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古本屋通信

徳球、宮顕、袴田、上耕、不破哲

古本屋通信   No 3339    2018年  05月23日


 徳球(トッキュウ)、宮顕(ミヤケン)、袴田(ハカマダ)、上耕(ウエコー)、不破哲(フワテツ)


  いつも便利なので無断で使わして貰っています、ブサヨ管理人様、あしからず、宜しく。さて下記の連続投稿は単なる下敷きである。あとは私の独断的私見である。




5. にわか支持者
2018年05月22日 12:13
本スレの本題ですが、
このように委員長が気安くいじってもらえたほうが、フランクなイメージがあり、親しみやすさを覚えます。
いいと思います。

6. 太宰ファン@にわか支持者様
2018年05月22日 12:55
それはそうだな。でも、不破哲はいじられているか?そもそも不破哲なんて呼べないよな。党内が不破天皇制の証拠。不破天皇以外はみんな平民なんだな。スターリンや金豚、習皇帝と一緒だな。

7. うーん
2018年05月23日 00:20
カゲで「上耕」と言っている党員はいましたね。私の友人の民青の大学生もよく言っていました。
しかし「不破哲」は陰でも言われていなかったですね。





  古本屋通信

  表題に5人の名前を挙げたが、今回、私の問題意識は最後の不破哲三のみ。私はこの男が党内でカリスマ性があるというのがサッパリ解せない。それどころかソンケーされているのが理解できない。他の幹部が不破ほどマル・エン・レーニンに精通していないのは分かるよ。でも70歳前後の幹部はそこそこ読んでるでしょう。不破に古典の解釈を一手に任すほど不勉強な訳じゃあない。不思議である。で、少し昔を振り返って見ようと思った。


 まず1970年代の不破、つまり書記局長に抜擢された直後の不破だけど、大々的な売出しとは正反対に、党内では極めて不評と記憶している。宮本が持ち上げれば持ち上げるほど、党内では冷たい理論官僚のイメージだったな。

 アッ、それから思い出したが、KM生様が、不破は構改派出身だから宮本は不破を信用していなかったと仰っていた。それは腹の底では残っていたかも知れないけれど、1964年の党本部入りから書記局長抜擢までを考えると、少なくとも宮本の晩年まではなかったと思いますよ。上田に対してはあったけどね。なぜなら不破は宮本に逆らわなかったでしょう。

 いま「岡山民報」の縮刷版を見ると、1970年代に野坂、宮本、袴田、上田、不破の全員が岡山に来ています。おもに演説会ですね。岡山はどうか知らないが、演説会後に一泊する場合もあった。その場合、野坂と宮本と不破は地元の党幹部と座談したり、夜酒を酌み交わすことはなかったそうです。でも袴田と上田は酒の相手をして、県常任や地区常任の愚痴や悩みに耳を傾けたそうです。これは袴田が宮本と拗れたとき言っています。地方では有名な話でした。ただ、これは野坂、宮本、不破は自分の自由にはならなかった。防衛(ボディーガード)が党と公安警察の両方から付くからだと思います。

 それはあるけど、1970~80年代、党内では「人情味豊かな兄・切れ味は鋭いが冷たい弟」という評価は定着していたように思います。だから宮本は上田に警戒した。有田のような派閥志向の党員が付着したり、小田実のような市民主義者が反党活動に利用したりしたから。

 で、その宮本だが、党外や対立党派からはトコトン叩かれたけど、党内では盤石の布陣でした。それはたぶん徳田の家父長的指導の正反対をやったからだと思います。個人崇拝を廃して組織指導を徹底した。それと飯が食える党組織にしたこと。

  ただ、じゃあ宮本時代の党指導部に派閥はないけれど、宮本の子飼いと旧所感派の残党の区別がなかったかと言うと、当時の『全貌』なんかに公安情報が満載されています。でも袴田の離反以外に組織はビクともしなかった。

 ここで休憩。

 ここで時間が飛んだので、思考もプッツン。徳田から少し書いて行きますね。

  私はもちろんリアルタイムで徳田を知りません。知っているのは50年分裂の所感派の首領としての徳田です。51年綱領の徳田は、粗野な家父長のイメージしかありませんが、1953年に北京で客死していますから、現役時代の論文なんか読んだことはありません。アメリカ占領下の平和革命論って、マッカーサーは共産党の味方だと言うんでしょう。トコトン無理論の阿呆だったんだと思いますよ。

 私が知っているのは、所感派の文学組織の人民文学一派です。もう無茶苦茶です。これを読んだだけで、所感派が低脳集団だと分かります。然しなぜかずっと後になっても、徳田を優れた党指導者だったと見做す人がいるのです。コレたぶん宮本嫌いのせいなんでしょうが、デボーリンなんかもそうです。私は徳田は典型的なスターリニストだと思っていますが、どこが違うんでしょうかね。白鳥事件の殺人者・村上国治なんか、徳田の典型的な申し子でしょう。要するに無理論の情念派なんです。西沢隆二(ぬやまひろし)もね。アホウで済ませればよいのだけど、そうはならない。白鳥警部補を殺したんですからね。

 宮本は政敵にトコトン嫌われていますが、徳田の欠点のすべてを裏返しにした最高の指導者でしょう。ちょっと先走りしますが、宮本の光るところは文学の素養があった点です。これは蔵原惟人ひとりを除いて、後の党幹部の誰にも無い素養でした。不破なんかも宮本百合子を論じていますが、恥かしくて読んでおれない。西沢舜一に至っては文化官僚なんてもんじゃあない、もう異端尋問官として最悪の死刑執行人です。宮本が長男太郎の家庭教師である志位を可愛がったというのは迷信でしょう。根拠が有ません。

 また休憩です。
  1. 2018/05/23(水) 07:12:46|
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