古本屋通信

戦中と戦後の幼少年雑誌から

 古本屋通信   No 2409    2017年  02月02日


    戦中と戦後の幼少年雑誌から

 いくらか古本屋事情を書きたい思いもある。きょう昼すぎにダンボール3箱ほどの古雑誌類が入った。馴染の古紙業者さんからだ。彼について触れておく。なんでも屋だが、街を流して古紙を集めるチリ紙交換ではない。大手の町内会などの廃品回収も手懸けるが、そんな場所からは私の求める古書は出ない。では何処から出るか。おもに家の片付けから出る。だがこれが難しい。その難しさは実は私にも分らない。妙な話だがひとえに業者さんの嗅覚に負うている。つまり古本屋の欲しい本を知っている業者でなければならない。といっても初めから知っているのではない。覚えてもらうのだ。

  さっぱりわけの分らない書き出しになったが、きょうのダンボール3箱分で5000円の取引は双方にとって割りの合う商売だった。まあ見かけはゴミだ。ゴミだから捨てたのを、抜かりなく集めて古本屋に廻した。じゃあ、捨てた人は無知なために損をしたのか? そんなことはない。仮に私に直接声が掛かっても、私は買いに出掛けない。選別するとなると手間が合わないからだ。つまりゴミのダンボール100箱。そのうちの3箱が有用なのだ。旧所有者は全部まとめて捨てるのが合理的である。分りにくいだろうが、そうなのだ。

  旧岡山市街地の7~8割は昭和20年6月29日の空襲で焼けた。焼け跡から戦前と戦中の紙類が出ることはあり得ない。また、戦後に建設された家屋から戦前の紙類が出ることも殆んどない。古本屋はそういう場所は端から捨てねばならない。また一歩間違えたら差別だと叱られるが、書物は経済的豊かさと教養がない人の家からは出ない。狙いは定まって来るのである。

  以上が講釈である。以下が本文である。

  きょう仕入れた古本については省略する。その内の2冊について書く。

1冊目は 『あたらしい憲法のはなし』(昭和22年 文部省)。これは戦後民主主義の出発を象徴する小冊子である。だから戦後左翼も競って褒めた。その後もしばしば復刊と復刻を繰り返した。きょう入ってきたのは、1972年に日本平和委員会によって復刊された本の第12版(1981年版)である。ざっと読んでみた。なるほどである。私は既に何回も読んでいる。子ども向けのテキストとしては満点なのだろうが、私は違う観点から何時もゾッとする。その理由は後で書く。


2冊目は『こどものほん下』(昭和17年 帝國教育会出版部)。配給は日配となっている。副読本だが準教科書である。小さな話が15話あるが、いずれもカラーの絵が入ったウルトラCである。そのひとつの全文を紹介する。


 へいたいさん
がくかうで、ニュースえいぐわが、ありました。五郎は、竹二と いっしょに 夕ごはんを たべて から、 おうちの人の おゆるしを えて みに いきました。 うんどうば には もう 人が いっぱい あつまってゐました ふたりは おとなの 人たちの あひだを くぐって よく みえる 前の ほうへ、出ました。
となり村からも、 大ぜい 人が、 みに きて ゐました。
ぴりぴりと、 ふえが なると、 くらく なって ニュースが うつりはじめました。
日本の へいたいさんが、 大砲や 馬を ひいて、 ぬかるみを すすんで いく ところ でした。子どもたちは、 みんな、 ぱちぱちと 手を たたきました。
その つぎに、 ふついん(佛印?)へ いって ゐる へいたいさんたちが、 うつりました。 へいたいさんは、 みんな にこにこ わらって ゐました。
「うちの おとうさんが、うつると、いいなあ」 と、五郎が いひました。
「うちの にいさんも 出ないか なあ」 竹二も いひました。
バナナを たべて ゐる へいたいさんが、 うつりました。
へいたいさんが でる たびに、 ふたりは、うれしくて、 ばんざいを したく なりました。

 まあ、こんなものだろう。許せないと言ったところで、みんながみんなそうだった。百人が百人こうだった。然し、こうでなかったごく小数が日本にもいた。獄中の共産主義者たちだ。これはここまでにしておく。

 ここで1冊目の 『あたらしい憲法のはなし』 に戻る。これを編集したのは日本の敗戦を経た文部省の役人たちだ。ほんの5年前まで2冊目の『こどものほん 下』を作っていた同じ人間ではないのか。いや末端の文部官僚は実務家ゆえに公職追放になっていない。青少年を戦地に送った、その同じ手で、戦後民主主義の旗手として 『あたらしい憲法のはなし』 を作ったのである。そこには何の反省も、苦悶もありはしなかった。私が1冊目にゾッとするのは、こういう理由からである。これは文部官僚の話である。


 次は簡単に済まそう。岡山県庁の厚生官僚の話である。米英鬼畜も何のその、米進駐軍は岡山にもやって来た。岡山市中島に遊郭があった。然しそこでは、新しいアメリカの客の性欲を処理し切れなかったのである。そこで急遽、県庁の役人と警察関係に動員が掛かった。売春婦集めである。やまとなでしこを米軍に大奉仕させるための仕事である。私はその記録の全容を示す報告書資料を入手した。秘密にしておくべきだった。然し、つい口が滑ってK先生に洩らしてしまった。先生は即刻現金でお買いになった。3万円だった。惜しかった。

  1冊目 『あたらしい憲法のはなし』。2冊目 『こどものほん 下』。時々の生活から矛盾と感じないで両者を受け入れる人を、私は糾弾する気になれない。でも、たった5年しか経っていないのだ。だからサイテイ鈍感さは責められるべきだろう。現代では石崎徹氏のような人が該当する。昔も今も本人たちはまったく無自覚である。状況に拠る現実存在(実存)が本質に先立つのだから、それぞれの時代の尖端が正義なのだ。上記の「へいたいさん」こそが正義である。「へいたいさん」が殺した無実の人びとは彼らの現実存在(実存)からスッポリ抜けている。だから石崎氏にとって「北」は野蛮人の国である。日本は北アジアに於いて、その使命を果たさねばならない。帝国主義ファシストその人である。

  戦争が終ったとき、自分はなぜ戦争に抵抗できなかったのかと苦しんだ人は確かにいた。香川大学の山之内先生がそうだった。戦争が終わってから先生は暫らく何もしないで、『資本論』だけを読んだと言われた。私は本当の知識人だと思った。

  最後に余り言いたくないが言わしてもらおう。共産主義者コミュニストが、党大会で満場一致で決めたその決定を、3年後に返して正反対の決定を満場一致でする。そういうことがあってよいものか。まるで日本の総転向とソックリではないのか。
  1. 2017/02/02(木) 17:46:40|
  2. 未分類