古本屋通信

東京大学新聞チャンネル第15回

古本屋通信   No 2684    2017年  07月18日  


   東京大学新聞  チャンネル 第15  1968 (昭和43)

   東大闘争特集 第二回


  5月6日号

総長、話し合いを 大衆団交の声、強まる
実力行使も示唆 全学闘  七者協 総長服務討論集会提起  43青医連結成さる
総長語る 「医療問題が根幹」 ルールを決めて話し合いを  文部省 学部長会議を中止 「自治侵害」の声に屈す


  5月20日号

五月祭開く 本富士署学生委「警官警備は行う」 学生、教官層に強い反対の声

臨時 三派系、四大学集会に暴力 10日、中大で九十人重軽傷 (要約 ヘルメットで武装した中大、明大、法大、専修大、早大、医科歯科大等の社学同・中核・解放・革マル派系の学生約百七十人が十日夜、中大で開かれた千代田地区四大学十自治会の決起集会を四回にわたって襲撃し、集会参加者約九十名が負傷した(この集会は九百人の規模だった。襲撃した中核派は「反トロ集会の実力粉砕は当然」と語っているそう。まあ拠点としていた首都圏私大を民青に食い荒らされて黙っておれるかと無理してがんばったのだろう。この襲撃写真も東大新聞にちゃんと掲載されている)。


  5月27日号

5月祭開く 警官導入。阻止さる  四十数クラスで決議 警官導入反対
医・文・経全学闘 竜岡門に座り込み  学生二名。逮捕さる  学部長含む討論集会 教育
学生二名を不当逮捕 中央委など緊急声明 理を中心に救援対策


    
  6月3日号

医学部闘争 国試ボイコットに重点  全学スト第十九週 依然事態進展せず

臨時 ありゃ、またも臨時だ。後に解放派で悪名を馳せたゲバルト・ローザこと柏崎千枝子さんが寄稿しているので紹介します。
書評 パウル・フレーリヒ著 伊藤成彦訳 ローザ・ルクセンブルクーその思想と生涯
実践的なローザ像の現出 労働者階級こそ革命の主役 ローザへの偏見を論破  柏崎千枝子

もう一つ臨時だが、これは少し大きく扱っておく。
安保破棄で都心デモ 三派「全学連」に二千五百人
五月三十日、日比谷公園で中核派と社青同解放派と社学同派が「全学連ゼネスト集会」を開いたそうだ。中核派は法政二百人をはじめ埼玉大、日大、横浜国大など計千人が結集した。一方、解放派・社学同派は千五百人だった。さらに反戦高協が続いたそうだ。つまり当時は民青系であろうと三派系であろうと、首都圏だけでこれだけの人数を動員出来た。昨今のシールズなどというマヤカシが如何に口だけのペテン師であるか分かるだろう。そして重要なのは街頭集会やデモの参加者は決してシールズの如き烏合の衆ではないということだ。民青にせよ新左翼にせよ、街頭闘争の背景には、単位学生自治会でのたたかい、さらにはそのベースになるクラス討論があったということだ。この時代は学生運動の絶頂期ではない。それでも首都圏でこれだけ集まった。私は志位の言う「(今の時代が)かつてない市民革命の時代である」を耳にするとき、もはや見解の違いなどではなく、そのペテンに殆ど殺意を禁じえないのである。なぜなら志位はこの時代を知らないのではなく、安保肩ぐるま世代として60年安保をくぐりぬけ、この時代は多感な高校時代だった筈だからである。私は自分の委員長時代の栄光を演出するしか脳(能)のないこの委員長を怒りを籠めて糾弾するものである。


  6月10日号

医学部闘争 大学病院受け入れを拒否か 医学部長会議  全学闘 時計台封鎖も示唆
安保破棄で全国学生統一行動 中央集会 全国から一万人(東京一万、福岡五千、京都四千、全国二万五千)が参加 7日 学生の諸要求を確認


  6月17日号

批判高まる本部選挙  全クラスで抗議声明 医学部  一部学生が原則を無視
高揚する反戦の声  6・15市民集会に八千人

教養自治委員長に今村君 第38期委員長選挙 柴田君(全学連支持)を少差で破る
投票率約80パーセント 副委員長もフロント派
 このニュースは私・古本屋通信にとってもショックだった。私は岡大に学士入学した直後だったが、このニュースは文科自治会や民青岡大地区委員会でも話題になった。民青はショックを受けた。それほど東大教養は不抜の砦だったのだ。なのに負けた。いっぽう文科自治会の執行部は民学同だったが、喜んだ。というのは岡大にフロントこそいなかったが、彼ら構改派は3つの全学連のいずれにも加わらず、独自に「自治会共闘」を組んでいた。だから民学同は東大でのフロントの勝利を歓迎したのである。以下、東大教養の党派別の得票数を記しておく。
委員長 フロント1925票 全学連1843票 反帝学評(解放派)473票 学生会議(?どこか分からん)250票 反戦会議(中核派?)235票 白票434 無効票24
副委員長 フロント1831票 全学連1805票 反帝学評(解放派)451票 学生会議(?どこか分からん)301票 反戦会議(中核派?)255票 白票515 無効票26
投票総数5184票

15日 日比谷で反戦行動 夜、革マル、中核が乱闘
文化人5氏のよびかけ「六月行動月間」の統一行動で、「6・15市民集会」。学生、市民、文化人など八千人の参加。「革マル帰れ」と「中核帰れ」で乱闘。東大新聞はこの乱闘の写真をちゃんと撮っている。


  6月24日号

20日、全学ストに決起  統一集会に一万余人  17日 機動隊導入を契機に
17日、官憲導入さる 総長の専断で要請する  八学部がスト決議  予想される長期的闘争
安保以来の全学的盛り上がり 20日全学ストライキ  時計台前で抗議の声 本部占拠で意見の対立


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  余禄

 東大新聞を読みとっていく過程で初めて気がついたが、新聞にはかなり良い写真が掲載されている。切り取って保存しようかどうか少し躊躇ったが、思いきって切り取って、はがきファイルに保存しつつある。ただし集会やデモの写真に限定している。50年も前の古新聞の写真だから、紙質は悪く、コピーして掲載など出来ない。あくまで自分用のコレクションである。

 考えてみれば、当時の学生運動の写真は驚くほど残っていない。学内・学外とも学生自身が写すことはまず絶対になかった。大学当局も写さなかった。これは参加者の面を残さないためだった。学外の大きな集会やデモは、ブル新が記事にする際には撮影しただろうが、民青系は黙殺されたから、地方大学の集会・デモの写真が新聞に載ることはなかった。東京の大集会でも載らなかっただろう。私自身を振り返って、自分の写真は一枚しか持っていない。それは1966年に高知大学で開催された中四国教育系ゼミで演説している写真である。このときはゼミ実行委員会の腕章を付けた写真班の記者が撮影した。当時は写真撮影は限られた者にしか許されていなかった。運動するものの警戒心からだ。

 そういう目で東大新聞の写真を眺めると実に魅力的である。もちろん個人の顔写真が不必要に掲載されているケースはないが、その他では実に多様な写真がある。これはたぶん東大新聞社の腕章を着用していたから可能だった。撮影する記者の眼も優れている。つまりブル新聞の眼とは明らかに異なっている。書けば限りがないからこれ位にしておくが、私の良いコレクションだ。マニア的には涎だろう。ただ紙質がここまで悪いと売れることはないだろう。
  1. 2017/07/18(火) 02:58:53|
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