古本屋通信

状況から、状況へ

古本屋通信   No 2613    2017年  06月14日

  

      状況から、状況へ

 いつもは付けない気取ったタイトルを思い付いた。今の政治状況を表現する言葉は、具体よりも抽象のほうが良いと思ったからである。私は大江健三郎の岩波本に「状況から、状況へ」と打った著作があると信じていた。ところがネットに存在したのは小田実『状況から』と大江『状況へ』であり、合体した「状況から、状況へ」など存在しなかった。自分の記憶などアテにならないと知った。

 小田本も大江本も1970年代に出版された小型本で、それなりに良く売れた。タイトルは岩波の編集者が付けたのだろう。今はこういうタイトルの本は売れない(アマゾンで1円である)。「状況から」も「状況へ」も意味が不明だから売れないのだ。1970年代当時の政治変革がそれなりにリアリティを持っていたからこそ、抽象的なタイトルでも、読者が意味を汲み取ることが出来た。


 さっき連れ合いが城下のネットワークからの帰途、岡山駅前で共産党の演説を聞いて帰ってきた。「アンタ、植本(完治)さんは演説が上手になったナア。分り易い話し方で聞かせたワ」。「ふうん」。「でも、だあれも立ち止まって聞いていない。反応ゼロでビラを受け取るもんもおらなんだ。気の毒じゃから、独りで陰で聞いてた。終わったので、ビラを配っていた女の人に、良かったです、と伝えて帰ってきた」。よかったナ」。

 私が植本さんと初めて会話を交わした日時に正確な記憶はない。ないが、彼が党中央の山口さんと古本屋の客として来た数年前だったろう。ちょうど今日の駅前演悦と同じ街頭宣伝の場だった。彼は弁士ではなくビラを配っていた。私は通行人だった。一言二言茶々を入れた。けれど邪魔者扱いにはされなかった。やはり一言二言返してきた。妙に波長が合った。初めて店に来たときマル経に興味を示した。へ~えと思った。シンヒヨの言葉も飛び出した。山口さんとは(彼が執筆した)「丸山真男論」の話になり、上田耕一郎の著書の話にもなった。植本さんは山口さんの案内人として相応しい人に思えた。理論戦線を担う党のメンバーとして、松田準一さんと双壁のインテリだと思った。

 しかし私の中には、このタイプが県委員会のトップを担うのは難しいとの認識があった。松田さんはすでに30年前、若手の県委員会書記長だったが、つまづいた。岡山市議選の指導の失敗だった。理論型の指導者は受け容れられなかった。端折る。植本さんが県委員長職に就き、連れ合いが褒めたような分り易い街頭演悦をした。植本さんは松田さんを超えただろう。そして、そういう認識は松田さんにもあるだろう。だから松田さんは安心して県委員会常任委員を降りた。これこそが正しい党である。

 僭越ながら言いたい。垣内京美さんが停滞している。彼女は抜群の理論家である。だが県書記長はよいとして比例候補に適していない党員だろう。党員任務に口を挟むのは慎みたいが、あのマズイ演悦は彼女の無能力のせいではない。寧ろ有能の証左であろう。思ってもいないことを喋るのだから口元も歪む。それを隠そうとするから能面のような表情になる。有能な証左以外ではない。


 タイトルに戻る。今の政治状況は、具体的には日本共産党をめぐる政治状況は、百点満点の零点である。毎日の赤旗を一瞥すれば疑う余地がない。だから植本さんがどんなに良い演悦をしても、耳を傾ける者はいない。ビラを受け取る者もいない。コレがマトモな(正常な)世論なのだ。共産党が間違っているのだから人民大衆が支持する訳がない。この政治状況こそ正常だ。

 共謀罪が切羽詰っており、赤旗も連日書いている。しかしキャンペーンになってない。デモに行く気が起きないだけでなく、こういうデモには絶対に行きたくない。私は中核派の大坂さんのことを書いた。これこそが共謀罪の先どりである。大坂逮捕を批判できない共謀罪反対運動の効力はないだろう。自信を持ってそう断言できる。
  1. 2017/06/14(水) 13:15:29|
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