古本屋通信

社会認識のレヴェルとプライバシ-

古本屋通信   No 2533    2017年  04月22日


    社会認識のレヴェルとプライバシー

 きのう近所の岡山平和書房へ行って、刊行されたばかりの中山芳樹さんの小冊子 『峠のむこうへ』 を買ってきた。その内容とも少し関係するが、書きたいのはその書評ではない。私は書物の内容に触れることはあるが、基本的に書評は書かない。どうしても提灯になりがちだからだ。

 著者の中山さんのことを書くが、関係して今はネット上から消えた鬼藤千春氏を論難することになる。

 まず 『峠のむこうへ』 だが、この冊子の前半で中山さんは自分の元妻が被差別部落の出自である事を公表している。それが元妻の了解を取っているのかどうか分からないけれど、人権連おかやまの中島さんが序文を書いているくらいだから問題はないのだろう。そしたら 、この冊子を読んだ全ての人は私を含めて、中山さんの家族に被差別部落出身の人物がいたと書くこと自体には何の問題もなかろう。まさに言論の自由である。

 今は削除しているが、数年前、私は古本屋通信で中山さんが手離した古本のことを書いた。それが大量に万歩書店津島店に流出していた。彼が心の病気から手離さざるを得なかったことも分かったので、そのように書いた。これは残された古本から読み取ったものである。もちろん私の解釈もあった。しかし病気が心の病気であるだけに、公表することに躊躇いがあった。そのうち中山さんが民文まがね文学会に加わっていることを知った。同時に彼が自著 『統合失調症から教わった14のこと』 を上梓して、自分の病気を公表していることを知った。

 私は自分の古本屋通信の記事を公開した。それには中山さんの病気にも触れているが、主として彼の書籍と読書を批評した文だった。そしたら 「私、民文のものですが・・・・本人(中山さん)が気を悪くすることは間違いないから、すぐ削除してください」 との匿名の投稿があった。私は怒り狂った。私は直ちに反論を書いてブログに掲載した。これが鬼藤氏だった。本人が民文を名乗る、だから石崎氏にも苦情を書いた。そしたら石崎氏は名前こそ挙げなかったが、すでに民文を退会している人物だろうという返事だった。それで私はクレーム投稿が鬼藤氏であると知った。

 私はこのとき鬼藤という人物は箸にも棒にも掛からな人間だと認識した。2つある。傲慢であること。もうひとつは社会的認識が著しく劣等である。なぜ傲慢で社会的認識が劣等か。書けば限りがないが、一言で言えば、鬼藤氏は私と中山さんの間に何の正当性もなく入ってきた不純物である。

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 まず大前提をハッキリさせておこう。この民主主義がタテマエの世の中、基本的に誰が何を書いても自由である。虚偽の事実、公表されていない住所、氏名、電話、家族関係、それ以外は何を書いても構わない。諸々の法律、例えば著作権法等々はある。だがプライバシーは個人2者間の問題である。何を書いたらダメということは全くない。プライバシーの侵害だと思えば本人が訴えればよい。まあ認められるケースは少ない。それだけ日本は言論が自由である。鬼藤氏は他人のプライバシーを口にしただけで表現者失格であった。それも選りによって私のようなセミプロに因縁を付けるとは。

 私自身のブログに係わるプライバシー問題に触れておく。「自分は匿名(古本屋通信の名)で、他人の実名を挙げて批判するのは許せない。法的措置を検討中」 と投稿した2chがあった。低脳のゴロツキである。これだとネット配信の過半数はボツだろう。基本的に安倍批判と林じゅん批判に差はない。これは林も公職だからではない。いかなる個人であろうとネット上または紙の媒体に書かれているものは批判の対象にしてよい(これが分かりにくい人にはこう説明しておこう。他人を褒めるのは肯定評価だ。貶すのは否定評価だ。褒めるのが良くて貶すのが悪いなどという事はありえない。褒めると貶すは正反対に見えるが、言論の自由という土俵の上では同等である。褒めて良ければ、貶しても同様に良い)。プライバシーは公表されていない個人の住所や氏名や電話番号(だから古本屋通信の屋号や住所はアウト、林じゅんの住所や電話番号は岡山市のHPに公開されているからOK)、それに個人の書簡や日記である。しかし書簡や日記が放擲されている場合、個人名を隠して公表しても構わない。

 次に、私自身が何の問題もないと思っても、書かれた方が書いてほしくない、プライバシーの侵害だ、すぐに削除せよと要求する場合 はあるだろう。上記の鬼藤氏のような他人の場合は論外だが、記載内容が書かれた本人の場合だ。私の場合、中高時代の旧友(女性)で一件クレームが付いた。このとき私は無条件に消した。今後もそうするただし本人が公職でない場合だ。市井の一個人に不愉快な想いをさせることは本意ではない。但し私は悪いと思って書いていない。プライバシーの侵害に当らないと思って書いているし、争えば絶対にプライバシーの侵害ではない自信はある。先方の意を受けて削除するが、以後のお付き合いは一切しない。もちろん詫びるような問題ではない。削除してオワリである。友情というか信頼関係を毀したのは先方であるとの認識である。

 私はすでに半数以上の文を消している。武田クンや石村さんを批判した文は殆ど残っていない。残す必要のない文である。書きたくて書いた文ではないから、出来るだけ早く消したい。書かれた本人も嫌だろう。だったらやっちもない文を書くなよ。


 当面、野党共闘核兵器禁止条約賛美は批判し続けることになる。しかし私はいまだに信じられない。こういうことが通用する共産党なら 日本共産党ポル・ポト派 もまんざらありえない事ではなかろう。これは怖い話である。
  1. 2017/04/22(土) 11:09:12|
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