古本屋通信

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古本屋通信   No 3  2012年  7月20日

 転向・非転向の問題      倉庫2


 ブログを始めて三日目、共産党のことを書きます。今年7月15日で日本共産党が結党90周年を迎えました。絶対主義天皇制の国家権力の弾圧によって戦中の一時期、組織活動が阻まれた時代がありましたが、戦後の再建からも67年、この党を抜きに日本の近現代史は語れません。
 私は、学生時代から読み貯めていましたが、古本屋を開いてからはとりわけ、共産党関係の書籍を熱心に蒐めてきました。このなかには新左翼文献や公安資料も含まれますが、八割以上は党出版局と新日本出版社発行の本です。これに現代史、社会運動史関係の本で共産党を扱ったもの500冊をくわえて、約2000冊、いまでは田舎の倉庫に移しましたが、古本屋として所有しています。大月書店の国民文庫や、青木書店の青木文庫はこれとは別にありますから、左翼文献は古本屋としては多いほうだと思います。
 しかし私の持っている本以外にも多くの文献があるのです。日本共産党には、他のどの党よりも、自民党や旧社会党の恐らく十倍、百倍の関連文献があるのではないでしょうか。なかにはいかがわしいものもありますが、全体的に質は悪くありません。党の側から見る党攻撃の本も他党にくらべて圧倒的に多く、これは見方によっては他党にはない共産党の財産(名著を挙げろと言われたら私は、単著では立花隆の「日本共産党の研究」を、敵対党派では革マル派のものを挙げます)だと私は思っています。
 私は政治政党の力量を見る際、議会における議席数を力量の主要な評価基準にはしません。特に革命党派のばあい、議席数は副次的です。いろいろな基準があると思いますが、自前の機関紙誌や出版物をどれだけ持っているかも大切な評価基準だとおもいます。外国の古典文献の翻訳能力も重要です。真面目な研究対象として研究され、それが書物になっているかどうかも、政治史の上で大切です。巷に溢れている自民党や民主党を採りあげた本の売らんかなの商魂逞しい本など、日本人民の将来と何の関係もないでしょう。

 さて日本共産党について、その歴史が日本近現代史上で燦然と輝いている理由のひとつは、戦前、戦中ごく少数だったけれど獄中で非転向を貫いた党員がいたことです。非転向党員は党の名誉を守りましたが、同時にその時代と戦後生まれのすべての日本人の誇りを守りました(このことについては、加藤周一が宮本顕治の弔辞で触れています)。転向・非転向の問題は、共同研究「転向」以来ずっと論じられてきた思想史上のテーマであり、文学の問題としても語られてきたわけですが、私は難しく考えることはないと思っています。権力による思想の変更の強要です。当時これに屈することは、日本の植民地支配を正当化し自国民を戦地に送り、アジアの人民を殺害することに、ほとんどストレートにつながったわけです。講座派マルクス主義の理論家・平野義太郎が戦中どんな酷い文を書いてきたか。また、転向とはいえないけれど岡山の詩人の永瀬清子が戦時中どんな詩を書いたか。平野は戦後、平和委員会の会長などやるべきではなかったし、永瀬も詩人協会の役職を辞退すべきだったと思います。

 転向、非転向は決して揺るがせに出来ない問題です。徳田球一や志賀義雄や西沢隆二が、戦後の党指導者としてどんなに問題があろうと非転向の事実は消えません。転向にもいろいろあった。佐野、鍋山の転向があった。中野重治の転向があり、蔵原惟人の転向があり、佐多稲子の転向もあった。開き直りがあった。当然ながら自己批判もあった。戦後世代は後者を論難しない。だが「非転向という転向」などの小理屈で非転向者の優位性を否定するいかなる試みにも私は組みしません。「戦後思想界の巨人」吉本隆明を、文学の名でする日本浪曼派の亡霊の復活を私は許さない。

 書きはじめたらきりがないので、きょうはもう止めますが、共産党の90年目の到達については、こんにちなぜここまで凋落したか、できるだけ醒めた目と熱い心で、これから少しずつ書いていきたいと思います。



私は貴殿よりはるかに若く、また党内問題にも通じていないので詳しく論評できませんが、私は「民主集中制」それ自体は正しいと考えています。しかし、日本共産党のいう「民主集中制」は、「宮本集中制」であって民主集中制ではないと考えることができます。
党除名後、エリツィンの称賛者に転落した藤井一行は、『民主集中制と党内民主主義 レーニン時代の歴史的考察』(青木現代叢書)を1978年に出版し、これによって党から除名されたと聞いています。この本を読めばわかりますが、日本共産党の「民主集中制」は、本来のそれとは似ても似つかぬものです。
なお、『民主集中制と党内民主主義 レーニン時代の歴史的考察』の増補改訂版が『民主集中制のペレストロイカ: レーニン時代の組織原理』(大村書店1990年)です。
また、元赤旗ルーマニア特派員のいわなやすのりは、マイケル・ウォーラー著『民主主義的中央集権制 歴史的評釈』(青木書店)などを翻訳出版しています。彼はエンゲルス晩年の社会民主主義政党を理想としているようです。彼は離党届を出しましたが、受け付けられず除籍となりました。
日本共産党の「民主集中制」の実態はすでに十分暴かれていると思います。党大会が選出した中央委員である袴田が、中央委員会総会でも党大会で自らの意見を述べることを「権利停止」で禁じられるなど、およそいかなる「民主集中制」とも無縁であると述べることができます。

>党員優生思想が根強くある。党員は非党員より世界認識において優位にあり、従って非党員は党及び党員を批判してはならないという思想だ。

このような思想がいつから存在したのかはわかりませんが、これには宮顕流の「認識論」がかかわっていると考えておかしくないでしょうか。宮顕は良く言っていました。真理は一つであり、それは唯物論的に認識できるから、党内が満場一致になるのは当然だし、一国に一つの前衛党しか存在してはならない、と。しかし、真理を完全に認識することが不可能であることはGödelの不完全性定理を引くまでもなく、唯物論者にとっては自明のことでしょう。人間の認識には限界があるから、複数の意見が存在して当然だし、複数の革命党が存在して当然だというのが唯物論的立場です。

民主集中制に関しては、1921年のロシア共産党第9回大会での「分派禁止の秘密決議」は重大な誤りであったことが認識される必要があるでしょう。党員は、党内闘争を正規の機関を通じて行い得ないと考えるときは、当然ながら分派闘争を行う権利があります。
2013/11/25(月) 10:42:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


強力な指導部を選出し、中央集権体制を構築せよ   
 日本共産党第26回党大会に向けて、上りの地区党会議、府県党会議が開始されつつある。9中総で既に大会議案は発表されている。
 私は今大会の目玉はいかに強力な指導部を選出するか、つまり焦点は人事だと思っている。大会議案にはザッと目を通しただけだが、これといって目玉はなく長文の感想を書く気にならないのは精読しても変わるまい。人事について書くが、ここでは坂井希さんがどうのこうのという話は一切やらない。もう少し党の精神みたいなことを書きたい。

 党大会の最重要任務のひとつが全党の指導部、つまり中央委員会を選出することであるのはいうまでもない。党中央委員会は党支部と直接結びついて、もって全党を指導する指導部である。正確にいうと中央委員会以外は指導部ではない。各段階の中間機関、つまり都道府県委員会も地区委員会も指導機関ではない。比例区選挙に対応して設けられたブロック事務所など選挙事務所にすぎない。党の各級議員は党員任務のひとつの遂行であり、その意味で経営、居住の支部活動と同列である。各級議員が党内で指導的権限を有することは一切ない。対外的に各級議員が党の窓口になる場合はあるが、正式には県委員会、地区委員会がそれぞれのレベルの党を代表するのであって、党所属の議員はその橋渡し役に過ぎない。この点をまずはっきりさせておきたい。

 党中央委員会だけが全党の指導部である。言うまでもなく、中央委員会は各県委員会や、党がさまざまな大衆組織や民主団体に設けている党グループの組織(党フラクション)の代表からなる組織ではない。それとは完全に独立した組織である。そしてそれらを指導する組織である。

 具体的に述べる。現在の岡山県党からは石井ひとみさんが党中央委員に、垣内京美さんが准中央委員に選出され、それぞれ岡山県委員長、岡山県委員会常任委員の任務に就いている。しかし二人は何ら岡山県党を代表した中央委員ではない。現に石井さんは江草県委員長時代に准中央委員だったが、中央役員に選ばれると同時に党中央組織部に配属されたし、岡山から中央委員会勤務になった故中原猛さんは党中央での仕事のあと、島根県委員長、岡山県委員長を歴任した。つまり党中央委員は全党の指導部であり、その配属は中間機関や党フラクションの意向と無関係に中央委員会で決定される。

 党中央指導部(中央委員会)は党のあらゆる支部に指導に入ることが出来る。私が学生細胞に所属していた時、いきなり党中央組織部が指導に入った。いわゆる「テコ入れ」だった。恐れ入ったが、党中央とはこんなものかと、その権威を認めざるを得なかった。時々の党の重点課題を末端の学生細胞に至るまで徹底させるために大オルグ団を全国に派遣させたのだろう。

 中央委員会の規模の大きさは問題になろう。多くしたこともあったし、抑えたこともあった。私にはよく分からないが、古い幹部の経験と新しい有能な若い幹部の登用はいずれも欠かせない。ただ、有能でない准中央委員の登用もあった。これだけは絶対に困るということを行っておきたい。無能な女子を選挙候補として担いだ勢いで、中央役員にしてしまった例があったし、これからもその危険がある。基準は党員としての任務に耐えうるか否かだろうが、さいてい公務員試験に受かる学力がないと話にならない。特にこれからは、労働者として勤まらないルンプロ分子が党を滅ぼす恐れがある。つまり仕事がないから、党議員になったり中央委員会に勤務したいという分子だ。

 党中央委員会の各セクションは後回しにする。中央委員会が党大会と党大会の最高決定機関であり、指導部であっても、日常的な指導的な役割を果たすのは、もう少し小規模の機関となる。




>1935年のコミンテルン第7回大会の反ファッショ統一戦線戦術の採用は誤りだったのか。世界革命への裏切り戦術だったのでしょうか。G・ディミトロフは帝国主義の手先だったのでしょうか

はい。もちろんコミンテルン第7回大会の決議は全面的に誤りです。それは当時のトロツキーの批判を読めば誰にでもわかるのではないでしょうか?また、フェリックス・モロウ『スペインの革命と反革命』を貴殿はお読みになったでしょうか?人民戦線こそスペイン革命を敗北させたことはまったく疑いがありません。
ディミトロフは帝国主義の手先ではなくスターリンの手先です。
2013/11/25(月) 10:50:59 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


2人の横田氏。
 横田悦子氏は日本聖約キリスト教団、横田
早紀江氏は日本同盟基督教団という、どちら
も福音派系プロテスタント教会に所属する
クリスチャンです。

 福音派というのは、カトリック教会や既存の
プロテスタント教会を「世俗主義」「自由主義」
と批判し、キリスト教発祥の頃に戻ろうと主張
する保守派の潮流で、政治的には反共・親米・
親イスラエル・反イスラムで保守的な事が多い
です。イラク戦争についても、「イスラムと戦う」
と戦勝祈願をする教会もありました。

 福音派教会で反中・反朝的傾向が強いのも、
両国で共産党・労働党政権が崩壊すれば、
教会の伝道活動を活発化し、信者を増やせる
という思惑があります。

2013/11/28(木) 18:26:07 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2 [ 編集 ]



>掲載文で感動した点をひとつだけ揚げる。年末一時金の3割をカンパせよとの文だ。これは大衆的呼び掛けのかたちをとっているが、実質は組織を対象にした呼び掛けだろう。他の党派も学ぶべきだ。当り前のことだが、ここまで正直には書きにくい。3割というのが具体的だ。職業党員へのボーナスも出さねばならぬし、印刷会社への支払いもかさむ。

これについてですが、まず革マル派は自前の印刷会社「東京工芸社」を持っていますので、印刷会社への支払いという問題は生じません。かつて早稲田祭実行委員会を革マル派が握っていた時は、入場の際に早稲田祭プログラムの購入が義務付けられていましたが、このプログラムは東京工芸社で印刷されたもので、革マル派の収入源になっていたことは言うまでもありません。なお、東大教養学部自治会(民青執行部)は、印刷を光陽印刷でやっていましたが、これも同じようなことです。光陽印刷は他の印刷会社よりはるかに高かったとか。

それと「3割カンパ」の対象ですが、これは「LF(左翼的フラクション)」レベルのシンパへ向けたものです。

革共同革マル派の組織構成は次のようになっています。

革共同革マル派の党員…数は限られている。通常は革マル派の指導下で労働運動を10年以上やったものが党員になれる。党員の場合は3割ではなく10割カンパ。

革命的フラクション(RF)…革共同革マル派の指導下にある活動家組織で、JRの場合は、革共同革マル派交通運輸労働者委員会の指導下にある「マングローブ」と呼ばれていたのがそれ。これも3割ではなく10割カンパ。「解放」新年号に各産別・地方組織の決意表明が載るが、そのうち「東海地区反戦労働者会議」というのもこれだろう。

左翼的フラクション(LF)…革マル派の支持者ではあるが、まだ活動経験や学習が十分でなく、RFに入れない段階。毎週「解放」読者会(L読)を行う。これは3割カンパ。JRでは「JR労研(JR労働運動研究会)」と呼ばれていたのがそれであろう。JR労研中央幹事会事務局長の坂入充(党員名は「南雲巴」)が革マル派に拉致された事件がありました。
2013/11/30(土) 04:24:10 | URL | 元東大民青 #-


「解放」に載る3割カンパの訴えには、解放社の郵便振替番号が載っています。しかし、組織とつながりがある人は組織を通じてカンパするはずですので、郵便振替でカンパを送るという人がはたしていたのかは疑問です。郵便振替の加入者名は、今は「解放社」となっていますが、かつては「吉田正雄」となっていました。吉田正雄って誰?となりますが、おそらく公然面(解放社)の財政責任者(日本共産党でいえば財務・業務局長の上田均)なのでしょう。
「解放」購読のよびかけのちらしには、解放社の本社だけでなく、各地方支社の振替番号も載っていますが、北海道支社は振替加入者が依然として「飯田善一」となっています。
2013/11/30(土) 10:44:11 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


すみません。この前に書いたことで、ちょっと確認が取れてないことがありました。それは革共同革マル派指導下の「革命的フラクション(RF)」メンバーも一時金は10割カンパ、と書いたことです。左翼的フラクション(LF)の3割より多いことは確実でしょうが、10割かどうかはわかりません。

>もう一つは共産党相模原市議の大田市議の問題。大田市議の問題は少し記憶も薄れかかっていますので、当時のことで金の部分だけを引用します。
>『党の大田浩相模原市議(37)は、党への寄付金やカンパなど年間300万円余も事実上強制され、生活に支障が出ていると読売の取材に答えた。結婚して子供もできるかもしれないので、議員報酬約1090万円ではやっていけないとしたという。・・・・読売サイトで記事が配信されると、ネット上では、高額な「上納金」に驚きの声が上がるとともに、共産党本部などへの疑問の声が続出した。・・・・大田市議は、年収の1%に当たる年10万円余の党費のほかに、毎月15万円ほどの寄付金、8、12月の夏冬カンパ各17万円、年2回のボーナス時カンパ各40万円を支払い、国政選挙でも臨時のカンパがあるとした』
>これについての私の感想は、寧ろ少なすぎる位だということです。この二つを私の執筆のバネにして、さらに少し発展させて書きたいと思ったのです。取りとめのないエントリーになると思いますが、あしからず。

「少なすぎる位」というのに賛同します。
昔、共産党の都道府県議が、月給40万円をもらっていることを聞き、「なぜ都道府県委員会専従と同じにしないのか?」と質問をしたことがあります。回答はもらえませんでした。

>1970年代から中核派と革マル派があれだけ組織が疲弊する「内ゲバ」を繰り返しながら、ついに崩壊しなかったのは、党財政つまり集金能力があったからでしょう。社青同解放派が政治党派としてもたなかったのは金がなったからでしょう。共労党の3分裂(1970年代初頭)でプロ革派だけが残ったのも白川氏に党財政の思想があったからでしょう。飯田氏にも樋口氏にもこれがなかった。

革労協=社青同解放派が衰退の一途をたどり、ついに陰惨な内々ゲバにいきついたのは、確かに労対派(革命的労働者党建設をめざす解放派全国協議会)の分裂で、定収ある労働者が減ってカネがなくなったことが確かに大きい要因であるように思います。それに対して、解放派全協は、東水労など一定の労働者の基盤を維持し、財政的にももっているように思われます。

>日本共産党の党財政について。これは元東大民青さんが宮本顕治をいくら悪く言っても、宮本時代が徳田書記長の時代と決定的に違う点がひとつあります。徳田時代は党専従は飯が食えなかった。みんな女のヒモ生活だった。宮本自身も金がなく,百合子に食わしてもらっていました。極左冒険主義だとか言えば、政治方針の偏向のように聞こえるけれど、内実は「トラック部隊」に代表されるブッタクリだった。それを真似たのが連合赤軍のM作戦だったでしょう。左翼のやることじゃあない。とにかく宮本は飯が食える共産党にした。赤旗拡大至上主義も、議会主義偏向も間違いだけれど、党史のそういう文脈で見ないと公平じゃあない。政治路線として批判するだけでは片手落ちです。

これはちょっと違うのではないでしょうか。「トラック部隊」などをやっていたころは、徳球は北京で病床に伏していたはずです。それに「女のヒモ生活」というのは革命家として不健全とは思いません。定収入のある党員と職業革命家を組織推薦で見合い結婚させるというのは健全なあり方だと思います。

>いま赤旗は日刊紙、日曜版とも採算ラインの部数を切っていると思う。将来、党の機関紙誌、出版物が党財政に貢献する可能性はなくなりました。私はこれはこれでよかったと思います。いまでも拡大は言っていますが、一時の十分の一以下です。本来機関紙誌の収支はプラマイ0でなければならない。これで儲けてはいけないのです。党は営利企業ではありませんから。

日刊紙は赤字ですが、日曜版はまだ利益が出ています。日刊紙を赤字を日曜版で埋め合わせていますが、それも限界にきているとのことです。近い将来、日刊紙は廃刊で電子版に移行するかもしれませんが、党員・支持者が高齢化しているため、電子版が読めない人が多い可能性があるのが難点でしょう。

>私は共産党が地方選挙に力を入れること自体に異論はありませんが、これは半分は議員からの献金があるからでしょう。私はこう思います。議員は最低限の生活給だけ受け取って、あとはすべて党に納入するべきだと。本来はそれでいいのではないでしょうか。でないと今回の大田市議のような人物が出てきます。この人にとって、議員は党内のエリートなんですね。これはたぶん革マル派や中核派では考えられないことでしょう。

中核派は東京都杉並区をはじめ積極的に選挙闘争に取り組み、長谷川英憲を都議に当選させたこともありましたが、議員が党内のエリートなどということはまったくありえませんでした。長谷川英憲も党内地位はおそらく地区委員会委員でしかなかったはずです。もちろん、議員給与は全額を組織に納入していたはずです。
革マル派が公然と選挙に立候補したことはありません。JR総連組織内議員の田代郁(参議院・民主党)が革マル派かどうかとりざたされていますが、私には何ともいえません。


>少し具体的なこと。岡山において党議員が利権が絡んで、不正に金銭を受け取ったという話は(最近は)聞きません。然しずっと以前にはあったと聞きました。全解連を支持母体にしている人でした。具体的な事実は知りません、すべて噂です。しかし「敵」の流す噂ではなく「味方」内で囁かれた噂でした。また、私が本人から直接聞いた話ですが、彼の最後の選挙において「党自身の手で落選させられた」ということでした。本人曰く「あの300票がどこに消えたかさっぱりわからん」と。この方のお父さんは戦後の有名な部落解放運動の活動家でした。私はすっかり忘れていたのですが、例の松本龍議員で思い出したのです。この議員は勉強していませんでした。私の家の近所の解連会員の家でマージャンばかりしていました。すでに二人とも亡くなったので書きました。

これはぜひ具体的に自治体名と議員名を挙げてほしいものです。

>一寸話が横道に逸れますが、先日民青の大会があったそうです。拡大目標を同盟員1500人と決めたらしい。HPの更新がないので、詳しく知りようがないのですが、感無量でしたね。1960年代後半でも「数十万の同盟建設」のスローガンでした。シンヒヨ切って42年になるいま「数百万人の青年同盟を建設しよう」の間違いでは?

現在の民青同盟員は1万人を大きく割り込んでおり、おそらく5千名程度でしょうか?だから1500拡大というのはほとんど達成不可能だと思います。
2013/12/01(日) 11:42:18 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>これはユニークなご意見をお聞きしました。政治情勢にもよりますが、「ハウスキーパー」(戦前の小林多喜二の小説『党生活者』に出てきます)もいちがいに否定すべきではないと。それから、結果的には色々のケースが生まれて来るでしょうが、少なくとも見合い(結婚。恋愛でも)に組織(共産党、青年同盟とも)が絡むのはとっくの昔に否定されたはずです。これだと何処かの宗教組織のようになりますから。「トラック部隊」については、昨日「週刊サンケイ」(1957年)を買いました。徳田も死んで六全協が済んでも、徳田時代の傷は残っていたということでしょう。

『党生活者』に描かれたハウスキーパーは、極左冒険主義の時代に階級から浮き上がった党活動の一面が表れたもので、一概に肯定するわけにはいきません。
「少なくとも見合い(結婚。恋愛でも)に組織(共産党、青年同盟とも)が絡むのはとっくの昔に否定されたはずです。」というのは、日本共産党の話ですよね?他党派では今でもやっていますから。
中核派を除名された郵政労働者の「アッテンボロー」という人のブログには、若い女性同志が、だいぶ年上の古参労働者同志や地下の同志と見合いをさせられるのを嫌がっていた、という記述があります。
また、革マル派では、JRの夫と教労や自治労の妻というのが多いです。これは組織推薦なしにありえないでしょう。なお、革マル派では子供はつくらないことになっています。
また、特定されるようなことは書けませんが、私の友人はある党派に属していましたが、指導部の推薦で大学卒業と同時に結婚しました。しかし、結婚相手の親が日本共産党員であったこともあり、反対されて、その結婚相手は勘当状態になってしまいました。
それと、日本共産党でも、組織推薦の見合いまではしないかもしれませんが、上級が指導することくらいはあるようですよ。どこかのブログで読みましたが、学生活動家が、交際相手について、精神的に問題があるので交際をやめるよう指導されたというのがありました。また、私の知っている男性は、日本福祉大4年で、日本福祉大短大2年の女性と交際しており、卒業後に民青専従となることになっていたが、その交際相手の女性の実家が、ちょうどその民青専従になる地区の中小業者であったため、家業があるなら食っていけるということで党愛知県委員会の青年学生部が「早く結婚しなさい」と指導し、卒業直前に結婚してから民青専従となったとのこと。
2013/12/04(水) 01:28:25 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


私はこの記事について全く違った感想を抱きます。
まず、現在の自民党政治では世襲が当たり前だということです。世襲政治家の中にも、鳩山由紀夫元首相や小沢一郎のように、政治家の家系に生まれなくても政治家になる実力のあったものもいます。しかし、安倍などは明らかに無学低能であり、世襲でなければ政治家になることはできず、せいぜいどこかの「靖国大好きおじさん」で終わっていたはずの人物です。
また、自民党は天皇制を積極的に支持し肯定している党です。つまり、血筋による差別を肯定している党なのです。だから、自分たちが血筋で差別されてもそれは自業自得というものです。
ですから、自民党政治家の血筋について明らかにすることは何もおかしなことだとは思われません。
2013/12/04(水) 16:46:18 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


エガリテ氏の文章には見るべきものもありますが、彼が根本的に宮本・不破の議会主義(多数者革命)を肯定しているので、根本的な批判にはなっていません。仮にエガリテ氏の批判が受け入れられたところで、今日の日本共産党を革命党に変革できるわけもない。

なお、

>我々よりも左派の人々に言わせると、議員は党が議会に派遣しているメンバー以外のものではない。したがって党の下に位置し、党の指令に基づいて行動すべき存在である。

というのは当たり前です。「共産党は、議会という敵階級の機関を破壊するために、この機関内に偵察部隊を持つことに強い関心を持つ」とコミンテルンのテーゼにあるとおりです。
2013/12/10(火) 00:23:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
中国を資本主義国と規定することは非常に重要だと思われます。というのは、宇野派の伊藤誠名誉教授のように、中国を市場社会主義として美化する論者が何名もいるためです。また、不破が「市場経済を通じて社会主義へ至る」と言っているのを正当化するために中国の例を持ち出しているという点もあるでしょう。
中国の国内において社会主義制度が解体されただけではなく、中国が貿易の国家独占を廃止し、自由貿易を原則とするWTOに加盟したという点が重要です。WTOの加盟資格を見るならば、資本主義国でなければ加盟できない組織であるということが理解できるはずです。

なお、社会主義と市場に関しては、日本共産党専従で評論家でもある人と討論したことがありますので参考にしてください。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sijou-haizetu1.html‎
2013/12/10(火) 00:32:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>①「賃上げで経済危機を打開する」という決議案に対し、エガリテ氏は「賃上げは経済危機打開のためではなく、働く者の権利である」と批判している。どうもエガリテ氏には原則論にこだわるところがある。権利であると言われても労働者には「でも不況だからねえ」という思いがある。それに対して、「この不況を解決するためには国民の購買力を増やさねばならないのだ」と訴える必要があろう。決議案の表現は問題ないと考える。

「賃上げで経済危機を打開する」というのは、「過少消費説」という典型的な俗流理論そのものです。「過少消費説」(需要不足)というのは、かつてマルサスが、その後ケインズが唱えたものです。賃上げは好況の結果であって原因ではないことは初歩の初歩です。現在の不況は、まさに典型的な「過剰生産恐慌」であって、それに対する労働者階級の回答は社会主義革命しかありえません。
2013/12/10(火) 00:38:58 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
>おそらく今回書いたような内容は、ぼくよりも左に位置する人たちからは決して支持されないだろう。エガリテ氏の見解とも食い違いがあるかもしれない。しかしこれがぼくのこの問題に対する考えかたである。
>また比例代表制度は長年支持してきたが、最近これにも疑問を感じている。

私の立場はむしろまったく逆です。ブルジョア議会に送られた革命党議員は、ブルジョア政治家やブルジョア官僚と接する機会が多いがゆえに、変質・堕落する可能性がより高いから、党内においては議員はより慎重に取り扱う必要があります。各級党機関のトップは非議員でなければならないこと、議員になるものは決して堕落しないであろうと思われる活動家であること、等々が必要です。
また、ブルジョア議会の選挙制度は拘束名簿式比例代表制が最善であることは明白です。
2013/12/10(火) 01:47:15 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


Gödelの不完全性定理についての一般向け入門書は、
高橋昌一郎『ゲーデルの哲学』講談社現代新書1466
だそうです。数学教授がそういっていたから間違いありません。
ゲーデルは28歳で不完全性定理を証明した超天才でしたが、晩年はおかしくなってしまい、神の存在を証明することに熱中していました。そして餓死しました。

ところで、古本の見方なのですが、ある本を「日本の古本屋」で検索したところ、

79年5月 四六版、初版、帯イタミ、カバ、三方経年ヤケ、天ヨゴレ、並

これは、79年出版としてはごく普通と理解してよろしいのでしょうか?
2013/12/10(火) 21:45:51 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


ちょっと質問です。

>中里喜昭と吉開那津子は純粋に党が生み出した作家である。長崎の造船所のトロツキストとの党の闘いと、反党盲従分子から党を守る闘いと。

中里喜昭って沖縄県出身ですよね?高校を出て三菱長崎造船に就職したのでしょうか?
「長崎の造船所のトロツキスト」って、長船社会主義研究会ですよね?『新左翼労働運動10年—三菱長崎造船社研の闘争』という2巻本が出ています。昔は持っていたのですが、人にあげてしまいました。
2013/12/13(金) 20:57:03 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


> 袴田処分の最終段階の党大会で、本人が(大会代議員に選ばれなかったという理由で)大会に参加できず、従って弁明の機会が与えられなかったことについて、元東大民青さんが批判的に書いていた。日本共産党の民主集中制は「宮本集中制」ではないかと。これについての私見。

> これは第8大会での春日(庄)、内藤ら、第9大会での志賀、鈴木、神山、中野も同様だったと思います。それぞれ党大会まえの中央委員会総会に出席・弁明の機会があり、にも拘らずそれ以前に記者会見して「離党声明」を出し、総会に欠席したので、そこで除名決議がなされたのです。党大会は規約によって除名を承認した訳です。だからこれら自体は「宮本集中制」=民主集中制の破壊とは言えないと私は思います。

これについては、春日(庄)らの声明(どこに載っていたかな?)が語っています。

「宮本・袴田・松島らの党規約を踏みにじる非民主的党内運営により、正常な党内討論が不可能となった」がゆえに「一時離党」する、とし、声明は「日本共産党万歳!」で締めくくられています。

袴田については、中央委員であるにもかかわらず、常任幹部会により「権利停止処分」が決定され、中央委員会総会に出席できなくなるという異常な手段が取られました。このような党運営を「党内民主主義」と呼ぶことは不可能でしょう。袴田は自己の見解を述べる機会を不当に奪われたがために、党外のメディアにおいて発表することとなったのであり、これ自体は正当だと思います。
2013/12/15(日) 09:59:39 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]

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「理論部長」の発想ですが、かつては「理論委員長」がいたのですね。
榊利夫が理論委員長と「赤旗」編集局長を兼任していました。「理論委員長」という役職はいつなくなったのでしょうか?
2013/12/20(金) 10:17:34 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]




革マル派が勢力を維持しているといっても、どのように維持しているかが問題です。プロレタリアの闘争の先頭に立って、反動期にもかかわらず勢力を維持しているというのなら、それは大したものです。しかしそうじゃないでしょう。
革マル派が国鉄分割民営化に対して取った行動を忘れることができるでしょうか?
「組織を温存するために戦わず屈服し、御用組合になる」というのは本末転倒ではないですか。
ただし、JRとそれ以外の組織に違いがあるということはいえるでしょうがね。JRは故・松崎明の領分であり、黒田寛一や他の政治組織局員といえども口を出せなかった、ということはありえます。
別の例でいうと、沖縄県委員会の独立性があります。もともと革共同革マル派沖縄県委員会は、山里章が沖縄マルクス主義者同盟を創立し、その後、「沖縄復帰」後に革共同革マル派沖縄県委員会となったという経緯があります。沖縄県は革マル派の一大拠点であり、学生自治団体のすべてを支配し、数百名の労働運動活動家を擁して県労協では社会党につぐ第2勢力でした。しかし、その時ですら革共同革マル派沖縄県委員会の党員は3名しかいなかったとのことです。おそらく山里章の私党的支配があって、党員の拡大を嫌がったのではないでしょうか。

引用されている「解放」記事では、

>世界最大の農業保護国アメリカ
>イラン核合意に苛だつシオニスト

の2つに興味があります。革マル派の機関誌では、これまで農業問題についてまとまった論文を見た事がありません。マルクス主義同志会の林紘義(東大大学院で農業経済学専攻)が日本共産党批判の形で繰り返し農業問題について書いてきたことと比べても、農業問題についてまとまった論文が出ていないのは残念に思えます。
2013/12/20(金) 22:14:27 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



>1971年6月に琉球大の革マル派マル学同の学生・町田宗秀君が死んでいます。民青とのトラブルによってです。この「手打ち」の内実が分からない。

当時、民青は町田宗秀を虐殺したことを否定する大宣伝を行っています。私は大学の自治会室で、当時民青が発行した宣伝パンフを見ました。しかしやはり説得力がなかったので、世間的には民青が虐殺したと認識されました。立花隆『日本共産党の研究』でも民青が虐殺した、と書かれています。
その後、革マル派が矛を収めた理由ですが、やはり一番大きかったのは中核派・解放派とのゲバで、民青どころではなくなったことでしょうが、高いレベルで手打ちが行われた可能性は高いと思っています。というのは、この事件後、民青は琉大学生会長選挙に立候補しなくなるからです。「琉大学生会の革マル派支配を認める代わりに、町田虐殺をこれ以上追及せず平和共存する」という手打ちがあったのかもしれません。
2006年に、琉大ではノンポリ学生が革マル派に対抗して学生会長選挙に立候補して敗北しています。その人物のブログが卒業後も残っていますので見てみてください。http://20060615.seesaa.net/
このブログによると、革マル派は、このノンポリ学生の背後に民青がいる、と宣伝したようですが、このノンポリ学生は、そのような事実はなかったと言っていますし、事実なかったのでしょう。
2013/12/21(土) 13:27:05 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


日本と朝鮮の問題として、「対話の言語が共有されていない」「対話ができる人材がいない」ということが、日本共産党も含めて重要問題なんですね。
かつては朝鮮労働党と日本社会党の友党関係があり、朝鮮労働党の立場を理解する人々がいた。しかし日本社会党が壊滅した後は、そのような人々はいなくなり、ごく一部のチュチェ派や日朝友好運動勢力やアントニオ猪木参議院議員のような友好人士を除けば、みんな「反北」の報道しかなく、日本人が「北」の現実を理解できないという現象が(日本共産党の党員・支持者を含めて)起こっています。
私から見れば萩原遼は最低最悪のプロパガンダ要員で、彼を日本共産党が除籍したのは遅きに失したのだけれども、残念ながら党内でもまだ彼を信用している人々が少なくないようだ。その悪影響が「正気の沙汰ではない」土佐高知さんに見てとれます。
写真集『隣人。38度線の北』(徳間書店)を撮影した初沢亜利さんがインタビューに答えています。

http://diamond.jp/articles/-/33325
ウォッチャーの人たちは、みんな本音のところでは北朝鮮が好きなんですよ。そうでないと何十年と執着し続けないでしょう。一方で、北東アジアの平和と安定についても真剣に取り組んでいるので、「結局は対話以外にあり得ない」という結論になるんでしょうね。ただ、テレビでそれを言っても商売にならないというのも事実で、結果として彼ら自身が反北朝鮮ナショナリズムを煽っている部分があるのかな、と思うことはあります。

この日本における「北」に対する言論空間は、「北」から見れば異様なものとして映ります。
http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090525/1243237413
ひとりの女子学生が、私たちにこんな質問をした。
「私たちは日本と仲良くしようとしているのに、日本のマスコミはなぜ反共和国的な報道ばかりするのですか?」

とこのように、日本側の認識と「北」側の認識が完全に隔絶してしまっている点に問題があります。
最大の問題は、日本のマスコミのセンセーショナリズムとそれに無批判な大衆にあると思います。マスコミのセンセーショナリズムは、どこの資本主義国であれある程度は共通するものでしょうが。

それに、日本と「北」の政治体制が全く異なるものであることを考慮に入れず、日本の大衆が「反北」感情を抱けば、何でもかんでも「植民地主義的差別意識」につなげてしまう「友好人士」にも一定の責任はあるでしょう。
2013/12/22(日) 17:54:15 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
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何故党中央は大衆闘争に真剣に向き合えないのか
君のコメントが転載されてるよと友人に教えられて、最近、貴ブログへの訪問を始めた次第です。よろしくお願いします。
県党会議での発言を拝見し、逐次、同感しました。
以下に私見を述べます。
党は、大衆闘争(運動)の上に「党建設」を据えていますが、その意図と共に、全てはそこに問題があると思います。
党建設 ー そのための大衆闘争となっていること、つまり、福島であれ、保護法であれ、党建設のための道具、機会、手段としてしまっていることが大衆闘争の問題に対し、党中央自身の(ということは、中央集中制のもとでは当然ながら、すべての党の機関の)真剣な目配りの欠如が生まれざるを得ない根幹なのだと痛感しています。
このことは、拡大のための中央委員会決議の文言の必死さや、それに基づくその期間中の上級の息もつかせぬ程、枚挙に暇のない各種指令・指示などに比べても明らかだと思います。
保護法がゴリ押しされてしまった、その際の中央の総括は、赤旗読者、党員など党建設の裾野を広げて捲土重来しよう、ということなのでしょう。
本当に誠実な思いを持っている党員の方々が多くいることを知っているにも関わらず、あえて極言すれば、共産党という組織は「党建設で自己完結してしまっている組織」ではないでしょうか。
党の大衆闘争とは、党建設のための「肥やし」、あるいは選別対象でもある「土壌」としての位置づけなのではないのか、40年前の除籍体験者である私は、その様々なトラウマや憎悪などもすっかり癒えた今、心からそう思っています。
※ 尚、都合上、本コメント中では「大衆闘争」という言葉を使いましたが、私自身は今は使っていません。
2013/12/29(日) 11:27:57 | URL | 藤原隆三 #- [ 編集 ]
コメントの


中核派は分裂しました。「前進」を発行しているのは、政治局を制圧した安田一派(安田=故・中野洋動労千葉委員長)ですので、「中核派安田派」と呼びます。
中核派安田派は、加速度的に分解に向かっていると感じます。それは経済主義に転落したこと、部落解放闘争に敵対し、解同全国連を分裂させて「全国水平同盟」なるものをつくったこと、動労千葉崇拝運動を全戦線におしつけていること、などからも必然といえます。動労千葉にしても、わずか200名程度の組合で、それもあと10年もすれば現職の労働者は無に近くなります。「マル青労同1千名建設」のスローガンもまったく達成できていません。
続きをまた書きます。
2013/12/29(日) 14:41:54 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


岡正芳について記憶違いがありませんか?
岡正芳は第7回党大会では中央委員候補にも選ばれていない。だから、宮本綱領の採択に貢献したということはない。
第8回党大会で中央委員、第9回党大会で幹部会員・常任幹部会員に2階級特進しています。第10回党大会でも常任幹部会員に留任。それ以後の資料はいま手元にありません。
2014/01/07(火) 18:08:20 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



この「批判」も底の浅い、くだらないものですね。
「かけはし」に執筆していた連中が「さざ波通信」を発行していたことは容易に理解できますが、「かけはし」も右転落の道を真っ逆さまに転げ落ちていますから、どうしようもありません。

唯一興味があるのは、「不破社研所長のエンゲルス批判との関連で幾つかの検討すべき問題」ですが、なぜこれについて書いてくれないのでしょうか?私は最近の不破の書いたものを全く読んでいないですが、調べてみると「前衛」で「連載 スターリン秘史――巨悪の成立と展開」なるものを連載しているようですね。不破はどういった内容を書いているのでしょうか?

不破の『スターリンと大国主義』では、まだレーニンの「最後の闘争」において彼が頼ったのがトロツキーであったことは隠されていますが、今回の連載では?
2014/01/05(日) 01:32:50 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



ところで日本共産党第26回大会が近付いているので人事のことについて質問させてください。
1970年の第11回大会で、幹部会委員長のポストが新設され宮顕が就任し、野坂は中央委員会議長にとどまりました。野坂は引退前は幹部会に属さず、事実上は名誉職だったと思いますが、野坂が幹部会に属さなくなったのは何回大会からでしょうか?
それと、第11回大会で宮顕が「幹部会委員長」になり、「常任幹部会委員長」ではなかったのは、当時の規約では常任幹部会の権限がそれほど明確ではなかったからでしょうか?
2014/01/06(月) 22:16:35 | URL | 元東大民青 #-


続きと言っては何ですが…。
 新右翼「一水会」岡山支部の結成30年記念集会が市内で行われるとの事
です。鈴木邦男前代表(元生長の家学生連合)と、木村三浩現代表(元日本
青年社)が揃い踏み。

http://www.issuikai.jp/event_20140118.html
http://kunyon.com/shucho/img/140118event.jpg

2014/01/05(日) 18:56:02 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2


構改派。
 当時からのグダグダっぷりを見るに、某反スターリン主義系新左翼の活動家
の人が数年前に「構改派なんて所詮は日共の右派。」と切って捨てていたのが
思い出されます。

 松江澄氏は共産党除名後も広島県議を続け、晩年は「新民主主義連合」を
結成して社会党を中心とした社民主義政権を目指す運動をしてましたね。

 岡山の社会主義者といえば、衆院議員として戦後唯一懲罰委員会による議員
除名処分で失職し、後に再選して議員として復帰した川上貫一氏も岡山出身
でしたね。

 岡山は政治的には福田英子(女性運動家)、大原孫三郎(大原社会問題研究
所創設者)、石井十次、留岡幸助、金友隆幸(維新政党新風、排害社)の各氏
など、宗教的には法然、栄西、赤沢文治(金光大神)、黒住宗忠、山室軍平
(救世軍)、小野兼弘(釈尊会)の各氏など、社会思想・運動的に面白い土地
です。

 好並隆司氏(部落解放研究所)、坂本守信氏(翻訳家、雀荘経営)なんて
特異な人もいましたが。

2014/01/05(日) 18:20:45 | URL | しょむ研 #ZQMeTpW2 [ 編集 ]


>共産党では金の不正が問題なることは殆んどない。

こうおっしゃっていますが、不正があることは漏れ伝わってきます。
たとえば袴田問題の時です。

1977年の第14回党大会直後、袴田は「素朴な手紙」を党中央に送りつけた。「一党員として委員長に素朴な質問を致します」との書き出しから始められて、全13カ条に及ぶ質問状になっていた。この「素朴な手紙」は、常任幹部会の席上で、戎谷統制委員会責任者によって報告された。その骨子は次のようなものであったと伝えられている。

1972年1月、宮本委員長邸が東京都多摩市に新築された。その時、党中央財政から幹部防衛費という名目で3千万円が支出されている。その使途の明細を承りたい。

1977年2月、党東京都委員会会館建設援助金として、党中央財政から1億3千万円が支出されている。ところが、実際に都委員会に渡っているのは、その半分にも満たない金額である。その差額はどこに行ったのか、あなたが一番よくご存知のはずです。その支出先を受けたまわりたい。

1976年総選挙の際、党は1党員あたり平均1万円カンパを全党で集め、約24億円が集まった。このうち8億円が党中央財政に入り、同額を総選挙で費消したことになっている。ところが、実際に使ったのは約6億円である。残りの2億円は常任幹部会特別資金という名目でどこかに消えている。その分配先の内訳を承りたい。


また、宮地健一のサイトによると、津久井の不破邸の建物のいくつかが「未登記」であるようです。これが本当なら違法でしょう。
2014/01/10(金) 10:41:47 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


>井上美代が比例区(広域)で出なかった件について、私はこう思います。岡山の新婦人の末端は井上美代なんて知らないし、名前だけ知っていても全然お呼びではない、つまり新婦人はそういう選挙には向いていないと思います。 それならなおさら井上美代を東京から出した理由が分かりません。そもそも大衆団体のトップを在職のまま党議員にするということも異例でしたし。比例で当選した岩佐恵美は、衆議院議員を4期も務めていて知名度があったわけで、明らかに井上より集票力があったはずです。 2004年の参院選で、1998年に当選した15人が改選になるとき、比例で8議席確保するのは逆立ちしても無理だということ、また非拘束名簿になったため市田書記局長を確実に当選させることが必要だということで、岩佐は引退させられましたが、どうして東京に回さなかったのか?東京では今村順一郎という無名の新人を立てて惨敗していますが、若林都委員長がよほど今村を気に行っていたのでしょうか? » 返信


貴殿は、以前どこかで、レベルの低い女性幹部を高い地位につけてしまったというようなことを書かれていましたが、それは小笠原貞子副委員長・参議院議員でしょうか?
新婦人出身にはろくなのがいない、という話を耳にしたことがあります。
民青では、歳の割におばさんっぽい者が「新婦人予備軍」などと言われていました。
そうそう、「婦人民主クラブ(再建)」が「(再建)」をとって、「婦人民主クラブ」になりましたが、この組織を新婦人とは別に維持し続ける理由はなんなのかな。

2014/01/10(金) 10:51:58 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
私が@nozomi_skiについて気に入らないことは、日本共産党中央委員会書記局員・青年学生委員会事務局長というれっきとした政党公然幹部でありながら、「政治関係のお仕事してます」などとあいまいに名乗るところだ。これはまったく意味がわからない。
2014/01/10(金) 11:01:19 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]



樋口芳広さんに賛同します。
 元東大民青さんは切って捨てておられますが、ぼくは樋口さんの指摘は、(部分的に異論もありますが)全体としては的確な内容だと思います。結局自分の考え方との距離によって評価が違ってくるということでしょうか。
 文章の最後で指摘されていること、現象に惑わされずに本質を見るという言葉によってなされる状況の単純化、パターン化、恣意化によって的確な行動指針を打ち出せなくなっているということ、文章の全体はこれに対する批判を目指したものとしてとらえることができます。
2014/01/05(日) 16:27:30 | URL | 石崎徹 #uE0ZWTE6 [ 編集 ]
マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
 樋口芳広さんの文に、不破氏のエンゲルス批判というのがある。マルクスにせよエンゲルスにせよ、歴史の中で、概念や方法、知識の体系を作ってきたので、それぞれに今から見れば欠陥が多いのは当然である。
 マルクス、エンゲルスの矛盾概念、弁証法については、高原の「「世界構造の中の方法と粒度についてのノート」
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2013Papers/Takahara-TRIZHP-1307/Takahara-TRIZHP-Paper-130727.html
で批判した。このノートの最後で、マルクス、エンゲルスの矛盾、弁証法批判を述べている。
 現実の近似モデルである矛盾は、1. 対立項、2. 外部、3. 対立項の運動の生成力、推進力からなる。今回の不破氏のエンゲルス批判は、資本主義経済の矛盾について、エンゲルスは対立項の運動の推進力を考慮していないという点に関する。前の高原のコメント「不破氏のエンゲルス批判 高原利生」は、正確には、主にこの推進力に関する「エンゲルスを批判する不破氏に対する批判」である。
 マルクス主義(「科学的社会主義」)の目的、理念を実現する道、態度、自分と対象を変える弁証法的方法、論理構築力が、決議案最終章だけでなく、決議案全体に欠けている前提と考える。
2014/01/07(火) 17:28:49 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]


私の祖父は、すでに亡くなっていますが、自費出版をしました。
一つは郷土史についての研究であり、もう一つは短歌集でした。
郷土史研究は、なかなか質の高いもので、献本した専門の学者に論文で触れられました。
しかし短歌集はまったく売れず、全国の図書館に寄贈しただけで終わりました。
2014/01/06(月) 22:09:38 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
マルクス、エンゲルスの矛盾批判、不破氏の矛盾批判  高原利生
 樋口芳広さんの文に、不破氏のエンゲルス批判というのがある。マルクスにせよエンゲルスにせよ、歴史の中で、概念や方法、知識の体系を作ってきたので、それぞれに今から見れば欠陥が多いのは当然である。
 マルクス、エンゲルスの矛盾概念、弁証法については、高原の「「世界構造の中の方法と粒度についてのノート」
http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/2013Papers/Takahara-TRIZHP-1307/Takahara-TRIZHP-Paper-130727.html
で批判した。このノートの最後で、マルクス、エンゲルスの矛盾、弁証法批判を述べている。
 現実の近似モデルである矛盾は、1. 対立項、2. 外部、3. 対立項の運動の生成力、推進力からなる。今回の不破氏のエンゲルス批判は、資本主義経済の矛盾について、エンゲルスは対立項の運動の推進力を考慮していないという点に関する。前の高原のコメント「不破氏のエンゲルス批判 高原利生」は、正確には、主にこの推進力に関する「エンゲルスを批判する不破氏に対する批判」である。
 マルクス主義(「科学的社会主義」)の目的、理念を実現する道、態度、自分と対象を変える弁証法的方法、論理構築力が、決議案最終章だけでなく、決議案全体に欠けている前提と考える。
2014/01/07(火) 17:28:49 | URL | 高原利生 #mRB1KL6Y [ 編集 ]


どこかで読んだのですが、新婦人が結成される時、宮顕自ら婦人民主クラブに出向いて、新婦人に合流してほしい、共産党の下部組織のようには扱わず、そちらの立場は十分尊重するから、と言っています。
私は民青界隈に居た時、婦民(再建)の人とは1人も出会いませんでした。ですからどういう組織で、どんな人々がいるのかもまったくわかりません。「赤旗」に登場することもめったになかったしね。
新婦人関連で理解できなかったことは、1998年参院選で、新婦人会長の井上美代が東京都から立候補して当選したことです。(1期で病気を理由に引退。)その時、岩佐恵美は比例で当選しました。どう考えても普通は井上が比例で岩佐が東京だろうと思いました。井上は新婦人を除いて知名度がなかったわけだから、東京からではなく比例に出て新婦人票を掘り起こすべきだっただろうと。このことを専従に質問すると、「まあ、常幹には深い考えがあるんだろう」と言われました。
2014/01/11(土) 08:45:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]


どこかで読んだのですが、新婦人が結成される時、宮顕自ら婦人民主クラブに出向いて、新婦人に合流してほしい、共産党の下部組織のようには扱わず、そちらの立場は十分尊重するから、と言っています。
私は民青界隈に居た時、婦民(再建)の人とは1人も出会いませんでした。ですからどういう組織で、どんな人々がいるのかもまったくわかりません。「赤旗」に登場することもめったになかったしね。
新婦人関連で理解できなかったことは、1998年参院選で、新婦人会長の井上美代が東京都から立候補して当選したことです。(1期で病気を理由に引退。)その時、岩佐恵美は比例で当選しました。どう考えても普通は井上が比例で岩佐が東京だろうと思いました。井上は新婦人を除いて知名度がなかったわけだから、東京からではなく比例に出て新婦人票を掘り起こすべきだっただろうと。このことを専従に質問すると、「まあ、常幹には深い考えがあるんだろう」と言われました。
2014/01/11(土) 08:45:55 | URL | 元東大民青 #- [ 編集 ]
  1. 2012/07/20(金) 05:24:27|
  2. 未分類