのかではなく、事実 がどうなのかであります。そして、この事実が明らかになるならば、党中央が十 年余にわたってくりかえし、「大衆の状態に注意し、細胞の直面している問題を 解決するという前提を抜きにして相対的重点といわれている問題だけを強調」す る一面的指導のあやまりをいましめてきたにもかかわらず、なぜこうなったの か、十回大会六中総のいう「労働組合運動軽視の傾向」からだけくるものかどう か、一都道府県委員長の指導の欠陥からだけくるものかどうか、根本的検討を必 要とするでありましょう。
 さて、私が申し上げるような地区機関常任の一面的指導、一面的活動が長期に つづくなかで、支部活動において、どのようなことが進行するでありましょう。 中央の方針でどのように二本足が強調され、総合活動が指示されていても地区機 関常任の支部にたいする個別指導では、事実上、「よこ糸」の課題の徹底にしぼ られ、とりわけ緊急重要な任務として督促し点検されることが長期間つづくなら ば、支部が生き生きとした二本足の活動をすすめることができなくなることは、 想像にかたくありません。しかしまた支部は、広汎な大衆のなかで現実に生活し ており、中央の二本足の方針もあるため、それなりに大衆活動にとりくんでいく という事情もあります。したがって、支部の現状というのは、きわめて複雑な事 情となっており、一様でないところにその特長があります。
 地区機関の個別指導の一面性と結びついてあらわれる支部での歪んだ傾向をい くつかあげてみましょう。機関から提起される全国課題は重視するが、支部の直 面している大衆闘争の課題を軽視する傾向、極端なところでは機関からの通達だ けを支部会議で討論している傾向があります。この機関からの通達だけを支部会 議で討論する支部は、この十年来、党中央がそのあやまりを指摘してきました が、現在もなおあとをたちません。支部会議で大衆闘争の討論はするが、ほとん ど討論にもならず、確信が持てる方針の出せない支部もあります。また支部長や 支部委員は党の重点課題に追われて大衆活動をほとんどやれず、支部の大衆闘争 のとりくみを指導できず、組合役員をやっている支部員がいても、その活動はほ とんど支部会議などに反映されていない支部があります。支部で討議される大衆 活動の方針が、しばしばセクト的であったり、党員の大衆のなかでの活動がセク ト的であったりして、広汎な大衆とくにおくれた大衆とほとんど結びつく能力を 持たない支部もあります。会社や組合などのサークルの中へほとんど党員が入っ ていない支部や、組合規約、労働協約、就業規則、賃金体系などよく知らない党 員も、「手引き」にもかかわらず、相当広はんにあります。等々。
 こうした傾向は、全く目新しいものは何一つなく、十年来の党の方針でくりか えし指摘されてきた欠陥であり、「手引き」でその克服を強く指示されている偏 向であります。問題なのは、こうした欠陥が、どれはどの規模でわが党内に存在 するか、ということであり、どうしてこれらの偏向がくりかえしくりかえし指摘 されても、解決されずにあらわれてくるかということであります。
 大衆闘争の軽視と広汎な大衆と結びつくことのできないセクト的傾向は、わが 愛知県党とりわけ名古屋や尾張部の党支部に普遍的な傾向としてみられ、十一回 大会前の指導の改善や「手引き」などの指導にもかかわらず、依然として根本解 決をみていないといわざるをえません。全国の支部の実状についてはわかりませ ん。しかしその他の事情から総合的に推察するならば、もし中央でアンケート調 査などやり、「手引き」などでしめされた具体的欠陥がどれほどあるかを大都市 の党でつかむなら、「手引き」などの指導にもかかわらず、現在もなおかなりの パーセントにのぼると思います。そして、もし部分的な諸問題では改善されるこ とはあっても、とくに党の広汎な大衆との生き生きとした結びつきでは、ほとん ど解決をみていないと考えます。
 なぜなら、党員の広汎な大衆のなかでの活動は、ねばり強い系統的な努力、か ぎりない献身と英雄主義によって象徴されるものであります。こうした努力と献 身があってこそ、広汎な大衆の限りない支持、おくれた大衆からの支持さえもあ つめることができるものであります。しかし、前に見たようにこの二年間の全党 の活動を見ると、あいつぐ月間とそれに準ずる活動、選挙があり、緊急の課題、 緊急の任務がつぎつぎと提起されています。そして地区機関常任をつうじて、支 部へ目標数や課題がつぎつぎとおろされ、くりかえし、くりかえし強調され、く りかえし、くりかえし点検をうけるなかで、多くの党員は、このような大衆のな かでのねばりづよい活動を続けていることができるでありましょうか。わが共産 党員の誇るべきすぐれた資質から、地区機関の要請にもこたえて日夜奮闘しつ つ、大衆のなかでも努力と献身を惜しまず、広汎な大衆の支持を引き続き集めて いる支部や同志も少なからずあると思いますが、全党的に見ればそのような活動 は不可能なことであります。
 さらに、広汎な大衆との生きた結びつきのなかから切実な要求をとらえて、大 衆自身の闘いへの立上がりを組織し、闘いを発展させること、この闘いのなかで 大衆の党員への支持を党の支持へと、政治的・思想的に発展させることは、一そ う困難な任務であり、党と党機関の具体的方針や生きた指導をとりわけ必要とす るものであります。しかし支部があいつぐ緊急課題、重要任務におわれ、地区機 関常任がその具体的指導で、四つの観点にもとづく大衆闘争指導を行わないなら ば、それは不可能に近いことになるでしょう。
 十中総における岐阜県委員長の発言を再び引用させてもらうならば「県委員会 が最近調査したなかではっきりしたことは、春闘方針を討議している支部が経営 支部の五〇%でした。……その経営支部のなかで、党中央の春闘方針にもとづい て、その支部の春闘方針をもっている支部が一〇%だったわけです」とありま す。つまり「手引き」が発表され、支部活動の改善の方針が出されているにもか かわらず、事態は根本的に好転していなかったのです。岐阜県委員長は、指導に よって心服したと報告していますが、党の経営支部が、指導がなければ、労働者 の最大の関心事である春闘の方針を計議しないなどということは一たい何ごとで ありましょう。しかもそうした支部が半数もあるというのはきわめて重大であり ます。党勢拡大は自己目的ではないことはもちろんであります。しかし、それぞ れの職場に建設された党支部が、春闘の方針を討議していなかったとは、春闘の さなかにいったい何を討議し、何を中心とする活動をやっていたのでしょう。答 えは一つ、党機関の提起する全国課題を中心に討議し、それを中心に活動してい たにちがいありません。こうしたことは、岐阜県党だけのことでなく、全党的に 共通しておこっている傾向であるとみなすべきでありましょう。しかもこの労働 組合運動や大衆運動軽視の傾向は、たまたまあらわれた欠陥ではなく、この十年 来ますます、普遍的性格をおびつつあるものと考えねばなりません。「そうでは ない。いくつかの弱点や欠陥はあらわれたが、基本的に全党が二本足の活動を続 けてきたからこそ、得票が五百五十万に増え、読者が三百万近くに大きくなるこ とができたのだ」といわれるでありましょう。十二回大会決議案にも「党勢拡大 の面では『二本足の活動』の基本方針を一貫して堅持しつつ、持続的拡大の定着 に努めつつ……数次の運動を推進した結果、党は第十二回大会を、党員三十数万、 党機関紙の読者は百万部以上の増加という党史上最大の組織勢力をもってむかえ た」とのべています。
 しかし、はたして得票の増大、党勢拡大が真に「二本足の活動」によってえら れたものといいうるでありましょうか。
 第一に、明らかにすべきことは、拡大した読者がどこでどのようにしてふえた かということであります。たとえばこの三年間に拡大した百万部以上の読者のう ち、何%が経営支部によってふやされたものか、そして経営支部がふやした部数 のうち、その経営や職場でふやしたものは何%かということを全党的に調べるこ とが必要でありましょう。私が地区機関で活動していたころの経験から申します と、名古屋の西部、北部地区では、経営支部の読者数は、全地区内の読者数の三 分の一ていどしかありませんでした。読者数の大きな%は、民商、学生、民診な どで占められていました。しかも、経営支部のふやした読者のうち、その経営や 職場の労働者は、またその半分とか、三分の一しかなかったのです。そして拡大 部数が増えるにしたがって、経営支部のしめる%は次第に低下していきました し、経営支部がふやす読者も、地域や友人関係でふやすのがますます多くなって いく傾向がありました。百万部以上ふえた部数のうち、何%が経営支部によって ふやされ、その何%がその経営や職場の労働者であるか、私には知るすべはあり ませんが、議員の同志がふやした部数がかなりあるときいていますし、かつての 傾向から類推すれば、経営支部がその職場の労働者にふやした部数の%は決して 大きいものではないと思います。
 さらに注目すべきことは、これほど大きな部数を持つようになったにもかかわ らず、職場や地域のたたかいや選挙などのとりくみに読者を結集することに成功 している支部がきわめて少ないという傾向であります。かつて一九六〇年ごろ、 かなりの経営支部はそのまわりに読者や支持者の一定の層をもち、職場の問題の 討論や学習などにそうした大衆を結集していました。そしてその中で党員をふや せば、職場の闘いなどをつうじて、さらに広汎な層を党のまわりに結集し、職場 の力関係を次第にかえていくことに成功していました。こうした生き生きとした 大衆とのつながりをもつ経営支部は、愛知県を例にとると、九回大会をめざす中 間目標総達成の拡大運動および、私たちでは、「年末年始の拡大」といっていま す、六五年の年内目標総達成をめざす拡大運動をへるなかで、次第次第に姿を消 していきました。「政策をもった細胞」「自覚的自主的な細胞」ということがい われたのは、その後でしたが、愛知県では、結集しない党員もふえ、多くの経営 支部が生き生きとした大衆とのつながりを失い、多くの読者をもちながら、ほと んど結集する能力をもちませんでした。このことは、支部が県機関、地区機関に よる拡大の一面的追及によって、労働組合運動、大衆闘争にとりくめず、広汎な 大衆を闘いに組織することができなくなっていたことの反映でもありました。し かしこの時期でも、党機関の機関紙拡大についての強力な指導によって、愛知の 読者数は確実にふえていきました。経営支部は主として地域でふやし、地区全体 では、民商や民診、学生などに依拠してふやす傾向がつよまっていました。した がって、この拡大を、労働組合運動や職場の闘いを先頭に大衆闘争を力強く発展 させつつ、党勢を拡大したという「二本足の活動」であったということは決して できません。いまの全党の実情については知るよしもありませんが、全活会議の 報告や赤旗の報道をみるかぎり、「五点改善運動」以来の党の方針にもかかわら ず、読者を生き生きと党のまわりに結集することに成功している支部――とくに経 営支部はそれほど多くあるとは思われません。このことは経営支部などが、全体 として広汎な大衆の闘いを組織し、発展させるなかで、大衆の意識をかえ、読者 をふやすという活動をやっているとは、いえないことを反映しているものでしょう。
 とくに、経営や職場での大衆闘争の前進との二本足で読者拡大がすすんでいる といえないことは、党員の拡大が十回大会以後停滞し、十一回大会では、十回大 会とほとんどかわらず、十二回大会で沖縄県委員会の成立をみてようやく三十数 万になったという経過にもあらわれています。この七年間に読者が百数十万部も ふえ、倍加するという増勢をかちとる政治情勢にありながら、党員拡大では十回 大会で決めた目標にも遠く及んでいません。この党員拡大停滞は、「手引き」に 示されるような党の組織活動上の欠陥からおこったといわれていますが、ここで しめされている欠陥の多くは、実は「よこ糸」の活動だけを追及する一面的指導 の結果つくりだされたものであります。こうした一面的指導と活動の欠陥が党員 拡大の停滞をつくりだすほどであったことは、まさしくこれらの欠陥が全党的、 普遍的性質をもつものであり、機関紙拡大の大きな部分が職場などでの二本足の 活動によるものではなく、「たて糸」の課題の追及によってかちとられてきたも のであることをしめしています。
 さらに、さいきんの拡大運動にあたって、党中央は大衆運動をやってからでな いと機関紙をふやせないという支部の考えを「段階論」として批判し、選挙での 党の得票が躍進し、広汎な大衆のなかに政治的関心がつよまっており、機閔紙読 者を急速に拡大する条件が広がっているとくりかえしのべています。このような 方針のもとで推進された読者拡大は、大衆の実生活における諸矛盾の激化と全般 的な政治情勢の高まりを基礎とする側面が強いことをしめすもので、職場や経営 での闘いを中心とした大衆闘争との二本足で闘いとられてきたとはいえないであ りましょう。
 第二に、選挙戦のなかで、党と読者の結びつきの弱さがもっとも鋭くあらわれ ていることに注目する必要があります。最近の選挙でのとりくみの特長は、その 票よみ活動の大半が党員の活動によって支えられているということであります。 地方党組織によってかなりのちがいがあると思いますが、後援会組織がその力を 発揮せず、党員が読者や後援会員などをとびこして票よみに奮闘しているという のが全国の大半の党組織の実情でしょう。
 選挙戦は、党派と党派がその支持をもとめる政治決戦であるとともに、幾千万 大衆がその要求の実現をめざして、さまざまな行動や活動をしめす一大大衆運動 の機会であります。したがって党の選挙に対する基本方針は、党員の何倍にもの ぼる党支持者や後援会員の一大決起と票よみ活動に支えられて、党の選挙闘争が たたかわれるということにあるべきでしょう。五十年代後半から六十年にかけて 全国にさきがけて党の議席を確保した大阪などの選挙戦ではそのような性格を もっていたとききおよんでいます。また当時の選挙戦が全党的には、党員の活動 によって票よみ活動の大半がささえられていたにせよ、選挙戦を全党の力を結集 して本格的にたたかった最初の時期の弱点とみることができますし、このなかで 生まれていた、後援会員や読者の奮闘の実例を教訓とし、その後の選挙戦に発展 させるべきであったし、また発展させることができたでありましょう。
 ところがその後、党への支持が三倍以上の躍進をかちとってきているにもかか わらず、選挙戦は、ますます党員の奮闘によって支えられる傾向が強まり、党員 一人あたりの票よみ数が何倍にもふえています。このことは、現在のわが党の選 挙戦のとりくみの重大な弱点の一つとしていて重視する必要がありましょう。実 際活動では、大量政治宣伝はビラによる戸別配布がその大部分であり、組織活動 では党員が読者をとびこえて票よみ活動に奔走しており、選挙戦が事実上この二 つの活動にほぼしぼられようとしている現在の傾向は、今後の反動勢力のさまざ まな策動や攻撃を予想するとき、重大な弱点をもつものとして銘記する必要があ りましょう。


 日本共産党中央委員会への意見書…7
 2013/7/7 鵜崎義永
 いずれにせよ、こうした選挙戦の欠陥は、党の得票増大が必ずしも大衆闘争の 発展と結びついたものでないことを反映するものであります。昨年の総選挙にお いて、八中総の三本柱の方針があるにもかかわらず、その後の二つの幹部会決議 に大衆闘争との結合についてふれられなかったことも、同じ事情をしめすもので あります。また、さいきん、少なくない経営支部で、組合選挙で獲得する票より も全国選挙で党によせられる票の方が多いという特筆すべき傾向がうまれてお り、わが党の得票の増大が必ずしも職場の闘いと結びついたものでないことを示 すものとして留意すべきことがらであります。
 したがって、最近のわが党の得票と党勢力の増大が、全体として「二本足の活 動」にささえられてかちとられたものということができません。もし生き生きと した職場や地域での大衆活動がすすめられ、党がその先頭にたちつつ、たたかい の中で読者を拡大しているとすれば、それらの読者が党のまわりに結集し、党と ともに活動しないことがどうしてありえましょうか。もちろん「二本足の党活 動」を、一方では民商や民診の世話役活動、党の自治体議員のさまざまな活動、 あるいは職場や組合での党員の日常の活動、全国的な報道機関でしらされる党議 員や党代表の言動、選挙戦での大量政治宣伝、等々の活動の総体と、他方では党 建設のとりくみの結びつきとして、理解するならば最近の党の前進が二本足の活 動にささえられたということもできましょう。しかし、この二本足は、とくに職 場で広汎な大衆をたたかいに組織し、このたたかいのなかで党勢力を拡大すると いう活動を中心としていないところに根本的な欠陥があります。これは真の二本 足といいえないものであります。「手引きで」は、これまでの党勢拡大が、かな らずしも生き生きした職場や地域の大衆闘争の発展と結びついたものでなかった ことの反映として、「たて糸」の拡大という「二本足の拡大」と「よこ糸」の拡 大という全国的課題としての拡大とを区別し、この二つの任務の遂行を強調して います。したがって、支部の労働組合運動や大衆闘争へのとりくみの弱さは、さ いきんの党の得票や党勢力の増大にもかかわらず、全党的、普遍的なものとみな ければなりません。またこの欠陥は、これまでみてきたさまざまの根拠から長期 にわたってつづいており、その集中的なあらわれは、労働組合運動におけるわが 党の立ちおくれであると考えねばなりません。十二回大会は、まさにこの党の積 年の弱点を克服する出発点となるべき任務をもつものでありましょう。
 こう申し上げると、まさにそのために一連の「手引き」が発表されているとい われるでありましょう。たしかに「手引き」は党活動改善の上で一定の積極的役 割を果たすことでしょう。しかし、すでに検討してきましたように、支部におけ る労働組合運動や大衆闘争軽視の傾向やそのとりくみの弱さの根源は、なにより も地区機関常任の具体的指導そのものに起因しています。この指導内容の抜本的 改善がなければ、「手引き」にのべられた指針の実践は事実上ほとんど不可能と なるでしょう。
 もともと、支部は大衆のなかで生活し、大衆とともに呼吸しているものであっ て、職場地域における大衆のたたかいの一要素ともなるべきものであります。何 らかの外部からの働きかけ、とくに強力な働きかけがなければ、支部会議が全国 課題の伝達だけの場所となったり、大衆活動を積極的にすすめている党員の活動 を評価しなかったり、組合規約や労働協約をよく知らなかったり、組合員として 活動することを重視しなかったりするようなことは、絶対におこりようがないこ とであります。職場や地域の活動に熱中するあまり、全国的課題をおろそかにす るという偏向は大いにありえても、特別の力が働かないかぎり、その逆は生じが たいものであります。したがって、「手引き」にのべられているいくつかの克服 すべき欠陥は、なによりも機関指導の問題として、根本的検討を必要とすること がらであります。「手引き」が発表されたとき、支部の多くの同志から、「機関 はこれを保障してくれるか」という質問や意見が出されたと伝えられています。 また、支部の同志たちに指導についての意見を聞くと、「中央はよいが、地区の 指導はよくないし、常任の水準がひくい」という回答がかなりあるのも、こうし た事情を反映したものと考えられます。
 かつて、九回大会三中総やその後の党中央の指導で、党活動における弱点を主 として指導の問題として検討することがおこなわれたことがあるのは、一定の道 理にかなったことでもありました。しかしながら、今、「手引き」で克服すべき ものとされている欠陥のいくつかを、党機関の指導の問題としてとりあげ、改善 の方向を提起するならば、解決されるでありましようか。私は根本的には解決し えないといわざるをえません。
 なぜなら、地区機関常任の具体的指導における一面的欠陥は、すでに明らかに したごとく、中央の指導、方針との関連のなかでおこっていると同時に、現在の 全国課題の遂行にともなう客観的困難に根源があるからであります。拡大につい ていえば、少し手をぬくなら持続的に減紙する、減紙をくいとめても持続的拡大 にはならない。○月目標が次々と達成されないことでくりこされ、結局大きく目 標が残って、中央の月間となる。月間になっても支部はなかなか立ち上がらな い、立ち上がっても、目標が達成されないのに、月間が終わると、活動もとまっ てしまう、等々の実情があります。選挙でいえば、支部の立ち上がりがいつもお くれる。とりくみがはじまっても目標達成までには一大奮起しなければならな い。このようにしてよんでも、よんだ票の半分か三分の一しか票が出ない等々の 実情があります。こうしたことから中央からは、たえず緊急の任務、緊急の課題 が提起され、地区機関は一つ一つの支部や党員をつかんで全部を立ち上がらせる 「つめきる指導」に年中奔走することになるわけです。したがって、「中間機関 の指導の手引き」などを発表しても、その指導が根本的に改善されえない事情が あるのです。
 かつて、九回大会三中総は、機関の指導の事務的な官僚性、一面性、画一性が とりあげられ、この克服が提起されました。愛知県でも、幾人かの党機関常任が 「ショックを感じる」ほど深刻な討議もはじまりかけ、改善の方向に動きかけて いました。しかし、そのなかで年内目標の達成がおくれたため、三中総決定の全 面的実践ということで、その前にもその後にもかつて経験したことのないような きびしい集中的拡大のとりくみに突入していきました。この拡大は、正月をほと んど返上したことから「年末年始の拡大」としてなお記憶に残るものであります が、支部長の同志を毎夜、二時、三時に集中させて点検し、目標達成のために不 退転の決意で指導をつらぬきとおすなど、数行の文面では、その実態をとうてい あらわしえないほどの激しい集中した活動を推進しました。そのなかで、課題を 達成することが第一義的であると、三中総て克服すべき欠陥とされたような指導 も再現し、拡大数のてっていした追求を行いました。そして、その後は三中総決 定でいう機関指導の改善は、県党の常任の間で、実質的にたな上げになる結果を 生じました。
 このような課題の達成か、官僚的一面的指導かという風に問題を対立させてと らえるのはあやまりであるといわれるでしょう。しかしながら、地区機関の直面 している現実と課題のもとでは、こうした風にしか問題が進行せざるをえないの です。根本的には統一されるべきことがらであっても、一定の諸条件のもとで は、むしろ必要な諸条件をかくばあいには、不可避的に対立しあうこともまた真 理であります。大量の未達成の課題があり、一定の期限内にやりきらねばならぬ とき、地区機関常任にどのような指導と活動が実際要請されるかおわかりでしょ うか。
 もちろん「年末年始の拡大」のころとくらべれば、いくつかの点で指導の改善 があります。しかし、期限内の拡大のためには、指導は確実に全国課題の徹底だ けにしぼられ、指導の内容は、決意の動員が中心にならざるをえません。そして このなかで、数だけを一面的に追求し、支部の同志に決意を押しつける指導――官 僚的一面的指導、事務的行政的指導がかなりのていどあらわれてきます。しかも 期限内に目標が達成できればよいのですが、多くのばあい未達成におわり、月間 がおわると減紙がつづくため、こうした指導の長期化がおこり、結局定着してい くことになります。
 したがって、地区機関常任にとっては、現実の悪は「減紙」が生ずることであ り、「持続的拡大」ができないことであり、「急上昇急暴落」が克服できないこ とであり、月間や選挙での「立上がり」が遅いことにあり、「票よみ」のあまさ にあります。愛知県でかつて生じた指導上のあやまりも、指導者個人の欠陥にも よりますが、全体としては、「減紙」や「急上昇急暴落」を克服するための「持 続的拡大」をすすめようと、集中拡大を年中やるよう指導し続けたことに起因す るものです。
 「政策と計画をもつ自覚的自主的な細胞」「全活型の細胞」といわれたのも、 また「手引き」が発表されたのも、減紙を克服し、持続的拡大のできる支部をつ くるということが、一つの目標であったといえましょう。しかし、「政策と計画 をもつ自覚的自主的な細胞」「全活型の細胞」はいろいろ論議されましたが、結 局は成功しなかったとみなければなりません。
 「政策」をもつという一つのことをみても所期の目的は達成されていません。 当時はカンパニア的に「政策をつくれ、つくれ」と地区機関常任が支部を督促 し、%をあげることに奔走しました。しかしその後はいつの間にか忘れられ、 時々思い出したように、方針の上で支部に政策をもたせる等々のことがいわれる だけです。今、政策をもっている支部が全支部の何%になるのか調査するなら 「政策と計画をもつ細胞」ということが言われる前と同じような状況にあること がわかるでしょう。また持続的拡大のできる支部をつくるということでもいまだ に成功していません。
 私は、地区機関に勤務していたころ、二本足で持続的拡大のできる支部をつく ろうということで、さまざまな指導の工夫をこらしたことがあります。しかし結 局成功しませんでした――いや工夫をこらして指導すればするほどうまくいかな かったのです。私の他にもそのような努力をはらっている常任もいく人かいまし たが、同様の結果でした。また、地区内の支部を見ると、地区機関常任が手をつ くして指導してる経営支部の大ていが活動がうまくすすんでいないのです。拡大 の部数ではすすんでも生き生きとした活動になっていませんでした。地区内で大 衆闘争も積極的にすすめ、拡大も持続拡大で、しかも急速に党を大きくしている 経営支部は、むしろ機関の手のとどかぬ支部でした。これは地区内におこってる 傾向だけでなく、全県的にも、生き生きした活動を県活動者会議などで報告でき る支部は、名古屋にはきわめて少なく、郡部で機関の指導のゆきとどかないとこ ろにむしろあります。この傾向は、全国活動者会議にもみることができます。ま た「急上昇急暴落型」という欠陥は、全党の拠点であり、中央の指導が行きとど く大都市の党に多く、持続拡大を続ける党組織はほとんど、中央の指導のとどか ない農村県であるという事情も特徴的であります。
 党中央の指導がもっとも行きとどくはずの東京都党について、このどの都議選 で、「党員と党支持者の力を全面的にくみつくしきれないまま選挙戦が終わっ た」といわれていますが、私は四年前にも都議選に応援にいったいく人かの同志 から同様のことをきいた記憶があります。十一回大会後、東京都党のある拠点経 営で労働組合選挙に重大な後退があり、都委員会が、組合運動に十分な具体的な 指導をしていなかったあやまりについて報告を聞いたこともあります。また、現 在、三か年計画でも都党は一目標も達成されていません。これらのことは、束京 都が日本の政治の中心地であり、党中央の意識的系統的な指導が行わわているこ とを想定するならば、異常であるという印象をまぬがれることはできません。  以上のことがらは、指導において典型をつくることが、全党的に依然として成 功していないことを示すものでありましょう。
 十一回大会後、党中央は、減紙回復の月間、月間と指定しない集中拡大の時 期、総選挙直前の月間、本年6月の月間など、例年の大運動月間のほかに少なか らず集中拡大の時期をもうけるとともに、○月目標の達成や減紙回復などを緊急 重要任務としてくりかえし全党に指示してきました。このことは一つには、減紙 を克服し、持続的拡大をすすめることをめざすものでありましょう。しかしこの ような指導は、地区機関では常任の具体的指導がますます一面的指導になること を助長するものであることはすでにみたとおりであります。かつて一九六九年の はじめ、持続的拡大がすすまぬのは、地区機関などの指導で、相対的重点をおさ える「力の適正な配分」のよわさからくるものとして、月間、旬間、週間など 次々と提起されたことがありました。そのころ私は地区機関にいましたが、文字 どおり拡大の指導ばかりをくりかえし、「相対的重点をおさえていないからふえ ないのではなく、おさえすぎているからふえないのだ」とかんじたことがありま した。このような月間、週間を連続的に提唱することは成功せず、沙汰やみとな りました。減紙を克服するため、あるいは持続的拡大を定着化するため、六九年 二月二五日幹部会決定のように「機関紙拡大の全国的運動をくりかえし実施する 必要はいよいよ切実なものになっている」とするならば、支部にとって「たて 糸」の活動をすすめる余ゆうはますますなくなり、持続的拡大のとりくみもます ます困難にならざるをえないわけです。十回大会十中総で持続的拡大の「教訓 的」なものとして評価された福岡県と佐賀県が十一回大会後の拡大率ではいずれ も全国の最下位の水準にあることは、拡大運動のくりかえしによる持続的拡大が 結局どういう結果をもたらすかをものがたるものでありましょう。
 こうして、この数年間、減紙を克服し、二本足による持続的拡大を定着させる ことや、急上昇急暴落型を解決することなどのために、いろいろな努力が試みら れてきたにもかかわらず、これらの課題は結局成功していません。大量減紙の克 服はすでに八回大会三中総からの全党的課題でありますが、その後十年たって も、いぜんとして解決せず、拡大の大半は集中拡大によってささえられ、そのあ と大量減紙がうまれるという経過をくりかえしています。票よみの甘さの克服に ついても、「広くあたってかたくよむ」という方針がうまく実践されなかったこ とは九中総における書記局長の報告がしめしています。
 したがって、地区機関常任にとっては、減紙が解決せず、持続的拡大が定着せ ず、集中拡大の努力を払わねばふえず、全党員の立ち上がりが遅く、票よみもい ぜんとして甘いという欠陥がつづくかぎり、拡大、選挙、読了の任務をたえず、 緊急課題、重要任務として支部にもちこみ、一つひとつの支部をつかんで全支部 をうごかす「つめきる指導」に奔走しなければなりません。しかし支部にとつて は、機関常任の労働組合運動などの大衆運動についての具体的指導はほとんどな く、つぎつぎと全国課題だけをおろし、その督促と点検をくりかえしすすめられ るなかでは「たて糸」の活動をつよめる余裕はなく、二本足の活動、持続拡大は できないということになりましょう。このことは解きがたい矛盾であり背理であ ります。
 問題の根本は、どのような拡大がすすめられ、どのような選挙活動かおこなわ れているかにあります。すでに申し上げたように、現在の読者拡大は、全体とし て職場や地域の闘いと直接結びつかないものがかなり多くなっています。特に、 経営支部では、その傾向がいちじるしくなっています。多くの支部の同志たちに とっては、全般的な政治情勢の高まりのなかで、つながりをもとめては機関紙を すすめるという活動がふえています。このような拡大は支部にとってどうしても 職場や地域の闘いの力となるとは思えませんし、なかなかこのような工作には足 が出ません。多くの経営や職場では、さいきん、党が先頭となって、職場の事情 をかえるような闘いをくんでいません。職場の対象者としてあげられる大衆の多 くが一度、二度工作したことがあるか、一度とってやめた元読者で、簡単にふや せるとは思えませんし、ふえたにしても目標達成までには、ほど遠い少部数です。


 日本共産党中央委員会への意見書…8(最終回)
 2013/7/12 鵜崎義永
 ここに現在における読者拡大の特別の困難性があります。拡大が提唱されると、「もう少し大衆運動をやってから」という「段階論」があらわれるのは、こうした事情を反映したものです。また、ほとんどの支部はこのような意見は出さず、ぶやさなければならないことやふやす条件もあることをみとめますが、実際にはなかなか拡大にとりくもうとしないのも、同様の事情にもとづくものです。
 したがって、いくら拡大の意義を明らかにしても、拡大に奮起している支部の教訓を普及しても、ほとんどの支部の自主的な拡大のとりくみを引き出すことはできません。拡大月間が決められ、地区機関常任が支部のなかに立ち入って、徹底した個別指導、「つめきる指導」を行い、くりかえし点検をして、全支部、全党員の決意をうながすことによってようやく大きなとりくみがはじまるわけです。
 このような拡大は集中拡大でなければできません。党機関の指導のゆきとどく大都市の党に、機関紙の一時的「急上昇」が生ずるのは、このためです。しかし拡大を成功させるためには、地方党機関が長期間にわたって大へんなエネルギーを投入しなければなりませんし、支部の決意を引き出すための「緊急の体制」が必要であり、機関の指導が緊張感にみちていなければなりません。そしてそのための機関の不退転の決意ととりくみが要求されるわけです。
 拡大の一定のとりくみ後、「暴落」がうまれるものと同じ事情からです。支部にとって、このようにしてあらゆるつながりをもとめてふやした読者は、たしかに全国的な政治情勢に影響を与える力になることはわかっていても、やはり職場や地域の力となる読者ではありませんし、機関のつよい指導でふやしたため自分たちの読者というかんじが弱いわけです。そこで減紙してもそれほど重大とはかんじませんし、もともと特別な決意をしてふやした読者ですから、緊張した指導がなくなれば、読者として維持する努力をはらうことをおこたりがちになります。機関としては減紙は革命勢力の後退であるから重大であると、さまざまな手だてをとりますが、支部はそのようにうけとることができないため結局大量減紙となってあらわれます。「ふやさなければ減る」ということは、一時的大量拡大ですから、部数の混乱や事務上の手続きのあやまりなどによる減りがさけられないため、ふやす必要があるということと、支部が少部数でも拡大に立ち上がるほどの決意の動員、緊張した機関指導が継続していないと、支部は読者維持の努力をやめてしまうという事情を反映したものです。
 こうした「減紙」、「急上昇急暴落」を解決するための、二本足の党活動、持続拡大をすすめる支部活動をつくりあげる努力がいろいろ払われてきました。しかし、現在の読者の大きな部分が、職場地域の闘いと必ずしも結びついているものでないため、いかに労働組合運動や大衆運動の指導をつよめても、一挙に、現在の総部数から割り出した拡大目標を達成するところまで到達しないのは当然です。いやそれどころか、このような活動では、減紙分の回復さえできいため、結局、減紙克服や目標達成のための集中拡大にきりかえざるをえません。このことは、地区機関における労働組合運動や大衆運動の指導の強化の中断を意味しています。地区機関はばく大なエネルギーを投入して、「よこ糸」の拡大、つまり支部にとっては、必ずしも職場や地域の闘いとは結びついていない拡大の動員に奮闘することになります。
 こうしてこの二年間のように、拡大月間とそれに準ずるとりくみの時期がかなり長期化するなかで、地区機関常任の一面的指導の欠陥は固定化していき、支部は「たて糸」の活動をつよめようにも、それができない事情がつづくことになります。
 選挙戦にも、このような拡大の指導方法が次第にもちこまれ、三本柱の方針にもかかわらず地区機関常任の具体的指導は、「票よみ」の推進を中心にすえた、全党動員に力点がますますおかれるようになってきました。こうして今日では、一方では戸別ビラ配布による大量宣伝と他方では、党員の読者をとびこしての「票よみ活動」というとりくみが定着化しつつあります。党員は、一人あたりのかなりの票をよまねばなりませんし、よみ票の重なりをさし引いても、党に投票しない大衆に対しして無差別に「広くあたる活動」をしなければなりません。このためますます、機関は全党を動かすことに力をつくさなければならなくなり、支部はまた三本柱の活動がますますできにくくなっています。
 拡大、選挙で地区機関常任が、全党の決意動員、支部の全部をつかんで動かしきる具体的指導がつよめられればつよめられるほど、これと結びついて、機関からの指導がなければ何もやらない支部がふえてきています。強力な指導があればあるほど自覚的自主的支部が少なくなるということはすぐわかる道理です。こうして、拡大、選挙以外の課題でも、地区機関の特別な具体的指導、徹底した点検がないとほとんどすすまないという深刻な事態さえ進行してきています。このことと、拡大、選挙における指導方法を用いるならば、現実にかなりの成果を収めうることとあいまって、読了、十二条党員の解消などの課題にも、まったく同様な指導や活動がすすめられるようになりました。
 以上が、この数年間、党活動、党指導のなかでおこった経過についての概略であり、推論の本質的側面であります。この結果、その一方には三百万の読者、三十数万の党員、五百万の得票という輝かしい成果があります。しかしこの成果の内容をみると、読者の大きな部分は党員との地域でのつながり、個人的なつながりによるものであり、得票は読者をとびこして党員が票よみ活動に奮闘したことによって支えられています。そしてこのような成果を支えるため、党中央はたえず緊急・重要課題を全国に提起し、機関はこの課題へ全党を動員するため、ばく大なエネルギーをつぎこみ、いつも緊張した活動と指導をつづけています。こうしてもう一方では、党支部の労働組合運動や大衆運動へのとりくみの弱さがあり、とりわけ、党の労働組合運動の分野での立ちおくれがあり、支部と読者や大衆との結びつきの弱さがあります。このことは、労働者の間での党員の影響力の小ささや指導力の低さなど、党員P64・65の資質にかかわっており、同時に地区機関常任の労働組合運動の指導能力の低さなどにもかかわっています。
 このような現状は、何年もかかってつくりあげられてきたものですし、一方の成果は一方の欠陥にかたく結びついており、別々に切りはなすことのできないものです。いまこの事態の根本的解消をはからずに前進をはかることは、どのような一般方針をかかげようと実践活動においては、党勢拡大と選挙戦のとりくみだけで、民主連合政府の樹立から革命の勝利をめざすという日和見主義に発展する危険をもったものであります。同じ大衆運動のとりくみの弱さにもかかわらず、労働組合運動の分野でとりわけて立ちおくれているのは、米日反動の攻撃と社会民主主義の策動によるものであることは明らかです。情勢の発展のなかで、米日反動はさらに攻撃をつよめてくるでありましょうし、このままでは労働組合運動の分野のみならず、全分野における大衆闘争にも困難がつくりだされるおそれがあり、統一戦線の発展強化の上で重大な支障となるでしょう。
 しかも以上のような党の現状は、主として「計画的に党をふやす」という方針にもとづいてつくりあげられてきたものであります。拡大の「計画」ということはさまざまの内容を含むものです。しかしこの十余年の実践の中ではいつも「計画的拡大」ということで「いつまでにどれほどふやす」ということが中心課題となってきました。そして、いつも計画達成という見地から出発し、情勢の発展を考案して、集中拡大の月間が決められ、全党の一大決起をかちとる大運動を何度となくくりかえしてきたのです。
 党員拡大は、「いつまでにどれほどふやす」という方針で何度か集中拡大をやり、急速に増大し十万の党から二十万の党へと成長していきました。そして、一九六五年十一月十七日には樹海同志の経験を「先進的活動の一つの典型」とみなし、樹海同志に学び、樹海同志につづくよう全党の同紙に手紙をおくりました。そして十回大会までに三十万に近い党をつくりあげていったのですが、この時の党員拡大ではかなり極端な活動をやったことを記憶しています。私自身も何十人かを入党させましたが、支部へいって対象者を集めさせ、猛烈にまくしたて、うんというまで説得し、うんといったらただちに署名させ、その晩審議するという活動をやりました。今から思えば樹海同士の先進的活動といわれる内容にも、まだ党に入るにふさわしくないものに決意させるという活動があったわけですが、中央がそれにつづけというのですから、同様な活動でよいと信じこんで活動や指導をすすめていました。しかしこのときの拡大で党の戦列に加わった人々のうちかなり多くがその後党から脱落していきました。このことは全党的にも同様で十回大会党員数ではかなり後退がおこり、十一回大会前夜まで十回大会より党員数が少ないという事態がおこりました。同時に、党員拡大についてP66・67の指導は十回大会後約二年間ほとんどなくなり、一九六八年十月一日の幹部会決定でとつじょとして、「党員拡大の場合は期限をきって無理やりに目標を達成することはできないし、それは適切ではない。」という方針が示されました。
 このことは実質的に、党員拡大では「いつまでにどれほどふやす」という計画拡大の方針が破産したことを示すものです。(私は十回大会をめざす党員拡大について中央の指導にあやまりがあったことを、全党の前に明らかにすべきであったのに、これをかくし、突然「期限をきっての党員拡大は誤りだ」という方針だけを全党に示したことは、二重の誤りであったと考えています。) その後十二回大会にいたるまで、それぞれの大会で決められる党員拡大の目標は単なる目標にとどまり、何回か党員拡大の月間を設けたけれども成功していません。結局、党員の「計画拡大」という方針は全党によって実践されないまま今日に至っています。
 機関紙拡大については、やはり「いつまでにどれほど増やす」という方針で何度か集中拡大をやってきましたが、しだいにとりくみが地域でのつながりや個人的つながりを通じてふやすという拡大に流れることによって、大量拡大をかちとるようになりました。「計画拡大」ということで、拡大目標から出発するかぎり、指導と活動は、拡大部数の追及に流れ、その結果が、最終的には地域でのつながりや個人的つながりを通じての拡大によって達成するということにならざるをえません。経営支部での労働者への一部の拡大も、市会議員が自民党の市長や市役所の幹部にふやす一部も、拡大部数では同じ一部であります。「いつまでにどれほどふやす」という立場から出発するかぎり、ますます拡大部数の内容は問題にはならなくなり、三百万の読者という反面、どのような党の内情がつくり出されているか、目がむかなくなっていくのです。「そのようなことはない。経営支部の労働者の一部と自民党の市長にふやす一部と同列にあつかうことはない」といわれるでしょうが、現実に全党の拡大部数について、どのような支部がどのようにしてふやしたものかを調査したことがあるでしょうか。このような調査をやらず、もしやったにしてもその結果によってとりくみの指導をしていないならば、党勢拡大計画を「民族民主統一戦線を正しくその依拠する階級の上に建設する計画である」(一九六一・九・四幹部会決定)とする当初の方針にもそむくものであります。
 しかもこのようにして地域や個人のつながりにより拡大部数がふえればふえるほど、すでに明らかにしたように全党の活動と指導はますます一面的なものとなっていきました。そして労働組合運動をはじめ大衆運動への全党の活動と指導はますます弱められる一方、選挙での票よみの増大、そのなかでの機関紙拡大、拡大をきそにP68・69得票と票よみの拡大……ということを交互にかさね、今日の五百万の得票、三百万の読者という成果と労働組合運動における重大な立ちおくれという二つの局面をつくり出したわけです。
 したがって、この事態はいずれも「いつまでにどれほどふやす」という「計画拡大」の方針からうまれたものであることは明らかです。 かつてレーニンは「階級と党との関係は歴史的条件その他の条件にしたがい、国によってさまざまである」(「ヴェ・ザスーリッチはどのようにして解党主義をほうむるか」)といい、党の大きさにはその国々の歴史的条件、客観的条件によってきまることを主張しました。党勢力は階級と階級の前衛の消長によってきまるものであり、したがって階級闘争の諸条件と結びついたものであります。「計画的に党をふやす」ことが「いつまでにどれだけふやすか」ということを意味するかぎり、階級闘争を計画的にすすめることを意味することになり、その延長上に計画的に革命を実現するという日和見主義的実践にさえつながる危険をもつものであります。党勢拡大が四つの旗の総路線にもとづく拡大、つまり、職場・地域での大衆闘争と結合した真の二本足ですすめられているならば、「いつまでにどれほどふやす」という方針はたえずいつも実行不可能となり、結局破産せざるをえなかったでしょう。逆に、「いつまでにどれほどふやす」に固執するかぎり、党の二本足の活動を破壊し、労働組合運動における党の重大な立ちおくれをつくり出さざるをえませんでした。このことは、党の消長と階級闘争の消長とは一つに結びついており、階級闘争を計画的にすすめることが不可能であるかぎり、党勢拡大もまた計画的にすすめることが不可能であることを実践的に証明したものであります。
 ここで申し上げておかなければならないことは、私は党勢拡大はきわめて重大な任務であって、革命を準備する過程での前衛党のなすべき最重要の課題の一つであると考えていることです。しかもまた、党勢拡大はそれを重視してたえず意識的な努力を集中しなければならず自然成長であってはならないということも全く正しいと考えています。したがって必要なときには、当然集中拡大もありましょう。ただ意識的な努力を集中したり、必要なときに集中拡大もやるということと、「計画的にふやす」ということはおのずから別のことであります。
 「計画的にふやす」ことに賛成しないことは、すなわち党建設を自然成長にまかす日和見主義的見解であるという議論がありますが、これはまさしく論旨のすりかえであります。国際共産主義運動のなかで、数年以上にわたって計画的な党勢拡大を追求した党は、インドネシアと日本の党だけであると思います。レーニン以来の諸党は、「計P70・71画的にふやす」ことをやっていませんが、これは党建設における日和見主義だったのでしょうか。
 問題は「計画的にふやす」ということであり、その中身は「いつまでにこれだけふやす」という活動を長期間くりかえすということです。私は各級党機関が何年かの長期的展望のもとに、どの経営に党をつくるとか、どの農村に党をつくるといった計画をたててとりくむことは正しいし、むしろ力をつくしてやりぬいていくべきことでありましよう。「計画的にふやす」ということによって今進行していることは、何よりも数をふやすということであり、次々と期限をきって数を追求していますが、これこそが階級闘争を計画的にすすめるというあやまりにつながるものであります。
 したがって、私の提案は、「計画的に党をふやす」という方針を党の総路線からはずすことであります。党勢拡大は党中央が必要なとき集中的に取り組むことを決定するほか、日常不断に全党が努力することを義務づけますが、たえず拡大を数と期限で指導し追及することをやめることです。もちろん、これまでの十数年間の党勢拡大について、全党のすぐれた実践や献身があるわけですし、五百万の得票と三百万の読者そのものは、輝かしい成果であり、全党の努力の結晶であるので、一方ではこれまでの全実践を正しく総括するとともに、この成果を清算主義的になげすてることがないように、この成果を勝ちとった意義を正しく明確にしなければなりません。そのためには、十数年の実践の総括は全党討議ですすめられる必要がありましょう。
 このように申し上げると、「これまでの党勢拡大の到達点は『計画的にふやす』という方針があったからできたのであって、極端な清算主義的見解である。『計画的にふやす』という方針を取り除いたら、党は大混乱し、革命における重大な後退をつくりだすであろう」といわれるでしょう。しかしこのことについて私は断じて否と申しあげたい。この三年間、百万部以上をふやしたといいますが、党員一人について三部です。いつも党中央がいっているように、全党がその気になれば、何か月も何か月もくりかえしくりかえし月間をやらなければふえないという部数ではないのです。一年に党員一人について一部をふやすのに、機関は労働組合運動の具体的指導をほとんどやらず、支部も大衆運動のとりくみがやれないほど、「緊急だ」、「重大だ」と討論ばかりくりかえし、何か月もかかっていることの方が異常でありましょう。全党が方針をあらため、三十万の党員の力をあわせて、労働組合をはじめとする大衆運動のとりくみに全力をあげ、選挙戦は、これらの闘いと結びつけて、読者や支持者の力に依拠することに力をそそぐならば、職場や地域に大きな変化をつくりだすことができることは、目の前にうかぶようであります。全党員は生き生きと党活動をやり、そのなかで一年たったP72・73一部だけ拡大する、このことができないわけがありましょうか。しかも、この拡大は職場や経営を中心にすすめられるでありましょう。もし、「計画的にふやす」という方針がなかったとしても、党勢拡大の任務を正しく全党に位置づける指導をおこなうならば、今日の情勢の発展のなかで、必ずや大きな成果をおさめうることは明らかであります。革命は幾百万大衆の事業であります。党機関が支部や党員を立ち上がらせることだけにエネルギーをつぎこむことをやめて、広汎な大衆のなかで支部や党員が生き生きとした活動がすすめられるような指導と援助を行うならば、日本の労働運動や人民大衆のたたかいは大きく前進し、その中で党もより大きくきずきあげることができるでしょう。
 私の申上げることについて、おそらく「新日和見主義」であり、最悪の見解である等々の批判をうけ、しりぞけられるであろうことは、夙に予想するものであります。しかし、一番大切なことはどのような見解であるかということよりも、どのような事態が存在しているかという事実についてであります。私の見解をしりぞけられることはともかくとして、くりかえし申上げますが、なんとしても提案し、党中央でやっていただきたいことは、現在の地区機関常任がどのような活動をやっているかについての事実、支部がどのような指導をうけているかの実態についての調査であります。それもあれこれの例ではなく、党全体としてどういう傾向がどれはどの%にのぼっているかについての事実把握であります。標本調査でも結構でありますから、どうしてもやっていただきたい。そして事実把握ができたなら、なぜこのような傾向になっているかの原因究明を行うとともに、この事態の抜本的解消をはかる方針を全党にしめしていただきたい。これが私の心からの願いであります。この願いをさいごに強調して私の意見書を終えるものです。
一九七三年


古本屋通信    No 1568   8月19日

  植田さんの父君の党への手紙



  3日間3エントリー連続で 『さざ波通信』の転載となる。連続の転載に特別の理由はない。一本目のクマさんの論稿を貼る過程で二本目の鵜崎義永さんの意見書が見つかった。さらに連続して今回の植田さんの父君の手紙に出会ったのだ。いずれも転載したかったのでそうした。しかし転載者の私にとって、それぞれの意味は少し違う。その点を付して前書きとする。
  一本目のクマさんの論稿はもちろん資料としての掲載である。たとえ論旨の大半を支持できるとしても、私はこういう日本語文を公然と支持することはできない。名指しを避けて石崎徹さんが反応してくれた。転載の甲斐があった。
  二本目の鵜崎義永さんの意見書は1960年代後半から70年代初頭の党活動を受けて1973年に書かれている。これは1972年の新日和見主義事件と時期的に重なる。鵜崎さんはこの事件とは全く関係ないが、問題意識は殆んど共通である。それはこの2つの事件がそれぞれ氷山の一角であり、正確にはその何十倍もの党員を含む事件であったことを示している。私はこの意見書の大半を了解する。
 今回の植田さんの父君は戦前からの党員である。私はこの文をオール・ボルシェビーキの文として貴重な資料だと思った。個々の文言について論じようとは思わない。



 もう一つの「党への手紙」
 
2013/7/20  植田 60代 エンジニア
 1973年に鵜崎義永さんが党へ提出した意見がさざ波に紹介されました。
 私の父は1989年に68才で他界しましたが1972年に党に送ったと思われ る手紙のコピーが手元に残っていたので、さざ波に送ります。
 鵜崎義永さんの手紙と同時期に書かれたものなので、この時期の末端で活動して いた一党員の関心事、懸念、常識などを知る助けになるかもしれません。文中、 党員生活28年とあるので戦中の入党だったようです。私は父の党員生活を殆ど 知りません。ときどき私に向かって「お前は徳球に抱っこされたことがあるんだ ぞ」と自慢話をしていたことや、ある会合から帰ってきて「党中央の幹部はト ロッキーを読んでいないことが分かった、トロッキーを知らずに批判している、 上田耕一郎が弟を赦してくれと言ってた」と憤慨していたことを憶えている程度 です。本小文は党のどの組織へ、あるいはどの個人に送ったかは不明ですが、文 末に「党指導部への要請」とあるのでしかるべき組織、機関に送ったと思われます。 以下本文(誤字も含めて原文通り)

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「革命の原点にかえって理論を作り出そう」

1972年 R.H

前書:「人民えの奉仕の為」の共産党員の姿勢
1.マルクシズムの不変のものと変化発展すべ可きもの
 A:不変のもの
 B:変化発展す可べきもの
  (イ)マルクス、レーニン、毛沢東時代
  (ロ)現在の時代(産業面)
  (ハ) 〃   (精神面)
2.新しい理論を作り出す主体に就いて
 (A)現在の党の指導部に就いて
 (B)党の経営体としての欠陥に就いて
3.も一度原点にかへらう
 (A)ソ連と中国の現状よりの反省
   「世界の共産党の歴史に何か重大な誤りはなかったか」
 (B)スターリン批判の徹底に就いて
  (イ)党内論争の権力的手法による圧殺と党内操縦。
  (ロ)党規約の蹂躙
  (ハ)革命に役立つものは全てが善と言ふドグマの無制限的拡大
    (革命テクニックの自己目的化)
 (C)トロッキーの再評価に就いて
4.日本共産党指導部えの要望

前書:
 正しい理論にもとづいた、正しい戦略や戦術を党が打ち出す為には、党はいつ も社会や時代に正しい姿勢で対処していなければならない。
 社会や時代及人民に対処する正しい姿勢の中の苦悩や喜の中よりこそ正しい理論 や戦略、戦術が創造されるのであって、この姿勢を前提としないで正しい理論や 行動を期待することは不可能である。
 この姿勢を抜きにしてマルクスやレーニンの古典をどんなにヒネッてその理論に 準拠しようとしても、それはますます独善とドグマに陥り、本人が自信をもてば もつ程人民大衆と乖離してゆくであらう。
 時代の流れの中で、まづ正しい姿勢を堅持し、そうしてこれに対置する正しい理 論の創造こそがマルクスレーニン主義の真髄である。
 私の論文は具体的な戦略や戦術には余りふれない。それは必要に応じて創り出 せばよいのであって、その根本にある姿勢に就いて論じようと想うからである。 或いはこの姿勢こそが革命の哲学そのものでありませう。
 そして「長期的観点よりみた人民の幸せえの限りない奉仕」こそがこの革命哲学 の命題である。党のあらゆる戦略、戦術はこの命題によって厳しく点検されなけ ればならないし、あるいはもっと大胆にこうも規定したい「党は人民に奉仕する 為の道具の一つであって党自身が吾々党員の最終忠誠対象ではない」

 以上の命題と、党と人民との規定が正しくあってこそ党の戦略戦術は素直に正 しく成長し党は又人民にとって必要不可欠の要素となるであろう。
 スターリン主義、毛沢東主義の逸脱は党を人民大衆の上に置き、党の絶対化と人 民大衆の忠誠を要求した、、、、、、党こそ人民大衆の忠誠に徹しなければなら ないのに、、、、、。
 党の絶対化と党の権力者の絶対化は紙一重の差であり、同一誤謬の半歩前進に過 ぎない。

以上の前提にたって、以下私の論文は展開する。

 私は学者ではありません。表現其の他に正確さを欠いていたり乱暴な集約があ るかもしれませんが、私の切に言わんとする点を御了察頂ければ幸いです。
 終戦直後入党した同志の大半は党から離れた。私は党員としての最低の節操を守 り乍ら大衆と共に歩いてきた。以下は私の28年の党員生活の中で自分で築いた 哲学観であり、又この哲学観が私の最低の党員としての節操の保持を可能にした 源泉である。
 幼稚ではあらうけれど実践の中より生み出した私自身の言葉である。

1.マルクシズムの不変のものと、変化す可きもの
 A:不変のもの
 人民の解放へどのような姿勢で参加するか、吾々自身の立場をしっかりし、 その上に立って人民の歴史的位置づけの正しい認識とその解放の為の戦略の組み立て に弁証法的方法論を適用する。立場と方法論こそマルクス哲学の真髄であり、人類の 歴史の中で永久に変わらざる真理でありませう。そしてこれは、政治、経済、科学、 技術、芸術の人間のあらゆる分野に適用して吾々を誤りなく導いて呉れる成功の源泉 でありませう。
 B:変化発展す可きもの
(イ)マルクス、レーニン、中国革命の時代的背景
 西ヨーロッパで始まった産業革命は資本主義の興隆をもたらし、これが民族 内では甚だしい富の偏在をもたらし、異民族間にあっては帝国主義時代を現出した。

 以上三つの時代は要約すれば第一次産業革命(エネルギー革命とも言う)が 人類に与えら衝撃に対する人類のこれえの克服の過程である。
(ロ)現在の時代(産業面で)
 現在人類は第二次産業革命の渦中にある。エネルギー解放は不必要なまでに 高まり限界に近づきつつあり、そうして現在は情報化社会に入りつつある。第二次産 業革命は或は情報産業革命とも言えるでありませう。
マルクス生存時代は地球は無限であり、人類の自然えの働きかけに限界があ ろうとは考えられなかった。人類の叡智の前進と共に人類には限りない未来が約束さ れ、長期的にみれば極端な楽観主義に貫かれていた。産業の発展と共に地球が有限で あると肌身に感じ始めたのはここ10年来の歴史である。

 其の他、、、、、マルクスレーニン時代とは時代背景は甚だしく変化している。
 更に又、情報産業は人間の精神の直接荒廃をもたらしつつある。
 要は第二次産業革命が人類に与えつつあるインパクトに対して、これを克服 する革命の理論を生み出して欲しいと言ふのが私の念願である。
(ハ)現在の時代(精神面に於いて)
 レーニンの時代に革命エネルギーの担い手(推進力を言ふのではない)となったのは、比較的無学な農民出身のプロレタリア大衆であり、そのバーバリスティック な情感、、、、支配層への憎悪、、、、、が中心であった。
 現在日本等の先進資本主義国家の革命の担い手であるプロレタリアートは相当程度の 教育をうけており
 階級意識=憎悪
と言ふような粗野な感情に訴えるだけではより多くの大衆を革命の側にひきつける事 は不可能でありませう。
 革命陣営は地方政権(?)を手に入れ新しい時代の主人公として出現しつつある。
 単なる抵抗集団として粗野な憎悪で階級意識をあほるのではなく、時代の主人公として妥協のない憎悪の対象は極めて限定し不正に対しては怒りを堅持し多くの諸階層には寛容と善意を中心とする、要するに主人公としての風格を持ち、人民解放のビジョンと理論を打ち出して欲しいのである。

 マルクスを革命の科学者であるとすればレーニン、毛沢東(初期)は偉大な革 命の技術者であり、時代の必要に応じた革命技術理論を展開し且実践した。現在 の時代を背景とした偉大な革命技術論を展開して欲しいと言ふのが日本共産党指 導部えの私の熱烈な希望であり、勿論人民大衆の要望でありませう。
 革命の技術論に於いて100年50年前のマルクスやレーニンの片言隻句を引用 しているようでは地下のマルクスやレーニンが泣きませう。
(尤もこれは現在の党指導部でなく、党の左右の脱落者に多い姿勢であるが)

2.新しい理論を創り出す主体に就いて
 以上に於いて、新しい理論を生み出す姿勢と、その必要性に就いてふれたが、 それを生み出す母体は勿論日本共産党であり、党に対する希望を少しく申し述べる。
(イ)現在の党指導部は日本共産党の歴史上最高のものである。
 現在の指導部の宮本同志、袴田同志、、、、等々は獄中18年毅然としてそ の節操をかえず、戦後昭和25年、国際干渉の中にあって党が分裂したとえ少数派として孤立するも所信をかえず又党が統一と団結を恢復するや誠心誠意その中心となり、又 フルシチョフや毛沢東の左右の大国主義的干渉の中にあっても事大主義的に時流にお もねずその安定した指導の許に強大な世界に誇る可き日本共産党を建設する中心的役 割を果たして呉れた。(現在党は個人崇拝を否定しているので生きている同志の功績 が余り語られないのであえてふれました)
 但し最高であっても100点かどうかは指導部自らが判定すべきではなく、又科学的にみて100点とは政治の社会ではありえないでせう。そしてどんな場合も指導部は100点に近づけるよう謙虚に大衆や下部党員の発言に耳を傾けられよ。
(ロ)党の経営体(目的をもって組織を運営すると言ふ、広義の意味に於いて) の欠陥に就いて
 立派な指導部によって運営される党にも成長発展するものとしての、当然の 欠陥はありはしないか。例えば党はトップ層と日常大衆に接する下部党員に於いて立 派であるが、中間各級機関に於いて未成熟さがありはしないか。この状態は急速に発 展する組織体がもつ欠陥の一般的パターンであって、党も又残念ながら例外ではあり 得ないでせう。勿論、中間各級機関の同志達が生活の苦しさにもめげず、党を守り抜 いた功績は高く評価される可きであるが、機関内の生活が人生の総てとなりいつのま にかその生活を守ることが目的となり、これが官僚主義の保身と無責任の源泉となり はしないか。党はその決定に下部党員大衆が服すると言ふ現実からみれば、明らかに 一つの権力機構である。この権力の座にいる人たちは下部党員大衆に対する深い責任 感をもたねばならない。下部党員大衆の誤りも自らの指導のあやまりとして自覚し自 らのケガを覚悟で下部党員大衆を守らねばならない。下部党員大衆に検察官として望 むのはたとえ言っていることが正しくとも全体としマイナスでありケガと責任を恐れ て行動しないよりケガと責任覚悟で下部党員大衆と行動を共にしてこそ党は正しく成 長するでありませう。これは党が単なる抵抗集団から主人公の集団に脱皮するに必要 な作風の前進でありませう。
 党の組織原則の考え方も見当を要しないか。(これえのスターリン主義との関連は後ほどふれる)何か事をしようとする時、困難や失敗はつきものだ。この時現 在の作風(或は組織原則からくるのか)では余りにも組織原則と防衛の名の許に、中 間機関の無能をインペイし、機関自身の保身につながっていないか。あらゆる経営体 (広義の)は上から下迄、組織構成員の責任が明らかになり、殊に各級の長はその出所 進退があきらかでなくてはならない。
 以上は又ブルジョア権力の小康期を前提としており少なくとも茲数年は続く状態を前提として申し上げているが、敵の権力がゆらぎ自信を失って凶暴となった時はどうか、寛容ばかりも言ってはおられまいが、その時の防衛も頭に置き乍尚且つ党組織のあり方に就いて弾力的考慮が必要と考える。そうして革命の迫った時がくれば中間党機関員はその誇りを堅持し乍も下部より人材を吸収する必要がありませう。
 同時に私共下部党員は地区委員会に対してこそ忠誠でなくてはならない。
我々の第一忠誠対象である人民に真に奉仕するものが共産党であると確信するならば当 然我々は党に忠誠でなくてはならず、その忠誠は真っ先に党の基本組織である地区委 員会に対してなされなくてはならない。末端の機関を無視して上部機関と結びつくの は下部よりみても上級機関よりみても正しい姿勢ではない。たとえ未成熟であっても 地区委員会と悩みと苦しみを分かち合い共に成長してこそ党の真実の発展でありませう。
 私事で恐縮ですが、上部機関の特定の人脈と結びつかずどんな場合も地区委員会の 指導を真っ先に仰ぐ姿勢を貫いたのが私の28年の党歴を可能にしたのかもしれない。

3.も一度原点にかへらう
(イ)ソ連と中国の現状よりの反省
 ロシア革命や中国革命に私共は若いときにどれ程尊敬と親愛の情をもって 眺めた、且弁護した事か!!もう数年待っていてください、どんな立派な国になって いや応ない形で日本人民に生きた実例を見てもらえると、、、、。
 このように考えたのは私ばかりではあるまい。終戦直後の同志達は皆んなこ のように考えていたに違いない。現実はどうか、、、、、、吾々は幻滅を味わう方が多かった。
 然し乍らソ連や中国の社会主義の歴史は絶対逆戻りはしないでせう。いろい ろの紆余曲折はあっても立派で明るい共産主義国家を最終的には必ず実現するでせう し、又世界の帝国主義の打倒に決定的に重大な役割は必ず果たして呉れるでありませう。
 だけど両国がもっと立派にやっていて呉れたらと嘆息するのは日本の真面目 な同志の共通の感慨でありませう。ベトナムのあのような悲劇もありますまい。又ソ 連や中国の党と日本共産党との不自然な関係もありますまい。これは明瞭にソ連や中 国の党にあやまりがあるのであって、両党に対する姿勢で吾が党に間違いは絶対あり ません。然らば両党を罵倒して吾党は違うと言っても人民大衆は真に納得して呉れる か、、、、、。
 残念乍ら目糞鼻糞を笑うとしかとって呉れないでありませう。両党のあやま りを吾が事の苦痛としてとらえるのが世界の又日本共産党の人民大衆えの責務の第一 歩でありませう。
 ソ連や中国の革命史に何か偶然のアキシデントがあって路線が少しく曲 がった、、、、、等々では説明がつかないでせう。10億以上の人々が偶然の出来事であんなに曲がるとは考えられません。何か深い重大な誤謬が存在していないかと考える方が自然でありませう。
 「世界の共産党の歴史に深い重大な誤りがあった」と言ふ仮設の上にたって私なりに少しく追求してみたいと考へえます。
 このような仮定にたたない人には私の論文は無用のオシャベリに聞こえるで せうが、先人の作った歴史に深い尊敬を捧げながら、その間違いを点検するのこそ、 人類の正しい歴史の敬称の仕方であり、私共の義務であり、この姿勢こそ生きた弁証 法でありませう。
 そうして私なりの間違いの指摘に私は100%自信をもっているわけではな いが、間違いはなかったと言ふ開き直りには私は断然100%抵抗します。
 この仮定をご承認頂いた上で上部機関の理論家は、それなりの解明をして頂 きたいと考へます。そうして私の申し上げる指摘はあく迄仮説の一つであるに過ぎま せん。
(ロ)スターリン批判の徹底に就いて
 レーニン時代の党の中央の委員の実に70%以上がスターリンによって殺された、、、、革命の成った後、革命を守ると言ふ名の許に、、、、

 スターリン主義の惨害は党員に対してのみならず、人民大衆自身の生命を傷 つけ、又現在のソ連の上下を覆う無気力、官僚主義等の諸悪の根源となり、社会主義 国家にある可き筈の溌溂とした人民の創意を圧殺した。私がここであえてスターリン の犯罪行為を指摘するのはスターリン的党運営手法と組織原則(レーニン的ではな い)が色濃く世界各国の共産党の中に残り、これこそが「世界の共産党の歴史の中の深 い重大な誤り」そのものであると考えるからである。
 レーニン指導下のソ同盟共産党は世界資本主義の包囲の中でロシア革命を 完遂し、永らく世界共産党の只一つの輝ける指導部であった。ソ同盟の共産党より共 産党及その運営はかくあるものと各国の共産党は虚心に学んだ。
 その輝けるソ同盟共産党の中にスターリン主義の邪悪な種が内包されていたのである。
 或は又このようにもいへる、学んだ時には既にレーニン主義は消えてスター リン主義そのものになっていたと、、、、、。
 スターリン主義の邪悪の根源は
A.党内論争の権力的手法による圧殺と卑劣な党内操縦。
B.党規約の蹂躙
C.革命の為になるものは総てが善だと言ふドグマの無制限的拡大解釈(革命 テクニックの自己目的化)
等々でありませう。以上の点検えの党員の自覚の欠如とこれに対するもろさがスターリンの乱暴な野心の跋扈を可能としたのであり、現在又中国共産党に毛沢東 主義の混乱を持ち込ませたものである。吾々はスターリン、毛沢東の卑劣な犯罪的行 為を深く糾弾すると共に、このような犯罪を生み出し、又許した党の一員として深く 自戒し、二度とこの誤りを許さない堅い決意がなくてはならない。
 A,B,Cの内C、も案外重大と思ふ。
 レーニンは革命の実践的指導者であり単なる理論化ではない。従って革命の 場面々々で適格な言葉を生み出しており、後世の吾々がレーニンの言葉を引用する場 合、レーニンの発言した局面を無視して引用すると正逆いづれの決定も弁護出来ると 言ふ矛盾に陥る例が多い。
 「革命に役立つものは総て善」と言ふレーニンの発言は恐らく革命戦の一 刻の躊躇も許されない決戦の山場の発言でありませう。
 革命の準備期や決戦後の建設期では「人民の幸にたつものこそ真の革命」で あり革命自身を自己目的化してはならない。この戦術的表現と戦略的命題の主客テン トウの把握がスターリンのヒ劣な党の操縦を可能として革命を守る為に止むを得ない として古参党員のアキラメを強要したのではないか。
 連合赤軍事件も以上の極めて幼稚な把握がもたらした惨害の一つである。
 Aの党内論争のあり方こそがレーニンとスターリンの決定的な差である。
 レーニンはあの激しい階級決戦の最中でも党の論争を重視し、或は党外えの 見解の発表の自由もある程度許容したのである。スターリンはこの党内論争に答える 能力がなく国内線が終わってから一枚岩の団結と言ふ美名の許に総ゆる論争を(自分 を美化するもの以外)党内ソウ作により圧殺した。例えば書記局を握って党大会の構 成員を勝手に増減し、又反対論争の発表の自由を物理的に不可能にしたり、、、、等々。
 現在の日本共産党の指導部は党内論争を批判的に答えるだけの充分の能力 をもっており、活発に党内論争を引き起こし積極的に少数意見の発表を保証された い。極端な場合「赤旗」其の他の党機関紙そのものが党内論争の場となっても差し支え ないではないか。そうして最終的に指導部がその論争を収約すればよいのではない か、、、、これこそがレーニン的手法でありませう。いつも結論ばかり説教的に聞かされる のでは機関紙もミ力ないものにありませう。
 党規約の蹂躙に至っては論外である。
 これは党の指導部こそが下部大衆に対して命がけで守らねばならない問題である。このような当然の問題がソ連で中国で東ヨーロッパで又日本の徳球時代にいか に軽々しく権力者の都合によって無視されて来た事か!!
(ハ)トロッキーの再評価に就いて
 スターリン主義と徹底的に闘ったのはトロッキーでありスターリン主義批 判を徹底すれば必ずトロッキーの再評価が浮上して参りませう。極左冒険主義者の事 をトロッキストと呼んで非難しているが極左が悪である事は解るがトロッキーとどう 言ふ関係にあるのか。トロッキーの何処が悪かったかとの問いに対しては大して反論 の根拠をもって居らず、強いて言ふ場合はトロッキーの片言隻句を不都合に改ザン し、発言した歴史的時期を無理にスリかえてその罵倒を合理化している。トロッキー批 判にはスターリンの下劣な手法と論法をそっくり利用しているのが世界共産党の現状 である。
 例えば世界同時革命論なぞはロシア革命直前のレーニン始め殆どの重要な 党員が考えていた事であり、これをトロッキーのみの誤りとしているのは正しくな い。或は革命後ドイツと中国の革命ならずソ同盟の一国社会主義を守って工業立国を最 初に説いたのはトロッキーその人であり、スターリンがその手法をまねたのが歴史の 真実である。或は中国革命の初期、国共合作を批判したにはトロッキーでありこれな かりせば中国の同志の流した血はもっと少なく且つ中国ソビエトはもっと早く完成し たかもしれない。又ヒトラーの出現に対して早期対決を主張したのもトリッキーで あった。トロッキーの指摘はその後の世界史の動きの中で教訓として汲みとらねばなら ない事も多くある。
 ドイッチャー作のトロッキー伝、松田道雄氏のトロッキー紹介等が日本の良心的インテリゲンチアの中で静かな衝撃をもってむかえられつつある。若し党がトロッキーえの従来の評価をかえないならばこれ等の著作に書かれた歴史的事実に対し赤旗、前衛等の公式機関紙上で正式の反論を加へる可きと考える。トロッキー問題を正式にとりあげると現在の党が混乱するから等の権謀的配慮は党の永い将来の歴史からみて正しい姿勢とは考へえられない。
 連合赤軍事件は党が正しく批判している如く毛沢東主義の理論的帰結であり、更にさかのぼればスターリン主義の誤謬に当然帰着する。スターリンは革命の功績ある同志を70%も虐殺した事実があるのだ!!
 これはトロッキー主義の帰結ではない。
 大体トロッキーはレーニン主義理論の忠実な実践者であってトリッキズム等 と言ふような理論体系を残していないのである。強いてトロッキーの特徴を言へばト ロッキーは革命を人類のソウ大なロマンとポエムとしてとらえた。
 これも又党員の必要な素質ではないだらうか。
 革命家にとっては革命のなる迄は現象的には失敗の連続である(現象の成功を積み上げて世の中が良くなると言ふのは改良主義者の言ふ事だ)
 この一見みじめな失敗の時期をたえ忍び尚且つこの失敗より将来必要な理論を作り出し、革命えの情熱を失わずにいるのはロマンチストでなくては出来ない事だ。科学的であると言ふ名の許に人間性をソウ失した戦術がどれ程党と大衆を傷つけた事か。科学や技法は吾々のロマンやポエム等人間性追及過程の手法の一つであって吾々の真の奉仕の対象ではないのだ!!
 又現在トロッキストと自称している極左冒険主義者どもはトロッキーの技法 にのみ酔い、真にトロッキーを理解する事なく結果的にはトロッキーを傷つけている のだ。
 私はトロッキーをレーニンに比肩する革命家と言っているのでもなければトロッキーが無誤謬だと言っているわけではない。トロッキーのロシア革命えの功績は 甚大でありロシア革命は文字通りレーニン、トロッキー革命と称される時期すらある。トロッキーに歴史上の正しい評価を与えるのは党こそが出来る任務であり、 良心的インテリや若者を更に広く党に吸収出来、又現在の間違いを犯している迷える 学生の多 くを指導する事が可能となり、又世界の党の大きな間違いの訂正の重要な モーメントになるでありませう。

日本共産党指導部えの要請
 現在の党は家父長的指導と絶縁し、党内民主主義を保障し世界の友党間にあっ てもその見識は重きをなし極めて柔軟で溌溂とした大衆の創意を吸収して居り具 体的政策や方針には私は異議なくその指導に全面的に忠誠を誓うものでありますが、 スターリン批判を徹底しトロッキーの再評価をして呉れるならば、更にガ龍が点 睛を得たものになるでありませう。世界の共産党の歴史に一時期の混乱はあって も重大な転機をもたらすものとなりませう。
 そうして又マルクシズムの不変のものをシッカリ身につけ現在の第二次産業革命 に対応する格調の高い革命理論を生み出して頂きたい。 以上


  1. 2012/11/10(土) 17:20:02|
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