古本屋通信 No 4215 2019年 10月02日
雑賀光夫さんの不破批判
たった今、私の一年半前の記事に拍手が付いているのを発見した。誰が拍手をしてくれたのか分からないが、もしかしたら雑賀光夫さん本人かもしれないという気がする。それは新資本論(翻訳)刊行のこの時機、もう一度オレの文章を読んでくれ、という督促だと受け取れないでもない。何はともあれ過去文を再録しておこう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
再録
古本屋通信 No 3061 2018年 01月22日
日本共産党内の不破哲三批判
私が共産党系の雑誌に目を通すことがないからか、最近30年も不破哲三に対する理論的批判など見たことがない。たぶんアホらしいからやらないのだろう。久しぶりに党和歌山県議の雑賀光夫さんの頁を開いたら以下が飛び込んできた。すこし古いが資料としてママに転載する。マア論争などする活力は残っていないだろうが。
論争よ、おこれ・不破哲三氏の業績をめぐって
(一)
不破哲三氏の「古典講座」というものが、日本共産党中央主催でおこなわれ、インターネットを通じて広く受講されている。私も、一応は「受講者」となって、インターネットを通じて、あるいはCDで、覗いてみる。
あまりきっちりと受講するわけでなく、不破さんの「通説」を超えた解説について、「古典への招待」(全三巻)でもう一度、読み直してみることにしている。限られた時間での「講義」よりも、「古典への招待」の解説のほうが、正確に読み取れると考えるからである。
不破さんの年齢の限界もあるから、「古典への招待」から3年間の間に不破さんのマルクス・エンゲルス理解の発展は、もうないだろうとタカをくくっているが、もしもあるなら、真面目に受講した方が教えてほしい。
(二)
不破さんは、「資本論」について深く研究され、資本論第二巻、第三巻を編集したエンゲルスよりも深くマルクスにそって、マルクスの研究を再現していると思う。
また、レーニンの著作と活動をあとづけ、その偉大な業績とともにその限界を明らかにした。その真骨頂は、不磨の大典と思われていた「国家と革命」が、マルクスの国家論から外れていたことを明らかにしたことである。党綱領から「プロレタリア独裁」ということばをはずした30年数前からの研究が実ったものであろう。
*「プロレタリア・ディクタツーラ」については、私は20歳代に、私なりの理解で論文を書いたことがある。レーニンのプロレタリアディクタツーラというのは、革命の極限状況で、「革命的合目的性が形式民主主義に優先する」という思想であることを論じた。
「ゴーター綱領批判」の新しい読み方が、新綱領の大事な点になっているが、私にはいまだによくわからず、寝床に「綱領の理論上の突破点」という不破さんの本を持ち込んで読んでいる。
(三)
不破さんは、最近の講義で、「空想から科学へ」をとりあげ、エンゲルスの「資本主義的生産様式の矛盾」の問題点にふれた。「赤旗」の紹介では、エンゲルスを乗り越えた不破さんはすばらしいという賞賛が紹介されていたように思う。
「古典への招待」では、「補論」として、7ページほどでふれている。これまで「通説」としてきたものが、7ページのコメントで覆るということがあっいいのだろうかという違和感を僕は持つ。
どっかにエンゲルスの定式を論じた論文があったと思って、本箱を探した。「現代世界とマルクス理論の再生」(中村清冶・大月書店・1992年第1刷)である。ソ連崩壊の直後の思想的苦闘の時代の著作である。
「第1章 宇野経済学がとらえた『ソ連型社会主義』破綻の構図」に「3 エンゲルス定式の意味内容」という節がある。
そこでは、
エンゲルスの規定「生産の社会化と資本主義的取得との間の矛盾」
レーニンの規定 「生産の社会化と領有の私的性格の矛盾」
スターリンの規定「生産の社会的性格と生産手段の私的所有との矛盾」
と紹介されている。
宇野経済学では「資本主義の基本矛盾」を「労働力の商品化の無理」とされるそうだが、宇野学派の柴垣教授が、ソ連崩壊の根拠を「生産の社会的性格と領有(所有)の私的(資本主義的)性格」にもとめていることなどについて、中村清冶氏は、エンゲルスの規定から離れたものを批判している。
僕は、エンゲルスの規定、レーニンの規定、スターリンの規定のちがいなど考えたこともなかった。僕は「生産の社会化と取得の私的・資本主義的形態」として、この問題を解説していたような気がする。これは、3つの規定のなかの、どれに当てはまるのだろうか?
私のいい加減さは、いつも告白していることだから、別に罪悪感もないが、中村清冶氏が、ソ連崩壊の時期の混迷のなかで、エンゲルスを擁護して奮闘していたという事実だけを記憶にとどめておこう。私の知らないところで、エンゲルスの規定をめぐるさまざまな論争があったにちがいない。
こうした問題が、不破さんの「古典への招待」の7ページのコメントで決着がつくとしたら、これまでの学術論争は、一体なんだったのか。
(四)
不破さんの労作で気になるのは、先行研究が全く紹介されないことである。「私は前から気になっていた。今回研究してみて、こんな結論になった」という言い方をする。論争は、不破さんの頭の中でおこなわれている。
マルクスの「資本論」であれば「資本主義社会の冨は、膨大な商品の…」という書き出しから(注)があり、自著の「経済学批判」が初出であったことを指摘する。学問世界では、これが誠実な態度だとされる。
私は、綱領改定のときの「新しい帝国主義論」が、1960年経済評論1月号の上田耕一郎論文「日本帝国主義の評価について」の発展であると論じたことがある。当時の「経済」編集長とメールのやりとりをした。編集長は、私の感想を上田耕一郎さんにとどけてくださった。「上田さんは、こんなことを勉強している人がいるんだね」と驚いておられたということだった。私が送った「読者欄への投稿」は、編集長氏のアドバイスを得て多少修正したものを載せることになっていたのだが、編集部内で「情勢も違うから誤解を生む」という議論があるということだったので、「これまでのメールのやりとりはなかったことにしましょう」「ありがとうございます」というやりとりでけりにした。その代わり「選挙で忙しいときだから、落ち着いたとき上田さんの感想をお届けします」という編集長氏は約束された。その約束が果たされないまま、上田さんはなくなられた。約束違反だから、私は、「経済」読者欄に投稿する予定の文を、「和歌山学習新聞」に投稿しておいた。
そのことで私の恨みをひきずるつもりはないが、不破さんの研究についての学会の討論・論争が全くないことについては、大変気になる。
かつての「田口・不破論争」のあと、中野徹三氏の不破批判論文以後、マルクス主義に近いところでの不破さんの研究についての論争を私は目にしていない。「田口・不破論争」が、研究者に論争を躊躇させることになっていないのならいいがなと思う。そんな思いから不破氏の輝かしい研究に瞠目しつつも、ある種の危うさを感じないではいられないのである。
2011年10月12日記
- 2019/10/02(水) 09:03:27|
- 未分類
-
-