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古本屋通信

2年ばかり書くことがない

古本屋通信   No 3691    2018年  12月08日

 当面の政治(政局)に関するかぎり、ここ2年ばかり書くことがない日が続いている

 これは岡山から見ていても、東京にいても、あまり変わらないだろう。つまり自公政権がどんな悪法を強行採決しても政権はビクともしない。モリカケ以来、野党の無力ぶりだけが晒け出される。それでいて政権は、憲法改悪発議を先延ばしするなど、自己調整能力を失っていない。

 来年の統一地方選挙と参議院選挙が政局の節目である。これが常識だが岡山を例にとっても震度はゼロだ。すなわち先日の野党合同街宣の聴衆はゼロだった。だれひとり耳を傾けない。それでいて、県議選と市議選では共産党は楽勝なのだ。参院岡山の候補者調整は問題にもなっていない。自民党の石井正弘の楽勝である。

 自民党楽勝と立民大敗は常識である。でも野党合計で10パーセントの支持率はある。だから共産党に危機感はない。立民の票が自動的に廻って来る。500万票で5議席安泰。

 共産党は来年早々の小池演説会にいったい何人動員できるか? 私の見立ては、県党始まって以来の最低動員である。2千人を割るのではないか。なにせ小池ではインパクトゼロ。志位よりも更に悪い。ハッタリだけなのだ。

 先日の仁比の倉敷災害復興集会での挨拶もそうだったが、党の復興政策など恥さらしの極みである。そのトップバッターが小池だった。今の岡山県党では小池帰れのヤジさえ飛ばないだろう。私も行きたくない。

 断言するが、全党の党勢拡大は絶対に進まない。おかやま民青もダメである。ツイッターを見るかぎり無能なカルトである。なんせ理論が皆無である。さっぽろのコンビニ批判をリツイートしてブラック企業だと言うのでは零点である。

 希望はあるのか? 皆無である。なのに大敗しない。だから危機感がない。

 安心していられるのは過去の遺産の食いツブシが可能だからだ。シンヒヨ世代の大量カンパと2世党員だけに支えられて党が存続している。40台の党員は殆ど2世党員である。それはそうであろう。大衆闘争が無いところに新しい党員は絶対に生まれない。

 全国32の一人区で共産党はすべて独自候補を降ろす。そして立民が候補者になる。結果当選者はゼロであろう。比例区で立民他は大敗する。共産党は500万票で5議席。自民党は圧勝。なぜ自民党が勝利か? 改憲を降ろすだけの自己調整能力を保持しているから。

 そもそも前回総選挙での立民勝利は幻覚であった。いま無所属の会の解体が進んでいる。岡田や野田が立民に入れば、解体は完成する。さらに国民民主党も解体する。元の民主党に戻る。力量は共産党の半分以下だ。野党総崩れの時代である。

 この危機から脱出するには、党の国政に関する基本スタンスを変えるしかない。それは61年綱領復活の道である。日米安保条約廃棄を正面に据えての統一戦線の提唱である。たたかう党の構築である。さあ、その余力は残っているか? 余命はあと5年しかない。

追加 住寄聡美は県議選(岡山東区)に廻しおたほうがよい。


  石井正弘  ウィキペディア

石井 正弘(いしい まさひろ、1945年11月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)、参議院内閣委員長。
官僚(建設省職員)出身で、公選14-17代岡山県知事(4期)、文部科学省中央教育審議会委員(第3期~第4期)、自然エネルギー協議会初代会長(2011年~2012年)等を歴任。

1945年、岡山県上道郡光政村(現・岡山市東区)に生まれる。岡山県立岡山操山高等学校、東京大学法学部を卒業。1969年に建設省に入省し、岐阜県民生部児童家庭課長、建設大臣秘書官、民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長、建設大臣官房審議官などを歴任。

1996年、6期24年にわたり県知事を務めた長野士郎の引退に伴い新人対決となった岡山県知事選挙に、自民党衆議院議員の平沼赳夫(岡山3区選出)に誘われ、自民党推薦で立候補した。元衆議院議員で新進党推薦の江田五月が新進党衆議院議員で元農林水産大臣の加藤六月や新進党を支持していた創価学会からの支援を受けたことにより激しい選挙戦となったが、江田五月、日本共産党推薦の前律夫、無所属の辻山清らを破り、初当選した。知事1期目から行財政改革に取り組み、通商産業省官僚でのちに大阪府知事となる太田房江を副知事に迎えた。

2000年の岡山県知事選挙では自民党・民主党・公明党・社会民主党の推薦を受け、共産党推薦候補を破り、再選。さらに2004年の岡山県知事選挙でも自民党・民主党・公明党・社民党の推薦により共産党推薦候補を破り、3選。

4選を目指した2008年の岡山県知事選挙では、前任の長野に続いて多選となることや12年間県政を担当してきたにもかかわらず同年6月に「財政危機宣言」を発表したことなどが批判され、政党からの推薦が見送られることとなった。対立候補は元岡山市職員でちくわ笛奏者として知名度のあった住宅正人に一本化され、政党の推薦を受けない者同士の選挙戦となった。約31万票を集めた住宅に対し、石井が36万8000票を集め辛勝した。石井に対する批判のほか国政における自民党への批判も影響し、岡山市や倉敷市など都市部の一部では石井の得票を住宅の得票が上回る現象が見られた。

2012年6月の岡山県議会代表質問において同年10月に行われる知事選挙への不出馬を表明し、同年11月に岡山県知事を退任した。同時に2013年夏の参議院議員選挙に自民党公認で立候補することを表明。

2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では、自民党・公明党の推薦を受け岡山県選挙区より立候補した。49万票(得票率65.5%)を獲得し、元民主党衆議院議員の高井崇志、共産党推薦の垣内京美、幸福実現党推薦の安原園枝を破った。同選挙区で自民党が議席を獲得したのは2001年の第19回参議院議員通常選挙以来12年ぶりとなった。

1945年(昭和20年)11月 - 岡山県上道郡光政村政津(現・岡山市東区政津)に生まれる。
1952年(昭和27年)4月 - 光政村津田村組合立政田小学校入学。(1953年2月から西大寺市立、現・岡山市立政田小学校)。(~1958年)
1958年(昭和33年)4月 - 西大寺市立上南中学校入学。(現・岡山市立上南中学校)。(~1961年)
1961年(昭和36年)4月 - 岡山県立岡山操山高等学校入学。(~1964年)
1965年(昭和40年)4月 - 東京大学法学部入学。(~1969年)
1969年(昭和44年)4月 - 建設省入省。
1978年(昭和53年) - 岐阜県民生部児童家庭課長へ出向。
1983年(昭和59年) - 建設大臣秘書官。
1991年(平成2年) - 民間住宅課長、河川総務課長、大臣官房文書課長を歴任。(~1995年)
1995年(平成5年) - 建設大臣官房審議官。(~1996年)
1996年(平成8年)10月 - 岡山県知事選挙に自由民主党推薦で立候補し、初当選。
2000年(平成12年)10月 - 岡山県知事選で再選(無所属、自民党・民主党・公明党・社民党推薦)。
2004年(平成16年)10月 - 岡山県知事選で3選。
2008年(平成20年)5月 - 定例記者会見で財政危機宣言を発表。
2008年(平成20年)10月 - 岡山県知事選で4選。
2012年(平成24年)6月 - 岡山県議会代表質問にて知事選挙不出馬を表明。
2012年(平成24年)11月 - 4期務めた岡山県知事を退任、2013年夏に行われる予定の参議院選挙に自民党公認で岡山県選挙区より立候補することを表明。
2013年(平成25年)7月 - 第23回参議院議員通常選挙岡山県選挙区で初当選。参議院議員に就任。
  1. 2018/12/08(土) 21:31:36|
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