古本屋通信

加藤哲郎は除名ではなく除籍

古本屋通信   No 2699    2017年  07月27日  


    加藤哲郎は除名ではなく除籍でした

 デボーリン君から2チャンネルで以下の指摘がありました。よく読んでいるね。ご指摘ありがとう。訂正しました。意識的デマではなくケアレスミスでした。既にこの頃は除名は一般的ではなく、本来除名にすべきケースも全て除籍にしたようです。有田芳生も除籍でした。尚、除名は処分ですが除籍は処分ではない、だから今回の有田の赤旗登場も共産党にとって「合法」だという理屈でしょうね。ただ、本来除名にすべきなのですから、復活はあり得ません。まあ除籍した有田が民主党の国会議員になったという初めてのケースなので、共産党も困ったのでしょう(あとになってキンピーサイトのKM生さんが田英夫が離党して社会党の参院議員になったケースを書かれていた。これは私もジャーナリスト会議の方から聞いて知っていた。田は除名ではなかったし非公然党員だから問題にならなかったが、それでも同席は避けるべきだろう。彼はのちに社民連に行ったり、また離れて赤旗に登場したり、腰の落ち着かない男だった。なら議員になどなるべきではなかっただろう)。

 『日本共産党への手紙』掲載の加藤哲郎の論稿は、別にどうということのない暗示的な党批判でした。掲載された論の中で、党が特に目くじらを立てたのは、他には藤井一行と田口富久治の論でした。藤井はすでに離党しており、田口はその後に離党したと記憶しています。私は彼らの論それ自体が反党的だとは思いませんでした。ただこの3人を含めて、住井すゑなどと抱き合わせで出版を企画した有田の意図は明らかに党を貶める企画でした。だから除籍に相当すると思いましたね。私が一番アタマにきたのは住井でしたね。ホンマに糞ババア(下に他人の引用を貼っておくが、私は『橋のない川』の階級的本質を見てしまった気がしましたね)でした。



719革命的名無しさん (ワッチョイ)

2017/07/26(水) 19:42:05.070
加藤哲郎が除名されたというデマを流す古本屋通信。加藤哲郎は除名ではなく除籍。


720革命的名無しさん (ワッチョイ)
2017/07/26(水) 21:56:58.600
加藤哲郎って共産党員だったんだ。知らなかったよ。


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 尚、私の『日本共産党への手紙』 論は既に消していますが、その一部を引用したツイッターがネット上に残っていましたので貼っておきます。

弁信‏ @takiwasa · 2016年5月23日
返信先: @aritayoshifuさん
>最後までかばってくれたのが、上田耕一郎さんと吉岡吉典さん@aritayoshifu

[これを読むかぎり上田耕一郎にも感心しなかった。有田がエリート主義だとすれば、上田はエリート育成主義だ。上田の生涯の不名誉の一つだろう] http://matinofuruhonya.blog.fc2.com/blog-entry-85.html


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   古本屋通信

 せっかくデボーリン君の指摘でエントリーを立てたので、ここに比較的「高級な」ネット右翼のマーブルさんという方の記事を貼っておこう。私はこういうレベルを改めて批判するほど暇ではないが、もし私の読者でマーブルさんのい言われることを尤もだと思う方がいらっしゃるなら、私のブログは無理だからお引取りくださいね。レベルが一枚違うんです。この方、紛れもなくネトウヨなんですが、彼のネトウヨ独特の手法が理解できないうちは左翼ブログは理解出来ません。それが理解できるデボーリン君やマル彦氏とは、私は話が出来るのです。


 なつかしい本「日本共産党への手紙」 松岡 英夫,有田 芳生(編) 
 : Marbles

「日本共産党への手紙」 松岡 英夫 (編集) 有田芳生 (編集) 出版社: 教育史料出版会 (1990)
元大阪府知事の黒田了一さんをはじめ、有識者から日本共産党へつきつけられた十五通の手紙。

左はみんな一緒だと思っているような右寄りの方々、党批判者はみんな一緒だと思っているような共産党員、彼らにもこの本はすすめたい。立場も意見も違うたくさんの人達が、自由とか友愛といったテーマをこんなに共有し、しかもそれぞれの言葉が違っていて何とカラフルなんだろう。

かつて日本共産党の路線や社会主義というイデオロギーに、深く疑問を抱いて悩んでいたころ、タイムリーに出たこの本の様々な論者の意見に影響を受けた。数年後の自分の離党につながったのだから、この本を禁書としたミヤケンの読みはとても当っていたと思う(笑)。

最初に買ったのを共産党員の知人に「いい本だから読め」と貸してやったら2度と返してくれなかった。彼も焚書としたかったのだろうか。後年また読み たくなってわざわざ買い直した。今では中古でしか手にはいらないようだが、いい本なのでまたどこかから、出してほしい。でもこの本の強い需要が生まれるに は、共産党が強くないといけないからムリかな。この本が出た時代、まだ共産党の鼻息はなんとか聞こえていた。

編者の一人である有田氏は、統一教会及びオウム問題の評論で名が売れた。彼がカルトにこだわったのは、人がものごとを信じるときの心の仕組みに興味 を持っていたからだと思う。そのベースには除籍された日本共産党での体験が何らかの発想としてあるとにらんでいる。有田氏の名前 "よしふ" はスターリンの"ヨシフ"らしい。この名前を付けた父は日本共産党京都府委員会副委員長であった有田光雄氏だとか。昔このお父さんの「民主経営」論を読ん だことがあるが、まあなんて重い名前を我が子に付けたんでしょう。
有田氏には、ネットでいろいろ批判もあるが、いまやTVによく出るジャーナリストとなった彼、出る杭はなんとかであってしかたあるまい。(ここは本の論評なので、有田氏についてのいろんな意見はまた機会あれば考えてみたい。)

有田氏は父親の影響もあり、大学時代から日本共産党の熱心な活動家であった。上田耕一郎に師事し、『文化評論』の編集者(これは違うだろう。有田は新日本出版社の社員ではあったが 『文化評論』の編集者ではなかったろう。上田と小田実の対談を企画したのが彼だったのか? この件に関してご指摘があった。有田自身が対談の担当は自分だったとツイッターで言っているというのである。ウーン、私も曖昧だったから?を付した。確かこの件はホントに???だ。企画に一枚噛んでいて、司会をしたかも知れない。だが私には有田が『文化評論』の編集部員だったという認識はない。当時ずっとこの雑誌を購読していた。編集者は黒子だが、ずっと読んでいたら、それとなく分かるもんだ。しかし白黒と断定は出来ない。それと、有田は過去の自分に関する事で、証拠がなければ平気でウソを言う。川上さんとの交流について私がウソだと書いたら、有田本人からウソじゃあないと投稿があった。それも私は残しているが、確定的な証拠はないでもあった。市民運動に参加する中 で、党外の人脈を育てていったと考えられる。共編者の松岡氏は、元毎日新聞の論説委員。僕の記憶はあいまいだが、たしか83年の都知事線で悪名高い鈴木俊 一知事に対抗する革新統一候補であった。負けたとはいえまだ社共共闘がまがいなりにもあった。そもそも社会党が存在した。

そしてそこからこの本が出た90年前後は、ソ連東欧共産圏の崩壊、東西ドイツの壁がなくなった時代。この間は共産党には激動の時代であり、以後党に とって寒い時代が始まる。有田氏は、この本の著者たちの論文が全て(全てと言い切っていいだろう!)党を批判するものであったこと、執筆者に除名者がいた ことの責任を問われ党規律に違反したとされて1990年に除籍された。この辺の経緯は氏の古いほうのサイトに詳しい。

僕が高校生だった頃、「田口・不破論争」 というのがあった。田口氏の論点は、「共産党が真に民主的な社会主義をめざすなら、現在の民主集中制の在り方を見直す必要がある」というものだった。大学 生になった頃の僕は「前衛」などに載った論文を読んでなんとなく田口氏のほうが正しい気がしてたんだが、あまりおおっぴらには口にしなかった。なんせ「民 主集中制」に従っていたんで....(悲)。でもけっきょく、東欧の共産党政権崩壊後にヨーロッパでできた政権は、田口氏の言ってた形態に似ていたと思っ た。この本をはじめて読んだ時、加藤哲朗氏、藤井一行氏がこの問題に言及されており感銘した。

今の若い人は「民主集中制」といっても何のことかわかんないだろな。マルクス・レーニン読めって言ってもちょこっとしか売ってないしナ。

僕は共産党批判をするとしても、普通の人々が持つ「自由・平等・友愛」の感覚というものを堀下げることで批判をしたい。この方向は単に共産党批判にとどまらないことは言うまでもない。そういう論点にとってこの本はバイブルである。
社会主義の議論については長くなるのでやめておく。この本が手にはいるなら、加藤哲朗、藤井一行、田口富久治各氏の文章をよむべし。

ここでは最後に、かの「橋のない川」の作者、小林多喜二以外の「民主文学」はクソだと言い切るGoodな住井すゑさんの言葉でしめくくりたい(「ゑ」は「we」とかで変換ネ)。

「共産党の理 論の『切れ味』がよすぎるというのも私はこわい。物事は鋭い刺身包丁でマグロを切るようにはいかないんです。私の知っている指導者は、鋭い包丁でピタッ、 ピタッと一匹のマグロを刺身にできる。刺身好きな人にとっては結構な料理人かもしれないけれど、マグロにしたらかわいそうです。
人間として鋭すぎるための非情さが共産党にはある。大衆も何とはなしに感じるのではないでしょうか。近寄ると切られるような気がするから、近寄らない方がいい。そういう感情です。」


指導者の手で「マグロの刺身」にされた皆さんが、泣いてうなずきそうである。



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   再録


   古本屋通信   No 1223  1月12日

   
追悼・川上徹

  (出版社・同時代社代表 再建全学連初代委員長)

 たった今、キンピーサイトで川上徹氏(以下では川上)が1月2日に死んだと知った。私はこのサイトは毎日訪れるのに、このニュースを見落としたのは不思議だ。いちおう 「追悼・川上徹」 としたが、いわゆる追悼文を書きたくない気持ちが強い。断片的に細切れの想いを述べたい。


 キンピーサイトは宮崎学HP経由である。川上が晩年の出版活動で宮崎を使った。宮崎だけでなく色々使った。私に違和感はない。そもそも 『査問』 からして「証言」であった。川上は出版業をよく知っていたと思う。


 私は学生時代、何度か川上の演説を聞いている。何時も新保寿雄といっしょだった。私の印象は牧梶郎のそれと似ている。ただし私は 『査問』 に不満は持たなかった。川上はシンヒヨを早期に相対化できた。私は油井よりも川上を支持する。


 川上の「同時代社」は私の古本屋のヒントだった。私は終生の川上を尊敬した。たしょう意味は違うが、私の中で川上と同等な意味を持っているのは、宮本顕治と古在由重だろう。年齢では川上が近い。1964年夏、私は平民学連の7月集会で初めて川上を見た。私は18 歳で川上は既に25歳だった。


 さっきネット検索した。宮崎は不愉快ではない。しかし有田芳生が飛び込んできた。こういうのが「お別れ会」に集うんだろう。ゾッとする。まあ、出版社の代表だったんだからな。そういえば『査問』の文庫版あとがきは加藤哲郎の執筆だった。これも気に食わない。


 私の心象では、1960年代の青年学生運動経験者の中で、党の中でずっと生きてきた者は少ない。殆んどが離党しているか、党に残っていても表に出ていない。党中央委員会に上ったのは田熊和貴だけだろう。また反共に堕した者を私は知らない。まあ古本屋通信が平均値だろう。


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 キンピーサイトのコメントから、ひとつだけ転載させて戴くことにした。


6. 常陸国原住民
2015年01月11日 13:51
川上徹氏が死去されたとのこと。川上氏への思いを下記HPで牧氏(雑誌[葦芽]編集長)が語っています(多分1990年代末)。牧氏の思いの多くに私は共感しています。それは牧氏と私が世代を同じくするからでしょう。
http://www1.odn.ne.jp/ashikabi/JN-18maki.htm
川上氏の演説の説得力に伍した演説といえば本ブログでもしばしば登場する論客・河内賢策氏のそれであったと私は記憶します。
http://j55.pw/LNmc 
梶氏はK党に深い失望を抱きながらも、数%の可能性を、この党の全うな道への回帰を期待する風です。が、私は2011年雑誌[世界]1月号での朝日新聞社記者の投稿記事冒頭部分で、この党の本質、つまりこの党の権力・傀儡から逃れ得ない定めを見、「この党が支配勢力の補完部隊である」と断じています(今般の選挙がまさにその証)。
川上氏が、今しばらく長生きし、思うところを全て後世の人間のために活字で残して欲しかったと残念に思っています。氏のご冥福をお祈りいたします。



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  追加

 上記の拙文を書いた数時間後に、以下の有田芳生文をネットで発見した。グーグルで発見できた川上徹の追悼記事は多くなく、有田のツイートに続いて古本屋通信が出てきた。一瞬、有田が論難しているのは拙文かなと思った。しかし有田の日付けは6日だから、私ではない。私だけでなくペテン師にアタマにきた人間はいたらしい。まあ、せっかくだからこのさい叩いておこう。



 2015-01-06 12:04 (6日前)  有田芳生 @aritayoshifu
先輩の訃報を知りました。拉致問題をめぐり対立があり、お互いに会うことを避けていましたが、いつしかそんなことがつまらないことだと思うようになりました。神保町の酒場でばったり遭遇、むかしのように話をしました。「戦後民主主義が消えたね」特定秘密保護法が可決されたときの言葉が強烈でした。


 有田文の以上が上段、以下が下段。

2015-01-06 20:11 (5日前)  有田芳生 @aritayoshifu
午前中、大切な先輩が亡くなったことをツィートしました。それを揶揄するいくつかの書き込みを、いま見ました。許せない!人間は、どこまで歪むことができるのでしょうか。哀しい人格に哀しみを覚えます。




 古本屋通信

 ちょっと私の勘違いがあった。有田を揶揄したのはネットウヨだったようだ。しかし「ペテン師有田」は変らない。 

 上段は全て有田の作り話だろう。死者に口なしである。証拠は何もない。まあ川上は言わんだろう。有田は上田耕一郎の時も上田が死んだ後にデタラメをやった(HP内に「上田耕一郎という学校」)。疑われるのがいやだったら、証拠が残っている話だけを持ち出すことだ。これはウィキの記事だって注意される。酒場の第三者でも見つからない限りボツだろう。今回はそこまで書かぬが、ここに有田が書いていることが全部ウソだという状況証拠はある。それは私が慧眼だからではない。川上と同時代を送ってきた世代は容易に気付くだろう。

 下段はネットウヨに怒っているのだが、まあ、ネットウヨといいとこ勝負だろう。エゲツナサでは有田が勝っているだろう。

 「大切な先輩 いつか書いた記憶があるが、このオトコは本当にゲスだ。有田にとって川上が「大切な先輩」である理由は一切ない。あるというなら示せ。1972年の新日和見主義摘発事件のあと、シンヒヨ残党一掃の関西大運動の中で、有田は喜々として (立命館大学で) 入党した。党活動を継続した父・有田光雄の息子として党内出世をめざし、新日本出版社に職を得て、そこで上田耕一郎に取り入る。何を隠そう、上田こそ党中央に於けるシンヒヨ狩りの中心人物だった。上田は川上本人の査問にも立ち会った。なにが 「大切な先輩」か。反吐が出る。上田の 『先進国革命の理論』 こそシンヒヨ狩りと表裏の関係にあった。

 私は有田が権力のスパイだとは思わない。しかしもっと悪い。立命館大時代から一貫した有田の手法がある。目的(自分の上昇)のためには手段を選ばないのだ。父・光雄の生死は知らぬが、生涯共産党員だったろう。この息子は父を利用し、京都の共産党を利用し、上耕を利用し、民主党を利用し、いまホヤホヤの死者である川上徹を利用する。

 私はそこまでは言いたくないが、統一協会もオウムも拉致事件も利用したとしか思えない。

訂正 有田の入党時の基礎組織(細胞あるいは支部)について、誤りだと投稿で指摘された(入党時期の指摘ではないが、投稿者の18歳入党説で計算すると、有田の入党は事件2年前の1970年ということになる)。詳細をご存知の方なのであろう。こういう問題で確定的に断定することは難しいが、私に「立命館入学後」と断定するデータがない以上、上記の傍線部分を削除し、「党活動を継続した」と訂正する。尚、このディテールは私の文脈にとって副次的だと考える。よって議論に及ばないだろう。問題は以後長期にわたって彼が日本共産党員であり続け、党副委員長・上田耕一郎の庇護の下にあった事だ。それは今では削除された彼のHPの記事「上田耕一郎という学校」で赤裸々に語られていた。そこには新日和見主義の一語も、川上徹の一語もなかったのである。

追加投稿に就いて その後、同じ方から有田の高校時代、浪人時代の民青と党生活について擁護的な投稿があった。それで分かったことだが、投稿者の典拠は彼の実体験ではなく、有田自身がブルジャーで語ったことに過ぎなかった。すでに私が繰り返し述べたように、有田の証言はデタラメであることが多い。私は全く信用しない。このエントリーもその趣旨である。投稿者が有田証言の真偽についてどう考えるか、それは投稿者の自由である。しかしそれをめぐってここで遣り取りする気はない。投稿板としても相応しくないと考える。よって今回の投稿を削除する。
 また、上記の第一投稿も、自身の体験からではなく、有田に直接訊いたことでさえなく、有田がブルジャーで語ったことに過ぎないと判明した以上、訂正を取り消すべきであろう。しかしこれに気がつかなかったのも私である。京大目指して3浪は周囲も見ていることであろう。この件限定で証言を採用するにやぶさかではない。上記はママとする。
 投稿者にお願いします。私は有田不信任の文脈で記事を書いているのです。あなたがそれに違和感を持たれ、「いやこれは斯く斯くの理由で信用できる」との投稿をされる。私はそれがあなたの実体験に依るものだと見做して採用した。然しそれは私が全く信用していないブルジャー上の有田の発言のコピーだった。これは初めから投稿がスジ違いなのです。有田が信用できる人間であると見做すのはよい。その趣旨で投稿するもよい。しかしその根拠がなっていないのです。ハンドルネームからは、訂正癖のある方だとお見受けしました。以後の投稿はくれぐれも私の趣旨を踏まえてお願いします。
 尚、今回は初めてのあなたの「未熟」でしたから、出入り禁止にはいたしません。しかし有田問題での再々投稿は無条件に削除し、以後は出入りを禁止します。そして今回の私の見解はブログ管理上の私の不可侵の領域ですから、これに対する異論も受け付けず、その類の(管理人に意見する)投稿も即出入り禁止とします。
 以上、これは全ての投稿者にお読み頂きたいことでもあります。よって、新しく「業務連絡」の板を立てて注意を促します。



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 さらに追加


拉致問題をめぐり対立があり、お互いに会うことを避けていました

 川上は拉致問題は語らんだろう。ごく近親ならともかく、民主党の国会議員の有田とは語らない。それは出版者としても避けるのがふつうだろう。自社出版物の著者に多様な著者を迎えるためでもある。

 それに「お互いに会うことを避けて」というが、いままで川上と有田が面談する機会はなかったはずである。そういう政治的、職業的立場になかった。川上が自分を査問した上耕に媚を売った有田を知らぬ筈がない。

 もういい。全てデタラメだ。これは品性と節度の問題なのだ。



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 有田氏からの投稿文

 雑感

明日のお別れ会に出るため、いま東京駅の喫茶店でネットを見ていて、偶然に読ませていただきました。川上さんとは、数えてみれば37年間のお付き合いでした。ほとんどが飲み屋です。拉致問題の対立とは池袋の沖縄料理店での会話での対立で、それをきっかけに数年の空白がありましたが、幸いなことに(川上さんの人生の)最後に和解できました。上田さんとの邂逅と訣別については、『闘争記』(教育史料出版会)に加筆、収録しております。もし機会がありましたら批判のためにでもご覧いただけると幸いです。
2015/01/23 (金) 16:23:40 | URL | 有田芳生 #qhVXTLRM [ 編集 ]
  1. 2017/07/27(木) 01:12:29|
  2. 未分類