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古本屋通信

ブログには何を書いても構わない

古本屋通信   No 4194    2019年  9月21日


    ブログには基本なにを書いても構わない。

 ブログには基本なにを書いても構わない。一般的にプライバシーの暴露はやってはならないが、これとて私人二者間の問題である。第三者が 「これコレはプライバシーの侵害である」 と非難することは適当でない。これを私の先日の記事2本(今田君のことを書いた記事)を例にとって論じたい。




   一本目の記事


  古本屋通信   No 4184    2019年  9月15日

  今田信芳君が友人の西村さんと拙宅に来られることになった

 これも忘れそうだからメモしておく。さきほど邑久町の今田君に電話をした。かれは昨年まで平美の実行委員長だったが、今年は降りている。平美の関係者として電話をしたのではない。妻真佐代と私の50年以上の友人として電話した。

 かれは真佐代の死を風のたよりで聞いて知っていた。平美以外のルートを通じてである。

 真佐代の残した絵について話したのだが、まず物故会員の遺作を持ち帰るという企画がかつて平美であったか訊いてみた。聞いたことがないとの回答であった。仲間の絵を形見分けする企画があるわけがないという私の観察は正しかった。

 それはそうなんだけど「平美の今年の展覧会に京兼さんの遺作を出品するのはどうだろう」(今田君はいまだに妻を旧姓で呼ぶ。だから私も電話では彼を旧姓の能登君と呼んだ) と持ち掛けられた。私に異存があるわけがない。正式には会議に諮って決定するが、反対者はいないだろうから、まず出品するようになるだろう。

 その絵をたぶん今週中に取りに来られるだろう。西村さんという妻も熟知している方と一緒だという。大歓迎である。

 今田君は香川大学美術研究室で妻の一級後輩だった。そこから岡山大学の特美の専攻科に進み、岡山の高校美術の教諭になった。西村さんは岡大で今田君の二級後輩だが、そこから香川大学に進んでいる。三人に共通なのは神田融先生の直弟子だということである。妻も二人の後輩を迎えて喜ぶだろう。

 私はまた肩の荷がひとつ降りた。嬉しいニュースだったのでメモした次第である。


  古本屋通信

 この拙文はもちろんプライバシーの侵害は無いが、見方によっては個人的な事情を散りばめた記事という見方も可能な文である。

 その前に私は今田君に電話を掛けたとき記事を書くつもりだったが、そういうことは電話中に一言も伝えていない。もちろん許可も取っていない。彼がネットなどに無関心なこと、如何なる他人のブログも読まない人であることは、妻の死亡を風評で知ったことでも明らかだが、たとえネット愛好者であっても、私は彼に知らせていない。それはそもそも記事を書かないうちに前もって知らせるようなことは言論の自殺だからだ。何を書くかはそのときにならないと分からない。枠を嵌められると書けるものも書けなくなる。

 さあそれで私が再読してみて、ケチを付けようと思えば全文がプライバシーだらけではないか。いちいち挙げないが、西村さんのこと、平美の実行委員長のこと、香川大学美術研究室のこと、これらは今田君にとって不都合なことではないと確信して書いた記事だが、あとで彼が読んで 「これはちょっとマズイ、石川さん、消してくれ」 いう記述が無いとは限らない。あれば其の時は消すが、事前にそういうことを斟酌して記事を書くことはありえない。そういうことを意識すること自体が言論に枠を嵌めること、即ち言論の自由の自殺だからだ。つまり我々は何を書くのも全く自由なのだ。



   二本目の記事


  古本屋通信   No 4189    2019年  9月18日

     今田信芳君来訪

 今田君がきのう11時に拙宅に来訪され、2時間ほど歓談した。話した内容も忘れそうになるのでメモしておく。

 電話があったのは民主会館の駐車場からだった。十年ほど前に拙宅に来ていた。もう道が分からなくなっていた。周辺の風景が変わっていたからだ。

 まず今田君本人からの香典とともに、岡山平和美術会から托された香典を貰った。真佐代は死亡する前に認知症で平美は退会していた。だから受け取る資格はないと思うのだが、永年の功績があるから認められたという。江草代表と谷本事務局長の御配慮であろう。妻が最晩年に懸けた御迷惑(会計なのに貯金通帳を紛失)とともに恐縮の極みです。

 今回は西村さんはこられなかったが、次回の平美展は来年6月だから、それまでにもう一度くるそうだ。とりあえず油絵を2点選んで持ち帰られた。毎年の展覧会にはたいてい物故者の遺作が出品されるから、遠慮するには及ばないそうだ。

 次回は西村さんだけでなく、国岡君と旧姓近藤さんにも声を掛けて来訪予定だという。両君は私も旧知の妻の二級後輩である。妻、今田君、西村さん、国岡君、近藤さん、いずれも神田融先生の門下である。美術系は師匠の影響は大である。

 話は変わるが、今田君は道草をくって教員になるのは1971年だったが、年齢は妻や私と同年である。だから教員を退職したのは妻と同年の2006年だ。それで気になっていた退職金を訊いてみた。妻の退職金を3500万と書いたものの自信がなかったのである。「ええっ、そんなにないだろう。小中も高校も200万も変わらんよ。私は3000万を切っていたよ。奥さんも3000万もらっていない、2800万くらいだろ」。間違いないと思うので訂正しておく。妻も生前そう言っていた記憶もある。私が混乱したのは広島県の退職金を聞いていたからだ(これを言ったのは赤木さんだった 「ええなあ、奥さんが退職金を4000万近こう貰って。古本が売れんでも左団扇じゃ」)。

 油絵と水彩またはパステルだが、展覧会出品の中心が油絵だというのは私の誤解だった。平美展でも近年は油絵はむしろ少ない。真佐代も水彩を多く出品していたという。額に入れると、水彩が見劣りするということはないそうである。それから水彩やパステルが永年の保存が効かないという事実もない、保存さえしっかりしていれば同じだという。
  
 売れる売れないで云えば、圧倒的に人物画は売れない、静物の小型が圧倒的に動くそうだ。今田君はこれまで個展を十回ほどやっている。知人に安くして売れば売れるそうだ。

 それから妻の師匠の宇野亀一先生には面識はないが、絵は知っておられた。玄関にも飾っていたので、それを見て 「良い絵なんだけど暗いんだよなあ、京兼さんの或る時期の絵も宇野さんの影響が認められるよ」。

 あと香川の美研の先輩と後輩の10人ほどに就いて消息を聞いた。私は美研のことを妻とともに本当によく知っていたのである。それも神田先生中心の認識であった。

 神田先生夫妻と角先輩から妻に充てたハガキ20枚を今田君に託した。「そうだね、僕が預かった方がいいかも知れない」 と言って持ち帰ってくれた。みんなに回して見て貰えばよい。



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 この記事には個人名が10人も書かれている。全員が無断借用である。うち一人でも、クレームを付けてくる可能性は薄いが、皆無ではなかろう。もしかしてカルト共産党員がいて、古本屋通信に名前を出されるのは嫌だと言う人がいないでもない。万一いらっしゃったら、其の時は消す。それまでは、そういうことは考えないで自由に書く。


  呼、疲れた。

  ちょっと思い出したから、付け加えておくが、私は今田君と話したことをすべて書いているわけではない。当然ながら書いていないこともある。その一例だが、彼が天城高校で教えて岡大の特美に送り込んだMさんのことなど書いていない。Mさんは或る絵の会の妻の仲間である。対等な仲間であるMさんが妻の後輩である今田君の教え子などは書くべきでない。そういえば私も今田君を気安くクン付けしているが、これは絵仲間ではない大学の一級後輩だからである。であっても後輩扱いせずに「さん」付けする書き方も可能である。どちらが良いかは文章の性格と私の好みだろう。評価は読み手に委ねられる。


 私、上記は二本とも良い記事だと思うよ。今田君って、只の元美術教員である。有名画家ではない。その彼との交流を書いた記事に、瞬く間に多くの拍手が付いた。これが個人的なプライバシー全てを排斥した記事だったら、まったく支持されなかっただろう。カルト党員は他人に自殺せよと迫っているに等しい。このことは面と向かって本人に言ってある。「貴方は私に死ねと言ってるんですよ」。反応は無い。理解出来ないのだ。だからカルト党員なのだ。

 来週の水曜日に石井さんらが三人で拙宅にこられる。私は石井さんにはどうしても妻の絵を貰って頂きたかった。同行が新婦人か、それとも新京橋御一行か分からない。どっちでも歓迎である。石井さんには御見舞のほか、死後に御花代を戴いている。形見分けはどうしても貰ってほしかった。石井さん、10人でも良いよ。早くしないと傑作からなくなっているよ。

  あと私の方から加納洋一・正子夫妻、田中金一・のぞみ夫妻、それから妻の若き友人の白土さんに案内の手紙を差し上げた。こういうことも、ネット右翼と公安が検索する古本屋通信のブログ主は、書かれた本人が迷惑するから、書いてはならないらしい。まさに正気と狂気の価値転倒である。だがこういう転倒は一部の党員に限った話ではないのだ。ここに深刻な党的問題が存在する。
  1. 2019/09/21(土) 07:03:04|
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