古本屋通信

人間のカス=有田芳生と内田樹

古本屋通信   No 2713    2017年  08月01日


    人間のカス=有田芳生と内田樹

 ネット空間(ツイッター)には詐欺師・ペテン師が横行徘徊。デボーリン君、キミも気を付けた方がよい。

 詐欺師・ペテン師とは有田芳生、内田樹‏、そして今回有田がツイートしているkmokmos なる御仁。私は籠池泰典の事件に興味がないから逮捕が正当か不当かも関心がない。然し、ここで無関係な山口敬之を持ち出して、さりげなくレイプ強姦の犯人に仕立てるゲスどもの魂胆のなんと卑しく卑怯なことか。有田の本性ここにありだ。内田樹の詐欺性については、すでに石崎徹のペテンと並べて書いている。デボーリン君、キミも気を付けたまえ。彼らと同じだと思われては堪らんだろう。要は事実の見極めが甘いどころか、初めから事実をデッチ上げるのだ。それをこの間、有田の言動で検証してきた。


有田芳生さんがリツイート
kmokmos..‏ @kmokmos · 14時間14時間前
昏睡レイプ強姦事件を起こした山口敬之、要件を十分満たして逮捕状まで出てても執行も逮捕もされず。
全額返済、証拠隠滅・逃亡の恐れなしで違法行為がみられる場合は、在宅起訴・書類送検が相当、逮捕なんて不公正でありえない!#森友学園

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有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu · 6時間6時間前
有田芳生さんが中村千晶をリツイートしました
読みました。いい文章でした。ありがとうございます。神足さんがお元気だったときに最後にお会いしたのは神保町「人魚の嘆き」です。「連絡してよ」とメモに電話番号を書いてくれました。もっともっと復活を願っております。

有田芳生さんが追加
中村千晶 @potuo
本日発売AERA「現代の肖像」神足裕司さんです。記事書きました! #アエラ #現代の肖像

5件の返信 7件のリツイート 2 いいね


有田芳生さんがリツイート
清水 潔‏ @NOSUKE0607 · 7時間7時間前

19件の返信 477件のリツイート 277 いいね


 有田芳生さんがリツイート
内田樹‏認証済みアカウント @levinassien · 11時間11時間前 ]
内田樹さんが山崎 雅弘をリツイートし
ご紹介ありがとうございます。『街場の天皇論』、初校ゲラをさきほど投函してきました。9月頃にはかたちになるんじゃないかと思います。「あとがき」に少し長めに三島由紀夫と東大全共闘のことを書きました。

内田樹さんが追加
山崎 雅弘 @mas__yamazaki
今日発売の『AERA』に、6月12日に大阪の隆祥館書店で催された内田樹さんとのトークイベントの一部を再録した記事が掲載されています。当日はいろいろな話題が出ましたが、記事は今の天皇に関する話題に絞ってあります…

2件の返信 57件のリツイート 68 いいね



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    再録


    
古本屋通信   No 2673    2017年  07月12日  


  ウィキペディア(Wikipedia) 内田樹 (拍手数 32個)

 一度壊れたはずの旧パソコンのEnterキーが、何時の間にか自然快癒しているという狐に摘ままれたような体験を経て、最近ふたたびパソコン入力の時間が増加してきた。せんじつ東京大学新聞の大量入荷分をモトに連続記事を書き始めてから、パソコン時間は圧倒的に増えてしまった。これは他人の書いた記事を下敷きにしてはいるけれど、半分以上は私の編集記事である。始めたとき、果たして読者がつくだろうか不安だった。かれこれ50年前の新聞だったからである。初っ端に問い合わせがあった。その方に褒められたので、殆ど一気に10本ほど仕上げた。ところが資料があるだけに、資料に添った記事に仕上げなければならない。やってみないと分からないのだが、これが頗る時間が懸かる。一例で言えば、直前の大平君を批判した記事は20分で仕上げた。ところがその直前の東大新聞の記事は、もう5時間もやっているのに記事の要約さえ書けていない。まあ愚痴を言っても、自分が楽しくてやっているのだから仕方がない。私に最初に問い合わせて来た方は1980年代に無党派の運動に係わったと仰っていた。また、今朝ほど情報を寄せてくださった神原さんも1980年ごろ学生だったと思う。私と同じ世代でなくても1960年代の学生運動に関心があるのかと思ったら少し元気が出てきた。

 話はとつぜん変わるが、先ほど石崎徹のブログをのぞいたら、マタマタ凄い記事があった。モノの順番として貼るだけ貼っておこうか。



 「私は天皇主義者になった」
 2017年07月10日 (月)  石崎徹
 かなり日数が経ってしまったが、内田樹がついに「私は天皇主義者になった」と右翼雑誌に書いたそうだ。雑誌を読まずに朝日の紹介記事だけだが、以下のようなことを語っていた。この間の退位問題をめぐる諸氏の発言のなかで、右翼の一部が次のように言ったことが内田氏を驚かせた。
「天皇はうろちょろせずに、宮中の奥深くでじっと祈りを捧げていればよい。余分なことをするからくたびれるのだ」
 じつはぼくもこの発言を新聞で読んだとき驚いた。右翼は天皇を尊敬しているのだとばかり思っていた。そうではなかったのだ。右翼が好きなのは天皇制という制度だけである。そこに座っているのがどんな人間だろうが、彼らには関心がない。それどころかたぶんいまの明仁美智子夫妻を嫌っている。
 もちろん右翼のすべてがそうだというわけではないが、どうも多かれ少なかれそういう傾向が右翼にありそうだということが、ぼくにとっても、内田氏にとっても驚きの発見だったのだ。
 一方で、明仁美智子夫妻が、広く国民から愛されているという事実がある。彼らは必ずしも天皇制を愛しているわけではない。夫妻を人間として愛しているのだ。その人々は決して右翼的な体質の人々ではない。夫妻はむしろ左翼的な人々から敬愛されていると言ってもよい。
 政権が右翼的世論の支持を得て右翼的方向へ走ろうとしているなかで、ある意味天皇夫妻がブレーキになっているようなところがある。
 内田樹はそれを大胆に支持したのだ。
 もちろん朝日記者は疑問を呈した。「それは天皇の政治利用にならないか。危ういことではないのか」
 内田氏にとって、そういうことは当然思慮のうちである。しかし現実にいま天皇制をめぐるこういう世論の状況がある、これをないことにしてうやむやにしてしまうことの方が危険だろう、と彼は考えた。現実から出発しよう、そこから考えようというわけだ。
 ぼくにも朝日記者が表明したような危惧はある。だが理解はできる。天皇夫妻も人間だ。人間に対しては当然払うべき敬意がある。右翼は最低限それさえ払っていないように見える。
 ずいぶん昔のことになるが、NHK日曜日の将棋番組の米長邦雄のユーモアあふれる解説をぼくは好きだった。ところが石原慎太郎が彼を東京都の教育委員に任命すると、天皇と会ったおりに、「君が代日の丸を徹底していきたい」と発言した。ぼくはこの発言でいっぺんに米長を嫌いになったが、このときの天皇の回答は、「それは強制的な方法ではないほうがよいと思います」というものだった。この回答はぼくの記憶に残った。



  古本屋通信

 すでに拍手が3つ付いている。拍手をした人は少なくとも分かるのだろう。いや共感はしたのだろう。他人が書き、他人が共感するのに横槍を入れても、それこそ糠に釘だが、こういうことだろう。かなり前に衆院ブロック候補の石村智子がプロフィールのトップに「私のライフワークは青年の雇用の改善」と書いた。これがどうかという問題である。私はキチガイ扱いにしたが、これは一般常識的にも国語的にも誤っていないから、誰も石村に注意しなかった。岡山県委員会は分かっていても大目に見ていた。ところが党中央に転勤になった。そしたら直ちに訂正された。今では「政治転換に全力」となっている。まだマシだ。党中央がこんな初歩的な誤りを放置するわけがない。またこんな「無邪気な党員」を中央委員会准中央委員にするわけがない。こう言っても石崎も、大半の非マルクス主義者も、チンプンカンプンだろう。正解を教える気にもならないが、日本革命は永遠に遠望の彼方である。これは林じゅんの自衛隊論も同様である。つまり論理の全てを捨象して感覚の世界だけだと共感はされるだろう。ここにはヘーゲルの論理的なものも、歴史的なものも、入る余地はない。もちろんマルクスも。レーニンが「唯物論と経験批判論」(脚注)で批判したマッハ、アヴェナリウスを想起すればよい。主観的観念論の直感主義だが、日本なら三島由紀夫だろうか。究極の右翼ファシストである。だがヒトは上記の石崎文を三島文に重ねて読まないだろう。私は石崎を、また石村智子を、三島の赤子と見る視点をこそ提唱したい。ソックリではないのか。非論理といい非歴史といいソックリである。同じことは核禁条約を賛美する志位和夫と大平喜信にもいえる。「核兵器を禁止する条約は良いに決まっている」。何のために日本共産党は現代修正主義と命を賭けて戦ってきたのか。大平がここまで酷いとは思わなかった。

 今回のメインは石崎が名前を挙げている内田樹だ。私はこの男をまったく知らない。名前の読み方さえも知らない。しかし名前を小耳に挟んだことはある。たしか赤旗にも書いていただろう。たぶん数年前に一度だけウィキの記事を読んだ。自作自演の本人が書いた文だった。間違いない。間違いないがマトモな文なら自己紹介文として読めばよい。しかし3行と読めなかった。それでも今回通読した。端にも棒にも掛からないが、商売人であることは確かだ。多方面で御活躍らしいが、最低哲学者ではない。まあよくも哲学を語るよ。でもこういう輩が最近では大学教授だそうな。たとえFランクの大学でも学生が可哀想だ。下に貼っておく。いっさいの批判は要らないだろう。詐欺ペテン師のサンプル文として御賞味くだされば幸いである。




  ウィキペディア(Wikipedia)   内田樹   

内田 樹(うちだ たつる、1950年9月30日 - )は、日本の哲学研究者、コラムニスト、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。京都精華大学人文学部客員教授。合気道凱風館館長。

東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。学位は修士(東京都立大学・1980年)。合気道七段、居合道三段、杖道三段[1]。

専門はフランス現代思想だが[2]、取り上げるテーマはユダヤ人問題から映画論、武道論まで幅広い。

経歴[編集]

東京都大田区下丸子に生まれ育つ(父親は19歳で家を出て満鉄に入社[3]。戦時中は政府機関に所属した。[要出典]戦後、サラリーマンを経て会社を経営し、[要出典]日中友好協会の会員になった[4])。

1963年に大田区立東調布第三小学校を卒業、1966年に大田区立矢口中学校を卒業。1966年、東京都立日比谷高等学校に入学[5]。高校2年で成績が学年最下位になり、のち品行不良を理由に退学処分を受けた[6]。家出してジャズ喫茶でアルバイトをするが、生活できなくなり、数ヶ月後に親に謝罪し家に戻った[7]。

1968年10月、大学入学資格検定に合格。1969年、東京大学入試中止の年に京都大学法学部を受験し不合格。駿台予備校を経て、1970年4月、東京大学教養学部文科III類に入学。1975年3月、同大学文学部仏文科を卒業。指導教官は菅野昭正[5][7]。

1975年12月、合気道自由が丘道場に入門し多田宏に師事する。1977年1月、平川克美を社長とし内田を取締役として[要出典]翻訳会社「アーバン・トランスレーション」を設立[5][8]。

1977年4月、東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程(フランス文学専攻)に入学。入学後も会社経営を続けた。修士論文はモーリス・ブランショ、指導教官は足立和浩。1980年4月、東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程に進学。ブランショと影響関係のある哲学者として、エマニュエル・レヴィナスの名を初めて知る。たまたま手にとった『困難な自由』の最初のテクスト「倫理と精神」を読んで衝撃を受け、「この人についてゆこう」と決心する[5]。

1982年4月、東京都立大学人文科学研究科博士課程を中退。東京都立大学人文学部助手(フランス文学専攻)となる[5]。1985年9月、レヴィナスの訳書『困難な自由』を国文社から刊行。1987年9月、レヴィナスに面会[5]。1989年に離婚[9]、娘の内田るんと父子家庭になる[10][11][注 1]。

1990年、神戸女学院大学文学部総合文化学科助教授となる[5]。1997年2月、観世流の下川宜長に入門、仕舞と謡を習い始める。2001年3月、初めての単著となる『ためらいの倫理学』(冬弓舎)を刊行。2009年、大蔵流囃子方の高橋奈王子[12]と再婚[13]。同年11月、『日本辺境論』(新潮新書)を刊行[注 2]。2010年7月から2012年11月まで[要出典]平松邦夫大阪市長のもとで市長特別顧問を務める[16]。

2011年3月、神戸女学院大学教授を退職[17]。同大学名誉教授[18]。同大学の合気道部顧問を継続して務める[19]。同年4月、第3回伊丹十三賞を受賞[20]。同年11月、神戸市東灘区住吉本町に道場兼能舞台の「凱風館」が完成[21][22][注 3]、館長を務める[23]。2015年4月、京都精華大学人文学部客員教授に就任[24][2]。

思想[編集]

政治的な立場[編集]

自由民主党と公明党による連立政権である安倍内閣に対して、独裁[25]という強い表現を使って反対の立場を表明している。『しんぶん赤旗』のインタビューで、「共産党に期待することは、マルクスの教えのもっとも本質的なところ、すなわち『ものごとを根底的にとらえる』という意味でラディカルな政党であってほしいということです」と述べている[26]。

憲法観と自衛隊について[編集]

憲法9条の改訂には反対であるが、自身の憲法観と自衛隊についての考え方は「いわゆる『護憲派』のそれとはだいぶ違っている」という。憲法九条と自衛隊を「双子的制度」と呼び、この2つは「アメリカのイニシアティヴのもとに戦後日本社会が狡知をこらして作り上げた『歴史上もっとも巧妙な政治的妥協』の一つである」、「憲法九条と自衛隊が『リアル』に拮抗している限り、日本は世界でも例外的に『安全な』国でいられると私は信じている」と述べている[27]。共著に『9条どうでしょう』(毎日新聞社)がある。

『すばる』2007年1月号で高橋源一郎、矢作俊彦と対談した際、矢作の「有事に現自衛隊法では自衛隊員は銃を撃つこともできない、こういった「あいまいさ」は関東軍と同様で危険だ」という意見に対し、「日本人は原理原則が行動原理ではないので、憲法もあいまいなままでよい」と主張した。

教育問題における立場[編集]

教育/学習については、その効果は予見的に測定不可能である、との立場をとっている。「事後的に有用性が明らかになるモノを先見的に拾っておく」感性について繰り返し述べており、「その教育/学習はどのような効果が見込まれるのか」という問いを厳しく批判している。この観点から、アウトプットの定量を要求する経営主義的な学校運営に反対している。[要出典]

教育行政については、一貫して[要出典]政治や政治家は教育に関わるべきではないとする立場をとっている。学校教育という制度が、非常に惰性の強い制度であって、急激な変更はなじまないと考えている。つまり、政治家が替わるごとに教育に急激な変化が起こるのは、決して良いものではないという考えである。たとえば、大阪市長特別顧問に就任した際の記者会見において、平松市長に対してこう述べている。「私が市長にお願いしたいことが一つあります。一つだけです。それは地方自治体の首長は教育行政に関与して欲しくないということです」[28]。この“政治が教育行政に関わりすぎるべきではない”という点において、大阪維新の会の教育政策には批判的である[注 4]。
公立中学校での武道の必修化について
公立中学校での武道の必修化については反対の立場である[29]。なぜなら、その目的が礼節や愛国心を身につけるためという功利的なものだからである。礼儀正しく振る舞うのは、手段であり目的ではない。したがって、武道の必修化では手段と目的が逆転しており、武道に対する敬意を欠いている、と主張する。

「市民的成熟」と国民国家の関係について[編集]

内田は、国民国家は擬制であり本質的に恣意的な構築物であると考えているが、国民国家がきちんと機能するためには、「それがあたかも自然物であるかのように、天来のもの、神授のものであるかのように、ふるまってみせる必要」があり、それができることが市民的成熟の1つの条件であると思っているという。国旗や国歌に対しても「適切にふるまう」ことができるのが成熟した国民国家成員の条件であるとしている。「国民国家とは何か」について各人が自己責任において思量することこそが国民国家成員にとっては不可避の義務であり、それは自分の代わりに他人に考えてもらうことではないし、他人に命令されることでもないと内田は考えているという。そして、「国民国家は擬制であり、私事である」ということをわきまえた上で、なおかつ国民国家以外の選択肢がないときに、「これをどのように気分のよいものにすべきか、とまずは手元足元の工夫から始める人」のことを内田は「成熟した市民」と呼んでおり、内田によればそれが「標準的な『市民的成熟』の階梯」であるという。「この健全な市民への成熟の行程」への妨げになるがゆえに、内田は国旗国歌に対する業務命令や法的強制に原則的につねに反対してきたのだという[30]。

格差社会論批判[編集]

格差社会論を一貫して批判し続けている。格差社会は裏返せば拝金主義であり、金のことなど気にしなければ良い、と主張している[31][出典無効]。

特に内田が問題視するのは朝日新聞の「ロスト・ジェネレーション」論を始めとする、「ロスト・ジェネレーション」と「団塊の世代」の世代間格差を問題視する論であり、内田は格差社会論は全てこのような「資源の不当な収奪への異議申し立て」であると定義し、こうした議論については徹底的な批判を加えている。その論法は教育論におけるそれと同様、「ロスト・ジェネレーション」の内面が「ロスト・ジェネレーション」の問題を創り出しているというものである[32][出典無効]。

学力低下論[編集]

同学齢集団内の競争というシステムが、「他人のパフォーマンスを下げる」という相対優位の戦略を取らせると主張している。学力低下問題では、大学の入学定員の多さが学力低下の一因であるという指摘を認めず、逆に「大学教育によって高校までの教育の不完全さを補っているのだ」との論陣を張った[33][出典無効]。教育問題については、以前は現場の教員の指導能力に教育問題の元凶を求める論調が強かった。しかし、講演会などを通して、現場の教員との交流が始まった後は、むしろ教育行政や保護者・児童・生徒の教育観を問題視する立場にシフトしている。[要出典]「勉強すれば、金になる」という利益誘導のロジックが学校教育を覆い尽くし、親・教師・メディア・政治家もそのロジックを主張したせいで、日本の子どもたちが学習意欲を失ったと主張している[34]。安倍政権が成立させた教育関連三法案には、断固反対の態度を貫いた。また、中央教育審議会や文部科学省の施策には、批判的ことが多い。[要出典]

地球温暖化問題について[編集]

温暖化と二酸化炭素の間の因果関係はまだ科学的には証明されていない、と2007年に述べている。氷期と間氷期を交互に経験する地球は現在は「間氷期」にあり、いずれは氷期が訪れて動植物が激減すると内田は考えているため、「温暖化には類的な立場からはそれほど怯えることもないのではないか」と考えているという[35]。

「ナイアガラー」として[編集]

1976年3月に野沢温泉スキー場で「楽しい夜更かし」を聴いたのが、大瀧詠一の音楽を最初に経験した機会であったという。以後37年間、内田は忠実な「ナイアガラー」として過ごしたと2013年に述べている[36][37]。

内田は「ナイアガラー」の語義を次のように説明している。「『ナイアガラー』というのは、大瀧詠一さんが実践してきた音楽活動(には限定されないもろもろの活動)をフォローすることを人生の一大欣快事とする人々の総称です。」「ナイアガラーは『日本のフリーメーソン』であるから、どこで知り合っても『私、ナイアガラーなんです』とカミングアウトすればたちまち百年来の知己となることができる。これは他のミュージシャンにはあまりないことである。」[38][39]

2005年8月19日に大瀧と初めて会う[36][注 5]。2007年から2013年までの間、「ラジオデイズ」のオーディオ・コンテンツとして大瀧との座談会を平川克美らと共に計6回行った[40]。

ブログ[編集]

「内田樹の研究室」というブログを運営している[41]。著書の多くは、このブログのテキストを編集者がテーマ別に編集したものである。[要出典]

『ためらいの倫理学』など初期の著作は、ブログに移行する前にウェブサイト(1998年開設)に掲載された文章が収録されている。[要出典]『ためらいの倫理学』は、冬弓舎の内浦亨が内田のサイトのテキストを発見したことから刊行された[42]。

かつてブログにはコメント機能が設けられていた。しばしば主張への批判や反論が書き込まれていたが、本人からの反批判や再反論は少なかった。これについて内田は、「どちらが正しいかは読んだ人の判断に任せる」との立場を取っていた[要出典][注 6]。

「書くことの目的が生計を立てるではなく、一人でも多くの人に自分の考えや感じ方を共有してもらうこと」との考えから、ネット上で公開した自身のテクストについては「著作権放棄」の考えを示しており、他人が剽窃によって収入を得ることも容認すると2009年に述べている[44]。一方、講演については謝礼が必要(ノーギャラは仕事のクオリティを認めていない)としている[45]。

著書[編集]

単著[編集]

1 『ためらいの倫理学』 冬弓舎 2001年3月 ISBN 4925220020 角川文庫 ISBN 4043707010
2 『レヴィナスと愛の現象学』 せりか書房 2001年12月 ISBN 4796702369 文春文庫 ISBN 4167801485
3 『「おじさん」的思考』 晶文社 2002年4月 ISBN 4794965303 角川文庫 ISBN 4043707053
4 『寝ながら学べる構造主義』 文春新書 2002年6月 ISBN 4166602519
5 『期間限定の思想―「おじさん」的思考2』 晶文社 2002年11月 ISBN 4794965494 角川文庫 ISBN 4043707061
6 『女は何を欲望するか?』 径書房 2002年11月 ISBN 4770501803 角川oneテーマ21 ISBN 4047100900
7 『私の身体(からだ)は頭がいい』 新曜社 2003年5月 ISBN 4788508478 文春文庫 ISBN 4167717441
8 『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 角川書店 2003年5月 ISBN 4048838199 角川文庫 ISBN 4043707037
9 『映画の構造分析』 晶文社 2003年6月 ISBN 4794965753 文春文庫 ISBN 4167801256
10 『子どもは判ってくれない』 洋泉社 2003年9月 ISBN 4896917596 文春文庫 ISBN 978-4167679910
11 『他者と死者』 海鳥社 2004年10月 ISBN 4874154980 文春文庫 ISBN 4167801493
12 『死と身体』 医学書院 2004年10月 ISBN 4260333666
13 『街場の現代思想』 NTT出版 2004年7月 ISBN 4757140754 文春文庫 ISBN 4167717735
14 『先生はえらい』 ちくまプリマー新書 2005年1月 ISBN 4480687025
15 『街場のアメリカ論』 NTT出版 2005年10月 ISBN 475714119X 文春文庫 ISBN 4167773686
16 『知に働けば蔵が建つ』 文藝春秋 2005年11月 ISBN 4163677003 文春文庫 ISBN 4167753138
17 『態度が悪くてすみません』 角川oneテーマ21 2006年4月 ISBN 4047100323
18 『私家版・ユダヤ文化論』 文春新書 2006年7月 ISBN 4166605194 第6回小林秀雄賞受賞
19 『下流志向』 講談社 2007年1月 ISBN 4062138271 講談社文庫 ISBN 4062763990
20 『狼少年のパラドクス』 朝日新聞出版 2007年2月 ISBN 4023303771 改題『街場の大学論』
角川文庫 2010年10月 ISBN 4043707045
21 『街場の中国論』 ミシマ社 2007年6月 ISBN 4903908003 増補版 ミシマ社 2011年2月 ISBN 4903908259
22 『村上春樹にご用心』 アルテス
パブリッシング 2007年9月 ISBN 4903951006
23 『もういちど村上春樹にご用心』 2010年11月 ISBN 4903951375 『村上春樹にご用心』の増補版(削除された文章もあり)
文春文庫 ISBN 4167902591
24 『ひとりでは生きられないのも芸のうち』 文藝春秋 2008年1月 ISBN 4163696903 文春文庫 ISBN 4167801159
25 『こんな日本でよかったね』 バジリコ 2008年7月 ISBN 4862380964 文春文庫 ISBN 4167773074
26 『街場の教育論』 ミシマ社 2008年11月 ISBN 4903908100
27 『昭和のエートス』 バジリコ 2008年12月 ISBN 4862381189 文春文庫 ISBN 4167838087
28 『日本辺境論』 新潮新書 2009年11月 ISBN 4106103362 2010年度新書大賞受賞
29 『邪悪なものの鎮め方』 バジリコ 2010年1月 ISBN 486238160X 文春文庫 ISBN 4167900157
30 『街場のマンガ論』 小学館 2010年4月 ISBN 4778037170 小学館文庫 ISBN 9784094060218
31 『街場のメディア論』 光文社新書 2010年8月 ISBN 4334035779
32 『武道的思考』 筑摩選書 2010年10月 ISBN 4480015078
33 『最終講義』 技術評論社 2011年6月 ISBN 4774147095 文春文庫 ISBN 416790389X
34 『うほほいシネクラブ―街場の映画論』 文春新書 2011年10月 ISBN 4166608266
35 『呪いの時代』 新潮社 2011年11月 ISBN 4103300116 新潮文庫 ISBN 4101260613
36 『街場の読書論』 太田出版 2012年4月 ISBN 4778312880
37 『僕の住まい論』 新潮社 2012年7月 ISBN 4103300124 新潮文庫 ISBN 4101260621
38 『街場の文体論』 ミシマ社 2012年7月 ISBN 4903908364 文春文庫 ISBN 4167905809
39 『修業論』 光文社新書 2013年7月 ISBN 4334037542
40 『内田樹による内田樹』 140B 2013年9月 ISBN 4903993183
41 『街場の憂国論』 晶文社 2013年10月 ISBN 4794968116
42 『日本の身体』 新潮社 2014年5月 ISBN 4103300132 新潮文庫 ISBN 410126063X
43 『街場の共同体論』 潮出版社 2014年6月 ISBN 4267019800 潮新書 ISBN 4267020744
44 『憲法の「空語」を充たすために』 かもがわ出版 2014年8月 ISBN 4780307139
45 『街場の戦争論』 ミシマ社 2014年10月 ISBN 4903908577
46 『内田樹の大市民講座』 朝日新聞出版 2014年11月 ISBN 4022512342
47 『困難な成熟』 夜間飛行 2015年9月 ISBN 4906790208
48 『悩める人、いらっしゃい 内田樹の生存戦略』 自由国民社 2016年6月 ISBN 4426120985
49 『困難な結婚』 アルテスパブリッシング 2016年7月 ISBN 4865591397

共著・編著[編集]

1 『映画は死んだ』 松下正己 いなほ書房 1999年12月 ISBN 479520599X 新版 ISBN 4434034871
2 『現代思想のパフォーマンス』 難波江和英 松柏社 2000年4月 ISBN 4881989324 光文社新書 ISBN 433403277X
3 『大人は愉しい』 鈴木晶 冬弓舎 2002年6月 ISBN 4925220063 ちくま文庫 ISBN 4480423559
4 『東京ファイテイングキッズ』 平川克美 柏書房 2004年10月 ISBN 4760126252 朝日文庫 ISBN 4022615311
5 『東京ファイティングキッズ・リターン』 バジリコ 2006年11月 ISBN 4862380344 文春文庫 ISBN 4167773376
6 『いきなりはじめる浄土真宗
―インターネット持仏堂1』 釈徹宗 本願寺出版社 2005年3月 ISBN 4894167778 角川ソフィア文庫 ISBN 4044089043
7 『はじめたばかりの浄土真宗
―インターネット持仏堂2』 ISBN 4894167786 角川ソフィア文庫 ISBN 4044089051
8 『14歳の子を持つ親たちへ』 名越康文 新潮新書 2005年4月 ISBN 4106101122
9 『身体(からだ)の言い分』 池上六朗 毎日新聞社 2005年7月 ISBN 4620317314
10 『健全な肉体に狂気は宿る』 春日武彦 角川oneテーマ21 2005年8月 ISBN 4047100064
11 『9条どうでしょう』 小田嶋隆
平川克美
町山智浩 毎日新聞社 2006年3月 ISBN 4620317608 ちくま文庫 ISBN 4480429948
12 『身体知―身体が教えてくれること』 三砂ちづる バジリコ 2006年4月 ISBN 4862380050 講談社プラスアルファ文庫
ISBN 4062813947
13 『身体を通して時代を読む―武術的立場』 甲野善紀 バジリコ 2006年6月 ISBN 4862380034 文春文庫 ISBN 4167773988
14 『逆立ち日本論』 養老孟司 新潮選書 2007年5月 ISBN 4106035782
15 『合気道とラグビーを貫くもの
次世代の身体論』 平尾剛 朝日新書 2007年9月 ISBN 4022731648
16 『大人のいない国 成熟社会の未熟なあなた』 鷲田清一 プレジデント社 2008年10月 ISBN 4833418886 文春文庫 ISBN 4167838540
17 『橋本治と内田樹』 橋本治 筑摩書房 2008年11月 ISBN 4480814981 ちくま文庫 ISBN 4480428488
18 『現代霊性論』 釈徹宗 講談社 2010年2月 ISBN 4062159546 講談社文庫 ISBN 4062775166
19 『現代人の祈り―呪いと祝い』 釈徹宗
名越康文 サンガ 2010年 ISBN 4904507592 サンガ新書
ISBN 4904507975
20 『おせっかい教育論』 鷲田清一
釈徹宗
平松邦夫 140B 2010年 ISBN 4903993108
21 『沈む日本を愛せますか』 高橋源一郎 ロッキング・オン 2010年 ISBN 4860520939 文春文庫
ISBN 4167901102
22 『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』 2012年 ISBN 4860521080
23 『若者よ、マルクスを読もう』 石川康宏 かもがわ出版 2010年6月 ISBN 4780303605 角川ソフィア文庫 ISBN 4044086125
24 『若者よ、マルクスを読もうⅡ』 2014年9月 ISBN 4780307147
25 『大津波と原発』 中沢新一
平川克美 朝日新聞出版 2011年5月 ISBN 4022508744
26 『身体で考える。』 成瀬雅春 マキノ出版 2011年6月 ISBN 4837671594
27 『橋下主義(ハシズム)を許すな!』 山口二郎
香山リカ
薬師院仁志 マキノ出版 2011年11月 ISBN 482841651X
28 『原発と祈り』 名越康文
橋口いくよ メディアファクトリー 2011年12月 ISBN 4840143269
29 『大人の作法』 2013年3月 ISBN 4840151261
30 『本当の仕事の作法』 2014年3月 ISBN 4040663500
31 『嘘みたいな本当の話
日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト』 高橋源一郎共選
浅井愛編 イースト・プレス 2011年6月 ISBN 4781606237 文春文庫 ISBN 4167903229
32 『嘘みたいな本当の話 みどり
日本版ナショナル・ストーリー・プロジェクト』 2012年6月 ISBN 4781608000 文春文庫 ISBN 4167906570
33 『日本の文脈』 中沢新一 角川書店 2012年1月 ISBN 404110078X
34 『辺境ラジオ』 名越康文
西靖 140B 2012年9月 ISBN 4903993132
35 『荒天の武学』 光岡英稔 集英社新書 2012年12月 ISBN 4087206718
36 『評価と贈与の経済学』 岡田斗司夫 徳間書店 2013年2月 ISBN 4198635676 徳間文庫カレッジ
ISBN 4199070265
37 『脱グローバル論
―日本の未来のつくりかた』 中島岳志
小田嶋隆
他4名 講談社 2013年6月 ISBN 4062184273
38 『聖地巡礼 ビギニング』 釈徹宗 東京書籍 2013年8月 ISBN 4487806380
39 『聖地巡礼ライジング 熊野紀行』 2015年3月 ISBN 4487806399
40 『能はこんなに面白い!』 観世清和 小学館 2013年9月 ISBN 4093883114
41 『一神教と国家
イスラーム、キリスト教、ユダヤ教』 中田考 集英社新書 2014年2月 ISBN 4087207250
42 『街場の五輪論』 小田嶋隆
平川克美 朝日新聞出版 2014年2月 ISBN 4022511486 朝日文庫 ISBN 4022618647
43 『街場の憂国会議』 小田嶋隆
想田和弘
ほか7名 晶文社 2014年5月 ISBN 4794968140
44 『日本霊性論』 釈徹宗 NHK出版新書 2014年8月 ISBN 4140884428
45 『竹と樹のマンガ文化論』 竹宮惠子 小学館新書 2014年12月 ISBN 4098252228
46 『日本戦後史論』 白井聡 徳間書店 2015年2月 ISBN 419863906X
47 『慨世の遠吠え』 鈴木邦男 鹿砦社 2015年3月 ISBN 4846310388
48 『日本の反知性主義』 白井聡
高橋源一郎
ほか7名 晶文社 2015年3月 ISBN 4794968183
49 『ぼくたち日本の味方です』 高橋源一郎 文藝春秋 2015年11月 ISBN 4167904934
50 『「意地悪」化する日本』 福島瑞穂 岩波書店 2015年12月 ISBN 4000610988
51 『生存教室 ディストピアを生き抜くために』 光岡英稔 集英社 2016年1月 ISBN 4087208168
52 『僕たちの居場所論』 平川克美
名越康文 角川書店 2016年5月 ISBN 4047317535
53 『教えて! 校長先生
「才色兼備」が育つ神戸女学院の教え』 林真理子 中央公論新社 2016年5月 ISBN 4121505530
54 『やっぱりあきらめられない民主主義』 平川克美
奈須りえ 水声社 2016年6月 ISBN 978-4801001879
55 『世界「最終」戦争論 近代の終焉を超えて』 姜尚中 集英社 2016年6月 ISBN 4087208362
56 『属国民主主義論』 白井聡 東洋経済新報社 2016年7月 ISBN 4492212272
57 『転換期を生きるきみたちへ』 岡田憲治他9名 晶文社 2016年7月 ISBN 978-4794968258
58 『マルクスの心を聴く旅』 石川康宏
池田香代子 かもがわ出版 2016年9月 ISBN 4780308569
59 『聖地巡礼リターンズ』 釈徹宗 東京書籍 2016年11月 ISBN 4487808413
60 『慨世の遠吠え2』 鈴木邦男 鹿砦社 2017年2月 ISBN 4846311562

インタビュー・その他

1 『生きる意味を教えてください
―命をめぐる対話』 田口ランディ
他8名 バジリコ 2008年3月 ISBN 4862380727
2 『悪党の金言』 足立倫行
他8名 集英社新書 2009年1月 ISBN 4087204758
3 『この国はどこで間違えたのか
―沖縄と福島から見えた日本』 小熊英二
他6名 徳間書店 2012年11月 ISBN 4198635099
4 『医療につける薬 内田樹・鷲田清一に聴く』 岩田健太郎
鷲田清一 筑摩選書 2014年6月 ISBN 4480015965
5 『学校英語教育は何のため?』 江利川春雄
鳥飼玖美子
他2名 ひつじ書房 2014年7月 ISBN 4894767279

翻訳[編集]
1.レヴィナス『困難な自由―ユダヤ教についての試論』(国文社 1985年、抄訳)ISBN 9784772000925 改訳版、国文社、2008年、ISBN 4772005242

2.レヴィナス『超越・外傷・神曲―存在論を超えて』合田正人共編訳(国文社 1986年)
3.ノーマン・コーン『シオン賢者の議定書(プロトコール)―ユダヤ人世界征服陰謀の神話』(ダイナミックセラーズ 1986年)
4.レヴィナス『タルムード四講話』(国文社 1987年)
5.ジェフリー・メールマン『巨匠たちの聖痕―フランスにおける反ユダヤ主義の遺産』(国文社 1987年)
6.ベルナール=アンリ・レヴィ『フランス・イデオロギー』(国文社 1989年)
7.レヴィナス『タルムード新五講話―神聖から聖潔へ』(国文社 1990年)
8.レヴィナス『暴力と聖性―レヴィナスは語る』(国文社 1991年)
9.レヴィナス『モーリス・ブランショ』(国文社 1992年)
10.サロモン・マルカ『レヴィナスを読む』(国文社 1996年)
11.レヴィナス『観念に到来する神について』(国文社 1997年)
12.『ユダヤ教―過去と未来』R.アロン,A.ネエール,V.マルカ(ヨルダン社 1998年)
13.コリン・デイヴィス『レヴィナス序説』(国文社 2000年)
14.『ヒチコック×ジジェク』スラヴォイ・ジジェク編 鈴木晶共訳(河出書房新社 2005年)



 以上はゴミなので、以下に口直しに、まともな長文貼っておく。できればレーニンの原典を読んだ方はよいのだが。


 nternet Zone::WordPressでBlog生活
 
アラ還のオッサンがマルクスの勉強やらコンサートの感想やらを書き込んでいます。



  レーニン『唯物論と経験批判論』紹介 (2000年3月)

はじめに

日本共産党の独習指定文献には、10の科学的社会主義の古典があげられています。そのなかで、レーニンの『唯物論と経験批判論』は、科学的社会主義の哲学、とくに認識論といわれる問題を真正面からとりあげた文献として特徴を持っています。

科学的社会主義の哲学については、すでに『空想から科学へ』や『フォイエルバッハ論』、『反デューリング論』などで学ばれた方も多いと思います。『唯物論と経験批判論』は、そうした文献でのマルクス、エンゲルスの指摘をふまえながら、経験批判論、経験一元論あるいはマッハ主義などとよばれた観念論哲学の潮流にたいして徹底した批判をおこなうとともに、その論戦を通じて、物質とはなにか、真理とはなにかなど、弁証法的唯物論の哲学自体を積極的に発展し、前進させています。

科学的社会主義の世界観の学習に欠かせない文献

そういう意味で、一見すると抽象的な議論をたたかわせているようにみえますが、科学的社会主義の世界観への理解を深めるうえで、欠かすことのできない重要な文献となっています。独習指定文献のなかでも、『資本論』第2巻、第3巻とともに、上級に分類される数少ない文献で、文庫版や「科学的社会主義の古典選書」シリーズでは上下2冊、全集でもほとんどまるまる1冊という大部な著作ですが、ぜひ多くの方に学んでいただきたいと思います。

とはいえ、私自身、はじめて『唯物論と経験批判論』を読んだときにはまったく歯が立たず、訳も分からないままとにかく読みとおしただけに終わりました。しかしその後、『フォイエルバッハ論』や『反デューリング論』などをくり返し読み、また、不破委員長の「『唯物論と経験批判論』によせて」(『「資本論」と今日の時代』新日本出版社に収録)を知って、レーニンが何を批判しているのか、何を言いたいのか、少しずつですが読み取れるようになりました。

そこでまず、私自身の体験もふまえて、この文献を読むうえでどんなところに気をつけたらよいか、どんなふうに読みとおしたらよいかを中心に紹介したいと思います。『唯物論と経験批判論』の各章の構成やポイントは後半でご紹介します。

反動の時代に書かれた哲学上の修正主義批判

『唯物論と経験批判論』は論争の書です。ですから、それを読むには、どういう背景のもとで執筆されたのか、論争の相手は何なのかを、多少なりともつかんでおくことが大切です。

まず歴史的な背景ですが、『唯物論と経験批判論』は、1905~1907年のロシア革命が敗北したあとの反動の時代に登場した哲学上の修正主義にたいする批判として書かれたものです。1908年にレーニンが亡命先のスイスで執筆し、翌年モスクワで出版されました。

当時ロシアは、絶対的な専制権力をもつツァーリ(皇帝)が支配する専制国家でした。1905年の革命(第1次ロシア革命)で、ツァーリ権力は譲歩を余儀なくされ、きわめて限られた権限しかもたなかったとはいえ、はじめて国会が開設されました。しかし、その国会も1907年6月にクーデター的なやり方で解散され、選挙制度も大幅に改悪するなど反動支配が復活していました。この反動支配は、当時の首相の名前から「ストルイピン反動」と呼ばれています。

ロシア社会民主労働党の国会議員は追放され、国内の組織は徹底した弾圧を受けました。レーニンも国外への亡命を余儀なくされ、スイスのジュネーブでボリシェビキ派の機関紙「プロレタリー」を再刊して、ロシア国内の党組織の再建にとりくみました。しかしロシア国内では、一方ではメンシェビキ派を中心に、非合法の革命党の必要性を否定し革命運動を放棄する「解党主義」が強まり、他方では、国会選挙のボイコットを主張する「召還主義」など、反動支配のもとでも残されていた合法的活動の余地を利用して労働者に粘り強く働きかけることを放棄する、見かけだけ「左翼的」な日和見主義も生まれました。革命運動からの離反、士気喪失、観念論への傾斜、さらには神秘主義への転落などが広がった時期でした。

こうした反動期に登場した哲学的観念論の代表が、マッハ主義あるいは経験批判論、経験一元論などと呼ばれた潮流でした。批判の対象の中心となっているのは、『マルクス主義哲学にかんする概説』(1908年)を共同して出版したバザーロフ、ボグダーノフ、ルナチャルスキーたちです。彼らは、当時ヨーロッパで広がっていたマッハ主義とよばれた哲学を「現代の認識論」「最新の哲学」として持ち上げ、マルクスやエンゲルスが確立した弁証法的唯物論を「神秘説」だとか「古くさくなった」などと攻撃しました。

“ひざまずきながらの反抗”

しかし、ややこしいのは、彼らが真っ向からマルクスらの見解を攻撃、否定するのを避けて「ひざまずきながらの反抗」(これは「ロシア・マルクス主義の父」と呼ばれながら、当時はレーニンと政治方針のうえで敵対していたメンシェビキ派に属したプレハーノフの言葉です)をおこなったことです。レーニンは、こうしたやり方は「典型的な哲学上の修正主義」だと言っています。「修正主義」というのは、「マルクス主義の基本的見解」を「放棄」しておきながら、それを「公然と、率直に、きっぱりと」主張せず、あたかもあれこれの部分的な「修正」をはかっているかのように装っているからです。

さらに重大だったことは、誤った理論的潮流の中心人物の一人ボグダーノフが、レーニンを含め3人しかいない「プロレタリー」の編集局員の一人だったことです。当時、「プロレタリー」編集局がボリシェビキ派の事実上の指導部となっていたので、これは、革命党の指導部の中枢で、科学的社会主義の哲学的唯物論からの根本的離反が起こったといえるものでした。レーニンがこの事態をどれほど重大に考えたかが分かるでしょう。

哲学論争と政治活動を厳格に区別

しかしレーニンが、ボグダーノフらの批判にじっさいに踏み切るまでは、なかなか複雑な経過がありました。それは、レーニンが1908年2月25日付で作家のゴーリキーに送った手紙から知ることができます(全集第13巻、461~466ページ)。

レーニンは、ボグダーノフの哲学上の見解への批判は明確にしながらも、政治路線の問題ではボグダーノフと一致し、共同行動をすすめるために、哲学での意見の違いは「中立地帯」として脇に置く「暗黙のブロック」を結び、「プロレタリー」の編集にあたっては、「哲学上のわれわれのあらゆる意見の不一致に絶対的に中立」の立場をまもりました。ボグダーノフとの哲学をめぐる意見の対立がはげしくなったあとも、そうした意見の相違がボリシェビキ派の分裂に結びつくことのないように配慮し、「プロレタリー」の編集やボリシェビキ派の活動とは厳格に区別する態度をつらぬきました。

しかし、このことはレーニンがこの論争を軽視していたことを意味するものではありません。レーニンは、ジュネーブの図書館だけでなく、ロンドンにも出かけ大英博物館にも通うなどして、この哲学問題にとりくんでいました。そしてボグダーノフが、国会ボイコット問題(注)を持ち出し、それを経験批判論と結びつけてボリシェビキ派の分裂をひきおこすと、『唯物論と経験批判論』の執筆に踏み切ったのでした。ここには、ボグダーノフらの誤った哲学的見解をうちやぶることを、科学的社会主義の事業にとって決定的な意義をもつ仕事と考えたレーニンの姿勢がよくあらわれていると思います。

(注) 当時のロシアの国会は、ツァーリ任命議員が半数を占める参議院の賛成やツァーリ自身の承認がなければ、法律一つ制定することができないという非常に限られた権限しかもっていませんでした。また選挙制度も、大地主、ブルジョアジー、農民、労働者と四つの階層に分かれた不平等で、何重にもわたる間接選挙というものでした。そのため、最初に国会がつくられたときの選挙では、ボリシェビキ派は、このような国会への幻想を批判するために、ボイコットを呼びかけました。しかし、いったん国会ができ上がったあとは、ボイコット戦術をやめ、たとえきわめて制限された国会であっても、それに参加し、議会活動の合法的舞台を最大限に活用する方針をとりました。当時のロシア国会とその活用については、不破哲三『人民的議会主義』(新日本新書、上、62~65ページ)、『レーニンと「資本論」』第5巻(347~349ページ)を参照のこと。

マッハ主義やその背景にまで深い解明をあたえる

このような事情のため、レーニンは、ボグダーノフらロシアの「経験批判論者」だけを批判して事足れりとするのではなく、彼らが持ち出したマッハ主義についても深い検討をくわえ、さらにマッハ主義が生まれる背景となった19世紀末から20世紀初頭の「物理学の危機」についても解明をあたえるなど、文字どおり徹底した批判をおこなったのです。

そのために、批判のすすめ方でも、『反デューリング論』や『フォイエルバッハ論』などマルクス、エンゲルスの命題を、経験批判論やマッハ主義に対置してすませるのではなく、各所で、弁証法的唯物論の立場から踏み込んだ解明をおこない、科学的社会主義の哲学を発展、前進させています。

マッハ主義のごまかしの手法もくわしく解明

マッハ主義は、一方で唯物論を批判、攻撃しておきながら、他方で、みずからは唯物論と観念論の対立を超えたと主張したり、基本的なところで唯物論を批判しておきながら、別の部分ではこっそりと唯物論的見地を取り入れるなどしていました。ボグダーノフらが、マッハ主義にはまってしまったのも、そういうごまかしを見抜けなかったからにほかなりません。それゆえ、ロシアの経験批判論者は、唯物論とは相容れないマッハ主義の主張を取り入れながら、それが唯物論に反しないものであるかのように描き出したのです。それだけに、レーニンの批判は、こうした首尾一貫しない、ある意味で捕らえどころのない彼らの主張にたいして、唯物論からの離反という太い筋での批判をつらぬきながら、同時に、その矛盾した内容もとりあげて、ごまかしの手法をくわしく解き明かしています。こうした批判の徹底ぶりと、そのなかで随所で展開される弁証法的唯物論についてのレーニンの深い展開も、ぜひ丹念に読み取りたいものです。

不破委員長は、『古典学習のすすめ』のなかで、エンゲルスの『フォイエルバッハ論』にふれて、科学的社会主義の世界観の問題が教科書的な組み立てではなく「波を打つような形で展開」しており、それが苦労ではあっても、古典そのものを読むおもしろさでもあると指摘しています(『古典学習のすすめ』新日本出版社、118ページ)。この指摘は、論争の書である本書にもそのままあてはまるものです。大部な哲学書を読み解く苦労は大きいけれども、その波打つ全体をつかみながら読みすすめるならば、弁証法的唯物論の生きた真髄をつかむことができるにちがいありません。

二つの国際的背景――修正主義の流れと「物理学の危機」

同時に、レーニンが批判をロシア国内の経験批判論者にとどめなかった背景には、さらに当時の国際的な背景がありました。

その一つは、社会主義運動の内部での修正主義の大きな流れでした。哲学の分野では、この修正主義の流れは、ヨーロッパで「カントに帰れ」という合言葉のもとに起こった新カント派の隆盛をうけて、哲学的唯物論への攻撃という形をとりました。そのため、レーニンは『唯物論と経験批判論』のなかでも、くり返し、カントの哲学的立場について詳細な検討をくわえています。

もう一つは、「物理学の危機」とよばれる事態です。19世紀末から20世紀はじめにかけて物理学の新しい発見が相次ぎました。レーニンは、エックス線やラジウムの発見、「電子理論」などを上げていますが、エックス線の発見は1895年、ラジウムの発見は1898年のことでした。しかし、こうした発見とともに、従来の物理学の法則では説明できないさまざまな現象も明らかとなりました。ラジウムは、それまでの物理学が基礎においていた「エネルギー保存の法則」をくつがえすかのように見えました。また、1903年には電子の質量が電子の速度とともに変化することが観測され、「質量不変の法則」にたいする疑惑を引き起こしました。

そこから、一部の物理学者は「物質は消滅した」とか「物質は消滅して、方程式だけが残る」などといって、物質の存在を否定する観念論の潮流が生まれました。マッハもそうした物理学者の一人です。彼は、こんにち音速の単位としてその名前が知られている物理学者でしたが、感覚の外にある実在を否定する彼の哲学はマッハ主義とよばれました。  そのため、レーニンは、『唯物論と経験批判論』で、第5章「自然科学における最近の革命と哲学的観念論」全体をこの問題にあて、「物理学の危機」の哲学的本質を明らかにするとともに、弁証法的唯物論の見地に立ってこそその打開がはかれることを示しました。

物理学の発展方向を見透したレーニンの解明

レーニン自身は物理学の専門家ではなく、また『唯物論と経験批判論』の執筆は物理学の新しい発見がまだ続いているさなかでしたが、そこでのレーニンの解明は、その後の物理学の発展の方向を正しく見透すものでした。日本を代表する物理学者である故坂田昌一氏(名古屋大学教授)は、戦後すぐの時期に、そのことを次のように述べました。

「今世紀〔20世紀〕の初頭、物理学者の陥ったこのような混乱に対しその性格をみごとに分析し物理学のすすむべき正しい方向を指し示したのはレーニンである」「自然科学の研究は自然の客観的実在性を確信した見地、すなわち唯物論に立脚しなければ行なうことが出来ない。自然科学者が初期に抱いていた世界観は機械論的な唯物論であったが、自然科学のその後の発展はこの世界観を崩壊せしめた。しかしこの見地の偏狭性はその唯物論的見解にあるのではなく、その形而上学的性格にあり、科学の進歩を包括するためには弁証法的唯物論にまで上昇することが必要であった。物理学のその後の著しい発展は彼の見透しが正しかったことを完全に証明し、唯物弁証法の有効性が如実に示された」(「原子物理学の発展とその方法」1946年、『物理学と方法』岩波書店、所収)

坂田氏はまた、原子の構造にとどまらず、原子を構成する素粒子の内部の構造にまで研究をすすめようとしたとき、エンゲルスの『自然の弁証法』の言葉とともに、『唯物論と経験批判論』での「電子は、原子と同じように、くみつくすことのできないもの」(下、108ページ)というレーニンの指摘にはげまされたとも語っています(「私の古典――エンゲルスの『自然弁証法』」1969年、同前所収)。

こんにち、物理学の研究は、原子を構成する電子や陽子といった素粒子のレベルから、その素粒子を構成するクォークのレベルへとすすみ、六つのクォークの存在が確かめられています。最先端で研究をすすめる物理学者の研究をはげまし、その後の物理学の発展によって大いに検証されたレーニンの解明は、『唯物論と経験批判論』の大きな魅力の一つといえます。

どうやって読みこなすか――哲学者の4つのグループ

そうはいっても、本書には、たくさんの哲学者、物理学者が登場します。そのうえなれない哲学の問題だということもあって、大変難しく思われる方も多いと思います。私自身、はじめて読んだときは、話の筋が読み取れず、批判の細部に迷いこんでしまって方向を見失ったように感じました。

そういうとき、不破委員長が「『唯物論と経験批判論』によせて」で、登場する哲学者を4つのグループに分けて、その大まかな傾向(「政治地図」)をしめし、この4つのグループ分けとそれに関連したレーニンの論証の方法をのみこんでおくことが大事だとの指摘を読み、ようやく議論の筋道を追いかけることができるようになりました。委員長のこの指摘は、これから『唯物論と経験批判論』に挑戦しようという方にもきっと役立つにちがいありませんので、ぜひご紹介をしておきたいと思います。

唯物論者のグループ

第1のグループは、唯物論者のグループです。もちろん代表はマルクス、エンゲルスです。それだけでなく、18世紀のフランスの思想家ディドロ、マルクスらが唯物論の立場にすすむときに大きな影響をあたえた19世紀のドイツの哲学者フォイエルバッハ、マルクスやエンゲルスと同時代に独自に弁証法的唯物論の見地に到達したドイツの労働者出身の手う学者ディーツゲン、それに前出のプレハーノフなども登場します。彼らは、唯物論の立場に立つという点でマルクス、エンゲルスと共通していますが、さまざまな弱点ももっていて、そこをマッハ主義に突かれたりもしています。ですから、レーニンは、そういう弱点についてもくわしく解明しています。

観念論者のグループ

第2のグループは、観念論者のグループです。観念論者のなかには、客観的観念論の立場に立つヘーゲル(ドイツ古典哲学の代表者)もいますが、ここで問題になるのは主観的観念論や不可知論の哲学者です。その代表的人物として、18世紀のイギリスの哲学者バークリ(「序論にかえて」に登場)、同じくヒューム、18世紀にドイツで活躍した哲学者カントをあげています。それぞれの哲学的立場の特徴については、あとで紹介しますが、レーニンは、マッハ主義の主張を批判するさいに、くり返しバークリ、ヒューム、カントなどの主張と照らし合わせて、彼らが観念論の立場に立っていることを反論の余地のないまでに明らかにするというやり方をとっています。そういう批判のための「基準」としての役割を、これらの哲学者がはたしているといえます。

ヨーロッパのマッハ主義者

第3は、ヨーロッパのマッハ主義者のグループです。代表者は、マッハ、アヴェナリウスですが、ほかに、ウィリー、ペツォルト(独)、ピアスン(英)、ポアンカレ(仏)なども登場します。マッハ主義の特徴は、みずからは観念論、不可知論の立場にたっているにもかかわらず、自分では“観念論と唯物論の対立をのりこえた”と主張しているところにあります。そこで、レーニンは、彼らの主張を、第二のグループの主張と照らし合わせることで、その主張が観念論、不可知論の立場にほかならないことを暴露しています。

同時に、ピアスンやポアンカレは、哲学的にはマッハと共通する立場にたっているのですが、自分たちでは、唯物論を乗り越えたなどと主張することなく、ある意味で“堂々と”観念論の立場を表明していますので、レーニンは、彼らを引き合いに出すことによって、マッハ主義が観念論そのものにほかならないことを証明しています。次々といろいろな哲学者、物理学者が登場するのには、こういう理由があります。

ロシアのマッハ主義者

最後に、第4のグループですが、ボグダーノフ、バザーロフ、ルナチャルスキーなどロシアのマッハ主義者、経験批判論者、経験一元論者のグループです。レーニンが批判の中心的な相手としたのはこのグループですが、彼らは、哲学的にはマッハ主義を基礎においているにもかかわらず、それを「マルクス主義」の哲学そのものだと主張しているところに特徴があります。そのために、レーニンは、ボグダーノフらの主張が観念論であることを明らかにして批判するだけでなく、マッハらの主張にまでさかのぼって徹底して批判したのです。そしてさらに、ボグダーノフらがどういうところでマッハ主義のごまかしの手法にはまったかまでくわしく解き明かしています。

グループ分けを念頭に議論の展開をつかもう

こういうグループ分けをのみこんでおけば、レーニンの議論の展開がぐっとつかみやすくなります。たとえば第1章でレーニンは、まず第1節で、マッハとアヴェナリウスの主張をエンゲルスの主張と対照して観念論としての正体を明らかにし、ついで第2節、第3節で、ボグダーノフらがはまり込んだマッハ主義のごまかしの手法(「世界要素」「原理的同格」など)を批判する、というように展開しています。一見非常に細かい問題を論じているように見えても、実は縦横に議論を展開して、ボグダーノフらの理論的誤りを、文字どおり反論の余地のないところまで追い詰めています。そこが本書のおもしろさでもあり、レーニンが展開している哲学問題の内容とともに、そういう批判の徹底ぶりについても大いに学びたいものです。

全体の構成について

これまで、『唯物論と経験批判論』を読むときに気をつけたいことやどんなふうに読んだらよいかをご紹介しました。こんどは、全体の構成を簡単にみておきたいと思います。『唯物論と経験批判論』のような大部な著作を読むときには、全体の構成を大づかみにでも頭に入れておいて、自分がいま読んでいるところでは何が問題になっているかをにぎって離さないことが大切です。

なぜバークリから始まるか

まず「序論にかえて」です。ここでは、1710年のバークリが登場します。バークリは、18世紀の哲学者で、イギリス国教会の監督の地位にあった聖職者でもありました。バークリは、物は「感覚の集まり」であって、われわれの感覚の外に「外的物体」の存在を「仮定」するのは「不条理な」学説だと主張しました。これをつきつめると、世界に存在するのは自分の感覚だけであって、たとえば他人の存在も自分の「感覚の集まり」に過ぎないということになります。これを「主観的観念論」といいますが、“世界中に存在するのは自分だけだ”という意味で「唯我論」とも呼ばれます。主観的観念論、唯我論の立場がどれだけ不合理なものであるかは、第1章でくわしく明らかにされています。

レーニンはなぜバークリから始めたのでしょうか。それは、ロシアのマッハ主義者たちが自分たちは「最新の科学」「現代の認識論」「最新の実証主義」にもとづいていると主張しているのにたいして、その唯物論批判のやり方が、実は十八世紀のバークリの唯物論攻撃と同じだということをまず明らかにすることによって、ロシアのマッハ主義者の主張がほんとうは少しも新しくないことをはっきりさせるためです。同時に、主観的観念論の代表としてバークリの立場をまず明確にさせておくことで、第1章以下で、マッハ主義者たちの議論がバークリと変わらないことが、反論の余地なく明らかになるという仕組みにもなっています。

観念論にたいする3つの質問

次に第1章から第3章ですが、これら3つの章は、「経験批判論の認識論と弁証法的唯物論の認識論」という共通の表題のもとにあって、本書でのマッハ主義批判の中心をなす部分といえます。そこでは、マッハ主義、経験批判論の理論的基礎と弁証法的唯物論の理論的基礎とが、認識論のあらゆる分野の問題について比較され、マッハ主義、経験批判論の正体が明らかにされています。

まず第1章では、物質が根源的か感覚、意識が根源的かという「哲学の根本問題」を駆使して、マッハ主義哲学の正体が観念論であることを暴露しています。

「哲学の根本問題」というのは、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で明らかにしたものです(古典選書版、30~33ページ)。そこでエンゲルスは、「すべての哲学の、とくに近代の哲学の、大きな根本問題は、思考と存在との関係にかんする問題である」と指摘し、本源的なものは精神、感覚、意識なのか、自然、存在、物質なのかという「この問題に答える立場にしたがって、哲学者たちは二つの大きな陣営に分かれた」と言っています。そして、物質にたいして「精神の本源性を主張し」た人びとは観念論の陣営をつくり、物質を本源的なものとみとめた人びとは唯物論の陣営をかたちづくったと指摘しています。レーニンは、このエンゲルスの指摘を駆使して、第一章では、くりかえし経験から物質へ向かうのか、物質から経験に向かうのかと問いかけ、経験から物質に向かうマッハ主義が観念論にほかならないことを明らかにします。

ところで不破委員長は、“観念論にたいする3つの質問”というものをよく紹介しています。三つの質問というのは、「他人の存在を認めるか?」、「自然は人間以前に存在したか?」、「人間は脳の助けを借りて考えるか?」という3つです。唯物論の立場からは、この三つの質問にはいずれも「イエス」と答えることができますし、それは私たちの常識にかなったものです。ところが、存在するのは自分の観念、感覚であって、物というのは感覚の「寄せ集め」だと考える観念論の立場からは、いずれもイエスと答えることができず、苦しい弁解が必要な矛盾に直面してしまいます。不破委員長がいうとおり、まさに観念論の致命的弱点を突く質問となっています。

この3つの質問は、『唯物論と経験批判論』第1章でのレーニンの批判を、委員長なりに非常にわかりやすくまとめたものです。第1の質問は、おもに第1章第1節と第6節で展開されていますし、あとの2つの質問は、第4節と第5節の表題そのものです。3つの質問を頭において、そのもとになったレーニンの議論がどう展開されているかを読みすすめてみるのも、第1章の読み方として興味深いかも知れません。

不可知論の批判

第2章では、世界の認識の可能性、すなわち人間は世界を正しく認識できるのか、真理とはなにか、真理は認識できるのかといった問題が論じられています。これは、エンゲルスが哲学の根本問題の「もう一つの側面」としてとりあげた問題です。弁証法的唯物論はもちろん、多くの哲学者も、世界の認識可能性を認めるのにたいして、世界を正しく認識できることに異論を唱える哲学的立場があります。後者は一般に「不可知論」とよばれています。不可知論の代表的な哲学者は、デイヴィッド・ヒューム(イギリス、1711~1776年)とエマヌエル・カント(ドイツ、1724~1804年)です。

ヒュームはイギリスの哲学者で、その考え方は「序論にかえて」で紹介されています。それによると、一般の人びとは「外的物体」の存在にたいする「信念」を保持しているが、われわれの心に現前しているのは「心像」にほかならず、「この家」とか「あの木」とかいう場合に、われわれが考えている対象は「心のなかの知覚にほかならない」。したがって、「心の知覚」が、外的対象によってひきおこされるという考え方は「どんな論拠によって証明されることができようか」。外的物体が存在しそれによって感覚が引起こされるという「仮定には、推理する根拠がなにもない」というものです。

もう一人のカントは、ドイツ古典哲学の出発点となった哲学者です。カントは、ヒュームとは違って、われわれの「感覚」の外に「なんらかの物自体」が存在することは認めています。しかし、その「物自体」がなんであるかは認識できないとするのです。つまり、外界とわれわれとの認識をまったく切り離してしまったところに特徴があります。外的実在を認めるという点では唯物論的ですが、認識不可能とする点では観念論的です。レーニンは、「カント哲学の基本的特徴は、唯物論と観念論との調停、両者のあいだの妥協、種類のちがった相互に対立する哲学的方向を一つの体系のうちで結び合わせることである」と指摘しています(下、14ページ)。ヒュームの立場からすれば、「物自体」は認識できないといいながら、その存在は認めるのですから、不可知論としては中途半端だということになります。

不可知論については、エンゲルスが『フォイエルバッハ論』と『空想から科学へ』英語版序文でくわしく論じています。そこでエンゲルスは、不可知論への最大の反論は、実践(「実験と産業」)であることを明らかにしています。そのとき、「プディングをためすことは食ってみることである」(『空想から科学へ』古典選書版、一一一ページ)と述べたことは有名です。レーニンは、そうしたエンゲルスの指摘にもとづいて、マッハ主義がこの不可知論にほかならないことを明らかにしています。

第2章では続いて、「客観的真理は存在するか」(第4節)、「絶対的真理と相対的真理」(第5節)の関係、「認識論における実践の基準」(第6節)について、弁証法的唯物論の立場から基本的な考え方を多面的に深めています。このなかでは、弁証法的唯物論の立場から、物質とはなにかという問題にたいする定義も明らかにされています。

「物質とは、人間にその感覚においてあたえられており、われわれの感覚からは独立して存在しながら、われわれの感覚によって模写され、撮影され、反映される客観的実在を表示するための哲学的カテゴリーである」(上、170ページ)

物質の哲学的概念については、第五章でもさらにくわしく論じられていますが、物質の哲学的定義を明確にしたことは本書の重要な成果であり、ぜひみなさんにもよく学んでいただきたいところでもあります。

なお、不可知論の代表的な哲学者であるカントの哲学とマッハ主義の関係については、第四章でもくわしく論じられています。

物質とはなにか

第3章は、物質と経験、因果性と必然性、世界の統一性、空間と時間、自由と必然性など、哲学上の基本的概念をとりあげて、弁証法的唯物論の立場から積極的にその内容を明らかにしています。ここでも第二章と同様に、レーニンは、『反デューリング論』でエンゲルスが展開した問題を、さらに深め、発展させています。

ここでは、エンゲルスの哲学の根本問題の見地からマッハ主義は念論だとするレーニンらの批判にたいし、マッハ主義者が、そのような批判は古い「定式」の繰りかえしに過ぎないといって反論していることが取り上げられています。そのなかで、レーニンは、物質と精神という概念は認識論上もっとも広い概念であって、どちらを第一次的なものとみなすかという以外の定義をあたえることができないということをくわしく明らかにしています(上、194~195ページ)。

同時に、レーニンは、「物質と意識の対立」が「基本的な認識論的問題の限界内でだけ、絶対的意義をもっている。この限界のそとでは、この対立が相対的であることは疑う余地がない」(上、196ページ)と指摘することを忘れていません。これは、“唯物論は物質万能論だ”“唯物論は、人間の意識の役割を無視している”などといった唯物論攻撃があいかわらず繰りかえされているなかで、大事な指摘だといえます。

また第3章では、さらに自然における因果性、必然性とはなにか、世界の統一性をどうとらえるか、空間と時間、自由と必然性の関係をどうみるか、など哲学上の基本的概念をとりあげて、マッハ主義と弁証法的唯物論の2つの立場の違いを克明に明らかにしています。

ここでの議論は、一見するとかなり抽象的なもののようにも見えますが、たとえば、“21世紀の早い時期に民主的政権を実現することには、国民的な必然性がある”と言うとき、その「必然性」とはどういう意味か、その基礎理論的な内容がここで解明されています。また、第6節「自由と必然性」では、「自由とは必然性の洞察である」という命題(これは、エンゲルスが『反デューリング論』のなかでヘーゲルの主張としてのべたものです)の意味をくわしく明らかにしています(上、253~256ページ)。

観念論のなかのマッハ主義

第4章は、マッハ主義の観念論としての本性を、観念論の他の潮流との関係をみることで明確にした章です。とくに、カント哲学との関係でマッハ主義の位置が論じられていて、弁証法的唯物論がカント哲学の観念論的側面を批判するのにたいして、マッハ主義がカント哲学を主観的観念論の立場にさらに徹底する方向で批判していることが明らかにされています。同時に、マッハ主義によって利用されたプレハーノフやディーツゲンの弱点も解明されていています。

「物理学の危機」の解決

第5章は、マッハ主義などの潮流を生み出した背景にある「物理学の危機」の哲学的本質を明らかにしたところで、本書のいちばんおもしろい部分でもあります。

マッハらが自然科学者でありながら、自然、物質の実在性を否定する観念論に落ち込んだ背景に、「物理学の危機」とよばれる事態があったことは、はじめに紹介しました。レーニンは、マッハ主義が登場した背景に、そうした「危機」から生まれた「物理学的」観念論ともいうべき国際的な観念論哲学の潮流であることを明らかにしています。そして、「物理学の危機」の哲学的本質が「古い諸法則や基本的諸原理の崩壊に、意識の外の客観的実在を捨て去ったことに、すなわち唯物論を観念論や不可知論にとりかえたことにある」と指摘しています(下、102ページ)。

それを象徴するのが「物質は消滅した」(これは、フランスの物理学者ウルヴィーグの言葉です)という言葉ですが、レーニンは、その意味を明快に明らかにしました。

「『物質が消滅する』ということは、われわれが従来、物質についてそこまで知っていたというその限界が消滅したこと、われわれの知識がさらに深くすすんだことを意味している。以前には絶対的、不変的、本源的と思われていた物質の性質(不可入性、慣性、質量、その他)が消滅し、いまではそれは、物質のある状態にだけそなわっている相対的なものだということが明らかにされている」(下、105ページ)

新しい物理学のさまざまな発見は、実は「弁証法的唯物論をかさねて検証するものにほかならない」のに、物理学者たちは「弁証法を知らなかった」ために、観念論に落ち込んでしまったのです(下、106~107ページ)。

「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」で、レーニンが弁証法を「永遠に発展していく物質の反映をわれわれにあたえる、人間の知識の相対性についての学説」と特徴づけていることは、すでにみなさんも学習されたことと思います。「三つの源泉」ではごく簡単にしかのべられていませんが、短い論文のなかでわざわざこの問題に言及したのも、マッハ主義との論争をつうじて、この問題の重要性を痛感していたからでしょう。

史的唯物論と哲学の党派性

第6章は、社会科学の分野に持ち込まれたマッハ主義の理論を批判した章です。レーニンは、あらためて史的唯物論の意義を明らかにしていますが、そのさい、認識論という角度から問題を論じているのが特徴です。

また、第4節で、「哲学における党派性」の問題が取り上げられていて、思想闘争、理論闘争における原則的な立場が明らかにされています。このなかで、レーニンは、問題が認識論や経済学の一般理論といった「党派的科学」の分野になった場合は、断固として党派性をつらぬかなければならないことを強調するとともに、「事実にかんする専門的研究分野」では、科学的社会主義とは異なる立場に立つ専門研究者が「このうえもなく価値ある仕事をする」ことを評価し、その業績を「わがものに」することなしに研究を一歩もすすめることができないと指摘しています。

これは、レーニン自身も実践してきた研究態度でした。『帝国主義論』(1916年)の執筆にあたって、レーニンは、さまざまな立場の研究者の著作や統計資料を徹底的に調べぬいて、そこから議論の余地のない「国際的な相互関係における世界資本主義経済の外観図」を描き出すことに全力をあげました。そのためにレーニンが残したノート類は、いま『帝国主義論ノート』(レーニン全集第39巻)としてまとめられていますが、そこには148冊の単行本、49種類の定期刊行物に載った232本の論文、統計資料からの抜き書きが収められているということです。

レーニンは、「マルクス主義の三つの源泉と三つの構成部分」(独習指定文献初級)で、科学的社会主義は「世界文明の発展の大道」にそったものであり、人類が生み出した「最良のものの正統な継承者」であると強調していますが、それは、このような人類知識の発展の成果を「わがもの」にする努力のうえになりたつものであり、私たちも、それをみずから実践したレーニンの態度に学ぶ必要があります。

レーニンのその後の哲学研究の発展から――不破委員長の『レーニンと「資本論」』での解明に学ぶ

以上、『唯物論と経験批判論』の魅力や特徴を紹介してきました。『唯物論と経験批判論』は、観念論哲学との論争をつうじて、弁証法的唯物論の見地を前進、発展させた重要な文献ですが、同時に、レーニンの哲学研究はそれで終わったわけではありません。とくに、『カール・マルクス』執筆にあたって、レーニンは、ヘーゲルの『大論理学』を読み返すなどさらに哲学の研究をすすめています。

不破委員長は、『レーニンと「資本論」』第3巻(マルク主義論)のなかで、そうしたレーニンの哲学研究の成果を明らかにしながら、観念論や不可知論の哲学批判の新しい方向を取り上げています。

委員長はそのなかで、エンゲルスが不可知論者を「はずかしがりの唯物論」と呼んだ意味合いに触れ、不可知論が哲学の分野ではけっして観念論の反動的なかたちではなく、唯物論を事実上うけいれざるをえなくなっていて、それゆえに「物自体」の認識不可能性というところに最後の逃げ道を求める哲学、「唯物論への接近の形態ともいうべき性質をもっている」こと、その点でレーニンの『唯物論と経験批判論』での批判が、不可知論を反動哲学として一括されるなどの弱点をもっていたことなどを指摘しています(同書、113、117ページ)。

私自身、「はずかしがりの唯物論」というエンゲルスの指摘を、もっぱら不可知論者にたいする一種のののしり言葉のように理解していただけに、この委員長の指摘は非常に新鮮に受けとめ、自分の理解の至らなさを反省させられました。不可知論が唯物論への接近の形態としての性格を持つことをきちんとふまえたうえで、不可知論を批判するにあたっては、「実践的には、唯物論をかげでうけいれていながら、人まえではこれを否認する」(エンゲルス『フォイエルバッハ論』新日本出版社、古典選書シリーズ、36ページ)という不可知論の「矛盾の解明をふくめた、内在的、論理的な批判」(不破『レーニンと「資本論」』第三巻、114ページ)が必要だという指摘は、不可知論批判をさらに発展させるうえで重要な提起だと思いました。

同書では、『唯物論と経験批判論』の内容やそこでのレーニンの解明の意義がくわしく明らかにされていますので、右に紹介した委員長の提起を含め、こんにち『唯物論と経験批判論』の学習を志されるみなさんが、ぜひ参考にされることをお薦めします。
  1. 2017/08/01(火) 06:18:09|
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