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古本屋通信

姫井さん、横田さん、平民学連

古本屋通信   No 3670    2018年  11月25日


  姫井さん、横田さん、平民学連、ゴータ綱領批判

 
 KM生様から平民学連などという、すでに死語になって久しい固有名詞が出た。懐かしいので自分のブログを調べたら1件ヒットした。6年前の記事で、しかも其の5年前の事を書いている。姫井さんや横田さんの名前もある。ここに登場する民主党の市議会議員の名前は最早思い出せない。最も旧い記憶として貼っておくことにした。平民学連は、ウィキの全学連の項目に「安保反対・平和と民主主義を守る全国学生自治会連合(平民学連)」 とあるが、私は「自治会連合」 ではなく 「自治会連絡会議」 だったと思う。ゴータ綱領批判はもちろん死語ではないが、最近トンと耳にしない文献名である。ローザルクセンブルクとは姫井さんや横田さんのような才媛を云うが、当時は社青同解放派が理論的支柱としていた。因みに当時の数ある左翼党派でレーニン主義を否定していたのは同派だけであった。向坂派でさえレーニン主義だった。



   倉庫3

  古本屋通信  No 6    2012年度  7月23日
 
  備忘録 その1 

  自分が忘れないためだけに書いておきたいこともある。姫井さんが県議から参議院に出る、そして横田さんが市議から県議にうつる選挙の頃だったから、5年前ということになろうか。私は同業の南天荘書店の店頭ワゴン車の古書を漁っていた。すると、同年輩のネクタイの男が近ついてきた。

 「今度、民主党から市会議員の選挙に出る×××といいます」

 「あ、僕は店のもんじゃあないよ。店主はいないけど、奥さんがいるよ」

 男が1、2分して奥から戻ってきた。そして、私の手にしていた古本を覗きこんで言った。

 「あれっ、これゴータ綱領批判じゃないの。懐かしいなあ」

 「なんで? なんで、民主党が、ゴータ綱領批判なんよ?」

 「学生時代によく読んだよ。レーニン批判もやった」

 「レーニン批判?」

 「ゴータは基本文献ですよ。レーニン批判をするうえでも」

 「あんた、ひょっとしてローザルクセンブルクの青解なの? 解放派?」

 「社青同ですよ。大学、いられなくなって中退したんだけど」

 「大学って、中退って、どこ?」

 「国学院ですよ」

 「ひぇっ。すると追い出されたの、中核派に?」

 このとき、国学院と聞いて私は装丁家のMを思い出していた。たしか国学院出身の元中核派だったはずだ。

 「いや、中核じゃあなくて、革マルですよ」

 「へえ、そうだ。国学院は革マルじゃったなあ。でも青解さんは最近たいへんじゃなあ、命がいくらあっても足らんじゃろう」 

 「いや、もう離れているから、その心配はありません。離れた理由?それは言えない」 

 「ところで、岡山の民主党、今度、姫井さんが参議院にでるそうじゃが、横田さんが県議に移るのは、その後釜いうことかなあ?あんたら、みんなで横田さんを推しとんかな?」

 「いや、それは違います。姫井さんは党公認じゃから、みんなで推しとるけど、横田さんの選挙は関係ないよ。市議でもH君なんか横田さんを推しているけど、ぼくは関係ない」
 
 私は選挙には余り興味がなかったが、いい機会だから、少し厚かましくきいた。

 「横田さんと下市さんが、党員でないけど民主と同一会派を組んでるのは知っとる。でも二人はどこかほかの党派に属しとん?」

 「あ、プロ青のこと?それなら、とっくの昔にやめてますよ」

 「へえっ、それは初耳じゃ」

 私は信じたわけではなかったが、市議会で同一会派の彼の認識がわかったので頷いた。そこでもうひとつ、知りたいことをきいてみた。

 「最近、横田さんと下市さんのあいだに何かあったん?えらい、離れているみたいじゃけど」

 「何もないじゃろう。もともと母体もちがうし」

 彼が欠伸をした。本当に何もないと思っているのか、それとも面倒な話はまっぴらだと思っているのかわらなっかった。

 私は話を切り上げることにした。

 「ところで下市さん、学校はどこでしたっけ?」

 本当に忘れていたので訊いた。

 「ヨココクだよ」

 今度は彼が、私に訊いた。

 「ところで、あんた、えらいくわしいようだけど、何派なんで?」

 「高校はK川高校、大学は省略するけど、あんたと違って二つ出とる。二つとも駅弁じゃけどな。それから、むかしの所属は平民学連。わかりますか、平民学連。わからんでしょう?」

 「いいえ、わかります。民青全学連をデッチあげた平民学連だ。われわれは平民全学連と呼んでいた。あのころの民青はえらい羽振りがよかったなあ」

 そして、付け加えた。

 「いまの民主党には、なんでもござれじゃ。極左から極右までおる。でも一点だけ一致しとることがある。反日共でじゃ。たとえ口に出さんでも、みんな腹の底では日共を嫌うとる。あんたも、ちいと自分らが何で嫌われとるか、考えたほうがええぞ」
 
 彼が手を差し出した。

 「こんどの選挙はよろしく」。

 私は彼の手を握りかえした。

 「必ずあんたにいれるよ」。
 
 因みにここ三十年、私は学生運動の潮流としての平民学連を知っているひとに会ったことは、彼をのぞいて、ない。そのかれもいまは議員を引退している。市議会に傍聴に行って「1930年代と現代の類似性」の弁を聴かなかったことだけが心残りだ。



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  ゴータ綱領批判  ウィキペディア

ゴータ綱領批判(ゴータこうりょうひはん、独:Kritik des Gothaer Programms、英:Critique of the Gotha Program)は、1875年5月にカール・マルクスが、ドイツ社会民主主義運動の中でマルクスやフリードリヒ・エンゲルスに近い、「アイゼナハ派」に書いた手紙を中心とした文書である。

1875年にザクセン=コーブルク=ゴータ公国のゴータで、アウグスト・ベーベルらのドイツ社会民主労働党(いわゆる「アイゼナハ派」)が会議を開いて、フェルディナント・ラッサールらの全ドイツ労働者協会(「ラサール派」)との合同・統一党結成を決定した。アイゼナハ派は統一党のための綱領草案をマルクスに送りコメントを求めたが、ラッサールの理論による否定的な影響をマルクスは見出し、ラサール派を政府への譲歩のために労働者運動の要望を制限しようと意図する日和見主義者とみなしていた。綱領案に対するコメントとしてマルクスは「ドイツ労働者党綱領評注」を送付したが、マルクスの文書は公表されぬまま同年5月の後半にゴータでアイゼナハ・ラサール両派の会議が開かれ、綱領草案はわずかな修正のみで可決し統一党としてドイツ社会民主党が結党された。

「ゴータ綱領批判」は長く、マルクスの最も詳細な革命戦略の組織論の宣言であり、「プロレタリア独裁」 や、資本主義から共産主義への過渡期や、プロレタリア国際主義や労働者階級の政党について議論した文書であるとされてきた。

この文書はまた、資本主義からの移行の直後の共産主義社会の低い段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、そして将来の共産主義社会の高い段階では「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」(本来はルイ・ブランに由来する表現)などの、のちにスターリンが定式化した〈原則〉である二段階発展論を明示した文書と読まれてきた。低い段階での記述では「個人は社会から、与えただけ正確に受け取る」と述べている。また、資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした。この「ゴータ綱領批判」は、彼の死後に出版され、マルクスの最後の主要文書の一つとなった。

この手紙は、かなり後の1891年、ドイツ社会民主党が新綱領であるエルフルト綱領の採用の意向を宣言した際に、これを批判したエンゲルスが、公開し出版した。またエンゲルスはエルフルト綱領批判を書いて出版した。

日本語訳[編集]
「ゴータ綱領批判・エルフルト綱領批判」マルクス=エンゲルス選集刊行会訳、1962年10月、大月書店
「マルクス ゴータ綱領批判」望月清司訳、岩波文庫、1975年5月16日、ISBN 4-00-341264-8
「ゴータ綱領批判 エルフルト綱領批判」後藤洋訳、新日本出版社、2000年9月、ISBN 978-4-406-02760-1
「ゴータ綱領批判」西雅雄訳、一穂社、2006年3月、ISBN 978-4-86181-143-2
  1. 2018/11/25(日) 19:17:23|
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