古本屋通信

猛暑の日常の中で

古本屋通信   No 2692    2017年  07月23日  

   
     猛暑の日常の中で

 七十歳を越えると連日の猛暑は堪える。店に出ても冷え切らないクーラーの中では、3時間とは居られない。このところの古本屋通信の日常の断片を記す。

 2日に一度の割りで田舎に草刈りに帰っている。今がいちばん草が伸びる季節なのだ。早朝に25キロの道を北上し、2ラウンド刈って、午前10時ごろまでに岡山に戻る。慣れてはきたが、往復50キロのバイクは決して爽やかではない。

 このところ東京大学新聞の素読みと、写真の切り抜きに、約半日懸かっている。古本屋通信記事は計20本ほど書いたが、あと続ける気が起きない。とういうのは東大で起った出来事の見出しを抜書きしても迫力に欠けるからだ。解題のようなものを付していたが限りがある。よほど良い記事があればだが、今のところ中断している。


 東京大学新聞は1971年まで読み進めている。書けばいくらでも書けるが、3点だけメモしておく。

この新聞の編集陣は明らかに民青だが、それでも大学新聞の公平な立場を貫いて、各派の活動も報道した。ところが闘争が激化する中で全共闘の学生は東大新聞の記者までリンチにかけたのである。ここからはっきりと闘争に対する「中立性」から抜けた。つまり暴力学生を大学破壊者と捉える視点での報道である。

私は沖縄返還闘争の記憶は曖昧だったが、新聞記事を読むことによって甦った。1971年は沖縄返還協定粉砕の大衆闘争が爆発した年であった。すなわち核も基地もない沖縄でなければならない。なのに沖縄返還協定は新たな対米従属の固定化に過ぎなかった。だから大闘争が起こったのだ。しかし沖縄は「返還されてしまった」。ここから今日に至る混乱が起こった。私は今にしてそう思う。一度戻ってきたのだから、その事実をもとに条件闘争するしかない。それは分かる。だがそれが今日の「オール沖縄」路線だろう。私には違和感がある。だから古本屋通信は一貫して沖縄をスルーしている。

東京大学新聞は学内問題をベースにしつつも、全国的な政治課題を一貫して重視している。しかし国会関係の報道がまったくない。いや政府関係は腐るほどあるのだ。ブルジョア議会がない。社会党の文字も日本共産党の文字も一字も登場しない。ついでに言えば民青の2文字もない。あるのは全学連支持派だけである。私はこの新聞が国会の動きを完全シカトしたのは立派だと思う。いまの赤旗が狂っているのだ。もちろんブル新聞は論外に狂っている。東大新聞こそが正常である、社会を変革していく力は大衆闘争である。ブルジョア議会にはその力はない。当時はこれは初歩的常識だったのである。


このとも多少関係するが、別件を書きたい。今月に入ってから旧い日本共産党員複数の方と私の店で会って長時間話す機会があった。誰であるか判る書き方は避けるが、1970年代後半、つまり新日和見主義事件より後に党的出発をされ、現在も現役党員の方だ。

 会談の中身以前に、そういった方に対する私の対応の基本姿勢について一言。私が古本屋通信の発信者として、現役党員とコチラから会って話そうと言うことは絶対にない。結果的に党規違反に誘う可能性があるだろう。本意ではない。しかし先方から申し入れがあったら応じる場合がある。応じるか応じないかの絶対的な基準がある訳ではないが、得られる情報を私がどう評価するかだろう。まあ一般的には消極的だ。だが今回の複数の方との会談は私にとって有意義だった。

 会談の中身は多岐に亘ったが一点だけ書く。新日和見主義事件はもちろん党にとって負の遺産だったが、事件の負の遺産が完全に党を腐食するまでにまる十年は懸かっている。分かりにくい表現だが、裏を返していえば、1960年代の革命的大衆闘争の伝統は1970年代を通じて党を完全に社会民主主義化することはできなかった。それを見る影もなく完膚なきまでに、社民的裏切り化したのが志位ー小池指導部だった。つまりとの関係で言えば、寝ても醒めても議会のことしか頭にないブルちんの基地外なのである。

 然しここで日本共産党内をリアルに眺めて見ようではないか。志位ー小池指導部の野党共闘路線を支持している党員は果たして存在するのか。この指導部の核禁止条約賛美を絶賛している党員は何人いるのか。皆無に近い。いやそもそも小池でさえも志位を馬鹿にしている。不破なんか野党共闘の寝言を言う志位を、「ボクは違うナ」だろう。これはKM生さんもそう仰ってる。全党員のブログをご覧あそばせ。賛意を表明しているのは小山博通と大平喜信だけではないか。みんな志位が辞めるのを待っている。


 ちょっと休憩。
  1. 2017/07/23(日) 03:15:16|
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