古本屋通信

改憲阻止闘争のために その2

古本屋通信   No 353   8月11日

  改憲阻止闘争のために その2


 その1 の部分を再録した後に、今回の文を載せたい。

 その1の部分
 金子満広についての記事。 ウィキペディアより。 1989年 日本共産党委員長代行に就任し書記局長を兼務する。同年1月7日の昭和天皇の崩御(金子は「死去」と表現)に際し、「天皇の死去に際して、我々はこの問題を単なる政治的支配層の代表的人物の死として安易な対応を許されない状況に置かれている」「天皇裕仁は侵略戦争の最大かつ最高の責任者であった」「本来、天皇制は廃止されるべきものである」と、書記局長としての声明・主張を発表する。

 ここにいきなり金子満広の書記局長としての声明を引いたのは、これが今日も象徴天皇制にたいする日本共産党の変わらぬ見解であるにもかかわらず、「日本が世界に誇る日本国憲法」などと、許されざる暴言を吐く輩があとを絶たないからだ。党中央の文言にも赤旗記事にもない繰りごとを平気で口にし、科学的社会主義のABCも心得ぬ自称「日本共産党員」について、今後、古本屋通信は党内に潜入したスパイ挑発者と見做し、容赦なく摘発・糾弾することをここに明言しておく。これは今後の改憲阻止闘争を進めていくうえで急を要する。古本屋通信は名指しで糾弾してゆくつもりである。
   
 ご覧のような厳しい口調になったのは、ここ2,3年、改憲問題が日程に上ってから、一部の護憲派から到底容認し得ない発言が続出し始めたからである。その火元が党中央であることはない。しかし党員のブログの名前が「9条で世界を変える」だったり、「日本が世界に誇る日本国憲法」だったり、ちょっと考えられないことが起きた。これは誤まった絶対平和主義の思想によるものだ。絶対平和などあるわけがない。侵略された側にはとうぜん抵抗権がある。これは、はっきりと正義の戦争である。中国や朝鮮の抗日戦争も、戦後のベトナム戦争をはじめとする植民地解放戦争も、侵略者から命と財産を守り、それを叩き出し、民族の独立を達成するための正義の戦争であった。何人もこれを否定することはできない。日本国憲法を海外に誇ることは、結果的に抵抗の正義の戦争を否定することに通じる。侵略された者に対して、侵略者に抵抗するなと言っているに等しい。日本国憲法が海外に「進出」していく余地はない。革命を輸出してはならない。憲法は自国だけの法である。これも輸出してはならない。一寸考えれば分かるが、侵略によって同胞を殺された中国や朝鮮の人民が「日本は戦後反省されて素晴らしい憲法を作られましたね」などと言うと思うか? しかもその憲法は天皇条項を残しているのだ。自国の憲法を他国に誇ってはならない。



 以下が今回の古本屋通信の文
 上記だけでは極めて不十分だと気が付いたから、今回の補足となった。一般的に次のような意見が出ることが予想される。

 たしかに、「日本が世界に誇る日本国憲法」はおかしい。「日本国憲法第9条で世界を変える」はもっとおかしい。だが我々が内なる想いとして戦争放棄の第9条をふくむ日本国憲法を誇りに思い、またそれを日本国内の運動の中で口にすることは一向に構わないではないか。

 私はこの手のもっともらしい意見に好意的理解を示すことはない。むしろ逆にその欺瞞に憤りを禁じえない。

①誇りに思えば誇りを口にするだろう。それを国内限定で、また外国人不在の場所限定で口にするなど、どうしてできようか。そもそも誇りに思うのがおかしい。思ってもいないのにそう言っているか、でなければ余程勉強不足だ。

②そもそも日本国憲法はそんなにすばらしい憲法か。これは戦争放棄の第9条を含めてだ。私の結論は「そんなにすばらしい憲法ではない」だ。これは私がスネ者だからではない。一寸前まで日本共産党の周辺では常識だった。ブルジョア憲法の典型だった。だから党は党による憲法草案を対置して発表した。
 
③我々は日常生活一般の中で、憲法その他あらゆる法制的なものを、感性で(晴らしいとか鬱陶しいとか)感じることはまずない。感じるのは具体的事件に直面して、それを法に照らして考えるときだ。法が素晴らしいなどは、生活者の言葉ではない。

④法は学習して学ぶ。中学・高校の社会科・公民で学ぶ。大学では一般教養科目で日本国憲法は必修だった。公務員試験にも出る。我々はこれを学習によって理解する。法は歴史(法制史)の中で、歴史的な存在として理解される。時空を超越した法などありえない。日本国憲法もまた変えられねばならぬ。


 ここで今一度、憲法闘争を私の原点に立ち返った確認したい。
  1960年代「安保共闘」が崩壊してまもなく、四国の地方都市でも左派の一日共闘が、ねばり強く追求されていた。「安保破棄・憲法改悪反対・諸要求実現中央実行委員会」と「安保反対。憲法擁護全国実行委員会」の話し合いがあった。学生はお呼びでなかったが、動員力があったから、オブザーバー参加が許された。私は教育学部を代表して末席にいた。一日共闘の合意は既に成立していた。集会の中央に掲げる垂れ幕の文字、つまり集会名をめぐって、揉めていた。憲法の取り扱いについて意見が対立していた。社会党と県総評と護憲連合は「憲法擁護」を入れろと主張した。共産党と県平和委員会と日中友好協会は「憲法改悪反対」を主張した。双方こえが大きくなった。オブザーバーに意見が求められた。私ではなく、経済学部の松浦君が言った。

 「侵略戦争の最高の責任者の天皇をそのまま象徴として残している憲法を擁護するなど、とうてい認められません。もし集会の名にどうしても憲法擁護を入れるとおっしゃるのなら、K大学3学部学生自治会は集会に参加しません」

 なんと、このとき「憲法改悪反対」が通ったのだ。一週間後の集会にK大学は650人を動員した。全体の参加は2000人だった。私の在学中のもっとも参加が多い集会だった。しかしこの時、集会のあとのデモ行進で、調子にのってジグザグデモをやり、逮捕者を出してしまった。集会には反自治会派の十余人も来ていた。
  1. 2013/08/11(日) 05:15:26|
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