古本屋通信

マル彦さんがヘンなこと言ってる

古本屋通信   No 2596    2017年  06月02日


   またまたマル彦さんがヘンなこと言ってる。

469マル彦
2017/06/01(木) 21:57:43.78
今年は!「激動の7か月」の!幕開きとなった!1967.10.8から!50周年という!
記念すべき年ですが!!
思えば!あの年には!「善隣学生会館事件」なんていうのも!起きたのでしたね!!!
れんだいこより引用
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/gairyaku/gairyaku_7_2.htm
>善隣会館で日中友好協会をめぐり日共党員と中国人留学生が衝突。
>日共系が棍棒部隊を動員したため中国人留学生に負傷者が多数発生した。

あれから!50年が!経っても!日共宮本修正主義集団系「ニセ日中」の!
日中友好協会(正統)への!恨み節は!まだ続く!!!
善隣学生会館襲撃事件50周年に当たって
http://www.jcfa-net.gr.jp/kenkai/2017/170415seimei.html




  古本屋通信

 れんだいこはアホだから仕方ない(論に無理があるんだ。こじつけ。例えば学生運動の派閥で「毛派系諸派」などと平気で使う。そんな「諸派」は何所にもない)。善隣会館事件なんてあったね。事件としては羽田・佐世保事件の十分の一もインパクトなかった。善隣会館事件のウィキを読んでみたら、ゴチャゴチャ書いてあった。私はディテールの議論に加わらないで、当時のことを思い出して少しだけ書いてみたい。

 つまり事の善悪は論外である。100パーセント日中友好協会が正しい。中国人留学生って、華僑のことでしょう。なんで日本の地で日本の日中友好運動に口を挟むのよ。論外でしょ。毛沢東盲従は中国の地でやったらよい。北京空港で日本共産党の砂間一良幹部会員と紺野純一赤旗特派員を袋叩きにした、それの延長を紅衛兵のチンピラが日本でもやろうとした、ただそれだけのことでしょう。そもそも他国の留学生の分際で、一人前に日本の運動に口を挟むなんて常識では考えられませんね。向こうの親玉の意を受けたキチガイでしょう。林健太郎さんでさえも暴力はチンピラが先だったと言っていますよ。

 この事件で民青は初めて正当防衛権を発動してチンピラを粉砕したんですね。全く正しい。指揮したのは誰だったのでしょう、川上さんかな。いい練習になったね。東大闘争の予行演習だった。

 こんなチッポケナ事件はどうでもよいのです。それよか、在日華僑は論外として、当時の日本の毛沢東盲従分子が、いかに勢力がなかったか、それだけを書いておきましょう。

 中国の文化大革命に伴なって、日本にも盲従組織はわずかに出来ました。然し、日本の大学でコレを支持した学生自治会は皆無に等しかった。山口大学のみでした。つまり学生の中では影響力ゼロでした。大人の組織、その代表は盲従日中友好協会(正統)でしたが、これくらい人間のカスの集まりはありませんでした。つまり日中貿易などの利権狙いだけでした。要するに中国に盲従していれば儲かる、これが彼らの友好運動でした。

 あれから50年経ちます。マル彦さんが紹介してくれた日中友好協会の声明文を下記に貼っておきました。



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 日中友好協会声明
 善隣学生会館襲撃事件50周年に当たって
 1967年、善隣学生会館(東京都文京区後楽)にあった日中友好協会本部事務所が暴力をもって襲撃されました。この事件を体験した人は70代以上になっており、自ら体験した人は少なくなっています。
 中国との関係が回復し、交流も盛んになりましたが、事件を忘れずに教訓とすることが、今後の日中友好運動にとっても、未来に向かって発展させるためにも大事なことだと思います。
 1966年、中国で文化大革命が始まり、毛沢東などは日本も文革式の革命が必要だと主張し、それに同調した一部の役員が協会から離脱、別組織を作ったのは同10月のことでした。
 翌年の67年2月28日に本部事務所がその組織に影響を受けた集団に襲撃されるという事件が発生したのです。文革を支持しなかったという理由だけですが、事務所の窓ガラスは割られ、水浸しにされ、襲撃があるため部屋の外にあったトイレにも行くことができないという状況でした。
 それから3年の間、散発的なものも含め100回以上にわたって暴力行為は続けられ、300人以上の重軽傷者が出ました。この事件は、日本の友好運動への干渉の結果起こったものですが、その後、国内の多くの団体、大学、民主運動にも同様の混乱が持ち込まれたのです。
 協会は、その間全国の会員や平和民主団体などの支援を受けて事務所を守り抜き、日中不再戦平和運動、中国語や太極拳をはじめ、中国の文化を学ぶなど、草の根の運動に取り組みながら協会を存続させてきました。
 協会は襲撃を受けた直後から、33年にわたって中国側から一方的に関係を断たれましたが、中国自身が文革の誤りを認め、99年に中国側の反省などもあり、交流が再開し、今日に至っています。
 あれから50年が経過しました。多くの人はその事実を知りませんし、そのような暴力的な事件があったことは信じがたいかもしれません。しかし、それは紛れもない事実でした。そして、その事実の中で、あらゆる困難を克服して、原則を守り、日本の国民の中に運動を広げようと努力したことが、今の友好運動がある証でもあります。
 協会は、60数年の歩みの中で、アメリカ占領軍や日本政府の妨害など、多くの困難と闘い、日本国民の自主的友好運動としてたゆまぬ努力を続けてきました。
 善隣学生会館事件から50年を経た今、あの事件の本質を省み、これからの友好運動のあるべき姿を改めて確認することが大事だと思います。
   2017年4月15日      日本中国友好協会


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 当時の人間のカスの声明  これが現在の丹羽宇一郎会長の「日中友好協会」である。こんなクソ協会は認められない。

 二月二十八日から善隣学生会館に起こっている事件は、日中両国関係にとって、重大な影響をおよぼす問題であります。

 同会館は、中国の留学生会館として建設されたものであります。戦後、この建設は、財団法人善隣学生会館によって運営されることになりましたが、三階、四階は、中国人学生寮とし、二階、一階は日中友好のセンターとして使用することになりました。

 昨年十月二十五日、日中友好協会第十三回常任理事会で、日中友好協会は、日中友好運動の妨害勢力となった日本共産党宮本派を排除するため、それまでの事務所であった善隣学生会館の一室を一時退去せざるを得ませんでした。

 このときから善隣学生会館に問題がおこりました。日本共産党宮本派は「日中友好協会」を名のる党員集団によって、旧事務所を占拠させ、日中友好の看板をかかげて反中国活動をする拠点にかえてしまいました。

 かれらは、日中友好のセンターたるべき会館内において、反中国宣伝をおこない、毛沢東主席を侮辱する言動をほしいままにしました。会館に住む中国人学生が、これに抗議する壁新聞をはらざるを得なかったのも当然であります。

 これに対して「日中友好協会」を名のる日共宮本派の集団は、中国人学生に殴る蹴るの暴行を加え、ひとり歩きもできない状態におちいらせました。

 三月一日夕刻、中国人学生は、この日共宮本派の暴行にたいする抗議集会をひらきました。真の日中友好を願う多くの日本側諸団体が、この集会に参加し、ともに抗議しました。

 これに対して、日共宮本派は数百人の「日本共産党」員と「民主青年同盟」員を動員し、二日未明にいたるまで反中国言動をほしいままにしました。

 三月二日、午前と午後の二回にわたって、この日共暴力団は中国人民と、わが日中友好協会(正統)本部会員におそいかかり、危篤二名をふくむ七名の重傷者と多数の負傷者を出しました。

 しかもかれらは、サギをカラスといいくるめ、中国人学生が暴徒であり、かれらが被害者であるかのような宣伝を大衆におこなっています。

 われわれは、日共宮本派のような反中国暴力行為に断固として抗議します。

 われわれは、善隣学生会館当局が中国人の生命、財産の安全を確保するために、会館内からこの日共暴力団を排除することを要求します。

 われわれは、日本政府と、日本警察当局が、日本の地において日共暴力団が中国人学生に対して、残虐なテロ行為をおこなうのを許したことに抗議します。

 われわれは、日中友好を望む広範な国民に真実を伝え、ともに手をたずさえて、日共宮本派の日中関係破壊の陰謀を粉砕するでありましょう。この問題に関する一切の責任は、あげて日共宮本派にあります。

 一九六七年三月三日  日中友好協会(正統)本部


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 今となってはゴミ。以下をどうぞ。


 宮崎世民  ウィキペディア

宮崎 世民(みやざき せいみん、1901年10月17日 - 1985年8月19日[1])は、日本の政治家。元日中友好協会理事長。
熊本県出身。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。宮崎民蔵の子。宮崎滔天の甥に当たる。幼少の頃は孫文とも接点があった。『土地農民にかえる』などを翻訳した。
日中友好運動に一貫して貢献し、日中友好協会結成に尽力。理事長などの要職を歴任した。
文化大革命を賛美し、日中友好協会(正統)に結集。一時期は日中友好協会(正統)の運営をめぐって黒田寿男と敵対関係になり、日中友好協会(正統)は日本共産党(左派)系(宮崎世民ら)と日本社会党系(黒田寿男ら)に分裂したが、まもなく中国の調停で統一した。1985年死去。
  1. 2017/06/02(金) 16:46:57|
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