fc2ブログ

古本屋通信

永年党員証

古本屋通信   No 4226    2019年  10月06日


    永年党員証

 このころはまだ2004年の綱領改悪まえだったので、赤字のようなマトモな文言があったのだな。納得。


  永年党員証  石川真佐代同志 一九六五年十一月入党

 日本共産党は創立以来一貫して日本の労働者階級と人民を搾取と抑圧から解放するため不屈にたたかってきました
 貴同志が党歴三十年をこえ長期にわたって この党の党員として 活動したことを記念し 本証書と記章を贈ります。
 
  一九九五年七月十五日   日本共産党中央委員会



 応接間の本箱の上に、数個の紙筒に入った表彰状があった。その一つが上の文面の永年党員証であった。香川大学二年時の入党であった。私とほぼ同時の入党だったろう。当時の学生の入党は民青同盟で一年間試された者という暗黙の条件があったので、二年時の入党であったのだ。

 妻は生前、日本共産党員であることを公表していなかった。また公表することを考えてもいなかった。だが積極的に隠そうともしなかった。例えば妻の絵を今回お持ち帰りになった方のほぼ全員は、妻が日本共産党員しかも永年党員であることは知っておられただろう。私の古本屋通信を読む方も、妻の党員を当然の前提にしてお読みになっていたと思われる。

 妻は自分から積極的に公表することは考えていなかったが、死後に私が公表することを拒んでいなかった。これは確信である。まあ自分が夫より先に死ぬとは夢にも思っていなかったのだが。


 よってここに公表する。公表の根拠は、私の記憶や妻の語りではなく、物的証拠としての永年党員証が厳然と存在するということである。ここにあるのは党歴三十年の永年党員証だが、さらに二十年後に党歴五十年の証書を貰っている。これが2015年7月15日である。妻は今年7月に死亡したから、党歴は五十四年だったということになる。


 以下は公表に当っての私の感想である。正式に所感を述べるというような「見解」ではない。思いつきの「雑感」である。

 妻が私とちがって、この党に長期にわたって留まっておれたのは、私に言わせれば日本革命に対する理論的無関心の結果であった。別に非難に価しない。妻は多くの共産党員と同じように、この党に属する仲間への限りない信頼があった。ゆえに党員であり続けることができた。また同志たちも妻の誠実さを信頼して付き合ってくださった。今回の絵をお持ち帰りのかなりの方は妻の同志であると私は認識している。そういう信頼関係に恵まれた妻が私は羨ましいとさえ思う。

 この党に対する私の批判は多い。だがこの党のすべてを完全否定する地点からは日本革命の展望は拓けてこない。これまで論じ尽くしてきたとおりである。

 私が党によって転籍を不当に握りつぶされたのは1970年だったが、たとえこの時の除籍がなくても、2年後に私は確実に離党していた。新日和見主義事件の時である。

 この1972年から妻の死亡する2019年迄の47年間、私たち二人は党員と非党員の関係にあったが、この問題で対立や桎梏(または確執)は一度も無かった。我々の間には党の問題を遥かに超えた信頼があった。だが断っておきたい。これは性愛だとか夫婦愛では断じて無い。夫婦間には子育てや私の無職などを含めて多くの問題で対立や確執があった。だが党の問題と政治の諸問題については無かった。

 いきなり至近の問題に移るが、こういう問題がまったく理解できないのが例のカルト党員である。我々の夫婦仲が円満なのが不思議で堪らないのだ。なんで真佐代さんは反共の古本屋通信を許すのだろうと思って怒っておられる。言うまでもないが県委員会は完全に理解されている。理解できなければ一日たりとも党幹部はつとまらない。これは人間の問題ではあるが、極めて高度な階級闘争の問題である。

 妻の(政治的無関心に基づく楽観主義的)期待とは違って、この党はいま絶滅の危機にある。党員の老齢という自然死である。妻の死によって日本共産党員は確実に一人減少した。今の党方針では党の再建は絶対に不可能である。古本屋通信の批判こそが党再建の道である。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 以下、余談。

 世間には夫婦党員を遥かに超える、夫婦いずれか党員が存在する。しかし党員と非党員の組み合わせ生活をブログで公表している例は少ないだろう。ここに古本屋通信の人気の秘密がある。ノゾキ見趣味である。私はそれを十分意識して記事を書いている。ただしノゾキを満喫してもらうためではない。党の民主主義のためだ。それは日本の民主主義のためでもある。分かるかなあ。


 もう一つ余談。

 先日拙宅にこられたY・Mご夫妻。この方は明らかに党員ではないから、妻が50年党員であることを申し上げた。まったく当然のことと受けとられた。そして党に反対のブント崩れであっても、個々の党員には敵対しない。細君のMさんは九条の会である。妻の死は党員の知人から聞いておられた。このご夫婦に対する妻の姿勢と、私の新左翼に対する姿勢が共通しているということだ。我々は最早1970年のゲバに時代に生きていない。


。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


 別項目を立てないで、この場所で、現代志位政治がいかにデタラメで拙劣かを、かれ自身に語らせよう。



垣内京美さんがリツイート
志位和夫‏認証済みアカウント @shiikazuo · 10月4日
私たち日本共産党は、野党共闘の道を選択してから4年間。共産党独自の主張は堂々と行いつつ、不一致点を野党共闘に持ち込まず、一致点で大同団結をはかり、さらに一致点を広げ、野党共闘を発展させるために、一貫して努力してきたつもりです。今後もこの姿勢を揺るがずに貫きます!



 このツイッターにはネット右翼からの批判よりもカルト党員の支持が多いが、こういう綺麗ごとの詐術に惑わされるようでは日本革命の道は遥か遠いだろう。

 そもそも「野党共闘」など4年間皆無であったという点は置こう。党独自の主張とは、例えば日米安保条約を廃棄し米軍を日本からたたき出す政治課題であろう。この4年間、党はこの政治課題実現のため、いかなる独自のたたかいを実践してきたか。理念を掲げて降ろさなかったなどはダメだ。いかなる大衆闘争を組み主導してきたか。完全にゼロであった。のみならず政治課題として赤旗の冒頭に掲げることさえも止めている。完全に安保棚上げである。つまり米日反動勢力への完全な屈服である。

 それはそうだろう。旧民主党の前原一派は言うに及ばず、立憲民主党のすべての党員は日米安保大賛成、憲法改悪大賛成なのだ。「不一致点を野党共闘に持ち込まず」なら、日米安保に賛成し、憲法改悪には賛成だが安倍改憲にだけ反対するしかなかろう。これが「一致点で大同団結をはかり、さらに一致点を広げ」のペテン的現実なのだ。つまりブルジョア議会で戯れているだけである。その犯罪が最も端的に顕われたのが、27大会に元自民党幹事長の小沢を迎えて喋らせ、党始まって以来の大歓声を上げたことであろう。革命政党としてはもちろんのこと、議会主義改良政党としても完璧に済んでいた。これが「野党共闘を発展させるため」だったのである。次期28大会での引退はもはや既成事実となっている。小池ではもっと悪いワ。

 ねんのため。日米安保については即時廃棄しかない。これのみが正しい。かつての社共共闘のスローガンがそれであった。民社党は「駐留なき安保」だった。公明党は「安保の段階的解消」だった。これが如何なる末路を辿ったか。すべて日米安保大賛成である。アホらしくて付き合いきれんワ。

 垣内京美さんへ。真佐代の絵を貰ってくれて有り難うよ。でもそれはそれ。こんなアホなリツイートしているようでは県書記長は無理だ。ワシ、あんたの評価、しばらく変えんぞ。覚悟しとけ。
  1. 2019/10/06(日) 04:52:49|
  2. 未分類