古本屋通信

社会科学と文学

 古本屋通信  No 391  8月31日

  社会科学と文学
 
 今回のタイトル「社会科学と文学」は難しい話ではありません。当ブログは今回初めて民主文学ネタを連続してアップしました。これをこのまま続けると、たぶんアクセスは大幅に減るだろうという話です。既にその兆しはあります。私のブログは商売ではありませんから、アクセスが減っても構いませんが、それにしても文学は不人気ですね。特に民主主義文学は絶不調です。極端に言うと、書いている人以外は誰も読まないのです。
 
18年まえ、私の店は社会科学と文学を半々の商品構成で出発しました。それが今じゃあ(文庫本以外は)文学ゼロです。小説作品はもちろん詩歌も古典もダメ、評論はもっとダメです。つまり売れないのです。吉本隆明が(元々メゲていたけど)晩年あそこまでメゲたのは、ある意味(文筆で飯を食う者として)必然だったでしょう。

もうかなりまえの事ですが、文芸雑誌の舞台裏(台所事情)は酷かった。読者が出版を支えていないことは確かです。作家・著者は自分の印税収入以外に興味がない。編集者は本の売れ行きに無関心、というよりそんなことを考えていては編集が出来ないのです。そういう意味では見城徹はバランス感覚を備えてると言えるでしょう。

むかし岡山平和書房が売り上げのピークだった頃、店主の阿部さんが首を傾げていました(雑誌『民主文学』と新日本出版社の小説本を指差して)「どうしてこんな面白くない本を出すんかなあ。売れるのは多喜二・百合子賞の本だけじゃ。その他は8割返品じゃ。荷を解くのも鬱陶しい」。

私の店がだんだん文学を扱わなくなった件で、本当のことを書きます。売れない、それは事実です。でもそれだけじゃあなかった。少数だけどファンはいたのです。私の店の狭い空間だけの事です。読者はいました。国語の教員がいた。大学の教員・研究者もいました。率直に言います。こりゃあダメだと思いましたネ。社会科学分野、自然科学分野に比べて認識力がかなり弱い。直感的把握に拘るから、科学的認識に至らない。こりゃあ、文学本はウチに置くべきではないと思ったのです。

民文に戻ります。私は元もと文学青年じゃあなかったこともあって、かなり偏った作品が好きでした。蔵原や宮本の評論は好きでしたが、もう少し新しいところでは、彼らと論争した世代です。小説の大西巨人と評論の武井昭夫です。これを聞いただけで、大抵の文学愛好者はイヤな顔をします。政治的だからでしょう。私は社会科学を読んでいない文学者など軽蔑するのです。ちょうど歴史認識ゼロで、戦前の治安維持法が日本国憲法下の法律だと思っている元県議の武田サンみたいなもんです。民文の周辺にも結構いました。特に新しい世代がダメですね。浅尾クンなんかも。ネット右翼というのは全然勉強してませんね。事実を知らないのです。「左」だって勉強していないと、ネット右翼と変わりませんから。

 この項、支離滅裂な放言を承知で、思いついた時に書き足していくつもりです。できればコメント対象から外して欲しいのですが。拍手はしてくださって構いません。

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  1. 2013/08/31(土) 01:12:37|
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