古本屋通信

『女人随筆』はいかにゴミか

古本屋通信   No 2583    2017年  05月27日


    『女人随筆』 はいかにゴミか。

 一昨日手に入れた『女人随筆』(創刊号~第40号)の中に一冊欠号があったが、重複が三冊あった。その重複号の第三号が手許にある。

 箸に棒にも掛からないクソ女の集合体だと書いた手前、一寸だけその証拠を示しておこう。

 手間は掛からない。第三号の表紙をめくるだけで十分である。表紙裏には三戸政子の短歌が3つ載っている。その左の第一頁目に 「日々のつぶやきーーよい随筆とは」の巻頭文が20行書かれている。筆者は(N)である。これを永瀬清子と看るのは常識であろう。三戸政子、永瀬清子の順に批判しておく。

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 三戸政子は短歌である。

 「中核派」の旗ふり立てて勢ひゆくを心重たくわれは見送る

 一つで十分である。この号は1968年3月の発行だから、その前年に作歌したのであろう。中核派全盛の頃である。1967年の羽田事件あるいは佐世保事件の頃の中核派であろう。三戸が中核派をどう思おうと三戸の勝手である。しかしこれじゃあ歌にも芸術にもなっていない。三戸は共産党員だから、その立場から中核派を批判したつもりなんだろうが、これじゃあ公安警察の女房が詠んだ歌が、右翼愛国党が詠んだ歌か、その区別さえ付かない。つまり左翼的批判でも芸術的批判でもあり得ない。あとの二首も同じようなものだ。
 三戸の役割は永瀬や杉山や入江が新左翼にも同情的であるのを、共産党の立場から抑制することだったろう。さあ、成功しているのかどうか。
 このさい三戸の息子夫婦の事実もバラしておく。公然の事実だからバラすというより周知徹底させる。息子は共産党中央の職員だった。その細君は三戸潤子といい、新日本出版社の社員だった。辞めて岡山に帰ってきて、一時「まがね文学会」に出て来ていた。とことんエリート主義だった。「まがね」の編集を妹尾倫良がやっていた。すると三戸は妹尾に「編集は大卒でないと無理よ」と言ったそうだ。アホぬかせ、作品書くのに大卒も中卒もあるもんか。文芸誌の編集も同じである。この発言が災いしてか、三戸潤子は「まがね」から消えた。とことん左翼エリート主義だった。今では民文もやめている。俗物の母と子である。

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 永瀬清子も全文を引く必要はない。

 最初の7行。

 立派な婦人たちばかりの集まりに出ても、一こうに面白くないあきれる事がある。
 それはその婦人たちが自分の心をあからさまに打ちだすことを避け、事なかれのご挨拶とか、知識のひけらかしのみに話術を滑らしているからである。すべて自分の息子はよい学校をでてよい職場につき、夫は一流の会社の一流のじんぶつであるという自慢話なら、聴く方は何一ツ印象にのこりもしないし心惹かれる事のない。

 最後の3行。

 本当は書く者に一分でもエリート意識があったら、どんな深い学識も趣味も詰らないものになる。
 なぜなら随筆は、ありと仮定する真の友人に呼びかける仕事なのだから。(N)

 いったい誰に向かって説教を垂れているのか。文盲の農民の主婦に向かってか。これくらい高見からエリート意識丸出しに御高説を吹聴されると、戦前青年を死地に送り出して殺した聖戦詩を思い出す。あの時とまったく変らない。死ね、クソ婆あ、あああ・・・。
  1. 2017/05/27(土) 09:52:54|
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