古本屋通信

「共謀罪」反対運動の問題点

古本屋通信   No 2563    2017年  05月16日


    「共謀罪」反対運動の問題点

 「共謀罪」 あす国会可決か。困るが阻止行動には、どうしても参加したくない。

 端的に書く。共謀罪に反対する共産党の言い分の一つに、「今の共謀罪ではテロが何かということが明らかになっておらず、テロをほんとうに防止する法律案になっていない」 と云うのがある。私はこういう反対理由で、共謀罪に反対する運動の隊列に加わることは絶対にできない。

 「テロの定義が明らかになっていない」 と言うが、テロの定義が明らかになってテロを防止することが可能な法律なら、賛成してもよいということになりかねない。そもそもテロの定義が明らかではないのは、政府自公政権の法案だけではない。反対する側も不用意である。それは反対者側も、テロそのものの定義を明確にせず、「テロは防止すべき犯罪」 との前提で共謀罪に反対している。これでは完全に国家権力の掌に乗せられていると見做さざるを得ない。

 そもそもこの日本に、右翼の「一人一殺」テロ(愛国党員の浅沼刺殺)以後、政治テロなど存在しなかった。存在したのは暴力団どおしの殺し合いだけであった。左翼の内ゲバも、オウムのポアも政治的テロではない。左翼テロとは、例えば自民党の総裁を暗殺することによって、政治革命を達成する試みである。そういう幼稚な政治目標を掲げる政治党派は現代では存在しない。個人の政治テロリストもあり得ない。あると云うなら具体的に挙げてみろ。

 ハッキリさせておきたい。今の政治体制の変革を、必ずしも議会で多数派を握る途を通じてではなく、大衆的政治運動の力をもって成し遂げようとする試みこそ真っ当な革命運動である。その過程では革命運動が必ずしも平和的に進められない局面は当然ありうる。これは全くテロの範疇ではない。そもそも政治権力は革命運動とあらゆる社会運動をテロと見做しているのだ。

 たとえば自衛隊の海外派兵を、デモの隊列でもって実力で(国家権力の側から見れば暴力で)阻止する局面は当然ありうるだろう。これをテロと決めつけられてはたまらない。如何なる大衆的デモストレーションも、政治指導者個人の殺害を目ざしていない以上、断じてテロではない。この点が共謀罪に反対する側に曖昧なのである。

 いま共謀罪に反対する側は、ちょとした市民の会話や行動が共謀罪の対象にされるとさかんに宣伝している。これは本当だから宣伝は誤りではない。大むかしに警職法という悪法があった。男女のデートまで取り締まる悪法だった。だが本当の狙いは人民の政治運動の予防拘禁だった。今の共謀罪も、人民の政治的行動を事前にチェックして反体制運動を取り締まり、思想信条の自由なき暗黒社会を狙った悪法である。つまり戦前の治安維持法の復活である。断固粉砕しなければならない。

 もうひとつだけハッキリさせておこう。フランス革命やイギリスの名誉革命を引用するまでもなく、各国人民には旧くなった旧体制を人民の手で変革する権利がある。これを革命権と呼ぶ。革命権を肯定する思想を革命権思想という。人民が本来持っている基本思想である。これをテロ思想として真っ向から取り締まりの対象としたのが今回の共謀罪であろう。

 念のために確認しておくが、旧くなって耐え切れなくなった旧体制を革命に拠って打倒し、変革するやり方は、革命派が議会で多数派を握る無血革命の道が唯一の道とは限らない。革命の形態は敵の出方による。日本共産党61年綱領の示す通りである。

 結論を書こう。いまの共謀罪反対のたたかいは臆病すぎて、私は隊列に加われない。「日米安保条約反対」のゼッケンを付けてデモに参加したら白い眼で見られ、「アベ政治を許さない」のプラカードを一律に持たされるデモなどに、私は参加できない。ここ一年の大衆運動は完全に死んでいる。運動参加者の自主的発意を削ぎ、運動の創意を殺す党派の官僚統制が行きわたっている。「安保破棄」 の政治スローガンを、一律に 「アベ政治を許さない」 に変える政治集会など、腐りきった「左」のファシズム集会である。
  1. 2017/05/16(火) 21:55:51|
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