古本屋通信

東京大学新聞チャンネル第5回

古本屋通信   No 2662    2017年  07月08日  

   東京大学新聞  チャンネル  第 1966(昭和41)

 東大教養学部学生自治会(駒場自治会)選挙については、この東京大学新聞 シリーズの最初のエントリー「通信 No 2649 東京大学新聞の報じる内ゲバ事件」 の4つ目の記事 「養・自治会 正副委員長選 七夕選対圧勝す16年ぶり全学連系選対敗れる」で1979年の選挙結果を伝えた。然し,それはずっと後のことである。それまでずっと民青は、一度1968年にフロントに敗けたのを除いて,全勝している。然し、では民青は駒場では何時も楽勝だったかと言うと、決してそうではない。

 これから東大新聞に掲載される限りの東大教養学部学生自治会(駒場自治会)正副委員長選挙の結果を掲載していく。選挙は半年ごとの改選だが、私の手許に全ての新聞があるわけではない。とうぜん掲載できない選挙もある。



6月20日号


◎ 養 委員長に河内君  三派連合に大差つける

委員長

河内謙作(全学連支持)   1749票

福島喜久満(都学連支持)  1295票

丸山正和(フロント系)      855票

温品忠夫(マル同革マル系)  284票

無効 36票   白票 503票


副委員長

木元康博(全学連支持)   1760票

前田昌調(都学連支持)   1190票

錦織 淳(フロント系)      821票

田部 章(マル同革マル系)  312票

無効 44票   白票 559票

投票総数  4686票


  古本屋通信

 票数については見てのとおりだし、記事中には争点となった学内問題と、東大新聞の解説が書かれてあるが、全てカットする。候補者の所属のことだけを解説しておこう。

 ここに「全学連系」とあるのは云うまでもなく民青(系全学連)である。東大新聞は唯一の正当な全学連をこのように認識していたのである。

 「都学連系」とは苦しい言い方だが、三派連合すなわちブント(社学同)と社青同解放派とマル学同中核派である。この年ちょうど三派全学連が結成されたが、それに先行して三派系の東京都学連は一定の活動実績があった。だから「都学連系」としたのだろう。然し、この系統が東大で統一候補を立てたわけではなかろう。中核派はいなかった筈だ。そうするとブントと解放派の統一候補という事になるが、どうもよく分からない。私の認識ではブントは医学部中心で教養には少なかった。解放派ではなかろうか。でも単独ならでき過ぎだ。ブントかも知れない。尚、東京都学連は民青系全学連傘下の組織も再建されていた筈だが、ここではシカトされている。全学連を唯一正当な全学連と認めるのだから、都学連は我慢せよということだろう。

 東大のフロントは強かった。特に教養で強かった。余談だが、民学同左派(のちのプロ学同)はいなかった。フロントは統社同の学生組織で、東京教育大(のちの筑波大)が拠点だった。たぶん家永三郎をバックにしていただろう。

 革マル派の得票が少なすぎる。たぶん教養を投げていたのではないか。東大でも後に解放派と熾烈なゲバを演じることになる。


  一点だけ書いておきたい。この時代、基本的に平和共存の時代で、選挙は公正に行われ、負ければその党派は下野した。これは云ってみれば大人の地方議員の選挙と同じである。このあと1968年ごろになって全共闘が「ポツダム自治会解体」などと言い出して、自治会選挙が行われなくなった時代もあったが、それも数年間だけだった。1970年代になると正常な選挙が復活するのである。まあ70年代にはゲバもあって誤解もされるのだが、全国の多くの大学で学生自治会は正常に機能していた。これが崩れ始めたのは、1980年代になって一般学生が政治にソッポを向けたからである。主要には党派の責任ではない。まあ我々の時代には、勝共が大学で大きな顔をするなど考えられなかったワ。

  最後にもう一つだけ確認しておく。教養部駒場の2学年で投票総数4686票。その9割以上が左翼党派の活動家に投票している。この時代、東大駒場にかぎらず全国500の学生自治会で学生運動は圧倒的な支持を受けていた。間違いない。
  1. 2017/07/08(土) 13:51:45|
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