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古本屋通信

川口君事件と早稲田の革マル派

 古本屋通信    No 2752   2017年  08月22日

 
(冒頭) このエントリーは田村、吉良、その他の早稲田出身者が書きたくても書けない気持ちを代弁して書いたつもりである。いまこそ朝日新聞記者の樋田ごとき偽物俗物の仮面を暴いて、政治党派の真実に接近したい。まさに狂気と正気の価値転倒を逆転しようではないか。すえいどんさん、ごめんね。


   川口君事件と早稲田の革マル派

ひさしぶりに【共産趣味】マル共連★2軍★2【総合スレ】を訪問したら、尊敬するすえいどんさんの書き込みがあった。

616革命的名無しさん
2017/08/20(日) 14:54:46.21>>618>>619早大を暴力が支配した時代
1 ttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20170523
2 ttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20170524

618すえいどん

2017/08/20(日) 18:01:16.75
>>616
ttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20170523
朝日新聞の樋田毅記者樋田さん・・革マル派に鉄パイプで重傷を負わされたあと、どうしたの
?」と聞くと、一度も大学に行かずに全部レポートで単位をとって 卒業したとのことだった。
川口君をリンチ虐殺したのが文学部自治会の革マル。その文学部自治会の執行部をリコール
して新委員長になったのが樋田さんだから、革マルにとってはエネミーナンバーワンなのだ。
それに樋田さんは学生に絶大な人気があったから、どうしても潰したい存在だったろう。
・・1年生で自治会委員長に押し上げられ、翌年5月には革マルのテロでやられたから、キャン
パスに出入りできたのはたった1年間しかなかったことになる。・・革マルの暴虐とキャンパスの
異常事態を大学当局が事実上容認し、年間2億円といわれる資金が、自治会費や文連運営費
などの名目で提供されていたことも不可解だ。大学当局が革マルと縁を切ったのは、ずっと後
の奥島総長時代の2000年前後になる。川口君事件から30年近く、事態は放置されてきたのだ。  

619すえいどん
2017/08/20(日) 18:13:42.14>>616
http://www.asahi-net.or.jp/~ir8h-st/kawaguchitsuitou.htm
川口大三郎君追悼資料室
2017年06月01日更新



 上記に導かれて、以下の高世仁の「諸悪莫作」日記にたどり着いた。私は今まで長い間、川口大三郎君事件に係わる革マル派について書きたかった。結論から書くと川口君虐殺事件でもなく、川口君リンチ殺害事件でもない川口大三郎君事件について書きたかった。そう、革マル派擁護論と言ってよいかも知れない。確かにミクロでは、川口君を中核派と誤認してリンチかけて死亡させた革マル派に弁護の余地はない。だが私の視点はミクロではない。ミクロを離れてマクロがあり得るはずがない事を認めつつも、尚そこから離れたい。

 はっきり言おう。事件後に革マル派をリコールした運動の無力というより政治性が問題だ。私はこの事件の直後に、反革マル連合は絶対に勝利できないと直感した。運動経験からくる確信だった。そして事実一年以内に革マル派は各自治会で主導権を奪還した。私はホッとしたが、この思いは(無党派の学生は失望しただろうが)全ての学生活動家にとって自明の成り行きだった。ノンセクトの雑炊が党派に勝つことは絶対にありえない。革マル派は徹底的に耐えた。いくら撲られても一定期間は無抵抗を貫徹した。しかし弔い期間を過ぎると徹底的に反撃した。見事だった。

 私は当時の早大生、のちのF書店の同僚から、当時の一部始終を聞いた。つまり川口君事件をテコに革マル派を早大から追放しようとする勢力は完敗した。その勢力は多くの学生に支持されず、早大においては革マル派こそが支持されたのだ。

 これを大学当局と革マル派の癒着と視るデタラメが存在する。癒着はありえないといえばありえない、あるといえばあって当然である。あって構わない。どこの大学でも当局は学生の自治権を尊重する。いっちゃあ何だが香川大においては、民青は当局に絶対的な顔だった。癒着ではない。学生の選挙で選ばれた執行部を無視できるはずがない。代理徴収した自治会費全額を革マル派執行部に渡さないで誰に渡すのだ。以下の拙論は下記の日記の後に表示したい。



 高世仁の「諸悪莫作」日記
 2017-05-23  早大を暴力が支配した時代 CommentsAdd Star
 おととい紹介した「赤報隊」を追い続けている朝日新聞の樋田毅記者が、きのう月曜夕方、番組をつくったTBSの秋山浩之プロデューサー とともに、上智大学のジャーナリズム講座で講義をした。

 秋山さんにお知らせをもらったので、聴講に行った。100人近い学生にまず番組を観せたあと、樋田さんと秋山さんが番組について意見交換しあい、学生とのやりとりがあった。鋭い質問もとんでおもしろかった。

 秋山さんは、TBSに入社した1か月後、報道局に配属されたその日に朝日新聞阪神支局襲撃事件を聞いたという。記者殺害というニュースにショックを受け、同期から「報道局の記者やめようかな」という声も上がった。でも、「これでひるんじゃだめだな」と励まし合ったという。「昭和に起きた未解決事件のひとつですが、『絶対、忘れてはいけない』との思いで取材しました」と秋山さん。彼にとっても執念が実った番組だったわけだ。

 樋田さんは大阪在住だが東京泊だというので、四谷で一緒に飲んだ。

 話はやはり45年前のことになり、「樋田さん、革マル派に鉄パイプで重傷を負わされたあと、どうしたの?」と聞くと、一度も大学に行かずに全部レポートで単位をとって卒業したとのことだった。

 川口君をリンチ虐殺したのが文学部自治会の革マル。その文学部自治会の執行部をリコールして新委員長になったのが樋田さんだから、革マルにとってはエネミーナンバーワンなのだ。それに樋田さんは学生に絶大な人気があったから、どうしても潰したい存在だったろう。

 樋田さんは入学したその年の11月8日の虐殺事件から運動の先頭に立ち、1年生で自治会委員長に押し上げられ、翌年5月には革マルのテロでやられたから、キャンパスに出入りできたのはたった1年間しかなかったことになる。

 今から考えると、学生が自由にモノも言えず、ごく少数の「支配者」ににらまれると、その人は授業を受けることもできないだけでなく、つかまってリンチされヘタをすれば殺される、そんなとんでもない空間が東京のど真ん中に存在していたことが実に不思議だ。そして、その事実がほとんど知られないまま、早大は名門大学として世間に通用してきたのである。また、革マルの暴虐とキャンパスの異常事態を大学当局が事実上容認し、年間2億円といわれる資金が、自治会費や文連運営費などの名目で提供されていたことも不可解だ。大学当局が革マルと縁を切ったのは、ずっと後の奥島総長時代の2000年前後になる。川口君事件から30年近く、事態は放置されてきたのだ。

 自由というものは意外に脆弱なものだなと思う。それは企業や国家などのレベルでも言えるのかもしれない。

・・・・・・・・・・・・・

 川口君虐殺事件というと、もう一人の名前が浮かんでくる。

 山村政明というかつて第二文学部に在籍していた早大生だ。彼は帰化した在日朝鮮人で、元の名を梁政明という。川口君事件の2年前、1970年10月5日未明、文学部キャンパスのそばにある穴八幡神社の境内で焼身自殺した。

f:id:takase22:20170523140031j:image:w280(下宿で読書する山村政明さん:遺稿集より)

 同時期に早大生だった姜尚中氏も衝撃を受けたといっているほか、人気歌手のにしきのあきら氏も大きなショックを受けたと聞く。(にしきの氏がその2年後に「カミングアウト」する一つのきっかけになったかもしれない)自殺の原因としては、在日としての悩みに焦点が当てられた。『いのち燃えつきるとも 山村政明遺稿集』の巻頭に、作家の李恢成が「二つの祖国所有者の叫び」という一文を寄せたが、そこには「彼を死へ追いやった根源的な原因が民族問題から発生している」と書かれている。

 たしかに彼は、帰化したことが民族への裏切りではないかなど民族の問題で深刻に自分を問い詰めていた。また、学業と労働を両立させられないことや、信仰と恋愛の問題などでも悩んでいたことが遺稿集から分かる。きわめて誠実で繊細な人だったようだ。

 しかし、彼の自死はあきらかに、革マルの暴力支配によって通常の学生生活が送れなくなったことに誘発されたものだと思う。

 貧しかった山村さんは高卒後就職したが、ドストエフスキーに惹かれ、ロシア文学をやりたいと退職して早大第一文学部に入学。学費も生活費も自分で稼ぐ厳しい生活で、やむなく一文から夜間の二文に転部した。社会問題に目覚めた山村さんは、はじめ革マルにも接点を持つが、その暴力体質に反発し闘うことになる。革マルの拠点、第二文学部の学生大会では議長に立候補して当選し、革マルのストライキ方針に抵抗した。勇気ある正義漢である。キリスト者としてキング牧師の非暴力直接行動に範を取りながらも、実際の運動では民青に接近していった。結果、「反執行部派の首(しゅ)かいとみなされたぼくはもう自由にキャンパスを歩くこともできない」(遺稿集P121)ところに追い詰められた。角材で頭を殴られ7針縫う怪我を負ったこともある。

 「私の一つのユメ。ささやかなユメ。それは今一度、書物をこわきに、たそがれのスロープを、ハナ歌まじりに(できたら讃美歌の方がいい)、のんびりと上って行くことだ。そして読書室で、一時間ばかり書物を開き、友と談笑し授業を受けるんだ。授業はM先生か、O先生のそれだったら、とくにいい!」(P155)

 文学部キャンパスには名物のスロープがあった。山村さんは一人の学生としてキャンパスで授業を受けることもできなくなったのである。



  古本屋通信


 私は朝日新聞記者の樋田という男を信用しないが、あれこれ想像を逞しくする前に、彼には確実にウソがある。ウソと言うのが言い過ぎなら、隠して言わないことがある。彼は革マル執行部をリコールして自治会の委員長になったが、短期政権で執行部を追われ、革マル派のテロにあい大学に出入りできなくなったと言う。当然ではないのか。なぜなら、革マル派執行部、その文学部委員長、その無抵抗の委員長を根限り撲ったのは誰だったのか。直接リンチを加えたのが樋田毅だったか否かはどちらでもよい。樋田が委員長になる過程で、反革マル陣営は確実に革マル派にリンチを加えている。間違いない。だったら反撃は当然の権利であろう。私に言わせるとザマアミロである。

 つぎによく朝日新聞の採用試験に合格したな。これもケッタイな話である。「一度も大学に行かずに全部レポートで単位をとって卒業した」 そうだが、これだと成績はわるく、やっと卒業出来たのだろう。よく難関の朝日にパスしたな。出来過ぎている。まあ別人のTBSといい、出来過ぎた話は信用できない。

 以下、大学当局がマンモス私大の早稲田で代理徴収した自治会費を学生に渡すのは、民青執行部であろうと、革マル執行部であろうと当然である。ありえないが無党派執行部だと不安で二億円もの大金を渡せない。何処でどう個人がネコババするか分からないからだ。党派だと安心である。倫理性が違う、当局はそう考えるだろう。

 後半の山村政明の話はきれいごと過ぎて読めない。はなからペテン師の姜尚中が登場することは措いて、自殺の唯一の原因を革マル派に求める出鱈目。甘っちょろいセンチメンタルな文章は恥かしくて読みきれない。少なくとも誰かを批判したり糾弾する文章としては失格である。もう止めようか、アホらしくなるようなカッタルイ文章である。
  1. 2017/08/22(火) 17:04:04|
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