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古本屋通信

森古書店の思い出

古本屋通信   No 3652    2018年  11月16日


    森古書店の思い出


  数年前に神奈川県から岡山市に移り住んで奉還町で古本屋を開店された一刻堂書店さんが 「伝説の古書店主森さん」 と書かれている。それで私は、記憶にある森古書店のことを少し書くことにする。と云っても、私は古本屋の良い客ではなかった。森古書店との付き合いは(期間こそ20年の長きに及ぶが)たぶん買った古本は数万円にも満たない。私に較べると、K先生なんかは十倍の付き合いである。他にも森書店のファンだった人は何人もいるが、閉店して22、3年になる現在、語れる人は多くない。書き残す人はいないだろう。そう思ったので、いくぶん重いが書くことにした。断るまでもないが、私の文は森古書店礼讃文ではない。主観的な文となる。

 私が四国・高松から岡山に戻って来たのは 1968年春である。1970年春までの2年間、私は岡大の学生だった。その期間にも何度か森古書店に通っているはずだが、確かな記憶はない。私は1970年春、F書店に就職した。当時のF書店は南方の長泉寺の隣にあったので、森書店に立ち寄る機会はなかった。2年後にF書店は番町の城北女子高跡地に移った。私は以後13年間、番町から自転車で下伊福西町の自宅に帰った。帰路は国道180号線だったが、毎週一回脇道を通って本屋に行った。主な本屋は新刊屋の紀伊国屋書店と平和書房だったが、その帰り途に古本屋があった。それが岡山駅前の川下書房と、岡山駅西口奉還町通りの森古書店だった(川下書房とは、古本屋の客としてではなく出版社の営業員として、また古本屋の先輩・後輩として長期に付き合うが、それはいずれ別の機会に書く)。

 森古書店(以下、男店主の時代と女店主の時代があり、面倒なのでオジサン、オバサンさんと呼ぶ)がいつ開店したか私は知らないのだが、多分戦後まもなくだろう。確かなことはこの古書店が閉店まで一度も古書組合の組合員でなかったことである。その関係もあってか川下書房とは仲がよくなかった。いや森書店は、岡山の古本屋の中では孤高の店だったと思う。

 私は立ち読み専門の悪い客だった。森古書店は当時客は多かった。商店街の小さな借り店舗は2軒から3軒になった。オバサンの主要な仕事は顧客管理であった。万引きの防止と、小中学生の追い払いである。「ボク、Hな本を見られな。学校の先生に言い付けるよ」。これだけがオジサンのいる時代のオバサンの仕事だった。それと、この夫婦は客の前でよく喧嘩をした。商店の夫婦喧嘩は客を追い払うためと云われるが、私にはそうは見えなかった。

 オジサンは余分なことは喋らなかった。オバサンはお喋りだった。そしてよく自慢話をした。それを紹介しておこう。「うちは岡山で一番大きな古本屋じゃ。大阪や京都から汽車に乗って大勢のお客さんが来る。駅から離れているけど、関西のお客さんでウチを知らない人はいないよ、いたらモグリじゃ」。それから十数年後に万歩書店が開店して、売り場面積トップの座を奪われた時の悔しそうな言い分が 「でもあの店は日本人じゃあないじゃろう。あっちの人じゃろう」。オバサンには民族差別という日本語は最初からない。

 少し時代が下るが、オジサンが亡くなる前に客からオバサンは在庫を訊ねられたことがあった。「オバサン、店に並べている本以外にもたくさんあるんじゃろう。一体どれくらい在庫があるんで?」「ああ、あるよ。裏の倉庫に1万冊は隠しとる。換金したら億の金になるじゃろう」。その20年後に森古書店は閉店するが、そのとき組合理事のMさんが頼まれて在庫を見に行った。Mさんは引き取りを辞退したという。ゼロではなかったが、評価額が低くて言い出せなかったそうだ。結局最終的には、倉敷のNさんとYさんが20万円で引き取ったと聞いている。別に最悪だったわけではない。古本屋の売れ残り在庫の評価はこんなものだ。

 森古書店には岡山の古書通の多くが集まっていたが、その全容は私ではなくK先生が詳しい。でも大学教授や高校教師の名前なら私でも20人は挙げられる。故人だから実名を挙げようか。私が高校模試の編集をしていた時代、高校教師に問題審査を依頼して会議をやっていた。その国語科のメンバーに操山高校の難波先生と、大安寺高校の幾田尚先生と、朝日高校の国定忠治先生がいた。うち難波先生と幾田先生は毎週、森書店の椅子に坐って時を過ごした。オジサンはいやな顔をするどころか、先生を番頭に使った。つまり古本のコンサルティングである。両先生は広島高師出身だった。

 オバサンは論外として、オジサンは古本を知っていたか否か。商売上の十分な知識はあった。だがそれは本の内容を知っているという意味ではない。オジサンもオバサンも、たぶん上級学校に行っていない。いや岡山に学卒の古本屋など最近までいなかった。

 何時の時だったか忘れたが、あるときオバサンがこんな事を口走った。「関西の悪い業者にだまされた。良い本を一杯盗まれた。いや買いたたかれた」。要は同業者の背取りだった。関西の誰だったか。私の見立てでは梁山泊の島元さんだ。岡山の同業から大量に抜けるのは島元さんしかない。私が森古書店だったら感謝する。たくさん抜いてくれてアリガトウと。それに勉強にもなる。このときのだまされたという感想はオバサンだけの感想ではなく、オジサンも共有していたのかも知れない。ならば古本屋としては失格だろう。つまり非組合員古本屋の世間知らずである。

 オバサンは商売には余り口を挟まなかったが、それでもオジサンが買出しに出掛けた時には店番をしていた。こんな時オバサンでは店頭買いは出来なかったのである。これも古本屋失格である。

 またオバサンは店で古本を売るさい、良い本を安く売るのが悔しくて堪らないように見えた。そして口癖が 「この本はカミでは、こんな値では買えんよ。目録ではすごい高値じゃ」。カミは京都・大阪ではなく、東京神田だったろう。見ると、神田一誠堂書店の目録があった。古本屋の客はみんな一誠堂の付け値など熟知している。馬鹿にされるだけである。

 古本屋に限らず古物商の実力は仕入れで試される。良い仕入れがストップすると、その日から売り上げは落ちる。自分を顧て恥かしいが断言できる。当時の森書店の仕入れの全容は伺い知れないが、かなり多くの 「拾い屋」 が出入りしていたことは確かである。「拾い屋」 と云っても様々なレベルがあって、文字通りの浮浪者・ルンペンもいれば、目利きの回収業者に近い者もいる。何を隠そう、私自身も古本屋を開店して約十年間 「拾い屋」に近い収集をやった。これは実に愉しい仕事だったが、資源化ゴミが持ち去り禁止になったのと、一般ゴミの袋が透明から黄色に変わったので、実質不可能になった。岡山市から 「拾い屋」 は消えた。

 森古書店に出入りする 「拾い屋」 には呑んだくれはいたが、恐喝紛いはいなかった。オジサンは彼らに丁寧に対応した。持ち込み客を社会的地位や風采で評価せず持ち込む本で評価した。そして時にゴミ同様の本を持ち込んでも、買わないのではなく、安く買い取ってあとに繋いだ。しかしオバサンはトコトン 「拾い屋」 を嫌った。のみならず彼らを差別しないオジサンに不平を言った。

 つまりオバサンは 「拾い屋」 が汚いから、彼らが持ち込む本も汚れているとしたのだ。汚い人間に金を払いたくなかったのだ。だが、のことは 「拾い屋」 対応に留まらなかった。オバサンはオジサンが死んで店を自分ひとりでやるようになった日から、いっさいの買い入れをストップした。私はそう見ている。「ウチにはまだ在庫が一杯ある。それを売り切ってしまわないうちに仕入れをするのはお金の無駄だ」 と。

 オジサンが死んだその日から、森古書店の顧客は持ち込み客だけでなく、買い客も一斉に蜘蛛の子が散るように引いていった。それでもオバサンは閉店まで数年持ち堪えた。何も他にすることがなかったからである。毎日売り上げゼロの日が続いた。オバサンが店を閉める日に、私は同業者として挨拶に行った。残った在庫の話は双方から出なかった。オバサンは寂しそうに私に言った 「あんたはまだ若いんじゃから、私の分まで頑張られえよ」。ありがとう。

 これが女子の古本屋の最後・最期である。以上、主に森古書店のオバサンについて書いたが、ほぼ同様な経緯で閉店したのが、主人を喪って後を継いだ岡山大学内の北書院の女主人小島さんであった。

 女子の古本屋はなぜ潰れるか。それは金をケチッて、仕入れをしないからだ。それに尽きる。古本屋は女子に不向きな商売である。

 倉敷の蟲文庫が頑張っているのは心強いが、彼女たちを称えて「女子の古本屋」なる本を刊行したのはゲスである。売文商売とは云え何を書いてもよい訳ではない。これもフリージャーナリストの貧困商売であった。シリアに出掛けなかっただけマトモだが、売文稼業の犯罪では同じである。読んでいて恥かしくなる。岡崎武志のようなのを詐欺売文屋という。古本屋の真実とは凡そ掛け離れた所で耳障りのよい御託を並べて一丁上がり、それが古本ライターである。


女子の古本屋 (ちくま文庫)
2011/6/10  岡崎武志


5つ星のうち1.0
タイトルはなんなの?2015年11月24日
かたよった買い方、古書のことを本当は、よく知らない著者が1冊でもよけいに本をだそうとして、正面からむかわずにからめてから入ってお茶をにごしたあざとい本。取材しやすいところをまわって仕上げたためか、行ってないのは変ではないかというところがもれている。タイトルが女子はないだろう。「古本屋の女房」というエッセイがあったが、中身がにおってくるようだ。雑誌の特集記事のようだ。

5つ星のうち1.0
著者は古本屋のことを何も知らない。2012年7月2日
古本屋を経営しています。
この本を読んで正直呆れたというか絶句に近い感想を持ちました。
こう言う本を出版するからにはそれなりの世界に足を踏み入れないと簡単に出版できるものではありませんししてもいいものでしょうか。
著者もここに紹介されている女性達もたかが古本屋に一、二年お手伝いみたいな感じで入っただけで何を分かったような物の聞き方をしていて怒りすら覚えました。
そんな甘い世界なら日本中に若い女性店主の古本屋が乱立されるでしょうね。
散々登場女性を持ち上げるだけ持ち上げといてこの著者は何がしたかったのでしょうか??
古物商許可証とか知ってるんでしょうかね。 何も知らない女性が取り締まられたら著者にも半分責任があると思いますが。
  1. 2018/11/16(金) 03:39:40|
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