古本屋通信

なんでこんな記事に拍手が?

古本屋通信   No 2533    2017年  04月22日


   なんでこんな記事に拍手が30個も付くんだ?


 下に再録した古本屋通信は、たまたま産経新聞で見つけて、面白いから転載したものだ。リードを付けるのが3分、コピー取りが7分だろう。自分がエントリーを立てたことさえ忘れていた。いま見ると拍手が31個付いていた。面白いんかナア。私は昨日の赤坂さんを批判する記事には苦労した。書くからには、一言一句ないがしろ【蔑ろ】に出来ない。分量は多くなかったが、何度も書き直し、加筆したり、削除したりした。ゆうに3時間は懸っているだろう。やっと満足のいく文になった。まあ拍手は少ないだろう。赤坂さんも救われるナ。

 再録した文を読み直してみた。確かに面白い。私の書いた記事ではない。産経の記者が書いた記事である。まあヒットだな。これを再読して、武田英夫クンの引退の会を思い出した。自民党や経済界のお歴々が参加していた。同じことだ。武田クンはさすがによく見ていたんだなあ。けっきょく大物政治家は末端の兵隊とは訳が違うという認識だろう。

 下の記事を見れば学歴もちゃんと生きている。さすがに東大はやらんだろう。東北大はやっている。岡山では岡大は多すぎるからやらない(いや、岡山市議会はやっているようだ。鬼木さんはマアよい。政治目的あってのことだから。林と東は救いがないナ)。でも私大はやっているようだ。有権者を愚弄しているだけでなく、党組織と党員を愚弄している。少なくとも宮本の時代にはなかった。学歴の党派横断なんて百害あって一利無しである。

 ついでに私のブログで最高の拍手64個が付いた記事も最下段に転載しておく。学歴とも多少関係がある記事だが罪は深くないだろう。




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   再録


   古本屋通信   No 2502    2017年  04月02日


 馴れ合っていて本当に戦えるのか。共産党と公明党の国会議員はこんなに親密な関係だった。 現在の拍手数 31個

 コレやってる本人たちはちっとも悪びれないで、ふつうにやってるんだろう。たぶん自民党の控室に行っても同じだろう。衆参合せて貴族院に一本化したら如何か。つまり戦う相手とジャレ合ってる。共産党と公明党だって下部はそれこそ命がけで戦争してる。例えば品川区の共産党支部と、同じ区内の創価学会員が、こういう「友情」を交わすことはないのではないか。地方議会でも殆どないだろう(でも岡山市議会ではあるんだよなあ)。ということは、国会議員は特権階級として自分たちを特別に許される階級と思っているのだろう。アホらしくて下部は選挙闘争なんかやっとれんな。


  2016.4.14 17:15  産経新聞
 【共産党挨拶回り詳報(6完)公明党編】
元号否定の志位氏、東大先輩の山口氏に「私は(昭和)48年入学です」
 
挨拶回りで公明党の山口那津男代表(左側奥)と握手する共産党の志位和夫委員長ら=14日午前、国会内(斎藤良雄撮影)

 共産党の新役員が最後に訪れたのは公明党の控室だった。互いに平和と福祉を党是としながら、選挙のたびに激越な批判を交わして火花を散らす両党だが、この日は一転して友好ムードに。爆笑に次ぐ爆笑で、共産党の志位和夫委員長が公明党の山口那津男代表に対し、同じ出身大学である東大への入学年次を問う際、共産党が廃止を主張する「元号」を使うといった驚きの一幕もあった。詳報は以下の通り。

 ◇

 公明党は山口氏のほか、井上義久幹事長、古屋範子副代表、石田祝稔政調会長、大口善徳国対委員長が対応した。会談は、本会議場での意外な情景を話題に始まった。

 志位氏「新しい指導体制になって、ご挨拶に上がりました。これまで山下(芳生副委員長)さんが書記局長をやっていたわけですが、体を悪くしまして、小池(晃)さんに交代することになりました」

 山口氏「新しい体制で、ぜひ頑張っていただきたいと思います。(山下氏に向かって)前の国会までは席がすぐそばでね」

 山下氏「ああ、そうでしたね」

 山口氏「小池さんは気の利いたヤジを(飛ばしていました)ね」

 《爆笑する一同。その後、山口氏と共産党の田村智子副委員長の“意外な関係”に話題が移った》

 穀田恵二共産党国対委員長「同じヤジを飛ばしていると評判ですよ」

 志位氏「(公明党は)結構、わが党の質問に『黙って聞け』といったヤジを(発してくれている)」

 市田忠義共産党副委員長「特に(共産党の)仁比(聡平)君の質問のときは、山口代表はいつも『頑張れ』と言っていただいて。弁護士仲間でね」

 山口氏「そうそう。そういう共通感覚もあるしね。田村さんはね、同じ連合町会に住んでいるの。だから地域の行事でよく、ご一緒して」

 田村氏「本当に代表は(東京都)葛飾(区内)の行事に、とても熱心にご参加されている」

 志位氏「家、近いの?」

 田村氏「はい。選挙投票所も一緒で」

 志位氏「ああ、投票所まで。ほお」

 《ここで出身大学の話になり、東北大を卒業した井上、小池両氏の間で盛り上がる》

 市田氏「(井上)幹事長は、うちの小池と大学の同窓ですよね」

 井上氏「同窓です」

 小池氏「東北大の国会議員の会の責任者を井上先生がされていて」

 井上氏「(民進党幹事長の)枝野(幸男)さん(よりも)…小池さんのほうが上でしょ」

 小池氏「枝野さんが3年下ですね。(井上幹事長に向かって)先生は、もう大先輩です」

井上氏「いやいや、それだけ年寄りだ。ふっふっふ」

 《昭和22年生まれの井上氏は68歳。一方の小池氏は55歳で、一回り以上若い。ここで同じ東大出身の志位氏が山口氏に尋ねた》

 志位氏「山口先生は、2つ上ですかね、私の」

 山口氏「私、浪人していますけど」

 志位氏「ヨンナナ?」

 山口氏「うん、ヨンナナ入学。昭和47年入学」

 志位氏「私は48年だから。1つ(違い)ですね」

 山口氏「私が入ったときは半年間、バリケード封鎖で講義がなかったんですよ。だから入学式もなし、卒業式もなし。いろいろ前後聞いてみたら、私の学年ぐらいしか(そういう体験が)ないんだよね」

 志位氏「まあ、一番ヨンナナは荒れていましたよね」

 山口氏「残っていたよね」

 《志位氏は続いて、かつて公明党書記長を務めた市川雄一氏との思い出話を語り始めた》

 志位氏「かつてですね、私、書記局長になって26年なんですが、公明党さんと共闘したことがあるんですよ」

 山口氏「1回だけ?」

 《控室は爆笑に包まれ、共産党側からは山口氏のボケに対し「わざわざ『1回だけ?』なんて(笑)」とのツッコミも入った》

志位氏「市川雄一さんが書記長をやっていらしたころですね。もう(19)90年代の前半ですけど、当時の自民党と社会党が密約を交わしてね。何の密約かは忘れちゃったけど。(市川氏と私の)2人で討論会をやった。共同戦線を張った。市川先生というのは大変で、討論会をいつも2人でやっていたんですけど、このときばっかりは連合戦線で(立ち向かった)」

 山口氏「はっはっは」

 志位氏「(当時はともに)野党で、一度だけ歩み寄ったんですよ」

 山口氏「まあ、市川先輩もね、理論的には大変厳しい人でね。われわれもよく鍛えられましたよ」

 志位氏「懐かしいです。お元気ですよね」

 山口氏「元気ですよ。今も党の(特別)顧問ということで、いろいろ大所高所からご意見をいただいています」

 《市川氏との思い出に触発されたのか、市田氏が公明党幹事長や国土交通相を歴任した故冬柴鉄三氏を懐古した》

 市田氏「僕は、冬柴さんだったよ。仲良かった。討論が終わると、抱き合っていた」

 《ここでも爆笑が起き、山下氏の合いの手がさらに笑いを誘う》

 山下氏「そういう関係とは知らず、テレビ討論会では激しくやり合っているのに、廊下でこう(両腕を交差させて抱き合うしぐさをして)されているのを見て、政治家の世界って奥が深いなと(思った)」

山口氏「はっはっは」

 市田氏「(冬柴氏とは)お互い関西人でね。冬柴さんも夜学に行っておられたでしょ。境遇が似ているもんですからね」

 志位氏「冬柴さんも本当に苦学されてね」

 山口氏「やっぱり政治家は、そうしたいろんな経験の味を大事にしたいですよね。国会のルールを尊重しながら」

 穀田氏「そこは心得ています」

 《穀田氏の思わせぶりな一言に大口氏は「うふふふふ」と笑いで返し、会談は終了した》


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   再録

   
古本屋通信   No 2455    2017年  03月01日


    F書店時代の後輩Mさん 現在の拍手数 64個



  ふりかえって私はF書店勤務時代のことを殆ど書いていない。出版や本の関連では触れているが、交友関係など皆無だ。それはやはり楽しい記憶よりも、苦しかった記憶が多いからだろう。今では消息が知れている人も殆どいない。

  私の入社10年目に岡大法文学部から3人の女子が採用された。法文ではなく、文学部だったかも知れぬ。とうじ岡山本社の主力は、高柳の社屋(強姦殺人事件があった今のシンフォームの社屋)に移っていたが、書籍部や高校模試部は番町に残っていた。総勢70人だったろうか。新採用学生は全国規模になっていたから、岡大法文から3人の採用は珍しかった。しかも3人とも番町に配属されたのだ。その3人がOさん(国文)、Yさん(仏文)、Mさん(英文)だった。以後OさんとYさんとは書籍部でいっしょに仕事をすることになる。いっぽうMさんは高校模試部で英語の問題編集などを担当した。4年後に彼女たちは私が退社する前後に、バラバラに退社した。以後30年経過したが、東京在住のOさん、倉敷在住のYさんとは、いまだ年賀状のやり取りがある。奇妙なもので、同じ大学・学部出身というのは何処かで意識の底にある。私には当時の学舎の思い出と重なって、愛おしい感情がある。それはたぶん自分の青春に対するノスタルジーだろう。


  Mさんのことを書く。きのう風邪で病院に行った帰り道、Mさんの自宅前を通った。彼女の家は私の家から直線距離だと300mも離れていない。だが出会うことは滅多になかった。10年ぶりだった。

 私 「この前あなたに会った時、あなたは 「もうすぐわたし50歳になります」 と言っていた」。

 Mさん 「そうでした。もうすぐ60歳なんですよ。いま働きにいっています。アルバイトですけど」。

 私 「ご主人の歯医者さんの手伝いはしていないの? いろいろ忙しいでしょう? 他人を頼んでるの? 歯科衛生技師とか?」。

 Mさん 「 ええ、私は放っておいて、他で働いています」。


 それから互いの子供がいまだに独身であること、F書店時代の同僚の消息など、数分間の立ち話をした。偶然だったが愉しかった。おかげで風邪はすかっり引いてしまった。

 私の中では、Oさん、Yさん、Mさんは、いまだに岡大の3人なのだ。3人の退社前後を書いておこう。Oさんは国文だったが、弓道部だった。弓道部時代の彼と付き合っていたが、煮えきれないというので、倉敷青陵時代の先輩と見合いした。それで一発で決まった。夫君は理科系で、東大工学部卒だった。この結婚が決まってから間もなく退社した。このときYさんはOさんのことを 「乗り換える名人ですよねエ。女はそれでなくちゃあ生きられませんワ」 と私に言った。私は黙っていた。そのYさんは律儀にも大学時代の先輩と結婚した。学生時代から付き合っていたようには聞いていない。同じ仏文だが、苦労して大学教授になった。大学名は秘すが、この大学はやたらと准教授を引き延ばす。給料の出し惜しみではないか。そのYさんが数年前、私の店のフランス語の洋書を一括して買ってくれた。そのときYさんにソックリの娘さんを見た。「よかったなあ、いい大学に入れて」。たぶんもう卒業しているだろう。

  Mさんの結婚について、私は知らなかった。あとでF書店の元同僚から聞いた。大安寺高校時代の恋人だった。Mさんは大学は法文だから津島、夫君は歯学部だから鹿田だ。どういう付き合いだったかは知らないが、Mさんは見合いなどしていないだろう。歯科医は今は過剰ぎみで、歯学部の人気はガタ落ちだが、夫君の時代の岡大歯学部は難関だった。私が聞いた範囲では当初は研究医志向だったが、やがて臨床に変わり、少し遅れて開業された。医院は私の家から1k以内の距離にある。

  いまF書店時代15年を振り返ると、殺伐とした光景しか浮かばない。そんな中で3人の記憶だけが私を癒してくれる。
  1. 2017/04/22(土) 10:08:16|
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