古本屋通信

竹永光恵さんを高く評価する

古本屋通信   No 2516    2017年  04月11日


  岡山市議の竹永光恵さんを高く評価する。いっぽう東君は怖れを知らぬらしい。今後は容赦しない。


 先ずは鬼木のぞみさんの7日のブログから。
 夜には、女性議員みんなで、LIN LIN SHA で懇親会をしました。残念ながら体調不良の方がおられて4人となりましたが、しっかり食べて、話して、新年度への英気を養いました。このお店は、私の大好きなお店ですが、何より、お二人のスタッフの方の笑顔がすばらしいです。
 私は鬼木さんについては、(左翼としては)済んだ人だから、コメントしない。同じく下市このみさんも、(民進党だから)とっくに済んでいる。公明党議員は論外。こりゃ、田中のぞみちゃん、出掛ける前に金ちゃんに相談せえ。何よりも竹永光恵さんが感心である。仮病を使って欠席している。

 この女子会なるもの、時として市役所の女子管理職を含む場合もあるが、元々は横田悦子ー光吉準の旧共労党ラインの発案だったろう。そういうものとしては(彼らにとっては)一定程度意味があったろう。下市とのパイプを確保しておく目的もあった。しかし共産党市議団にとっては全く無意味な集まりだった。それどころか保革議員の馴れ合いクラブとして、全国の共産党市議団に前例のない頽廃であった。私は何回も批判した。ようやく竹永さんの理解が得られたようだ。殊のほか嬉しい。


 もうひとつは東君だ。やっぱり弱い弱いと思って見ていたら、このザマだ。糾弾はしない。バランス感覚の欠如をちょっとだけ批判しておく。

 結構長いですが読んでおきたい世界の平和の本流とそれを拡げる日本共産党の活動です。アメリカや日本政府が加わらなかったからか、国内の扱いは小さい気がしますが実はすごい出来事です。「核兵器禁止条約の国連会議」に参加して/志位委員長の報告 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-09/2017040901_04_0.html
 国連会議そのものについては書き尽くしたから繰り返さない。上記を見る限り、東君は崎本さんや小山さんとちがって、商業紙も読んでいるらしい。感心だが、やはり党カルトである。バランスが崩れている。私は商業紙(ブル新聞)の肩を持たないけれど、「核兵器禁止条約の国連会議」の扱いは妥当であったろう。それは日本政府の中途退場のせいばかりではない。ブル新聞が国連中心の「平和外交」の幻想に囚われていないということだ。国連なんて政治的駆け引きの場所である点で日本の議会と変わりない、そういう分かりきった事をブル新聞は心得ている。特に志位の訪米を帰国後に伝えたブル新聞は皆無だった。東君は何故ブル新聞が日本共産党代表団の訪米をシカトしたのか考えた方がよい。それは意味がないオアソビだったからだ。それは国内の日本共産党員だけに向けたヤラセだった。だから、いくら大きく赤旗が一面で伝えても、赤旗日刊紙を購読していない党員、購読していても志位訪米記事など読まない党員ばかりの中にあって、無理やり党員に視聴させるインターネット中継を設定した。こうまでしないと、だあれも今回の訪米を見ない。私は冒頭の志位登壇部分だけを見たが、広井暢子の日本語になっていないようなギコチナイ司会で始まった党本部会場の雰囲気は、ダレきていた。党本部の職員さえも義理で参加している。それがミエミエだった。私は志位は党中央の中でも完全に浮いていると確信した。それが東君にはそうは見えなかった。その時点で、君は党外でも活動する共産党の地方議員として失格している。だって、だあれも「核兵器禁止条約の国連会議」に期待していないもん。それが可決される可能性は殆どない。仮に万一可決されても、日本の基地から出撃する米軍の人殺しは止まらない。コレ日米安保条約を破棄して米軍基地を沖縄から、日本からなくすしか手がないのヨ。それを回避する文脈で志位のアメリカ行きがあった。いますぐアメリカを日本から叩き出すのを回避して、核兵器一般に問題をそらせるわけだ。国連を天まで持ち上げた。いいですか、国連は世界平和の舞台ではありません。基本はアメリカ中心の国際的な利害調整の機関です。東君も党内外に友達がいないんですね。だんだんズレてきていますよ。


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    再録


   古本屋通信    No 1766   2月07日

  
  「岡山市女子会」 批判


  まず冒頭に、竹永さんの昨日の短い記事を貼る。


   岡山市女子会
  2月6日 日本共産党岡山市議 竹永みつえ
伝統の?!岡山市女子会が開催されました。
3月に卒業される方々の送別会も一緒に。
サプライズのケーキが素敵。そして何よりも素敵なのは一人一人のスピーチ、公私ともにしなやかに強く頑張る女性たちのお話は尽きないのでありました。




  短い記事である。さりげなく書かれている。岡山市議会の女性市議と市職員の懇親会。それも参加者各自が個人の金(たぶん千円前後)を持ち寄って、酒もビールも抜きで、ささやかな会を持つ。それに何の問題があるのか、いちいちケチを付けなさんな。そういう反論を予め準備しているような女たちの寄り合いである。

  厳しく批判するが、その前に2点確認しておく。この記事には、私がコピーできなかった3枚の写真が掲載されている。うれしそうな生き生きした面々である。竹永さんと、鬼木さんと、下市さんと、その他私の知らない多くの顔が写っているが、田中のぞみさんがいない。たまたま所用があって欠席したのか。それとも意識的に欠席したのか。第2点目。竹永さんが何時も書いているように、こういう会は岡山以外の市議会では見られない。竹永さんは自慢らしく何度か書いた。しかし他の市議会も、他の共産党市議団も、岡山市議会に続かないのである。何故か。竹永さんは「自分たちが誤っているのではないか」 と反省すべきなのだ。なのに何時までたっても岡山が先進的例だと胸をはっている。私もかつて数回にわたって批判した。いっこうに効き目がない。こういう会に共産党市議は参加してはならないのだ。選挙で選ばれた市議が (たとえささやかな茶話会であろうと) 市の管理職職員と懇親会を持つことが決定的に間違っているのだ。


 
  全て間違いだから、どこから書いてよいか迷う。まず市議会議員であっても、岡山市職員であっても、「男女別」には何の意味も無いという事だ。市議会議員に男女定員枠などありえない。市職員の採用にも、管理職昇進にも男女枠はない。男女差別はないという建前である。つまり女ばかり集うこと自体が、市議会と市役所の 「仕組み」 からもオカシイのだ。これは女を男に置き換えてみれば容易に分かるだろう。男議員と男管理職との懇親会をやってみればよい。たちまち女性差別として槍玉に挙がるだろう。それでなくとも男議員と男幹部職員だけの飲食を、暖かい目で見る者などいるものか。市議会と市役所において、男女の区別は更衣室と便所だけで十分である。それが男女雇用機会均等法の精神である。

  つぎに市議との会に参加する市役所側の参加者が (女子職員一般・非職制ではなく) 管理職職員である点である。よくもまあ、やるもんだ。あきれて二の句がつけない。たぶん最初にこれを考え付いたのは横田悦子さんだった。下記で批判しておいたが、横田さんの主張には一貫性 (誤った一貫性)があった。然しこれは日本共産党の方針とは相い容れない。横田さんに振り廻わされた竹永さんは決定的に誤っていた。市議は市の管理職職員と馴れ合ってはならない。市議は上級管理職はもちろんのこと、中間管理職の部課長・係長・主任と、職務上以外の懇親をしてはならない。いや純粋に個人の間の交際をいっているのではない。役人としての市職員との付き合いである。

 そもそも竹永さんらは市の管理職職員を何と心得ているのであろうか。市役所といえども労使関係はある。管理職は一般公務員を管理する側面を持つ。また持たざるをえない。市役所内部にも職制だけの組織はあるだろう。なぜ竹永さんらは職制部分とだけ懇親して、市の一般労働者(つまり市職労に結集する部分)と懇親しないのか。これは管理職の労働者管理に手を貸すことだ。そういう悪行にも通じるのではないか。

  つぎに日本共産党の市議会議員が他会派議員と意味もなく懇親することの決定的な誤りについて。これは国会議員を参照すればたちどころに判る。国会では、今では全ての政党において女性議員が増えた。これ自体はよいことだ。超党派の女性議員の集まりがあるか? 吉良や池内が自民党の女と食事をするか。そんなことがあってたまるか! 何か問題が起こってたまたま女性議員が協力して問題解決にあたったことはあったろう。然しそれは一時的なものだ。男でも女でも国会野球チームなどはあってよい。然しそこで野球以外の話が出ることはない。男共産党議員は自民党議員とゴルフをすることさえないだろう。

  国会でありえないことがなぜ岡山市議会の場で起こるのか。それは岡山の女性市議たちが市議という仕事を勘違いしているからだ。少なくとも共産党市議の竹永さんは心得違いをしている。共産党市議は党員任務である。ふつうで言う 「議員さん」ではない。日本共産党の国会議員にとって、国会は議会におけるたたかいの場である。階級闘争の場である。議員同士がお友達になる必要は全くない。出会っても挨拶を交わす必要はない。階級敵だからだ。市議会もたたかいの場である。階級闘争の場である。間違ってはいけない。議員同士がお友達になる必要は全くない。出会っても挨拶を交わす必要はない。絶対に他会派の議員と馴れ合ってはならない。竹永さんは他会派の市議を同僚と勘違いしている。この点では、横田悦子さんは共産党議員を決して同僚とは考えていなかった。それは緑の党の中央の会議で、両党の共闘に関する一貫した否定的発言をしてきたのを見ても明らかである。竹永さんがアマチャンだった。横田さんの方が真っ当だった。市議会における階級闘争は市当局との対決を通じて遂行されるが、同時に他会派とのたたかいでもある。本気で他党とたたかえ! 自民党の小野田参院候補を見習え!

 竹永さんや田中のぞみさんは横田さんや下市さんや鬼木さんといっしょに戦争法反対の宣伝行動をした。私はこれを高く評価した。女性議員が課題別で共同行動をするのは大賛成である。然しそれは無目的な懇談ではなく、共闘である。たたかいである。共闘を目的にした懇談なら必要である。無目的な懇談は馴れ合いである。これは必ず議員として堕落する。デボーリンが書いていたとおりである。

私が議会主義は必然的に左翼の堕落を招くと確信したのはある新社会党地方議員の選挙を手伝った時でした。その時に議員活動の内容を聞いて、「ああ、これは議員を長くやっていれば確実に堕落するな」と思ったものです。筆坂秀世も同じことを言っています。参議院比例という最も「どぶ板」選挙から遠いところにいた彼ですら「議員を何期もやっていれば確実に革命のことなど忘れてしまう」といっていましたから、地方議員ならなおさらでしょう

 いくらでも書けるが、ここで死んだ横田さんに触れておこう。この女子会の産みの親はたぶん横田さんだろう。上に書いたように誤りである。だが横田流では必然性があった。想像だからラフに書く。一般的には、緑の党流というより、旧共産主義労働者党流である。単一の政治党派を隠して無原則共闘に走るのだ。数限りない例がある。これの利点は党派としてはとうてい共闘できない日本共産党とも共闘できることだ。あとは省略する。特殊的には党派(会派)を離れた下市さんとの交感の場だったろう。それはいま下市さんと鬼木さんの交感の場として引き継がれているように見える。だが、今となっては意味のないことである。私は下市さんも鬼木さんも完全に保守派議員に移行したと思っている。鬼木さんの言葉では「百パーセント市民派」である。デボーリンのいうとおり左翼の決定的な堕落である。然し私は2人を特別に論難しない。こうなる必然性は確実に存在していた。共産党と革共同両派以外では、しょせん堕落は避けられない。最近では中核派も怪しくなってきた。

  私は竹永さんには持ち直して貰わねば困る。私はこの記事を、田中のぞみさんの出席がなかったから書けた。たぶん偶然の欠席だろう。であっても、救われた。

 私はこの文を、たぶん竹永さんの理解を超えるだろうなと、半ばあきらめの気持ちで書いた。田中さんなら分かってくれるかも知れないと思った。この違いは2人の能力の差ではない。議員の長さの違いである。ここに私の議員2期限界説の根拠がある。竹永さんが悪いのではないのだ。人間みんなそうなる。デボーリンの言うとおりだ。ブルジョア議会の限界である。ブルジョア議会に長く在籍してはいけないのだ。


 日本一ハレンチな 「岡山市女子会」 は解散せよ! 最低でも、日本共産党の竹永みつえ議員と田中のぞみ議員は 「岡山市女子会」 を脱退せよ!




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   参考 過去エントリーを2本


 古本屋通信  No 527  尻馬に乗ること (一部抜粋)

  岡山の市議団(女性)が超党派で急成長の私企業「ZAGZAG ザグザグ」を訪問した。これは企業の急成長の秘密が女性の積極的登用であると見做しての訪問である。企業もそう宣伝していたのだろう。それが事実との認識が女性市議たちにあった。私はそれが嘘だとは言わない、然しこの訪問は明らかに誤りである。なぜなら、「ZAGZAG ザグザグ」という私企業の労務政策の全体を高く評価し、もって私企業活動を高評価しているからだ。公職の市議が絶対にやってはならない訪問だった。私は「ZAGZAG ザグザグ」の労務管理の問題点を具体的に知っている訳ではない。しかし叩けば必ずボロが出るだろう。出ないということはあり得ない。「ブラック」といわれる隠れされた実体は必ずある。それでなくては急成長はあり得ない。それが労働者の訴えで表面化したとき、かつて持ちあげた責任をどう取るのか。



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 古本屋通信  No 1079  
横田さん、いったい何を言っているの?

 久しぶりに訪ねた横田悦子さんのブログで、いきなり下記の文が飛び込んできた。頭がクラクラっとした。俄かには信じられなかった。簡潔に批判しておく。

 
女性の管理職登用
 October 01 [Wed], 2014, 8:51   横田悦子(岡山県議会議員) 
 多くの意識ある女性たちが、女性が輝く社会づくりをと念じながらも遅々として進まぬまま30年が過ぎ、少子化・高齢化・労働力不足となり閉塞感が漂う日本社会の変革の要として、今、安倍政権が看板政策にしています。
 県議会でも再三質問していますが、石井元知事も伊原木知事も一言一句違わないような相変わらずの答弁でがっかり。かくなる上はこの臨時国会に提出される法案に女性管理職登用の義務化をと期待していますが、どうやらそれも骨抜きになりそうな気配。ここで頑張らねば、私たちの社会は変われない、将来が見通せないと暗澹たる思いです。


 古本屋通信
 率直に言う。ここまで転落したかの想いである。横田さん個人ではない。緑の党である。
 50年前にさかのぼる。1960年代前半、社会党右派の江田派が構造改革論を唱えて社会党を資本とたたかわない「改良」の党にしようとしたとき、それは労働者を丸ごと資本に売り渡す階級的裏切りであった。私はまだ高校生だったが、それが政治的目覚めの最初だったと思う。以来、私の中で江田三郎に対する憎しみが消えたことはなかった。それは世襲の江田五月に対する軽蔑となって受け継がれた。この流れは社会党内での江公民路線の策動、それに失敗しての社会党からの脱落、社民連の結成、なりふりかまわぬブルジョア政党との野合をつうじて労働戦線での「連合」結成となって結実する。岡山における江田父子と大亀らの策動は一貫して、たたかう労働運動を破壊してきた。
 日本構造改革派の末裔は生きていた。多く言う必要はない。資本家はその労働者支配のために職制 (管理職) を必要とする。その任免は資本家の権限である。労働者はそれに従わざるを得ない。その任免が極端に不当な場合、労働者は異議を申し立て資本家と戦う。しかし職制 (管理職)は資本家の命を受けて労働者支配の末端を担う。その構成のあれこれについて要求を出すことは、資本家の労働者支配に手を貸すことである。ワカランかなあ? いや、ワカルかなあ?
 岡山の女議員たちはかなり前からメゲていた。岡山市議の女たちが超党派でザグザグを訪問した。これはザグザグの女性職制 (管理職)登用を先進的な事例として研究・研修するためであった。完全にメゲていた。今回横田さんが書いている事と同一である。猛省を促すが、あんたらの頭では理解できまい。なら分かるまで 『資本論』 を読むことだ。これが狂気に聞こえるなら救いはない。と言っても分からんだろうが、女の職制 (管理職)は少ないほうが良い。男だって少ないに越したことはないが、法で定めている範囲で資本家が既に任命している。職制 (管理職)は好むと好まざるに拘わらず、資本家の代弁人の仕事をせざるをえない。折角そういう役割を免罪されている女子労働者を職制 (管理職)に就かす必要はない。言っとくけど、職制 (管理職)は非人間的役割を強制され、そのぶん重労働なのだ。絶対に横田さんは間違っている。安倍の方がまだかわいい。女子が職制 (管理職)になりたくないと言っているからゴリ押しは無理だと言っている。そのとおり。 
  1. 2017/04/11(火) 10:16:17|
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