古本屋通信

東京大学新聞チャンネル第18回

古本屋通信   No 2694    2017年  07月24日  


 東京大学新聞  チャンネル 第18  1971(昭和46)


  6月30日号

 今回は新聞記事中に古本屋通信のコメントは付けず、記事の後に【解題】を付す。尚、新聞記事はイントロ文の全文と新役員のみ掲載した。本文は時事的であるのと、東大新聞の観点で書かれているので省略した。


   全学連 第22回大会開く

 「協定」批准反対掲げる  沖縄闘争で方針を確立
 七月二二日から二五日まで、大阪府、高槻公民館で全学連第二二回定期全国大会がひらかれ、九五自治会のスト、全国四万五千人の学生の決起で行われた六・一七統一行動の成果を踏まえ、「沖縄協定」批准反対・全面返還実現・安保破棄・軍事基地撤去をめざす秋からの闘争方針を確立した。今大会には代議員一〇四大学一八八自治会四九二名、評議員九九大学一六七自治会三六八名、正式傍聴者一二五大学一九七自治会三四〇名をはじめ、個人傍聴者を含め、三七〇自治会から約三五〇〇名が参加した。大会は四日目、前期中執からの決定案を全会一致で採択し、中央執行委員四七名を選出、三役選挙では早乙女裕委員長(東教大四年)ほか副委員長五名、書記長、書記次長を選出し閉会した。

 新行部を選出
 大会四日目、すべての討論をおえた後、中央執行委員四七名と会計監査委員三名の選出が行われた。これはともに立候補が定数と同数だったため信任投票徒され、票総数四八五票中、四五〇~四八〇票の信任で全員が信任された。
 このあと三役選出に移り、委員長には前期につづいて早乙女裕君(東教大)副委員長(五名)に雨宮和夫君(東教大)木元康博君(東大教養)西田一弘君(名大)平島信明君(早大)手嶋繁一君(北大)の五名が、書記長にはひきつづき松尾徹君(立命大)書記次長に深谷信夫君(早大)が選出された。
 中央執行委員の東大関係では、副委員長の木元君をはじめ、教養、教育、医、農の各学部から八名が選出された。


  【解題】

 改めてこの大会を解説しようというのではない。いきなりだが、新日和見事件は1972年5月だった。ならばこの全学連大会は事件以前の最後の全学連大会という事になる。それがシンヒヨどどう関係があるのかって? 表面的には無関係である。でおおありだ。

 この事件を境にして民青同盟は坂を転がるように組織が減少したと言われている。事実そうなんだけれど、必ずしも数年で半減した訳ではない。少なくとも党中央は民青に活動するなとは言わなかった。ところが党中央は全学連に従来の大衆運動をやめよと言った。これで党員と民青同盟員によって支えられていた全学連の運動と、各大学の自治会活動が影響を受けないほうが不思議というものだ。理屈は要らないから、今後の全学連大会を東京大学新聞に掲載されるかぎり見ていくつもりである。

 なお、第21回と今回の第22回が全学連の加盟・支持自治会数のピークだっただろう。そういう時代の全学連委員長として、早乙女裕の名前は戦後史に残るであろう。川上徹にも早乙女を追悼した文がある。そう、早乙女は無論シンヒヨに連座したが、多くは語らず、教育大出身を生かして学校教師になった。しかし若くして死んでしまった。このあとに関係資料を貼っておこう。


 早乙女裕さんを偲ぶ
 投稿者:イズノスケメール 投稿日:2004年11月 9日
 全学連委員長時代の早乙女さんに一度だけお会いしたことがあります。神田の喫茶店で全国協にいた早稲田の郷が紹介してくれました。小柄な郷と並んでいたためか、集会などで遠くから見る以上に大きくたくましい人でした。でも、相手を思いやる優しい話し方をする人で、含羞の巨人という雰囲気でした。見るからに強そうな人だったのに、くも膜下出血で逝ってしまったのは53歳という若さでした。4年前の11月6日。教茶のうたう会にも参加したであろう早乙女さん。同時代人の私はあなたのことを忘れませんよ。


 別口
 川上は「60年代から70年代にかけて、共産党・民青系学生運動は多様な人材を生み出した・・・早乙女裕の声を、今さらであるが聞き取れないのは残念」p243と書いている。(『戦後左翼たちの誕生と衰亡 10人からの聞き取り』 川上徹 同時代社 2014/01/30) 

  1. 2017/07/24(月) 02:36:10|
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