古本屋通信

清心女子大元学長渡辺和子さん

古本屋通信    No 2354   2016年  12月31日


  ノートルダム清心女子大(元)学長・渡辺和子さん


 先ほどウェブのニュースで渡辺和子さんの死を知った。いくばくかの感動があった。それを書いてみたい。直接の面識はおろか講演を聴いたこともない。だから追悼文ではない。また批判や糾弾だけとも違う。批判や糾弾ばかりなら死の直後には書くべきではなかろう。思い付いたままを書くことにする。

 その前に、渡辺さんの死亡を伝える殆んどのニュースが 「ベストセラー 『置かれた場所で咲きなさい』 などの著書で知られる」 とあった。私はそんな本は聞いたこともなかった。ベストセラーなどと無縁な古本屋だったから。で、アマゾンで調べたら 2013年に刊行されていた。そこにはなんと499個のアマゾンレビューがあった。これならばミリオンセラーではないか。すぐに出版社を想った。PHP出版ではないだろう。PHP出版ならここまで当てる力はない。果たして見城徹の幻冬舎であった。納得した。

 アマゾンレビューの評価は最上の5が294個で圧倒的だが、評価1も39個あった。評価1の冒頭の数個だけを読んだ。すべて正解である。その他を読む必要はない。だが私はこのミリオンセラーの著者を批判しているのではない。この著者の文を素材にして幻冬舎が本を作ったら、出来上がる本は自ずから分かり切っている。つまり著者の本の装いをとった出版社の商業本が一丁上がりなのだ。かつて本作りを仕事にしていた者なら誰でも容易に分かる。この件はここまでにしておく。

 渡辺さんが清心女子大学の学長に就任したのは1963年、私が高校3年の時だった。それからずっと(最後の理事長時代をふくめ)50年近く女子大のトップだった。その間の私の彼女に対する評価は一貫してPHP文化人(非知識人)、つまり松下幸之助の女版として保守反動というものだった。おもてむき敬虔なクリスチャン、その実は一貫して革命運動と民主運動に対する敵対である。そういう者としてトコトン俗物であるとの評価だ。これに関する逸話も多く存在する。その著書の多くはPHP出版から刊行されており、分かり易いことばで、心の問題が説教されている。私の渡辺さんに対する見方は50年近く変わらなかった。

  数年前、近くの大きな邸宅の片付け(建物取り壊しに伴なう紙類の回収)の時、偶然にも渡辺さんら女子大の首脳陣からの葉書の類いが発見された。それはプライバシーにかかわる文面ではまったくなく、極めて実務的な文書であった。また、にも拘らず宗教的な行事を媒介にした遣り取りの文面だった。何の変哲もない実務葉書ではあったが、そこには渡辺さんの肉筆が多く認められた。その字が実に美しかったこと。また何でもない実務的な内容でありながら、謙虚と誠実に溢れた葉書であったこと。私の渡辺さんにたいする見方のいくらかの部分は、これに拠って軌道修正されざるを得なかった。

 振り返って、私はノートルダム清心女子学とまったく無縁ではなかったように思う。田舎の中学の旧友は清心女子大に行き、その後も多少の付き合いがあった。F書店出版部社員時代には、いくらか女子大の古典叢書(正宗敦夫文庫)の刊行に関わった。いま至近距離で古本屋商売をしている。古本屋の看板娘からは渡辺さん賞賛のことばをいやというほど聞かされた。共産党関係では石井ひとみ県委員長と尾崎宏子(元)書記長が共にこの大学の出身者である。そのたびに渡辺さんの影がチラチラするのだ。

 渡辺さんの著書に見られる彼女の思想は支配階級のイデオロギーである。私はそう思う。その振りまく魔力と幻想がアマゾンレビューの高評価だろう。然し私は渡辺さんに批判的に言及した纏った論稿(哲学論文)を読んだことはない。今回のアマゾンレビュー1が初めての批判文である。

 そういえば十年ほど前、女子大に赴任してきた左翼教授に渡辺さんのことを話したら、宗教者とは地上の問題でしか討論は成立しない、宗教的世界観と真っ向から論争するのは徒労であろうとの見解であった。まとまりのない事を書いた。少し時間を経過したら書き加えるかも知れない。とりあえず死の直後に思ったことを正直に書き留めた。
  1. 2016/12/31(土) 16:09:38|
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