古本屋通信

党の民主集中制と古本屋通信

古本屋通信   No 2506    2017年  04月05日


     共産党の民主集中制と古本屋通信

 世界のマルクス主義者にとって、革命党の鉄の規律(組織原則=民主主義的中央集権制)は論争以前の自明の前提。



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     更新日時 : 2017/04/05    06:42



 党の組織原則である民主集中制については、純然たる反共勢力だけでなく、党に好意的もしくは批判的な支持者からも、絶え間なく批判が寄せられる。それは私の党員時代の1960年代にも、少しはあったが少数であった。この批判が強まったのは、党が議会主義に路線の舵を切った1970年代以降であろう。すなわち国際共産主義運動史上でユーロコミュニズムが喧伝され、いくつかの西欧の共産党が民主集中制を放棄した、にも拘らずユーロコミュニズムの党グループに自党を含めた日本共産党が、今までどうりの組織原理を続けたことへの違和感と批判であったろう。この文脈で学術論争のかたちをとった田口・不破論争や、藤井一行の論文、さらにネオ・マル主義の諸論稿があった。ちょっとしたブームだったから、私は漏れなく精読した。そして学術論争の限界を感じた。「これじゃあダメだ」 と云うのが率直な感想だった。批判は控えるが田口や藤井の論の行きつく先は解党だろう。まもなく実践的な結論としてイタリア共産党の解体があった。1990年前後の東欧とソ連の解体を、党の民主集中制と単純に連動させることはできないだろう。だがソ連共産党の「新しい思考」(「=新思考」脚注)などは、党解体と表裏の関係にあった。私は日本共産党に多くの批判があるが、この党がレーニンの党の組織原則を曲りなりにも堅持してきたことを無条件に支持する。

 その上でだが、私が古本屋通信を立ち上げた理由は、党の民主集中制が必ずや齎すであろう組織上の諸問題に対して、私なりに、理論的にではなく、実践的に処方箋を提示することだった。大袈裟に書くようなことではない。たとえば崎本のような党カルトを具体的に暴いて粉砕することである。私は党の民主化、すなわち民主集中制のもたらす負の問題に、多少とも一石を投じたと思っている。

 先ほどキンピーサイトに絶好の投稿があった。毎度のつまみ食いで申し訳ないが、ブサヨ管理人に了解をお願いしたい。これを借用したのは太宰ファンさんのまとめが短くて的確だからだ。彼の冒頭の引用はKM生さんである。2人の立ち居地は少し違うが、KM生さんも「北鮮」非難では変わらない。私は今回は太宰ファンさんを批判する。しかし彼は微妙な問題をまさに私のような擁護者を考慮に入れて書いている。私は批判には自信がない。とにかく批判しないと始まらないから、仕方なく立ち上げた次第である。赤字が古本屋通信の書き込みである。





8. 太宰ファン @民主集中制
2017年04月05日 09:00
>日共は「政党の原理としての民主集中制は国家の原理としては適用しない」とは、昔から言ってますたよ。

共産党の民主集中制だけど、単なる政党の自己規律という範疇を超えていると思うよ。全員で話し合って決まったことに全員が従うという「組織の内部ルール」っていうと普通に見えるかもしれないけれど、全然普通じゃないよ。

そこには、「違う意見を党外に漏らすのは禁止」「同じ支部以外の党員との意見交換は分派であり禁止」「除籍・除名された党員は「階級敵」扱いされ、事実上、村八分、党員は付き合いを禁止、夫婦なら離婚を推奨」等々、実に封建的で、党員を疑う「性悪説」に立ち、党員の内面や思想まで支配しようというもので、内部ルールとしても「憲法違反すれすれ」のものだよ。

そういうのを当たり前と考える政党が信用されるわけがないし、そういうルールに平気で従う党員も「統一教会信者」と同列。半ば洗脳されているんだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
   再録


>日共は「政党の原理としての民主中制は国家の原理としては適用しない」とは、昔から言ってますたよ。

KM生さんの党の引用が全てである。こんな事は改めて言わなくても分り切った事だが、党攻撃に対処するため、仕方なく言っている。誰でも知っているが、党の今日における日本国憲法に対する態度、そして将来の革命を経た段階での日本国憲法は如何に? 日本国国家に民主集中制など、如何なる想定の国家であっても、党の憲法草案にある訳がない。                                 

共産党の民主集中制だけど、単なる政党の自己規律という範疇を超えていると思うよ。

超えていると思う根拠は? 邪推でしょう。共産党「性悪説」。

全員で話し合って決まったことに全員が従うという「組織の内部ルール」っていうと普通に見えるかもしれないけれど、全然普通じゃないよ。

まさに普通でしょう。これはあらゆる組織に当てはまります。政治関係だけでなく、一般企業でも。例えば私はブル新聞を貶しますが、記事を書いた記者を貶しません。ブル新聞にはブル新聞社の社是があり、上部が決めた「論調」があります。そこから離れて仕事はできません。これは全員で話し合って決めたことでさえなく、トップの命令です。組織においては、それでさえも全社員が従うことが「普通」になっています。日本共産党の方がずっと民主的ですよ。

そこには、「違う意見を党外に漏らすのは禁止」「同じ支部以外の党員との意見交換は分派であり禁止」

当然です。全国単一の政治結社は、仲良しクラブでもなければ討論クラブでもありません。階級闘争を担う日本の労働者階級の前衛です。スキあらば、敵はそこ(党員の意見のちがい)に攻撃を集中して組織を分断・破壊するでしょう。我われは真空地帯に生きているのではありません。倉橋由美子『パルタイ』が滑稽なのは、党それ自体を階級社会の産物と捉えないで党を戯画化しているからでしょう。後半の 「同じ支部以外の党員との意見交換は分派であり禁止」 はとても大切です。党員の自由交流などという発想は何処からも出てきませんが、もしコレを認めるなら、たった一人のスパイが党を滅ぼすでしょう。然しこの党規約は既に半分崩れています。私は春名直章にスパイの嫌疑を抱いていませんが、将来だれでもスパイになる可能性はあります。中国四国9県の党の練り歩きは、民主集中制の破壊です。多くの非公然党員は堪りませんね。怖ろしくて共産党に入党できませんよ。

「除籍・除名された党員は「階級敵」扱いされ、事実上、村八分、

色々レベルがありますが、私の場合は、転籍の不首尾による除籍でしょう。47年間「階級敵」扱いされたことは一度もありません。このブログを始めて以後もありません(リアル党組織や党員ではまったくありません。然し2chで悪罵の数々がありました。コレ党員でしょう)。公式にはシカト(無視)でしょう。これは助かります。仲良く交流なんてあり得ません、それが村八分に見えるのは、見る側の位置と言おうか、視点が固定的だからです。

党員は付き合いを禁止、

これは不必要な付き合いは互いに自主的に止めるべきです。むしろケジメが付いていない。それは京都の山田みすずに対する党市議団の断固としない対応を見て思いました。山田は今も党の議席を簒奪したままです。今も開き直って党員を批判しています。低脳だから大目に見るという事でしょうが、党の対応は間違いです。トコトン無視し、事あるごとに徹底糾弾しなければなりません。これが非人間的に見えるのがオカシイ。例えば警察組織で痴漢で解雇された警察官が、今までどおり旧同僚と付き合える訳がないでしょう。旧職場の県警の建物に自由に出入りして、旧友と付き合えますか? 共産党にトコトンお人好しを要求するのは、他意があるのを疑われるでしょう。

夫婦なら離婚を推奨等々、

これは現代の党組織ではハッキリとあり得ない。ただし徳田時代にはあったそうです。細胞会議で離婚を決定するとか。その誤りの教訓から個人問題に組織が介入することは厳しく禁じられています。しかし党員個人間の生活問題については、結婚、離婚に限らず、意見することはあるでしょう。あってよいと思います(通信 No 376「 宮本岳志のこと」参照)。ここらの混同と言おうか解釈は微妙ですが、要は他人と他党の内部問題に口出ししないことが大事だと思います。

実に封建的で、党員を疑う「性悪説」に立ち、党員の内面や思想まで支配しようというもので、内部ルールとしても「憲法違反すれすれ」のものだよ。

まったく邪推で的はずれでしょう。ただ共産党は世界観政党です。だからある意味で、党は党員の内面や思想を「支配」します。それを苦痛に感じて党を遠ざけるのも個人の自由です。だがこういう非難はは党員には説得力ゼロですね。コレ創価学会その他の組織も同じでしょう。また私は統一教会に子供を奪われたと騒いだ運動は、結社の自由の妨害以外、何の正当性も持たなかったと思っています。そちらの方が余ほど他人の内面や思想の自由の侵害ですよ。

そういうのを当たり前と考える政党が信用されるわけがないし、そういうルールに平気で従う党員も「統一教会信者」と同列。半ば洗脳されているんだ。

太宰ファンさんはマルクス主義らしいけど、世界そして日本のマルクス主義者にとって、プロ独裁と鉄の規律は自明の前提なんです。まったく論争にならない。私的には1970年代の不破・田口論争は無効でした。これはきわめて実践的な問題です。まあ志位・小池指導部がだめだからと言って、かれらへの批判で前衛政党の生命線=民主集中制を抹殺しないようにしたいですね。



11. 太宰ファン@民主集中制2
2017年04月05日 15:27
「日本を民主集中制の国にしていいんでしょうか!」
ていう赤旗見出しがグッド、チャンチャン。



  古本屋通信

  コレ半分ジョークでしょうが、太宰ファンさんは朝鮮や中国の国家体制を想定しているのでしょう。これは其の国の立ち入った政治経済の分析が皆無な事が特徴です。中国は措いて、朝鮮は全く情報がないのですから、分析などできるはずがありません。まあ一度行ってみたらよいと思うのです。たぶんすばらしい国ですよ。地上の楽園パラダイス。日本を民主集中制の国にしたくなりますよ。


  引き続いて以下の投稿がありました。

15. コットン
2017年04月06日 12:22

太宰ファン様へ
古本屋通信で凄い事書いてます。ジョークかー?
・・朝鮮は全く情報がないのですから、分析などできるはずがありません~
・・まあ一度行ってみたらよいと思うのです。たぶんすばらしい国ですよ。地上の楽園パラダイス。日本を民主集中制の国にしたくなりますよ~~・・
  2017/04/05(水) 15:35:05
  ~?、?、?~

16. 太宰ファン@コットンさま
2017年04月06日 17:02
どうも。古本屋通信さんのブログ、見ました。
この方、なぜだか憎めない。なんででしょう。
不思議だな。
「古本屋通信さんと行く北朝鮮ツアー」とか
企画されれば面白いかも。拉致・逮捕される?
かもね。

17. KM生@太宰ファン様
2017年04月06日 17:31
是非古本屋通信さんと2人で北鮮ツアーに参加して、公開処刑されて来て下さい(^^)。

18. 太宰ファン@KM生様
2017年04月06日 17:53
ミサイルに括りつけられて飛ばされたりして(^^)


19. ASA―YASU@KM生様
2017年04月08日 01:28
>17番に“ツッコミ”、
「こ、怖いコト言わんといてつかあさい((((;゜Д゜)))」。


20. 623
2017年04月08日 06:46
なるほど・・・古本屋通信さま読ませて頂きましたよ。

日本共産党が民衆と連帯できない理由が解りました。
前衛、細胞、民主集中制って何だ・・・
60年安保から70年安保闘争を経て日本共産党は何をしてきたのかと吹き来る風が私に言う。

人民を分断して独裁的に支配するだけではないですか。民商や原水協、労組の衰退は何故なのか。
赤旗は何故売れないのか。
そもそも「反共」という相手を敵視するセリフをいつまで使うのか。
反共という言葉によって私は反共になったのです。

連帯できない独裁(民主集中制)に革命はない!




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    脚注


 「新しい思考」はレーニン的か (新日本文庫)  1990/6/10  不破哲三 著


   新思考  ウィキペディア

新思考(しんしこう、ロシア語: Новое мышление)または新政治思考(しんせいじしこう、ロシア語: Новое политическое мышление)は、ミハイル・ゴルバチョフ政権下のソビエト連邦で提唱された新しい外交理念。この理念に基づいて展開された一連の外交を新思考外交と呼ぶ。

ブレジネフ・ドクトリンの撤廃、アフガニスタンからのソビエト連邦軍の撤退、東西対立の解消、東欧の民主化とドイツ統一の容認、核兵器削減の進展といった形で結実し、東西冷戦の終結に大きな役割を果たした。


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   参考   「さざなみ通信」 より


  不破史観の確立と発展 『日本共産党の80年』の批判的検討

  1980年代後半(4)――ペレストロイカと「新しい思考」(2)

  期待から極端な批判へ
 1988年5月ごろまで続いた、ゴルバチョフの新路線への日本共産党の期待姿勢は、同年5月の不破副議長の訪ソとゴルバチョフとの会談、その後も執拗にソ連メディアによって社会党美化が行なわれたこと、などを契機として、しだいに批判的なものとなり、8月以降は、20年前の「現代修正主義」批判のときの左翼的戦闘性を思い出したかのように、この「新しい思考」に対する全面的な批判キャンペーンが開始されるようになった。そのときの批判の趣旨は大筋において正当なものであったが、10月になると宮本議長が「新しい思考」を「レーニン死後の世界の共産主義運動における最大の誤り」という明らかに誇張した規定を行なうまでになり、希望観測的な「期待」から極端な批判へと飛躍する。
 まずもって、いくらゴルバチョフの「新しい思考」論に問題があるにしても、スターリンによる大粛清や、ナチスとの不可侵条約締結や、中国の文化大革命や、東欧でのハンガリー事件やチェコ事件、アフガニスタン侵攻など、あらゆる巨大な歴史的誤りを凌駕して「レーニン死後最大の誤り」と特徴づけることは、まったくバランスを欠いた極論であった。しかも、「レーニン死後」という限定も意味が不明である。レーニンが死ぬ前には、世界共産主義運動にそれ以上の誤りがあったということなのか? もちろん、それについては何も語られなかった。
 当時、ほとんどの党員がこの宮本発言に大いに戸惑いを感じた。しかし、当時の共産党はすでに宮本顕治の暴走に歯止めをかけるような状況にはまったくなかった。上田耕一郎氏は、「レーニン死後の最大の誤り」という表現を用いるときには、あえて「イデオロギー分野における」という限定をつけたが、それがせいぜいできる精一杯の「抵抗」であった。こうして、「レーニン死後最大の誤り」なる表現は、当時、党内で「新しい思考」について論じるときには必ず用いなければならない合言葉のようになり、中央委員会総会でも確認されるに至った。
 さて、党史だが、宮本時代に執筆編集された『70年史』は、この「新しい思考」論をめぐる記述の中で次のようにこの「レーニン死後の最大の誤り」論についてもちゃんと触れている。

 「『宮本議長の80歳を祝う会』(88年10月19日)での答辞で、宮本議長は『新しい思考』について、『私はこれは、レーニンが死んだ以降の世界の共産主義運動の最大の誤りだと考えます』と断言した。この発言は、当時ゴルバチョフの『新思考』路線への幻想が党内外にまだ大きく存在したなかで、大胆かつ先駆的な発言であった」(『70年史』下、323頁)。

 「党は、11月、第3回中央委員会総会(第18回党大会)をひらいた。……国際活動では、『宮本議長の80歳を祝う会』での発言につづいて、『新しい思考』の問題点がいっそう明確になるなかで、その『誤りの性質は社会発展の根源である各国人民の闘争の軽視、否定という点で、未曾有かつ広範』であるとし、あえて『レーニン死後の最大の誤り』だときびしく批判し、中央委員会総会として確認した」(同前)。

 このように、『70年史』は、宮本顕治のこの思いつき的規定を「大胆かつ先駆的」なものとして評価している。さて『80年史』はどう書いているだろうか? 驚くべきことに、「大胆かつ先駆的」であったはずの「レーニン死後の最大の誤り」という規定について一言も書かれていないだけでなく、そもそも「新思考」との関連では宮本顕治の名前さえ出ていない。その代わり、当時副議長だった不破哲三のみがこの問題では活躍したことになっている。

 「88年5月の日ソ両党定期協議で、不破副議長は、社会党がソ連によい顔をするからといって、ソ連側がそれで結構と美化するなら、日本の国民運動を妨害し、外部から干渉することになると、きびしく指摘しました。これにたいして、興奮したゴルバチョフは『荷物をまとめて帰国してもらいたい』と言いはなつという、ごう慢な態度さえとりました。
 ソ連共産党は、88年、『新しい思考』を党の公式の見地として採用し、レーニンの主張と行動をもちだして、これを合理化しようとしました。日本共産党は、不破副議長の論文「『新しい思考』はレーニン的か」(88年9月)、「レーニンの名による史的唯物論の放棄――『人類的価値』優先論を批判する」(同10月)、「若きマルクスは新協調主義の援軍となりうるか――「『全人類的価値』優先論とマルクス」(89年1月)などで、『新しい思考』が、『全人類的価値』の名のもとに核兵器廃絶など今日の世界が直面している諸課題にたいする世界諸国民の闘争の抑制を説き、これを世界の運動におしつける点で、覇権主義の『古い思考』だと正面から批判しました。さらに、ゴルバチョフの論文「社会主義思想と革命的ペレストロイカ」(99年11月)にたいし、90年1月、不破委員長の論文「『新しい思考』路線はどこまできたか」で、米ソ協調主義を極端化させていると批判しました」(『80年史』、260~261頁)。

 このように、宮本氏のイニシアチブは完全に消失し、不破氏がもっぱら「新しい思考」論とたたかったかのようになっている。宮本主導から不破主導へと歴史叙述が転換された明白な一例である。

  イタリア共産党の変質
 『70年史』は、「新思考」路線について、イタリア共産党の変質との関連で再び詳細に論じている。少し長いが引用しておこう。

 「イタリア共産党は[1989年]3月、第18回大会をひらいた。大会は『人類生き残りの問題』に焦点をあて、『相互依存の新しい世界』のための『対話』、『協調』の重要性を強調する一方で、前大会文書ではかかげられていた核兵器廃絶の課題を欠落させた。また、『共産主義運動という概念は今日では意味を失っている』として、社会民主主義政党との共同をめざした。組織問題では、『民主主義的中央集権制』の規定が規約から削除され、『分派禁止』条項が撤廃された。イタリア共産党が『新しい思考』に同調し、共産主義政党としての立脚点を自己否定するにいたったことは、事前から明白であったため、党中央委員会は全人類的価値優先論の誤りを指摘し、『あなたがたの大会を注視するものです』という内容のメッセージを送った。大会は、ソ連共産党のゴルバチョフ書記長や西独社民党幹部ら4ヵ国の外国代表あいさつをビデオで会場の特設スクリーンに映した。党代表の阪本英夫幹部会委員は、イタリア共産党に、特定の党を優遇する不当な措置にたいして抗議を申し入れた。緒方靖夫国際部長は『赤旗』(3月27日、28日に論文『イタリア共産党第18回大会が示したもの――共産主義政党の立脚点から離反した古くて「新しい路線」』を掲載し、この大会への批判的分析をおこなった」(『70年史』下、337頁)。

 こうした記述は『80年史』ではまるまる削除されている。その理由はおそらく、緒方靖夫氏をはじめとする党の理論家たちが当時書いたイタリア共産党批判論文の中身にあると思われる。たとえば緒方氏は『70年史』で紹介された論文の中でこう述べている。

 「党規約改定問題では、今大会まで有効であった規約からの「社会主義社会」の削除、思想的理論的源泉からマルクス、エンゲルス、レーニンの名の消去の提起すらおこなわれたことは、社会民主主義政党との共通の基盤づくりへの熱心さを内外に印象づけました」(『イタリア共産党はどこへ行くか』、46~47頁)

 周知のように、この論文が書かれた11年後に、日本共産党もまた規約から「マルクス、エンゲルス、レーニンの名の消去」を行なったのであった。日本共産党の場合、民主集中制はより強化されて残ったが、それ以外の点では、日本共産党の規約改正はイタリア共産党のこの時の規約改正とあまりにもよく似ていたのである。

 1986年2月のソビエト連邦共産党第27回大会におけるゴルバチョフ書記長の政治報告が、ペレストロイカとともに新思考の実質的な始まりをなすものであった。1991年12月のソ連崩壊により新思考外交は終わりを迎えたが、その諸理念はゴルバチョフ政権の後を受けたボリス・エリツィン政権によってロシア連邦の外交政策に受け継がれた。
  1. 2017/04/05(水) 15:35:05|
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