古本屋通信 No 4225 2019年 10月05日
画人石川真佐代の来歴
きのう妻が生前にお世話になっていた岡大名誉教授のT先生(九十歳を超える御高齢)が、Sさんのご案内で拙宅に絵を取りに来られた。そのとき妻の画人としての来歴を申し上げた。それをママに記録にとどめておきたい。以下である。
妻真佐代はふるくから絵を描いていますが、これは趣味で描いていたのではなく、大学が教育学部中学校課程の美術専攻だったからです。香川大学の当時の指導教官は神田融先生でした。東京芸術大学の出身でした。先生自身は絵筆をとられることは少なかったのですが、絵画理論の指導者として圧倒的な影響力を持っておられたのです。妻だけでなく多くの画学生は神田一門と云われ、それを誇りにしていました。然し神田先生は不幸にして助教授時代に亡くなられました。晩年まで、妻はもちろんのこと私も懇意にして頂きました。
ですが妻は結婚して岡山に来て二人の子供が小学校に上がる頃まで、絵筆を持つことはありませんでした。ようやく再開したのは二男が小学校に上がる1980年代だったと思います。その頃の「大作」に長男と二男を描いた油絵があります。ここに飾っている絵です。
これを描いた頃、妻は新しい師匠に就きます。宇野亀一先生です。その絵はご覧のように玄関に掲げています。とても良い先生だったそうです。今田君によると、当時の妻の絵には宇野先生の影響が認められるそうです。少し暗い絵です。
宇野先生のもとには数年間通いましたが、ご高齢のため指導を辞退され、以後数年間、久山章先生に師事します。やはり御高齢のため指導をお断りになりました。以後、特定の師匠には就きませんでした。
所属は絵を再開して以後ずっと岡山平和美術会(平美)です。その絵画展には欠かさず出品しています。だから今回拙宅にお越しになった方は平美展で妻の絵をご覧になった方が多いと思います。
平美展のほか、教職員美術展と、高島九条展と、アイの会展にも出品していました。アイの会展は水彩に限らず油絵も出品していたようです。石井小学校の図工室に渡りを付けたのは妻ですが、中心は必ずしも妻ではなく松長さんだったようです。この点は今田君の話で今回はじめて知ったことです。訂正しておきます。
最後になりますが、妻はすでに絵は描き尽くしたそうです。もう未練はないと言っていました。だから認知症になって以後も、描ける条件があってもアイの会には行きませんでした。画人としては納得がいく生涯だったのだと思います。
以上がT先生を前にしての私の講釈でした。
- 2019/10/05(土) 08:35:45|
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