古本屋通信

性懲りもなく妄言を繰り返す石崎徹

古本屋通信   No 2605    2017年  06月08日

  

    性懲りもなく 妄言 を繰り返す石崎徹
  妄言 根拠もなくみだりに言う言葉。でまかせの言葉。



  しばらく見ないうちに石崎徹がブログを再開していた。既に7本書いていたが、私は石崎の文芸時評は関知しない。ところがきのう下記のような「天皇退位問題 主語述語」を書いていた。石崎が3月に書いた第一回目の天皇制論が無茶苦茶で、今回の第二回目の天皇制論が正しく書ける訳がない。そう思って一読した。やはり無茶苦茶である。しかし既に拍手が2つとコメントが1つ付いている。コメントは非公開である。

 私は既に石崎天皇制論は批判し尽くしている。「通信 No 2484 石崎徹「天皇退位私論」批判」には拍手が98個、それを再録した「通信 No 2544 鬼藤千春と石崎徹 二人の終焉」には拍手が52個、合計150個の拍手が付いている。石崎は自分を批判した文の拍手数など見ていないのだろう。それとも自分が批判され尽くしたのを知っていて、それを無視して第二回目を書いているのだろうか。再批判しておく。たぶん紙幅は要しないだろう。

 今までと同様に石崎文を掲載のうえ再録し、再録文を分断して私の批判コメントを赤字で挿入する。新しい読者には私の前掲の石崎批判を併せて読んで戴ければさいわいである。


 天皇退位問題  主語述語
 2017年06月02日 (金)  石崎徹
 昨日の記事を一部修正。前皇后は上后ではなく、上皇后と言うのだそうだ。二人並べて呼ぶときにはどうするんだろうな。上皇皇后だろうか、それとも上皇上皇后だろうか。舌を噛みそうだ。
 天皇退位問題に関する政府の説明を読むと、「天皇がもうくたびれちゃったと言い、国民が同情し、それを(それって何? 国民? 天皇?)政府が忖度した」と言っている。つまり誰が発意したとも、何をもとに決めたとも言わないように用心し、すべて遠回しにして、霧がかかったようにして、わけがわからないように一生懸命努めている。同様のことが、かつて日本を愚かな戦争に突き進ませ、多大な犠牲を生じさせ、しかも誰にもその責任を取らせず、未解決のまま現在に至らしめたのではないか。
「明仁さんが天皇を辞めさせてくれと言った。国民が同情したので、政府が認めた」ということでよいではないか。これならすべての主語がはっきりしている。「明仁が発意し、国民が賛成し、政府が(もしくは国会が)認めた」のだ。すべての主語述語関係が明確であり、だれも責任逃れできない。天皇が天皇を辞めることは政治行為ではない。政治に関する権能を有しないものが、政治に関する権能を有しない地位から降りることが政治行為であるはずがない。それは基本的人権である。ところが照屋寛徳議員の質問に、菅氏は天皇には基本的人権はないと(同様の)答えを返した。
 基本的人権に例外を作り始めれば、それはどこまで行くかわからない。天皇だけの問題ではないだろう。



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  再録  批判


 昨日の記事を一部修正。前皇后は上后ではなく、上皇后と言うのだそうだ。二人並べて呼ぶときにはどうするんだろうな。上皇皇后だろうか、それとも上皇上皇后だろうか。舌を噛みそうだ。

 ひとつ前の記事も天皇制絡みで問題は多いが、旧い題材なので一応文学ジャンルの論と見做して、今回は黙殺する。石崎の論としても其々独立しているだろう。

 天皇退位問題に関する政府の説明を読むと、「天皇がもうくたびれちゃったと言い、国民が同情し、それを(それって何? 国民? 天皇?)政府が忖度した」と言っている。

 政府の説明」の典拠が示されていないが、大筋で「 」内の要約は間違っていない。但し石崎がそれって何? 国民? 天皇?と挿入しているのはケッタイである。なぜなら引用の典拠なしの自分勝手な要約に自分で疑問を投げかける文など、一人二役で本来あり得ないからだ。然しコレは石崎文の詐欺手法の典型であろう。以上を前提にして言えば、「それ」は明らかに直前文全体すなわち「天皇」と「国民」の両者である。

 つまり誰が発意したとも、何をもとに決めたとも言わないように用心し、すべて遠回しにして、霧がかかったようにして、わけがわからないように一生懸命努めている。

 コレも自分の要約を日本政府の説明とした上での議論なので論外だが、その上で言えば前掲「天皇がもうくたびれちゃったと言い、国民が同情し、それを政府が忖度した」 は明快であって 「すべて遠回しにして、霧がかかったようにして、わけがわからないように一生懸命努めて」 いない。あのね 「誰が発意したとも、何をもとに決めたとも言わないよう」 って、馬鹿じゃないの? 関係法規に拠って、日本政府が発意し、関係法規をもとに決めたことは常識であって、中学生レベルでも分かる。

 同様のことが、かつて日本を愚かな戦争に突き進ませ、多大な犠牲を生じさせ、しかも誰にもその責任を取らせず、未解決のまま現在に至らしめたのではないか。

 石崎流の印象批評でそうなる事は何んとなく分らないでもない、と先ず理解を示しておこう。そういう印象批評が出てくる根拠はタダひとつ、つまり大元帥・天皇ヒロヒトを戦後生かし続けたからだ。ヒロヒトは極東軍事裁判に懸けられることなく、絞死刑を免れた。この一点にこそ戦後日本の諸改革が中途半端に終わった根拠がある。然しコレも日本の無条件降伏の結果である。すなわち日本革命の流産がもたらした不幸であった。ここからは現代民主主義革命の課題こそが我々に突き付けられる。石崎にはそういう認識はないだろう。政治的ニヒリズムゆえに文学の道を歩んだのだから。

 「明仁さんが天皇を辞めさせてくれと言った。国民が同情したので、政府が認めた」ということでよいではないか。

 そうだ、ここまでは全くその通りだ。

 これならすべての主語がはっきりしている。「明仁が発意し、国民が賛成し、政府が(もしくは国会が)認めた」のだ。

 全く違う。石崎はなぜこのように低脳なのだろうか。日常生活の言語がそのまま政治の言語になるのなら、そもそも政治統治(機構)は要らない。すべての分野でそうだが、とりわけ皇室をめぐる案件でそうだ。明仁がしんどいから辞めたいと呟いたことが、なんで「明仁が発意し」たことになるのか。全くならない。この場合の「発意」は日常用語ではない、法律上の用語である。また石崎は国民が「同情」とか「賛成」とか書いているが、そんな声は街の声であって、法制的に何の根拠もない。国民投票でもない、せいぜいブル新聞のアンケート調査である。政府と国会が議論しているのはまさに法制的に決着をつけねばならぬからだ。

すべての主語述語関係が明確であり、だれも責任逃れできない。

もう無茶苦茶だね。オツムが分裂症候群。アンタの心証風景(街の声)と、それを法の上で処理する政治の言語と分けて考えてごらん。ニ元的に考えてごらん。

天皇が天皇を辞めることは政治行為ではない。政治に関する権能を有しないものが、政治に関する権能を有しない地位から降りることが政治行為であるはずがない。

 天皇が天皇を辞めることは)「政治行為」 もなにも、現状では、という意味は現在の法(日本国憲法と皇室典範)では、生きている限り不可能なのよ。分る? 頭は大丈夫?

 それは基本的人権である。

 
 頭、ワルイねえ。天皇には基本的人権はないのよ。このまえ勉強したでしょう。日本国憲法で定める選挙権も被選挙権もないし、婚姻の自由もないって。何を聞いていたの?
 石崎には人間には何が何でも基本的人権がなければならないという近代の自然法思想がある。でもそういう意味での近代でない前近代が象徴天皇制を含む王政である。だから我われは天皇制に反対している。分るだろう? 象徴天皇制においても天皇に基本的人権はない、ということは人間扱いにされていないと云うことだ。これは極論すれば天皇は人間ではないことを意味する。
 これは明仁・美智子夫妻を初め、私が大好きな紀子さんの人間性を擁護するために書くから、誤解しないで読んでください。今の左翼にはいないけど、気ちがいのアナーキストが皇室のメンバーを狙って殺人または殺人未遂を起こしたとする。日本の刑法は適用されるのか。今の法曹界ではこの議論そのものがタブーだが、当然ながら殺人罪または殺人未遂罪は適用されないだろう。戦前なら大逆罪があった。今はない。皇室には基本的人権がないから、その生存を否定する殺人(未遂)を罰する法律さえもない。

 ところが照屋寛徳議員の質問に、菅氏は天皇には基本的人権はないと(同様の)答えを返した。基本的人権に例外を作り始めれば、それはどこまで行くかわからない。天皇だけの問題ではないだろう

 あのなあ、政府の菅官房長官が保守反動か否かは措いて、菅が日本国憲法のイロハに反する事を言う訳ない。言えば一日たりとも職に留まれない。石崎はそうは思わないのか? これでマトモに菅を批判した気になっているのだから、もう××しかないナ。「基本的人権に例外を作り始めれば、それはどこまで行くかわからない」。既に例外は70年前の日本国憲法制定時に作られている。どうにも救い難い政治音痴だナ。ああああああ
  1. 2017/06/08(木) 00:25:14|
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