古本屋通信

東京大学新聞チャンネル第21回

古本屋通信   No 2698    2017年  07月26日  

    
  東京大学新聞  チャンネル 第 21 1975(昭和50)

   11月3日号

 昼休み、駒場構内で殺人
 被害者は革マル派の東大生  次々とクラス討論  
 高まる暴力反対の声

 十月二十七日(月)、教養学部駒場構内で東大生が殺されるという事件が起こった。殺されたのは革マル派活動家の梅田順彦君(文Ⅱニ年)で昼休みに宣伝活動をしていたところを襲われた。襲ったのは反帝学評系と見られている。昼休み、しかも通行の激しい生協食堂前で多くの人々が見ている中での殺人は駒場生を中心に学内外に大きな衝撃を与えている。駒場では次々と暴力反対決議があがっており、その数は四十を越すなどかなり拡がりを示している。小林信一教養学部自治会委員長は記者会見で「内ゲバ暴力に反対し、暴力を一掃する運動を学生の一致点として確認しなければならない」と語った。


  古本屋通信
 上は記事のリードであり、以下にその場での具体的状況が書かれている。襲ったのは7、8人の学生風の男で、いきなり梅田君の頭を鉄パイプでメッタ打ちにして逃げたそうである。梅田君は学生の心臓マッサージを受けた後救急車で病院に運ばれたが、一時間後に死亡したそうである。以下、色々書かれてあるが省略する。

 東大では殺人は初めてだろう。つまり革マル派といっても、二十歳前後のふつうの文学部の活動家がふつうに教宣ビラを配っているところを襲われた。これでは襲った側を非難こそ出来、襲われた梅田君を非難出来る何の理由もない。だから内ゲバ問題が難しいのだ。革マル派は駒場寮にも、部室2部屋を合法的に確保している。もちろん入寮者も多くいる。たぶん解放派はすでに駒場からも、駒場寮からも、革マル派によって駆逐されている。つい2年前まで駒場自治会で第2党を誇った解放派は、東大でも早稲田でも、今や見る影もない。そもそも革マル派が解放派を追い出したのも非暴力の手段ではなかったろう。だとしたら、解放派が個別に革マル派活動家をテロ・リンチに掛けるのは、解放派としては理由がない訳ではない。駒場自治会執行部としては上記の小林委員長の対応しかないであろう。

 私には中核派と革マル派のゲバ合戦も理解を超えているが、それ以上に革マル派と解放派のゲバは分からない。いやそもそも私には解放派という党派が化け物・モンスターなのだ。だから今まで解放派について書いたことはない。書きようがないのだが、なぜ理解を超えるかだけ書いておこう。

 最初に私の解放派リアル体験だが皆無に近い。①香川大学時代の1967年、一級下にA君がいた。経済学部の学生で新聞会だった。まだ解放派は出来ておらず、社青同学生班協議会を名乗っていた。コッチが民青だと知っていてローザルクセンブルクを勧めてくれた。②古本屋を始めてから、近くの読書家に元青解らしき年下の男がいた。しばしば古本を売りに来た。あまり話はしなかったが、関大生協を青解が押さえていたことを知った。③岡山市議の、国学院で青解だった年上の男と一度だけ話した。この時はじめて青解がレーニンを批判していることを知った。以上、私のリアリ体験は皆無に近い。

 ウィキには関係者でなければ書けない様な詳細な記述がある。読んでみても余り刺激を受けないが、その中で東大駒場に最初に社青同が出来た経緯が書いてあった。東京外大の滝口が東大に学士入学して立ち上げたことは広く知られているが、それはもちろん解放派である。それに江田五月と横路が加わったという記述がある。江田という男は自分の都合の悪いことは一切喋らない男なのだが、ちょっと面白いと思った。

 私にとって解放派が理解困難な理由は主として2つあると思う。①そもそもの出自が日本共産党とは無関係な社民であること。社民などと言われると怒るだろうが、私にとってレーニンこそマルクス、エンゲルスの正統な後継者だあり、反レーニンなど社民に過ぎない。革共同両派はもちろんレーニン批判などしない。②組織論が全く不明である。面倒だから詳論はしないが、その後の組織内分裂と殺人合戦は理解を超える。それでいて社民的である。
  1. 2017/07/26(水) 10:29:40|
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