古本屋通信

F書店時代の後輩Mさん

古本屋通信   No 2455    2017年  03月01日


    F書店時代の後輩Mさん


  ふりかえって私はF書店勤務時代のことを殆ど書いていない。出版や本の関連では触れているが、交友関係など皆無だ。それはやはり楽しい記憶よりも、苦しかった記憶が多いからだろう。今では消息が知れている人も殆どいない。

  私の入社10年目に岡大法文学部から3人の女子が採用された。法文ではなく、文学部だったかも知れぬ。とうじ岡山本社の主力は、高柳の社屋(強姦殺人事件があった今のシンフォームの社屋)に移っていたが、書籍部や高校模試部は番町に残っていた。総勢70人だったろうか。新採用学生は全国規模になっていたから、岡大法文から3人の採用は珍しかった。しかも3人とも番町に配属されたのだ。その3人がOさん(国文)、Yさん(仏文)、Mさん(英文)だった。以後OさんとYさんとは書籍部でいっしょに仕事をすることになる。いっぽうMさんは高校模試部で英語の問題編集などを担当した。4年後に彼女たちは私が退社する前後に、バラバラに退社した。以後30年経過したが、東京在住のOさん、倉敷在住のYさんとは、いまだ年賀状のやり取りがある。奇妙なもので、同じ大学・学部出身というのは何処かで意識の底にある。私には当時の学舎の思い出と重なって、愛おしい感情がある。それはたぶん自分の青春に対するノスタルジーだろう。


  Mさんのことを書く。きのう風邪で病院に行った帰り道、Mさんの自宅前を通った。彼女の家は私の家から直線距離だと300mも離れていない。だが出会うことは滅多になかった。10年ぶりだった。

 私 「この前あなたに会った時、あなたは 「もうすぐわたし50歳になります」 と言っていた」。

 Mさん 「そうでした。もうすぐ60歳なんですよ。いま働きにいっています。アルバイトですけど」。

 私 「ご主人の歯医者さんの手伝いはしていないの? いろいろ忙しいでしょう? 他人を頼んでるの? 歯科衛生技師とか?」。

 Mさん 「 ええ、私は放っておいて、他で働いています」。


 それから互いの子供がいまだに独身であること、F書店時代の同僚の消息など、数分間の立ち話をした。偶然だったが愉しかった。おかげで風邪はすかっり引いてしまった。

 私の中では、Oさん、Yさん、Mさんは、いまだに岡大の3人なのだ。3人の退社前後を書いておこう。Oさんは国文だったが、弓道部だった。弓道部時代の彼と付き合っていたが、煮えきれないというので、倉敷青陵時代の先輩と見合いした。それで一発で決まった。夫君は理科系で、東大工学部卒だった。この結婚が決まってから間もなく退社した。このときYさんはOさんのことを 「乗り換える名人ですよねエ。女はそれでなくちゃあ生きられませんワ」 と私に言った。私は黙っていた。そのYさんは律儀にも大学時代の先輩と結婚した。学生時代から付き合っていたようには聞いていない。同じ仏文だが、苦労して大学教授になった。大学名は秘すが、この大学はやたらと准教授を引き延ばす。給料の出し惜しみではないか。そのYさんが数年前、私の店のフランス語の洋書を一括して買ってくれた。そのときYさんにソックリの娘さんを見た。「よかったなあ、いい大学に入れて」。たぶんもう卒業しているだろう。

  Mさんの結婚について、私は知らなかった。あとでF書店の元同僚から聞いた。大安寺高校時代の恋人だった。Mさんは大学は法文だから津島、夫君は歯学部だから鹿田だ。どういう付き合いだったかは知らないが、Mさんは見合いなどしていないだろう。歯科医は今は過剰ぎみで、歯学部の人気はガタ落ちだが、夫君の時代の岡大歯学部は難関だった。私が聞いた範囲では当初は研究医志向だったが、やがて臨床に変わり、少し遅れて開業された。医院は私の家から1k以内の距離にある。

  いまF書店時代15年を振り返ると、殺伐とした光景しか浮かばない。そんな中で3人の記憶だけが私を癒してくれる。
  1. 2017/03/01(水) 05:06:46|
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