古本屋通信

くにさだきみさん再登場

古本屋通信    No 2369   2017年  01月09日


     くにさだきみさん再登場


  私は通信 No 2361で文字入力した『道標』創刊40周年記念特集号の詩の中に 、くにさだきみさんの作品がなかったことが不満だった。理由はわからない。選者の松田研之さんの目に留まらなかったとは考えにくいので、本人が辞退したのだろうと思った。いずれにせよ私はくにさださんの作品を文字入力したかったのだ。それで偶然だが、つれあいが 2014年7月号の 『詩人会議』 誌を持っていた。たぶん坪井あき子さんから貰ったものだろうと云う。有難いことにそれに、くにさださんの詩作品だけでなく、2ページにわたる彼女のエッセイ 「タブーへの挑戦」 が掲載されていた。本来は掲載に当って、私のくにさださんに対する想いを書かねばならぬのだが、幸い私の過去エントリーが残っていたので、それを後半に貼り付ける事でまえがきに代えたい( これがけっこう長文だったので、今回のエントリーの題名はそれに続くものという意味で 「くにさだきみさん再登場」 とした)。ひとことだけ添える。私には詩を批評の能力はないが、くにさださんは私がもっとも好きな岡山の三詩人の中の一人である。あとの二人は間野捷魯と坪井宗康である。既に二人とも故人だ。間野さんについては、いずれ書きたいと思っている。坪井さんの書簡もいずれ公表できる日が来るかも知れない。


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  喰えるモヤシと 喰えないコトバ  くにさだ きみ

 本日、 モヤシは 売り切れです。
 「消費税を 8%に あげました。
  景気は 必ず 回復します。」
 スーパーは 昨日と違ってガラガラでした。
 ー (四月バカ) ノ日ノ出来ゴトデス。 -



 エッセイ タブーへの挑戦  
  くにさだ きみ


  何が書きたいか? 何を書くか? そんなことは決まっていません。強いて言えば、ハッとして書きたくなったりカチンときて早速書いた結果が、十八冊の詩集です。
  一応、詩集(傍点)と呼んでいますが、そうかどうかもはっきりしません。「詩の言葉で書かれていない。」 と言われてしまえばたしかにそうで、今も私は 「詩の言葉」 というのがどういうコトバ(傍点)かわかっていません。
  とにかく、書きたいことを書いてきました。ときには、いい気分で書くこともありますが、大抵はカッとなって書く怒った詩です。権威や権力が大嫌いで、そういう人達が幅を利かす政治や社会を、底まで抉って書きたいのです。「何コレッ?」 と思ったことも 「嘘デショウ!」 と感じたことも即刻詩にします。
  だから、政治や社会が隠そうとするもの、隠しているもの、そのタブーを破るのが詩人の仕事だと思っています。しかし、タブーへの挑戦は、私の場合、殆ど成功しませんでした。「禁忌の構造」を収録した 『写撃者』 も 「GOOK」 「release」 など五篇をメインにした 『罪の翻訳』 も、本人としては相当リキ(傍点)を入れて書いたのですが、世間の反響はいまひとつでした。そのあたりが目下、わたしの課題かも知れません。
 課題といえば、六十余年も詩を書きながら、「詩のことば」が解っていないことこそ、課題中の課題。
  たしかに、どう書くかより、何を書くかが優先でしたから、人様からは、コトバに神経を使わないように見えるでしょうが、これでいて結構コトバには拘ります。無茶苦茶原稿用紙を使って書き直します。ハッとし、カチンとき、カッカッとなった、書きたいこと(傍点)が余さず書けたかに腐心します。
  書きたいこと(傍点)が余さず書けたという保証は全くありませんが、最近カッカとなって書いたテーマは 「消費税増税」 だったり 「特定秘密保護法」 だったり 「憲法改悪」 に触発された詩だったりします。
  三月発行の 『径』 47号に 「抱く」 「シロイ手」 を載せましたが、憲法改悪や秘密保護法の策動がカチンと来たので書いた詩です。「抱く」 は 「一輪の 花を抱くやさしさで/憲法を抱く/この国の いのちだから」 とたったこれだけの短い詩ですが何遍も書き直しました。「シロイ手」 は岡田紗月木さんの絵とのコラポレーションなのですが 「屁のような シロイ手」 に行きつくまでに三、四日かかりました。
 この二月に中桐美和子さんと 『命命鳥』 という共著の本を出しましたが、そこに収録している 「ハナカマキリ」 は安倍首相の画策する「集団的自衛権容認」を、絶対ヨーニン(傍点)したくなくて書いた詩ですし、この詩集にも憲法改悪に触発された 「どのお砂場にも書いておくこと」 を掲せています。ずーっと原発事故についても書いて来ましたが、「ヒマワリーあるいは くたばれ原発ー」 「『止』の風景 2013、7、25フクシマ」 の二篇は、詩の方法は違いますが、書きたくて書いた詩です。
 私の書きたい詩は、これからも、この延長線上にあると思っています。『詩人会議』 の短詩特集には 「喰えるモヤシと 喰えないコトバ」 という五行詩で応募しました。ー これは消費税が 5% から 8% になった四月一日に書いた詩です。このところ短詩を沢山書いていますが、読者の辟易するようなヘッタラ長い詩も書きたいと思います。
  初めから 「詩のコトバ」 が解らない人間ですから、今更詩のコトバでか書うなどとは思っていません。どだい詩というものには制約が多すぎます。「詩は簡潔でなければならない」 「詩は説明であってはならない」 「詩には余韻がなければならない」 「事実の羅列は詩ではない」 「詩は経験でなければならない」 「詩にはリズムがなければならない」 「アジ詩は書くな」 「理屈は書くな」 「ことば遊びはダメ」 「花鳥風月はダメ」 「概念はダメ」 「饒舌もダメ」 ? ? ?
  詩界のタブーを破るのも詩人の仕事かも知れません。『命命鳥』に「詩人のお荷物」 という詩を掲せましたら、さまざまな反応が戻ってきました。「ホントウのシジンは/『詩』 だけを背負って歩いている。」 あたりに多少の反 (発の左にサンズイ偏)があったようにも思えます。詩壇というところもある種の権威だと、私は思っているのです。
 あらゆるタブーへの挑戦、それがこれからの仕事です。



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    再録


    古本屋通信     No 1305   2015年  2月23日

    くにさだきみ


  私は2年あまり自分のブログを書いてきた。岡山の文学関係の現役の方のブログには気を配ってきた。石崎さんや鬼藤さんのブログにはすぐに気が付いた。然しくにさだきみさんにブログがある事は昨日まで知らなかった。散文であれ、詩歌であれ、ほとんどの方はネットをやらない。これはたまたまというのではなく、文学的思惟とその表現がどこかネットに馴染まない所があるのだろう。私は長い間そう考えてきた。

 話は飛ぶが、さいきん武田英夫氏が熊山の永瀬清子の没後20周年の催事に出たという文を読んだ。誰が永瀬を好きでも知ったことではないが、私は永瀬と聞いただけでゾッとするのだ。私は戦後の彼女の詩は殆んど食わず嫌いである。いまだに読む気がしない。戦前1930年の 『グレンデルの母親』 は (今では入手困難だが) 秀逸である。しかしその同じ詩人があそこまで酷い戦争賛美詩が書けるのか。これは単に天皇賛美だとか、やむを得ず体制に迎合した類いではない。青年が死地に赴くのを鼓舞する極悪非道の詩だ。人間技ではない。こういう処世は許されるべきでない。永瀬は戦後きっぱりと筆を折るべきであった。私は文学の責任は政治の責任と同等であるとの認識である。だから絞死刑に相当すると思う。せめて公職永久追放にでもしないと、死んだ若者が浮かばれない。永瀬を許した日本的心情こそが天皇制ナショナリズムなのだ。

 私は永瀬の戦前のこの詩を読む機会があった。古本で入手して数万円で売った (記憶はウスレているが合同詩集だったように思う)。これは今では完全に闇に葬られている。読んで以後、私は 「このクソばばあ死ね」 と叫び続けてきた。併せて岡山の戦後詩人が永瀬を利用し続けてきたことにも不信感を持った。とりわけ永瀬に可愛がられた坪井、三沢、井奥の岡大出身の3詩人に。

 最近になって、私は (永瀬というより世の殆んどの) 文学者がかくも簡単に 「転向」 する理由が分かってきた。悪い例で申し分けないが、石崎徹さんと鬼藤千春さんだ。2人はかなり違うが、共通している事もある。2人とも没論理だ。石崎さんは極端な状況追認主義だ。自分の頭で考えない。その時々の実感が全てだ。世間が左だと彼も左だ。世間が右だと彼も右だ。実感主義だとそうなる。ごく普通の庶民の感覚だ。コレだと抵抗が不要だから楽だ(ここら辺がもっとも端的にあわわれているのが、彼がブル新聞の最たる「良識」派である朝日新聞を何の衒いもなく肯定的に引くことだろう)。鬼藤さんは共産党に盲従していれば安心出来る。安心立命 (あんじんりゅうめい) の典型的なカルトだ。自分の思考を党に預けて一丁あがりだ。最近そういう歌をさかんに詠んでいる。党が戦争を是認すれば鬼藤さんが戦争に反対する訳がなかろう。


 私は多くの詩人には上記の2人と同様な弱点があるように思う。中野や壺井(繁治)まで転向した。蔵原でさえ転向した。文学関係で転向しなかったのは顕治と百合子だけではなかったか。その百合子が永瀬を褒めている。然しそれは意味が違う。転向組も仲良く一緒にやりましょうという意味だ。

 私には詩プロパーを評価する能力はない。然しくにさだきみの散文、つまり文章力には驚愕した。具体的にはコーサック社から刊行した詩論集 しなやかな抵抗の詩想―詩人の生き方と言葉のあり方(1962-2010) の文章だ。今ここにない。それから彼女の詩がみんなに嫌われる政治詩であることだ。この点は (同じく私の好きな) 沖長ルミ子の詩と対照的だ。

 前置きが長くなった。くにさだのブログを貼る。ただし数年前の文 (2009/01の文だと思われる) がたった数日分しかない。これはたぶん家族の不幸で中断されたのだろう。その後は書かれていない。


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   くにさだきみのブログ 


 くにさだきみ 雑文 腹の虫


 廃墟を作れば「平和」と呼べるか?

 今日テレビを見ていてびっくりした。映像は確かに、ローマかどこかの廃墟なのだが、「ローマ人は、廃墟を作り、それを『平和』と呼ぶ。」と言っている。ウソでしょう!何だって廃墟が「平和」なの?

 納得できる話ではないのだが、映像はどう見てもローマの廃墟である。待てよ!廃墟と言えば、原爆ドームだって廃墟ではないか?日本の代表的廃墟であり、かつ日本の平和のシンボルと言えば、やっぱりあの原爆ドームでなければならない。だとすると、この国の人だって「廃墟を作って『平和』と呼んで」いるのではないか。いやいや、正確にはアメリカ人こそが、この国に廃墟を作り、「平和」と呼ばせているのではあるまいか?

 考えて見れば、朝鮮戦争だってベトナム戦争だって、アメリカは「平和」と呼びながら、廃墟を作って来たのではないのか?今、「平和維持軍」だとか「多国籍軍」だとか、もっともらしい言い方で、アフガニスタンやイラク.に廃墟を作り続けているのもアメリカサンなのである。

 テレビは、古今東西で覇権をふるった「帝国」の名を次々と上げていたが、ローマ人ばかりではないことが分かった。

 そうなのである。ローマに限らず、サラセンだってモンゴルだって、広大な廃墟を作り、「平和」とよんだのに違いない。

 覇権の崩壊が見えてきたアメリカなのだが、廃墟を作っても「平和」などとは呼んではいけない。廃墟になったローマの映像をみながら、今日はつくずく「国家の欺瞞」を見せられた気がした。



 雑文腹の虫を始めるまで

 昨日、「廃墟」とか「平和」とか屁理屈を書いたが、これはブログ一年生のテスト入力だった。実は、一年前に息子から「ブログを教えるから」と、機械音痴のわたしが「70の手習い」を始めたわけである。ブログには先ず「詩」を入力しようと思った。「詩」は短いから簡単と思ったのだ。ところがドッコイ「ブログ」というものは「行わけ」がエライむずかしいのである。

 結局、お手あげの形で、「ブログ」は休眠状態をほぼ一年間続けてしまった。「行わけ」が出来ないなら、雑文でと思いなおしたのが、今回の「くにさだきみ雑文腹の虫」である。どうにも腹の虫が治まらない事柄をかきたい。

 どんなことになるやら?もう休眠だけはしたくない。



 今年の仕事

 年金生活だから、無職の身。仕事といえば気がひけるが、馬力をあげて詩を書かなければ。あと何年書けるかを考えるとウカウカもしておれない。書きたいことも、書かなければならないことも年々増えて、その逆に、気力・体力がどんどん減っていく。どうしてもこの際、「馬力」を!となるのであるが、生来寡作であり、瞬発力がまるでない。だから、今年はどうでもいいことに手を出すまいと決めている

 無理をしてしなくても済むことなら、仕事は人様に譲りたい。客観的には、至極つまらないことだけれども、人様が書かないことが書けたらと思う。それが、いまのわたしのやりたい仕事である。もう一つ、あまり人様のやりたがらないことも、わたしの仕事にしたいと思う。



 麻生さん あなたが給付金貰うのはサモシクないのかしら?

 あなたは確か「お金持ちのひとが、定額給付金をもらいたいと言うのはさもしい考えだ」といいませんでした?国民はみんな覚えていますよ。そろそろ認知症になろうかという年齢のわたしだって、チャンと覚えていますからね。いいかげんなことを言ってると、また支持率下がりますよ。

 国会議員のみなさんも、定額給付金を受け取るそうですね。それだってサモシクありませんかねえ。自民党の方針にしたからサモシクなくなったの?

 77歳の、シガナイ年金ぐらしのわたしだって、定額給付金なんかもらっても景気がよくなるなんて思えませんし、選挙対策ミエミエの「サモシイ政策」と思ってきましたよ。22兆円もばら撒くんだったら、生活保護費や雇用対策に使ってくださいよ。

 ホームレスの人は、生活保護も受けられないまま放置され、多分住所がなければ、定額給付金だって貰えないでしょ。麻生さん。麻生セメントの御曹司のあなたに給付金が受け取れ、ホームレスの人はなぜ生活保護も給付金も貰えないのかしら?オカシイ思いません?

 多額の事務費を使って給付金をばら撒いたら、今度は消費税の増税!iいい加減にしてくださいよ。あなたが給付金を貰うか貰わないかは、どっちでもいいけれど、2兆円のわたしたちの血税を、事務的経費も含めて、自・公の党利・党略に使おうって魂胆がサモシイって、わたしはいいたいの。



 ちょっと楽しみなこと

 ケイコちゃんから電話があった。「生活と健康を守る会」専用の「なんでも相談」の電話へである。

 「なんでも相談」を始めて何年になるだろう。毎日のように結構深刻な相談が飛び込んでくる。今日は2件「相談」があった。1件目は会員からのものだった。次男とふたり、つつましく暮らしている人からであった。「長男が戻って来てなあ。仕事もやめてしもうとって、どうすりゃあええんじゃろうか。死のうか思うたりする。」というものだった。長男の方の了解を得て、生活保護の申請をしては?と話したが、話し合いが縺れたのかその後は音沙汰がなかった。

 2件目がケイコちゃんからだった。去年の秋から毎日ナガイナガイ電話をかけてきていた。ケイコというだけで住所も電話番号も明かさなかった。苗字も伏せたままの相談であった。

 母親が怖いという。母からも兄からも暴力を受けているという。一応は別居して独り暮らしなのだが、いつ兄や母が来るかと心配で眠れないのだという。鍵をいくつもかけているというのである。精神的に安定していないようで、わたしはずっとケイコちゃんの話を聞いてきた。

 最近、父親が亡くなり遺産相続の問題が起こって、母から度々「判を押せ」と言われている。「書留がきたけれど、事情を話して受け取らなかった」とケイコちゃんが言ったのが、年末のことであった。

 年が明けてもトラブルは続いていたようだ。「怖い」「怖い」「眠れない」「どうしよう」と何度も何度も電話が入った。精神状態が正直いって心配である。「お医者さんにみてもらったら?」とすすめるのだが「怖い」「怖い」というだけで、埒があかない。

 そのケイコちゃんが、電話番号も教えてくれて、「明日おばちゃんと逢いたい」と言ってくれた。ここには書けないけれど、苗字も明かしてくれている。とにかく、明日会ってみようと思う。声も明るかったしきっと会ってくれるとおもう。楽しみだ



 ケイコちゃんのこと 伊藤さんのこと

 ケイコちゃんに会うことができた。透き通るような声と皮膚の人。人の少ない店を選んで、スパゲッテーを食べ紅茶を飲みながら、彼女の透き通った淋しい声を聞いた。家族は血でつながっていて、切ることも切れることもない運命共同体だと思っていたのに、どうしてこんなにもモロイ関係に変わってしまったのだろう。原始共産社会の成立以来、日本の家族は、一つ釜の飯を食う共同体だったはずなのに、ケイコちゃんの話は、ズタズタの親子関係の延々と続く、なんとも惨めな内容であった。

 崩壊していく資本主義社会の、これが家族の姿かもしれない。ケイコちゃんの、澄んだ瞳とまるで似つかわしくない母親への憎しみ。

 話しているうちに、明るい表情に変わっていくケイコちゃんに、いくらかホットしたものの、人のつながりがここまでとは思わなかったから、駅のホームに立つ人影と、吹きすぎていく寒風が、ガラス絵みたいに思えて悲しかった。

 「生活と健康を守る会」の相談電話に、伊藤さんという人からも相談が入っていた。『雇用切れ』にあったのだという。昨日はケイコちゃんの心の問題だったが、今日は伊藤さんの生活の問題でありカネの問題だった。

 雇用促進住宅に入居するにあたって、4万円余りのお金を借りたいという相談なのである。「総社市社協」に独自の小口融資の制度があるので、わたしの夫が保証人になり、こちらはなんとか解決することが出来た。

 伊藤さんの話では、三菱の下請けの会社に非正規雇用で働いていて、突然、派遣会社から『解雇通知』を受けたのだと言う。派遣会社は三菱から1億円貰って、解雇の下請けまでしているのである。まったく開いた口がふさがらない。

 悲しいと言えばいいのか、悔しいと言うべきか、暗い現実にコトバを失う。決意を新たに、敢然として闘うしかない。



 骨を折った話

 実は昨年11月8日、ボランティアでバザーをしていて、左手首を骨折してしまった。2センチ位の段差に気づかないで、躓いてしまった。ぐぁんと、思わずついた左手に衝撃があった。ヤッタナ!と思ったが後の祭り。

 車で病院に運んで貰ったが、レントゲン写真をとると、明らかに手首が2箇所折れている。手首のあたりの骨も「くの字」に曲がっているのだ。医者は「手術が必要かなあ」と顎を撫でながら考えている。面倒なことになったなと思っていると、「引っ張ってみましょうか」とその若い医者は笑いながら言うのである。イタイなどと言うものではなかった。息ができない位の激痛である。しかし、もう一度レントゲンを撮って貰うと、嘘のようにすっかり形がよくなっている。

 ギブスがとれたのは、クリスマスの日だった。左手だったからよかったけれど、それでも1月半ほど片手の生活だった。運転ができない、タオルが絞れない、リンゴの皮が剥けない。右手の爪は右手では切れない。

 ギブスがとれても、実はまだ運転が出来ないでいる。ボランティアも開店休業のままで年を越した。それでも、手術をしないで済んだのは有難かった。若いあのお医者様のお陰である



 あってはならないことが起きてしまった



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 コーサック社の くにさだ きみ 紹介ページ

くにさだ きみ
【経歴】
1932年岡山生まれ。岡山県総社市在住。
詩集『くにさだきみ詩選集130篇』など、詩論集『しなやかな抵抗の詩想―詩人の生き方と言葉のあり方(1962-2010)』。
個人誌「径」発行。詩人会議、日本現代詩人会会員。
「コールサック」に参加。
壷井繁治賞、富田砕花賞を受賞。

【詩を紹介】

ホタルイカの自決 

ホタルイカの「身投げ」というものを 映像で見た。

あれは
ほんとうに  「身投げ」だったのか。
海から陸へ、
大量に打ちあげられていく
やわらかいもの 光らないもの―

ひょっとしてあれは 自決だったかも知れないのだ。

浅瀬には ホタルイカの
目と目と目とが無数に散らばり、
手かも足かもわからないものが もつれあい
無抵抗に、
浮かんだり沈んだり
からまりあったり 流れたりしている。

あの日
断崖に追い詰められたヒトビトは どうして
自殺ではなく
「集団自決」をしなければならなかったのか。

手と手と手とは 目と目と目とは
何を見つめながら(思いながら)
イノチを断っていったのだろう。
ムスコや ムスメや ハハオヤの―

ニンゲンの「自決」とは何だったろう。歴史の中で。

海から陸へ
波は 投網のように打ちあげられ、
陸から海へ
崩れるかたちに 砂粒が引き戻される。

テレビは 次の瞬間、
手に手に網(タモ)を持ち 裾をからげて
ズラズラズラっと波打ち際に佇ち並ぶ
ニンゲンの 目や手や足を映していた。

捕られる一瞬、
ホタルイカはあんなにも海をしたたらせ
あんなにも
ペッタリとひとかたまりになるものだろうか。
(血さえ吹かない ただの白いものを)
しっかりと網(タモ)にからまれていて―

ニュースは ひとつの「身投げ」で静かに終わった。

「集団自決」とは、
オキナワの だれが どこに
打ちあげられた話だったか。
その日はどんな色と
どんな臭いの 何がしたたり
だれとだれとが
どんな網(タモ)を持ち波打ち際で待ちうけたのか。

映像はそのあたりで音を消し 途切れる。

   *

もう半世紀を超えようというのに
へいわ。
  へいわ。
へいわ。
  へいわ。

海は―
投網の形相で打ちよせてくる。

波打ち際の
その日の記憶を呑みこんだままで―


闇の現(うつつ)

   (3) 闇を鬻(ひさ)ぐ

敗戦からわずか五日後のこと。
関東尾津組の親分衆
喜之助が
「新宿マーケット」という
葦簀張り
青天井の店を開いた。

―光は新宿から―

そこでは
ほんのさきほど目覚めたばかりの
家財道具と食器類とが
輝いている。
(ピッカピカに磨きたてられて)

  ご飯茶碗   一円二〇銭
  素焼七輪   四円三〇銭
  高下駄    二円八〇銭
  フライ鍋   一五円
  醤油樽    九円

ベークライト製の
皿や汁碗三ッ組 八円。
それらは
もはや統制価格の通用しない
闇価格であったし
闇市だった。

    「鉄兜を鍋に更正致します。
    二升炊
    加工賃 七円九十銭」

白木の
木の蓋もきちんとつけられていて、
それは見事な
軍需産業からの脱却であったし
平和産業への転換であった。

八月十四日。
鈴木貫太郎内閣が、唐突にも
  「軍その他の保有する
  軍需用保有物資、資材の緊急処分の件」
という通達を流してしまったので、
軍放出の物資は
大量に―
民間に出まわるようになったのだけれど。
  軍刀が
  包丁やナイフ・ナタ・マサカリに更正されて―
  機関銃の工場が
  国産ミシンの製造に鞍替えしたという噂も流れて―

軍需産業は
どれほどの闇を潜り抜け(付加価値をつけ)
浮上して
平和産業への転換を成就したかが問われている。

―光は新宿から―

敗戦からわずか三日後のこと。
内務省、警保局長通達というものが
全国都道府県に無電で打たれて
(その要請を受けてのことであったのだろう。)
特殊慰安施設協会(RAA)では
  「『昭和のお吉』幾千人かの人柱の上に
  狂瀾を阻む防波堤を築き、
  民族の純血を
  百年の彼方に護持培養するとともに
  戦後社会秩序の根本に
  見えざる地下の柱たらんとす。」
と。
早速「昭和お吉」の募集を始めた。

   「   急 告
    特別女子従業員 募集
      衣食住及ビ高給ヲ支給 前借ニモ応ズ
      地方ヨリノ応募者ニハ 旅費ヲ支給ス
          Recreation and Amusement Association. 」

―光は新宿から― だった。
―闇もまた新宿から― である。

戦時中 
「従軍慰安婦」募集に協力した
「特殊慰安施設協会(RAA)所属の七団体」は、
戦後
  〈人柱〉にネッカチーフをかぶらせて
  〈人柱〉にハイヒールの靴をはかせて
  「平和的」に―
  「民主的」に―
身体(からだ)を米兵に鬻(ひさ)がせ続けた。
―ひっくり返した鉄兜を鍋にする仕方で―

   参考文献 「昭和の歴史⑧―占領と民主主義」 神田文人 著


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 以下は過去の古本屋通信の再録である。私は既に以下の詩集全てを売り払っている。郷土出版物をいっせいに処分したとき同業に適正価で引き取ってもらった。シンフォニーの古本市に出たと思う。自分のたいせつなコレクションだったが、独占的私有はしばしば排他的であり、他人の目を詩人から遠ざける。そう思って一気に放出した(古本屋通信)。

古本屋通信  No 31  9月27日

 
郷土の詩人たち

 棚の本の中から郷土の詩人のものを取り出してみた。詩集ばかりではないが、私のお気に入りの蒐集の一部なので、リストアップした。

*共同詩集 青いデュエット 三澤信弘 坪井宗康
*追悼 詩人三沢浩二
 秋山基夫編 和光出版 2007 初版 追悼文
*詩集 存在のなかのかすかな声 三沢浩二 1959 初版 署名 知覚社
*西川緑道 三沢浩二 双書現代詩一千行 手帖舎 1989 初版 
*連帯詩集 坪井宗康 平和書房 1975 江草昭治装丁 帯 初版 
*詩集胃袋 坪井宗康 青磁社 1979 表題詩は1975年の入選作品
*坪井宗康詩集 カゲロウ異聞 手帖舎 宮園洋装丁 1982 初版 
*坪井宗康詩集 その時のために 手帖舎 佐藤定装丁 1986 二刷
*詩集 風景の中の風景 坪井宗康 手帖舎 佐藤定装丁 1986 
*郷土人物物語詩編 さんぽ太郎よ甦れ 坪井宗康 佐藤定 1986 

間野捷魯詩集 木犀書房 1971 「体温」全作品と当時の解説2文
*歳月 間野捷魯詩集 泰樹社 昭和62年 栞に永瀬清子と上林の評
 
*随想星霜記
 間野捷魯 日本文教出版 平成5年 石川真佐代版画 
*詩集年輪 間野捷魯 本多企画 2000 初版 帯 最後の詩集
*随想静夜抄 間野捷魯 本多企画 2001 初版 帯 遺稿 95歳

 くにさだきみ詩集

*木にかえす *写撃者 *ミッドウェーのラブホテル *けだもの考証録  
*獏の餌箱 *ブッシュさんのコップ *しなやかな抵抗の詩想
*罪の翻訳 *オリの春 *国家の成分

 坪井あきこ詩文集
*白い鳥  *遠い記憶  *アカシアの咲く町で  *小さな庭で

*茜空 青井憲一遺歌集 手帖舎 則武真一序文 宮園洋装丁 1998
*歌集 波涛 木島一直 赤木健介選 金光剛画 倉敷民文 1974
*中野重治詩集 1947小山書店 戦旗社版ナウカ社版に続く第3詩集
*永瀬清子詩集 1969年 昭森社 クレンデルの母親 諸国の天女所収
*全患協斗争史 森田竹次 森田竹次遺稿集刊行委員会 帯 1987
*詩集 日本組曲 吉塚勤治 創美社 1955 奥付欠 中津瀬忠彦素描 
 
*苅田アサノ 人と思い出 其刊行委員会 1976 発行人堀江邑一
*岡山県詩集 1959年版 刊行委編 最初の県詩集 詩人の住所録
*凍原 中務保二 文学手帖社 小説作品 献呈本 昭和25年
*片岡いほき詩集 背広 片岡五百樹 1979 献呈本 岸本徹解説

*詩集 木を挽く人 沖長ルミ子 視点社 1999
*亀島山地下工場 沖長ルミ子 手帖舎 1991

*詩集  (ムシ偏でikiと読む) なんば・みちこ 土曜美術社 1999
*21世紀詩人叢書 伏流水 なんば・みちこ 土曜美術社 1992 

*松田研之詩集 職場からの報告 明治乳業 支援する会 1980
*詩集 ねぶかの花 松田研之 詩学社 帯 初版 2001

*矢木明詩集 消えぬ導火線 矢木明 国鉄詩話会 金光剛画 1967
*駅の刻印 双書現代詩一千行 矢木明 手帖舎 宮園洋装丁 1991 
*何をしゃべってきたか十六年 市議会報告集 矢木明 手帖舎 1987

 上記は、郷土詩関係の私のコレクションの一部である。古本屋だから値をつけて売っているが、売るためだけに蒐めたものではない。趣味かと問われると返事に困るが、下手な書評を書くより目録的に羅列するのが、趣味と言えば趣味に叶っている。
  1. 2017/01/09(月) 00:30:20|
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