古本屋通信

済生会病院整形外来訪問記

古本屋通信   No 2571    2017年  05月21日


     事故のてんまつ 
  済生会病院整形外科(救急外来)訪問記



  表題は臼井吉見の小説の題名を借りた。はじめ「顛末」としていたのだが、「てんまつ」 のほうがよいと思いなおした。この小説は、川端康成の自殺の原因がお手伝いへの異常性愛であると書いて告訴され、結果絶版になった。ところがいま見るとアマゾンで1円で買える。つまり今となってはゴミなのだろう。私も1977年に宣伝につられて読んだが面白くなかった。内容以前に批評家の書いた小説はダメだと思った。

 一週間まえ自宅の門口ですべって頭と足を打った。さいわい頭に怪我はなかったが、左足のくるぶしをコンクリートにぶつけた。立ち上がれない程ではなく、骨に異常はないと直感した。然しくるぶしは黒くはれ上がり歩くと痛かった。とりわけ自宅2階には歩いて上がれなかった。然し3日目には痛みも腫れも改善された。ところが足の先までに腫れてきた。痛みは鈍痛である。日にち薬だと思って放置しておいた。骨折していたらもっと痛いだろう。

 きょう古紙回収のYさんが店に来たので足を見て貰った。腫れあがっているのに何故シップをしないのかと言う。シップすると腫れは引くと言う。初耳だった。シップは気持ちがよいが、薬理効果はないという認識だった。まあそれは買って貼ってもよいのだ。そう告げると 「アンタは糖尿があるから放置しないで医者に行った方がよい」 とのたまう。何でも足の傷口から毒が上半身まで廻って命取りになる場合があるそうだ。たぶんリンパ管を伝わってだろうと言う。そこまで行かなくても足を切断するケースもあるらしい。

 すっかりビビってしまった。病院に行くのは早い方がよいと言う。きょうは日曜日ではないか。明日は用事があって行けない。困ったと言うと、日曜日は平気だと言う。救急に行けばよいと教えてくれた。そんなに緊急を要しないと言うと、「アホか」 という。つまり大病院の緊急は24時間体制(体勢)で、いつでも誰でも利用できる仕組みになっている、だから誰に気兼ねすることもなく利用すべきだとのこと。

 私には済生会病院救急について、Yさんのような認識はなかった。というのは、かつて古本屋の店に来ていた女子研修医が救急を担当していた時期、「なんで緊急を要しない患者が救急を我が物顔に使うんよ」 と怒っていたのを憶えていたからだ。然しそういう先入観なしにコレから直ぐに行ってみよう、そう心に決めた。

 済生会病院本館の何所にも救急窓口は存在しなかった。それで国体町の新館に行ったが、それらしい窓口はなかった。然し日曜なのに人の出入りがあったので受付に訊いてみた。まさしく救急の受付だった。その対応のいちいちは書かないが、とにかく親切だった。本館とはまるで違う親切さだった。けれど、それは担当者の個人的対応の違いではなかった。この救急はゆとりがあったのだ。時間待ちの患者は数人だけだった。

 受診の前に看護士の問診があった。その後20分ほど待たされた。でも今後は救急を使おうと決めていた。残された問題は、果して整形外科の専門医が対応して呉れるかどうかである。

 第2診察室に呼ばれてはいると、若い男の医者だった。一目て安心した。待たされたのは何処かで寝ていたのだろう。叩き起こされて、顔も洗わないでツッカケを履いて顕われた。親切だった。問診で喋ったことを、もう一度喋らされたが苦痛ではなかった。レントゲンを撮ってみようとなった。この時点で私はすでに安心していた。

 結果、骨折はなかった。いまのところ心配はない、痛みも腫れも引くまでに普通は2週間かかる、それで治らなかったらまた来てください、でも心配には及びません、とのことだった。それからシップは腫れをとる効果はなく、あくまで痛みを和らげる効果しかないとのこと。

 以上、なんの主観も交えず書いた事故の顛末である。

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 最後に。私が何時もは書かない平凡な事故の報告文をなぜ書いたか。それについて一言。自分の書いたこの文がよい文だとはユメユメ思っていない。たった30分で書き撲った日記である。下に貼った大本芳子さんの推敲に推敲を重ねた文と比べてほしい。べつに貶す積りはない。ひとは多くの場合、日記以上の文を書こうとする試み自体、しょせんムダではなかろうか。

 これだけでは余りにもツレない(思いやりがない)ので一言批評。大本さんの文に限らないが、自分史だとかエッセイだとか銘打った文の多くは、無内容を糊塗するかのように文を飾る。装飾する。これが限りなく醜い。醜悪である。この文もその典型である。レベルは中高生である。私の文は決して上手ではないが、それ以前に上手に書こうとしていない。大本さんの文は上手に書こう、上手に書こうとしている。推敲とは彼女にとってそう言う意味でしかない。そういう魂胆が透けて見える文は決して他人から支持されない。そもそも最初から心掛けが間違っているのだ。文は初めから自己表出を目ざすものではない。文は他人とのコミニュケーションの手段にすぎない。岡山県エッセイストクラブの文がまるでなっていないのは、そもそもモチーフ(文学・美術などで、創作の動機となった主要な思想や題材)がないからだ。モチーフがある人は決して自分史など書こうとは思わないだろう。そういう自己顕示の場所には足を踏み入れない。ちゃんとした韻文と散文のサークルと結社はいくらでもある。大本さんが書けるとしたら、共産党歴の反省だけだが、私の見る限り無理だ。なぜなら反省の視座を獲得していないから。大本さんが晩年出来ることは文筆ではない。赤旗を拡大し、配達することだ。そして科学的社会主義の古典を読むことだ。それを熱心にやれば、自分が如何に文筆に向いていないかを知るだろう。正直に書いてごめんなさい。とても読めたもんじゃないということです。きれいごとは書けませんから。

 もう一つだけ私の体験から。文を書く行為は自他とのたたかいだろう。なにも私のように喧嘩腰の文を書く必要はないが、まず「差し障りのない文」を書こうと思わないことだ。「差し障りのある文」でなければならない。その根拠は現代社会が階級社会であることだ。つまり万人に喜ばれる文などあり得ない。嫌われてナンボである。私は若いころから論争に明け暮れた。そしてそのような文を読み、また書いてきた。大本さんは革マル派と中核派の機関紙を読め。そうすれば少しはマトモな文章が書けるようになるだろう。


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5月度自分史教室=私の原稿は「足立美術館」
大本芳子

5月度は、私の作品発表でした。今回は添削前の作品をまな板に載せ全員で感想を出し合いました。
「総花的だ」。「もっと焦点を絞って書いたら」。など沢山の批評を頂きました。私は議員の時の癖がものを書くといつも出てきて出張レポートのようになります。みなさんのご意見を踏まえて少し推敲した作品をご紹介します。お読みください。そしてご意見などお寄せ下されば幸いです。



 足立美術館   大本芳子

 平成六年四月、所用で安来市へ行きました。安来市といえば、1番に挙げられるのは、足立美術館です。

 足立美術館は、駅からタクシーで三〇分のところにあります。古戦場月山を借景に1万三〇〇〇坪を有する美術館です。個人美術館とは思えない、いや!個人美術館だからできる贅沢さが、かえってカルチャー的雰囲気を盛り上げています。まずは壮大なスケールに圧倒されました。

 「庭園もまた一幅の絵画である」これは足立美術館創設者足立金康氏の言葉です。玄関を入り、歩を進めるたびに広がる閑雅な風情は、館内の日本画と相まって私の心を静へと誘ってくれます。

 枯山水庭、白砂青松庭、苔庭の中に点々と淡いつつじが咲き、窓がそのまま額縁となり一枚の絵画のようです。

 「日本庭園をお楽しみいただいた後は二階に上がって日本画の美をご覧ください」という案内板が心憎い。胸をドキドキさせながら横山大観特別展示館へと進みます。

 この特別展示館には、横山大観の初期から晩年までの一三〇点の大コレクションがありその中から常時二〇点余りが陳列されています。美術品保護のためケース内は、二四時間完全空調です。さらに鑑賞者の出入りによって照明が点滅する自動調光など、最高の管理がされています。私は今まで数多くの美術館を歩いてきましたが、これには驚きました。

 館内には横山大観をはじめとし、近代日本画壇の巨匠たちの作品が、一三〇〇点収蔵されていますが、私が最も気に入ったのは、川端竜子の『愛染』と題する作品です。

 愛染という言葉の意味は、溺愛とか煩悩を表す仏語だそうですが、幾重にも重なり浮かぶもみじの紅の中、夫婦愛を象徴する番のオシドリが互いに気遣いながら、遊泳する軌跡が描かれています。オシドリの表情がなんとも言えません。
二時間ではとても館内を回りきることはできません。陶芸館、童画展示室は、次回にまわすとし、素通りしました。今度は仕事の合間ではなく一日ゆっくりかけて庭園も鑑賞したいと思いました。

 足立美術館は、時間を忘れさせ、見る人をとてもリッチな気分にしてくれる美術館です。帰る直前に飛び込むようにして入った喫茶室で食べた抹茶ムースのおいしかったこと。おかげでロッカーに荷物を忘れ、引き返して一電車遅れてしまいました。

旅暮るる湯気たつ粽買ひにけり   芳子



田渕紀子 2017年5月20日
自分史での原稿とは少し違った感じでした。そしてこの文章を読んでもう一度足立美術館に行ってみようという思いを強くしました。大本さんの原稿をたどって見ようと思いました。そして私も同じ思いをするかしら。私はまた違うたどり方をするかしらと、少し楽しみにしています。
秋、紅葉の時期に訪れようと思っています。
楽しい自分史を有難うございました。


大本芳子 投稿作成者2017年5月21日
お読みいただきありがとうございました。先の作品(教室へ提出した推敲前のもの)と比べていかがでしたかしら
  1. 2017/05/21(日) 22:35:05|
  2. 未分類