古本屋通信

藤森賢一先生の蔵書のことなど

古本屋通信   No 2462    2017年  03月05日


     藤森賢一先生の蔵書のことなど

 さきほど同業のY氏から電話があって、ヤフーニュースに以下の記事が載っていると知らせてくれた。すぐに読んで、折り返し電話をして感想を伝えた。「ブログに書かれますか」 と言われたので、「書こうかと思うが、書いても構わないだろうか」 と意見を訊いた。「大丈夫でしょう」 と言う。 物故後10年経過している。少し書くことにした。


 寄贈本1万6千冊を10年間放置 岡山・高梁市教委、遺族要請で全て返還
 山陽新聞デジタル 3/5(日) 8:30
 
寄贈本1万6千冊を10年間放置 岡山・高梁市教委、遺族要請で全て返還
 高梁市内の藤森さんの実家で段ボールに入ったまま保管されている書籍  岡山県高梁市の市教委に2006年に贈られた「万葉集」や備中松山藩の儒学者山田方谷に関する郷土資料などの書籍約1万6千冊が10年間にわたり放置され、寄贈者の要請を受けて市教委が昨年3月に返還していたことが、山陽新聞社による市への情報公開請求で分かった。寄贈したのは高野山大(和歌山県)名誉教授だった故藤森賢一さん=同市出身=の遺族で「利用されず残念」としている。

 藤森さんは高梁高などで国語を教えた後、同大文学部教授を務めた。大学勤務の傍ら専門家を招いた国文学や医学などの無料講座を市内で開いた。05年に75歳で亡くなった後、遺族が「源氏物語」「チェーホフ全集」といった古典、国文学、外国文学のほか、絶版になった哲学や仏教の専門書など計1万6435冊を寄贈した。

 市教委によると、通常、蔵書登録した寄贈本はおおむね1カ月以内に貸し出す。藤森さんの書籍は当時、約7万冊を収蔵していた高梁中央図書館の蔵書として登録したが、スペース不足で西に約8キロ離れた旧成羽高体育館に保管。貸出時に取りに行く人員が割けないことなどから蔵書検索の対象から除外していたという。

 新図書館開館(2月)に伴う蔵書整理で、夏目漱石や内田百けんの全集、所蔵していない備中松山藩、山田方谷の関連資料などを除き大半の廃棄を決定。これを知った遺族が全ての返還を求め、現在は藤森さんの市内の実家に置いている。藤森さんの弟、日出雄さん(78)=大阪府枚方市=は「兄が心血を注ぎ集めた本ばかり。市民のために役立ててほしいと思ったが残念でならない」と話す。

 山陽学園大の菱川廣光特任教授(図書館学)は「寄贈本の取り扱いは図書館に一任されるのが原則だが、蔵書として受け入れた以上は速やかに利用者に公開するべきだ」と指摘。高梁市教委社会教育課は「職員数や書庫の制約で活用できず、遺族、利用者に申し訳ない。今後は寄贈本の取り扱い基準を明確化するなどして、きちんと対応したい」としている。



  古本屋通信

 ニュースは山陽新聞の記事をヤフーが貰い受けたものだった。まず一読した率直な感想から。10年前に寄付を受けるとき、高梁市教委、高梁中央図書館の司書の何れが立会い、何れが決定したのか知らぬが、どっちでもよい。まあ断れなくて渋々受けたのだろう(地元の代表的な知識人だからな)。その後の経過を読んだかぎり、全く問題ない。適切である。欲を言えば初めから断るべきであった。利用される可能性など、皆無だった。

 この手の問題では既に結論は出ている。記憶では、30年以上まえ、新見市の図書館に寄贈された某文庫が、利用者皆無のうえ維持費が懸かり、お手上げだという問題があった(この件で詩人の永瀬清子と間野捷魯が詩誌『道標』でちょっとした論争をしている。藤森先生には間野を評価した詩論がある)。遺族は故人の名を冠せた文庫なら満足だろうが、他には誰一人恩恵を蒙らない。きれいサッパリ断るべきである。つまり一万冊など論外である。もし図書館在庫がない本があれば、それだけ頂戴すべきである。

 遺族に一言。僭越である。いったん寄贈したからには、廃棄処分は図書館行政の自由である。べつに寄贈本でなくても、廃棄は日常的である。返してくれなど、もっての外である。たぶん図書館印は押していないのだろうが、いま遺族の手元に本がある必然性がない。泥棒みたいなもんだ。


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  以下は上記とは無関係である。藤森先生について書く。

  先生は私が古本屋を開業した1996年から、亡くなられる数ヶ月前まで、私の店の上得意だった。但し心の病気で2年間の空白はあった。すでに高梁の自宅は物置場(書庫)であり、高野山大学に近い阪神(たぶん大阪)から毎月一回お越しになった。来ると必ず両手に一杯の古書を買って帰られた。そして必ず半日単位の長話になった。話は多岐に渉ったが、先生は左翼だった。但し共産党員ではなかったし、共産党員であった時代はなかった。そのまえに先生が私の店に来るのはわざわざではなかった。つまり近くの奉還町に奥さんが住んでおられたのである。奥さんも何度かいっしょにこられた。先生は一度離婚されていた。この話も何回か聞かされた。二度目の奥さんは大阪市立大学の大学院時代の恋人だった。入籍はされていなかった。やがて奥さんは東京の大学から採用の声がかかり、単身で上京された。

 先生は60年安保のあと倉敷青陵高校の国語教師だった。大学は岡大法文である。だから私とは話があった。倉敷青陵は赤い教育で有名だった。長谷川グループと言った。その中に先生も居られた。しかしグループは転勤させられ、先生は操山高校に移った。たぶん面白くなかったのだろう。大学院に進んで研究者になった。

 私は先生の蔵書数は7万冊と聞いていた。おそらく国文学の研究書は1割もない。あとは全て雑本である。上記の寄贈本以外が何処に消えたのか知らない。しかし7万冊でも1万冊でも私の買値は変わらない。占めて10万円である。さあ、コレで元が取れるか。もちろん私は買いに出かけない。誰かが買いに行くだろう。私にはしんどい想いだけが先に立つ。

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 もう一言加える。山陽新聞はこういうくだらない記事を書くべきではない。けっきょく自社の情報開示が結果したアホウ記事なのだが、これだと読んでのとおり図書館行政に問題があるような記事になってしまう。寄贈を受ける際の当初の甘さを云えば、こんな事はいくらでもある。やがて全く利用されないと気がついた。すぐにでも捨てたかったが、成羽の体育館に放り込んで時間を稼いだ。まあ面倒な事だ。回収業者なら一万六千冊5分で持ち帰ってくれる。なんにも悪いことない。記事にもならんだろう、三流ブル新聞の山陽新聞さん。
  1. 2017/03/05(日) 12:28:14|
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