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古本屋通信

太宰ファン様へ。世に倦む日日より

古本屋通信   No 4221    2019年  10月04日


    太宰ファン様へ。世に倦む日日より。


 古本屋通信経由のメッセージです。


 世に倦む日日
 中国建国70年 – 絶望と崩壊の中にあるのはどちらの国なのか
c0315619_15034572.png中国建国70年のテレビ報道は、香港のデモとバインドされて放送され、中国共産党政権の打倒要求を日本国民のシングルボイスにする論調で染め上げられていた。他に選択の余地はないという姿勢で、報道の中に異論を差し挟む隙間がどこにもない。まさに、日本にとって中国は敵国であり、人類と日本人全体の敵が政権を握っている悪魔の国であり、中国共産党に対抗して闘っている香港の市民を応援せよという憎悪と扇動で埋めている。戦争プロパガンダそのものだ。テレビを見ながら、自分の居場所がない孤立感を感じ、ブログで何を書けばいいか悩んだ。何か書けば親中派のレッテルを貼られ、右翼からだけでなく、左翼しばき隊から揚げ足取りと嫌がらせの襲撃が来ることが予想され、憂鬱が深まって気が滅入る。習近平を擁護する気分は全くなく、私はずっと、この男が登場したときから批判と苦言を言い続けてきた。

c0315619_15213307.pngだが、今の日本の、左翼を含めて一丸となった中国憎悪には与しないし、安直な「民主主義」や「民主化」のタームを使った中国叩きの仲間に入ることはしない。そこから距離を置き、70年間の日本と中国との関係史に思いを馳せ、反中ファシズムの狂気と狭窄で凝り固まっている日本を相対視するのが、知識人の正常な態度というものだろう。先日、NHKのファミリーヒストリーで中村梅雀の一家が紹介され、前進座を立ち上げた祖父の翫右衛門の激動の軌跡が辿られていた。1952年、赤平事件で警察に追われた翫右衛門は地下に潜行し、逃亡先の中国に出現して健在を示し、3年後の1955年に凱旋帰国を果たす。その映像をNHKが掘り出して丁寧に見せたが、その間、レッドパージの語は一度も発せられず、日本共産党という語も番組の台本に載らず、何の歴史的背景も説明されないまま、物言わず禁忌的抑制の下でファミリーヒストリーが進行した。

c0315619_14570860.png物語の本質を隠蔽した、アクロバティックで陰険な説明(無説明)に終始したファミリーヒストリーであり、逆の意味で不当で佞悪な政治性が際立っていた。現代史を知らない若い視聴者は、何で翫右衛門が北京に出現したか分からないだろう。その重要な問題については、関心を持ってはいけないとNHKは無言で諭している。翫右衛門の北京逃避行については、積極的な意味づけはできず、整理して一般的な認識を提供できないから、各自で意味を想像せよと言っている。本当は、この部分を明確にし、掘り下げることで、日本と中国の現代史を正しく教えることができるし、中華人民共和国がどういう国かを若い人たちに知ってもらい、考えてもらうことができるのだけれど、官邸放送局のNHKはその知識を提供しようとせず、クリティカルな政治史の解説を避け、70年前から日本人全員が反中反共であったかのように演出した。日本人の多くが REDsだった歴史の真実を消した。

c0315619_15265018.pngマスコミは、反中反共の態度がデフォルトで、その思想が常識的で普遍的なものであるかのように説得する。しばき隊左翼もそれに呼応し追従していて、中国共産党と中華人民共和国は左からも全否定されている。中国に住む人たちは、自由を奪われた厳しい監視社会で息苦しく生きていて、さらに格差社会の凄絶な貧富の差に喘いでいて、共産党独裁政権に対する怨恨と不満を滾らせているように日本では理解されている。中国の人々は困窮と絶望の中で救済と脱出口を求め、香港の「市民革命」の成功を待望しているように捉えられている。果たして、この中国国内の描き方は正確なのだろうか。報道されるところでは、この国慶節の大型連休で8億人の人々が国内外に旅行すると言われている。全人口の6割が旅行に出る。無論、大都市に出稼ぎに来ている貧しい農民工が、家族に再会するべく帰省する分も含まれるのだろうが、それにしても6割というボリュームは大きい。

c0315619_14574274.png習近平政権は、格差の是正(小康社会)をスローガンに掲げ、内陸部の農村を豊かにする経済成長の推進で、その目標を達成しようとしていた。安倍政権の前までは、その試行錯誤と悪戦苦闘がNHKスペシャルで紹介されていたが、最近は全く様相と経過が報道されない。米中貿易摩擦で中国経済が瀕死状態だという悪い話ばかりが伝わる。政策は徐々に成功しているのだろうか。本当に経済が深刻に苦境なら、人口の6割が長期休暇旅行という消費はハプンしないだろう。われわれは、悪意のバイアスで歪んだ中国情報を定常的に吹き込まれていて、中国は常に社会が悪化し、政府への不満が爆発寸前であるかのように信じ込まされている。日本人の中国のイメージは暗黒国家だ。だが、中国から帰国した者の話を聞くと、現地の中国人の活気と殷賑の感想が語られ、対照して日本人の死んだような目の特徴が語られる。不幸と絶望の中にいるのは、共産主義国の中国人なのか、自由主義国の日本人なのか。

c0315619_14584101.png将来に希望がなく、崩壊の淵に漂い沈み懊悩し退廃しているのは、中国人なのか日本人なのか。確かに日本には言論の自由がある。民主主義の制度と権利保障がある。ネットで自由な言論を表明することで、政治を変えることができる。だが、その言論の自由も、民主主義の権利も、実際には生きておらず、何も役に立っておらず、政治を善い方向に変えることはできないのだ。中国にはない民主主義の選挙をやればやるほど、その度に政治はどんどん悪くなる。選挙に勝った安倍晋三と麻生太郎と竹中平蔵の政策が推し進められ、マスコミは独裁国家のマスコミの役割へと純化されて行く。政府も国民も米国の奴隷になり、各自が競うように奴隷類型の生き方になり、大脳皮質が薄く薄くなって行く。健全だった政治と経済が失われ、悪く悪くなり、回復の条件を失って回復が難しくなって行く。社会が悪い方に、不幸と絶望の方に変えられて行く。悪い方に変えられて行く様を、抵抗しながら、もう20年以上ずっと見ている。

c0315619_14583052.pngなるほど、中国は共産党独裁の国家だろう。日本は自由な国家であり、言論の自由と民主主義の制度が確立された社会だろう。だが、実際には、この国も独裁国家であり、CIAと日本会議の独裁国家だ。もう少し丁寧に言えば、CIAと日本会議としばき隊が独裁支配する国であり、他の意思は政治権力から排除される。CIAと日本会議としばき隊に媚びへつらう者だけが、満足できる言論・表現の自由の環境を満喫でき、政治を動かせる気分に浸ることができる。言論の自由はあっても、権力への批判は何の実効性も生まず、無法と非道と暴力がまかり通る。弱者は痛めつけられ、欺瞞を押しつけられ、ただ歯噛みして我慢するしかない。国会は何も役に立ってない。野党が猿芝居をしているだけだ。春に続いて秋もまた、開会と同時に皇室行事の宴で多忙で休業に入るだろう。ネットで言論の自由を行使しても、左翼しばき隊からリンチ暴力を受けて黙らされるだけだ。学者は貴族と化して遊んでいるだけで、中国の学者ほどにも仕事をしない。

c0315619_14572623.png中国には言論の自由がなく、ネットでの発言も監視と統制がされ、自由な取材も報道も規制され、違反者は共産党権力に処罰され、不自由の極みにある。日本には制度上の自由はあり、強制的な不自由はないが、誰もまともな取材や報道はしない。その気力もない。韓国を叩き、中国を叩き、文在寅政権を潰し、中国共産党政権を倒すことだけに一生懸命になっている。自由の下でそうしている。中国では、共産党政権がどうやら庶民のネットの発言を気にしていて、禁止し規制しながら、政策批判の声を世論として神妙に受け止めている。ネット世論を脅威として怖がっている。日本の場合は、政権はネット世論などを気にする必要がない。右翼(日本会議)が摘み取って無力化してくれるからであり、左翼しばき隊が形骸化させて回収するからである。中国叩きの言論で気炎を上げ、CIAの工作の手伝いに没頭しているしばき隊左翼に訊きたい。国が若者に希望を与えているのはどちらなのか。若者の未来のために、必死に産業を育成し経済を建設しているのは、共産主義の中国なのか自由主義の日本なのか。

1949年10月1日、天安門の壇上から毛沢東がPRCの建国を宣言したとき、それをラジオで聞いたチャップリンが、感動でむせび泣いたなどという逸話は、今では日本の左翼の誰も口にすることがなくなり、それは言挙げしてはいけない、意義を認めてはならない、忘れなくてはいけない歴史になった。脱構築左翼の天下になった。
  1. 2019/10/04(金) 07:36:15|
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