古本屋通信

『夏の栞』の読み方

古本屋通信  No 482  10月24日

 『夏の栞』の読み方


「No 481 資料)中野重治 ・神山茂夫・佐多稲子」のエントリーを立てて、検索していたら 「過去たちとの対話」 という名の記事に出くわした。No 481 に貼ろうと思って読んでいたのだが、読み進むうちに一寸待てよと思うに至った。たしかに私の知らない事実なども書いてあり、資料的価値はある。だが、どこか違和感があるのだ。それで別エントリーを立てて少し批判的に論及したいという衝動に駆られた。私はこの方の文を読むのは初めてである。左派系のブログらしいが、そういうことには一切頓着しないで、当該文だけについて論及したい。

 過去たちとの対話  思想と文学 
 2008/9/15(月)  北の大地の文人
  
(革命に翻弄された人々)
中野重治氏の死を身近に看取った佐多稲子氏の「夏の栞 -中野重治を送る-」(新潮社版)を読みました。そこには、戦後すぐの「革命前夜(仮称)」に、若き情熱家たちが弾圧から解放への夢を紡ぎながらも、その後に来る思想闘争の渦に巻き込まれ、文学と政治の狭間で苦悩しながら彼岸に逝った異能な作家の最後が書き綴られていました。佐多氏の自己遍歴と共鳴させながら、「驢馬」に代表される「同人誌時代」の終焉として克明に書き込まれているのです。

『・・・・・私の感情の中で、「驢馬」の時代を背景にしたときの中野重治は、私としてのもっとも素直な親しみに囲われる。中野重治が「驢馬」を背景にしているというのではなく、あの時代においての中野重治を私がおもうとき、ということなのだが、中野を知った当初の、水しぶきを上げて流れているようなあの雰囲気の内に生じたその親しみは、つつましくもありながら率直さを併せ持つという色合いでその後の私の感情の底に根づいた。この親しみは「驢馬」の他の同人に対しても一様に抱いた私の感情であって、同時にそれは、あの中におかれた私というものの当時の有りようを映すものであったろう。・・・・・』(「夏の栞 -中野重治を送る-」より)

中野重治氏は1931年に戦前の共産党に入党しますが、逮捕され1934年に転向出獄します。戦後直ぐの1945年11月に再入党し、この時の推薦人が獄中で転向せず解放されるまで闘った宮本顕治氏と西沢隆二氏です。この年の11月以前にも中野氏は二人から入党を薦められていますが、戦前の「転向」経験もあり、当初は辞退した、と佐多稲子氏は中野氏の再入党の経緯を説明しています。更に、中野氏は1964年部分核停条約の批准に関し、党中央と方針を異にして賛成票を投じ、三ヶ月間の党員権停止処分を受け、その後、除名となりました。中野重治氏の大作「甲乙丙丁」はこのころから書き始められたとも彼女は言っています。

中野氏の中央委員会からの退場を即座に要求した、「驢馬」時代の同人であり、再入党の推薦人だった西沢隆二氏も中国寄りの路線を批判され「除名」されています。当時、西沢氏は中国「文化大革命」を賛美し、党からは「毛沢東盲従分子」として批判されていました。党の文化活動責任者だったこともある彼が除名されたことは「党文化活動家」の一部に混乱をもたらしたことは事実に違いありません。「ぬやまひろし」(「わかものよ体を鍛えておけ」の作詞家)というのは西沢隆二氏のペンネームです。

第四高等学校出身の知の巨人「石堂清倫」氏を同窓の士とした中野重治氏の周辺には、堀辰雄、佐多稲子などの「著名な作家」が集っていましたし、西沢隆二氏もその一人だったのです。

代々木から見放された、伊藤律氏・・・志賀義雄氏、鈴木市蔵氏、神山茂夫氏・・・・片山さとし氏・・・中野重治氏、佐多稲子氏・・・西沢隆二氏・・・袴田里見氏・・・川上徹氏・・・・有能で異才な人々が心のよりどころとした「前衛党」から三行半を押し付けられたのでした。

・・・・コミンフォルム批判、国際派・所感派論争、六全協、砂川基地闘争、60年安保闘争、中ソ対立、部分核停条約、文化大革命、新日和見主義批判・・・・時代の流れのなかで「ドグマ」が跳梁跋扈し、熾烈な思想闘争が展開され数多の人々が代々木を去ったのです。

私の尊敬する北の文人「林白言」氏も前衛党から見放された一人ですが、彼は、円熟した筆力で「人生の機微」や「人との交流」を書き続けました。私は彼の随筆ではなく、彼の小説を是非読みたかったのですがそれは叶いません。

北の大地に文化活動で金字塔を打ち立てた「林白言」氏の「思想と文学」についての「シビアな」お話もお聞きしたかったですが・・・・・「思想と文学(芸術)」は私にとっても永遠の課題かもしれません。

私も中野重治氏に向けた佐多稲子氏の「流麗で甘美な美しい鎮魂歌(レクイエム)」のようなものを書きたいものです。



 以下、古本屋通信
 この方の文は論理的に批判できるような性格の文ではない。過去の党内論争などにも精通され、それを振り返っての実感を率直に述べられている。私が敢えて一言で感想を述べれば、文学系のひとの文だなあということ位だ。ただ、こういう風に書かれては、名前を挙げられた人は厭だろうなあと思う。そして率直に言うと私 (これらの人々と個人的接触はないけれど、同時代より少し後に生きた自分) も厭だなあと思う。で、その理由をやはり一言。つまりこの方の文は社会運動史(社会科学)の記述として真実を書きえていないのみか、文学の文としても真実をいい当てていない。その理由をちょっと考えてみたいのだが、これを考えること自体が多少鬱陶しいので、先延ばしになるかもしれない。


半日措いて書く。私は一行目から、拒否的だ。

「中野重治氏の死を身近に看取った佐多稲子氏」

「中野重治氏の死を身近に看取った」のは中野の細君の原泉であり、佐多ではなかったろう。どうして原の神経に触るような無神経な表現を平気で使うのか。


「戦後すぐの「革命前夜(仮称)」に、」

なぜ戦後すぐが革命前夜なのか。それは戦後左翼の共通認識だったのか。そうではあるまい。評者ひとりの認識だったのだろう。そのひとりよがりに自信がなかったから、意味のない(仮称)を付したのであろう。或いは、戦後左翼の一部に占領軍を解放軍と見誤る者もいた。戦後数年しての共産党の議席増で「革命近し」と思ったのかもしれないが、少なくとも「戦後すぐの革命前夜」など評者の表現だ。そして、私はこういういい加減な表現をきらう。それが事実と主観の境界を曖昧にし、人の認識を誤らせる表現だから。


「若き情熱家たちが弾圧から解放への夢を紡ぎながら」

非合法下で獄にあった非転向の共産主義者、また心ならず転向した中野や佐多たち。戦後の解放を迎えた彼らを一括して「若き情熱家」で括る無神経が分らない。それに、陸軍将校でもなかろうに共産主義者は「情熱家」か。「夢を紡ぎながら」か。たぶん評者はプロレタリア文学の一冊も、作家の心情に分け入って読んだことがないのだろう。


「その後に来る思想闘争の渦に巻き込まれ、文学と政治の狭間で苦悩しながら彼岸に逝った異能な作家の最後が書き綴られていました」

ちょっと耐えられないが冷静に。敗戦直後の党再建とほぼ同時にすすめられた新日本文学会の創立。それ以来、「近代文学」や「人民文学」の問題を含め、文学と政治の問題は今日に至るまで連綿と続いている。然しそれを「その後に来る思想闘争の渦に巻き込まれ」と書く稚拙は、あらゆる意味で私の許容範囲を超えている。私が自分の店から文学関係の大半を撤収したのは、こういう人物を前にしてであった。文学的に生きるとは主体的に生きることではなかったのか。


再引用
「文学と政治の狭間苦悩しながら彼岸った異能な作家の最(最)が書き綴られていました」

これは中学生か高校生が国語の単語を覚えるための例文だろう。それ以上ではあり得ない。これでは、書いた佐多も、書かれた中野も気分を害することさえない。私が高校の国語教師だったら書いた生徒にどう言おうか。「文庫本の解説のつまみ食いはやめなさい」。


「佐多氏の自己遍歴と共鳴させながら、「驢馬」に代表される「同人誌時代」の終焉として克明に書き込まれているのです」

「共鳴させながら」の表現はいいのだろうか。私が『夏の栞』を読んだのは刊行直後だが、記憶でも「同人誌時代の終焉として克明に書き込まれている」とは思わなかった。この要約は口から出まかせだろう。


ここで、『夏の栞』の引用がある。これをよんで私はホッとした。懐かしいこの作家の文だ。佐多稲子の文体である。私はすでに佐多の「好並かおる追悼文」について、絶賛した文を書いている。

以下の9行が私の役に立った個所である。『夏の栞』に書かれていたことだが、私はすっかり忘れていた。感謝したい。とくに再入党の推薦人が宮本と西沢だったという箇所は、佐多の経由といえども貴重な記述である。というのは宮本も西沢も、そして共産党関係も、この件には決して触れていなかったろうからだ。『夏の栞』はよく読まれ、古本市場でも百円本だが、この個所について触れている批評家の文は、私の知るかぎりなかったと思う。

それに続く7行だ。西沢が「驢馬」の同人だったことは私も知っていた。西沢と佐多との付き合いも知っていた。しかし彼が党の文化活動責任者だったのは徳田書記長時代だった。「ぬやまひろし」のペンネームまで書くのなら、「人民文学」を書き添えるべきだった。この時代の彼らの思いは複雑だったろう。書き切れないなら、いっそ初めから触れぬことだ。ここら辺が文学史家といえない所だろう。

以下、
「有能で異才な人々が心のよりどころとした」「前衛党から三行半を押し付けられ」「時代の流れのなかでドグマが跳梁跋扈し、熾烈な思想闘争が展開され数多の人々が代々木を去った」

私はこういう文をトコトン嫌う。これは左翼の文ではない。「反日共」の文ではなく、反共主義者の文だ。

そして、ここに名前を挙げられている人は、こういう並べられ方をされることを等しく嫌うだろう。これはこの文の筆者の何を物語っているのだろうか。コミンフォルム批判も、国際派・所感派論争も、六全協も、砂川基地闘争も、60年安保闘争も、中ソ対立も、部分核停条約も、文化大革命も、新日和見主義批判も、何ひとつ主体的には理解していないことを自己暴露している。

伊藤律氏・・・志賀義雄氏、鈴木市蔵氏、神山茂夫氏・・・・片山さとし氏・・・中野重治氏、佐多稲子氏・・・西沢隆二氏・・・袴田里見氏・・・川上徹氏。
コミンフォルム批判、国際派・所感派論争、六全協、砂川基地闘争、60年安保闘争、中ソ対立、部分核停条約、文化大革命、新日和見主義批判。 (了)



  1. 2013/10/24(木) 07:00:05|
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