古本屋通信

有田は小田・上田対談の編集者?

古本屋通信   No 2706    2017年  07月28日  

    
 有田芳生は本当に 『文化評論』(小田・上田対談)の編集者だったのか?

 私は通信 No 2699中の住井すゑを貶した文脈で、私とは正反対の住井評価をされているマーブルさんの文を引用した。まあ全文が異論なのだがそれは措いて、具体的な事実について間違いだと思った箇所があった。その個所に( )を付けて私の文を赤字で挿入した。そうしたら間もなく福山の同業者の神原卓志さんから連絡があり、この件に関しては有田が自分のツイッターで証言しているからウソではないのではないかと言う。有田の発信も示してあった。私は直ちにそれも読んだ。然し俄かには信じられず、とりあえず青字で追加の書き込みをした。ここまでが昨日の事であり、以下が其の該当部分の再録である。   

 マーブルさんの文に私が二度書き込みを挿入した箇所・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 有田氏は父親の影響もあり、大学時代から日本共産党の熱心な活動家であった。上田耕一郎に師事し、『文化評論』の編集者(これは違うだろう。有田は新日本出版社の社員ではあったが 『文化評論』の編集者ではなかったろう。上田と小田実の対談を企画したのが彼だったのか? この件に関してご指摘があった。有田自身が対談の担当は自分だったとツイッターで言っているというのである。ウーン、私も曖昧だったから?を付した。確かこの件はホントに???だ。企画に一枚噛んでいて、司会をしたかも知れない。だが私には有田が『文化評論』の編集部員だったという認識はない。当時ずっとこの雑誌を購読していた。編集者は黒子だが、ずっと読んでいたら、それとなく分かるもんだ。しかし白黒と断定は出来ない。それと、有田は過去の自分に関する事で、証拠がなければ平気でウソを言う。川上さんとの交流について私がウソだと書いたら、有田本人からウソじゃあないと投稿があった。それも私は残しているが、確定的な証拠はないでもあった。市民運動に参加する中 で、党外の人脈を育てていったと考えられる。共編者の松岡氏は、元毎日新聞の論説委員。僕の記憶はあいまいだが、たしか83年の都知事線で悪名高い鈴木俊 一知事に対抗する革新統一候補であった。負けたとはいえまだ社共共闘がまがいなりにもあった。そもそも社会党が存在した。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


  古本屋通信

 ところがさっき東大新聞を読み進んでいたら、奇妙な記事に出くわしたのだ。東大新聞が雑誌の編集者にインタビューする記事であり、1981年(昭和56年)8月3日号である。『SFマガジン』 とともに 『文化評論』 を取り上げている。『文化評論』 編集長の河邑重光氏が取材に応じている。この雑誌について喋っているのだが、アレッと思った箇所だけ引用する。

ーーー最近の企画では小田実氏と上田耕一郎氏との対談をたいへん面白く読みました。あの企画がどのようにした実現したのか,あるいは小田氏のように共産党に対しても言いたいことを言う人を誌面に出すことの意義を考えるのか、という点については・・・・。

河邑 小田氏は安保破棄、革新を願うという立場では、同じ立場に立てる人ですよね。であれば、大いにそういう人たちの意見も載せますし、『文化評論』という場所を提供して共産党の人たちとも大いに討論してもらう。そのことは、むしろ意識的に追究しているんですね。小田さんの場合は、こちらに出ていなかったという事で、意外性があるかもしれませんが、同じようなことを言いますと、次の二月号でも星野安三郎さん、伊藤成彦さんにも出てもらっていますね。だから、小田さんが出るというのは、それほど突飛なことではないんです。

 
 別にどうということのない記事に私がアッと思ったのは、この対談の司会者が当時の 『文化評論』編集長の河邑氏だということを思い出したからだ。まず間違いない。私は田舎の倉庫に確実に保管している。対談には司会者の名前も明記されていよう。さあ、探すのが大変だが、私は 『文化評論』 と 『前衛』 と 『民主文学』 の重要号は確実に保管している。余談だが 『文化評論』 のこの号(一月号?)がなぜ重要かと云うと、後になって小田氏の別の論稿が 『民主文学』1983年4月号に掲載された。この4月号が後に大問題になるのだ。この号には党を除名された「対外盲従分子」の野間宏といっしょに訪中した小田の論稿が掲載された。更に其のうえで編集後記に小田の訪中記に礼をいう文言を掲載した。編集後記を書いたのは 『民主文学』 編集長の中野健二だった(四月号事件)。コレがやがて文学同盟の組織の分裂と、『葦牙』創刊に発展する。その関連で、この上田・小田対談も問題になったのである。しかしこの対談自体は党(宮本顕治?)の非難する所とはならず、上田も河邑氏も責任を問われなかった。
(上記に一部混乱があり記述がチグハグしました。解決しましたので上記を確定稿とします。神原さん、色々有難うございました。有田が当時 『文化評論』 の編集部員であったという事実もあったかも知れませんが、私があくまで私の心証で書いたエントリーとして、このママにしたいと思います。河邑さんもこういう瑣末な事で証言しないでしょうから)。
 それよりも私が激しく違和感を持ったのは、この企画を担当したのが有田ということだ。私は一瞬あり得ないと思った。有田の役目は3人にお茶を出すこと? 有田のようなチンピラに企画が出来ようが筈ないのだ。ここでは編集長の河邑でさえも実務者に過ぎない。上田が一人でお膳立てして実行した。さらに言えば、この企画は上田の宮本顕治に対する批判だと言われている。間違いない。たぶん弟の不破にも相談していない。そんな危険に有田ごときチンピラがどう関われるというのか。

 然し、これも死人に口なしである(ありゃ河邑は生きていた。27大会で名誉役員77歳)。有田はいつもそうだ。自分を大物に見せるために小細工を施すのだ。状況証拠しかないと見たらトコトン嘘をつく。その嘘をどういう言い回しでついているのか、神原さんの教えてくれた有田のツイッターを再度訪れてみた。


有田芳生‏認証済みアカウント @aritayoshifu
小田実・上田耕一郎対談を担当し「文化評論」に掲載したとき、上田さんの名前を先にしました。そのことを「お招きしたんだから小田を先にしないと」と上田さんに叱られました。高校時代から読んできた筆者でいまも健筆をふるっているのは、不破さんと大江健三郎さんだけになってしまいました。

有田芳生さんが追加
有田芳生認証済みアカウント @aritayoshifu
渡辺治✖️不破哲三『現代史とスターリン』は不破『スターリン秘史』(全6巻)の解説対談。メドヴェージェフ兄弟のスターリン研究をさらに深めた国際水準に達する内容だ。テロルの時代など国内問題の分析に終始した研究からポーランド占領など対外政策…
0:56 - 2017年6月19日



 まあ惨いもんだな。最終は不破哲三をターゲットか。これじゃあ志位もお手上げだナ。ちゃんと読んでる。然しこのペテンに不破は引っ掛からないだろう。不破のトロツキズム帰りが立身出世主義者の有田に理解できる訳がない。理解できたら民主党には行ってないワ。

 しかしこの男、敵は多いと見える。ツイッターには罵倒が溢れている。しかしその援用に古本屋通信記事が引用されている。参ったナ、もう。

ひなた‏ @hinatakanata31 · 6月20日
返信先: @aritayoshifuさん
共産党追い出された人間が何を抜かす?笑
スターリン?
…ただの人殺しじゃないですか。
それにひきかえ日本のヨシフスターリンさんがショボイおかげで毎日愉快に暮らさせていただいてますよ。
あなたのツイート見る以外。笑

返信先: @aritayoshifuさん
脳味噌内に規制中、便所イデコオロギーが巣食っている連中が言うことは滅茶苦茶過ぎて理解できんw
で、テメェは何が言いたいんだ?

返信先: @aritayoshifuさん
おまえみたいなフリーライター気取りって、一般的な常識を知らなそうだよね。それがまたコンプレックスになって、知ろうともせず、どんどん極端な方へ行っちゃうっつう。

プロフィールに堂々と「ジャーナリスト」と明記する、しかし実態は、こういう知能レベルの阿呆ですからねぇ~

弁信‏ @takiwasa · 6月19日
返信先: @aritayoshifuさん
>小田実・上田耕一郎対談を担当し「文化評論」に掲載したとき、上田さんの名前を先にしました@aritayoshifu

そりゃそうだね。

[父・有田光雄の息子として党内出世をめざし、新日本出版社に職を得て、そこで上田耕一郎に取り入る]

古本屋通信     No 1223  1月12日
追悼・川上徹 (出版社・同時代社代表 再建全学連初代委員長)
  1. 2017/07/28(金) 17:50:08|
  2. 未分類