古本屋通信

カンパの着服がなぜ問題になる?

古本屋通信   No 2677    2017年  07月15日  


  カンパの着服がなぜ対外的に問題になって新聞記事になるの?



 脱原発の道庁前デモ スタッフがカンパ170万円着服
  
07/13 17:00、07/13 17:05 更新  北海道新聞
 毎週金曜夕に札幌市中央区の道庁前で脱原発デモを行っている任意団体「北海道反原発連合」の30代の男性スタッフが、デモ参加者から募ったカンパ(寄付金)を着服していたことが13日、分かった。金額は2年半で約170万円に上るとみられる。同連合は5年間毎週続けた道庁前デモについて、次回の14日以降、当面自粛する。

 道内有志による同連合は東京電力福島第1原発事故翌年の2012年7月、道庁前で初めてデモを実施し約800人を集めた。その後も毎週金曜日に数十~数百人規模でデモを行い、今月7日で255回を数えた。

 同連合によると、着服した男性スタッフは15年1月から担当。その直後からカンパの入金が途絶えた。不審に思った同連合側が男性スタッフにただしたところ、着服の事実を認め、金額が「170万円ぐらいになる」と説明しているという。使い道などは不明。




  古本屋通信 

 ブサヨさんのサイトに導かれて、上の北海道新聞の記事を読んだ。ブサヨさん所でもけっこう盛り上がっているみたいだけど、コレが新聞記事に何故なるのか、一向に解せない。よくある話だから別に腹も立たない。それよりもコレを記事にしたブル新聞に妙にムカつく。そこら辺りを一寸だけ書きたい。いつもながらKM生さんの投稿を下敷きに使わして頂く。いちばんピンと来るからだ。



9. KM生 2017年07月14日 16:16
この渋谷和也なるご仁、twitter見るとそれなりに尤もらしいこと書いてるだけに、余計に腹が立つねー。だいたい、何で街頭行動でカンパ募るのよー?手弁当でやれ!つーの。


 私は別に腹が立たないが、後は KM生さんといっしょだ。但し、カンパを募るような性格の運動でないから、募る必要はないと思うが、然し絶対に募ってはならないということでもなかろう。その際のカンパは被災者に送金するという状況になっていないのだから当然ながら運動者が(交通費なり弁当なり、また活動経費なりに)消費する金だろう。分かりきった事だが、世間では、もしかしたら集金した金は何処か別の場所にプールして公共目的で使うという錯覚があるのではないか。振込みだとか書かれるとホントにそんな気になってしまう。またブル新聞も敢てそういう書き方をしている。

 はっきりしておこう。集めた金をどう使おうと原則、集めた個人と団体の自由である。どこどこに全額または一部を送金しますよ、と言って集めてない金は集めた者の裁量で自由に使える。コレ原水禁のカンパ然り、中核派の佐世保闘争の街頭カンパ然り、勝共連合の詐欺カンパ然り、共産党の供託金カンパ(といって集めておきながら専従の給与に廻す)、また年末一時金カンパを赤旗の浮き部数の上納金に充てる等、まったく自由。

 今回の北海道のひと、いろいろ個人的事情があってカンパの金を使い込んだのだろう。まあ感心はしないが、あくまで組織内の問題である。その組織たるや何の約束事もない烏合の衆だ。集めた金はその日のうちに各人のポケットマネーとして分けたらよい。会計監査もクソもない、入ってくる金は日銭である。組織もないのに監査も決算もあるものか。

 原発だから原発ビジネスなどと難癖を付けられる。確かに社会運動がビジネスになってよいはずがない。しかし全部が全部手弁当で賄えるわけではない。運動ははっきりと賛同者から金の協力を得て成り立つものであること、そういう分かりきった事を曖昧にしてはならない。

 今回の使い込みは、ちょうど中核派の金をかつて秋山勝行が使い込んだと同じである。秋山が悪いのはあくまで中核派的に悪いのである。組織から一歩出ると秋山の「犯罪」は何の咎めも受けない。たとえ中核派が組織外から何億円のカンパを受けていてもである(ここらは政治結社の自由の問題に係わる論理的な問題だが、その後も低脳文(脚注を書き続けている石崎の理解を超えておるだろう)。ブル新聞の報道はピント外れである。然し世間のっ通俗感覚に依拠した巧みな問題のすり替えである。私は妙にイラつき、またムカつくのだ。


 余談だがデボーリンが2チャン投稿でこう言っている。

707 : 革命的名無しさん (ワッチョイ)  2017/07/14(金) 14:52:22.07 0
古本屋通信はとことんトンデモが続くなあ。公職選挙法で日本国籍がないと立候補できないということすら知らないとか…
性犯罪の被害者を叩くのは例によって古本屋の通常運転。


 ありゃ、国会法ではなく公職選挙法だったのか。反省。ところで其の法律、外国人の日本議会での議員を禁じているのなら、貴殿の立論からは改めさせなければなるまい。私と同じだね。蓮舫の国籍問題についていえば、彼女が台湾籍が抜けていなかったらどうなのかね? 私はどっちでも国会議員として妥当だとおもうし、仮に日本国籍がなかったら彼女は議員の資格を失うのかね。それとも外国人の議員も認めるのかね?キミの見解は 政治党派は世界単一の党であるべきなのだから、たとえ社民や保守の党とは云え、外国人の日本国議員もあってよい。結局私の論に落ちつくね。共産党の党首が中国籍でありながら革命後に日本の総理大臣になりうる事については論及無し。これは論破されているね。それから「性犯罪の被害者」って詩織だね。準強姦罪の被害者であることを証明してみろ。出来ないけど、池内沙織と同じなんだね。まあ他人の恋路に邪魔はすまい。


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  所感  2017年07月12日 (水)  石崎徹
 なんだったのだろう、あれは? 共産党について誰も読まない長い文章を書き連ねた日々は?
 共産党外の人には何の意味もない文章だし、共産党にとっては、よけいなお世話でしかなかった。
 共産党はぼくではない。ぼくと共産党が食い違うのは当たり前のことだし、それはぼくとは関係ないことなのだ。ぼくは自分と関係ないことについて余計なお世話をしていた。
 たぶん、一度党活動を経験し、不完全燃焼のまま中途半端に離党した人間は、いつまでも党にこだわる。そこは母校のような存在で、自分は同窓生のような感覚なのだ。
 でも気付いてみると、それはもう終わっていた。いまのぼくは共産党に対してどんな特別の感情も持っていない。
 共産党が現状とはかけ離れたと言えるほどの支持を得る日はおそらく来ない。だがそれはもはや共産党の問題というよりも、党というもの自体の問題なのだ。従来的な感覚の政党というものの時代は終わった。
 社会は変化していき、人間も変わっていく。政治スタイルも変わる。従来的スタイルは歴史博物館に行く。別のものが生まれる。
 何が生まれるのか。ぼくにはまだわからない。おそらく誰もまだ知らない。でも言えることは、それを生みだすのは理論じゃない。試行錯誤なのだ。新しい人たちが生まれ、さまざまなことを試みていく。そしてそれがいつか形となる。
 何かを生み出すのは実践である。行動である。誰からの評価も期待しない行動を、信念を持ってこつこつと続けていく人たちがいて、彼らがやがて人々の心をつかむ日が来る。そのとき理論も新しく形成される。
 そして現状の政党は、共産党もほかの党も、欠陥と限界とを持ってはいても、現状では欠くべからざる役割を果たしているのであって、それはそれで必要なのだ。それぞれに果たすべき役割があり、それが自分の理想と違っていても、それはそれ、ぼくはぼくなのだから、つべこべ言っても始まらない。

 ま、おおざっぱに言うと、いま、こういう感じです。

 前項に書いたことは、今後政治や政党についていっさい発言しないということではない。いままでどおり思いついたことを書いていく。ただ共産党に対して持っていた特別なこだわりがなくなった、日本社会が持つ政党のひとつとして客観的に見るようになった、という程度の意味である。批判しないということではない。ぼくの政治的関心の中心点が他の場所に移ってきたということだ。
  1. 2017/07/15(土) 08:47:39|
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