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古本屋通信

4・17スト破り問題について

古本屋通信   No 3657    2018年  11月19日


   4・17スト破り問題について


  KM生様から、私の3つ前のエントリー「出隆の党除名がピンと来ない」 へ(追伸) の投稿があった。関連投稿だが、出隆の党籍問題と4・17問題は直接的に関係ないので、ここに別項を独立させて 「4・17スト破り問題について」 とする。私はKM生様の論に基本的に異論はないが、私自身はまだ4・17問題について書いていないので、少し論を重ねることにしたい。



出隆の党除名がピンと来ない   投稿者 : KM生(追伸)  11/19 15:28
小生の拙稿ご掲載有難うございます。4.17スト破りの最大の問題点は、今日に至るまでまともな総括のなされていないこと。つまるところ(宮顕中国療養中の留守番常幹の)聴涛克己の個人責任でお茶を濁した。
1)少なくとも、「反帝反独占2つの敵」といいながら(当時の中ソ論争の影響もあり)反帝に偏向していた。
2)労働現場からは党のスト破り指導へ疑問の声が多数寄せられていたにも拘らず、これら現場の声を無視して「挑発スト」と規定してスト破りを決行した。即ち党内民主主義の欠如。
3)以後党勢自体は拡大したが、公労協における党勢の後退は今日に至るまで克服されることはなかった。
個人的には、聴涛は朝日新聞労組委員長・新聞労連議長・産別会議議長・衆院議員・海外特派員等々貴重な経歴の持主であり、失脚はまことに気の毒で貴重な人材を失ったと思っています。さらに長男は中国留学中文革に遭遇して党除名。次男はモスクワ大学留学後党参院議員。親子関係についても色々考えさせられます。





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 4・17問題は1964年ですから、私が大学に入学した直後であり、私は時系列で何の影響も受けていませんが、夏ごろ既に反民青系の社研の連中が 「日共のスト破り」 と宣伝していました。それはともかく、1964年から約5年間、民青と全学連は破竹の勢いで伸びたわけですが、その間にも労働戦線では、党はまるで主導権を握ることができませんでした。それは半世紀以上変わりません。4・17スト破りがすべての起点だとは思いませんが、やはり宮本の責任は大きいでしょう。

 出隆の党除名の板で、樋口篤三が鈴木市蔵を引用していましたが、当時の党幹部で労働運動の指導経験があったのは聴涛克己と鈴木くらいしかいなかった訳です。私は二人とも時系列では全く知らないのですが、9大会で上田兄弟が本部入りしてからは、労働戦線はますます傍流になってしまいました。思い出す幹部は荒堀広くらい、その荒堀も不祥事で失脚してしまいました。統一労組懇から全労連の流れも労働戦線の主流になるどころか、党は今や連合とさえ統一を組みかねない低落、つまり労働運動を完全に放棄したうえでの議会主義です。以上、KM生様との重複を避けたコメントになりました。




4・17スト破り問題について   投稿者 : KM生  11/20 05:17
度々のご掲載有難うございます。強いて4.17の問題点を付加えるなら、「社民への根深いセクト主義」でせうな。
  1. 2018/11/19(月) 16:39:39|
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