古本屋通信

キャンパスセクハラ

古本屋通信  No 331 8月1日

  キャンパスセクハラ


まず初めにグーグルでキャンパスセクハラを引きます。ちょっと異様です。キャンパス・セクシュアル・ハラスメント・全国ネットワークばかりがズラリ出ます。この問題での異論は許さないと言わんばかりです。重い口を開けねばならない憂鬱が先走ります。私はセクハラと聞いただけでゾッとします。身の毛がよだちます。ある種の女は生き生きしてきます。匿名でなければとても書けません。少し書くことにします。

記憶ではセクハラ防止法は、日本では「男女雇用機会均等法」にセクハラに関しての防止措置のかたちで盛り込まれていました。これは労働基準法の女子労働規定の改悪とほぼ同時に施行されたのではなかったでしょうか。1925年に治安維持法と普通選挙法が同じ年に成立したのと似ていないでもありません。ま、それはいいです。職場における性的いやがらせをセクハラと呼び、それを排除する目的の立法だったと思います。私もこれに賛成でした。上司が部下の女性に、職場の命令と被命令の関係を利用して、命令が及ぶ範囲以上のことを要求する、それを防ぐ、その限りで賛成です。つまりこの法律は、資本と賃労働の関係において、女子労働者の職場環境を改善し、もって全労働者の生活と権利を守るために作られたのだと私は思っていました。

キャンパスセクハラ? そんなもんあるわけなかろう。学校の教員と学生の関係は資本と賃労働の関係ではありません。大学の教員が女子学生に単位の認定を背景に、女子学生にとって不都合をしたからといって、それは法のいうセクハラではないでしょう。「あなたが性的いやがらせだと感じたら、それがセクハラなのです。行為や発言の有無は問題ではありません。客観的事実ではなく、あなたの主観、つまりどう感じるかだけが問題なのです」。少なくとも職場ではなく、学園に於いて、そんな無茶があるでしょうか。よく似たことに「あなたが差別と感じたら、それが差別なのです」というのがありました。これがどういう害毒を流し、どういう結末を迎えたかは周知のとおりです。それでも差別糾弾闘争は歴史的経過の中で、一定の必然性がありました。それに「差別防止法」などありませんでした。かりに「差別防止法」があったら、これくらい差別を恒久化する悪法はなかったでしょう。法をまるで取り違えているからです。
 
私はキャンパスセクハラ防止は大学の自治の後退、産学協同、大学の教育工場化のなかで出てきたと思います。国立大学が国立大学法人になる前後に大学に「セクハラ防止委員会」が作られました 教職員組合はこれを強力に推進しました。大学は商売なんです。大学の教員の仕事はそれまでは「研究」と「教育」でした。これに新たに「営業」が加わったのです。じっさいに、大学の教員は年間100日ちかく、高校へ、企業へ、海外へと営業に出ます。メシの種としての学生を求めて。

セクハラが女子学生の人権を蹂躙する悪行だとして、民事、それは当事者どおしの問題です。ゆえに公権力の介入は許されない。いったい「セクハラ防止委員会」は密室現場をどう実地検証するのか? 解決の基本は、たとえ教員と学生の信頼関係が壊れかかっていようと、粘り強い信頼回復の努力以外にないでしょう。「セクハラ防止委員会」が処分? 凡そ考えられない暴挙です。それは私刑(リンチ)です。女子学生の泣き寝入り? それはないでしょう。刑事事件の強姦や猥褻行為は司法に訴えねばなりません。冤罪もあり得ます。そんな、あんなが素人に委ねられてはたまりません。

仮にキャンパスセクハラ防止が必要だと、私が認めるとします。それでも私は「通信 No 325」でふれた佐々木力氏(元東大教員)はセクハラではないと思いました。私は丹念に佐々木セクハラ事件を追ったのです。かれはシロでした。院生の外国人女性の誤解でした。しかし女性が訴えたのだからセクハラだというのでは、どうしようもありません。私は処分に耐えた佐々木氏を心から尊敬します。処分を断行した東京大学は日本の近現代大学史に大きな汚点を残したと思います。

ここで、私の店の近所回りのことを書きたいと思います。私の店は女子大の正門から東150米のところにあります。キャンパスセクハラ防止がこの大学をいかにダメにしているか。それに先だって言いますが、私はこの大学との利害関係は殆んどありません。店の売上では、この大学の関係者は1%以内なのです。

大学・学部には卒論指導があります。そのためのゼミがあります。この大学では、ゼミ学生は三人以上でないと受け付けないそうです。一人か二人だと、ゼミは成立しない。教員が一人の女子学生と向き合うのを避けるためだと言います。では二人はなぜダメかというと、うち一人が休むと一人になるからだそうです。

この大学は夕方暗くなると全ての門が閉まります。いまではすっかり慣れましたが、初めは信じられないことでした。もちろん休祭日に門が開いていることはありません。部活も研究もできはしない。教員は研究室で研究ができない。物騒だからというのが表面上の理由ですが、守衛さんがいてセキュリティが掛っていて、安全そのものなのです。あまりの悪評だったため今では撤去しましたが、以前は高い塀に刑務所のような針金が巻きつけられていました。安全そのものです。すべて教員が女子学生と触れる機会をなくすためとしか考えられません。そしてこれは(女子学生の人権を守るためではなく)学校商売のためなのです。世間体こそ女子大のいのちですから。

大学院には前期博士課程と後期博士課程があります。このうち前期博士課程では、学部の卒論に相当する修士論文の指導に頭を悩ますらしいです。後期博士課程では、そもそも一人か二人しか希望者がいないことが多く、せっかく新設したのに大学が入学を断った年もあったと言います。表向きは入学適格者がいなかったということです。今時、私大の大学院入試に、その大学の学部からの持ち上がり組が不合格になるなど、考えられないことです。全て未然にセクハラを防ぐためでしょう。教員は学外で学生と接することを極力さけます。電車やバスで通勤しないで、自家用車で通勤です。運転できない人は家族に送迎して貰います。女子学生の自宅への出入りはご法度だそうです。私はこれは教師にとっても、学生にとっても異常な事態だと思います。あらゆる人間関係において、性を具有する男女の関係がいくらか投影されるのは避けられませんし、避けるべきでもないでしょう。私はこの大学は大切なものを失っていると思います。師弟の関係を通じて得られるものは、学生生活を通じて得られる最も貴重なものです。まだまだ書きたいのですが・・・・。
  1. 2013/08/01(木) 00:05:34|
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