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古本屋通信

1970年代、教員支部会議のこと

古本屋通信   No 4227    2019年  10月07日


   1970年代、党教員支部(細胞)会議のことなど

 きのう妻の永年党員証のことを書いたあと、54年間という長期の党生活は妻にとっても余り意味が無かったといふような事を書いた。だが読み返してみて消した。それを書くことのほうがさらに意味がないと思えたからだ。要するに永年党員証は学校の卒業証書みたいな一枚の紙きれに過ぎないと思えた。ただ1965年11月の入党といふのは9大会三中総の拡大運動での入党だったと思った。以下では趣向を変えて、(私はすでに脱落していたが)1970年代中葉に私たちのマンションで行われていた妻の党教員支部会議のことを書いてみたい。

 こういう半世紀まえの想い出ばなしは一般の物書きの書物にはいくらでも登場するが、素人のブログでは珍しいだろう。登場人物にいくらかの配慮をしたうえで自由に書いて構わない。アホなカルト党員がいるから、ねんのため。但し、書かれた本人限定だが、クレームが着けば、私はその部分は無条件に削除する。アッハッハ、物書きである坪井あき子さんがクレームを付ける可能性はパーフェクトにゼロである。カルト党員は坪井さんを見習えよ。

 たしか1975年だった。妻が犬島小学校から岡山市中心部の伊島小学校に転勤になった時、思い切っていわいサンコーポというマンションを購入した。すでに長男は生まれていたが、とても便利な住家だったので会議の場所に最適だった。私は部外者だったが、いちおうシンパだったから警戒もされず話にも入れて貰った。

 すっかり忘れていたが、このときの党支部長が坪井あき子さんではなかったかと思う。坪井さんも妻と同じ伊島小学校の勤務だった。ただし津島学院と呼ばれる親のいない子供ばかり集めた特殊学級だったろう。

 党支部は7,8名の支部だったと思う。多少入れ替わりがある合同支部だった。メンバーの多くは記憶から消えているが、記憶に残っている党員もいる。香川大学から岡山の教員になった我々夫婦の友人であるS君。それから同じく橋本君。橋本君は妻と同じ伊島小学校勤務だったが、まもなく病気で急逝してしまった。だから実名にした。香川大は健在だったのだ。それから武田英夫君の細君の道子さんは、教員ではなく県教組書記だったが同じ党支部に所属していた。それから則武真一さんの娘さんが同じ支部だった。彼女は幼稚園の教諭だったが、その支部が無かったので一時的に小学校支部に属していた。でもやがて転籍したと思う。それから萩原地区委員長の細君の清子さんも同じ支部だった。坪井あき子さんのあと津島学院の教員だった。

 あっ、もう一人思い出した。Aさんという愛媛大学を出た、私たちより一つ年長の党員だ。かれは清心女子大の附属小学校の教諭だった。私が古本屋になってからも清心の教授からAさんの武勇伝は聞いた。かなり強引な活動をしていたという。ところが公立学校の教員試験に合格すると同時に党から離れたらしい。それも離党ではなく自然消滅した。と同時に妻などとも、顔を合せても目を反らせるようになったという。私もよく知っている元愛媛大民青の方である。結局彼は夫婦とも教頭校長の道を歩んだという。私の中では管理職になったらオワリだという想いは強い。これは民間でも同じである。

 私はこの会議でたしか数回、絶世の美人に出会うのである。どうも同じ支部員だとも思えない、数回だけ臨時で参加したのだと思うが、それが田中のぞみ現岡山市議のお母さんだった。お腹が大きかったかどうか記憶にないが、学生結婚同様だったそうだから、すでにのぞみちゃんは生まれていたのかも知れない。絶世の美人であったことは最初にのぞみちゃんに会ったとき伝えた。あんたも別嬪じゃけど、お母さんには敗けとるなあ、と。それを先日も伝えたら、もう70歳ですからと言われた。

 それから当時の支部に指導に入っていたという記憶はないのだが、支部会議のイメージとダブって記憶にある美女がもう一人いた。それが石井妃都美さんである。別嬪ではあるが、学生あがりの嘴が青い娘さんだというイメージはあった。党地区専従になったばかりの後の党幹部会委員である。直接話した記憶はない。

 会議そのものには私は参加できなかったが、狭いマンションだから会話は筒抜けであり、警戒されることもなかった。キャップは坪井さんではなくS君だったかも知れない。それと則武さんの娘さんも大柄な美人だったが、みなさん父のために宜しくお願いします、という言い方が顰蹙をかっていた。坪井さんは親が甘やかして育てたから娘がなっていないと言っていた。あき子さんの亭主の宗康氏と則武氏は山陽新聞の元同僚であった。

 妻は会議の場所を提供するだけの末端の党員だったが、党生活は楽しかったように見えた。もっとも二人目を妊娠していて殆んど党活動はやっていなかったと思う。

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  この阿呆、一行で済むところを小理屈を並べて、自分をいっぱしの理論家だとでも思っている。無意味な多弁が恥かしい。


3. KF
2019年10月07日 02:40
日本共産党が、党中央の主体的判断として、政党助成金を受け取ることは、あり得ないと思います。

革命政党を自認する共産党にとって、革命以前の政府とは、支配階級(資本家階級=大企業・財界)の奉仕者であり、打倒の対象です。打倒の対象である政府から助成金を受け取るということは、政府に屈服するということであり、革命政党としての立場を放棄することです。すなわち、党のアイデンティティを自ら捨てるということであり、党中央としては、絶対避けなければならない。
アホ低脳。ならば議員歳費はなぜ政府への屈伏でないのか。それはブルジョア議会であっても一定の民意の反映はあるし、民意の反映が党の議席だから、有権者の税で賄われる議員歳費は当選ながら受け取る。この理屈と政党助成金受領の是非はまったく別である。党は議会内存在ではない。ブルジョア議会があろうがなかろうが、政治結社は大昔から存在する。もちろん憲法以前である。ならばブルジョア法によって助成される謂われはまったく無い。分かるか? 分からんだろうな。阿呆だから。

だから、党の内外から、党の財政を憂慮して「助成金を受け取ってもいいのでは?」という声が上がっても、それを否定するために、あらゆる理屈を繰り出して来ました。理屈なんか一切言っていない。

典型的なのは、政党助成金は憲法違反だという理屈( https://www.jcp.or.jp/faq_box/2002/0224-faq.html )。憲法以前だが憲法違反でもある。政治結社の自由の規定に違反している。

 以下、付き合い切れない。

もう一つは、助成金を受け取った党は、「政治とカネ」の感覚が麻痺して、堕落・腐敗した、税金頼みの「国営政党」になり下がるという理屈( https://www.jcp.or.jp/akahata/aik14/2014-12-27/2014122703_01_1.html )。

こう言ってしまった以上、もし党中央が助成金を受け取ることを決断すれば、それはすなわち、「我が党は、今後は、憲法違反で、政治とカネの感覚が麻痺し、堕落・腐敗した、税金頼みの国営政党になる」と、党中央自ら宣言したことになります。

いくら党員たちが過去の党の主張(憲法9条反対党の憲法草案くらい読めや、阿呆、中国の核実験擁護など擁護などしたことは皆無である。帝国主義の圧倒的核兵器に対抗する中国の核実験を同列におくことが帝国主義の核兵器を結果的に利するという事実を指摘したまでだ。をきれいに忘れ去る実績を持っていても、これをも同じように忘れてくれる保証はありません。党中央に対する不信感が一気に高まる可能性があると、党中央は認識しているでしょう。

共産党が政党助成金を受け取るのは、党の支持者である「市民」たちから、「助成金を受け取って欲しい」という声が、「圧力」と言っていいほどに高まる場合バーカ、あるわきゃニャーイワ。しかあり得ないのではないかと思います。
  1. 2019/10/07(月) 02:37:10|
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